ユ・ドンジュンがどんな詩を書いたか分かってもらえたと思う。
私は戦前の朝鮮と日本を背景にしたものは芝居と言わず、映画や本と言わず、向き合う前から気分が重苦しくなり、辛くなるのが分かっているので、今回も心弾ませて10月31日を待つ気持ちにはなれなかった。
だが公演が近づきこの芝居の脚本・演出がシライケイタであることに改めて気が付いた時、この人が去年見た「獅子の見た夢」の脚本を書いたことを思い出した。その瞬間、私はこの芝居はいい芝居に違いない。見ごたえのある芝居のはずだと思ったのである。
戦前の地方の貧しい無学な百姓が、一人娘に信じた道を行けと獅子舞で見送る話だった。魂が震えるほど感動した芝居だったが、「星をかすめる風」も私の期待通りの芝居だった。
この芝居は福岡刑務所の看守杉山が殺されたところから始まる。新任の若い看守渡辺は所長から犯人捜しを命じられる。杉山は朝鮮人受刑者に暴力をふるうので死神と恐れられ憎まれていた。それくらい杉山の暴力はひどいものだったのだ。
渡辺は杉山のポケットから一遍の詩を見つけたことによって、受刑者の一人、平沼東柱こと尹東柱ユ・ドンジュンが何らかの鍵を握っているのではないかと思うが、「自分は645番ではない。平沼東柱でもない。尹東柱だ」と言うドンジュンの口を開かせることはできなかった。
その頃、刑務所内では朝鮮人受刑者が次々と体の不調を訴えていた。
受刑者の健康管理を受け持っている九州大学から派遣された医者は、刑務所内で働く受刑者からけが人を除き、健康な者だけを働かせるようにしていた。けが人は正しいデーターを取れないと言うのがその理由だった。
だが受刑者の体調は悪くなるばかりだった。
1944年の4月に投獄されたドンジュンは、翌1945年2月16日に獄死する。その短い獄中で何があったのか?渡辺はドンジュンや杉山と心を通わせていた一人の美しい看護婦からドンジュンが死んだ後に杉山殺しの真犯人を教えられ、杉山とドンジュンの真実の姿を教えられる。
杉山を殺したのは医者だった。医者は健康な朝鮮人受刑者で人体実験をしていたのである。そのためにけが人は実験対象から外されていたのだが、それを察した杉山はあえて受刑者に暴力をふるいひどいけがをさせて人体実験から救っていたのだ。杉山は医者を問い詰めた。本当は人体実験をしているのではないかと。医者は杉山の口を塞いだ。
朝鮮人受刑者にとっては凧揚げだけが唯一の楽しみだった。彼らはわざと凧糸を切り、その凧が塀の外空高く飛んでゆくのを、自由を求めるわが身に託して喜んでいた。飛べ、飛べ、どこまでも。
実はその凧をひそかに作っていたのは杉山だったのである。それだけではない、その凧に杉山はドンジュンの詩を書いていたのだ。
塀の外ではその凧を拾い、詩を写し取ってくれる少女がいたのだ。
米軍の大空襲があった翌日、杉山とドンジュンが一番心配ししたのは少女の身だった。少女は助かっていた。杉山とドンジュンは喜ぶ。ドンジュンの詩も守られたのだ。
福岡刑務所ではもう一つ秘密の活動が行われていた。それは朝鮮人受刑者による脱獄トンネル堀りだった。ドンジュンも加わっていたが、ある日、ドンジュンは謎の地下室に突き当たる。そこはかつての拷問室で今は使われておらず、沢山の本が埃をかぶっていた。それは禁書処分された本だった。それを見たドンジュンはこの部屋を自分たちの図書館にすることを思い立つ。
ドンジュンは脱獄には懐疑的だった。福岡刑務所を脱獄しても真の自由は得られない。それよりも本を読む喜びを知り、本で学び、本当の魂の自由を得るべきだと考えたのだ。ドンジュンは読書仲間を増やして行く。その方法も刑務所ならではであった。二人一組で一冊の本を読むのだ。
方法はこうだ。一人がわざと懲罰をくらって懲罰房に入るのだ。そしてそこから順番に自分たちだけの図書館に入り込み一冊の本を読む。懲罰が終わって元の牢に戻ると、彼は読んだ本の内容を待っていた男に教える。
すると今度はその男が懲罰を食らって懲罰房に入り、図書館に潜り込むとその先を読み進める。これを繰り返して一冊の本を読み終えるのだ。
