第五章 出雲の武士(7)
衰えは露わだったが口は衰えていなかった。それが当たり前のように早速多聞の手当てを始めたがしきりに首を傾げた。
「骨は折れてはおらん、深い傷もない。風邪でもない、流行り病でもなさそうじゃが……この熱は一体何じゃ……」
探るような目を向けた。
「知り合いか」
辰敬の態度でただの行倒れを拾って来たのではないことは分かったようだ。辰敬は曖昧に頷いた。小屋爺はそれ以上訊かず、仔細に多聞の身体を調べた。辰敬は額の手拭いを何度も取り替えた。息は荒く胸が波打っていた。鋼のように逞しかった体にあばらが浮いている。
足を触っていた小屋爺の目が脹脛の一点に釘付けになった。
「これか、わかったぞ。この御仁はツツガムシにやられたのじゃ」
「ツツガムシ」
辰敬は怪訝な声を返した。
「聞いたことはある。山の中におる妖怪で、こいつに取り付かれると恐ろしい病になると」
小屋爺はふんと鼻で笑うと、
「よく見ろ」
指さしたところに目を凝らさなければわからない針で刺したような傷があった。
「ダニに刺されたのじゃ」
「ダニじゃと」
「余りにも小さく誰も気が付かぬ。それゆえツツガムシと言う妖怪の仕業と信じられるようになったのじゃ。この様子じゃと今夜あたり発疹が出て足にむくみが出る。放っておけば血が固まって死ぬ」
「小屋爺、助けてくれ。この人は恩人じゃ」
一瞬黄色く濁った眼が光ったように見えたが、小屋爺は立ち上がりごそごそと薬草を取り出して来て辰敬に渡した。
「儂はもう無理じゃけん。辰敬殿、轢いてごしなされ」
辰敬は一心に薬研を轢き高熱でうなされる多聞に薬を飲ませた。夕方になっても容態は変わらずその夜は一睡もせず看病した。いつの間にか小屋爺は小屋の片隅で眠り込んでいた。
明け方、辰敬がうとうとしかけた時かすかに多聞が呻いた。はっと辰敬が多聞の顔を覗き込んだのと多聞の瞼が開いたのが同時だった。
「多聞さん」
ぼんやりと見上げる顔に辰敬は叫んだ。
「辰敬じゃ」
目と目がぶつかった。
「おお……」
多聞は目を見開いた。よほど驚いたのか、呆けたようにすぐには口もきけないほどだった。
「よかった、もう大丈夫じゃ」
涙が出るほど嬉しかった。
「多聞さん、ツツガムシに刺されて倒れたところを、偶然、俺が助けたのじゃ」
「ツツガムシじゃと……」
多聞は顔を顰めながら体を起こした。
「道理でこの二、三日、具合が悪かったはずじゃ」
改めて辰敬の顔を覗き込むと、
「それにしてもわぬしに助けられるとはのう」
やつれた顔に辰敬が知っている笑みが浮かんだ。
「船岡山で助けてごしたことから比べたら……」
数年の隔たりを確かめるように二人は見つめ合った。
「がいになったのう」
辰敬は苦笑した。
「妻は」
首を振った。
「とてもとても……冷や飯食いじゃけん」
多聞は黙って見返した。お互いに長い不通の歳月が楽しいものではなかったことを確かめる沈黙が経過した。
ふと辰敬の頭を過るものがあった。
「もしや、守護所に忍び込もうとしたのは多聞さんか」
多聞の目に不敵な光が宿った。小さく頷き何か言おうとした時、大きな欠伸が聞こえた。
多聞ははっと振り返った。小屋の片隅に丸くなって寝ていた小屋爺がもぞもぞと起き上がった。
「ああ、よう寝たわ」
多聞と目が合うと歯のない口を開けてにたりと笑った。
「助かったようじゃのう。さてと、小便してから朝飯を作るとするか」
もそもそと出て行く老人を多聞は鋭い目で見送った。
「ツツガムシの薬を作ってくれた爺さんじゃ。俺を子供の頃から可愛がってくれた。いつも俺の味方じゃった。信用していい爺さんじゃけん」
多聞は頷くと小さな声で呟いた。
「吉童子丸様にご挨拶したかったのじゃ」
やはりと辰敬は頷き返した。
「俺も出雲に下向されてから会えないでいる」
二人にだけ通じる思いをしばし噛みしめていた。
辰敬には聞きたいことがあった。
「船岡山で別れてしまったから聞けなかったんじゃが、東国へ下ったはずの多聞さんが、どうしてあの時都に戻っていたのじゃ」
多聞の顔が石になった。何も語りたくないと言うかのように。辰敬は待った。やがて石は語り始めた。辛く悲しいことは多聞をもってしても長い間閉じ込めておくことは出来なかったのであった。
