12月28日に娘と孫がサンライズ出雲で帰郷、今日1月3日のサンライズ出雲で帰京した。我が家は今年は喪に服した新年になる。寂しい正月を慮って帰って来てくれた。28日から2日まで毎晩風呂に入れるのは私の役目。最初の三日間は泣いたが後は慣れて機嫌よく入ってくれた。
28日と2日にはグループホームの母とベランダから窓ガラス越しの面会。母は「抱きたい、抱きたい」と言いながらもしばしの逢瀬を喜んでくれた。天気はクリスマス寒波がうそのように穏やかな日が続いたが1日まではお日様が出なくて風が冷たくベランダは寒い。孫は1歳4ヶ月なので面会は20分ぐらいで切り上げる。
1日、2日、3日はお寺の修正会(大般若祈祷)。私は総代をしているが、名前だけの総代で総代らしいことはなにもしていない。せめてこのような行事には出席しようと思っているのだが、ことしは我が家は喪中である。そこで、和尚さんに我が家は喪中なので修正会は控えるべきかと問うたら、「寺に喪中なし」と言って、四十九日を過ぎたら普通に生活してよいと言われたので今年も出席する。修正会には一年を振り返って悔い改める意味もあるので、妻への感謝と至らなさを悔い、妻を供養しながら読経する。
但し、我が家にあっては喪に服し、正月らしいことは何もしなかった。町内会の新年会は今年も中止。折りと酒が配られたがそれも辞退した。
修正会は6時半から7時まで。私は朝ご飯をしっかり食べないと腹が減ってお経が続かないので、5時半に起きる。その為には9時半には寝る。年寄りのくせに普段から8時間は睡眠をとっているのだ。6時半前には家を出るのだが、その時はまだ真っ暗。写真を撮ったのだがなぜか写真をアップできなかったので、修正会が終って帰る時の写真をアップする。

コロナ禍三回目の修正会だが、今年はwithコロナで去年より参加者は多く1日は30人を越えていたが、2日は20数人、今日3日は20人くらいか。
修正会が終って梅茶をよばれて帰る時はすっかり明るくなっている。正面北山の弥山(みせん)をバックに我が家。手前は耕作放棄地。昔は田んぼで一晩中カエルが鳴き、夏には蛍も飛んでいた。
11時に再度、お寺へ。満散会と総代世話人会がある。満散会でまた長いお経。半分くらいで声が出なくなる。満散会とはそもそも修正会三日のお勤めを終えた集まりなのだが、修正会に三日間出て満散会にも出た人は4、5人だと思う。名ばかりの総代、最低限の勤めは果たしたかなと思う。

午後、孫を連れて散歩に出る。縁起物だから鶴を見に行こうと川へ行く。鶴お婆さんの餌やりは終わった後だが、まだ鶴がいた。私の畑先生がたまたま柴犬の散歩していた。鶴は逃ないし、犬もおとなしい。畑先生、曰く。「お婆さんが言ってたけど、逃げないのはうちの犬だけだって」
畑先生は穏やかな人だし、犬も立派な柴犬だけとてもやさしい。うちの孫の顔もぺろぺろ舐めるような犬である。孫も生まれた時から豆柴と生活しているので「わんわん」は大好きで怖がらないのだ。鶴も分かるのだろう。
私と娘の車椅子と赤ん坊が近づいたらゆっくりと数メートル先まで距離を取った。車椅子なんて初めてだろうから警戒したのだろう。
2日、3日は久しぶりにお日様が出たので朝夕長い時間散歩をする。
出雲に着いた28日には娘がしばらく羽根屋の出雲そばを食べていないと言うので混むのを覚悟で行く。
29日以降はもっと混んで絶対に待たされるだろうから28日しかないと思って到着した日に無理して行った次第。開店が11時なので10分前に到着、受付したら8番。開店と同時に席に座れる。
娘はてんぷら割子、私はいつもと同じ割子三段と釜揚げそば。
店を出て近くのお寺に妻と妻の母を合葬した供養墓があるのでお参りして帰る。我が家のお墓にもお参りする。我が家のお墓は近いので毎日のようにお参りした。
あっという間に6泊7日の帰省が終り、今日6時53分のサンライズ出雲で帰京する。駅まで送る。
寝台車まで送って降りる時バイバイしたら、孫、泣き出して、びっくりする。いっぱい抱いて、いっぱいあやして可愛がったつもりだったがまさか泣き出すほどなついてくれていたとは。
娘からラインで写真を送ってくれた。別れた後も泣いていた。とても嬉しかった。連休にまた帰ってくれる。その時には完全に歩けるようになっているだろう。言葉も「たっち」とか「ないない」とか言っていたから、もっとおしゃべりするようになっているだろう。
今夜からまた一人に戻った。静かな夜である。明日から「多胡辰敬」の小説に戻る。昨年内に書き上げる予定だったラストの十章がまだ半分残っている。
28日と2日にはグループホームの母とベランダから窓ガラス越しの面会。母は「抱きたい、抱きたい」と言いながらもしばしの逢瀬を喜んでくれた。天気はクリスマス寒波がうそのように穏やかな日が続いたが1日まではお日様が出なくて風が冷たくベランダは寒い。孫は1歳4ヶ月なので面会は20分ぐらいで切り上げる。
1日、2日、3日はお寺の修正会(大般若祈祷)。私は総代をしているが、名前だけの総代で総代らしいことはなにもしていない。せめてこのような行事には出席しようと思っているのだが、ことしは我が家は喪中である。そこで、和尚さんに我が家は喪中なので修正会は控えるべきかと問うたら、「寺に喪中なし」と言って、四十九日を過ぎたら普通に生活してよいと言われたので今年も出席する。修正会には一年を振り返って悔い改める意味もあるので、妻への感謝と至らなさを悔い、妻を供養しながら読経する。
但し、我が家にあっては喪に服し、正月らしいことは何もしなかった。町内会の新年会は今年も中止。折りと酒が配られたがそれも辞退した。
修正会は6時半から7時まで。私は朝ご飯をしっかり食べないと腹が減ってお経が続かないので、5時半に起きる。その為には9時半には寝る。年寄りのくせに普段から8時間は睡眠をとっているのだ。6時半前には家を出るのだが、その時はまだ真っ暗。写真を撮ったのだがなぜか写真をアップできなかったので、修正会が終って帰る時の写真をアップする。

