曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 小説「石見岩山城主多胡辰敬」

第五章 出雲の武士(10

 

 八の字の髭がぴくりと動いた。

「理由を言え」

「生き方を考えたいのです」

 阿用城から戻って、辰敬が思い悩んでいることは忠重にも分かっていたから、その言葉には驚かなかったが、一番聞きたくない青臭い言葉だった。つとめて感情を抑え、

「旅に出ずとも考えることはできよう」

「このまま妻を持ち、御奉公に励む人生でよいものかどうかを悩んでおります」

「悩むことではあるまい。亀井一族から妻を娶り、ようやく日の当たる場所に召し出されたのじゃ。どこに不足がある」

 辰敬は唇を噛みしめた。血の色が失われて行く唇を見て忠重は焦れた。

「何もかもはきと言え。奥歯にものが挟まったような物言いでは何も分からんではないか」

 辰敬は意を決した。確かにこれは家族にしか言えないことである。

「私は大好きな多聞さんの首を獲りました。命を奪ったのです。此度の縁談も約束される将来も、私にとっては多聞さんの命と引き替えに得たものになるのです」

「それが手柄と言うものじゃ」

「それが辛いのです」

 忠重は苦い顔で吐き捨てた。

「桜井多聞は敵じゃ。尼子家に背いた男じゃ」

「ただの謀反ではありません。多聞さんは御屋形様への恩顧に報いようとしたのです。これは武士の大儀です。たとえ敵でも大儀に命を捨てた武士は称えられるべきです。私はそういう武士の首を獲ったのです」

 忠重は黙った。京極家への恩顧は忠重にとっても心の棘だった。

「私には多聞さんが武士の死にざまを身をもって示してくれたように思えてならないのです。私にとっては師であり、時には兄であり、父とも思える人が、武士にとって何が大切なのか、武士はどうあるべきかを教えてくれたのです。安来津の瀬島さんも同じです。瀬島さんは私に言いました。武士の最期は腹を切るか切らぬかで決まると。そして、言葉通りに腹を切りました。多聞さんと瀬島さんが身をもって示したことは私にとっては遺言です。遺言は重い。それも武士の中の武士の遺言です。私は答えなければならないと思うのです。その答えを探さなければなりません。それが旅に出ることなのです」

 忠重は横を向いていた。

「縁談をどうする気じゃ」

「お断りするしかないと思っております」

 深々と頭を垂れた上に忠重の一喝が炸裂した。

「たわけ、今更そのようなことが出来るか。一体何と言ってお断りするのじゃ。お前は儂に腹を切らせる気か」

 はっと顔をあげると怒りに震える父の顔があった。

「よいか、儂は腹を切ってお詫びしなければならぬ。この縁談はそれほど重いのじゃ。断ることなど絶対に許されぬぞ」

 父子は決裂した。

 部屋に下がると暫くして母が不安と悲嘆の塊になって現れた。

「お前はもう二十五にもなるのですよ」

 辰敬は申し訳なさそうに頭を下げた。

「その歳には正国も重明も結婚し子も持っていました。お前にも早く一家を構えて欲しいのです。これはわらわだけではない、多胡家みんなの願いなのですよ」

「わかっております。わかっておるからこそ辛いのですが、最後の親不孝を許していただきたいのです」

「今から旅に出て一体いつ戻って来るのですか。何年経ったら戻って来るのですか」

 答える代わりに頭を下げるしかなかった。

「わらわはお前が都へ行った時もいつになったら帰って来るのか、心配で心配で毎日東の空を見上げては、一刻も早く帰って来ることを念じておりました。辰敬、お願いですからもうあのような思いをさせないでください。今度出て行ったらわらわはもう会えないような気がするのです」

 母にまでこのような思いをさせたことに辰敬は胸を引き裂かれた。父と話すより辛い時間が過ぎ、

「明後日には掃部介様に会わないといけないのですよ。今晩一晩よおく考えて下さいね。頼みます、頼みますよ。この通り」

 握り締めた我が子の手にぼろぼろ涙をこぼした。

 翌日の昼前、玄関前に馬蹄の音が駆け込んで来ると縁を踏み鳴らし血相を変えた正国が現れた。石見の余勢城から馬を飛ばして戻って来たのだ。

「お前、何を考えているのじゃ」

 怒鳴りながら殴れば手が届くところにどかっと座り込んだ。部屋が揺れた。

「父上は腹を切ると仰っている。お前は父上を殺す気か。多胡家を潰す気か」

 凄まじい剣幕に圧倒され辰敬は拳を覚悟した。兄の膝で固く握り締めた拳がわなわなと震えている。今にも火を噴かんばかりに。辰敬にも火が点いた。心の中で殴るなら早く殴れと叫んでいた。殴られたら殴り返してやる。挑むように顔を突き出した。

 次の瞬間、目の前が真っ赤になった。衝撃と痛みで一瞬気が遠くなったが、歯を食い縛って耐えると辰敬も殴り返していた。言葉で。

「私の縁談ごときで腹を切るなんぞくだらんことじゃと思いませんか」

「何じゃと。お前、いま何と言った」

「末代まで語れる死に方でしょうか」

「も、もう一度言って見ろ」

 正国は真っ赤になり全身を震わせていた。

「兄上、桜井多聞は大義に身を捧げました。安来津でお頭だった瀬島平七は部下と盲目の娘を逃がしてやると部下の罪を背負って切腹したのです。もし、父上が切腹したとして、この二人の最期ほど心を打つものでしょうか」

「貴様、言わせておけば……」

「最後にもう一つだけ言わせて下さい。父上には敢えて黙っていたことなのですが小屋爺が殺されたことは御存じですか」

「小屋爺……」

 正国は怪訝な顔をした。

「私に将棋を教えたために父上に折檻されたことのある乞食同然の老人です」

「それがどうした」

「桜井多聞の晒し首を盗んで斬られたのです。この私のために」

「なに」

「私は多聞さんの首を盗もうとしたのです」

 正国は驚愕した。

「気が付いた小屋爺は私より先に首を盗み、私のために首を隠してくれようとしたのです。自分の命を捨ててまで私を救ってくれたのです。いえ、この多胡家も救ってくれたのです。もし私が首を盗むのに失敗していたら私も多胡家もどうなっていたことか」

 辰敬は身を震わせ声を震わせた。

「いくら私を愛していてくれたとは言え、まったくの無償の行いです。武士でもないのに、学問をしたわけでもないのに、修行を積んだわけでもない無学文盲の老人です。この尊い犠牲に私はどう答えればいいのでしょうか。結婚して、家族を安心させ、家を保ち、御奉公するためだけの人生でいいのでしょうか」

 正国も震えた。怒りで。辰敬の言葉は自分を否定する言葉でもあった。

「黙れ」

「言わせてください。私は私の心に一生その面影を残す二人の武士と一人の老人が、この私に残したものを考えたいのです」

「武士はそれを御奉公の中で学ぶのじゃ」

「私は旅で学びたいのです。旅には力があります。人を変え人を磨く力が。それが十二歳で都へ行って覚えた事なのです」

「減らず口をききおって」

 茹蛸のようになった時、不意に、

「か、か、か……」

 場違いな桶を叩くような笑い声が響き渡り、襖が開くと一人の僧が立っていた。

「正国殿の負けじゃな」

「妙案様」

 正国は戸惑いを隠せないでいた。

 僧は惟高(いこう)妙案と言う。都の臨済宗相国寺の禅僧で山陰にある寺領や権益を守る重要な任務を負っていた。永正十年に伯耆守護山名澄之を頼って西下し今年で六年になる。四十になったばかりである。伯耆の保国寺を拠点に在地武士勢力と交渉し、奪われた荘園を取り戻し、さまざまな権益の確保に当っていた。度々出雲にも来て、その学識と磊落な性格、弁舌の巧みさで尼子経久に気に入られ、経久は相国寺の庇護者となった。三十四歳で京都五山二位の名刹の重要な任務を託されたほどだから優秀な僧である。忠重とも昵懇となり、富田滞在中はしばしば多胡家を訪ねていたので皆顔見知りである。

「辰敬殿の言わんとしていることは禅で言えば公案のようなものと思えばよいのではないかな」

 公案とは悟りを開くための修行の一つとして、修行僧に与えられる問いかけである。高僧の言葉であったり、行動であったりする。

 例をあげると「隻手の声」がある。意味は両手を叩くと音がする。では片手の音とはなんぞや。修行僧は考えた答えをもとに導師と問答をする。これが禅問答である。

「十年かかるか二十年かかるか、野垂れ死にするかもしれぬ」

 正国の顔が曇った。

「覚悟は出来ておるのじゃな」

 鋭い目が辰敬を突き刺した。

「はい」

 嬉しさが真っ直ぐな声になった。

伊予殿は拙僧が説得してやろう。伊予殿が認めれば掃部介殿も引き下がるしかない。入道殿も諦めるしかないな」

「ありがとうございます」

 平伏し紅潮した顔を上げると妙案の目は同じ位置にあった。

「儂も昔は武士じゃった」

 にかっと笑うとさっと踵を返した。

 妙案は経久に勇猛な武士だけで強い国は出来ない。一つの色しか持たない集団は脆いもので、人が集まった処には必ず異なる色をした者がいなければならない。辰敬はそうした武士になれると説得し、辰敬の旅を認めさせた。経久が認めればもう誰も反対できない。