こうして囚人たちは、「罪と罰」や「アンナ・カレーニナ」や「ハムレット」などを読みすすめて行ったのである。
看護婦は杉山の過去も知っていた。杉山はノモンハン事変でロシア軍の捕虜になりすさまじい拷問を受け、囚われの身の辛さを骨の髄まで知った男だったのである。それゆえ異国の刑務所に囚われた囚人たちに同情し、何とか力になってやろうとしていたのだ。
ドンジュンは詩人として魂の自由を得ることが人を救うことになると信じていた。
看護婦の話が終わった時、渡辺は「私は嫉妬してます」と言う。
この時、私は一瞬誰に嫉妬しているのかわからなかった。杉山やドンジュンが心を開いてくれた看護婦に対してなのか、それとも看護婦に対して心を開いた二人に対してなのか、あるいは二人の心の奥に秘められていた美しいものそのものに対してなのか。今ではどれでもいいし、それら全部をひっくるめてもいいような気がしている。
渡辺は戦後BC級戦犯として裁判に掛けられる時、この刑務所であったことをすべて話すと語る。
どんでん返しがラストに一つある。
実はトンネル堀りは所長が企んでいたことだったのだ。囚人の一人331号が満州に金塊を隠したという作り話を信じ、331号を脱走させ、金塊を山分けするつもりだったのである。囚人たちはそんなこととは知らず脱獄用のトンネルを掘っていたのだ。
こういう話や地下の図書館の話もすべてフィクションである。戦後出版され、ベストセラーになった本の作者が創ったものだと思う。
日本で逮捕されてから、わずか1年7ヶ月後に死んだユ・ドンジュンのことはほとんど何もわかっていないので、フィクションの余地はいくらもある。奇想天外過ぎると思われる向きもあると思うが、私はそうは思わない。ドンジュンの魂の自由を求める願いが強ければ強いほど作家も想像の翼を羽ばたかせるのだ。
人体実験については、私の若い頃だったろうか、戦時中、九州大学で人体実験が行われていたと言う話が、週刊誌に取り上げられたことがあり、月刊誌にも載ったことがあったような気がする。まったく根も葉もない話ではない。噂はあったのである。
私は戦前の朝鮮と日本を背景にしたものは芝居と言わず、映画や本と言わず、向き合う前から気分が重苦しくなり、辛くなるのが分かっているので、今回も心弾ませて10月31日を待つ気持ちにはなれなかった。
だが公演が近づきこの芝居の脚本・演出がシライケイタであることに改めて気が付いた時、この人が去年見た「獅子の見た夢」の脚本を書いたことを思い出した。その瞬間、私はこの芝居はいい芝居に違いない。見ごたえのある芝居のはずだと思ったのである。
戦前の地方の貧しい無学な百姓が、一人娘に信じた道を行けと獅子舞で見送る話だった。魂が震えるほど感動した芝居だったが、「星をかすめる風」も私の期待通りの芝居だった。
この芝居は福岡刑務所の看守杉山が殺されたところから始まる。新任の若い看守渡辺は所長から犯人捜しを命じられる。杉山は朝鮮人受刑者に暴力をふるうので死神と恐れられ憎まれていた。それくらい杉山の暴力はひどいものだったのだ。
渡辺は杉山のポケットから一遍の詩を見つけたことによって、受刑者の一人、平沼東柱こと尹東柱ユ・ドンジュンが何らかの鍵を握っているのではないかと思うが、「自分は645番ではない。平沼東柱でもない。尹東柱だ」と言うドンジュンの口を開かせることはできなかった。
その頃、刑務所内では朝鮮人受刑者が次々と体の不調を訴えていた。
受刑者の健康管理を受け持っている九州大学から派遣された医者は、刑務所内で働く受刑者からけが人を除き、健康な者だけを働かせるようにしていた。けが人は正しいデーターを取れないと言うのがその理由だった。
だが受刑者の体調は悪くなるばかりだった。
1944年の4月に投獄されたドンジュンは、翌1945年2月16日に獄死する。その短い獄中で何があったのか?渡辺はドンジュンや杉山と心を通わせていた一人の美しい看護婦からドンジュンが死んだ後に杉山殺しの真犯人を教えられ、杉山とドンジュンの真実の姿を教えられる。
