今日は母の日。月に一回は大好きな抹茶を飲ませてやりにグループホームに顔を出していたのだが、手術したりして行けなかったので、今日、母の日のプレゼントと女性週刊誌を届け、抹茶を飲ませてやる。


会いに行くたびに老いを感じさせられるが、職員は歳の割には元気ですよとなぐ覚めてくれる。確かに数えで99歳だが、午後のホールにいるのは長椅子で週刊誌を読む母と母よりは若い男性入居者2人の3人だけである。西部屋入居者の残りの5人はみな自分の部屋で休んでいる。
この施設から、母の日に寄せて何か思い出を書いてくれと頼まれたので、その時に書いた66、7年前、私が小学校5年か6年だった頃の、この年になっても忘れられない出来事を記す。
その頃我が家は山口県防府市という瀬戸内海に面した小さな都市の社宅住まいをしていた。5年生の時はまだTVはなかった。高度成長一歩手前のまだそんなに豊かではない時代だった。
ある日、母が夕食に握り寿司を作ってくれた。私は飛び上がるほどうれしかった。握り寿司はお寿司屋さんでなければ食べられない大人が食べるものと思っていたからだ。もちろん回転ずしなどない。
母は18歳で結婚した。厳しい古風な母から結婚前に徹底的に料理を教え込まれたと言っていたから、料理の腕は良かった。だから散らし寿司や巻きずしやお稲荷さんなどは作ってくれたが、握りずしは初めてだったのだ。
だが、その握りずしは今思うと可哀そうなくらいみすぼらしいものだった。なにしろネタは3種しかなかったのだ。魚はイカと何かの白身の魚だと思う。今のように赤身だのサーモンだのブリだの海老だのイクラ、ウニなどがふんだんにある時代ではなかった。
そして、3つめのネタが・・・・・・・何と、きゅうりだったのである。キュウリをイカや白身の魚にみたてて薄くスライスされたものがのっていたのだ。
私も二人の妹たちも、イカと魚ばかり食べていた。
見ると母はキュウリばかり食べていた。
小学校も高学年になれば、母が子供に美味しいものを食べさせようとしていることは分かるが、親にその行為を見せつけられるのが子供ながらにとても嫌だった。ためしにそっとキュウリの握りを口に入れたが二つ目を食べようとは思わなかった。
たまりかねて「お母ちゃんも食べたらいいのに」と言ったが、母は「こっちがいい」と言ったのか、なんと言ったか覚えていないが、その後もキュウリばかり食べ続けた。
私は母を憎らしく思ったことを覚えている。私は母がきゅうりを食べ続けることが心の負担になっていたのだ。せめて少しでもキュウリ以外のものを食べてくれたらどれだけ心が楽になったか。
その後、自宅で手巻き寿司を食べるようになるまでの長い間、我が家では握り寿司を作って食べることは一度もなかった。
今日も抹茶を立てた後、母は茶碗を私にさしだし、「あんた、飲みなさい」と言う。これはいつものことである。きょうも私に会うなり「知らない人だ」と言ったのに、抹茶を立てた時は必ず起きる押し問答である。これは母が自分が飲むために自分で立てているのだと、口を酸っぱくして言っても、「あんた、飲め」を何度も繰り返すのだ。


会いに行くたびに老いを感じさせられるが、職員は歳の割には元気ですよとなぐ覚めてくれる。確かに数えで99歳だが、午後のホールにいるのは長椅子で週刊誌を読む母と母よりは若い男性入居者2人の3人だけである。西部屋入居者の残りの5人はみな自分の部屋で休んでいる。
この施設から、母の日に寄せて何か思い出を書いてくれと頼まれたので、その時に書いた66、7年前、私が小学校5年か6年だった頃の、この年になっても忘れられない出来事を記す。
その頃我が家は山口県防府市という瀬戸内海に面した小さな都市の社宅住まいをしていた。5年生の時はまだTVはなかった。高度成長一歩手前のまだそんなに豊かではない時代だった。
ある日、母が夕食に握り寿司を作ってくれた。私は飛び上がるほどうれしかった。握り寿司はお寿司屋さんでなければ食べられない大人が食べるものと思っていたからだ。もちろん回転ずしなどない。
母は18歳で結婚した。厳しい古風な母から結婚前に徹底的に料理を教え込まれたと言っていたから、料理の腕は良かった。だから散らし寿司や巻きずしやお稲荷さんなどは作ってくれたが、握りずしは初めてだったのだ。
だが、その握りずしは今思うと可哀そうなくらいみすぼらしいものだった。なにしろネタは3種しかなかったのだ。魚はイカと何かの白身の魚だと思う。今のように赤身だのサーモンだのブリだの海老だのイクラ、ウニなどがふんだんにある時代ではなかった。
そして、3つめのネタが・・・・・・・何と、きゅうりだったのである。キュウリをイカや白身の魚にみたてて薄くスライスされたものがのっていたのだ。
私も二人の妹たちも、イカと魚ばかり食べていた。
見ると母はキュウリばかり食べていた。
小学校も高学年になれば、母が子供に美味しいものを食べさせようとしていることは分かるが、親にその行為を見せつけられるのが子供ながらにとても嫌だった。ためしにそっとキュウリの握りを口に入れたが二つ目を食べようとは思わなかった。
たまりかねて「お母ちゃんも食べたらいいのに」と言ったが、母は「こっちがいい」と言ったのか、なんと言ったか覚えていないが、その後もキュウリばかり食べ続けた。
私は母を憎らしく思ったことを覚えている。私は母がきゅうりを食べ続けることが心の負担になっていたのだ。せめて少しでもキュウリ以外のものを食べてくれたらどれだけ心が楽になったか。
その後、自宅で手巻き寿司を食べるようになるまでの長い間、我が家では握り寿司を作って食べることは一度もなかった。
今日も抹茶を立てた後、母は茶碗を私にさしだし、「あんた、飲みなさい」と言う。これはいつものことである。きょうも私に会うなり「知らない人だ」と言ったのに、抹茶を立てた時は必ず起きる押し問答である。これは母が自分が飲むために自分で立てているのだと、口を酸っぱくして言っても、「あんた、飲め」を何度も繰り返すのだ。





