第二章 都の子(5)
京極邸まで付いて来た女は、誰それ天皇の御世より何百年もの間供御を務め続けて来たと、大声でまくしたてたらしい。粟津供御人の勢力を誇示し、敵に回したら、あらゆる食料や日用品の京極家との売買も出来なくなると強談判に及んだそうだ。
そんなことが竹籠の一行商人にできるはずもないが、騒ぎを大きくしたくない京極家は言い値で償ったのである。
それらは後になって木阿弥から聞かされたことであった。
「何であないな所へ行ったんや」
名も知らぬ少女を探して歩き回っていたなんて、口が裂けても言えない。
辰敬は都見物をしたかったのだと言い張った。
「どないな沙汰が下るやら。覚悟しときなはれ」
と木阿弥は覚悟を促した。
辰敬は謹慎が延びることを覚悟した。
が、辰敬の考えは甘かった。
その日、奥から下がって来た木阿弥は憐れみを込めた目で辰敬を見詰めた。
「帰されるそうや」
「えっ、帰されるて……」
「決まってるやろ。出雲に戻されるのや」
辰敬は全身から力が抜け落ちて行くのを感じていた。
真っ先に浮かんだのはあの少女の顔だった。
もう会えなくなってしまうのだ。名も知らず、言葉すら交わすこともなく。
そんなことがあってよいのか。どれほど会いたいか。会えたら死んでもいいとさえ思っているのに。永遠に会えなくなる。
絶望の底で辰敬は弱弱しく呟いた。
いっそ会わなければ良かった……。会わなければこんなに苦しむこともないのに……。
だが、会ってしまったのだ。
都にいればまだしも、出雲に戻ったらもう絶対に会えない。同じ空の下のどこかにあの少女がいると知りながら、会えない苦しみを抱いて生き続けることになるのだ。
こんなに切なく、残酷な仕打ちがあるだろうか。
「しゃあないやろ。吉童子丸様の御相手は務まらんし、謹慎を破ってうろつき回って、挙句の果てに辻子君を買う……」
辰敬は真っ赤になって反駁した。
「道に迷ったんじゃ」
「人は面白おかしう話を何倍も大きく言い触らすものなんや。わぬしの親はえらい厳しい男と聞いとる。どない思うやろうか」
と木阿弥は冷たく突き放した。
辰敬は思わず頭を抱えて蹲った。
何もかも吐き出したくなった。正直にすべてを打ち明けてしまいたかった。木阿弥なら多分呆れて大笑いするかもしれない。それでもいい。誰かに聞いて貰えれば少しは楽になるような気がするのだが、いざとなるととても言い出せなかった。都の美しいおなごの子を好きになってしまったなんて、どうして言えよう。口が裂けても。
そんな辰敬の打ちひしがれようを見て、木阿弥は言い過ぎたと思ったのか、
「帰る言うてもな、明日すぐに戻される訳やない。出雲に下るのもおおごとやからな。わぬし一人の為に人を付ける訳にも行かんやろ。誰か出雲へ行く者でもおればよいが、そんな按排よくは行かんやろ。わぬしの里から迎えを寄越して貰うことになるかもしれん。いずれにしても時間はかかるやろ。まあ、夏越して秋風が吹いてからやろ」
と慰めにもならぬことを言う。
いくら帰国が先になっても、もう絶対に屋敷から出ることは出来まい。少女に会えないことには変わりはないのだ。
翌朝、辰敬は米を研ぎに出るのが気が重かった。
井戸端へ行けば長屋住まいの奉公人達と顔を会わせねばならぬ。昨日の一件で辛辣な言葉を浴びせられるのは火を見るより明らかだった。
辰敬はこの三月ばかりで、都の人間の底意地の悪さを散々味わっていた。彼らは相手が子供でも手加減はしない。
ましてや辰敬は主家から出雲を奪った尼子家の家臣の子なのである。京極恩顧を忘れて尼子の禄を食む裏切り者の子である。当初から視線は冷たかった。
