曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

タグ:日々の出来事

5日、お寺さんで山門施餓鬼会が行われる。帰郷した夏に一回出たきりなので七年ぶりの参加。これまでは妻が在宅で出られなかったが、もう特養のお世話になっているから出ない訳にはいかない。特に今年は父が亡くなり、新物故者特別塔婆供養もある。
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日に日に暑くなり、今日は朝から「ここはアフリカか」と言うぐらいの炎暑。10時半過ぎには着くもほとんど人の姿は見えず。本堂も戸が閉められていたので、分からなかったが、入ってみたらすでに八分の入り。冷房をかけていたから閉め切っていたのだ。
11時から施餓鬼会が行われる。他所の寺の僧侶が10人も参加。ここで初めて本堂の戸も開け放たれる。施餓鬼会は本堂の中から外に向かって行われる。七年前のことをすっかり忘れていて、何で坊さんは本尊に背を向けて読経をするのだろうと思っていたが、そもそも施餓鬼法要とは、餓鬼道に堕ちて苦しんでいる者、すなわち、食べ物や飲み物がない世界で苦しんでいる者に施し(洗米と浄水)を行うものであるから、外に向かって行うと言う解説を聞き、そうだったのかとこの年になって「ガッテン」する。
前の人の見よう見まねで、洗米して、浄水して、お祈りする。
その後、30分ほど平田の鹿苑寺さんの御説教がある。鹿苑寺は普通は「ろくおんじ」と読むが、このお寺はなぜか「ろっこうじ」と読むのだそうだ。
12時過ぎから、昼食。うどん供養。
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このうどんが美味かったという記憶はある。折も出たが、ほとんどの人は折は持ち帰り、みな、うどんをすする。テーブルにおおきな盥に冷やしたうどんがたっぷりと出される。この出汁が美味い。何でもお寺さんの秘伝の出汁らしい。わしらが濃縮のつゆを薄めて使うのとは大違い。うどんは脂質を気にしなくてもいいので何杯もお代わりをする。
イメージ 5供えてあるひらひらしたものは、洗米して浄水した後に、一本ずつ貰って来るもの。家に戻ってからお供えする。この他に塔婆も貰って来て立てて置く。
後はお盆の棚経を待つだけ。わが家の予定は8月13日11時半に決まっている。初盆は特別に日を設けてするのはやめる。最近は身内だけでやる家が多いらしい。特に我が家の場合、5月に葬式、6月に49日、8月に初盆と続くと、親戚が皆高齢なので集まってもらうのが申し訳ないので、棚経を初盆にした次第。その分お経は念入りにあげてくれるそうだ。
昼間は地獄の暑さだったが、夜になると強い風が入る。遠くの台風8号の影響かもしれない。少し生き返る。

