イメージ 11月21日(日曜日)は忠霊塔の清掃に出た。
これは長浜神社の麓に建てられた、第二次大戦の戦没者の慰霊塔である。この地域の戦没者の遺族が戦後ずっと持ち回りで清掃している。私は父の代理で出席したのだが、参加者のほとんどは私のような代理である。その父からして、二代目の遺族年金受給者なのだ。
我が家の場合、戦死したのは父の弟である。当然遺族年金の受給者は父親(私の祖父)であった。祖母は祖父より先に死んだので、祖父の死後は父が弟の遺族年金の受給者になったのである。
私は親が死んだ時点で、遺族年金は終わりだと思っていたので、帰郷して父が受給していると知ってびっくりした。
祖父がいくら受給していたかは知らないが、当然、父は減額されていて、年5万円である。
二代目の受給者も私の父のような老人ばかりになってしまったので、その息子や息子の嫁、はたまた孫までもが一家から一人出て来る。私は妻が在宅の時は1回出席しただけで、後は欠席していたが、特養に入ったらそうも行かない。『ばりん』を持って参加してくださいと遺族会の支部の連絡が回って来るのだ。
イメージ 2早起きして、朝飯をかき込み、『ばりん』を軽の荷台に放り込み、8時に忠霊塔へ行く。
『ばりん』とは、熊手の箒のことである。
出雲地方だけの呼び名のようだ。語源も意味も誰も知らない。子供の時から、皆、『ばりん』と言っていた。
母に聞いたら、石見地方では『さでかき』と言うそうな。忠霊塔の前の広場の伸びた草を削り、枯れ草を集め、燃え残りは穴を掘って埋める。予定では9時までだが、皆、早く終わりたいので8時半過ぎには上がる。お茶のペットボトルを1本貰う。
私はそこから荒神谷博物館へ行き、『風土記談義』に出る。
イメージ 3これが、遺族年金の債権。
5年分の25万円。これを4月に郵便局へ行って、一枚切り離し、5万円を貰う。
畑先生が「親方(私の父)が死んだら、ひろちゃんがもらえるよ」と、言うので。
「そんな馬鹿な。もらえる訳ないでしょう。親父で終わりでしょう」
「そうかなあ」
「年金だって、死んだらすぐ連絡してストップするじゃないですか」
「そういえばそうだなあ」
私は忠霊塔は半ば公的な性格を持ったものだとばかり思っていたら、あれは遺族が自主的にお金を出し合って建てたものだと、畑先生が教えてくれる。遺族年金が支給された時、当時はかなりな額が支給されたらしく、遺族が語り合って建てたのだ。だからどこにでもあるものではなく、出雲市にもこの長浜神社と一の谷と言う所にしかないそうだ。
「わしはその一の谷の清掃にも出なければならないのだよ」とは、畑先生の弁。
親戚の誰かの代理で出ているようだ。

ところで、この長浜神社の祭神は八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)である。出雲の国を作った国引きの神様である。古事記や日本書紀にはほとんど出てこない。出雲国風土記の一番最初の国引きの話にしか出てこない神様である。しかも、出雲国を作った最も大切な神様なのに、出雲にこの神様をまつる神社は長浜神社と他に一つか二つしかないと聞いている。
なぜ、長浜神社で祀っているのか。もともとこの神様の発祥は出雲の東部なのに、なぜ離れた西部の神社に祀られているのか、まだ、そこまで勉強していない。そのうち探求しなければと思いながら、荒神谷博物館へ向かった。