曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

いよいよ明日帰って来る。その前夜だけ、ビールを飲むことにしている。缶ビール一本だけ。酒は弱いし、強いて飲みたいとは思わないのだが、妻の帰る前夜だけは体が欲するのだ。儀式みたいなものです。明日から気合を入れてやるぞと、十日余りのだらけた日々との決別の儀式と言えばいいのかも。
冬の支度になるので、パジャマや衣類など入れ替えたり、放りっぱなしだった夏物をしまったり、洗濯に出したり、今日はやることが結構あった。
好天だったので、羽毛布団も干せた。
ところで、羽毛布団は身体に直接掛け、毛布は羽毛布団の上に掛けるものだと去年初めて教えられた。誰に聞いても、それが常識だと言う。
10年以上も前、何万も出して羽毛布団を買った時に布団屋さんが教えてくれたと言う。
「あんたはスーパーで安い羽毛布団を買ったから、誰も教えてくれなかったんだよ」と。確かにスーパーで買ったからそうなのかもしれない。
さあ、一杯やって寝よう。明日から気合だ!

10年くらい前に若い韓国人ゲームクリエーター達と知り合った。日本語ができる若者がいたので、話をしているうちに、日本側の誰かが私が昔科学忍者隊ガッチャマンの脚本を書いていたと言った。
その瞬間である、どよめきが上がり、若者達の目の色が変わるや、一人は突然背中を向けて、サインしてくれと言う。大切な服にそんなことは出来ない。サインなんてしたこともない。それだけは勘弁してくれと断ったが、その若者はすごく残念がった。
日本語のできる若者に聞いたら、ガッチャマンは韓国でも大人気で皆ガッチャマンを見て育ったのだと言う。皆、韓国のアニメと信じて疑わずに夢中になっていたのだそうだ。ところが、ある日、突然、日本のアニメであることが分かった。
「その時のショックがどれだけ大きかったか。先生、分かりますか……」
衝撃的だったらしい。天地がひっくり返るほどの驚き。その時の気持ちをどう表現していいか分からないほどのショックだったと。また、そう語る彼の顔があまりにも悲しそうだったので、こっちが気の毒になったほどであった。
こう言って慰めてやった。
「そう言うな。俺だって、力道山が日本人ではないと分かった時のショックは大きかったんだぞ」
戦後の日本プロレスのヒーローの話をしてやったが、どれくらい理解してくれたか。
最後は日本語と韓国語でガッチャマンの大合唱をした。



イメージ 189歳の母が山へ連れて行ってもらい、むかごとアケビを採って来た。早速むかご御飯を作った。むかごは山芋の蔓にできる小さな実です。水の量に気を付けて、御飯が固くならないようにと口を酸っぱくして注意。少し固かったけれど、ぎりぎり年寄りも食べることが出来た。母にしたら上出来である。
ボケ防止のためにできるだけ台所に立たせて、何かしら作らせるようにしているのだが、かぼちゃの煮つけを作ってくれと頼んでおいたら、パンプキンスープが出来ていたりするから、安心できないのです。最近はメモを置いて外出します。
鍋を焦がすのはしょっちゅうです。
来年も山へ行けて、一人でアケビを全部食ってしまうほど元気であればいいのですが。私も一個ぐらい食いたかったのですがねえ。

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