7月8日
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ようやく実り始めたミニトマトがカラスに襲撃されたので、両側に糸を張る。面倒くさい。これまでこんなことをしたことはなかったのだが。
7月17日               7月19日
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カボチャが大きくなったが、まだツルが青い。遅く植えたから、成長が遅い。熟れて来たら、ツルが乾燥し、白い筋が何本も出来る。4、5日したら食べられそう。
右の写真はアブラゼミの抜け殻。梅雨が明けてから出て来ればいいのにと思うのだが「はやまったか」と悔やんでいるように見える。
7月25日が遅い梅雨明け。
梅雨入りが歴史的に遅かったので短い梅雨であった。二度ほど激しく降った以外はほとんど雨が降らず。東京は連日雨が降って、梅雨寒の日々が続いたようだが、こちらはさほどじめじめもせず、しのぎやすい梅雨であった。去年は7月9日が梅雨明けで、ひどく暑かった記憶がある。この歳になると暑いのはたまらん。
7月26日
イメージ 5初かぼちゃ。
今年は栗かぼちゃの坊ちゃんを買い損ねたので、売れ残りの苗を植えたのだが、実はねっとりとして柔らかい。さつま芋は安納芋のようなねっとり系が人気があるが、かぼちゃは栗カボチャのようなほくほくした方が好みである。このカボチャは今年だけ。来年は栗カボチャの坊ちゃんをもっと早く植えよう。
7月29日
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左の写真は、おのればえの大葉。毎年、種が飛んでどこに出来るのか分からないのだが、今年は実に出来がいい。去年はあちこちに沢山出来た割には葉っぱの出来がわるかった。年によって、どうしてこんなに出来不出来があるのかその原因がさっぱり分からない。
マリーゴールドもおのればえである。
茄子も今年はいたく出来が良かったのだが、手抜きして4、5日水やりを怠ったせいか葉っぱが枯れてしまった。ナスは水を欠かしていけないのだ。手間を惜しむとこうなる。
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左の写真はきんかん。小さな白い花が満開。今年は美味しいきんかんが出来そうな気がする。秋になったら忘れず肥料をやろう。
右の写真はかぼちゃ。もう枯れ始めた。まだ2個しか収穫していない。まだ数個が転がっているので日焼けしないうちに収穫しないと。
梅雨が明けてから、毎日、暑いこと。雑草退治が大変。儂と近所の奥さん二人の三人が、夕方、大汗をかいて、雑草を抜き、燃やしている。暑い上に辺り一面煙だらけ。目がしょぼしょぼする。6時前に上がり、シャワーを浴びて、夕食の支度。今夜は鯵の塩焼きだ。調理済みを買って来たので楽なものだ。副菜は南瓜煮となす煮。自家の野菜だ。

ところで、Yahooの無料ブログが今年中に中止になります。引っ越し先が用意されていますので、8月の中旬に引っ越しします。多分ライブドアの無料ブログに移るつもりでいます。引っ越ししてもこれまでと変わることはありませんが、ただ一つ、コメント欄だけは受け継がれないそうです。これまで貴重な情報や励ましの言葉をいただきましたのに残念ですが仕方ありません。ご了解ください。

5月末の畑の様子。今年の4月、5月は畑どころではなかったので、植え付けは遅くなった。じゃが芋は早く植えていたが、手入れが悪かったのか、散々の出来である。
