4月12日に隣保で葬儀がある。私の父の葬儀をしてから5年ぶりの葬儀だが隣保の手伝いの顔ぶれがすっかり寂しくなってしまう。まず亡くなったのが83歳の長老格。それより年上の最長老が入院中。もう一人80歳に近い人も入院中。もう一人80近い人がいるのだが、この人は息子に後を譲ったので引退してしまって出て来ない。私と同世代は自宅療養中。男性陣がいきなり5人も減ってしまった。その上、前回手伝ってくれた30代、50代は今回は手伝い不可。男は65歳が1人と後は70代4人と83歳が1人の6人しか動けず。他に30代3人、50代1人いるが彼らも仕事。ちょっと前までは田舎だからおおらかなもので近所の葬式の手伝いをすると言えば休ませてくれたのだが、昨今は厳しくなって以前のように簡単に休ませてくれなくなったのだそうである。
男6人をどう振り分けるか。「どげするだ」と思案投げ首するも、今回は「つぼかき」が不要。「つぼかき」は昔は墓穴を掘ったのだが土葬がなくなってからは、お墓の掃除と納骨の手伝いになった。
出雲葬儀の順番は、自宅出棺⇒斎場で火葬⇒お骨にして葬儀⇒お墓に納骨なのだが、今回は葬家が49日が終ってから納骨するので「つぼかき」は不要になったのである。隣保では斎場の付き添いと言うのもある。火葬して待っている間の葬家の飲み物などの立て替え払いをする役である。
今回は、病院⇒葬儀場⇒通夜・葬儀⇒火葬⇒自宅の順になったので、なぜか付き添いはなくなった。どうやらこの順番だと隣保の手伝いが長引いてしまうからかもしれない。本当ならさらに納骨があるのだから。手伝いは原則出雲葬儀の順序をもとに作ってあるので、この順序が狂うとややこしいことになるのだ。近年は初七日法要をすますようにもなり、私のように最近田舎の葬儀に関わるようになった者にはわからないことだらけである。
そういうわけで「つぼかき」2人、「付き添い」2人がいらなくなったので、6人が半分ずつ張場3人、葬儀場3人に分かれることになり、私は葬儀場の受付になったのだが、色々あって葬儀場に行くのは男は私一人、後四人は女性。字が下手なのに香典帳を記帳する役目になる。
この時、色々話していて、もう煮炊きはやめようと言う事になる。葬家のために女性たちが集まって食事の世話をしていたのだが、私の父、その前あたりから、この煮炊きは断っていた。七、八年はやっていなかったのではなかろうか。これだけやっていないと、いまさらやろうと言う人もいなくなり、いつのまにかやめることが暗黙の了解になっていたようだ。
そして、煮炊きの準備に使う「配膳棚」や「机」「食器」も「すぐに捨ててしまおうや。明日、捨てよう」という次第で13日に捨てに行ったのであった。
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大正12年に発足した葬儀の記録。「無常講」。100年の記録。葬儀の手伝いは大幅に簡略化されるが、記録だけは書き継がれて行くのだろう。
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我が家の西の廊下に積んであった配膳棚と机、什器の入った箱。これを葬家は使っても使わなくても次に葬式があるまで預からなくてはならない。私は5年も預かった。去年、掃除したので綺麗に見えるが鼠のフンで埋まり、蜘蛛の巣は張り、ひどいことになっていたのである。こんなにあっさり廃棄が決まるなら、どうしてもっと早く決めてくれなかったのかと大いにぼやく。
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左)昭和48年に新調した机。葬家(親戚が集まり大人数になる)はこの机で食事をする。
右)配膳棚。台所に組み立てる。
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プラスチックの食器類が何十人分。
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左)出雲市のクリーンセンターに運び込む。ここは不燃ごみの処分場。
右)5年ぶりにすっきりした西の廊下。ガラス戸を開けて風を入れたのは5年ぶり。 これで今年の夏から風を通すことが出来る。夏は西の海のほうから涼しい風が入り、昼寝には最高なのだ。