曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

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イメージ 17月24日水曜日
梅雨明け前日のむしむしした日。特養の昼食前に散歩に出て、ノンアルコールビールを少し飲む。5月6月7月と3ヶ月間外泊していないので申し訳なくて、これまで週二回特養に行っていたのを、週三回水土日と行くことにした。
以前のように長い時間散歩出来なくなったので、昼食前に行ったら、マッサージしながら雑談し、子供たちのスマホの写真を見せてやったり、そして少しお日様に当たってから昼食。昼食介助して、歯磨きしてから帰る。
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7月27日土曜日
梅雨明けして3日目。お昼前に散歩に出る。暑かったが、「気持ちいい」と、思わず手を伸ばす。



7月31日水曜日。妻の暮らすユニットのお昼のお出かけは「すき家」。梅雨明け後の一番暑い日。
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お出かけした入所者は4人。儂を含めて介助は職員さん3人とで4人。儂はすき家は初めて。牛丼の店だと思っていたら、カレー、ウナギ、マグロ丼もある。外泊したらかならず刺身を食べていたので、マグロ丼を頼む。儂は介助に専念するので注文せず。
折角来たのに、ほとんど食べず。なだめすかして食べさせようとしたが食べる気なし。一時の食欲不振が治まり、喜んでいたのにがっかりであった。もしかしたらこの程度の外出でも疲れてしまったのか。それしか思い当たらない。
儂的にはすき家でマグロ丼が食べられることが分かって大いに助かる。マグロは脂質が低いのである。昼食のレパートリーが一つ増えた。

語録(19)
(英語で、良く分からなかったが)
「叩いて(倒して?)、死にたいから(すぐ死ぬから?)」
(みたいなことを言う。正月早々)
2007.1.4
(薬の時)
「ありがとうございます。こういうことをしてくれるのはお父さんしかいない。感謝しています」
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「この人、自分に気があるんじゃないかと思わせるの、私上手よ」
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「今日あの部屋へ行ったら懐かしかった」
(昔の俺の下宿へ行ったつもりになっているようだ)
「涙が出て来た。あんな所にいたらパチンコ行くしかない。あたしも府中にいたら競馬場へ行ってるよ」
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(TVを見てて)
「これパパちゃんじゃないよね。見たいよね。私、見たことないから」
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(川の流れのようにを聞きながら)
「学校の時なんか、これから先何があるかと思ったのにね。人生なんて何もない。この曲はみんなを助けたと思うよ。希望をなくした人にも希望を持たせた」
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(パット交換の時)
「痛い、パパちゃんにこらしめてもらうから」
2007.1.5
(黙って世話をしていると)
「いつもそうやって黙ってるの。奥さんは何も言わないの」
「奥さんはお前だよ」
「違う」
「じゃ、俺はだれ」
「○○○兄ちゃん(年下の従弟)」
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「もうじきうちに着くよ」(寝ていても車に乗ったつもりのことがある)
「ここはじぶんちだよ」
「違う、○○○姉ちゃんち(年上の従姉)」
2007.1.6
(TVで『ようこそ先輩』を見て。水路を作る話)
「おめでとう、君たち。涙が出る。あんな先生に会ってみたい」
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「私、結婚して曽田でございますと言うのが嬉しくてしかたなかった。だって○○(旧姓)と言う名が好きじゃなかったから」
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「お父さん、松本明子みたいなの好きでしょう。あんなのがバーにいたら通うよ。おもしろいから」
2007.1.7
(トイレで)
「ありがとう、こうやってもらえるのもお父さんだから」
(TVで森光子をみて)
「私、年とったら、あんなお婆さんになりそうな気がする。似てるでしょう。着物着て、体操する」
2007.1.12
「今日、明けで寝てたら、マリちゃんから電話があった」
「なんて?」
「子供をよろしくて」
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「今日、おかあちゃんとこいくの」
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「あした、いっぺん家へ帰ってくるでしょ」
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「私、オーバー着てゆこう」
「どこへ」
「おじちゃんちへ。正月だからちょっときれいなかっこして」
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「こんな生きてて辛いなら死んだ方がまし。体調が悪い。いつも眠いし、子供の世話もせなならんし、帰って来たら話しなきゃならんし」
2007.1.13
「お父さんが子育てしていると私も手伝おうと言う気になる。夫婦だってチームワークだからね。子供たちもそのチームワークの中に入れてやらなきゃ」
2007.1.14
「私、明日からカラメン当番になるよ」
「カラメン当番てなに?」
「からし明太、買って来る当番」
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「あんたの奥さんなんか……」
「俺の奥さんはお前だよ」
「ちがう、あっちの奥さん」
2007.1.15
(パット交換していて)
「恥ずかしいね、50過ぎてオムツなんて。54才よ。1才に見えるでしょ。小さく見えるでしょ」
※本当はこの時56才。
2007.1.16
「今日、医者行ったら足切ってもらうから。役に立たないから、ここから下、切ってもらう。歩けないから」
※麻痺している左足のこと。
2007.1.23
左足が紫色をしているので撫でてやると、血行がよくなる。でも、痛いと言う。
2007.1.25
「お父さん、優しいね。いつもそうだねと言ってくれる。ありがとう」
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(正蔵襲名のTVをみていて)
博比佐 久仁子 曽田苦仁子
「こうやってお父さんの前でおしっこするの、恥ずかしげがなくていやなの」
2007.1.29
「トイレットペーパー取れなかったらどうしようかと思った。この間、入院した時、何もできなくて、ただ寝てるだけだった」
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「お父さん死んだら、のびのびさせてもらおう」
2007.1.30
「お父さんにズボン下げさせるなんて悲しい」
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「パパちゃん、来そうな気がする。最後の夜だからお土産を持って来る」
「最後の夜ってなに?」
「お父さんだって、○○(息子)が帰る時はお土産をもたせるでしょう」
2007.1.31
(パット交換時蹴飛ばされる)
「なにすんだ。人のこと起こしやがって」
「ごめんごめん、オムツ替えないと」
「替えなくていい」