「伊豆へ着いてからの一年は幸せじゃった」
多聞とすえは老夫婦に養われていた松王丸と会うことが出来た。松王丸も多聞を慕い、老夫婦を加えた五人は一つの家族となり、伊豆の漁村で半農半漁の暮らしを始めた。戦乱の世とは別世界の静かな海辺で、笑い声に満ちた幸せな暮らしは永遠に続くかと思われたが、ある日、多聞が漁から戻って来ると、海面にすえと松王丸の水死体が浮かんでいた。
浜に戻ると老夫婦も殺されていた。
「今川家を頼った旧主の遺臣たちが、お家の再興をはかろうと松王丸を探し出し、連れ戻そうとしたのじゃ。年寄りが止めようとしたのだが殺され、逃げたすえと松王丸は断崖から足を踏み外し、海へ落ちてしまったのじゃ」
石が抜け殻になっていた。
「あの日から儂は生ける屍になったのじゃ。どこをどう彷徨ったのかも覚えておらん。気が付いたら都に戻っていた。偶然、京極家の雑色に会い、わぬしの初陣を知ったのじゃ」
多聞は辰敬を見つめた。
「ほうっておけなくてなあ」
たまらなく優しい顔だった。辰敬は深々と頭を垂れた。その頭の上を多聞の声が流れて行く。
「船岡山の後は南へ向かった。生きることは辛いが死ぬことも出来ぬ。気が付いたら修験者になっていた。別に修験の道を究めようと思ったわけではない。放浪して生きて行くのに都合がよかったのじゃ。気が付いたら五年の月日が経っていた。人里離れた山奥にばかりいたので、三年前に阿用城の戦いがあったことを知ったのはつい三カ月前のことじゃった……」
声音が変わった。面を上げると武士の顔があった。たまらなく懐かしい顔。
「故あって出雲を出奔したとは言え、儂も桜井宗的様の縁に連なる者じゃ。どうして主家の危急を見過ごせよう。思えば出雲には御屋形様のお墓もある。吉童子丸様も大方様も御出でになる。引き寄せられるように戻って来たのじゃ」
声が潤んだかと思うと不意に涙が溢れた。飛沫となって噴き出すほどの勢いで。
「飛ぶように戻って来たのじゃ」
抑えに抑えた感情が激情となって迸るのも多聞だった。
「お会いしたかったのじゃ。吉童子丸様に。今生のお別れをしたかったのじゃ」
はっと辰敬は多聞を見つめた。
「大方様にもお別れをしたかった……御屋形様にはもうすぐお側に行くとお伝えしたかったのじゃ」
辰敬は圧倒された。
(多聞さんは阿用城に入り、城を枕に死ぬ気でいるのだ)
ここにも死を覚悟する武士がいた。名状し難い感動で心も身体も焼けるように熱くなった。辰敬は少年の頃から多聞こそ本物の武士と憧れていた。多聞はまさにまごうことなき武士だった。ここに辰敬が目指す武士がいる。辰敬は真っ直ぐに多聞の目を見つめた。多聞の目にも辰敬が映っていた。そのことに気が付いた時、辰敬の目に込み上げて来るものがあった。多聞の目も光った。
そこへ、小屋爺が顔を覗かせた。
「辰敬殿、わぬしを探しておる者を連れて来たぞ」
後ろに馬丁の顔が見えた。一晩待っても戻って来なかったので、心配して探しに来たのだ。
辰敬は多聞に杵築に戻らなければならない事情を説明した。
「別れに涙は似合わぬ。笑って別れよう」
阿用城に入ることは尼子の敵になる事。二人は敵味方に分かれる。次の戦いで阿用城が持ちこたえる可能性は百に一つもない。今生の別れを多聞は笑って別れようと言う。
辰敬と多聞は連れ立って小屋を出た。
向かい合うと辰敬の方から先に笑みを見せた。多聞より先に笑って見せようと決めていたのだ。多聞も莞爾と笑った。
辰敬は馬丁と馬を繋いである所へ向かった。
六年前は新しい人生に旅立つ多聞を見送る別れだったが、此度は見送られる別れだった。辰敬は背中に強い視線を感じていた。進め、前へ進め、何があろうと前へ進めと背を押す視線だった。
杵築へ着き、二ヶ月も経ってから、辰敬はようやく富田へ戻る用を言い遣った。季節は秋に変わっていた。
辰敬は馬を急がせ、小屋爺の小屋に立ち寄った。
「あの後、二日ほどしたらよくなったので出て行ったわ。西へ向かったから峠を越えたのじゃろう。どこへ行ったのかは分からん。噂も聞いておらん」
