第一章 出会い(5)
翌日から辰敬は鰐走や鈴見の砦と並行して、岩山城の補強にも取り掛かった。
この当時の城は石垣もなく、天守もない。
尾根を断ち切って空掘りを作り、守りとした。これを堀切と言う。
山肌を削って垂直な崖を作り、その上に柵を巡らし、櫓を建て、砦とした。
辰敬は新たな堀切を作る一方、既存の堀切は幅を広げ、さらに深く掘り下げた。
岩山城の南、江谷川上流に建つ円光寺や、西にある刺賀(さすが)神社、波根湖の南岸の苅田神社など近在の寺社にはそれぞれ五貫ほどの土地を寄進した。
戦になれば苅田神社は鈴見の砦と共に城の北の守りとなる。
城から西へ延び、大田に抜ける古道沿いの丘に立つ刺賀神社は西の守りとなる。だが、辰敬は江谷川があるとはいえ、刺賀神社だけでは心もとない気がした。
刺賀神社の北を通る古道はすぐその先の丘の手前で南へ分かれ、丘の間を縫って大田に至る。
辰敬はその道が分かれる丘の上に円光寺を移すことにした。
早速土木工事が始まり、辰敬は陣頭指揮を執った。
ところで、それまで岩山城主であった刺賀氏は、大内氏から送り込まれながら、銀山支配の力関係が変わる度に、小笠原に従ったり、毛利に傾いたりしながら、今は尼子方に転じて山吹城に移った。
この転変極まりない領主の動向に、一番迷惑していたのは刺賀の百姓達であった。
一度戦になれば、駆り出されるのは百姓達なのである。刀や槍を手に命がけの戦いを強いられる。たとえ武器を持たない馬の口取りや荷駄担ぎであっても、戦いに敗れたら、捕虜になることもある。
捕虜は悲惨だ。他国に連行され、一生農奴として使役される。人買いに売られたら、九州どころか、遠く安南、シャムなどの異国にまで送り込まれる時代になっていた。
百姓達は自分達の運命を握る領主の動向に敏感にならざるを得なかった。
そんな処へ、乗り込んで来たのが辰敬だったのである。しかも、出雲人であった。
何処も同じであるが、隣り合う国は仲が悪いものだ。出雲と石見も例外ではない。石見は耕地も少なく、概して貧しい。出雲人は貧しい石見人を見下した。そんな出雲人を石見人は嫌った。
刺賀の百姓達は辰敬が送り込まれた経緯もいち早く掴んでいた。嫌いな出雲人の城主と共に、大内や毛利の大軍相手に、負け戦をしたい者など一人もいない。
(いったいどげな城主様じゃろう)
彼らは固唾をのんで、自ら望んで滅びの城に乗り込んで来た新城主を見守っていたのである。
辰敬としては何をさておいても民心を掴むのが急務であった。日の出前に起き出して領内を見回り、暗くなってから帰館する日々が続いた。
戦は侍だけでするものではない。槍を担いで駆け回る足軽、馬の轡を取る者、荷を担ぐ者達などがいて、上下心を一つに合わせてこその軍隊なのである。
妻子は半月ほど遅れ、田園に実りの色が入り始めた頃にやって来た。
その日も辰敬の帰館は遅かった。
疲れた子供達は寝てしまっていた。
辰敬は子供達の寝顔を覗いて戻って来ると、千代を労った。
「そなたも疲れたであろう。早く休むがよい」
疲れていないと言えば嘘になるが、千代は今宵は夫を晩酌で労おうと思い、富田から酒を運んでいた。
辰敬は『富田でも西宮の旨酒や堺酒にも負けぬ酒が出来るようになったか』と喜び、富田の地酒を愛飲していた。
だが、辰敬は座敷を素通りして台所へ行くと、板の間にどかっと座り、湯漬けを勢いよくかき込み、香の物をぱりぱりと音を立てて噛み砕いただけであった。
この夕餉を見ただけで、千代は辰敬の覚悟の程を改めて思い知らされた気がして、酒を運んで来たことは黙っていた。
その夜、千代は寝付かれなかった。
富田城下とは夜の寂しさが違った。
城下の屋敷は岩山の館ほど大きくはなく、隣近所の奉公人の声や馬の嘶き、剣戟の音や子弟が素読をする声などが筒抜けであった。時には宴の音曲が迷惑な夜もあった。
ここは館の表門のすぐ前を江谷川が流れ、裏手はすぐに胸突くような岩山である。聞こえて来るのは山のざわめきだけであった。まるでもののけの嗤い声が館の屋根に覆い被さるように。