検査退院後、早速翌日から食改善にとりかかる。

妻が入院後約15年間夕食のメニューを記録しているが、翌日からは新たにこれに昼の目ニューを追加記録する。これまで昼は外食でランチメニューなど適当に食べていたけれど、脂質の多いもの、特に肉類や油を使ったものなど控えないといけないので、昼は定食食堂・神立食堂になる。


6.22  (昼)神立食堂・鯖塩焼き・冷奴
ギョウザ、もずく酢、生野菜、じゃが芋煮
6.23  (昼)神立食堂・鮭・冷奴
      豆腐ハンバーグ、生野菜、鮭酢飯
6.24  (昼)特養昼食介助、神立食堂・煮サバ・冷奴
      牛しゃぶおろし大根、温野菜
6.25  (昼)神立食堂・秋刀魚塩焼き・冷奴
鶏の棒棒鶏、茹で野菜、南瓜煮、低脂肪牛乳コーンスープ 
6.26  (昼)鶏ささみサラダ蕎麦 
      温玉ねぎ、酢豚、生野菜、南瓜煮
6.27  (昼)特養昼食介助、神立食堂・鯖煮・冷奴・おくら 
温玉ねぎ、鯖味醂干し、酢豚残り
6.28  (昼)冷凍焼き鮭、冷奴
      温玉ねぎ、おろし秋刀魚焼き、焼きナス、トマト 
6.29  (昼)仕出し  (49日法要・直会自宅)
      巻寿司・稲荷、仕出し残り 
むつ煮付(残り)、鯨焼肉缶詰、春雨酢の物、トマト 
7.1   (昼)神立食堂・鯖煮・冷奴・切干                                   
      温玉ねぎ、つみれ野菜スープ、鶏レバー煮(ラピタ)、生野菜

こうして、改善に取り組み始めた。丁度妹が助っ人に来てくれているのはいいのだが、いきなり牛豚は食わんだの、炒め物や揚げ物は食わんとか過激なことは言い難い。本当は鶏肉にしたいのだが、妹は鶏が大嫌いときているから余計に言い出し憎い。婉曲に脂質は控えないといけないので、魚が食いたい。朝はパンは食べない。これまでどおりコーンフレーク中心にすると宣言し、儂が食べられないおかずが出て来た時の為に、脂質の少ない鯨の缶詰、鮪のフレーク缶などを買っておく。コーヒーはやめ、洋菓子やチョコレート系の菓子などもやめる。徐々に希望を小出しにするものの、酸っぱいものもだめらしいのだが、酢の物も食えないとはさすがに言い出せず、酸っぱい顔してもぞもぞと食う。こうして改善を始めたものの中途半端に進行。ま、やらないよりは始めただけでもよしとしなければとのスタンス。
その中で、昼食だけは自分の理想とするメニューがとれる。
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👈お昼の強い味方。神立食堂。