辰敬は分かっていた。阿用城に向かったに決まっている。が、その前に、八幡に立ち寄り、密かに御屋形様のお墓に参り、別宮の大方様にご挨拶したはずだ。多聞なら必ずそうする。
用件は時間がかかる事ではなかったので、辰敬はすぐに杵築へ引き返さなければならなかった。
丁度その日が御屋形様の月命日だった。
短い滞在の間、辰敬は多聞のことを考え続けていた。別れた朝の多聞の言葉と顔が蘇って離れることはなかった。馬に揺られる今も。小屋爺の小屋に近い山道に差し掛かった時、不意に谷底から多聞の声が湧き上がるように聞こえて来た。大方様とは今生の別れをし、御屋形様にはお側へ行くと言った言葉を。
辰敬は峠を越えたところで馬丁を待たせると、馬に激しく鞭をくれた。
八幡へひた走り、安国寺に乗り付けると、御屋形様の墓石の前に立った。ようやくここへ来ることが出来た感慨を噛みしめ、かくも遅れてしまったことを詫びながら。八年ぶりに会う人は石になっていた。戒名を彫っただけの自然石だった。笑顔もなければ声も聞こえない。あるのは栖雲寺殿巨川宗済と刻み込まれた文字のみ。辰敬は手を伸ばし指で文字をなぞった。あたかもそれは幼い子が老爺の頬をなぞるかのようであった。魂が宿っているならばあの懐かしいふんわりと包み込むような温かさが伝わって来るのではないかと思ったのだが……。辰敬は耳を近づけた。せめて御屋形様の声でも聞こえぬものかと。
「辰敬殿ではないか」
辰敬は吃驚して飛び退いた。
現れたのはおまんだった。
おまんはまじまじと辰敬を見据えた。
「来てはならぬと大方様がおおせになられましたのに……」
首を振るとため息を漏らした。
辰敬は頭を垂れた。
そのおまんの目にふっと笑みが浮かんだ。
「……いずれ、あなた様も御出でになると思ってはいましたけどね」
はっと辰敬は顔を上げた。
「と、言うことは多聞さんも来たのですね」
「ここでは人目に立ちます」
二人は寺の奥座敷で向かい合った。
「わらわも年を取るはずじゃ。四年になりますからねえ」
出雲に帰国した翌年、大方様に会いに行った辰敬は謹慎させられた。その後、許しを請う大方様の言葉を伝えに来たのがおまんだった。
おまんは惚れ惚れと辰敬を見つめた。
「まだ独り身と聞いております。勿体ない事じゃ。世が世なれば御屋形様が佳き妻を見つけて下さったでしょうにねえ」
思うだに詮無い事だった。辰敬は首を振ると話を元に戻した。
「先ほどの話ですが、多聞さんは来たのですね」
おまんは頷いた。
「いつのことでしょうか」
「二月ほど前に」
思った通りだった。
「夜更けに墓参りをされた後、密かに大方様を訪ねて来られたのです。お暇を告げられ、阿用城に向かわれました」
おまんはそっと目尻を拭った。
「私はずっと疑問に思っていたのですが、多聞さんは尼子の武士なのに、なぜ京極家に一途に尽くされるのでしょうか。桜井家は多胡家同様京極恩顧の家と聞いておりますが、それにしても多聞さんの御屋形様、大方様、吉童子丸様への思いは並外れております」
「いつかはお話ししようと思っていたのですが、ようやくその時が来ましたね」
おまんの話によると、出雲に下向していた御屋形様が狩りに出た時、行倒れて死んだ母親の胸で泣いている赤子を見つけた。御屋形様は哀れに思い、その赤子を拾って帰り、屋敷で育てた。それが多聞だったのである。
多聞が十二歳の時、多聞の出自が判明する。
桜井家の分家の庶子だった。分家に奉公に上がった端女が生んだ子だったが、正妻に命を狙われ、母は子を抱いて逃亡したのであった。
悲劇の構図はすえと松王丸母子と同じだった。辰敬はすえとともに東国へ旅立った多聞の心情を今初めて知った。自分と同じ境遇の母子を幸せにしてやりたい一心だったのである。
「分家はその後後継ぎが早世し、主も死に、お家は絶えたのですが、御屋形様が桜井宗的様に頼んで、多聞殿に分家を継がせたのでございます。多聞殿がどれだけ御屋形様に恩義を感じておられるかおわかりになりましたでしょう。多聞殿にとって御屋形様は実の親をも越えるお方なのです。胸に抱く熱い思いはいつも御屋形様お一人のみ。御屋形様への忠義こそがすべてなのです」
女とは思えぬ火を吐くような言葉が迸った。
