師走に入った12月1日、急遽石見の母の里まで走ることになった。前日、義理の叔母さんが出雲の県立中央病院に一ヶ月近く入院していることがわかり見舞いに行った時、叔父さんがどうしているのか尋ねたら娘と娘婿が交代で世話をしていたが、娘が数日仕事で行けなくなったと言う。そこで今日、私が鮨を持って行くと約束したのである。叔父さんは今日はデイサービスで4時過ぎに戻ると言うので午前中は自宅で真面目に小説書きに励み、午後から【羽根屋】⇒【妻の墓参り】⇒【イオンで買い物】⇒【母のグループホーム】⇒【石見のおじさん】の順で西に向かって動く。
昼飯は羽根屋で出雲そば。
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天気予報通りいきなり寒くなる。出雲市でも最低が4.5℃。最高は10℃に届かず。12月下旬の天気とか。こんな日は釜揚げそばだ。足りないので必ず割子蕎麦の三段を頼むのだが今日は頼む順番を間違えた。今日みたいに寒い日は先に三段を食べてアツアツの釜揚げを後から食うべきだった。
波根屋まで来たら近くのお寺へ墓参り。妻と妻の母がいっしょに眠る永代供養墓に手を合わせる。
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出かける前に畑の周りで小さな菊を一杯摘んで持って行ったが、すでに花の木や綺麗な花が沢山供えてあったので持ってきた花を押し込むように供える。黄色と白いのが私が供えた花。寒々しいお墓が一気に華やかになった。
イオンで鮨折りと明日のお稲荷、パン屋でクリームパンとアンパンとメロンパンを買ってから、グループホームへ立ち寄る。
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面会中止になったので顔を見れなくても出来る限り顔出ししてやろうと思っている。これまではどちらかと言うと妻の方ばかり向いていたので、もう妻のところへ行くこともなくなった分、通ってやろうと思っているのだ。薄手のセーター類が足りないと言われていたので昨日イオンで買ったものと、例によって好物の熟柿を届ける。今日の職員さんは顔を見て行きますかと言ってくれたので離れて少しだけ話をする。セーターを渡すと「まあ、嬉しい」とセーターを大切そうに抱いた。
その後、一路石見へ。20分ぐらいで母の里へ着く。
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母の実家。今年の春、コロナで退院した後、帰りに車で寄り、川岸の向こうから門を眺めたが、母は実家と認知できなかった。前庭まで入ったら分かるだろうか?
4時過ぎに到着。上がって鮨とお稲荷、パンを届けて、小一時間話をして帰る。叔父さん、耳が遠くなっているのでつとめて大声で話す。家の中に上がるのは数年ぶり。
帰りに家の外へ出て、納屋越しに岩山を写す。
27歳だったと思う。「もう嫌だ」「やってられない」と師匠のところを逃げ出し、出来るだけ遠くへ行こうとおじさんのところに転がり込み、数日厄介になった。その頃だったと思う。岩山のお殿様が多胡辰敬だったことを知ったのは。いつか多胡辰敬を書きたいなあと思ったことを昨日のことのように思い出す。
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5時過ぎ。帰りの日本海。確かに突然寒くなったが、冬の日本海の寒さはこんなものではない。