イメージ 1イメージ 2左がわが家のじゃが芋。
右が近所のじゃが芋。
同じ頃に植え付けしたとは思えないくらいの出来。近所のじゃが芋は青々と茂り、花さえ咲こうとしているのに、我が家のじゃが芋は全然成長しなくて、左列の一番手前は枯れかけている。
4月の末から5月の20日頃迄は畑に出るどころではなかったので、この間、日照りが続いたが、水の一滴もやっていなかった。
だが、水不足のせいだけでもなさそうなことに気が付く。
じゃが芋⇒九条ネギ⇒じゃが芋⇒九条ネギと、間作にネギを植えれば、連作障害なしにじゃが芋を毎年同じ場所に作れるという記事を見て、去年のじゃが芋が終わった後にネギを植えたのだが、この方法はどうやら普通のじゃが芋栽培に当てはまるもので、わしのようにマルチを使った新農法には当てはまらないのではないかと思うに至ったのである。マルチの栽培では肥料もやらず、石灰もまかない。世間一般の普通に肥料をやり、土寄せをする栽培法とは甚だしく異なる。慌てて水をやっているが、いまこの調子では絶望的である。恐らく一個も出来ないのではないだろうか。
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手前がなす(筑陽)4本とその向こうがミニトマト10本。
畝だけは4月初めに作ったのだが、やる気が出なくて抛りっぱなしにしていたら、近所の人が「茄子とトマトぐらい植えたら」と言うので、10連休の終わり頃、妹たちが見舞いに帰っていて、儂も手が空いた時があったので、適当に苗を買って来て植える。気持が入ってないので、茄子もトマトも実生苗。安い。本当は接木苗の方がいい実が出来るのだが、高いし、実は接木苗は手間がかかる。接木苗は台木の上に接ぎ木をするのだが、台木は成長力が大きいので、台木からどんどん芽が出る。それゆえ、台木から出た芽をつまないと、たとえば胡瓜を植えたつもりなのに、台木に使ったカボチャの苗からツルが伸びて、キュウリの支柱に南瓜が出来たなんてことがあるらしい。そんな経験はないし、見たこともないが、確かに理屈ではそうなる。だから、少しでも手間のかかることはやりたくないので実生苗にしたのである。ミニトマトもこれまでずっと20本植えていたが、今年は10本だけ。去年のように新農法にもチャレンジはしない。
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5月23日
カボチャ(近成芳香)を3本植える。
これまた近所の人がかぼちゃぐらい植えたらと言うので。ただ、この時期にはどこも苗が売り切れで、毎年作っていた坊ちゃんカボチャはないので、初めてのカボチャを作る。1㎏ぐらいの大きさのものができるらしい。
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安納芋20本を植える。
かぼちゃで終わりにしようと思っていたら、専業農家の人がイチゴと茄子・トマトの間の空いた畝を見て、ここにさつま芋を植えろと言う。手前は小松菜と蕪を植えたところで、向こうのマルチはブロッコリーとカリフラワーを植えたところ。
「さつま芋は何もせんでもいいし、残った肥料で十分育つから、そのままのところに苗を植えてしまえばいいから」
それなら植えてみるかと、店に行ったら、安納芋が残っていたので買って来て植える。
さつま芋の苗はいつも斜めに植えていたが、今回は垂直に植える。


