要介護1の両親が手間がかかるようになり、要介護5の妻の相手が一番楽になった。勿論特養に入っているからであるが……。先日も好天だったが、今日は風もなく散歩が本当に気持ちが良かった。
イメージ 1特養の近くの小学校へ野球の試合を見に行く。
横断幕まであって、熱の入った応援をしていた。ただの練習試合ではなくて、何かのリーグ戦のようなものをやっているようであった。
特養へ顔出ししても、天気が悪くて外へ出られないと、こっちまで気分が滅入るが、これだけ天気に恵まれると晴れ晴れとした気分になる。
今日のお昼は『カキ飯弁当』を奮発する。おみやげも『たねや』の最中。東京の知り合いが贈ってくれた。いつもはこんな洒落た最中は食べない。口にしたのはいつのことだったか忘れた。皮と餡が別になっていて、挟んで食べる。昼食後に特別サービスで食べさせたらとても喜んでいた。儂も嬉しい。
が、家に帰るとため息の出ることばかり。
発端は10日前に父が仕出かしてくれた。
家では入浴介助までしていられない。浴槽でしりもちをついて立てなくなったこともあり、これからはデイサービスで入浴するようにしたのに、どうしても入ると言ってきかず、母に見て貰っているから大丈夫だと強引に入浴する。湯につかっただけで長湯はしなかったが、母は途中で監視を忘れて引き上げたので、結局儂が上がってからの着替えを手伝う。杖ついて引き上げていったので、後は母に見てもらっていたら
「どうしたの、大丈夫」と、母の声。
何事かと飛んで行ったら、父は部屋の入り口で動けなくなっていて、その場で崩れるように倒れる。儂は咄嗟に背後から抱きかかえるも、支えきれずそのまま父を抱くような格好で倒れる。意識を失い、声を掛けても返事がない。
儂は一瞬死んだかと思った。このまま死ぬのか。人間てこんな風に死ぬのかと思った。倅に抱きかかえられて死ぬならこれもありかとまで思った。その間、数分か。訪問医に電話しようと、当番表を見に行こうとした時、不意に、
「うんこがしたい」と、父が言う。
復活の第一声がそれかよ!人を散々心配させておいて。腹が立ったが、兎に角大事に至らなかったことはよしとしなければと、父を起こし、ポータブルトイレの前まで連れて行ったら、「あっ、出た」だって。思わず天を仰いだ。
翌日、ケアマネに電話し、早速、杖は限界なので、歩行器にし、デイサービスの送り迎えは車椅子にする。ポータブルトイレも便座が温まり、消臭機能もある一番高いやつを購入する。3割負担だから少し助かる。
生活全般も見直し、移動距離を短くするため、父の居室をこれまで妻の病室だった部屋に移し、ベッドも妻のベッドを使うことにする。この部屋ならすぐに玄関に出られるし、台所も隣である。
妻が外泊で戻って来る6日間だけ元の部屋に戻ることにする。
父が倒れた原因は訪問医によると、脱水や血圧の低下が考えられるとのことであった。
やれやれこれで一段落と思ったら、まだ事件は続く。
二日前、朝起きて部屋に入ったら、父が冷たい木の床に屑籠を枕に寝ている。布団は被っていたが。起こしてどうしたのかと聞いたら、ポータブルトイレから戻る時に、ベッドに上がれずに動けなくなってしまったと言う。想像だにしていなかったことに
唖然と言葉を失う。
ベッドは電動で上下できるので、コントローラーの使い方を教えたが、コントローラーの上下の矢印が読めないと言う。目も悪くなっているのだ。トイレとベッドを近づけることで何とか対処しているが、考えなければならない。踏み台が欲しいと父は言うが、上がるのはいいが、今度はベッドから立つとき、ベッドが低くなっているので立ち上がれない恐れがある。どうしたものか。
施設へ入所するにしてもどこも順番待ち。取り急ぎ、介護度の見直しをしてもらうことにする。
そして、もう一人困ったのが母。歯茎が痛むので金曜に歯医者に連れて行く。ためしに病院の名を訊いたら、10年以上通っているのに忘れたと言う。
化膿していたので、三日間昼に飲む薬と、痛み止めを貰うも、もはや薬の管理など出来ないので、儂は家を出ることが出来なくなった。いつかこんな日が来ると覚悟していたが、とうとう来てしまったなあと言うのが実感。昨日の文化の日は、隣保の一畑参りで、みなマイクロバスで参詣したが、儂はとてもじゃないが外出できず。
これからは台所が書斎だ。