6時前に起きて、荒神谷博物館へ。7時出発。松江駅に寄ってから、一路奈良県の御所市を目指すが、その間、30分ずつ2回、引率の藤岡大拙先生の講義がバスの中である。先生、86歳。敬服する。
今回のツアーは大和路に残る出雲の神々を訪ねるのが目的であるが、真っ先に問題になるのは当然の如く、なぜ大和に出雲の神々が祀られているのかと言うことである。一番妥当な考えは、国譲りをした見返りに出雲の神々が勧請され、天皇を守る大切な役目を与えられたと言うものである。これまでは、この考えが一般的で、広く受け入れられて来たのだが、それに対し、出雲系と言われる神々はもともと大和で生まれたという説がとなえられるようになる。
たとえば、オホナモチ(オオクニヌシ)の子と言われている事代主(コトシロヌシ)は鴨氏の神であった。コトシロヌシは鴨氏にとって代わった葛城氏に受け継がれ、その葛城氏は蘇我氏にとって代わられる。蘇我氏が滅んだ時に、蘇我氏が信じていたスサノオやオオクニヌシは追放されたと言うものである。これを過激に主張したのが梅原猛であるが、近年、大山誠一と言う考古学者が、蘇我氏の持っていた神話が出雲神話の元になっていることを精密に主張している。詳しくは説明しきれないので、「神話と天皇」(平凡社)を参考書としてあげておく。
私もコトシロヌシが鴨氏の神であったことを知った時から、なにかしっくりこないものを感じていたので、今では大山説に傾いている。
そういう問題意識を抱きながら、まずは神賀詞(かんよごと)に登場する神を中心に出雲の神をまつっている神社を訪ねた。
桃△A 三輪山桃〇A 大神神社
桃〇B 鴨都波神社
桃〇C 葛城一言主神社
桃〇D 高鴨神社
桃〇E 飛鳥坐神社
桃〇F 談山神社
桃〇G 大名持神社
桃×H 河俣神社
茶 伊勢街道
緑△イ 耳成山 緑△ロ 畝傍山 緑△ハ 天香具山(大和三山)
神賀詞では、オホナモチ(オオクニヌシ)が自分の和魂(ニギミタマ)を大御和の
神奈備(かんなび)【桃△A 三輪山】に、子のアジスキタカヒコネノミコトを葛城の鴨の神奈備【桃〇D 高鴨神社】に、コトシロヌシノミコトを宇奈堤(ウナテ)に、【桃×H 河俣神社】、カヤナルミノミコトを飛鳥の神奈備【桃〇E 飛鳥坐神社】に、皇孫の守り神として置き、自分(オオクニヌシ)は杵築宮(出雲大社)に静まるとある。
今日はそのうち神賀詞に関係あるのは【桃〇D 高鴨神社】のみ。【桃×H 河俣神社】には行かず。なぜ行かないのか、藤岡先生に尋ねたら、先生が後から見た時はコースが決まっていてしまったそうだ。行きたかったのになあ。
お昼に御所市に到着、「柿の葉寿司」を食べてから、葛城一言主(カツラギヒトコトヌシ)神社へ。
今日はC⇒D⇒B⇒G⇒橿原市と移動する。
鴨氏の神社でコトシロヌシとワカタケル(雄略天皇)を祀る。出雲の神様と思われているコトシロヌシが大和の神社に祀られている例の一つとして、見学する。




神社の中にはいくつか蜘蛛塚がある。神武天皇が東征した時、抵抗した勢力を土蜘蛛と呼んだ。蜘蛛塚の蜘蛛とは滅ぼされた土蜘蛛を意味する。
次に行ったのが高鴨神社。神賀詞に関わる場所である。



神賀詞ではアジスキタカヒコネ(オホナモチ=オオクニヌシの子)の御魂を葛城の鴨の神奈備に坐したとあるが、神奈備はおそらく山と思われるが、どの山か分かっていないようだ。後に高鴨神社の祭神はアジスキタカヒコネに加えて、三坐が加わる。
下照姫(オオクニヌシの娘)、天雅彦(アメノワカヒコ・下照姫の夫)、田心姫(タジリヒメ・オオクニヌシの妻)を祀り、四坐となる。天雅彦は高天原の神だが、葦原中津国を征服するために様子見に派遣されたが、オオクニヌシに篭絡され、下照姫と結婚して高天原に復命しなかったという神である。出雲系の神に入れてもいい。ここでも登場するのは出雲系と言われる神である。
右端の殿舎の赤い色のR型にカーブした棟を見た同行の人が、一枚板でこのようなカーブを作り出しているのは大したものだと褒めていた。
この後、小一時間かけて、吉野町の大名持神社【桃〇G】へ行く。
伊勢街道を吉野川(和歌山県に入ったら紀の川)沿いに東へ走る。


大名持とはオオクニヌシのことであるが、この名の神社は出雲にはない。
上の地図では分からないが、奈良県全図で見ると、この神社の位置は奈良県のどまんなかにある。東へ行けば伊勢へ100㎞、伊勢への最短距離にある。地理的に重要な位置にあることが分かる。
三大実録(859年)によると、正一位を賜っている。大和国で神階が大名持神社を越えているのは春日大社一社だけであった。これを見ても如何に重要な神社であるか分かる。
そんな特別な神社にオオクニヌシが祀られる意味を、次に行く飛鳥坐神社や三輪山&大神神社を見ながら考察する。
神奈備は神社の裏の山で「妹山」と言う。忌山が転訛したと言われている。忌山とは木を切ったり、入ったりしてはならない神聖な山のことである。この山は亜熱帯的な独特な樹相で知られたとても豊かな森を残している。
この「妹山」と吉野川を挟んであるのが「脊山」。
浄瑠璃の「妹脊山女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の舞台になった所でもある。日本版ロメオとジュリエットの悲劇で、江戸時代人気を博した。
この日、回った神社の中では一番古錆びた、小さな寂しい神社で、古代にそんな重要で大きな神社だった面影はどこにもない。本殿も藁ぶきである。聞けば今や2地区の氏神に過ぎず、氏子も20人ほどしかいないそうだ。
中世においては、参詣する人は数キロ先から榊を口にくわえて歩いて参詣したそうだ。榊をくわえるのは話をせず、静かに参詣するため。
そして、吉野川で身を清める。
6月30日には、潮が湧くので、その水で水を清める。この潮は熊野灘の海水と言われている。熊野灘までは約120㎞。
この潮が湧く話は、東大寺のお水取りにも共通点がある。東大寺のお水取りの水は遠く離れた若狭(福井)の水が湧いたものを使う。
夕方、ぽつぽつと雨が降る中、一路橿原市のホテルに向かう。