曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

近所の奥さんと「今度の演劇鑑賞会は久しぶりに肩の力を抜いて、気楽に楽しめそうだね。なんたってミュージカルだし」と、話していた。ミュージカルとは歌って踊って、そんなものだという先入観があったし、しかもドン・キホーテである。
馬も二頭、登場してドラマに絡む。その名前がロシュナンテとサンチョ。ドン・キホーテでは主人公キホーテの従者のサンチョがサンチョと言う名の馬になり、ロバのロシュナンテが馬のロシュナンテになり、擬人化されてドラマに絡むのである。面白くないわけがないと誰だって思うはずだ。
PXL_20260531_091318717
ところが、舞台が始まると、時は1940年の第二次世界大戦中のドイツ占領下のフランスの田舎の村。
主人公の少女ベルは女の子でありながら、同級生の女の子が好きになって、苦しむ少女だった。挙句、それがばれて冷たい目にさらされ、差別に苦しんでいた。
それゆえベルは登校拒否し、「僕はドン・キホーテになって旅に出るんだ」と、ドン・キホーテに憧れていた。
そこへ、収容所へ送られる途中に脱走したユダヤ人の少女が逃げ込んで来る。ベルは一目見て少女が好きにる。「僕が救う」と固く誓う。
ベルの担任の女先生はドイツ将校の愛人だった過去が暴かれる。
ベルの牧場で働く若者は足が悪くて、兵士にもなれなければレジスタンスにもなれない屈折した若者。
ロシュナンテは役に立たない老馬。
サンチョは若くて調子がいいがおかまの馬。
ベルの父は登校拒否でドン・キホーテに憧れるベルに胸を痛めているが、レジスタンスも共産主義者も嫌いな男。人が憎み合い、傷つけることが嫌いなだけの男。だがそんな自分こそが一番まともな人間だと素朴に信じている。だから身の危険も顧みずユダヤ人の少女をかばう。
その小さな田舎の村で、戦争と言う過酷な時代を、さらに苛酷な時代にしているのがさまざまな差別であることが暴かれて行く。差別されているのはユダヤ人だけではない。強制収容所には障碍者も同性愛者も収容されていた。おかまの馬サンチョもドイツ軍に供出されて、挙句殺されてしまう。
ベルは誓う。「僕は女の子が好きだとみんなの前で宣言する」と、父は言う。「それは厳しいことだよ」と。だが、ベルは厳しい道を選ぶ。
ベルたちはドイツ兵に捕まった少女を逃がすと、ベルもロシュナンテと一緒にドン・キホーテとなって旅に出る。でも、これは本当に旅に出たわけではない。辛くても自分の道を行くと決めたベルの決意の心象風景を舞台で見せたのである。
その時、私ははたと、このミュージカルの題名が、『さよなら、ドン・キホーテ』であることに気が付いた。なぜ、『さよなら』なのか。なぜ、ドン・キホーテにさよならしたのか。ベルはドン・キホーテになって旅に出たのではないのか?
次の瞬間、私は悟った。ベルは確かに『ドン・キホーテ』にさよならして、『ドン・キホーテ』になって旅に出たのだ。言い換えれば『これまでのドン・キホーテ』にさよならして、『これからのドン・キホーテ』になって旅に出たのだ。時代はどんどん悪くなる。生きづらく苛酷になって行く。これまでの多くのドン・キホーテ達が見果てぬ夢を追っていた時代ではないのだ。時代はどんどん苛酷で辛くなる。そんな時代だからこそ旅に出る。少女はそういうドン・キホーテになって旅に出ると宣言したのだ。

