曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

私の母の実家は出雲市の隣の大田市にある。大森銀山で有名なところである。出雲からは車で40分ほどの田舎で、実家の裏には岩山と言う小さな山があった。私は小学生の頃は山口県の防府市にいて、夏休みは毎年母の実家で長く過ごした。
何年生の頃だったか、大人の誰かから、「裏のお山にはお殿様が住んでいたんだよ」と言われたが、城跡らしきものは何一つない、本当に小さな山なので、子供だましのいい加減な話だと思っていた。
26、7の頃、お礼奉公が嫌になり、師匠から夜逃げして、(代々の弟子はみな夜逃げしたそうだ)息抜きに母の里へ来た時、偶然、地方史の本で、岩山城城主多胡辰敬(たこときたか)の記述を見つけた。「あの話は本当だったんだ」と吃驚した。
しかも、この武将はただ者ではなかった。
その昔、戦国武将は家訓を残したが、現存するのは、伊達、島津、北条等々みな有名な戦国大名だけである。ところが、ただ一人、地方の一武将で家訓を残した人がいた。それが多胡辰敬だったのである。
何と地元の小学生だって知っていた。郷土の誇りとして学校で教えていたのだ。
岩山城は大森銀山の守城の一つで、出雲への入り口を守る重要な位置にあり、多胡辰敬は尼子の武将として毛利の大軍の前に立ちはだかり、討ち死にしたのだ。
「ああ、そんなすごい人がいたなんて。どうして、多胡辰敬というお殿様だったんだよと教えてくれなかったんだろう」と、あの時の誰かを恨んだのであった。
調べると、この人の家訓に最初に注目したのは柳田國男だったらしい。
その時、いつかはこの人のことを書きたいと思ったのであった。








昨日は最悪の一日だった。
リハビリ病院から受け入れを断られ、漂流妻になってしまったのだ。
県立中央病院の相談員が頑張ってくれて、今日の夕方、何とか漂流先を見つけてくれたようなので、ようやく立ち直ったところである。

受け入れてもらえるものとばかり思い込んでいたので思わず耳を疑った。「どうすればいいのだ」と茫然自失。相手の言葉が耳に入らない。途端にめまいがして、吐き気までした。一瞬、めまいが再発(1年半前めまいで1週間入院、未だに薬を飲んでいる)したかと思った。話が終わったら、立っていられなくなって、廊下の長椅子に横たわった。それくらいショックだった。
リハビリを受けられず、もし妻が寝たきりになってしまったら、自宅で年取った父母と生活を共にするなんて不可能に近い。横になったまま混乱する頭で今後のことを考えていたら、個室から「う~あ~」とおばあさんの声が聞こえて来た。すると隣の部屋の我が漂流妻が、
「あの患者さんを黙らせてください」と叫び出した。
おばあさんは「う~あ~」
漂流妻は「うるさいんですけど」「う~あ~」「静かにしろ」「う~あ~」
個室前通路は時ならぬ騒ぎに。

ケアマネージャーも前回受け入れて、なぜ今回はダメなのか驚いていた。
リハ病院側の言い分は「治る見込みのない者は受け入れられない」「そういうお達しが出ている」「リハビリは1日2時間やることになっているが、痛みを訴えるので十分なリハビリが出来ない」
私にしてみれば、痛みは訴えるだろうけれど、前回だってやってくれたのだから、出来るだけでもいいからやって欲しい。完全に治ることなどは期待はしていない。出来るところまででいいのだ。
しかし、この考えはどうやら医療費の無駄遣いと決めつけられているようだ。確かに妻は手がかかる。リハビリする側にしてみれば、労ばかり多くて、効果の少ない患者だ。完全に治らない患者には金をかけるなと言うことか。これって、生きていてもしょうがない人間は殺してもいいと大勢を殺した男と根は同じような気がする。

好き好んで病人になった訳ではない。病人が一番つらい思いをしているのに救ってやれない。これからの医療現場ではこのような事が押し進められて行くのだろうなと実感した昨日であった。









予定より早くMRI。結果は第2腰椎椎体骨折。前回の第3腰椎圧迫骨折は素人目にも潰れていることが分かったが、今回はMRIの映像を見せられても、どこが折れているのか素人には分からない。
診療情報を渡され、リハビリ専門病院へ行き、相談員に入院の相談をする。
前回と同じ相談員なので、「またよろしくお願いします」とぺこり。
明日が判定会議だが、たぶん入院出来ると思う。出来なければ大変困ることになるから、入院させてもらわないと困る。
ただ無事入院出来たとしても、前回、看護師さんたちに面倒をかけているので、「また、あの厄介な人が来た」と、思われるのが苦痛でならない。
急に環境が変わった所為か、食事は拒否する、薬も吐き出すなど、手を焼かせてしまったのである。なぜかパンなら食べたので、3食パンと言うとんでもないことになってしまった。さすがに私も頭に来て、なんとかしてくれと言いたかったが、リハビリ病院は妻以外にも手のかかる患者ばかりで、看護師さんたちが付きっきりで食事させているのを見たら、もっと妻の面倒をみろとは言い出せなかった。
やむをえず、昼食は私が通い、普通食の介助をした。薬も飲ませた。御飯を食べさせるにも、薬を飲ませるにも、長年培ったテクニックがあるのだ。
今回もまた通うことになるのだろうなあ。












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