星山博之さんは言わずと知れたガンダムの脚本家だ。私より2つ3つ年上で、仕事をしていた時期は重なる。私は東映の戦隊シリーズを中心に東映動画やタツノコが主戦場で、星山さんはサンライズを中心に手広く書いていていた。お互いに沢山仕事をしていたのに、私たちが一緒の仕事をしたことは一度もなかった。それなのに、私たちは会えば「やあ」と声をかける間柄だった。
東映の大泉撮影所は西武池袋線の大泉学園が最寄り駅である。私は喫茶店で仕事をするタイプだったので、撮影所に脚本を届ける時は、仕上げを踏切脇の喫茶店「カトレア」で書いていた。その喫茶店の主みたいな人がが星山さんだった。彼も喫茶店で仕事をするタイプだったようだ。携帯のない時代だから、店員が「星山先生、お電話ですよ」と言っていたのを覚えている。喫茶店の電話を連絡に使っていたのかも。
放送作家協会(今の脚本家連盟の前身)のアニメ部会の役員の下っ端をやらされた時、メンバーの一人に星山さんがいた。だが、集まりは1、2回で、10人ぐらいいて、ちょっと話をして、終わったらすぐに皆散って行くので、近しく話をしたこともなかった。
「カトレア」で顔を見た時も、それから2、3年たっていたから、お互いに軽く頭を下げるだけだった。声も掛けない。お互い照れ屋なところがあったのだ。しばらく頭を下げるだけの関係が続いていたが、ある日、二人とも競馬新聞を持っていることに気が付いた。思わず顔を見合わせにやりとなった。
「やるの」と、星山さん。
それからは、「カトレア」で会えば、競馬の話だ。
仕事の話は一切しない。TVの話も、映画の話も、芝居の話も、本の話も。
競馬の話しかしなかった。優しい目をした、物腰の柔らかい人。作家に必要な強靭さは内に秘めて表には出さない人のように思えた。
競馬のキャリアも長かった。だが、週明けに会うと、いつも苦笑いしていた印象が強い。お互いさまだけど。
いつの有馬記念だったろうか、金曜か土曜に「カトレア」で、ああでもない、こうでもないと予想し合って、別れた。
私は外れた。
週明けの「カトレア」。ニコニコの星山さんが近づいて来た。
「あの日は、8枠(と言ったと思う)が良く出てたからさあ、8枠から流したら当たっちゃったよ」
「ええ、出目で買ったんですか」
先週のうんちくは何だったのか。
星山さん、照れくさそうに、
「昨日は全然当たらなくてさあ、有馬記念も分からなくなって、出目で買ったんだよ」
数々の名セリフを残した、機動戦士ガンダムの脚本家の、私が覚えている最後のセリフである。
「カトレア」は随分昔に閉店した。
星山さんが亡くなったのは、3、4年前で、67か68ぐらいかと思っていたが、念のために調べてみたら、2007 年に63 歳で亡くなっていた。
亡くなったと知ってショックを受けたのが、つい昨日のように思っていたが、そんなに昔の事だったとは。63歳だったのにも驚いた。私たちの63歳はまだまだいっぱい仕事が出来たのに。
春のように天気が良かったので、母を連れて母の実家へ行く。出雲市から西へ、大田市までは車で30分。母を実家へ残し、私は母の実家の裏山の岩山へ登る。
頂きの岩には柱を立てるために穿った穴がある。