私が弟子になった時、三百本以上の映画脚本を書いたと豪語する師匠の一番の自慢は、日活の6つの大ステージ全部を自分の映画が占拠していたことだった。どういう事かと言うと、その時、日活で同時に撮影されていた6本の作品すべてが自分の脚本だったのだ。この自慢話は何度も聞かされた。シナリオ作家協会の会報だったか、年鑑だったかにも書いていた。
いくら2本立ての映画が次々と封切されていた映画全盛期の時代とはいえ、想像もつかない話で「はあ~」と間抜けな声をあげて驚くしかなかった。すると、師匠は「どうして俺がこんなにたくさんの脚本を書くことが出来たかわかるか?」と、何やらいたずらっぽい目をして訊く。首を振ると、「俺は一本の脚本を7回使うんだ」
師匠の言葉を正確には再現できないので、私流に要約するとこう言うことだ。
『東映で時代劇を書いたら、同じ脚本をもとにして日活の現代劇を書く。次にその脚本をもとに大映の時代劇にする……。時代劇にも、股旅物や人情物、捕り物帖などのがある。現代劇も青春ドラマやサラリーマン物やヤクザ物、無国籍アクション物がある。ジャンルを変え、同じジャンルの物は書かない。男の主人公を女にしたり、二人主人公の物は三人に増やしたりする。こうして次々と変えて行くと、7本目の映画は1本目の映画とは似ても似つかぬ映画になる』
「絶対に分からんが、ま、7本が限度だな。曽田よ、こうでもしなきゃ、三百本以上も書けるもんか」と、うそぶきニヤッと笑った。
しかし、師匠はこうも言った。
「俺は弟子が書いた物をそのまま使ったことは一度もない。弟子が書いた脚本は横へ置いておくだけで見もしないのだ。最後は全部俺が口述するんだ」
この人はやはり尊敬すべき人なのだ……でも、7回使いまわすのはやり過ぎでは……私は悩んだ。
と、言うのは、私が弟子入りした時、前にも書いたが、師匠はシナリオを書くのが嫌になっていて、TVの「荒野の素浪人」も「非情のライセンス」もいざストーリーを考える段になると、「おい、あの本を出せ」と、私に山積みの映画脚本の中から古い脚本を出させ、それをもとに考えるのがお決まりだったのだ。
「これでシナリオの勉強になるのかなあ」
複雑な気持ちの弟子であった。
その6つの大ステージがあった日活撮影所もずいぶん昔に広大なライオンズマンションに変わってしまった。