 恨めしい目をした忠重に妙案は辰敬と故郷との間で連絡がとれる便宜をはからってくれた。妙案は常に都の相国寺と文のやりとりをしているので、妙案が辰敬と出雲の間の文の取次をしてくれることになったのだ。辰敬宛の文は相国寺が預かる。辰敬は時々相国寺に顔を出して受け取る。すぐに連絡はつかないが確実に届く方法である。辰敬が故郷に文を出す場合は相国寺に届ければ、相国寺の使いが妙案に届けてくれる。忠重はしぶしぶ認めた。

 認めたからには早い方がいい。杵築大社の遷宮前に出立することになった。十三年前は都に旅立つ十二歳の少年への不安を打ち払うかのように盛大な宴を設けたが、今回は辰敬の希望で親と正国と辰敬の四人だけのささやかな宴となった。供もつけない一人の旅なので持てる荷も限られている。旅支度もすぐに終わった。

 その夜、辰敬の部屋に正国が現れた。正国は何も言わずに座り、ちらりと小さな荷物に目をやった。

「支度は出来たようだな」

「はい」

静寂が二人を包み込んでいた。

「昔、お前が都へ旅立った時は桜が満開じゃった……」

「はい」

 今年はすでに桜は終わっていた。

「お前が羨ましかった……」

 驚いた目を向けると兄は遠い日の桜を追うような目をしていた。

「儂も都へ行きたかったのじゃ……じゃが、儂は誘われなかった。たとえ誘われても儂が都へ行くことは許されぬ……切なくてなあ……儂はお前に嫉妬した……」

 辰敬ははっとなると思わず頭を垂れていた。深々と。

「申し訳ありません」

 兄の目が綻んだ。

「お前が謝ることはない。長男に生まれた宿命じゃ。家は儂が守る。お前は何も心配せずに好きなことをやれ。好きな所へ行け。儂には出来ないことをやるのじゃ」

 熱いものが噴き上げて来た。

「有難うございます」

「馬鹿者、男が泣くな」

 そう言う兄の目も潤んで見えた。

 

 翌朝、日が出る前に辰敬は出立した。

 目立たぬように母と兄だけが門前で見送りをした。父とは座敷で別れ、家人たちとは玄関先で別れた。

「もしかしたらもう会えぬかも知れない。今生の別れになるかも知れない。辰敬、よおく見せておくれ。お前の顔を」

 薄闇の中でくっつかんばかりに覗き込む母の顔に、出発間際の最後の一瞬まで辛い思いをさせられる辰敬であった。

(最後の親不孝をお許しください)

 涙の母を兄に託すと辰敬は振り切るように歩き出した。

 辰敬の足が向かったのは守護所であった。出雲を離れる前にどうしても会わなければならない人がいる。これまで周囲を憚っていたがもう構うことはない。知れることは覚悟の前である。知れたところで辰敬はもう富田にはいない。この先、いつ戻って来るかも分からないのだ。宙の一点を見据え暁闇を突っ切った。朝の早い行商人が吃驚して見送った。

 こんなに近くに住んでいながら何と遠い場所であったことか。失われた時間の中を進み、守護所の門前に立った時、辰敬は屋敷も老いることを知り悲哀に胸を掴まれた。門番に名乗る声が詰まった。

 屋敷の中も(ほら)のように虚ろで足裏で縁がきしむ度にここに御屋形様との楽しい日々があったことが夢幻(ゆめまぼろし)のように思えた。

座敷に通されしばし感慨に耽っていると、足音が蹴り立てるように床を鳴らしさっと勢いよく襖が開いた。

 十九歳の若者が見下ろしていた。二十五歳の辰敬が見上げた。十一年の歳月を埋めたのは無言の時間だった。辰敬は驚いていた。面影はどこにもなかった。これが同じ人間とは思えなかった。戸惑いを隠せなかった。どのように懐かしさを見せたらよいのか。

 若者の白い歯が零れた。辰敬はあっと叫びそうになった。似ていたのだ。御屋形様の笑みに。この若者は祖父の血を引いていたのだ。血筋は争えない。寝起きのままの姿で現れたのだが、鎌倉から続く貴種はまごうとなき源氏に連なる武門の末裔だった。

「辰敬か、会いたかったぞ」

「お懐かしゅうございます」

 平伏した辰敬は面を上げることが出来なかった。

 別れた時のひ弱な少年の面影が消えていたことが嬉しかった。凛とした声と物腰にも感激したのであるが、同時にこの個性が悲運と孤独に耐えて作り上げられたものと思うと、痛ましさの余りまともに顔を見ることが出来なかったのである。

「長い間の御無沙汰をお許しください。吉童子丸様の何一つ支えになることも出来ず、辰敬、お詫びの言葉もございません」

 平伏した頭の前に吉童子丸がどかっと腰を下ろした。

「お前が来れないことは分かっていた。母上には会いに行き、謹慎を食らったこともおまんから聞いておった」

「今にして思えば何かできたはず……文を差し上げることも考えたのですが……」

 年下の若者が諭すような笑みを浮かべた。

「お前が同じ出雲にいるだけで支えになっていたのや。みを誰よりも信じ、思ってくれる男がいる。いつもそう思っていた。ま、寂しい時もあったが……みも人やから……」

 八歳からの十一年は長い。

「申し訳ございません」

 感極まって落涙した。

 若者の顔に疑念が差した。

「それにしても突然どうしたことや、その姿はもしや……」

「旅に出ます」

「そうか、そう言うことやったか……」

 利発な若者の目は深く、吐息も深かった。

「色々あったことは聞いておった。桜井多聞の最期も宗済様(政経)に報告し、みも多聞を弔った」

 辰敬は感謝の目を向けた。ここに理解者がいたことに。この若者こそが一番の理解者であったことに。

「みも旅には憧れがある。何もかも捨てて旅に出たいと思ったことも一度や二度やない」

 辰敬ははっと若者を見つめた。

「じゃが、みにはできぬ。母上を泣かせることは出来ぬ。京極の名も重い」

 ふっと若者は遠くを見るように呟いた。

「京極家はどないになるのやろう」

 辰敬は胸が塞がった。この若者が背負い続けるものを想像したら自分の悩みなど芥子粒のようなものではないのかと。

 若者が笑みを作った。

「人それぞれや。悩みのない人間はおらん。辰敬が人生を真剣に考えている男であることが分かってみは嬉しい」

年上が恥じらった。

「みはここで悩み苦しみながら生きることになるがそれはお前も同じや。み一人ではない。そう思うとどれだけ勇気づけられることか。辰敬がどんな男になって戻って来るか待っている。みとて恥ずかしい男にならぬよう励む。ほんに今日はよう来てくれた」

 その顔には普段は話すことも出来ず、心の奥底に押し込めていたものを、すべて解き放った清々しさが溢れていた。

 辰敬とて若者同士だけで語り合える言葉で語り合えたことが嬉しかった。吉童子丸がそういう言葉を吐き出せる若者になっていてくれたことが。

 障子が白み始め、出立の時が来た。

 

 

 

    第五章 出雲の武士(9

 

 凱旋した辰敬を父悉皆(しっかい)入道は上機嫌で迎えた。杵築大社造営を成し遂げた年に不肖の裾子が面目を施したのである。

「伊予様(経久)からお褒めの言葉を頂いたぞ。総大将刑部様(国久)のお命を狙った、桜井一族一の武辺者の首を獲ったのじゃから大変なお喜びじゃった。お前のこともお考えくださり、引き続き儂のもとで励めとのお言葉を頂いたぞ」

 父のもとで働くと言っても立場は大違いである。これまでは父の私用を務めていただけであったが、これからは大社奉行のもとに正式に出仕し、尼子家に御奉公することになったのである。

「来年の遷宮で大社造営の一大事業が終わる。伊予様は我ら親子の為に遷宮と言う晴れ舞台を用意して下さったのじゃ」

 正国も大きく頷いた。

「伊予様の親心じゃ。辰敬、大変な名誉だぞ」

 辰敬は低頭した。見えない兜がずしりと重かった。

 母の笑顔を見るのも数年ぶりだった。それは嬉しいことだが心を軽くすることはなかった。どこへ行ってももてはやされたが、もてはやされるほどに心は叫んでいた。

「違う」

そこへ追い打ちを掛けるように一番聞きたくない報せがもたらされた。

 多聞の首が晒し首になったのである。

 城下の外れの刑場に、桜井宗的以下桜井一族と重臣たちの首が晒されたのだ。戦後の始末としていつも行われることで、覚悟はしていたのだが到底平常心は保てない。聞けば黒山の人だかりと言う。一番注目を集めるのは多聞の首と思うと胸は張り裂けんばかりであった。