魚と冷奴と総菜一品の教科書的(?)メニューを食べ続けるも、魚は鮭塩焼き、鯖塩焼き、鯖煮と秋刀魚塩焼きの4種類しかない。さすがにこれを繰り返していると、たちまち飽きて来てしまった。
その頃になると、いろいろな記事を読み、すい臓食に対する知識も増えて来る。「最近は脂質を完全に断つのではなく、多少は摂った方がいい」らしいと分かる。魚でも秋刀魚や鯖は結構脂質があることが分かる。勿論マグロのトロはめちゃめちゃある。鯵やイカは非常に少ない。一日の脂質摂取量は50~60gに抑えろと書いてあるので、6割以内に納まるなら、魚以外でも食べてもいいことにした。そうでもしないと魚だけでは到底やってゆけない。肉は少なくてもと、久しぶりに食った肉じゃがの美味い事。生き返ったかと思った。少しづつ知識が増え、杓子定規から脱したところで、毎日のメ二ューも朝昼夕と記録する。

7.2   (朝)オートミール、低脂牛乳、メロン
(昼)神立食堂・肉じゃが・冷奴・オクラ
レンコ鯛煮付、とろろメカブ、ほうれん草胡麻和え、あご野焼き      
7.3   (朝)コーンフレーク、低脂牛乳、無脂ヨーグルト、果物 
蒸しササミなす、キャベツピーマン胡麻和え、酢の物 
7.4   (朝)オートミール、低脂牛乳、無脂ヨーグルト、果物
(昼)神立食堂、鮭塩焼き・高野豆腐・南瓜煮
      はんぺん卵焼き、とろろ芽株、鮪フレーク缶、豆乳南瓜スープ
7.5   (朝)コーンフレーク、低脂牛乳、無脂ヨーグルト、果物
      (昼)神立食堂(鯖塩焼き・冷奴・切干)
      肉じゃが、サワラ塩焼き、茄子煮
7.6   (朝)オートミール、豆乳、無脂ヨーグルト、果物
(昼)ササミそーめん
      肉じゃが 
7.7   (朝)コーンフレーク、豆乳、無脂ヨーグルト、果物 
      (昼)特養昼飯介助、神立食堂(鯖煮・冷奴・おくら)
      鮭ホイル焼き、おくら納豆雌株、トマト
7.8      (朝)オートミール、豆乳、無脂ヨーグルト、果物
(昼)神立食堂(鮭、冷奴、南瓜煮)
      ロールキャベツ、焼きなす、トマト
7.9   (朝)コーンフレーク、低脂牛乳、無脂ヨーグルト、果物
(昼)神立食堂(鯖塩焼き、冷奴、切干)
      焼き鯵南蛮、生野菜、めかぶ納豆 
7.10  (朝)オートミール、低脂牛乳、無脂ヨーグルト、果物
(昼)特養昼食介助、とろろメカブ納豆そば
      海鮮丼、つゆだく煎り豆腐
7.11  (朝)コーンフレーク、低脂牛乳、無脂ヨーグルト、果物
       【助っ人戻る】
(昼)神立食堂(肉じゃが・冷奴・切干)
      冷凍鰯フライ半身、はんぺん卵焼き、つゆだく煎り豆腐
7.12  (朝)オートミール、低脂牛乳、無脂ヨーグルト、果物
(昼)焼き鯖、冷奴、南瓜煮
ギョウザ(皮なし)、大豆野菜煮、はんぺん卵焼き)
7.13  (朝)コーンフレーク、低脂牛乳、無脂ヨーグルト、果物 
(昼)特養昼食介助、神立食堂(うどん・南瓜煮・高野豆腐)
鯵開き、冷奴、トマト、大豆野菜煮 
7.14  (朝)オートミール、低脂牛乳、無脂ヨーグルト、果物
(昼)特養昼食介助、神立食堂(鮭、冷奴、南瓜煮)
      おろしシラス丼、たっぷり野菜白身魚フライ(総菜)
      茄子ピーマン煮(母)
7.15  (朝)コーンフレーク、低脂牛乳、無脂ヨーグルト、果物 
とろろメカブ納豆そば、おにぎり
7.16  (朝)オートミール、低脂牛乳、無脂ヨーグルト、果物
(昼)サラダチキン冷やし中華 
      冷凍ロールキャベツ、温野菜、茄子ピーマン煮

