特養に入所して1年と3ヶ月。この頃は今読み返しても随分口が悪くなった気がする。私をお前呼ばわりする。それまでもお前呼ばわりされたことはあったが、それは機嫌が悪い時だったような記憶がある。おそらく特養の暮らしになじめないところや不満、辛いところなどがあったのだろうと思う。私たちだって長期に入院すればストレスでおかしくなる。入院はいつか退院できるが、妻の場合は死ぬまで出られなかったのだから。


2018.5.16

「お前、世田谷にいたから知り合ったのか?(私が)学校(看護学校)に行ってたから」

(知り合ったのは世田谷の池尻のバス停近くの小さなスナック。マスターが松江工業の出身で、その店には島根県出身の新聞配達員たちも通っていたので、私も師匠の家での仕事が終わったら金のある時だけ時々顔をだしていたのだ。近くに島根出身者の経営する新聞配達店があり、働きながら学ぶ島根の学生たちの間では知られた店だったらしい。妻は若いマスター夫婦と仲がよかった)

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「チョコレート、チョコレート、チョコレートは明治。どうしてこんなに歌がうまいのだろう」
(このように特養で会話をしているのはお昼どきである。週に何回かはお昼ご飯の前に特養へ行き、車いすで散歩したり、ベッドでマッサージをしたりして、それから妻の食事に付き合っていた。そのうち自分の弁当を買って来て一緒に昼ご飯を食べるようになった。食事が終ったら歯磨きして帰る。よく通ったものだと思う。こういう人は私以外にもいて、老母の世話をする女性や、お爺さんの食事に同席する孫(息子かも知れない)のような人もいた。この人は私が行くと必ず来ていた)

2018.7(外泊中)

「お前と俺は結婚したのだぞ」と、妻が言う。

「それがどうした?」

「だからもっと言うことを聞け」
(ずっと特養に閉じ込めておくのは余りにも可哀そうなので、この頃は6泊7日で自宅に連れ戻していた。預けっぱなしにすることはとてもできなかった。1ヶ月の間でわずか1週間だけのお世話である。
それまで在宅介護をしていたことを考えれば。在宅介護をしていた時は楽できたのは妻がお泊りに行く10日だけだったのだから)

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「顔拭いてあげる」

「顔拭いてあげるなんて言うな。恩着せがましい」

2018.9.17外泊中
(特養から出る時貰った介護記録を見ると、この時の外泊は9月13日から9月18日までとわかる)

妻が私に「お前、顔がつぶれてるぞ」

「疲れたの」

♪見~たくない♪見~たくない」

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「よかよか」と、言うと

「気持ち悪いから熊本弁使うな。いいよ、いいよと言え」
2018.9.26

特養で散歩中

「車椅子を押して、人がうらやましがるぐらい」

2018.10.15 外泊中
(10月11日から10月16日まで外泊。)
「やりたいんだけどできないんだよ」

なにをやりたかったのか?

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「手洗ったか」

「下の世話をした時もちゃんと洗ってるよ」

「下の世話をしてくれたのか。そりゃあすまなかったな」
(この外泊中の夕食
11日栗ご飯、まぐろ山掛け、いものツル、野菜煮、ノンアルビール、梨
12日カレーライス、生野菜、ノンアルビール、梨
13日レタス鍋、ポテトサラダ、ノンアルビール、ぶどう
14日春巻き、いも天、ポテトサラダ、生野菜ノンアルビール、梨
15日手巻き寿司、ノンアルビール
毎晩ノンアルビールを出し、我ながら必死にメニューを考えたのだなあと思う)

2018.12.09 特養で

「島根と聞くとド田舎と思う」

2019.1.2外泊中
(年末年始は12月29日から1月4日まで外泊。年末年始は必ず娘夫婦が戻って来てくれるので気分的にはとても助かった。この年はテーブルピンポンを買って来て、娘と妻がダイニングのテーブルでピンポンに興じたのを思い出す。この頃はまだ妻はテーブルピンポンが出来たのだ。ただ当てるだけだけど。大声をあげていた)

妻はベッドに腰かけ、儂が足に装具を付けていたら頭の天辺をぷうっと吹く。

「薄くなったねえ」

「ほんとに、そんなに薄いか」

「露骨に薄いよ」

2019.2.14外泊中
(2月10日から2月15日まで外泊)

浣腸して、オムツ交換をした後

「ああ、終わった、終わった」と、思わず叫んだら、

「へたくそにやられると、こっちだって疲れるんだ」と、言われてしまった。

2019.2.15外泊中

ベッドに寝せたら

「このまま熊本に行くの?」

「うん」

「みんな、迎えに来てるよ。邦ちゃん、たいへんだったねと……」

2019.4.30

連休に娘夫婦が戻って来て特養へ見舞いに行く。

「足はよくなったか」と、聞く。

娘が足が悪かったことを覚えている。(なんでそんな歩き方するの)と、術後の回復が思わしくなくて足を引きずって歩く娘を怒ったことは私もよく覚えている。

その後、令和に改元することを教えたら、

「令和を祝す、令和を祝す……片足なおる」

娘の足がなおると歌う。
(この年は1月に父が入院。5月に死去。私は膵臓が悪いことが分かり、一時はすい臓がんになることを覚悟したほどの大変な年だった)

2019.7.7

特養のお昼。入所者の男性が大きな声で、「ごちそうさま」と、言うと

「元気ですねえ。今日の天気みたい」

2019.8.7(特養で)

長男の息子がハワイの幼稚園へ入る話をした後で

「〇〇君、来て。I wait for you. Hurry up please come here.

今日、〇〇君来ると言うから、おばあちゃん、掃除してくたびれたから、寝ている」

(自分のことをお婆ちゃんと言ったのは初めて)

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「来たらだっこしたいよ。ここに寝せてあげるの」(ベッドで)

2019.8.24(特養で)

昼食前に車椅子を押して表に出る。実り始めた田圃を見て

「イネが実り始めたね」と、言うと

「イーネ」と、返し、おかしかったのか笑う。気に入ったのか、何度も繰り返して笑う。

2019.9.1

TVで「チャゲ&飛鳥」の話題をしていると

「はげ&飛鳥だって、はげだって」と、笑う。

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「じゃあ、帰るから。また来るからね」

「(私は)もう、こんな所にいたくないの」
(やっぱりそうなんだ。そりゃそうだよなあ。と思いながら部屋を出る)