私が中学1年生だったと思う。新聞で松本清張の「砂の器」の連載が始まった。
それまで新聞小説など読んだことなかったのに、なぜか毎日読み始めた。
殺された男がズーズー弁を喋っていたことと地名らしき単語を話していたことを手掛かりに、刑事は被害者の出身地を割り出すため、東北地方に捜査に出かける。
私はその時点で、「あっ、この男の出身地は出雲だな」とすぐにわかった。なぜなら私の田舎は出雲であり、出雲もズーズー弁だったからだ。私はサラリーマンの息子で、生まれてから大阪→山口→東京と転校を続けたから、出雲では育っていない。
だが、夏休みは出雲の父の実家と石見の母の実家で過ごしたから、ズーズー弁にはなじみがあった。
子供の頃はズーズー弁に迎えられると、とんでもないド田舎に来たものだと思ったものだ。母の実家のある石見の方言が、共通の単語もあるのに、ずいぶん耳ざわりが良く、分かりやすく聞こえた。
刑事はいつまでたっても「出雲」に気がつかない。「いつになったら気がつくのだろう」私はイライラしながら読んだものだ。
どうして、こんなことを思い出したかと言うと、来年の正月明けから、連載しようとしている「多胡辰敬」の小説を見直しているのだが、その中で出雲弁を使う場面があるからだ。
生まれ育っていないので、いま一つ出雲弁の味が出ない。親父に聞けばいいと気楽に考えていたが、「難しく考えることはないから」と言っても、親父は「わからん、わからん」と言う。
誰に指南を仰ごうかいま思案中である。
何しろ、私は帰郷して5年目になるが、未だに「だんだん」が言えない。NHKの朝のTV小説「だんだん」で「ありがとう」の意味であることが知られたと思うが、その場に臨むとどうしても「ありがとう」と言ってしまう。「だんだん」と言おうとすると、口が強張るのが分かる。いつになったら自然に「だんだん」と言えるようになるのだろうか。
