弟子になったのは偶然である。弟子になるまで松浦健郎と言う脚本家がいることも知らなかった。大学が嫌になって、シナリオ作家協会が開いていたシナリオ研究所に通っていたのだが、そこの課程も終了間近。終了したところで、ライターになれるわけもない。親は転勤で地方へ行くことが決まっていて、この先どうしたらいいのか途方に暮れていた。そんな時、シナ研の事務の人が、口述筆記の助手を探している先生がいると教えてくれ、「曽田君、行くか」「行きます、行きます」
慌てて作家年鑑を開いて、「へえ、エンタテイメントのライターか」
初対面で弟子になることを決めたのだが、その話は後に譲り、ヤクの話に。
口述筆記と言うのは、師匠が口立てで作るドラマを原稿用紙に筆記する作業である。
シナリオは200字原稿用紙に書く慣わしになっていて、一時間番組で120~130枚ぐらい書く。速記のスキルなんかないから、興が乗った師匠が立ち上がり、身振り手振り、声色まで使い、お芝居入りでドラマを語り始めたら、一言一句書き写せるものではない。
その当時、師匠はTVの「荒野の素浪人」か「人形佐七」か「旗本退屈男」だったかをやっていて、どの作品だったか忘れたが、いよいよ初めて口述筆記をする時のことだった。
「仕事を始める前に、俺たちには儀式があるのだ」
そう言って、大きなクッキーの缶を開けると、中には何やらぎっしりと薬が入っているではないか。
「これは睡眠薬だ」
掌に10錠近い睡眠薬を取ると、いきなり口に放り込みバリバリかみ砕き、一気に水で飲み込んだ。
「心配するな。俺は昔はヒロポンやって、ヒロポンが禁止になってからは睡眠薬やって、今や睡眠薬の飲み過ぎで、睡眠薬を飲むと、眠くなるどころか、逆に反転現象で頭が冴えわたるのだ」
耳を疑うようなことを言い、
「さて、師匠の俺がヤクをやるのだから、弟子のお前もヤクをやらねばならん。でも、睡眠薬をやれとは言わん。1錠でころっと寝ちまうからな」
にやりと笑い、
「お前はこれを飲むのだ」
と、目の前に出されたのが、ノーシンの一包。
「こんなの飲んでもどうってことないから。ヤクのつもりで飲め。飲んだら気合を入れてやるんだ。さあ、やるぞお!」
私は頭も痛くないのに、ノーシンを何百包飲んだだろうか。口の中にいつまででも薬臭い粉が残っていて、本当に勘弁して欲しかったけど絶対に許してはくれなかった。
2、3年後、さすがに薬事行政もうるさくなって、いくら懇意な医者でも、無制限に睡眠薬を出すことが出来なくなり、ノーシン地獄からは解放されたのであった。
その後、私は今に至るまで、ノーシンを飲んだことはありません。
次回予告「ヒロポン中毒の監督が撮った映画」か「あれが三船敏郎だったとは」