イメージ 65月初めのイチゴ。
一回でこれくらい採れる。病床の父に食べさせてやりたいなと思いながら採る。
「わが家で採れるものを食べられるのは最高の贅沢だ」と、言っていたことを思い出す。
1年前の古い株からも、新しい株の半分くらいはできることがわかった。ただし、少し小さいが、ジャムにしてしまえばわからない。
畑に出ていると、皆が気を遣って話しかけてくれる。有難いことだ。

ついにと言うか、やっとと言うか、スマホに買い替えた。一生ガラケーのつもりでいたが、実はスマホへの憧れもあった。儂はポケットwifiはe-mobileを使っていたのだがe-mobileの所有者に、1月10日までにymobileのスマホを買ったら1000円割引の案内が来たので、それにつられて、というかきっかけで、5日にショップへ行った。
実際に購入して分かったことなのだが、1000円の割引なんてゴミみたいなものであった。急いて買い替えに行くほどのことでもなかったのだが、儂にしてみれば何か背中を押してくれるきっかけが欲しかったのである。
ショップへ行くと、店員、儂の顔を見るや、
「簡単スマホですね、60歳以上の」
確かにそうだけど、のっけから決めつけられて余り愉快ではなかった。
その後の展開も。
店員はピンクのスマホを持って来て、
「簡単スマホはピンクとブルーの二種類しかなくて、今はブルーが切れていて、まだいつ入荷するか分からないんですけど、これでもいいですか」
これにしなさいと言わんばかりの口調。
おいおい、儂だってピンクはなあ~、ブルーがいいんだけれどと言うも、ないものはしょうがない。いつ入るか分からないのを待って、また出直すのはもっと億劫だ。
今日買い換えようと決めて来たのだから、もう買ってしまおう。
ピンクと言っても、キラキラのピンクではない。婆さんが持つのに似合ったくすんだ色のピンクである。
ケースに入れてしまえば何色かわかりゃしない。
このへんのこだわりのなさと言うか、いい加減と言うか、適当なところが、儂のいいところでもあり、致命的な欠点でもある。色で電話をする訳じゃなし、つながればいいやと太っ腹なところを見せて即購入。ドコモのガラケーからの乗り換えである。
店員もにっこり、愛想のいいこと。
今回のスマホ買い替えの一番の目的は、スマホをポケットwifiのe-mobileの代わりにすることであった。そうすればe-mobileを解約できる。
早速、スマホといつも持ち歩いているパソコンのつなぎ方を教わって帰宅する。
自宅のネット環境はフレッツ光の無線ランである。市内の外れなので、e-mobileはつながらないのだ。
翌日6日、今日からe-mobileの代わりにスマホを使うぞと出かけるも、喫茶店でいくらパソコンをいじってもインターネットができない。たしかスマホでつなぐと705kcという表示が出るはずなのに、いくらいじくっても705kcが出て来ない。
ショップへ行くと、店員、あきれ顔。
「いくらパソコンをいじっても駄目ですよ。スマホを操作しないと」
「えっ、そうなの」
「要するにスマホがルーターの役目をするわけですから」
そこでハタと気が付く。e-mobileもスイッチを入れなければパソコンにはつながらなかったことを。
儂はスマホの場合は昨日店員がつないでくれた時点で、なぜかそれからはスマホのスイッチを入れたら、パソコンとも自動的につながると思い込んでいたのだ。
でも、恥ずかしいからそんなことは告白できない。
また店員にスマホをいじって貰って店を出る。
そして、翌7日、喫茶店でパソを開く。昨日教わった通りにスマホを操作するのだが、いくらいじってもパソコンに705kcが出てくれない。
ため息つきながら、ショップへ。
店員、苦笑いして、またスマホをいじってくれる。
「わかった、わかった、もうわかった。すまんね、もうわかった」
逃げるように店を出た。
そして、8日。悪夢は繰り返した。儂はちっともわかっていなかったのだ。
ショップへ行く。店員、儂の顔を見るなり、
「4回目ですよ」
「そうなんだ。あんな簡単なこと、わかったわかったと思って、いい加減にしか見てなかったんだよ。わざわざ覚えるほどのこともなく、ちょいちょいとできるものと思い込んでいてねえ」
「しっかりメモしてくださいね」
店員の目の前で、設定⇒その他⇒wifiなんちゃらインターネット⇒テザリングなんちゃら、と、しっかりメモをした。
おかげさまで、9日からはいっぱしの顔をしてパソを叩いている。パソの横には60歳以上御用達簡単スマホ。黒いケースの中身はピンク。
この黒いケースには不満があるので追記する。
大型店で探したのだが、簡単スマホは大きさが違うので、普通のスマホのケースは使えないことが分かる。連れて行かれたところが売り場の片隅。申し訳ないくらい狭いコーナーにほんの数えるほどのケースしかない。模様のあるケースなんてない。黒しか選べなかったのだ。ケースぐらいかっこいいのを買おうと思っていたのに。これが高齢者への世間の仕打ちなのだと実感。
「2年後をみちょれ。簡単スマホでスキルアップして、最新鋭機を買っちゃるけん」

今はスマホの万歩計にはまっている。
夜の散歩が約3500歩である。これを入れて、一日7000歩に行くか行かないかが儂の歩行数である。少ない日は散歩を入れても約6000歩である。歩いていないことを実感する。散歩を始めるまでは如何に歩いていなかったか、ぞっとした。
次の段階は、写真を撮って、ブログにアップすることだ。面倒くさくなければいいのだが……。

今日、妻の外泊が終わり、特養に送る。娘夫婦は2日にサンライズ出雲で帰京したので、やっと日常に戻る。出雲特有の天候の急変はあったが、おおむねいい天気であった。

8年ぶりの初詣。
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昔でいうところの村の荒神様。1日に娘夫婦が温泉に行っている間に、娘たちが連れて来たワンコを連れて近くを散歩する。立ち寄ったついでにお参りして、帰郷してから初めて初詣をしたことに気が付く。これまで出雲大社に初詣に行けなかった。今年も出かけようと言う気持ちすら起きなかった。荒神様も悪くない。お手軽でいい。そういえば、この秋の祭りの担当は我が地区である。儂は今年は町内委員が回って来た。お祭りでは何か役があるのだろうか。そんなことも知らない。

