ある日突然シナリオライターを目指すことになった私は、それまで芝居や映画に全く無縁の生活を送っていたので、慌てて芝居や映画を観まくる日々を過ごすことになった。だが、歌舞伎だけは観ようともしなかった。当時は様式美だけの古臭いものと思い込んでいたのだ。
40代も後半、さすがに歌舞伎を観ないのはまずいのではないかと思い、初めて観たのが勧進帳であった。山伏に変装して、奥州へ落ちる義経一行が安宅関で、関守の富樫に怪しまれるご存知の話だから、大して期待もしなかった。
弁慶が偽物の勧進帳を読み上げたりして疑いを晴らそうとするも、義経の顔を知っている者がいて窮地に陥る。弁慶は主君である義経を金剛杖で打ち据えて疑いを晴らすと無事に関所を通過する。だが、富樫はすべてを見抜いていた。主を思うがゆえに主を打つ弁慶の苦衷に深い同情を寄せていたのだ。富樫は盃を交わし、奥州へ落ちる主従を見送る。富樫もまた情けある武士だったのである。
弁慶は富樫に別れの舞を舞うと、義経一行を追う。
弁慶は花道をあの有名な飛び六方で去って行く。
その姿を観た時、私の体の奥底から得も言われぬ、名状しがたい感動が込み上げて来た。飛び六方はまさに様式美の極致である。リアリティなど欠片もない。それなのに六方を踏み、飛んで行く所作からは、弁慶の喜び、富樫への感謝が溢れ、劇場一杯に広がって行ったのである。泣ける映画や感動した芝居はたくさん観て来たが、そのどれとも異なる、今までに味わったことのない不思議な感情だった。身体の奥底に隠されていた、非常に根源的と言うか、原初的な感情が目覚めさせられた瞬間だった。そして、これこそが日本人に通底する感情なのだと思った。嬉しかった。
ああ、これが歌舞伎なんだ。何百年も人々に愛されて来た理由が分かったような気がした。
歌舞伎と言う非日常の空間に一時身を委ね、あなたたち若い人に、恐らくここでしかか甦ることのない感動を覚えてもらいたいと願うのです。それには勧進帳が一番だと思う。イヤホンガイドを聞きながら観ればいいです。よくわかります。
今もなお全身に喜びを溢れさせ、花道を去る弁慶の姿が浮かびます。これは財産です。
12代市川団十郎でした。数年前60代半ばで亡くなりました。今の市川海老蔵(妻は小林麻央)の父です。その時、海老蔵は義経を演じていました。まだ16か17だったはずです。舞台に現れた瞬間何と美しい若者だろうと見とれました。まさに薄幸の貴公子の立ち姿でした。