コロナ禍三回目の修正会だが、今年はwithコロナで去年より参加者は多く1日は30人を越えていたが、2日は20数人、今日3日は20人くらいか。
修正会が終って梅茶をよばれて帰る時はすっかり明るくなっている。正面北山の弥山(みせん)をバックに我が家。手前は耕作放棄地。昔は田んぼで一晩中カエルが鳴き、夏には蛍も飛んでいた。
11時に再度、お寺へ。満散会と総代世話人会がある。満散会でまた長いお経。半分くらいで声が出なくなる。満散会とはそもそも修正会三日のお勤めを終えた集まりなのだが、修正会に三日間出て満散会にも出た人は4、5人だと思う。名ばかりの総代、最低限の勤めは果たしたかなと思う。

午後、孫を連れて散歩に出る。縁起物だから鶴を見に行こうと川へ行く。鶴お婆さんの餌やりは終わった後だが、まだ鶴がいた。私の畑先生がたまたま柴犬の散歩していた。鶴は逃ないし、犬もおとなしい。畑先生、曰く。「お婆さんが言ってたけど、逃げないのはうちの犬だけだって」
畑先生は穏やかな人だし、犬も立派な柴犬だけとてもやさしい。うちの孫の顔もぺろぺろ舐めるような犬である。孫も生まれた時から豆柴と生活しているので「わんわん」は大好きで怖がらないのだ。鶴も分かるのだろう。
私と娘の車椅子と赤ん坊が近づいたらゆっくりと数メートル先まで距離を取った。車椅子なんて初めてだろうから警戒したのだろう。
2日、3日は久しぶりにお日様が出たので朝夕長い時間散歩をする。
出雲に着いた28日には娘がしばらく羽根屋の出雲そばを食べていないと言うので混むのを覚悟で行く。
29日以降はもっと混んで絶対に待たされるだろうから28日しかないと思って到着した日に無理して行った次第。開店が11時なので10分前に到着、受付したら8番。開店と同時に席に座れる。
娘はてんぷら割子、私はいつもと同じ割子三段と釜揚げそば。
店を出て近くのお寺に妻と妻の母を合葬した供養墓があるのでお参りして帰る。我が家のお墓にもお参りする。我が家のお墓は近いので毎日のようにお参りした。
あっという間に6泊7日の帰省が終り、今日6時53分のサンライズ出雲で帰京する。駅まで送る。
寝台車まで送って降りる時バイバイしたら、孫、泣き出して、びっくりする。いっぱい抱いて、いっぱいあやして可愛がったつもりだったがまさか泣き出すほどなついてくれていたとは。
娘からラインで写真を送ってくれた。別れた後も泣いていた。とても嬉しかった。連休にまた帰ってくれる。その時には完全に歩けるようになっているだろう。言葉も「たっち」とか「ないない」とか言っていたから、もっとおしゃべりするようになっているだろう。
今夜からまた一人に戻った。静かな夜である。明日から「多胡辰敬」の小説に戻る。昨年内に書き上げる予定だったラストの十章がまだ半分残っている。
コメント