昨日、石原慎太郎が膵臓癌の再発で死んだ。89歳。この人と儂が頻尿と膵臓の病気で同病相憐れむ仲であることは以前に書いた。とても嫌いな人だったが頻尿で悩み、すい臓癌に恐怖した手記を読み、妙に親近感を持ってしまったと書いた。

これがその時の2020年夏の文芸春秋別冊号。87歳の時の手記。
改めて読み直した。この年の1月に泌尿器科の医師が妙な影があるというので精密検査したら2センチの膵臓癌が見つかり、ショックを受けたが極めて早期の癌だったので重粒子線の照射で退治したと、いかにもあの人らしい意気軒高な文章で、最後は重粒子線のような最新治療法を国は推し進めるべきだと提言もしていた。
儂も膵臓を注意した方がいいと言われた時期と同じで、「そうか、そんな凄い武器があるんだ。悪くなっても強い味方がいるんだ」と嬉しくなり、嫌いだった石原慎太郎氏を病気仲間の悩める御同輩と同情し、いつまでも元気でいてもらいたいと思っていたのである。
それが2年足らずで、極めて早期の癌だったのに、再発して死んでしまうとはどういうことだったのだろう。横綱千代の富士や中日の星野仙一は3期、4期の膵臓癌で手遅れだったけど、自分は早期で最新治療で助かったと書いていたのに。
年齢のせいか、転移していたのか、重粒子線の照射ミスのようなことでもあったのか儂らにはわからない。あれだけ嫌いだったのに、いわば敵のように思っていた人でも、病になればノーサイドである。あの人もいい敵であったゆえに、エールを送っていたのだ。残念である。いい敵はいつまでもいい敵であって欲しいものなのだ。何度も書くが、嫌いだったけれど、あの人もいいことはしているし、小説の功績は認めないといけない。
儂の場合は最初いきなりカナダの検査で膵臓癌に必ずなると脅されてびびりまくったのだが、先生はいまだに膵臓癌とは診断を下していない。膵嚢胞(?)が膵管にあるのだが2センチの半分以下ではないだろうか。先生は甘い物やお酒は控えなさいぐらいしか言わない。でも儂は用心に越したことはないだろうと徹底的に脂質を抑えた食生活を追求、研究、開発して、最近ではかなり脂質を抑えながらもタンパク質をとったり、食生活の充実ぶりは1年前とは隔世の感がある。
前回の半年検診では「曽田さん、あなたはこのまままっとうできますよ」とまで言われた。しかし、儂ははいそうですかと、酒飲んだり、かつ丼を食ったりはしない。2年以上変わらないのは節制しているからだと思っている。現に小さくても嚢胞があるのだから用心に用心を重ねた方がいいと思っている。もし節制していなかったら絶対に悪くなっているはずなのだ。
だから重粒子線の治療法についても関心は持ち続けている。この治療法については手記を読んだ時からいくらくらい費用がかかるのか気になっていた。手記には書いてないのだ。多分高額だろうと思っていたら、TVの保険のCMで重粒子線は330万円と出ていて、「やっぱり」とため息。330万というが、これは1回の照射の治療費なのか、重粒子線照射治療の平均値なのかさっぱり分からない。石原慎太郎は12回照射している。
なぜ手記で治療費のことを書かなかったのだろう。ある意味、一番重要なところだと思うのだが。おそらく意図的に書かなかったのだろう。石原慎太郎らしくないなと思った。堂々と書けばいいのに。何百万かかったと。自分は払えたが庶民は払えないだろう。だから国は高額医療費を負担しろと書けばよかったのに。石原慎太郎ならそう書くべきだったのだ。多分、石原慎太郎も老いていたのだろうなと思った。
同病相憐れむ仲間がいなくなって寂しい。あの人と頻尿を語り合ったらさぞ楽しかったろうと思う。これから悪口も書けないのは寂しい。選挙の時、なんで石原軍団なんか引っ張り出し来るんだと罵詈雑言を浴びせたら、きっと目をぱちぱちさせて反論しただろうに。
