吉川元春館を見て感じるのは、北広島町の吉川氏へ寄せる限りなき愛である。
吉川氏は鎌倉時代、駿河の国から大朝と呼ばれる当地へ送り込まれた御家人である。これを西遷御家人と言う。室町時代には安芸北部を支配した。応仁の乱では西軍に属し、手柄を挙げ、鬼吉川と呼ばれた。
尼子経久の妻は吉川氏の女であった。毛利元就も吉川氏から妻を迎えた。
毛利元就はさらに、三本の矢で有名な三人の子の次男の妻をこれまた吉川氏から迎えた。この次男が吉川氏を継いだ吉川元春である。
尼子が滅んだ後、吉川元春は大朝を去り、月山富田城に移ると、その後、吉川氏が大朝に戻ることはなかった。毛利も関が原で敗れ、吉川氏は岩国藩へ移ったのである。
その数百年後、北広島町は吉川元春の遺構を保存し、遺物を展示し、この時代の生活を再現する施設を作った。ここへ来れば、衣食住のすべてがわかる。手作り展示のほのぼのとした温かさが伝わって来るのだ。元春が生きた時代を感じてほしいと言う気持ちが溢れている。
私は「多胡辰敬」を書いているが、時代が重なっているので、とても勉強になっている。車で2時間だから、家庭の事情が許せばいつでも行ける。帰りには温泉津(ゆのつ)の湯で一休みする。
広島県と島根県の県境の辺鄙な所だが、そんな辺鄙な所に一時代を築いた人たちがいたことを、いま現在過疎化に負けず、伝えようとしている人たちがいることを知って欲しい。
余談だが、歌手の吉川晃司は吉川氏の末裔だそうだが、どうなんだろう?吉川一族もたくさんいるからなあ。
ところで、多胡氏も先祖は西遷御家人です。関東から鎌倉時代に出雲に移って来たらしい。群馬県に多胡郡という郡名があるから、恐らくそのあたりの武士だったのだろうと私は思っている。