辰敬を呼び寄せた御屋形様を物好きと陰口をきく声を辰敬は耳にしていた。
が、案に相違して誰も辰敬には声もかけようともしなかった。初め辰敬は無視されているのかと思ったが、そうではなかった。
皆、揃いも揃って機嫌が良く、心浮き立つ風情で、辰敬ごとき眼中にはなかったのである。
理由は朝餉を取っている時に分かった。
遠くからかすかに笛と鼓の音が聞こえて来ると、木阿弥は箸を止め、
「いよいよやなあ」
と目を細めた。
辰敬の怪訝な顔に気がつき、
「祇園さんの稽古をしてるのや。もうじき祇園会やさかいな。お祭りや。都で一番大きなお祭りや。と言うことはやな、日本一のお祭りや」
聞こえて来る拍子に合わせて、まるでいたずらっ子のように箸で茶碗の淵を叩いた。木阿弥らしからぬ浮かれようを、辰敬はぽかんと眺めた。
「平安の世から続く歴史のある古いお祭りや。疫病が続いた時に薬師如来の化身、牛頭(ごず)天王を祀って御霊会を執り行ったのが始まりと言われておる。鴨川の向こうの祇園社から神輿(しんよ)が繰り出して来るのや。この神輿渡御の日に合わせて、鉾町からは仰山の山鉾が繰り出すんや。これを山鉾巡行と言うんや」
鉾町とは山鉾を繰り出す下京六十六町を言う。町々が風情と贅を尽くした山鉾を作り、その意匠や音曲、踊り等を競い合うのである。
山鉾とは山車のことである。
天神山、いほしり山、花見中将山……などの山や長刀鉾、舟鉾、地蔵鉾……などの鉾が賑やかなお囃子に乗って、何十基も連なりながら練り歩く様は、それは壮観であると木阿弥は自慢した。
「この祭りが来ぬと、都に夏が来たとは言えぬのや。屋台には囃方が乗る。あれに聞こえるのはどこぞの鉾町で稽古をしとるのや。屋台には稚児が乗り、拍子に合わせて舞うものもあれば、芝居を演じるものもあるんや。跳鉾 (おどりほこ)ゆうて、鉾の周りを踊りながら巡行するものもある。老いも若きも、男も女も、武士も公家も、坊主も町人、百姓、化外(けがい)の民も……皆、祇園さんを待ち焦がれておるのや」
辰敬は下京を歩き回っていた時、都は毎日がお祭りみたいだと思ったのだが、木阿弥の話を聞いて、あの浮き立った気配は祇園会が近づいていたからだと知った。
その日から京極邸でも桟敷作りが始まり、邸内の祭り気分もいや増したが、辰敬は一人仲間外れだった。お祭り気分になど到底なれなかった。
庭へ運び込まれる用材を遠くからぼんやりと眺めていると、
「御屋形様と吉童子丸様が祇園会を御覧になるのや」
いつの間にか木阿弥が立っていた。
「寂しいものやなあ」
ぽつりとため息を漏らした。
突然、妙な事を言うので、怪訝な顔で振り返ると、
「昔はこないなものやなかったのやで。七日の神輿渡御にはこの屋敷に大樹が来はって、祇園会の見物をすることに決まっておったんや。将軍様が御成りになったんや。これがどれだけ凄い事かと言うと、十四日の神輿還幸の時には、大樹は細川京兆家へ御成りになることが決まっておったと言うことで分かるやろ。一乱前までは前祭には京極家、後祭には細川京兆家で祇園会の見物をするのが習わしやったんや」
木阿弥は将軍を自邸に迎えるのがいかに大変な事かを語った。
祇園会を見物する為の桟敷を作ればすむと言う問題ではないのだ。将軍は大勢の近臣や諸大名を引き連れて来る。その一行を演能で持て成さなければならないのである。能舞台も作らなければならない。もちろん茶会も欠かせない。
「……その接待に要する費えは大変なものやったから、こんな事もあったんやで。文正元年と言うから、応仁の乱が起きる前の年の祇園会の事や。その頃、すでに京極家も相当内緒が苦しうてな、主の京極持清様はその年の将軍の御成りを辞退されようとしたんや。なんせその年は京兆家への御成りがなくて、七日の神輿( しんよ)迎えと十四日の祇園会と京極邸御成りが二回もあったのや。すると御家来の多賀高忠様が諌めはって、一切の費用を多賀様が御負担なさり、滞りなく両日のもてなしを終えたんや」