「桜井家は尼子に属し、多聞殿は桜井の分家を継ぐ身なれど、心は常に京極家と共にあったのです。京極家から出雲を奪った尼子を許せなかったのです」
はっと口を押えると苦笑いを浮かべた。
「わらわとしたことが……人に聞かれたらどうしましょう」
だが目は笑ってはいなかった。その目をひたと当てると声を落とした。
「桜井宗的殿が叛旗を翻したことは多聞殿にとっては願ってもない事だったのです。負けると分かっていても、尼子に一矢を報いることが、御屋形様の御恩に報いることなのです」
御屋形様恩顧の武士と認めていても、尼子家の重臣の子にここまで胸を切り裂いて見せるのはただ事ではない。京極家の尼子家に対する怨念は分かっていても、ここまであからさまにぶつけられたらたじろがざるを得なかった。
「今日はわらわはどうかしておったようじゃ。多聞殿のことになるとつい…‥‥」
恥じらったように笑った。
「今の話は忘れてたもれ」
辰敬は深々と頭を垂れ、その場を辞した。
大方様に御目通りを願うことなど到底頼めることではなかった。多聞の過去を知り、京極家への思いの深さを知った後では。
その頃、尼子経久は備中国の新見氏に援軍を派遣する一方、西伯耆の国人を動員して、美作国に遠征する準備を進めていた。義興の帰国が延びた隙を突き、全方位で尼子の勢力拡大を図っていたのである。
すると、そこに思いもかけない報せがもたらされた。九月二十一日、毛利興元が急死した。二十四歳であった。青天の霹靂だった。毛利家は興元の子幸松丸を跡継ぎに立て、後見人に興元の弟元就を当てた。幸松丸は三歳。元就は十九歳だった。
安芸国人一揆は動揺した。興元は一揆をまとめ上げた中心人物であり、知略に長け、勇猛で知られていた。芸北の盆地の一国人領主に過ぎなかったが、将来を期待された武将であった。その若き盟主が突然消えてしまったのだ。幸松丸は幼く、後見の元就は海の物とも山の物ともつかぬ若者と思われていた。
武田元繁は直ちに反撃の烽火を上げた。周辺の国人たちを糾合し勢力を立て直すと、有田城奪還の準備を始めた。
その安芸の情勢を見て、経久は美作に討ち入った。
最愛の子、政久を失った時は天を呪った経久であったが、興元の急死に対しては天の采配の妙に唸ったのであった。天は幸も不幸も、運も不運も、平等であることに。
陰陽は西も東もきな臭さを増し、動揺は諸国に伝染病のように広がった。これこそ尼子の望んだものであった。
年を越して、二月になった。
武田元繁は再び山県郡に侵入すると、郡内の国人たちと共に吉川領に攻め込んだ。ここは吉川元経が必死に防戦し、どうにか元繁を撃退した。
一方、都の大内義興はこれほど混乱が広がっても帰国しようとはしなかった。この頃には義興と将軍義稙の不仲は決定的なものとなっていたので、誰もが不思議がった。四月になってその理由が分かった。義興が石見守護に補任された。
経久は歯ぎしりした。
義興は将軍とまた取引をしたのだ。義興の軍事力を頼りにせざるを得ない将軍は、去年、対明貿易の独占権を与え、今春は石見国を与えたのだ。義興の高笑いが聞こえるようだった。
石見国の守護も山名氏だった。安芸国同様没落して今は大内氏が実効支配しているとは言え、国人領主たちは競い合っていた。当然、経久も虎視眈々と隣国を狙っていた。それをまんまと義興に取られてしまったのだ。出雲国を実効支配しながら、未だに出雲守護と認められない経久にとって、その悔しさは言葉に尽くせぬ。悔しさの余り、夜も眠れないほどだった。だが、天は大内氏ばかりに天秤が傾くようなことはしなかった。
石見国には前守護山名氏恩顧の国人領主達がいて、彼らは大内氏に抵抗の姿勢を示したのである。各地で抗争が勃発した。
経久はここぞと前守護派の国人領主たちを支援した。
杵築と雲石の国境への距離は、富田へ戻るよりも近かったから、石見の情勢は日々もたらされる。安芸や備後、備中、伯耆の混乱は自分の置かれた状況を考えたら、所詮は関係のない事と冷めた目で見ていたが、こと石見となると辰敬も平静ではいられなくなった。
石見の邑智郡の中野には多胡家の領地があり、余勢城がある。