散歩初め。
去年の9月23日から夕食後30分強の散歩を始めた。脂肪肝を指摘され、運動した方がいいと言われたからである。去年は風邪を引いて5日休んだ他は、用があって3日休んだだけであった。台風の日も歩いた。年末年始はさすがに忙しくて5日間休み、今日から歩き始めたという訳。
始めた当初は2、3週間で飽きるだろうと思っていたら、何と食事を終えると身体が散歩を要求するではないか。足が玄関に向かう。思うに散歩中毒に罹ったような状態と言うべきか。テンションが上がって、アドレナリンが出まくっているような気がするのである。何十年、ゴルフもやらず、スポーツと名の付くものは何もして来なかったので、肉体が欲求していたとしか思えない。
川沿いの道を「夫婦橋」まで往復30分から始めて、その先の「かじやまえ橋」往復が35分。やがて、さらにその先の「あらかや大橋」往復が、同じく35分で歩けるようになった。今や一番遠い「あらかや大橋」往復コースで、早い時で34分、遅い時で36分。歩いていて、今日は34分か、35分か、36分か、だいたいわかるようになった。34分の理由も分かっている。たいていその日は冷たい西風が吹いている。寒いから早く帰りたくなり、足が速くなるのだ。これから寒くなる。1月2月を乗り越えることができたらいいのだが。こんな時間に冷たい川沿いを散歩している酔狂な男は儂しかいない。だからこそ頑張る。人がやらないことにはやたらファイトが湧く。^^)

妻の特養暮らしは安定したので、外泊と顔出しはルーティーン化した。
問題は母である。父は奇跡の復活(?)を遂げた。
昨秋、脱水で入院し、帰宅して入浴後倒れて意識を失った時は、いよいよダメかと思ったが、その後、杖をやめて、歩行器に変えたところ、歩行器につかまって歩くようになってから、足腰がしっかりして来た。歩行器が二足歩行の練習になったのである。今では歩行器につかまることを忘れて、短い距離なら歩くことも出来る。
実はこの1月に介護認定の見直しをしてもらう予定でいた。昨秋の悪い時の状態だったら、要介護3ぐらいではないかと(素人考えで)思ったのだが、今の様子では要介護2にもならないだろう。見直しは急遽中止にする。今年一年何とか要介護1で過ごして欲しい。97歳で要介護1なら、お国にも迷惑はかけていないだろう。瀬戸内寂聴には負けているが。
問題は母だ。朝食後のテーブルに朝と昼(デイサービスに持って行く分)の薬を出して置いたら、何のためらいもなく昼食後の薬を飲んでしまう。一包化してあり、大きな字で朝食後、昼食後と書いてあるのに。
その数日後、今度は朝食後の薬を飲んだばかりなのに、デイサービスに持って行く薬をあっという間に飲んでしまう。
思わず「何してんだ」と叫ぶも、後の祭り。その母が迎えが来て出かける時に
「お昼の薬ちょうだい」と言ったので、「そんなもん飲まんでもいい」と怒鳴る。
今年は91歳になる。これも要介護1である。人生いろいろ、要介護1もいろいろ。

儂はと言えば、暮れの集金会で2019年の隣保の町内委員が回って来た。順番だから断る訳には行かない。ましてやこれまで妻の介護があって色々な役を免除してもらっていたから。この上には自治委員がいて、二人が正副で隣保を切り盛りする。その次の年は順繰りに儂は自治委員に昇格する。要するに二年間は大役を仰せつかるのだ。
今から頭が痛い。
それでも、書くことは頭が大丈夫な間は続ける。今年は電子書籍が出せればいいなと思っている。数年ぶりに多胡辰敬の小説に戻り、2年かければ完成させられるのではないかと思っている。
なにやかにやと忙しい方が性に合っている。そういう星の下に生まれたのであろう。畑もある。月半ばには玉ねぎに肥料をやらないと。

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