今年最後のブログ、師匠のトンデモ話にしようか、ちょっといい話にしようか迷ったが、後者にした。
「この言葉はなあ、ベルレーヌが一夜にしてパリの文壇で有名になった時の感慨を言ったものなんだよ」
師匠の口からフランスの詩人の名が出て来て吃驚した。これほどミスマッチな取り合わせはない。弟子時代、師匠が読書しているところは見たことがなかった。ましてや詩やフランス文学なんて。万葉や古今新古今さえ口にしたことはなかった。銀座で豪遊したり、女優と浮気したり、プロデューサーをぶん殴ったり、そんな武勇伝ばかりだったから。
「選ばれたる者の恍惚と不安。いいものだぞお」
師匠は遠くを見る目で恍惚と呟いた。
脚本家デビューした時、未来の巨匠も不安はあったそうだが、その何十倍も恍惚とした喜びに浸ったと語った。
「俺はなあ、お前にもこの言葉を味わってもらいたいのだよ」
そう言う師匠の目は確かに愛弟子を慈しむものであった。心からの声だった。こんなことを面と向かって言われたら、給料を払うと言って払ってくれない師匠であっても、もう少し頑張ってみようかなあと思う私であった。
この時のことは忘れられなくて時々思い出していた。ベルレーヌの言葉とともに。
師匠が死んだ後も。長い間ずっと。
ふと先年、何気なくこの言葉を調べてみた。
すると、この言葉は、ベルレーヌの「信仰詩集」の中にある詩の一節と分かった。
ベルレーヌは敬虔なキリスト教信者で、ここに言う「選ばれたる者」とは、「神に選ばれた者」であり、「恍惚と不安」とは、神に選ばれた信仰者の心を表す言葉だったのである。信仰に関わる深い言葉で、師匠が言うように、文壇や社交界のような世俗で有名になることとはまるで違っていたのだ。
私はのけぞった。何十年も信じていたのに。
「先生、違ってるじゃないですか」と叫んでいた。
師匠とベルレーヌなんておかしいなあと思っていたことが当たっていたのだ。
師匠はどこでどう間違ったのか、完全に意味を取り違えていたのだ。いかにも師匠らしいと言えば師匠らしいのだが。
だが、今では私は師匠が思い込んでいた通りに受けとめようと思っている。
師匠ほどの「恍惚と不安」は味わってはいない。もし、味わったとしても、師匠の何十分の一である。でも、師匠には伝えたい。最初の時代小説が出た時は嬉しかったですよと。特に妻が倒れた年に書いたものだから。シナリオでは師匠を追い抜けなかったので、小説では追い抜こうと思っていたのだが……。もう少し頑張って師匠を追い抜きたい。
始めたばかりのブログで勝手もわからず、好きな事を書き散らし、何でもありの内容に戸惑われた方もいらっしゃると思います。来年からは、小説「石見岩山城主多胡辰敬」を掲載しつつ、書き続けて行こうと思っております。来年もよろしくお願いいたします。