 夢に多聞の首が浮かんだ。

 阿用城が落ちた後、首実検は同じ磨石山の頂上近くにある古刹蓮花寺で行われた。

 国久を前にして、首注文を記録するために、辰敬は首台に乗せられた多聞の首と相対した。

 変わり果てた首があった。何が変わっていると言って、奇麗に血を洗い流した顔はまるで白粉を塗ったように白く、漂泊の人形師が操る人形の顔のように見えたのであった。敵であっても、それが死者を弔う作法とは言え、辰敬には逆に多聞を冒涜しているように思えた。抉れた片目や米粉をこすりつけて止血した無数の刀傷の跡が、ぱっくりと開いて、まるで作り物のように見える。

(違う、多聞さんの首ではない)

 そう叫びたい声をこらえるだけで精一杯だった。多聞は血と泥にまみれた顔で国久を睨みつけていたかったに違いないのだ。

 その多聞の首は毎晩夢に出て来た。眠れぬ夜が続いた。首が腐乱し始めたと言う噂を聞いてからは夜の底が耐え切れないものになった。辰敬はたまらず布団を抜け出すと、夜が明ける前に裏口からそっと屋敷を出た。

 まだ暗い刑場は深まり行く秋の露をたっぷりと含み、足をぐっしょりと濡らした。冷気に満ちた靄の中にぼおっと十数本の杭が現れた。その上に物言わぬ黒い塊があった。

 濡れた足音しか聞こえなかった。濃い靄の中を真っ直ぐに進み、黒い塊のおぼろな輪郭が一つの形となった時、辰敬は強烈な腐臭にたじろいだ。肺腑を破裂させ、息をすることもできなくなるような、この世の物とは思えぬ臭いだった。

 まじかで見る首はどれも首化粧の跡形も残っていなかった。想像以上に腐乱は進んでいた。ハエやウジ虫がたかり、中には腐敗が進み、悲しく俯いたように崩れ、今にも首台から落ちそうな首もあった。

 足が止まった。

 そこにあるのもまた多聞であって、多聞の首ではなかった。辰敬は後悔した。来なければよかったと。幾つもの壮絶な戦いの証さえ溶けていた。腐った肉の塊としか見えなかった。余りのおぞましさに、声もなく、悲しさも虚しさも放棄した人の抜け殻のように立ち尽くしていた。

 びちゃっと濡れた足音が止まった。

 振り返ると真後ろに幽鬼のような人影が立っていた。

「爺……」

 思いがけない顔に驚いたが、そこにいてくれるだけで救われる老人の顔だった。

「そろそろ現れると思っちょったよ」

 小屋爺は多聞の首を見つめながらそう言った。

「爺はなして……」

「ほんの三日ほどお世話をしただけじゃがのう、忘れられん御仁じゃった。一日で人となりはわかる。三日もいれば辰敬殿とのつながりも見えて来てのう。こんな爺でも男として羨ましいものがあった……なむあみだぶ……なむあみだぶ……」

 ちいさく念仏を唱えた。

「多聞さんの首はどうなるんじゃろう」

「恐らく捨てられるじゃろう」

 辰敬は思わず小屋爺の顔を睨んだ。

「ここにある首は全部首塚に葬られることは許されぬはずじゃ」

 厳しい声音に辰敬は項垂れるしかなかった。

(ここまでの仕打ちを受けたのに、弔うことも許されぬとは)

 その横顔を小屋爺が険しい顔で見据えていたことを、この時、辰敬は気が付かなかった。

「人が来る」

 小屋爺の声に辰敬は我に返った。

 東の空がわずかに白み、靄がゆっくりと動き始めていた。

「早く帰るのじゃ。いいか、もう二度と来るんじゃないぞ」

 小屋爺が辰敬にこのような厳しい態度をとるのもこれまでになかったことだ。奇異に思いながらも辰敬は老人の気迫に気圧された。

 二人は足早に刑場を離れ無言で別れた。

 屋敷に戻っても刑場の光景が脳裡から消えることはなかった。書物に集中しようとしても、庭で素振りに没頭しようとしても、食事をしている時も、日々腐り崩れて行く首が目の前に浮かぶ。多聞の首のことを考えない時はなかった。寝ても覚めても。眠れぬ夜は続いた。思いはいつも同じだった。

(多聞さんの首をあのままにしてよいのか。見るに堪えないほど腐り果てるのを有象無象の人目に晒して。あれほどの武士を見世物にして。挙句捨てられると言う。葬って上げたい)

 そして、行き着くところも同じ。

(御屋形様のお側に葬って上げられたら)

 多聞の首と別れて三日目の夜になった。布団の中で同じ事ばかり考え続けていた身体が辰敬を叱った。いつまで同じ事ばかり考えているのかと。むっくりと起き上がった。

実は辰敬が起き上がったのはそれだけが理由ではなかった。辰敬はそっと縁に出ると夜空を見上げた。低く雲が垂れ込め、星一つ見えぬ闇夜だった。夕方、雲が出て来た時から、ふっとその思いが頭を過っていたのであった。

(今夜なら……)

 鼻を摘ままれても分からぬ闇夜が辰敬を突き動かした。

(御屋形様のお側に葬って上げるのじゃ)

 辰敬は小屋爺に来るなと言われたことは忘れていた。

 寝静まった城下を抜け、闇の中を刑場へ急いだ。心の臓は激しく波打ち、全身燃え上がるように熱かった。

 城下の外れまで来た時、足が止まった。

 前方の闇の中に松明の明かりが幾つか揺れていた。刑場の辺りだ。足音を殺しそっと近づくと、晒し首を載せた棒杭の間に蠢く人影があった。

「何者じゃ」

 不意に誰何され、闇の中からぬっと刑場の見張りが現れた。

「多胡悉皆入道の家の者じゃ」

 見張りは畏まって頭を下げた。

「用を済ませて帰るところじゃったが、一体何があったのかと思って見に来たのじゃ」

「首を盗んだ者がありまして」

「なに」

 胸が音を立てて鳴った。

「誰の首を」

「桜井多聞です」

 辰敬は殴られたような衝撃を受けた。その時、遠くから人の声がして松明が振られた。

 見張りが駆け出したので辰敬も追った。

 そこは刑場の近くを流れる富田川の下流で、堤の下の河原の水辺に刑場の下役人や番人たちが松明を手に集まっていた。その足元に横たわる骸らしきものがあった。

 堤を降りた辰敬は立ちすくんだ。松明の火の粉を浴びながら、かっと目を剥いていたのは小屋爺だった。小屋爺の身体はずぶ濡れだった。川から引き揚げられたのだろう。

「首はどこじゃ」

 誰かが聞いた。

「流された」

 斬られた小屋爺は川を渡って逃げようとしたが力尽きて倒れ、抱いていた首は川へ落としたのだと説明する声も、辰敬は途中から聞こえなくなっていた。

 小屋爺が来るなと言った意味が今になって分かった。辰敬がこうなることを危惧したのだ。だが、小屋爺は分かっていた。警告しても無駄なことを。辰敬は必ず多聞の首を盗み出し、御屋形様のお側に葬ろうろうとするだろうと。だから月も星もない夜に、辰敬よりも先に首を盗み出したのだ。

 激しい水音に辰敬は我に返った。暗い流れを目が追った。多聞の首に会うことはもう永遠にない。

 辰敬は踵を返した。水音が遠ざかって行く。

(小屋爺、有難う。こんな形で別れることになろうとは……)

 多聞との……小屋爺との……数々の思い出が涙となって零れ落ちた。屋敷に戻るまでに流し切ると言い聞かせた。

 

 屋敷では誰も多聞と小屋爺のことを口にする者はいなかった。小屋爺が辰敬に将棋を教えたことで忠重の怒りを買い、折檻されたことは誰もが知っていた。数年の空白を経ても昔と変わらぬ交わりを結んでいることにも気が付いていた。

 都の京極屋敷での多聞と辰敬の奉公ぶりもいつしか出雲に伝わっていた。どこまで深くかは定かではないが。

 その小屋爺が多聞の首を盗んで殺されたのである。何かあると思うのが当然だが、皆、知らない振りを装い、腫れ物に触るように辰敬に接した。

 辰敬の顔つきは変わっていた。思いつめた顔で沈黙の日々を過ごしていた。

 忠重は遷宮の打ち合わせと称して、辰敬を伴い杵築へ向かった。富田を離れたら少しは気分が変わるかと思ったのだが、かえって孤独な時間を増やしただけで、ひたすら懊悩の底に落ちて行くのであった。