杉山を殺したのは医者だった。医者は健康な朝鮮人受刑者で人体実験をしていたのである。そのためにけが人は実験対象から外されていたのだが、それを察した杉山はあえて受刑者に暴力をふるいひどいけがをさせて人体実験から救っていたのだ。杉山は医者を問い詰めた。本当は人体実験をしているのではないかと。医者は杉山の口を塞いだ。
朝鮮人受刑者にとっては凧揚げだけが唯一の楽しみだった。彼らはわざと凧糸を切り、その凧が塀の外空高く飛んでゆくのを、自由を求めるわが身に託して喜んでいた。飛べ、飛べ、どこまでも。
実はその凧をひそかに作っていたのは杉山だったのである。それだけではない、その凧に杉山はドンジュンの詩を書いていたのだ。
塀の外ではその凧を拾い、詩を写し取ってくれる少女がいたのだ。
米軍の大空襲があった翌日、杉山とドンジュンが一番心配ししたのは少女の身だった。少女は助かっていた。杉山とドンジュンは喜ぶ。ドンジュンの詩も守られたのだ。
福岡刑務所ではもう一つ秘密の活動が行われていた。それは朝鮮人受刑者による脱獄トンネル堀りだった。ドンジュンも加わっていたが、ある日、ドンジュンは謎の地下室に突き当たる。そこはかつての拷問室で今は使われておらず、沢山の本が埃をかぶっていた。それは禁書処分された本だった。それを見たドンジュンはこの部屋を自分たちの図書館にすることを思い立つ。
ドンジュンは脱獄には懐疑的だった。福岡刑務所を脱獄しても真の自由は得られない。それよりも本を読む喜びを知り、本で学び、本当の魂の自由を得るべきだと考えたのだ。ドンジュンは読書仲間を増やして行く。その方法も刑務所ならではであった。二人一組で一冊の本を読むのだ。
方法はこうだ。一人がわざと懲罰をくらって懲罰房に入るのだ。そしてそこから順番に自分たちだけの図書館に入り込み一冊の本を読む。懲罰が終わって元の牢に戻ると、彼は読んだ本の内容を待っていた男に教える。
すると今度はその男が懲罰を食らって懲罰房に入り、図書館に潜り込むとその先を読み進める。これを繰り返して一冊の本を読み終えるのだ。
こうして囚人たちは、「罪と罰」や「アンナ・カレーニナ」や「ハムレット」などを読みすすめて行ったのである。
看護婦は杉山の過去も知っていた。杉山はノモンハン事変でロシア軍の捕虜になりすさまじい拷問を受け、囚われの身の辛さを骨の髄まで知った男だったのである。それゆえ異国の刑務所に囚われた囚人たちに同情し、何とか力になってやろうとしていたのだ。
ドンジュンは詩人として魂の自由を得ることが人を救うことになると信じていた。
看護婦の話が終わった時、渡辺は「私は嫉妬してます」と言う。
この時、私は一瞬誰に嫉妬しているのかわからなかった。杉山やドンジュンが心を開いてくれた看護婦に対してなのか、それとも看護婦に対して心を開いた二人に対してなのか、あるいは二人の心の奥に秘められていた美しいものそのものに対してなのか。今ではどれでもいいし、それら全部をひっくるめてもいいような気がしている。
渡辺は戦後BC級戦犯として裁判に掛けられる時、この刑務所であったことをすべて話すと語る。
どんでん返しがラストに一つある。
実はトンネル堀りは所長が企んでいたことだったのだ。囚人の一人331号が満州に金塊を隠したという作り話を信じ、331号を脱走させ、金塊を山分けするつもりだったのである。囚人たちはそんなこととは知らず脱獄用のトンネルを掘っていたのだ。
こういう話や地下の図書館の話もすべてフィクションである。戦後出版され、ベストセラーになった本の作者が創ったものだと思う。
日本で逮捕されてから、わずか1年7ヶ月後に死んだユ・ドンジュンのことはほとんど何もわかっていないので、フィクションの余地はいくらもある。奇想天外過ぎると思われる向きもあると思うが、私はそうは思わない。ドンジュンの魂の自由を求める願いが強ければ強いほど作家も想像の翼を羽ばたかせるのだ。
人体実験については、私の若い頃だったろうか、戦時中、九州大学で人体実験が行われていたと言う話が、週刊誌に取り上げられたことがあり、月刊誌にも載ったことがあったような気がする。まったく根も葉もない話ではない。噂はあったのである。