辰敬は父に呼びつけられると、正国と共に余勢城へ行くことを命じられた。余勢城は応仁の乱で戦功のあった祖父の俊英が中野の地を賜った時に築いた城である。所領は四千貫もある。豊かな土地で、破格の褒賞であった。多胡家にとっては家門の誉れたる地である。
辰敬は富田に戻って支度を整えると、兄に従い、三十騎を率いて西下した。石見へ行くのも、余勢城へ行くのも初めてだった。
石見の名峰三瓶山を見ながら進むと江の川にぶつかる。三瓶は古代出雲の国引き神話で、朝鮮や隠岐の島を引き寄せる綱の杭となったと語られる山で、江の川は中国山地を源流とする石見の大河である。石見の平地に出て流れがゆったりとしたところで渡河すると、中野は目と鼻の先であった。
南は中国山地がなだらかに続き、周囲はさして高くない山々に囲まれた台地の中に広がる盆地だった。
余勢城はその盆地の中の丘に築かれた平城だった。山城に籠って戦うのが当たり前の時代に平城は珍しい。
だが、広い丘を削り、堀を巡らし、突き固めた砦は、東西に流れる川があり、周囲は沼地となっていて、一目で攻めるに難しい城と分かる。
中野を預かる家老沖五郎正末以下譜代の家臣たちが総出で迎えた。
正国は早速各地の情勢を検討し、対応策を講じた。各地の国人たちの目的は既得の権益を守ることや、帰属が定かでない境界を確定するなど、どこにでもあり、常に争っている事であるが、今石見で起きていることは、新守護が補任されたことにより、より有利な立場を得ようとする争いが激しくなったものであった。特に不利を被ると予想される前守護派は権益の確保に躍起になった。抵抗の姿勢を示すことも重要だった。それは取引の材料になるからである。尼子氏の立場はそのような反大内勢に肩入れし、彼らの力が弱体化しないように支えることだった。その為に多胡家は他の親尼子の諸家とともに物心両面の支援をする。それが石見での尼子氏の存在感を高めことになるのだ。
すぐに大きな戦が始まる訳ではないが、戦と言うものは何がきっかけで勃発するか分からないし、一旦火が付くと燎原の火となる。油断はならなかった。
正国は反大内側との連絡を密にし、連日重臣との評定を重ねた。
辰敬は評定に出たり、時には使者に立つこともあったが、時間が空いた時は、余勢城を守る支城を見て回った。供は三郎助である。盆地をぐるりと囲む台地や山裾に余勢城の水源を守る城などが築かれていた。
時には緊張が走り、小部隊を繰り出すこともあったが、じりじりと焼き焦がされるような夏は過ぎ、秋が来た。辰敬の関心は次第に石見国内より中国山地を越えた隣国安芸国芸北の情勢に向けられるようになった。芸北も嵐の前の不気味な静けさを漂わせていた。尼子経久は武田元繁を支援しているが、経久の妻は吉川経基の娘であった。尼子家と吉川家は親戚なのである。吉川氏は一方毛利とも姻戚関係にあった。吉川経基の孫元経の妻は毛利興元、元就兄弟の姉であり、さらに元就の妻は元経の年の離れた妹であった。吉川氏は勇猛なだけではなく、戦国の世を生き抜く確かな嗅覚を持った家でもあった。その吉川領は石見国に接し、吉川氏の本拠がある大朝は中野からも近い。無関心でいられる訳がない。
十月に入るや満を持して武田元繁が動いた。五千の大軍を率いると一気に有田城に迫った。元繁の目論見は有田城を奪還し、その勢いで毛利の本拠安芸吉田をも支配下に置くことであった。
毛利・吉川軍は立ち向かうも、併せて兵は千に過ぎなかった。防戦も及ばず十月三日には有田城を包囲されてしまった。それでも連合軍は決して挫けることなく執拗に反撃した。跳ね返されても、蹴散らされても、挑み続けた。その戦いを率いるのが弱冠二十歳の毛利元就である。しかも初陣であった。誰が見ても勝ち目のない戦いを、なぜにこれほど連合軍は戦えるのか。血に結ばれた絆だけではない。元経は齢六十歳に近い老武将だったが、若い元就の力を見抜いたからこそ吉川家の命運を賭けて元就を支えたのだ。そういう声は辰敬にも聞こえて来ていた。元就とは一体どんな若者なのだろう。
「兄上、私を有田に行かせてください」
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