12月3日は『リレー万葉講演会in石見』なる催しがあり、石見の大田市へ行く。
①11月26日益田市「人麿さまに書を捧げた歴代の天皇」「古典の楽しみー万葉びとの着たスカート」   
②12月2日江津市「人麻呂さんも通った道」「柿本人麻呂歌の魅力」
③12月3日大田市「古事記歌謡と人麻呂作歌ー愛の主題をめぐってー」「世界遺産石見銀山発見までの謎」「石見銀山の粋な文化人に人麻呂さんの影」などの講演・発表会があり、26日と2日は参加できなかったので、3日の講演に車を飛ばして行った。
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石見へ行く途中、国引き海岸道路の多岐(たき)あたりから島根半島を振り返る。日曜日の午前中は穏やかで眺めも良かったが、今日5日は初雪。風が冷たく、白いものが舞い飛ぶ。
Aの辺りに「出雲大社」があると思う。
Bの方角にわが家があると思う。あまり自信はない。ゆるやかな海岸線が薗の長浜。このブログにネタがなくなると出て来る国引きの浜である。砂山に松林が続く。
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島根半島の突端が日御碕である。
大田市の会場「あすてらす」までは車で30分ちょっと。
石見は人麻呂、出雲は風土記なので、聴衆の雰囲気が違う。女性が多い。驚いたことに受付をすませたら、女性のお世話が沢山いて、抹茶とお菓子でもてなされる。こんな講演会は初めてだ。聴衆は知らない顔ばかり。一人だけ、出雲の講演会などでよく見かける男性がいただけであった。出雲の風土記や古代史ファンは人麻呂や万葉にはあまり興味がないようだ。勿体ない。
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最初の講演は、京都大学名誉教授内田賢徳氏の「古事記歌謡と人麻呂作歌ー愛の主題をめぐってー」
確かに石見の女性をぐっと惹きつける内容だ。




人麻呂とは直接関係はないが、古事記歌謡として最初に載っているのが、八雲神詠、
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を」である。
稲田姫と結ばれた素戔嗚命(すさのおのみこと)が須賀の地に宮を造る時に歌ったとされている歌である。五七五七七のかたちをとっているように見えるが、これは古代の歌謡であり、五七|五七|七の構造を持つのだそうだ。これを歌い継いだのは、新婚の新室作りに使われた、出雲八重垣を作る職人集団であり、これは労働歌だったのだ。
ここで私程度の男は、それ見たことか、大和朝廷は出雲人の歌を簒奪したと罵るところだが、内田先生は違う。スサノオが天界から追放され、試練を経た後の幸福を、神話世界に同化して、ともに感受しようとする人たちがいたのであると説かれる。
この後、古事記歌謡と人麻呂の歌を比較し、『愛の主題をめぐる』話となる。古典は不勉強だからメモを取るだけで精一杯。隣のおやじは寝ていたが、私は13時から16時半までの講演、途中一回しか休みがなく、実に辛かったが、計四つの講演を真面目に聞き通す。疲れたが、心地よい疲れ。
イメージ 4講演と同じ時間に、ホールでは大田市の子ども神楽があった。
喫茶店で昼飯を食っていたら、赤ん坊連れの若い夫婦が3歳にもならぬ男の子と入って来る。
男の子は竹の棒にひらひら飾りのついたものと、竹の輪に同じようにひらひらの飾りがついたものを持っている。
「神楽に出るの」と尋ねたら、まだ幼過ぎるので見物に来ただけだと言う。坊やに聞いたら「かぐら大好き」と楽しそう。石見の神楽熱は尋常ではないと聞いていたが、この若い夫婦も神楽に熱中しているのだろう。
一家が店を出ると、別な幼い男の子が飾りのついた弓を手に駆け寄って来る。
窓から見ていると、駐車場で二人の子は竹の棒や弓を振り回し、駆けまわり、舞を舞うかのようにくるくる回り出す。とても微笑ましい光景であった。
ここ石見では、普通ならヒーローショーに夢中になる子たちが、神楽に夢中になっている。
TVで見たことがあるが、神楽の舞台のかぶりつきに、子供たちが文字通りかぶりつき、身体を揺らし、足を踏み鳴らしていた。
やがてこの子たちが、舞台で八岐大蛇を退治し、いつの日か、風土記や万葉の世界に入って来てくれることを願う。
ところで、昨日の山陰新報で3日に鳥取では「古記録で読み解く古代中世の鳥取」と言う講演があったことを知る。伯耆大山の大山寺が焼失したのを尼子氏が再建したことの歴史的、政治的意義を解説したものらしい。事前に知っていてもとても参加できなかったろうが、とても興味がある内容なので、主宰者の「県立公文書館」に電話して、レジュメがほしいと頼んだら、快く送ってくれると言う。思わず、万歳する。
同時に「そうか、この手があったか」。これから講演会がWったら、がっかりしないでレジュメを手に入れようと思った次第である。窮すれば通ずである。