千代は夜具を抜け出すと、そっと縁に出た。
なぜ起き出したのか、千代にも分からなかった。たぶんもののけなどいないことを確かめたかったのかも知れない。
と、正面の闇の中にぼんやりと仄かな明かりがあった。障子にちろちろと灯明の明りが揺れている。中庭の向こうは辰敬の居室である。
(こんな遅くまで何をなさっちょるのだろう)
到着早々、連日辰敬が朝早く出て、遅く帰館することは聞いていた。
千代は辰敬の身を案じた。
翌日の夜も明かりはあった。
近習に確かめると、この城に入った日の夜から、毎晩続いていると言う。
その後も辰敬は一日も休むことなく、城や砦の普請の陣頭指揮を続けていたが、夜の明かりが途切れた事はなかった。
この数日は城の南の矢場や北にある鍛冶場を広げるため、自ら縄張りをしていた。
その合間には村々を見回り、病人や怪我人には薬を与え、百姓達の年貢の損免を訴える声を聞き、入会地の相論を裁いたりしていると言う。
辰敬が来るべき日に備え、村人の中にも分け入ろうと心を砕いているのは分かるのだが、年齢を考えたら、妻としては、せめて夜はゆっくりと休んで欲しかった。
その夜、千代は意を決した。
回り廊下を渡ると、障子の向こうに声を掛けた。
「お前様、失礼してよろしいでしょうか」
「うむ……」
障子を開けると、辰敬の背中があった。
辰敬は筆を置くと、ゆっくりと振り返った。
灯明に照らされた文机の上には半紙が広げてあり、細かな文字がびっしりと書き連ねてあった。
「お体に触りませぬか」
辰敬の目が綻んだ。
「吉田攻めの冬、雪を褥(しとね)に寝た兵のことを思えば大したことではない」
千代は文机に目を戻した。
辰敬らしい几帳面な文字であるが、これまで見たことのある夫の文字とは気配が違っているような気がした。濡れた墨から迸るものを感じた。気迫が漂い、格調がある。
千代はそっと遠慮気味に問うた。
「毎晩遅くまで何をお書きになっているのでしょうか」
「うむ」
その時、部屋の中が真昼のように明るくなった。
空を見上げた二人は思わず声を上げた。
雲間から満月が顔を出したところであった。
石見で夫婦が初めて見る月が満月であった。
二人はしばし言葉を忘れて見とれていた。
千代は富田の月を思い出した。
富田城が聳える月山は別名吐月峰とも呼ばれている。
城下から見ると、満月は月山の頂から上って来る。まるで月山から吐き出されるかのように見えるので、そう名付けられたのだ。
城下の屋敷にある時、千代は月山から昇る月に見とれる辰敬をしばしば目撃したものだ。
その横顔に詩心が浮かんでいるのを千代は見抜いていた。心の中で歌を詠んでいる夫の姿を遠くから眺めるのが、千代は好きだった。
が、今宵の辰敬の顔に城下の屋敷で見た詩心はなかった。今まで見たことのない、何とも言いようもない目で、遠い月のさらに遠くを見ていた。
「あれを出してごせ」
辰敬が声を掛けた時、微笑みの妻千代はとびっきりの笑みを浮かべた。
(ちゃんと知っちょられる)
千代はいそいそと台所へ行った。
女中たちを起こさないように、そっと瓶子 ( へいし )に酒を移すと、両手に捧げ持って引き返した。
辰敬が差し出す酒杯に千代はとくとくと酒を注いだ。
懐かしい地酒の香りが広がった。
浅い漆塗りの酒杯の底に月が映っている。辰敬は空の月を見ながら、杯の月を飲み干した。
心地よい酔いが五臓六腑に沁み渡って行く。
そして、空の杯を千代に返した。
千代が怪訝な顔をすると、辰敬はいたずらっぽくにやりと笑った。
「いける口じゃろ」
と、千代の手から瓶子を取り上げた。
千代は目を伏せ夫の酒を受けると、杯に半分ほどの酒をしみじみと飲み干した。
酒の美味い季節になっていた。
「『あの御方』にな、書いておるのじゃ」
優しい声であった。
(何方か分かっておるよな)と問いかけるその目も優しかったが、千代にとってはまったく思いもかけなかった言葉であったので、
「ああ……」
と、呆けたような声しか出なかった。
(なぜ、『あの御方』に……)