網掛け・囲みは自分でも作れるお気にのメニュー。(母)とあるのは、ぼけ予防の為に母につくらせたものである。こうして、少し軌道に乗ったかなと思っていたら、カフェイン対策に抜かりがあったことに気が付く。コーヒーと紅茶をカフェインレスに切り替えて事足れりと思っていたのだが、何と日本茶のカフェインのことなど考えてもいなかったのである。カフェインは胃を刺激し、膵液の分泌を促すので控えた方がいいのだ。脂質を控えるのも、脂質が膵液分泌を刺激するからである。コーヒーや紅茶を控えた分日本茶の類をがぶがぶ飲んでいたので、慌ててカフェインレスの麦茶を買って来る。
どこか抜けた食改善である事よ。少しづつ知見を高め、無理しない範囲で、やって行こう。制約はあるけれど、制約があるからこそ、作ったメニューが美味いと嬉しいのなんのって。ここには載っていないが、昨日作ったのは皮なしの鶏胸肉と茄子(自家)をトマト缶で煮込んだもの。いやあ、美味いのなんのって、感動した。91歳のお袋もパクパク食ってたもんなあ。やればできるもんだと自信がついた。

7月6日は『燈籠さん祭』。その前の5日が荒神様のしめ縄奉納。
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イメージ 3何と18年ぶりに新調する。
10日が夏季例祭。
出雲大社の大しめ縄を作ったところで作ってもらい、奥出雲から運んで来た。
自治委員(正)と町内委員(儂・副)の二人でぼやく。「どうして儂らが役員の時に、18年ぶりのしめ縄奉納があり、5年ごとに回って来る秋祭の当番年に当たり、自治会館(組の集会所)のリニューアル工事もあるんだろう」そうでなくとも、儂は葬儀後の諸手続きがまだ沢山残っており、お墓も作り、秋には祖父の33回忌もあるのだ。
そして、今日6日が組の『燈籠さん祭』。
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まず燈籠を水洗いし、『一畑薬師』の文字が薄くなっているので、マジックで墨入れする。単管パイプを組み立てて台を作る。去年作った時の写真を見ながら、パイプの位置を決める。
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どうにか骨組みが出来たところで、隣保に灯明を吊るして回る。我が隣保は3個。
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夕方6時半から読経が始まる。天気は良かったが、風が強く、蝋燭に火がつかない。
燈明も蝋燭を使うと危ないので、急遽発電機を持って来て電灯を入れる。組の住人数十人が集まる。皆、賽銭をあげて手を合わせる。今年は特に子供の数が少なかった。
終了後は和尚さんと役員と若い者会(500円でビール券を販売)とで簡単なつまみとビールで慰労会をするも、わしら役員は夜の8時頃から片づけをする。灯明は毎年使い回ししているので、雨に濡れたら使い物にならなくなり、来年、作り直さないといけない。儂は来年自治委員だから、燈明を傷つけないように慎重に片づける。
明日は朝8時からパイプや台などの片づけ。
賽銭は7000円を越えなかったそうだ。ここ数年7000円を越えていたので、このお祭りの先行きを思いやられる。昔は映写会したり、カラオケしたり、焼きそば作ったりしたと言う話が嘘のように思われる。
役員としては雨が降らなくて良かったの一語に尽きる。雨が降った時の苦労を聞かされていたので雨だけは避けたかったのだ。山陰地方は梅雨入りした日は大雨が降ったが、その後、当初は傘マークが出ていたものの、今週は殆ど雨が降らず。他地域ばかり雨が降って、当地は降らない構図は去年と同じだが、今年は去年ほど暑くない。今日は風のせいで肌寒いくらい。今年はどんな夏になるのか。

