3月18日。荒神谷博物館の『風土記談義』の一年が終了し、皆勤賞と精勤賞の表彰がある。精勤賞は一回休んだ人が貰う。
私は昨秋、特養の行事で一回休みがあり、皆勤賞はならず。無念であった。
去年は皆勤賞も精勤賞も10人いなかったのに、今年は皆勤賞が22人、精勤賞も17人と大量に表彰される。どうしてこんなに出席率が上がったのだろうかと考えてみたら、前年までの風土記談義は、現存する五風土記の内、播磨国風土記など他国の風土記の講義であった。それが去年の春から満を持して
『出雲国風土記』が始まった。皆、この講義を待っていたのだと思い当たる。誰しもおらが国の歴史には興味がある。
日曜の講義も、出雲東部の川沿いにある神社とその元宮の位置について考察する。マニアックな講義に思えるが、古代人は川を神の通り道と信仰していたという観点に立つと、古代出雲の中心を流れる川の支流域に多くの神社がある理由も分かろうと言うもの。驚いたのはこの神社の場所を一つ一つ特定し、さらにどこから移って来たのか(元宮の特定は重要)を、20年間も岡山から通って調査している原子物理学者がいると言うお話。この人の資料をもとに講義があったのだが、世の中すごい人がいるものだ。
出雲国風土記に登場する、山や川や神社の知識は確実に増えていることを実感する。
講義は月一回だが、関連する本は読むし、他の講演会に出たり、企画展を見たりするから、一年間で勉強した量はかなりなものだ。塵も積もれば山となるである。
左が皆勤賞と精勤賞の副賞。
「懐橘談(かいきつだん)」の復刻解読写本と荒神谷博物館の水田で獲れた赤米。皆勤賞はこれに黒米がつく。
「懐橘談」は松江藩藩儒黒沢石斎が前編を承応2年(1653年)、後編を寛文元年
(1661年)にまとめた出雲国の地誌で、古代出雲国風土記以降初めての出雲国の地誌と言われている。ぱらぱらとめくっただけだが、江戸時代も初期の作であるから、出雲大社の祭神もまだしっかりと素戔嗚尊(すさのおのみこと)になっている。神仏習合時代の仏教支配を受けていた時代の出雲大社のことも書いてある。土地土地の産物などが紹介されているので、風土記と比較したら面白いかもしれない。
この日は、10回目の研修旅行の案内も配られる。
6月5日~7日。「大和路の出雲を訪ねる旅」
個室希望だと50,690円。安くはないが、去年初めて四国旅行をして楽しかったのですぐに申し込む。これだけが年一回の自分への御褒美と思っている。
古代大和にいかに出雲の神々が関わっていたかを訪ねる旅である。
神賀詞(かんよごと・出雲国国造が代替わりする時、天皇に奏上する寿詞)に登場する神社を主に訪ねる。
……
710年平城京遷都
712年古事記完成
713年風土記撰進の詔
716年出雲国26 代国造出雲臣果安(いずものおみはたやす)神賀詞奏上
720年日本書紀完成
724年27代国造出雲臣広嶋神賀詞奏上
726年出雲臣広嶋神賀詞奏上(帰国して1年間潔斎して、再度大和に上る)
733年出雲国風土記完成・編纂したのは広嶋
750年28代国造出雲臣弟山神賀詞奏上
751年出雲臣弟山神賀詞奏上(帰国して1年間潔斎して、再度大和に上る)
……
716年が最初の神賀詞奏上と言われている。
この寿詞の中で、大穴持命(おほなもちのみこと=オオクニヌシ)が自分の分身と3人の子供で、皇孫をお守りすると誓っている。その分身と3人の子供を祀った神社、および関連する神社を巡るのが今回のツアーである。
調べたら車が入ることが分かったので行く神社もあると言う。去年に続きまたマニアックな神社巡りの旅になりそうで、今から楽しみにしている。
それまで忙しいことが多々あるが、このツアーを楽しみにひたすら頑張ろうと思う。