実は千代はあの御方の話を辰敬と交わしたことはない。多胡家で『あの御方』の名が語られることもなかった。多胡家のみならず、家中でも話題にされることはなかった。いや、家中では忘れ去られたと言った方が正確かもしれない。その御方が辰敬の胸の中にだけあることを千代は知っていた。
なぜ話したことも語られることもない『あの御方』を千代が知っていたかと言うと、夫婦であるからとしか説明のしようがなかった。
(一体何をお書きになっているのか……)
辰敬は二杯目を飲み干した。
「儂はな、千代、一城の主になったことを喜んではおらぬ」
千代は頷いた。
「この城の主になった時から定めは決まっておるのだが、いざここに来て、命に限りあること一層身に迫った。この冬かも知れぬ。運よくこの冬を逃れても、次の冬は絶対に逃れられまい」
千代は首を垂れたまま聞いていた。
「儂は思ったのだよ、残された命の間、儂は何をなすべきか。武士としては、無論、戦に備えるが第一、当たり前のことじゃ。夫として、父としては……」
千代は目を上げた。
正面に辰敬の目があった。
「思い残すことはない。そなたの覚悟を聞いた時から、後顧の憂いを断つことが出来た。後事を託すことが出来る妻であってくれたことに感謝しておる」
千代は身が震えた。
「そして最後に人として、何をなすべきか。限りある命のすべてを捧げてすべきことは……これも感謝。その感謝を捧げる御人はただ一人、御屋形様をおいて他にはない」
千代は思わず身を正した。
出雲では最後の出雲国守護とも言うべき京極政経が没して三十数年が経つが、未だに屋形と言えば、京極家を指していた。
普通なら尼子晴久が御屋形様と呼ばれてもよいのだろうが、民部様と呼ばれ、御屋形様と呼ばれる事はない。その父経久も民部様、後に伊予様と呼ばれ、御屋形様と呼ばれる事はなかった。
あくまでも出雲の屋形は京極家であり続けたのである。辰敬が限りなき懐かしさを込めて御屋形様と呼ぶのも京極政経であった。
とは言え、時の流れは冷酷で、京極政経を知らぬ者が増えて行く一方で、年と共に忘れられて行くのは如何ともし難かった。
最後の出雲守護京極政経の血を引くただ一人の『あの御方』のことなど、その存在すら知らない人ばかりになってしまっていた。
だが、たった一人辰敬だけは、政経とその血を享けた人たちを、最早それも最後の一人となってしまった『あの御方』を忘れてはいなかったのである。
たとえ尼子家で重き身となっても、心の中の御屋形様は京極政経であった。
京極政経は辰敬にとって特別な人であった。
「御屋形様のお陰で今の自分があるのじゃ。感謝しても感謝し足りぬこの気持ち、そりゃあ出来るものなら御屋形様に伝えたいが、それはもう望めぬことじゃ。なればどうすべきかと考えた時、いつも心に掛けていた『あの御方』、御屋形様の血を引くただ一人の『あの御方』にお届けすべきだと思ったのじゃ。それを亡き御屋形様も一番喜んで下さるに違いないとな」
月が二人の笑みを照らし出した。
「…もし御屋形様と出会わなかったら、今の儂はどうなっていたのだろうと考えないこともないが、儂には御屋形様と出会わなかった人生など想像もつかんのじゃ。儂は御屋形様のお陰で、田舎の武士の末の子にはあり得ない幸運を授かったのだから。京の都へ上ったのだぞ。吉法師と変わらぬ年で、都へ行くことが出来たのだ。想像してみるがよい。田舎の子供が都に投げ込まれた驚きと興奮を。もう、それは毎日が夢のようであった……」
辰敬の目は子供のように輝いていた。
「お前も儂が御屋形様に可愛がられたことは聞き知っておるだろうが、いきなりお目通りしたわけではない。それには前段があってのう……」
途端にいたずらっ子のような楽しそうな顔になった。普段は真面目腐った顔をしているが、何かの拍子に辰敬はこんな表情をすることがあった。
「秋の夜長じゃけん、あの日のことを聞かしてやろうかいのう。法師丸と呼ばれておった子供の頃のことじゃ。六歳の男の子の運命が変わった日のことを。何十年も前の昔のことじゃ……」
美味そうに喉を潤すと、まるで昨日のことのように語り出した。