多賀氏は京極氏が侍所所司に任じられた時には、所司代となって実質的に侍所を切り回す重要な役を務める。
出雲の守護代が尼子氏なら、京極氏の都の守護代とでも言うべき立場にあった。尼子氏が主家を凌いだように、多賀氏もまた主家を凌ぐほどの財力をつけていたのである。
「その祇園会も一乱勃発で途絶えてしまったんや。都が丸焼けになり、山も鉾もほとんどが燃えてしまったんや。せやから復活するには実に三十三年もかかったんや。それが明応九年のことやったから、復活してからまだ五年しか経っとらん。山も鉾も一乱前の半分や。とても昔の賑わいには及ばん。それでも年々一つ二つと山鉾は増えて行く。一乱前にはなかった新しい山鉾も出るようになっておる」
木阿弥は気を取り直したように微笑した。
「祇園会を見ておくことや。都のええ土産になるやろ」
都の土産と言う言葉が辰敬の胸にぐさりと突き刺さった。聞きたくもない言葉だった。
(土産なんかいるものか)
辰敬はぷいとそっぽを向いた。
(何が祇園会じゃ。そんなもの誰が見るものか)
そして、宵山の夜が来て、翌七日が前祭の神輿渡御。
その露払いをするのが山鉾巡行である。種々の事情で神輿渡御がない年でも、山鉾巡行だけは行われた。祇園会は一乱前からすでに町衆の祭となっていた、復活したのは幕府の肝いりだったが、ひとたび復活するや昔と変わらず、町衆の祭りであり続けた。山鉾巡行こそが町衆の祭の命だった。
御霊会は悪霊や怨霊を慰めるものであるからこそ、夏の白日の下、灼熱の陽光を浴びながら行われる。悪霊に届けと笛を吹き、怨霊に響けと鼓を打ち鳴らす。悪霊を楽しませるために派手に着飾り、山鉾をきらびやかに飾り立てる。怨霊を喜ばせるために大声で歌い、踊り狂う。
そのお囃子が辰敬が寝転がっている長屋にも潮騒のように押し寄せて来た。
長屋は皆見物に出払って静まり返っていた。残っているのは辰敬一人だけである。薄い板葺きの長屋は熱気が籠もり、息が詰まるほどの蒸し暑さで、じっとしていても汗が噴き出す。
辰敬は大の字になって、剥き出しの梁を睨みつけていた。
近づいて来るお囃子は、この間、下京のあちらこちらから風に乗って聞こえて来て、すっかり耳に馴染んだものであった。そのお囃子がより大きく、より高く、より強く、うねりとなって迫って来る。うねりは一つではない。うねりの後からは、別な調べがうねりとなって追いかけて来る。その後からまた別な調べが追いかけて来る。幾つもの調べが、幾つものうねりとなって、重なり合い、耳を聾する音の大津波となった。
そこに、見物の歓声やどよめきが重なり、熱気と興奮が長屋の中にまで押し寄せて来た時、辰敬は床が微かに震えるのを感じた。
辰敬は思わず耳を床に押し当てていた。
地響きだった。無数の車輪が軋みながら、都の大路を轟かせる音に違いない。山鉾が近づいて来たのだ。
笛と鼓と鉦の音が一際高くなった時、京極邸の前で大きなどよめきが上がった。
長刀鉾が来たに違いな。
辰敬は木阿弥から聞いていた。
山鉾巡行の順番は祇園会再興時から、侍所開闔(かいこう)松田頼亮邸で鬮引 (くじびき)して決めることになったのだが、平安時代からのいわれを持つと言われる長刀鉾は鬮引をせず、先頭と決まっているのだと。これを鬮取らずと言い、巡行の最後の舟鉾も鬮取らずと決まっていると。
(一体どんな鉾なのだろう)