出雲演劇鑑賞会は侮れなかった。こんな芝居を呼んで来て、たまにはお気楽な芝居でも太平楽に楽しもうかと思っていた年寄りを唸らせた。

鶴のおばあさんが亡くなった。享年90歳。
去年からみるみる気力と体力が衰え、いつもおツルさんに餌をやっていた家の近くの橋まで「来るだけでもやっとなんです」と喘ぎ、おツルさんが飛んでくる方を見ながら「今年を越えるのはもう無理なような気がするの」と、とても気弱なことを言っていた。
私もいつかはこんな日が来るのだろうなあと覚悟していたが、とうとうその日が来てしまうとは。
3月31日に入院された事だけは以前に記したが、実はその日の異常に気付いたのは私と犬の散歩友達の近所の奥さんHさんだった。偶然、犬の散歩をしていて、おばあさんの家の前で会ったのだ。
私たちは夕方なのに郵便受けから新聞が出ていることに気が付き、玄関灯も点きっぱなしに気が付いた。こんなことはこれまで一度もなかった。Hさんが窓から呼びかけたが返事がない。カーテンも閉まったまま。Hさんはすぐに鍵を取り出して玄関を開けた。Hさんはおばあさんとは付き合いが古く、鍵を預かる仲だった。だがドアにはチェーンが掛かっていて開けることができない。
Hさんが大声で叫ぶとやっと小さな声で返事があった。
「動けないんです」それだけ言うのが精一杯で様子がさっぱりわからない。Hさんは大家さんを捜しに行くので、私はHさんの犬とマルコと一緒にとどまる。しかし、Hさんはなかなか帰って来ない。おばあさんを励ますために、大家さんを探してドアを開けてもらうからもう少し待っててと伝えるだけしかできない。おばあさんも「はい」と答えるだけ。しばらくしてヘルパーさんが二人、駆け付けて来る。Hさんが連絡してくれたのだ。みんなで励ましていると、ようやく大家さんとHさんが工具をもってやって来る。
大家さんがバールの一撃でチェーンを吹っ飛ばし、ヘルパーさんが飛び込む。
ベッドで寝た切りのおばあさんの着替えをして、救急車を要請したところで、Hさんが後は任せてくれと言うので、私も夕食の支度があるので引き上げる。
翌朝、Hさんから報告。
脚の骨折が二か所あり、心臓が考えられないくらい肥大していて、4月を乗り越えることが出来るかどうかだと言う。
そんなに悪かったとは。いつどうして骨折したかはヘルパーさんもわからない。私は今年になって一度も顔を合わせていなかった。Hさんもしばらく顔をみていなかったと言う。
Hさんはよく見舞いに行き、お見舞いに鶴の大きな写真を届けたらとても喜んでいたと教えてくれた。4月を乗り越え、転院の話も出たので私は乗り越えることが出来たのかと思っていたが、一昨日、急に悪くなり、大阪から駆けつけて来た息子さんに看取られ眠るように息を引き取ったと言う。
私は昨日の夕方、散歩の帰りにおばあさんの家の玄関に手を合わせていたら、Hさんが来て家の中に居た息子さん夫婦を紹介してくれる。
息子さん夫婦はおばあさんは田舎で寂しい一人暮らしをしていると思っていたので、犬友達や鶴友達がいたことを喜んでいた。おばあさんからおツルさんに餌をやったり、写真を撮って見せてくれる人がいることは聞いていて、それが私とわかって感謝してくれた。
今日が葬式だったが家族葬で家族以外で参列したのはHさんだけ。
私は張場へ香典を届ける。Hさんはとてもやすらな顔だったと言っていたが、それを聞いたら私も最後のお別れはしたかったなあと思った。
あの人と出会わなかったら、おツルさんとも出会わなかったし、毎日のようにおツルさんに会って、餌をやり、話しかける、浮世離れした生活はできなかったのだ。
PXL_20260521_223301797
         ↑
↑の先に、小さく白い丸い物が見える。軟式野球のボールだと思う。
今朝、おツルさんが抱卵している場所に餌をやりに行ったが、おツルさんは不在。だが、ボールを抱いていることは分かった。
夕方、餌をやりに行く。
遠くから抱卵場所を見たら、おツルさんの姿はなく、おばあさんが亡くなった報告は出来ないのかと思っていたのだが、不意に上流の方角から飛来すると、私の頭上を飛び去り、Uターンして私の前方に舞い降りると、すぐ近くまで寄って来る。
PXL_20260522_073004753.MPPXL_20260522_073000157
お腹が空いていたのだろう、勢いよく食べていた。
「おばあさんが死んじゃったよ。もう会えないんだよ。寂しいね。おばあさんのまねはできないけれど、俺とマルコが来るからね。仲良くしような」
おツルさんにはわからないだろうけど、おばあさんには聞こえたような気がした。
おばあさん、あなたは本当にたいした人だったね。
あなたが餌をやっている時、おツルさんがあなたのすぐそばでうたた寝をしていたことがあったよね。
忘れられない光景でした。無償の愛情とはどんなものか教えられました。
さようなら、鶴のおばあさん。