 人は天晴尼子武士と褒めるが、多聞の首を斬ったのは死の間際の多聞に頼まれ、叱咤されたからであった。兄とも、父とも、師とも敬愛する男への愛念ゆえに出来たことで、後にも先にも最初で最後の事と思っていた。誠の武士と言う言葉が空々しく薄っぺらに感じられてならなかった。二度と同じことをする自信はなかった。これからもし平気で首を斬る武士になったら、多聞はどんな目で辰敬を見るだろうか。

(多聞さん、我はどうすればいいのじゃ)

 心の叫びは一つでは収まらなかった。

 小屋爺の無残な死も辰敬を苛み続けていた。辰敬の身代わりとなったかのように殺された小屋爺への自責の念は片時も離れることはなかった。何よりも辛かったのは、小屋爺が命を引き換えにしても辰敬を守ろうとしてくれた愛情の深さに気が付かなかったことだった。辰敬を愛してくれていたことは分かっていたが、命と引き替えにするほどまでに愛してくれていたとは。

(許してくれ、小屋爺)

 生かしてもらった命が切なかった。どうすればいいのかが分からずに。

 野分が吹き、晒し首をすべて吹き飛ばしてしまったのを機に、晒し首は集められて、山中深く打ち捨てられた。おそらく小屋爺の亡骸が捨てられたのと同じ場所だろうが、何処かは定かにされることはなかった。

 その日、辰敬は小屋爺の小屋を訪ねた。

 主が一月いなくなっただけで、谷底の掘っ立て小屋はすでに廃屋の気配が漂っていた。辰敬はそっと目を閉じ耳を澄ました。小屋爺の声がどこかに潜んでいるのではないかと。枯れ葉がかさかさと鳴る音がした。見上げると屋根の穴から枯れ葉が舞い落ちて来た。冬はもうそこまで来ていた。

 帰宅すると、屋敷は辰敬達が凱旋した時のように華やぎ、笑顔と明るい声で満ち溢れていた。どうしたことだろう。辰敬はすぐに父に呼ばれた。父の目の端からも笑みがこぼれていた。

「お前に縁談じゃ」

「えっ」

 思いもかけない言葉に声が詰まった。普通ならめでたい言葉が悪魔の声に聞こえた。

「亀井様からお話があったのじゃ。御一族の亀井掃部介様から婿に貰いたいと申し出があった。有難くお受けしたぞ」

 辰敬は狼狽えた。今はとても結婚を考えるような精神状態にはない。それをどう説明すればよいのか、俄かにはその言葉さえ見つからなかった。よしんば見つかったとしても決して分かっては貰えないだろう。そもそも断ることなど許されるはずもない縁談なのだ。茫然とした辰敬に、

「遷宮の前に祝言を挙げたい。一月は忙しいゆえ、二月になるじゃろう。よいな」

 父はご機嫌だった。ふさぎ込んだ辰敬を持て余していた多胡家にとっては渡りに船の縁談だったのである。結婚して妻を持てば変わる。親なら誰しも期待することであった。しかも、相手が亀井一族ならこれ以上は望むべくもない。多胡家の頭痛の種であった裾子の未来が一気に拓けたのである。

 

 多胡家にとっては最高の新春となった。

 一人辰敬を除いて。辰敬が密かに多聞と小屋爺の喪に服した正月を迎えたことに気が付いた者はいなかった。憂いは深まるばかりだった。周囲は縁談に当惑していることには気が付いていたが、結婚すれば納まる所に納まるだろうと思っていた。亀井一族から望まれた縁談に多胡家の意思を挿む余地はない。

 松の内が明けて、掃部介から辰敬に会いたいと言って来て、四日後に訪問することに決まった。辰敬の固い顔をやわらげるように父が付け加えた。恐らく娘も顔を出すのではないかと。辰敬はいよいよのっぴ切らないところに追い詰められた。断る方策がないことは分かっていた。残された手段は逃げ出すしかないと実行不能なことを虚しく呟くしかなかった。

その翌日、思いがけない来客があった。安来津の蔵番矢田であった。最早忘れていた男の顔は死人のように青白かった。

「お頭が切腹した」

 全身から血が引いた。

「瀬島さんが……なして、なして、一体何があったんじゃ」

 青白い顔が青白い顔に食らいついた。

「笹野が蔵の荷を盗んで売り払っていたのがばれたのじゃ」

 酒焼けした中年男の顔が浮かび上がった。

 辰敬は吐き捨てた。

「遊ぶのに使ったんか」

 矢田は首を振った。

「娘の薬代にしたんじゃ」

 笹野に一人娘がいることは辰敬も知っていた。矢田の話によると、今年十四になるが辰敬が安来津を離れた後、急に目が見えなくなった。娘の目が治らないと分かった笹野の酒は一層ひどくなり、そんな夫と娘の不治の病に絶望した女房は娘を置いて家を出た。

「酒毒に冒された笹野と目の見えない娘が残され、それは哀れなものじゃった。どうなるのかと心配しておったら、何とあの笹野が変わったんじゃ。人が変わったように娘の介抱を始めたのじゃ。そりゃあ甲斐甲斐しく世話をしておったが、後はもう想像がつくじゃろう。薬代を作るために……」

笹野は死罪と決まった。

「お頭は富田の伊予守様へ御慈悲を願う嘆願書を出されたのじゃ。父が処刑されたら盲目の娘は生きて行けぬ。今回の不始末は監督不行き届きの自分に責任がある。自分が罪を引き受けるから、父と娘を巡礼の旅に出すことで許してやって欲しいと」

 伊予守は嘆願書を引き裂いた。

「お頭は牢から笹野を救い出すと親子を連れて逃亡し、三日後に一人戻って来たんじゃ。そして、富田の方角へ向かって坐すと、見事に腹一文字に掻き切ったのじゃ」

 声が震えていた。が、その声も途中から聞こえなくなった。辰敬の中で何かが崩れる音がした。それは次第に大きく、崖が崩れるような音となって辰敬を激しくゆすりたてた。一人の若者が崩れる音だった。多聞と小屋爺の死に耐えていたものも三つ目の死には耐えきれなかったのだ。

「今朝港に入った船乗りが言うには、石見の波根の港から九州行きの船に盲目の娘を連れた巡礼の親子が乗り込んだそうじゃ……今頃は長州の沖じゃろう……どんな旅になるのか……儂は目が治ることを信じちょるのじゃが……」

 その声が途切れた。矢田の前にある顔は辰敬の顔であって辰敬の顔ではなかった。目は矢田を見ているのに見ていない。叫び声とも悲鳴ともつかぬ獣のような声が部屋を震わせた。矢田は驚きその顔を覗き込んだが、聞き返そうとはしなかった。

「終わりじゃ」

 心が折れた若者から迸った声であった。

 若者が人生が終わったようなことを言えば笑われるだろう。辰敬が言いたかったのは出雲でのここまでの人生が終わったと言うことだった。区切りをつけると言う意味だったのである。辰敬にとってこのまま出雲にいるのは耐え切れるものではなかった。今こそ区切りをつける時が来たと、もう一人の自分が、いやこちらこそが本当の自分であるべきもう一人がそう言わせたのであった。どう区切りをつけるのか。答えは用意されていた。それは何カ月も前から心に芽生え、次第に大きくなっていた思い。

 辰敬は父と向かい合うとまっすぐに父の目を見た。

「旅に出たいのです」

 父は何も言わなかった。表情も態度も何一つ変わらず、視線も微動だにせず辰敬を見据え続けていた。父子を中心とする世界の全ての動きが止まっていた。音一つしない。異様に長い沈黙が続いた。

 

    第五章 出雲の武士(8

 

「何じゃと」

「有田の戦いをこの目で見たいのです」

正国は顔をしかめた。

「戦見物など聞いたことないわ。物見遊山と違うぞ」

「無論軽い気持ちで行くのではありません。包囲されながらも毛利・吉川の戦いぶり天晴と言えませぬか。五倍の兵力にも負けず渡り合っております。どうして毛利はかくもしぶとく精強なのかこの目で確かめてみたいのです」

 正国は冷ややかに見下した。

「そんなことをしてどうなると言うのだ」

「私は尼子の将来を考えているのです」

 兄は怪訝な顔で見返した。

「今は小さくとも毛利が力をつけて来たら侮れなくなると思いませんか。だからこそ今の内から毛利を見ておきたいのです。兄上、私には毛利元就と言う男がただ者とは思えないのです。兄の興元は優れた武将でしたが、元就は兄を越える武将になるのではないかと思うのです」

