9月21日から26日まで妻の外泊。それに合わせて娘夫婦が遅い夏休みを取って帰郷してくれた。娘婿は都会育ちで、海の釣りをしたことがないと言うので、初心者ならば『年金波止場』へ行けと教える。『年金波止場』とは大社漁港のことである。年金受給者の憩いの釣り場で、昔からそう呼ばれている。子供たちが小学生の頃は夏休みの度に私も帰郷し、よく小鯵を釣りにやって来たものだ。なにしろ自由業だから、仕事を抱えていても移動が出来る。まだパソコンもワープロもなかったが、ファックスはあったので田舎で台本を書いて、何十枚も送っていた。田舎ではファックスは電話局にしかなくて、えらい苦労して送った記憶がある。

漁港内に入るのは20年ぶりか。すっかり様変わりしていた。連休でも閑散としていた。夏はこんなものではない。竿を入れる場所がないくらいの賑わいである。何しろ20年ぶりで、釣り糸の結び方も忘れてしまい、裏のMちゃんに教えてもらう。
妻が寝ている間に漁港へついて行き、投げ釣りの仕方だけコーチして、私はとんぼ返りする。娘婿は雑魚ばかり数匹釣って楽しかったと満足してくれた。都会育ちなので海を見ているだけで楽しいのだそうだ。帰京する日の朝も早起きして、一人で釣りに出かけた。いつの間にか人のまねをしてルアー釣りまで始めていた。

近所のそば畑。
白い花が咲きこぼれている。
その向こうに見える赤い屋根が石州瓦である。
昔、小学生の頃、夏休みに山口から島根に帰る時、山口線から山陰線に乗り換えると、車窓の屋根が赤い色に変わり、田舎に帰って来たのだなあと子供心にも思ったものだ。この石州瓦は石見が本場で、出雲でも使われている。この地方独特の瓦である。
固くて丈夫で寒さに強い。

最近は安い瓦やスレート葺きの屋根が出回るようになったので、地場産業を守る意味もあって、石見の自治体は石州瓦を使うと補助金を出すところもある。
母の実家は石州瓦だが、わが家は普通の黒い瓦だ。
江戸時代、外桜田にあった津和野藩の藩邸はわざわざこの石州瓦を運んで屋根を葺いた。赤い瓦が江戸っ子には珍しく、江戸市民は津和野の赤瓦と呼んでいたそうだ。


わが家の畑の周りに咲く、赤と白の彼岸花。白い彼岸花は珍しい。何とかして増やしたいのだが、一向に増えてくれない。どうしたら増やすことが出来るのか、御存じの方がいらっしゃったら教えてください。赤い方はどんどん増えるのに。