16日。儂と助っ人に来た妹と父と母、全員インフルエンザと判定される。

経過はと言うと、儂の鼻水が出始めたのが12日の土曜日。「古文書」の会が終わった4時過ぎでは病院はどこもやっていない。仕方ないので、鼻水に効くという「ストナ」を購入。
翌13日の日曜日は一晩で鼻水はとまったが、熱が出て、つらい。夕方、妹が出雲駅に着くも迎えに行けず、タクシーで来てもらう。食事作りは妹が救ってくれるも、熱は一進一退。
14日も37度台をうろうろしてなかなか平熱に戻らない。生憎連休で医者は休み。「ストナ」を飲み続ける。
15日の朝、医者に行こうと思っていたら、36度台に戻る。普通、これくらいで風邪は治るので、やっと治ったと思いこむ。3日間寝る生活に飽きていたこともあり、「ストナ」もやるなあと意気揚々と外出。ところが、
16日の明け方、38度の熱がぶり返す。治ったと思っていたので、「何じゃ、ストナは」と悪態つくも、さすがに病院へ行かざるを得ない。「昨日行っておけば…」と悔やんでいると、妹も頭が痛いと言う。そこで二人一緒に病院へ行く。混んでいて待たされる。鼻水を検査され、「A型だよ」「えっ、僕インフルエンザの予防注射をしましたよ」「予防注射してもインフルエンザにはなるけん」あっさり言われて、「タミフル」5日分と葛根湯を14日分出してもらう。
妹に「お兄ちゃんにインフルエンザをうつされた」とぶつぶつ言われ、肩身の狭い思いをして帰宅したら、父が37度5分熱があると言う。丁度その日は父母の訪問医の診察日。先生検査して「A型ですね」。母だけ一人平熱だが、先生は「インフルエンザに罹っていると考えて薬を出しておきましょう」
3人完全インフルエンザ、1人隠れインフルエンザとなった次第。
土日月の三連休が今になって恨めしい。もっと早く病院へ行っていれば。全く無駄な三日間だった。「ストナ」を武器にインフルエンザ相手に勝てるはずのない戦いをしていたのだから。
妹が傷口に塩を塗るように「お兄ちゃんが家族全員をインフルエンザにした」と恨むも、じっと耐えるしかない儂であった。
ところが、よくよく話を聞いてみると、父は何日も前から鼻水が出てたと言う。咳もしていたと言う。

親父がデイサービスで貰って来たのではないかと、親父犯人説を唱えるも妹は今更どっちでもいいそうな。妹は予防注射を受けていない。儂ら3人は受けている。受けていない妹は儂らよりちょっと重そう。気の毒だがこればかりは今更どうしようもない。
妹と分担して、家事は妹、買い物は儂。親父の世話も儂が中心にやる。
ところが、16、17日と父の体力が失せる。熱はさほどでもないのだが、インフルのせいか身体に力が入らず、昨日まで歩行器に捉まって歩けたのに、16日からはベッドから立ち上がることが出来ない。すぐ目の前のポータブルトイレまでも歩行器で行けない。ポータブルにうまく座れず、腰砕けでしりもちをつく始末。ベッドにたどり着いてもベッドに寝ることが出来ない。トイレの往復にはいつもそばについて支えていないといけなくなる。しかも頻尿で、ベッドに戻った途端、Uターンしてトイレに行く。ほんと勘弁してほしい。
16日の夜は、何度も起きて、部屋を見に行く。深夜2時、トイレの前で尻もちをついている。起こして寝かせる。
17日の朝7時過ぎに妹が見に行ったら、ベッドに横たわっているが、下半身はベッドから落ちたままの姿でいたと言う。
妹と協議して、17日の夜からはオムツにする。オムツだと自分で脱いだりつけたりできないから、もうトイレには行くなと引導を渡す。そうしないと夜中まで父のトイレの手伝いにはとても付き合えない。一日中オムツだと寝たきりになるので、日中は紙パンツで夜だけオムツとする。
17日の夜は2時過ぎにパット交換をする。
オムツのお陰で、ベッドやトイレが汚れたりすることはなくなったが、18日には父の具合が夕方から急速に悪くなる。儂は「タミフル」5日分だが、父の訪問医は「ゾフルーザ」と言う新薬を出してくれる。一回飲めばいいだけの優れものだと思ったのだが、3日目になって副作用的なものが出て来たのか完全に食欲をなくしてしまう。何やらうわ言も続く。それでもほかの薬を飲ませるためには、何かを食べさせないといけない。妹とあれこれ試み、やっとリンゴのすりおろしを食べさせる。
この日も下着上下を汚してしまう。夜の8時だったけど、もうたまらんとオムツにする。
オムツをしながら考える。長い間、妻のオムツをして来たが、とうとう父のオムツをする日が来るとは。今は妹がいるからいいが、妹が帰り、もう一人の妹が来るまでは一人でやらないといけない。考えただけで目が回りそう。
儂にとって最大の問題は、これでは妻の外泊が出来なくなることである。外泊だけはさせてやりたいのに。それが儂の夫としての最低限の務めだと思っていたのに…
他にやりたいことも一杯ある。全部諦めるしかないのか。父も来月97歳。先は長くないのだから、すべてを投げ打って、介護に専念するべきか。
息子にオムツの世話をされて「すまん」と言うが、本当はどう考えているのか。インフルエンザが治った時点で話し合わないといけないだろう。