「口ばかり達者になりおって」

 苦々しい顔でため息をついた。

「三郎助を連れて行け」

「ありがとうございます」

「危ない処には近づくなよ」

 ぶすっと呟いた。

「負けるに決まっちょるに」

 

 中野から国境を越えた吉川領大朝までは南へおよそ四里、大朝から有田まではさらに南へ三里強。辰敬と三郎助は大朝の手前で大きく迂回し、樵に案内を頼むと紅葉に染まった中国山地を越え、安芸国に入ったのは十月半ばを過ぎていた。二人とも猟師に姿を替えていた。芸北は低い山々や丘の間に刈り取りの終わった田が広がる高原地帯だった。

 二人は有田の地を一望出来る山の中腹に潜んだ。有田城はその拓けた地の西端の低い山の上にあり、十重二十重に取り囲まれていた。無数の旗指物が揺れ今にも押しつぶされそうだった。包囲されて半月以上になる。ここまで持ちこたえているのが奇跡と思われたが、その理由はすぐに分かった。

 包囲軍の城攻めが始まると、周辺の山や丘の陰から毛利や吉川の兵が現れ包囲軍を攻撃した。城の東側には又打川が流れその向こうは湿地が広がっている。その湿地の中からも毛利兵が現れ川を越えて襲い掛かった。包囲軍は柵を構えていたが、毛利兵たちは少数の部隊に分かれて攻撃した。武田方が柵を出て反撃すると、たちまち毛利方は蹴散らされるが、それでもひるまず態勢を立て直して反撃する。

 これが早朝や深夜にも繰り返された。数では敵わぬ毛利方の兵力が削ぎ落されるように減って行くのは遠目にも分かる。にもかかわらず毛利方は執拗に包囲軍に挑んだ。

 しつこい攻撃に城攻めが捗らぬ包囲軍の苛立ちが、見物する辰敬達にも明らかに見て取れた。

 二十二日の早朝。鬨の声に辰敬達は跳ね起きた。二百ほどの兵が又打川を越えて攻め寄せたのである。昨日までの少数の兵で多方面から攻める作戦とはあきらかに気配が違っていた。毛利・吉川軍は総勢千人。かなりの犠牲が出ているから二百は連合軍の虎の子ともいうべき中核と言ってよい。

 辰敬達は固唾を呑んで見守った。

 柵を挟んで激しい戦いが繰り広げられていたが兵力の劣る毛利方が崩れた。毛利兵は川を越え湿地に逃げ込んだ。それを見て武田方の重臣熊谷元直が柵を打って出るや毛利兵を追走、一気に川を越え湿地に雪崩れ込んだ。すると茂みから毛利方の伏兵がわらわらと現れ熊谷勢に襲い掛かった。不意を突かれた熊谷勢は湿地に足を取られて大混乱に陥り、熊谷元直は呆気なく討ち取られてしまった。それまでの武田方を苛立たせていた小さな戦いは、湿地の一番深い所へ武田方をおびき出すための罠だったのである。

 無様な敗北に武田元繁は激怒し、重臣達が止めるのも聞かず、自ら全軍を率いると又打川に乗り入れた。すかさず対岸から元繁めがけて無数の矢が射かけられ、一本が元繁の喉を貫いた。元繁は水しぶきを上げて落馬、総大将も首を取られてしまった。

 武田勢は混乱し有田城の包囲を解いて自領へ引き上げた。この戦いは後の世に西の桶狭間と称されるほどの衝撃を与え、陰陽に毛利元就の名を一挙に轟かせた。

 帰りの辰敬と三郎助は無言だった。

 自分が戦って負けたわけではないのに、辰敬は地べたに叩きつけられたような敗北感に打ちのめされていた。心をかき乱すのは妬ましさだった。一番認めたくない感情の嵐に辰敬は情けないほど翻弄された。自分にない物の全てを持っている年下の若者の出現に、妬みしかない己を認めるのが疎ましかった。

 だが、余勢城へ帰りついた時には現実に向き合う若者に戻っていた。毛利元就とは否応なく生涯に亘って向き合うことになるだろう。その時、自分は元就に何を持って向き合うのか。果たしてそのような武器が自分にはあるのだろうかと。

閏十月。

都から大内義興動くの報が届いた。帰る帰ると言いながら、いつになったら帰国するのかと思われていた義興がついに腰を上げたのだ。将軍足利義稙(よしたね)のわがままに愛想をつかしたのである。

義稙は中風に苦しんでいた。その中風が悪化し、かねてより義稙は有馬温泉に湯治に行きたがっていた。だが周囲は将軍が都を離れることを諫めた。権力の中枢が不在となればどんな不穏な事態を招くや知れぬ。そうでなくとももはや安定した政権とは言えない。にもかかわらず我慢が聞かない義稙は周囲の猛反対を振り切り、強引に有馬温泉に行ってしまったのである。

その二日後に義興は堺へ向かった。

余勢城もその噂で持ちきりだった。今度こそ必ず戻って来る。船団を仕立てて戻るとなると来春は無理でも夏には帰国するだろう。十年も不在だった西の太守が戻ってくれば陰陽の勢力図に大きな揺り戻しが来るのは必定である。大内方は勢いづく。石見でも前守護山名系の国人や支援する尼子方は、辛い戦いを強いられることを覚悟しなければならないだろう。

そういう情勢の中で尼子氏にとっては喉に刺さった魚の骨のような存在があった。阿用城である。経久の長男政久が戦死してから四年、長い休戦状態の間、阿用城は最早昔の勢いは失い、小魚の骨程度の存在になっているが、このまま放置しておいてよい城ではない。経久にとっては長男の仇、必ず滅ぼさなければならない城であり、経久がそのことを忘れたことは片時もなかった。彼我(ひが)の情勢により対外進出を優先して来たが今こそ内を固める時、義興帰国の前に目障りな城を一掃しようと決意したのである。義興帰国に勇を得て勢いを取り戻すことを恐れたのも理由の一つだ。抵抗籠城が長引けば各地の反尼子勢力を力づけることにもなる。

だが、季節はすでに冬に向かっていた。今から兵を動員するには無理がある。田植えを前にした春にも戦いは出来ぬ。経久は来年秋早々に阿用城を攻め、政久の命日までに落とす決意を固めた。

 この四年間、尼子方は兵を退いたが、阿用城を望む丘に構えた本陣と政久が死んだ向城には部隊を残し、城に通じる道には関所を置き間道には見回りを置いた。

阿用城は磨石(とぎし)山の東に続く山中から細々と物資を運び込むしかなかった。

 尼子方は年内に関所の数を増やし間道の監視も厳しくした。磨石山の東の山中の見回りも強化したので、阿用城への兵糧の運び込みは次第に難しくなって行った。

 

 年末から年始にかけて、堺には都から天皇の勅使や有力な公家たち、将軍の使いなどが入れ替わり立ち替わりやって来て、義興に都に戻るように説得したが、義興は帰国の覚悟が固いことを繰り返し、逆に将軍に帰国許可を出すことを要請した。

 その永正十五年の春の終わりに杵築大社が十年の歳月を掛けて落成した。経久は来年四月に遷宮を行うことを決め、新しい大社に政久の仇を取ったことを一番に報告するべく決意を新たにした。

 八月に入ってすぐ大内義興は管領代を辞した。管領は細川高国だったが、義興は幕府の職制にはない管領代と言う異例の職を拝命し、細川高国と共に政に預かっていた。その職を返上したのである。なかなか帰国を許可しない将軍への催促であった。義興も焦れていた。すでに帰国の船団は揃っていたが、義興ほどの立場になると、国人武将たちが義興に対して無許可で帰国したようなことは出来ない。将軍の意に背くことは謀反とみなされるからであった。

 八月二十七日、ようやく将軍は帰国を許可したが義興はその二日前に堺を出帆していた。義興の復帰を諦めた将軍が帰国を許可するとの内々の情報を得た義興は、正式な許可が出るのも待てなかったのである。

 義興が堺を出帆したことは早馬でその日のうちに富田にもたらされた。

 

 経久は直ちに阿用城攻めを命じた。総大将は次男国久。三男興久も加わるまさに弔い合戦の陣容であった。経久は政久の命日までに城を落とすことを厳命し、籠城勢の降伏は認めず一人残らず皆殺しにせよと命じた。

 戦いを前に阿用の田の稲はすべて刈り取られ、八月の末には磨石山の麓は尼子の軍勢が十重二十重に取り囲んだ。五年前と同様に磨石山を望む麓の小山に本陣が敷かれた。辰敬は此度も正国に従い政久が落命した向城に陣取った。

 九月一日、法螺貝が鳴り響き陣太鼓が打ち鳴らされると、尼子の大軍は磨石山の山腹に津波のように押し寄せた。大地が震え向城の櫓も震えるほどに山も揺れた。

 向城からも鬨の声を上げて打って出た。その中に槍を構えた辰敬がいた。戦いの火ぶたが切って落とされるまでは、頭の中は多聞のことで一杯だった。

(戦場で出会ったらどうしよう。多聞さんは何と言うだろう。俺は何と言えばよいのか。刃を交えることになるのか。あの多聞さんと……。)

