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昨日4月26日の夜、多胡辰敬の小説の第十章(最終章)を書き上げた。この完という字を目指して足掛け十三年かかった。完を入力した瞬間はどんなに嬉しいだろうとその瞬間の喜びを想像していたが想像していたほどの感情の高ぶりはなかった。自分でも意外だった。多分、書きあがることは分かっていたからだと思う。ラストはこう書こうと今年になって決めていて、この十日ほどはその最後のくだりを何度も書き直し少しづつ書き進み、昨夜も9時過ぎには予定通り書き上がったからであろう。書き上げた瞬間は重荷をおろして、気が抜けたような感じで、しばしぼおっとしていた。
「女房に報告しなければ」と思い立ち、仏壇に行く。線香をあげて報告する。
妻がいてくれたから書けたと感謝する。普通なら重度の妻の在宅介護をしながら小説を書くなどあり得ないことだと思われるかもしれないが、私の場合は逆だった。在宅介護をしていたからこそ書けたのだと思っている。
その前日か、前々日かに、私は日本の女性物理学者の草分けと言うべき米沢富美子の記事を読んだ。彼女は子供が生まれた時、研究を続けるか子育てをするかの選択を迫られた。彼女は子育ても研究もする道を進んだのである。どちらかを選ぶのが普通なのに、あれもやりたい、これもやりたい、ならば両方やると決断し、子育てと研究を両立させたのだ。その話を読んで私は思わず「そうだよね、両方できるんだよね」と呟いていた。自分も似ていると思ったのである。在宅介護と小説の執筆を私も両立させたのだ。やれば出来たのだと。
子育ての場合は子の成長が励みになる。私の場合は重度の障害を負いながら頑張る妻の姿が私を励ましてくれたのである。
思えばはるけくも来たものである。果たして書き上げられるのか、死ぬまでに書けるのか、書きかけを残してくたばるのだけは嫌だなあと思いつつ、非才の身に鞭打って、途方にくれながら、小説の神様がいるなら助けて下さいと願いながら書いて来た。だが、ようやくその不安の日々から解放された。
毎晩、ほとんどの夜、寝る時も小説のことを考えていた。「どうしよう」「どう書こう」「困った、前に進めない」そして、夜中にはっと目が覚めたら、メモを取る。こんな生活がひとまず終わったのである。
実は書き上げたらやりたいことが一つある。
それはご褒美温泉である。帰郷して温泉に行ったことはあるがほとんど近場で名のある温泉でもなかったし、心底心身を休めた訳ではなかった。これからはちょっとした旅気分で島根県内の秘湯を一日がかりでゆっくりと楽しんでみたいのである。今のところ月に一度を計画している。本当はもう少し早く書き上がっていれば連休前には出かけるつもりでいたのだが、連休後にコロナの6回目ワクチンを受けてから行こうと思っている。
実はすでにいい温泉の情報を入手している。