曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

ある日突然シナリオライターを目指すことになった私は、それまで芝居や映画に全く無縁の生活を送っていたので、慌てて芝居や映画を観まくる日々を過ごすことになった。だが、歌舞伎だけは観ようともしなかった。当時は様式美だけの古臭いものと思い込んでいたのだ。
40代も後半、さすがに歌舞伎を観ないのはまずいのではないかと思い、初めて観たのが勧進帳であった。山伏に変装して、奥州へ落ちる義経一行が安宅関で、関守の富樫に怪しまれるご存知の話だから、大して期待もしなかった。
弁慶が偽物の勧進帳を読み上げたりして疑いを晴らそうとするも、義経の顔を知っている者がいて窮地に陥る。弁慶は主君である義経を金剛杖で打ち据えて疑いを晴らすと無事に関所を通過する。だが、富樫はすべてを見抜いていた。主を思うがゆえに主を打つ弁慶の苦衷に深い同情を寄せていたのだ。富樫は盃を交わし、奥州へ落ちる主従を見送る。富樫もまた情けある武士だったのである。
弁慶は富樫に別れの舞を舞うと、義経一行を追う。
弁慶は花道をあの有名な飛び六方で去って行く。
その姿を観た時、私の体の奥底から得も言われぬ、名状しがたい感動が込み上げて来た。飛び六方はまさに様式美の極致である。リアリティなど欠片もない。それなのに六方を踏み、飛んで行く所作からは、弁慶の喜び、富樫への感謝が溢れ、劇場一杯に広がって行ったのである。泣ける映画や感動した芝居はたくさん観て来たが、そのどれとも異なる、今までに味わったことのない不思議な感情だった。身体の奥底に隠されていた、非常に根源的と言うか、原初的な感情が目覚めさせられた瞬間だった。そして、これこそが日本人に通底する感情なのだと思った。嬉しかった。
ああ、これが歌舞伎なんだ。何百年も人々に愛されて来た理由が分かったような気がした。
歌舞伎と言う非日常の空間に一時身を委ね、あなたたち若い人に、恐らくここでしかか甦ることのない感動を覚えてもらいたいと願うのです。それには勧進帳が一番だと思う。イヤホンガイドを聞きながら観ればいいです。よくわかります。
今もなお全身に喜びを溢れさせ、花道を去る弁慶の姿が浮かびます。これは財産です。
12代市川団十郎でした。数年前60代半ばで亡くなりました。今の市川海老蔵(妻は小林麻央)の父です。その時、海老蔵は義経を演じていました。まだ16か17だったはずです。舞台に現れた瞬間何と美しい若者だろうと見とれました。まさに薄幸の貴公子の立ち姿でした。










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晩生の玉ねぎ100本を植える。すでに早生は50本植えている。これで残すは豆類のみとなった。11月中に豆を蒔いたら、後は玉ねぎと豆に肥料をやるだけで、3月にジャガイモの植え付けまで一休みできる。
すでに、ほうれん草、春菊、小松菜は食卓に上がった。白菜、レタス、大根、カブもしばらくしたら胃袋に入るだろう。
今年のヒットは、ジャガイモは「はるか」、さつま芋は「紅はるか」が絶品であることを知ったことだ。
「はるか」はメイクイーンより美味いと言ううたい文句に惹かれて植えてみたのだが、たしかにもっちりしてこれまで味わったことのない食感だった。
「紅はるか」は近所の人から、「出雲のトレンドは紅はるかだよ。農協が島根の特産品にしようと力を入れている。これからは紅はるかの時代だよ」と力説するので、6本苗を貰って植えた。5月に植えた鳴門金時が散々だったが、6月に植えた紅はるかはよくできた。甘くて評判がいい。
「はるか」と「紅はるか」お薦めです。
写真の奥に鬱蒼と茂っているのは「ほていあおい」です。我が家の池で、我が家をふくめて四軒で水やりに使っています。ちなみに四軒とも曽田です。「そだ」ではありません。「そた」です。

上位三頭の中に私が買った馬は一頭も入らなかった。完敗である。恥ずかしいから(アンビシャス4着)以外は何を買ったか言えません。
言い訳させてもらうなら、魂の籠った予想をしていないのである。馬券検討に集中する時間がないので、なんとなくこんなものかなと買ってしまっているのだ。そんな自分の状況を分かっているから、決して大金は賭けない。ほんの参加料だ。50年近くやって来た競馬と別れたくないので、お付き合いでやっているようなものだが、当たらないのはつまらん。
実は私は気が付いている。当たらない本当の理由を。それは私が年を取ったことにある。内に秘めたエネルギーが減っているのだ。
だから賭け事一つとっても、昔のように勝負できなくなっている。エネルギーが満ちていれば、若い時のように負けても次がある。負けた分は仕事で取り戻す気概も持てた。
今はそうは行かない。残ったエネルギーを後生大事に守っている。色々と分散消費することを考えると、競馬なんかには費やしていられない自分がいる。では、やめればいいではないかと言われるかもしれないが、競馬も競輪もこれが面白いのである。
結論として、矛盾するようだが、競馬や競輪への興味も失ってしまったら、自分は終わりだと思う。もうG1レースぐらいしかやらないが多分一生やり続けると思う。
私の願いは第100回ダービーを東京競馬場で観戦することなのだ。
私は絶対に泣くだろう。
東京競馬場は妻と家族の思い出がいっぱい詰まった場所でもあるのだ。
妻はビールで一休み、子供たちは遊具で遊び呆け、私は外れ馬券の紙吹雪。どれだけ通ったことだろう。















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