だが、谷を駆け下り阿用城の山腹に取り付いた時は、降り注ぐ矢や落ちて来る岩から身を守るだけで精一杯で多聞のことは頭の中から吹っ飛んでいた。阿用城攻めは二度目だが、何も見えず何も聞こえず何も考えられなかった。それほど反撃は激しかった。城兵は脱落が相次ぎ弱兵ばかりと侮っていた気分は木っ端微塵に打ち砕かれた。城を枕に死を覚悟した者達の士気は高かった。五年の間に空堀は増え一段と深くなり柵も櫓も強化されていた。

 山腹は尼子兵の血に染まり呻き声が覆った。だが、犠牲をものともしない数の力の前に、死体で埋まった空堀は乗り越えられ、柵は引き倒され、籠城兵はじりじりと山の頂へ追い上げられて行き、辰敬達はついに阿用城の尾根の北端を守る出丸を占拠した。

 ここまで七日を要した。山腹にへばりつき上ばかり見ていた辰敬は多聞に会うことは一度もなかった。一度似た人影にドキッと心の臓が鳴ったことがあった。多聞の鎧姿は見たことはないが、短軀で樽のような分厚い胸は鎧に包まれていても分かるつもりでいた。息を止めて見たその姿には、尼子兵を圧する猛々しさと重量感はなかった。

 桜井勢は本丸に籠城した。

 尼子国久は本陣を払い、阿用城の北の向城に移り、興久は磨石山の南の尾根に陣を移した。最早戦いの帰趨は決まったも同然であった。出丸には戦勝気分が蔓延していた。一人辰敬を除いて。

総攻撃の前夜は新月だった。暗夜、本丸の篝火が赤々と櫓や柵を浮かび上がらせていた。

出丸も静まり返り篝火の爆ぜる音しか聞こえなかった。離れた本丸を見つめる辰敬は本丸からも多聞が同じようにこちらを見つめているような気がしてならなかった。そう思っただけで胸が圧し潰されそうだった。多聞がすでに死んでいるとは考えなかった。そんな武士ではない。

(あの中に多聞さんがいる。今度こそ会うことになる。これまで会わなかったのは運が良かっただけだ。)

いよいよその時が明朝に迫っているこの期に及んで、覚悟も出来ていない自分をどうしていいのかもわからず気が狂いそうだった。このまま永遠に時が止まらないものかと思わずにはいられなかった。

 眠れぬ夜が過ぎて行く。

 かすかなざわめきが耳をぞわっと嫌な感じで(なぶ)った。耳鳴りかそれとも幻聴か。頭が重い。辰敬は疲労と寝不足のせいだと思ったが、すぐにそれは人の声の集まりと分かった。怒声と喚声が闇を突き破り、刀と刀が打ち合う激しい音も加わった。谷を越えて聞こえて来る。

「夜討ちだ。本陣に敵襲」

 出丸が騒然となった時、辰敬は出丸を飛び出していた。

 向城の篝火に駆け回る兵士たちの影が浮かび、雄叫びと激しい剣戟の音が暗い谷間を震わせていた。

 桜井方が向城の本陣を急襲したのだ。瞬時に辰敬は夜討ちを率いているのは多聞と悟った。恐らく多聞はこの戦いが始まった時から国久一人の命を狙っていたのだろう。阿用城には籠らず、磨石山の東に広がる山中深くに襲撃部隊を率いて潜み、国久を襲う機会をうかがっていたに違いない。多聞の姿が見えなかったはずだ。そして、決戦前夜の新月の夜、早や戦勝気分の漂う向城に斬り込んで来たのだ。多聞でなければ出来ないことだ。

 出丸から喚声を上げ救援部隊が地響きを立てて谷を下った。幾つもの松明が暗い谷間を下って行くのを見た時、辰敬も救援部隊と一緒に谷を滑り落ちていた。

「若」

 三郎助の声は聞こえなかった。

 あれほど戦場では多聞と会いたくないと思っていたのに、身体は向城に突進していた。自分でも不思議だった。自分で自分の体と思えなかった。何かが辰敬を駆り立て突き動かしていた。谷を転がり落ち向城の斜面をしゃにむによじ登った。

 向城には無残な光景が繰り広げられていた。追い詰められた一人の桜井兵に、数十人の尼子兵が襲い掛かり膾のように切り刻んだ。

さして広くない向城の内の何ヵ所かで、絶望的な抵抗を試みる兵士が一人また一人と血祭にあげられて行く。その阿鼻叫喚の火の粉が舞い上がる向こうに、近習に守られて床几に坐す国久の微動だにしない姿がちらりと視界を過ったが、辰敬は狂ったように駆け続けた。鎧を被ったこって牛のような武士を探して。

(多聞さん、多聞さん)

 心が叫んでいた。ほとんど悲鳴だった。

 辰敬は向城を突っ切って裏手に出た。どこにも多聞の姿はなかった。篝火は倒れ燃え燻る炎の中には敵味方の死体が幾つか横たわっているだけであった。恐らく斬り込んだのは二、三十人ほどの部隊か。全員死ぬ覚悟で。多聞は国久と刺し違える覚悟で。

(いったい多聞さんはどこに)

 引き返そうとした時、がしっと足首を掴まれた。はっと振り返ると壊れた柵の隙間から血まみれの手が伸びていた。振り払おうとしたが、猛禽の爪のように食い込んだ指は離れず、体勢を崩した辰敬は壊れた柵ごと堀切の下に転落した。

 ガシャッと鎧と鎧がぶつかる音がした。辰敬の下には固い鎧があったが、分厚く逞しい胸の上に乗っていることがすぐに分かった。その胴丸がひゅうっと(ふいご)のような息を吐いた。辰敬は飛び離れると暗闇の中で覆い被さるように鎧武者を覗き込んだ。鎧はべっとりと血に濡れていた。

「多聞さんか、多聞さんか」

またひゅうっと胸が鳴った時、松明の明かりが射し込まれた。炎が炎よりも赤い悪鬼の形相を浮かび上がらせた。辰敬は凍り付いた。兜はなかった。ざんばら髪の頭は割れ夥しい血糊が髪にも顔にも貼りついていた。初めは多聞とは分からなかった。それほど想像を絶する凄まじい変わりようだった。片目も抉られていた。刀傷は数え切れなかった。胴丸にも槍が貫いた穴があり、胸が鳴るたびに血糊が噴き出した。

松明が降りて来た。かざしているのは三郎助だった。三郎助は目を背けた。

辰敬は顔を覆う蓬のような髪をそっとかき分けた。もう一方の細い目が現れた。いつも眠っているような目。見えているのか見えていないのか分からないような目がそこにあった。

「多聞さん、辰敬じゃ」

 細い目の隙間が微かに光った。

 ううっと言葉にならない声が漏れるとごほっと血を吐いた。

「多聞さん、しっかり。何じゃ、何を言いたいんじゃ」

 思わず顔を近づけると生温い血の臭いがかすれた声を押し出した。

「……かいしゃくを」

「何じゃと」

 全身が凍り付いた。言葉を失い、我を失い、それが長い時間だったのか、ほんの一瞬だったのかも分からなかった。

「……頼む……介錯を……」

 強い声だった。

 辰敬は思わず三郎助を振り返った。三郎助は何も言わなかった。表情一つ変えない顔は怒っているように見えた。辰敬が振り返ったことを。松明に赤々と浮かぶ三郎助は憤怒(ふんぬ)と炎の化身、不動明王だった。

「……御屋形様のもとへ」

 乞い願う声であった。辰敬の身も心も震えた。多聞の最期の願いが分からぬ辰敬ではないが……。

「お前の手で行きたいのじゃ……それが本望じゃ……」

 血の声を振り絞って多聞が叱った。

「……尼子の端武者が儂の首を獲ってもよいのか」

 細い片目がかっと見開かれた時、せめても辰敬に出来たことは、この世で最後の血の色に染まった視野一杯に己が顔を映して見せる事だった。そして……。

「御免」

 腰刀を抜くやぐさりと首に突き立てた。

 本当は何か叫ばずにはいられなかった。胸が張り裂けんばかりの声を力にせずば、到底なしえない行為だったが、辰敬を押しとどめたのは多聞にそのような無様な声は聞かせたくないと言う思いだったのであった。ただ一人多聞を敬い、愛した武士の顔で多聞を送りたかったのだ。

 噴き出す血はもはや勢いさえ失っていた。

 七年前、人の妻になった娘が暮らす土倉の前を通って都を後にした時、辰敬は首を斬る武士になると決別の言葉を吐いた。それは十七歳の自分への決別でもあったが、七年の歳月が過ぎこのような形で首を斬る武士になるとは。