本来なら桟敷の端からでも見物できたろうに。木阿弥は御屋形様のお側で見るのだと言っていた。やっぱり悔しかった。
屋敷を出られなくても高い所に上がってみろと木阿弥は言っていた。
辰敬は海老のように身体を丸めると、目を閉じ、耳を塞いだ。
(誰が見るものか。絶対に見ないぞ。都の土産なんて悲し過ぎる……)
辰敬の長い一日は日が暮れても続いた。
大松明を先頭に神輿渡御が始まる。
祇園社から三基の神輿が繰り出し、鴨川を渡って入京して来る。
神輿は大松明の火の粉を浴びながら京極邸の前を渡ったが、辰敬は空き腹を抱えて寝転がっていた。一日中、閉じこもっていたので、朝から何も食べていなかった。
夜も更けてから、木阿弥は酒の臭いをさせて戻って来た。すぐに寝込んでしまったので、祭りのことをあれこれ聞かれずにすんだのは助かった。辰敬も眠ろうとしたが、耳の奥底に残った笛や鼓や鉦の音は消えることはなかった。
翌日、皆、祭りの話で持ち切りだった。
どの山が良かったとか。何の鉾は金がかかっているとか。乱前から続く拍子物( はやしもの)はやっぱり古臭い、新しく出来た拍子物の方が今様であるとか。
「おい、次郎丸、さっきから何をぼうっとしとるんや」
次郎丸と呼ばれたのはいつぞや木阿弥の悪口を言った雑色であった。蕩けそうな目をしている。
「綺麗なおなごの子がおったんや」
次郎丸はまだ深い夢の中にいるかのように呟いた。
「舟鉾が通り過ぎた後やった。大路の向かいの見物の中にその子がおったんや。まるで山鉾から抜け出したお人形のようやった」
辰敬はどきっとした。
次郎丸の言葉そのままに、群衆の中の一点にあの少女の顔が浮かび上がった。忘れようにも忘れられない、あの漆黒の瞳をきらきらと輝かせて、山鉾巡行を見詰める顔が。
「ふん、どこぞの辻子君やろ」
「殴られたいか。わぬしも一目見たら魂を抜かれておるわ。花も盛りの、年の頃十七、八か……」
「もう誰かに折られておるわ」
「死にたいか」
次郎丸がからかった男の首を絞めようとしたので、皆、笑い転げた。
人違いのようであった。
が、あの少女もどこかで山鉾巡行を見物していたと思うと、辰敬は見物しなかった事が悔やまれて来た。
もし見物していたら、あの子が目を輝かせ、胸をときめかせた同じ物が、辰敬の目の前を通ったのである。あの子が美しいと思ったものを辰敬も美しいと思い、あの子が心躍らせたお囃子に、辰敬も心を躍らせたに違いない。
どこにいるか分からなくても、同じ下京の空の下、同じ時間に同じ物を共有できなかった事が悔やまれてならなかった。
七日後の十四日の後祭まで、辰敬の心は振り子のように揺れ続けた。
絶対に見ないと決めた少年の意地と、せめて少女と同じ祭の輪に加わりたいと思う少年のいじらしさがせめぎ合った。恋心が勝る日もあれば、どうせ会えないのなら虚しいだけと捨て鉢になる日もあった。
そして、神輿還幸の日が来た。下京の御旅所に滞在した三基の神輿が祇園社に戻る日である。
前祭と同じように、山鉾巡行が露払いを務める。その数は前祭の半分ほどと言うが、お囃子が聞こえて来ると、辰敬はどうにも落ち着かなくて、土間を出たり入ったりを繰り返していた。
都の土産と割り切って見物に行こうかとも思うのだが、それもまた思い出であることには違いない。そんな思い出が何になると言うのか。辰敬にとって思い出とはあの少女の他にはないのである。
と思いつつも迷い続け、結論も出せず、決断もつかず、いたずらに時間だけが過ぎて行った。
不意に屋敷の外から、
「印地や、印地や」
と喚く声が聞こえて来た。
辰敬ははっと耳を澄ました。
狂ったような声や悲鳴が聞こえて来て、大勢が地響きを立てて駆け抜けて行く。