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(左の写真)11月10日。イチゴに花が咲いた。こんな時期に咲いた花は摘まなければんあらないのですぐに摘む。この後、2、3個咲いたが、見つけ次第摘む。11月26日にイチゴ専用肥料をやる。後は来年2月に肥料をやるまでじっと寒さに耐えろと励ます。
(右の写真)11月11日。レタス初収穫。9月25日に植えた苗がもう食べられる。ちょっと小さいが、今年は珍しく良くできた。10月2日に追加で植えて計16本。うち4本、人にあげて、今現在畑に残っているのは5本。早く食べないと傷んでしまう。にわかベジタリアンになり、青虫のように食っている。
イメージ 311月12日。
晩生玉ねぎ・もみじ3号を100本植える。
昔はもう少し早く植えていたが、余り早く植えすぎるととう立ちするので、この辺りでも、奥出雲並みに遅い方がいいと言われ延ばしていたのだが、注文していた苗が入荷してしまった。この頃はまだ暖かく、もう少し寒くなってからと思っていたのだが、仕方ないので植える。
向こうに青々と伸びているのは分葱(わけぎ)。
分葱は今は食べきれないくらい育っている。大量に刻んでタッパに容れて冷蔵庫に保存。味噌汁などに放り込んでいる。




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(左の写真)11月16日。つるなしスナップ2号の種。孫が来たので、孫と一緒に植える。一ヵ所に9粒も蒔く。育て方を読むと、どれも3~4粒蒔くと書いてあるが、儂が読んだ記事には沢山植え、密集状態で冬を越してから間引けとあった。密集状態なら防寒になるし、枯れた苗もそのまま置いておけばやはり防寒になるのだそうだ。考えてみれば、種を買っても、毎年大量に余らせているので、景気よく蒔く。11月末にぽつぽつと芽が出だした。
(右の写真)11月25日。つるなし赤花えんどうの種をキャベツの右側に蒔く。同じように9粒ずつ。キャベツの左側にはスナップえんどうの種が蒔いてある。
その奥に見えるのがサニーレタスで、これも11月末には食べられるようになった。
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11月25日。
左端の葉がやや薄く見えるのが、サラダほうれん草。右の二列が日本ほうれん草。
やや小さいけれど、サラダほうれん草を間引いて食べる。生まれて初めてサラダほうれん草なる物を食べたが、くせがなくてとても美味い。評判よし。これまでに2回食べる。来年はもっと作る予定。普通のほうれん草も順調に育っている。ほうれん草がこんなに上手に出来たのは、帰郷して7年初めてのこと。思い切って石灰を沢山やったのが良かったのかもしれない。
イメージ 711月25日。              イメージ 8
今年も干し芋を作る。蒸し器で蒸し、スライスして干す。
数日してから食ったが、ヒジョーに不味かった。
去年はあんなに美味かったのに一体どうした事か。
考えられるのは、保存状態が悪くて芋が傷んでいたからかもしれないが、去年だって、この頃はかなり傷んでいた。
今年の猛暑で芋自体の出来が良くなかったのかもしれない。
芋は水をやると葉っぱばかり大きくなるので、水はやらないと教わっていたが、今年くらい暑いと多少は水をやらないといけなかったようだ。難しいものだ。

最後に今儂がはまっている味噌汁を紹介する。
その名も「長生き味噌汁」。NHK(だったと思う)でやっていたので、ご存知の向きもあるかもしれないが、これがいい味を出していて、確かに長生きしそうに美味い。
赤だし80g
白みそ80g
玉ねぎ(150g)すりおろし。中玉一個。
リンゴ酢大さじ1.
これを混ぜたものを味噌汁にするだけ。何グラムで何CCとか忘れた。適当に味を見ながら作ればよい。十年一日の如き味噌汁の味に飽きた者には実に新鮮。栄養や成分的にも効能があるように言っていたが、全部忘れた。飲んでいれば長生きするそうですからお試しあれ。儂は今日で4回目。この分量なら三人家族でたっぷりの味噌汁2回分はある。残った味噌は冷凍庫に入れておけば2週間は持つそうです。




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