 夜明けとともに総攻撃が行われ阿用城は落ちた。

 

    第五章 出雲の武士(7)

 

 衰えは露わだったが口は衰えていなかった。それが当たり前のように早速多聞の手当てを始めたがしきりに首を傾げた。

「骨は折れてはおらん、深い傷もない。風邪でもない、流行り病でもなさそうじゃが……この熱は一体何じゃ……」

 探るような目を向けた。

「知り合いか」

 辰敬の態度でただの行倒れを拾って来たのではないことは分かったようだ。辰敬は曖昧に頷いた。小屋爺はそれ以上訊かず、仔細に多聞の身体を調べた。辰敬は額の手拭いを何度も取り替えた。息は荒く胸が波打っていた。鋼のように逞しかった体にあばらが浮いている。

 足を触っていた小屋爺の目が脹脛(ふくらはぎ)の一点に釘付けになった。

「これか、わかったぞ。この御仁はツツガムシにやられたのじゃ」

「ツツガムシ」

 辰敬は怪訝な声を返した。

「聞いたことはある。山の中におる妖怪で、こいつに取り付かれると恐ろしい病になると」

 小屋爺はふんと鼻で笑うと、

「よく見ろ」

 指さしたところに目を凝らさなければわからない針で刺したような傷があった。

「ダニに刺されたのじゃ」

「ダニじゃと」

「余りにも小さく誰も気が付かぬ。それゆえツツガムシと言う妖怪の仕業と信じられるようになったのじゃ。この様子じゃと今夜あたり発疹が出て足にむくみが出る。放っておけば血が固まって死ぬ」

「小屋爺、助けてくれ。この人は恩人じゃ」

 一瞬黄色く濁った眼が光ったように見えたが、小屋爺は立ち上がりごそごそと薬草を取り出して来て辰敬に渡した。

「儂はもう無理じゃけん。辰敬殿、轢いてごしなされ」

 辰敬は一心に薬研を轢き高熱でうなされる多聞に薬を飲ませた。夕方になっても容態は変わらずその夜は一睡もせず看病した。いつの間にか小屋爺は小屋の片隅で眠り込んでいた。

 明け方、辰敬がうとうとしかけた時かすかに多聞が呻いた。はっと辰敬が多聞の顔を覗き込んだのと多聞の瞼が開いたのが同時だった。

「多聞さん」

 ぼんやりと見上げる顔に辰敬は叫んだ。

「辰敬じゃ」

 目と目がぶつかった。

「おお……」

 多聞は目を見開いた。よほど驚いたのか、呆けたようにすぐには口もきけないほどだった。

「よかった、もう大丈夫じゃ」

 涙が出るほど嬉しかった。

「多聞さん、ツツガムシに刺されて倒れたところを、偶然、俺が助けたのじゃ」

「ツツガムシじゃと……」

 多聞は顔を顰めながら体を起こした。

「道理でこの二、三日、具合が悪かったはずじゃ」

 改めて辰敬の顔を覗き込むと、

「それにしてもわぬしに助けられるとはのう」

 やつれた顔に辰敬が知っている笑みが浮かんだ。

「船岡山で助けてごしたことから比べたら……」

 数年の隔たりを確かめるように二人は見つめ合った。

「がいになったのう」

 辰敬は苦笑した。

「妻は」

 首を振った。

「とてもとても……冷や飯食いじゃけん」

 多聞は黙って見返した。お互いに長い不通の歳月が楽しいものではなかったことを確かめる沈黙が経過した。

ふと辰敬の頭を過るものがあった。

「もしや、守護所に忍び込もうとしたのは多聞さんか」

 多聞の目に不敵な光が宿った。小さく頷き何か言おうとした時、大きな欠伸が聞こえた。

多聞ははっと振り返った。小屋の片隅に丸くなって寝ていた小屋爺がもぞもぞと起き上がった。

「ああ、よう寝たわ」

多聞と目が合うと歯のない口を開けてにたりと笑った。

「助かったようじゃのう。さてと、小便してから朝飯を作るとするか」

 もそもそと出て行く老人を多聞は鋭い目で見送った。

「ツツガムシの薬を作ってくれた爺さんじゃ。俺を子供の頃から可愛がってくれた。いつも俺の味方じゃった。信用していい爺さんじゃけん」

 多聞は頷くと小さな声で呟いた。

「吉童子丸様にご挨拶したかったのじゃ」

 やはりと辰敬は頷き返した。

「俺も出雲に下向されてから会えないでいる」

 二人にだけ通じる思いをしばし噛みしめていた。

 辰敬には聞きたいことがあった。

「船岡山で別れてしまったから聞けなかったんじゃが、東国へ下ったはずの多聞さんが、どうしてあの時都に戻っていたのじゃ」

 多聞の顔が石になった。何も語りたくないと言うかのように。辰敬は待った。やがて石は語り始めた。辛く悲しいことは多聞をもってしても長い間閉じ込めておくことは出来なかったのであった。

「伊豆へ着いてからの一年は幸せじゃった」

 多聞とすえは老夫婦に養われていた松王丸と会うことが出来た。松王丸も多聞を慕い、老夫婦を加えた五人は一つの家族となり、伊豆の漁村で半農半漁の暮らしを始めた。戦乱の世とは別世界の静かな海辺で、笑い声に満ちた幸せな暮らしは永遠に続くかと思われたが、ある日、多聞が漁から戻って来ると、海面にすえと松王丸の水死体が浮かんでいた。

 浜に戻ると老夫婦も殺されていた。

「今川家を頼った旧主の遺臣たちが、お家の再興をはかろうと松王丸を探し出し、連れ戻そうとしたのじゃ。年寄りが止めようとしたのだが殺され、逃げたすえと松王丸は断崖から足を踏み外し、海へ落ちてしまったのじゃ」

 石が抜け殻になっていた。

「あの日から儂は生ける屍になったのじゃ。どこをどう彷徨ったのかも覚えておらん。気が付いたら都に戻っていた。偶然、京極家の雑色に会い、わぬしの初陣を知ったのじゃ」

 多聞は辰敬を見つめた。

「ほうっておけなくてなあ」

 たまらなく優しい顔だった。辰敬は深々と頭を垂れた。その頭の上を多聞の声が流れて行く。

「船岡山の後は南へ向かった。生きることは辛いが死ぬことも出来ぬ。気が付いたら修験者になっていた。別に修験の道を究めようと思ったわけではない。放浪して生きて行くのに都合がよかったのじゃ。気が付いたら五年の月日が経っていた。人里離れた山奥にばかりいたので、三年前に阿用城の戦いがあったことを知ったのはつい三カ月前のことじゃった……」

 声音(こわね)が変わった。面を上げると武士(もののふ)の顔があった。たまらなく懐かしい顔。

「故あって出雲を出奔したとは言え、儂も桜井宗的様の縁に連なる者じゃ。どうして主家の危急を見過ごせよう。思えば出雲には御屋形様のお墓もある。吉童子丸様も大方様も御出でになる。引き寄せられるように戻って来たのじゃ」

 声が潤んだかと思うと不意に涙が溢れた。飛沫となって噴き出すほどの勢いで。

「飛ぶように戻って来たのじゃ」

抑えに抑えた感情が激情となって迸るのも多聞だった。

「お会いしたかったのじゃ。吉童子丸様に。今生のお別れをしたかったのじゃ」

 はっと辰敬は多聞を見つめた。

「大方様にもお別れをしたかった……御屋形様にはもうすぐお側に行くとお伝えしたかったのじゃ」

 辰敬は圧倒された。

(多聞さんは阿用城に入り、城を枕に死ぬ気でいるのだ)

 ここにも死を覚悟する武士がいた。名状し難い感動で心も身体も焼けるように熱くなった。辰敬は少年の頃から多聞こそ本物の武士と憧れていた。多聞はまさにまごうことなき武士だった。ここに辰敬が目指す武士がいる。辰敬は真っ直ぐに多聞の目を見つめた。多聞の目にも辰敬が映っていた。そのことに気が付いた時、辰敬の目に込み上げて来るものがあった。多聞の目も光った。

 そこへ、小屋爺が顔を覗かせた。

「辰敬殿、わぬしを探しておる者を連れて来たぞ」

 後ろに馬丁の顔が見えた。一晩待っても戻って来なかったので、心配して探しに来たのだ。

 辰敬は多聞に杵築に戻らなければならない事情を説明した。

「別れに涙は似合わぬ。笑って別れよう」

 阿用城に入ることは尼子の敵になる事。二人は敵味方に分かれる。次の戦いで阿用城が持ちこたえる可能性は百に一つもない。今生の別れを多聞は笑って別れようと言う。

 辰敬と多聞は連れ立って小屋を出た。

 向かい合うと辰敬の方から先に笑みを見せた。多聞より先に笑って見せようと決めていたのだ。多聞も莞爾と笑った。

 辰敬は馬丁と馬を繋いである所へ向かった。

六年前は新しい人生に旅立つ多聞を見送る別れだったが、此度は見送られる別れだった。辰敬は背中に強い視線を感じていた。進め、前へ進め、何があろうと前へ進めと背を押す視線だった。