3月18日に鼠径ヘルニアの手術をして退院したものの、しばらくは腹部に圧がかかる作業はできないので、農作業は一ケ月完全に休む。
4月29日
PXL_20260429_015529470PXL_20260429_050636220
イチゴを収穫する。まあまあの出来なので、三つの畝に沢山できるぞと期待していたが、5月19日現在、もはや終わり。出来もよくなかった。ひとえに手術と上京クラス会のせい。イチゴは一番果ができた後の追肥に手が回らなかった。5月になって慌てて追肥したが遅すぎた。効果なし。やはり決められた時に決められた通りにやらないとダメだ。
5月6日
友達が日御碕で釣って来たイサキを3匹くれる。「刺身にして食え、うまいぞ」と言うが、私は介護生活が長かったので魚をさばいたことがない。「簡単だよ。ウロコを取って、背中から包丁入れて三枚におろせばいいんだ」
PXL_20260506_074904927.MPPXL_20260506_100150608PXL_20260506_095541666
切れない出刃包丁で生まれて初めて刺身を作った。朝獲れたイサキは美味かった。小型の二匹は味噌汁にして食えと言うので、翌日、野菜を入れて味噌汁にしたらこれも美味かった。
5月9日
イサキの礼を言いにハウスを覗く。
PXL_20260509_071306982PXL_20260509_071317749.MP
シャインマスカットの実に薬を塗っていた。左のまだ小さい実に、右の容器に入っている薬を塗布すると言う。まだ実が小さいうちに薬で種を溶かすのだそうだ。ハウスの中は暑い。噴霧器が故障しているので手作業で塗って行くと言う。二つのハウスで400個ほどぶどうがなっているという。それを3回繰り返すのだそうだ。商売ではない。人にあげるために趣味で作っているのだ。
昨日18日に覗いたら、昨日はハウスの中は30度を超えていたそうだ。

夏野菜を作る準備が出来なかったこともあって、今年から夏野菜は薩摩芋しか作らないことにした。トマトもナスもピーマンもやめた。だが、うちの畑はセンチュウが多くて、薩摩芋をぼろぼろに食われてしまう。そこでAIに相談したら、センチュウに強いシルクスイートを作れと言う。マリーゴールドもパートナープラントとして植えると、センチュウ退治に効果があるというので、去年も薩摩芋を作った畑で薩摩芋を作ることに。
PXL_20260428_003740203PXL_20260509_070001165
4月28日ごろ、ようやくここまで雑草を片付け、連休中に耕運機をかけ、畝を立て5月9日にマルチを張る。シルクスイートの苗を32本植え付ける。
5月10日
PXL_20260509_232108993PXL_20260509_232144049
苗刺し棒で苗を差し込む。AIは30度から40度の角度で植えろと言う。
PXL_20260509_232249920PXL_20260509_232437985

ペットボトルに取り付ける注水キャップを100円ショップで見つけてたっぷり水を注ぐ。AIは600ccから1000ccやれと言うが、ペットボトル一本分(約600cc強)やる。
PXL_20260511_000035799PXL_20260511_002027222
こうして植え付けたのはいいのだが、余りにも暑いので遮光ネットを100円ショップで買って来て苗の上から覆う。薩摩芋は暑さに強いので、これまでこんなことをしたことはないのだが、私より先に植えた畑先生の苗がひどいダメージを受けているのを見て不安になったのだ。
AIは3日から5日ほど少し水をやる程度でよく、その後は一切水はやらず、自然に任せろと言っていたが、私は遮光ネットで覆い続け、水も多めにやり続けている。
5月15日
PXL_20260514_224848286.MPPXL_20260518_224204560
おツルさんが今年も抱卵を始めたようだ。去年、抱卵した川岸の対岸の茂みにうずくまるようになった。去年はマルコと散歩する土手道の下に居たので近くまで行って餌をやれたが、今年は対岸ですぐに降りて行けないところにいるので、おツルさんの対岸の階段がある場所に降りて行って餌をやっている。お腹がすいていたら飛んできて食べる。
右の写真、白いボールが手前と奥と二つあるのがわかるだろうか。軟式野球のボールである。恐らくおツルさんが運んできたものと思われる。去年はテニスボールを抱いていた。今年は見に行くことが出来ないので何を抱いているのかわからないが、もしかしたら野球のボールかもしれない。毎年、七夕頃まで抱き続ける。
5月18日
PXL_20260518_092502897PXL_20260518_092535529
枯れそうな苗がこの他にも1本あって、計3本。
PXL_20260518_092502897 (1)
残りの29本はこのように緑の小さな葉っぱが出ている。明日から雨が降るらしいからしばらくは暑さの心配はいらないようだが、皆、言っている。
「今からこげなことで、この先、どげんなることじゃろう」

↑このページのトップヘ