イメージ 1春のように天気が良かったので、母を連れて母の実家へ行く。出雲市から西へ、大田市までは車で30分。母を実家へ残し、私は母の実家の裏山の岩山へ登る。
鉄塔の横から尾根伝いに登るとちょうど標柱の真上辺りが岩山の頂になる。わずか20分ほどで頂に着く。小さな山である。
標柱には「武将多胡辰敬の居城岩山城遠望」とあるが、そこに城があって、人が住んでいたわけではない。城と言っても砦である。普段は麓に住んでいて、戦いの時だけ砦に立て籠もる。






イメージ 2頂きの岩には柱を立てるために穿った穴がある。
毛利の大軍を相手に絶望的な戦いを挑むために築いた砦の跡だ。
この穴をじっと見ていると、戦が日常であった時代の悲哀が惻惻と伝わって来る。そういうものを肌に感じたくて来たのかもしれない。
4年前に来た時は3つ、4つあったのだが、土に埋まってこれ一つしか残っていなかった。
山は低くても景観はいいのだが、雑木が生い茂って、頂きからは何も見えない。今日は日本海も綺麗だったのに、頂きからの景色が撮影できなかったのが残念だ。

標柱がある道沿いに辰敬が創建したと言われる円光寺がある。私は創建と言うより移築したのではないかと思っている。このお寺には辰敬の肖像画がある。母の実家のお墓もあるので、墓参りの後、辰敬の小説が無事に進行することをお祈りする。
ところで、以前のブログで辰敬に最初に注目したのは、柳田國男と書いたが、もしかしたら和辻哲郎かもしれない。出典を忘れたので確認できず。ごめんなさいです。
柳田は民俗学者、和辻は哲学者。柳田と思い込んでいたが、どうも和辻ぽいなあ。