
今年も正月は娘夫婦が戻ってくれた。
正月の夜、娘とピンポンをする。ネットは娘が百均で買って来たもの。
わが家では妻の病後はおせちは夜に食べている。食後、眠たいと言うのを娘がピンポンに誘ったら、30分以上熱中する。ラリーなど続かないが、スマッシュするだけで楽しいらしく、声を上げる。こんな笑い声が響くのも久し振りである。
私はピンポンをすることなど考えもしなかった。遊び相手をすることも世話をするだけでいっぱいいっぱいで、在宅になってから12年間何一つして来なかった。
「ああ、こんなことも出来るのだ」と、ピンポンを考え付き、相手をして遊んでくれた娘に感謝した。一緒に戻ってくれた婿さんにも感謝。
ささやかな遊びはピンポン以外にもいっぱいあるだろうに、何もして来なかったことを反省する。


左)1月2日午後
右)1月4日朝
1、2日は曇りも、時折り陽が射す。2日の午後、日光浴をする。
4日、特養へ戻る日の朝は起きたらうっすらと雪化粧。
4日2時に自宅を出発して特養に戻る。外泊で戻る日の午前中に入浴し、戻って来た日に入浴させてもらえる。配慮が有難い。
今年も宜しくと挨拶し、折角出雲大社の近くに来たのだからと、帰郷して初めて正月に出雲大社に参る。4日だから人出はこんなものか。多いのか少ないのか分からん。


この鳥居は拝殿前の銅の鳥居。荒垣の正門の鳥居。銅製の鳥居は珍しいものらしい。
江戸時代の寛文6年(1666年)に毛利のお殿様が寄進した。
右の柱の真ん中に、『素戔嗚尊者雲陽大社神也』(すさのおのみことは雲陽大社の神也)と彫ってある。
ところが、翌寛文7年(1667年)遷宮の時、出雲大社の国造家は祭神をスサノヲからオホムナジ(大己貴神=大国主命)に替えてしまう。と、言うか古代からの本来の大国主命に戻した訳である。この間、数百年(?)は祭神はスサノヲと信じられていたから皆驚いたことだろう。毛利の殿様は怒らなかったのだろうか。国造家にしても、祭神を変えることは前年には決めていただろうから、こんな鳥居を寄進されて困ったのではなかろうか。そのあたりのエピソードでもあれば知りたいものだ。

これは大駐車場にある『さざれ石』。君が代の『さざれ石の巌をとなりて~』の『さざれ石』である。平成11年に岐阜県の人が奉納したもの。石灰質角礫岩と言い、溶解した石灰岩が小石を集積して大きくなったのだそうだ。
子どもの時から、♪さざれ石の~の意味が分からないままになっていたのだが、こうして実物を見て、説明してもらい、やっとこの歳になって意味が分かった次第である。
家内安全家族の健康だけを祈って帰る。
わが家にとってはこれは切実な問題である。来月96歳になる父が寝たきりになろうものなら、私は小説書くなんて言ってられなくなるのだ。なんだ自分の為かと言われるかもしれないが、せめて小説ぐらい書かせて欲しいのである。頭はしっかりしているので安心していたのだが、このところ風呂上りに私のパンツをはいているのを何度も目撃しているのだ。勘弁してほしい。同居し始めた頃、パンツが似ていてよく取り違えしていたので、私は考えに考え、絶対に間違えないように、私のパンツはすべて迷彩柄に変更したのである。数年間、間違いはなかったのに……。
原色の派手なパンツに統一しようかと真剣に考えている。趣味ではないけど、そうも言ってられない。いくら親でも迷彩パンツを共有したくない。
そういう訳で、年頭に当たり、夏まで、いや春までには今書いている小説を仕上げたいのです。