去年の12月に遺作の短編小説を書きあげたそうだ。読もうと思っている。合掌。

これがその時の2020年夏の文芸春秋別冊号。87歳の時の手記。
改めて読み直した。この年の1月に泌尿器科の医師が妙な影があるというので精密検査したら2センチの膵臓癌が見つかり、ショックを受けたが極めて早期の癌だったので重粒子線の照射で退治したと、いかにもあの人らしい意気軒高な文章で、最後は重粒子線のような最新治療法を国は推し進めるべきだと提言もしていた。
儂も膵臓を注意した方がいいと言われた時期と同じで、「そうか、そんな凄い武器があるんだ。悪くなっても強い味方がいるんだ」と嬉しくなり、嫌いだった石原慎太郎氏を病気仲間の悩める御同輩と同情し、いつまでも元気でいてもらいたいと思っていたのである。
それが2年足らずで、極めて早期の癌だったのに、再発して死んでしまうとはどういうことだったのだろう。横綱千代の富士や中日の星野仙一は3期、4期の膵臓癌で手遅れだったけど、自分は早期で最新治療で助かったと書いていたのに。
年齢のせいか、転移していたのか、重粒子線の照射ミスのようなことでもあったのか儂らにはわからない。あれだけ嫌いだったのに、いわば敵のように思っていた人でも、病になればノーサイドである。あの人もいい敵であったゆえに、エールを送っていたのだ。残念である。いい敵はいつまでもいい敵であって欲しいものなのだ。何度も書くが、嫌いだったけれど、あの人もいいことはしているし、小説の功績は認めないといけない。
儂の場合は最初いきなりカナダの検査で膵臓癌に必ずなると脅されてびびりまくったのだが、先生はいまだに膵臓癌とは診断を下していない。膵嚢胞(?)が膵管にあるのだが2センチの半分以下ではないだろうか。先生は甘い物やお酒は控えなさいぐらいしか言わない。でも儂は用心に越したことはないだろうと徹底的に脂質を抑えた食生活を追求、研究、開発して、最近ではかなり脂質を抑えながらもタンパク質をとったり、食生活の充実ぶりは1年前とは隔世の感がある。
前回の半年検診では「曽田さん、あなたはこのまままっとうできますよ」とまで言われた。しかし、儂ははいそうですかと、酒飲んだり、かつ丼を食ったりはしない。2年以上変わらないのは節制しているからだと思っている。現に小さくても嚢胞があるのだから用心に用心を重ねた方がいいと思っている。もし節制していなかったら絶対に悪くなっているはずなのだ。
だから重粒子線の治療法についても関心は持ち続けている。この治療法については手記を読んだ時からいくらくらい費用がかかるのか気になっていた。手記には書いてないのだ。多分高額だろうと思っていたら、TVの保険のCMで重粒子線は330万円と出ていて、「やっぱり」とため息。330万というが、これは1回の照射の治療費なのか、重粒子線照射治療の平均値なのかさっぱり分からない。石原慎太郎は12回照射している。
なぜ手記で治療費のことを書かなかったのだろう。ある意味、一番重要なところだと思うのだが。おそらく意図的に書かなかったのだろう。石原慎太郎らしくないなと思った。堂々と書けばいいのに。何百万かかったと。自分は払えたが庶民は払えないだろう。だから国は高額医療費を負担しろと書けばよかったのに。石原慎太郎ならそう書くべきだったのだ。多分、石原慎太郎も老いていたのだろうなと思った。
同病相憐れむ仲間がいなくなって寂しい。あの人と頻尿を語り合ったらさぞ楽しかったろうと思う。これから悪口も書けないのは寂しい。選挙の時、なんで石原軍団なんか引っ張り出し来るんだと罵詈雑言を浴びせたら、きっと目をぱちぱちさせて反論しただろうに。
去年の12月に遺作の短編小説を書きあげたそうだ。読もうと思っている。合掌。
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