私の母の実家は出雲市の隣の大田市にある。大森銀山で有名なところである。出雲からは車で40分ほどの田舎で、実家の裏には岩山と言う小さな山があった。私は小学生の頃は山口県の防府市にいて、夏休みは毎年母の実家で長く過ごした。
何年生の頃だったか、大人の誰かから、「裏のお山にはお殿様が住んでいたんだよ」と言われたが、城跡らしきものは何一つない、本当に小さな山なので、子供だましのいい加減な話だと思っていた。
26、7の頃、お礼奉公が嫌になり、師匠から夜逃げして、(代々の弟子はみな夜逃げしたそうだ)息抜きに母の里へ来た時、偶然、地方史の本で、岩山城城主多胡辰敬(たこときたか)の記述を見つけた。「あの話は本当だったんだ」と吃驚した。
しかも、この武将はただ者ではなかった。
その昔、戦国武将は家訓を残したが、現存するのは、伊達、島津、北条等々みな有名な戦国大名だけである。ところが、ただ一人、地方の一武将で家訓を残した人がいた。それが多胡辰敬だったのである。
何と地元の小学生だって知っていた。郷土の誇りとして学校で教えていたのだ。
岩山城は大森銀山の守城の一つで、出雲への入り口を守る重要な位置にあり、多胡辰敬は尼子の武将として毛利の大軍の前に立ちはだかり、討ち死にしたのだ。
「ああ、そんなすごい人がいたなんて。どうして、多胡辰敬というお殿様だったんだよと教えてくれなかったんだろう」と、あの時の誰かを恨んだのであった。
調べると、この人の家訓に最初に注目したのは柳田國男だったらしい。
その時、いつかはこの人のことを書きたいと思ったのであった。