あいにく赤ん坊は寝ていたそうだが妻はとても喜んだそうだ。
「ひろひさーって、言ってみなさい。ひろひさー、ひろひさー、『ひろひさおじいちゃん』って言ったら喜ぶよ」
いつも儂の顔を見て首を傾げたり、〇〇おじさんだの〇〇兄ちゃんだの〇〇先生と呼んだりしているくせに、孫が相手だとこんな台詞が溢れんばかりに飛び出してきて、わしが爺さんになったこともちゃんと分かっていることに驚く。
寝ている赤ん坊に
「小さなあんよ見せて」
「〇〇くん、もう歩けるのー?」
などと聞き、
「早くチーママに見せてあげなさい」
とも言う。
娘によるとほぼ毎回必ず「早くチーママに見せてあげなさい」と言っているのだそうだ。
「チーママ」とは儂の母のことである。わしらの子供が生まれた時、母を婆さんよわばりするのを気の毒に思った妻が「チーママ」と言う呼び方にしたのである。
熊本の自分の母親の名前やわしの親父の名前は出てこないが、孫が生まれてからは毎回「チーママ」と言う言葉を聞く気がすると娘は言う。
世間一般では嫁と舅姑とは反りが合わないものであるが、改めて妻は舅や姑とうまくやってくれたと感謝する。と言うか、実は嫁が強くてしっかりし過ぎているので、わしの母などは頭が上がらなかったのである。それでもうまく行ってたのだから感謝である。儂は嫁と舅や姑の軋轢に巻き込まれて苦労することは一度もなかった。
赤ん坊はずっと寝ていたが面会が終わる2分前に目が覚めたそうだ。
抱いて見せてやることができたようだ。
オンライン通話を切ろうとしたら、妻が職員さんに
「あえてうれしかった」と言うのが聞こえたそうだ。
それが心底って感じの声だったので娘はとても嬉しかったそうだ。
なまの面会が出来るのはいつになるのだろう。
今日の島根県の感染者は118人。これまでの最高になってしまった。
語録(33)
「この痛さが分らないんだねえ、折れたもんでないと分からない」
※骨折していると思って足の痛みを訴えられる時が一番辛い。さすってやると「痛い」と叱られる時があったものだ。
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(モモが鳴く)
「モモは自分でうるさくないのかねえ」
2009.6.9
(寝ていて目を覚まし)
「あら、お父さん、もう帰るの」
「もう寝な」
「はい、帰る時、起こしてね」
2009.6.10
(テーブルの空いた席に)
「ここ、〇〇ちゃん、すわるから」
「〇〇ちゃんは沖縄だよ」(娘は沖縄で働いていた)
「じゃ、今朝いたのは誰?」
「誰もいないよ。勘違いだよ」
「いやだ、ユーレイ見たいじゃない」
2009.6.11
「〇〇兄ちゃん」
「おれ、〇〇兄ちゃんじゃないよ」
「〇〇兄ちゃんだよ」
「違うよ」
「だったらダンス行かないよ」
2009.6.14
「〇〇ちゃんはいま沖縄だよ」
「お父さんは〇〇ちゃんのことはよく知ってるのね」
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「まだ起きてたの?」
「そりゃ興奮するわよ。何十年ぶりにパパちゃんと話したんだもの。写真でしか見たことなかったのに」
※たまに幼い時に死んだ父と会った話をする。
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「お父さん、ありがとう。いてくれて、今日、つくづくそう思った」
※突然、こんなことを言われると嬉しいのだが、いつか忘れられてしまうのではないかと心配になることもある。
2009.6.24
「お父さん、おむつしないの」
2009.6.25
(TVに)
「みちろうちゃん(熊本の友達の子)、出てるよ。早く見て」
「TVに出るわけないだろう」
「大学生だから、どこでも出るの」
幼い頃から可愛がった子。もう30近くになっているはず。
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「チョコレート頂戴、冷蔵庫にあるから」
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「羽田空港、行くの」
「どこ行くの」
「アラスカ方面、釣り道具持った?餌入れ持った?」
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「お父さん、このタンス動かすの。後ろにチョコレート隠してるの」
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「お父さん、生きている感じしてる。何度も死にかかったものね。ほんとうにお父さん生きてるよね。バンバン本書いて」
※死にかかったのは自分なのに妙なことを言う。この頃は文庫の書下ろし時代小説を最低でも年2冊書かなければお声がかからなくなると青息吐息必死で書いていた。妻にも頑張って書いているからなとは言っていたので分かっていたのだろう。結局、どんなに頑張っても年に一冊書くのがやっとだった。
2009.6.28
(夜、パット交換)
「どんな気持ちで替えてるの?汚いと思っているんでしょ」
※確かに在宅介護が始まった時は。この頃は早く終えて眠りたかった。
2009.6.29
(夜、パット交換)
「へんなことしたら大きな声を出すよ」
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