 

 杵築へ着き、二ヶ月も経ってから、辰敬はようやく富田へ戻る用を言い遣った。季節は秋に変わっていた。

 辰敬は馬を急がせ、小屋爺の小屋に立ち寄った。

「あの後、二日ほどしたらよくなったので出て行ったわ。西へ向かったから峠を越えたのじゃろう。どこへ行ったのかは分からん。噂も聞いておらん」

 辰敬は分かっていた。阿用城に向かったに決まっている。が、その前に、八幡に立ち寄り、密かに御屋形様のお墓に参り、別宮の大方様にご挨拶したはずだ。多聞なら必ずそうする。

 用件は時間がかかる事ではなかったので、辰敬はすぐに杵築へ引き返さなければならなかった。

 丁度その日が御屋形様の月命日だった。

 短い滞在の間、辰敬は多聞のことを考え続けていた。別れた朝の多聞の言葉と顔が蘇って離れることはなかった。馬に揺られる今も。小屋爺の小屋に近い山道に差し掛かった時、不意に谷底から多聞の声が湧き上がるように聞こえて来た。大方様とは今生の別れをし、御屋形様にはお側へ行くと言った言葉を。

 辰敬は峠を越えたところで馬丁を待たせると、馬に激しく鞭をくれた。

 八幡へひた走り、安国寺に乗り付けると、御屋形様の墓石の前に立った。ようやくここへ来ることが出来た感慨を噛みしめ、かくも遅れてしまったことを詫びながら。八年ぶりに会う人は石になっていた。戒名を彫っただけの自然石だった。笑顔もなければ声も聞こえない。あるのは栖雲寺殿巨川宗済と刻み込まれた文字のみ。辰敬は手を伸ばし指で文字をなぞった。あたかもそれは幼い子が老爺の頬をなぞるかのようであった。魂が宿っているならばあの懐かしいふんわりと包み込むような温かさが伝わって来るのではないかと思ったのだが……。辰敬は耳を近づけた。せめて御屋形様の声でも聞こえぬものかと。

「辰敬殿ではないか」

 辰敬は吃驚して飛び退いた。

 現れたのはおまんだった。

 おまんはまじまじと辰敬を見据えた。

「来てはならぬと大方様がおおせになられましたのに……」

 首を振るとため息を漏らした。

 辰敬は頭を垂れた。

 そのおまんの目にふっと笑みが浮かんだ。

「……いずれ、あなた様も御出でになると思ってはいましたけどね」

 はっと辰敬は顔を上げた。

「と、言うことは多聞さんも来たのですね」

「ここでは人目に立ちます」

 

 二人は寺の奥座敷で向かい合った。

「わらわも年を取るはずじゃ。四年になりますからねえ」

 出雲に帰国した翌年、大方様に会いに行った辰敬は謹慎させられた。その後、許しを請う大方様の言葉を伝えに来たのがおまんだった。

 おまんは惚れ惚れと辰敬を見つめた。

「まだ独り身と聞いております。勿体ない事じゃ。世が世なれば御屋形様が佳き妻を見つけて下さったでしょうにねえ」

 思うだに詮無い事だった。辰敬は首を振ると話を元に戻した。

「先ほどの話ですが、多聞さんは来たのですね」

 おまんは頷いた。

「いつのことでしょうか」

「二月ほど前に」

 思った通りだった。

「夜更けに墓参りをされた後、密かに大方様を訪ねて来られたのです。お暇を告げられ、阿用城に向かわれました」

 おまんはそっと目尻を拭った。

「私はずっと疑問に思っていたのですが、多聞さんは尼子の武士なのに、なぜ京極家に一途に尽くされるのでしょうか。桜井家は多胡家同様京極恩顧の家と聞いておりますが、それにしても多聞さんの御屋形様、大方様、吉童子丸様への思いは並外れております」

「いつかはお話ししようと思っていたのですが、ようやくその時が来ましたね」

 おまんの話によると、出雲に下向していた御屋形様が狩りに出た時、行倒れて死んだ母親の胸で泣いている赤子を見つけた。御屋形様は哀れに思い、その赤子を拾って帰り、屋敷で育てた。それが多聞だったのである。

 多聞が十二歳の時、多聞の出自が判明する。

 桜井家の分家の庶子だった。分家に奉公に上がった端女が生んだ子だったが、正妻に命を狙われ、母は子を抱いて逃亡したのであった。

 悲劇の構図はすえと松王丸母子と同じだった。辰敬はすえとともに東国へ旅立った多聞の心情を今初めて知った。自分と同じ境遇の母子を幸せにしてやりたい一心だったのである。

「分家はその後後継ぎが早世し、主も死に、お家は絶えたのですが、御屋形様が桜井宗的様に頼んで、多聞殿に分家を継がせたのでございます。多聞殿がどれだけ御屋形様に恩義を感じておられるかおわかりになりましたでしょう。多聞殿にとって御屋形様は実の親をも越えるお方なのです。胸に抱く熱い思いはいつも御屋形様お一人のみ。御屋形様への忠義こそがすべてなのです」

 女とは思えぬ火を吐くような言葉が迸った。

「桜井家は尼子に属し、多聞殿は桜井の分家を継ぐ身なれど、心は常に京極家と共にあったのです。京極家から出雲を奪った尼子を許せなかったのです」

 はっと口を押えると苦笑いを浮かべた。

「わらわとしたことが……人に聞かれたらどうしましょう」

 だが目は笑ってはいなかった。その目をひたと当てると声を落とした。

「桜井宗的殿が叛旗を翻したことは多聞殿にとっては願ってもない事だったのです。負けると分かっていても、尼子に一矢を報いることが、御屋形様の御恩に報いることなのです」

 御屋形様恩顧の武士と認めていても、尼子家の重臣の子にここまで胸を切り裂いて見せるのはただ事ではない。京極家の尼子家に対する怨念は分かっていても、ここまであからさまにぶつけられたらたじろがざるを得なかった。

「今日はわらわはどうかしておったようじゃ。多聞殿のことになるとつい…‥‥」

 恥じらったように笑った。

「今の話は忘れてたもれ」

 辰敬は深々と頭を垂れ、その場を辞した。

 大方様に御目通りを願うことなど到底頼めることではなかった。多聞の過去を知り、京極家への思いの深さを知った後では

 

 その頃、尼子経久は備中国の新見氏に援軍を派遣する一方、西伯耆の国人を動員して、美作国に遠征する準備を進めていた。義興の帰国が延びた隙を突き、全方位で尼子の勢力拡大を図っていたのである。

 すると、そこに思いもかけない報せがもたらされた。九月二十一日、毛利興元が急死した。二十四歳であった。青天の霹靂だった。毛利家は興元の子幸松丸を跡継ぎに立て、後見人に興元の弟元就(もとなり)を当てた。幸松丸は三歳。元就は十九歳だった。

 安芸国人一揆は動揺した。興元は一揆をまとめ上げた中心人物であり、知略に長け、勇猛で知られていた。芸北の盆地の一国人領主に過ぎなかったが、将来を期待された武将であった。その若き盟主が突然消えてしまったのだ。幸松丸は幼く、後見の元就は海の物とも山の物ともつかぬ若者と思われていた。

 武田元繁は直ちに反撃の烽火を上げた。周辺の国人たちを糾合し勢力を立て直すと、有田城奪還の準備を始めた。

 その安芸の情勢を見て、経久は美作に討ち入った。

 最愛の子、政久を失った時は天を呪った経久であったが、興元の急死に対しては天の采配の妙に唸ったのであった。天は幸も不幸も、運も不運も、平等であることに。

 陰陽は西も東もきな臭さを増し、動揺は諸国に伝染病のように広がった。これこそ尼子の望んだものであった。

 

 年を越して、二月になった。

 武田元繁は再び山県郡に侵入すると、郡内の国人たちと共に吉川領に攻め込んだ。ここは吉川元経が必死に防戦し、どうにか元繁を撃退した。

 一方、都の大内義興はこれほど混乱が広がっても帰国しようとはしなかった。この頃には義興と将軍義稙の不仲は決定的なものとなっていたので、誰もが不思議がった。四月になってその理由が分かった。義興が石見守護に補任された。

 経久は歯ぎしりした。

 義興は将軍とまた取引をしたのだ。義興の軍事力を頼りにせざるを得ない将軍は、去年、対明貿易の独占権を与え、今春は石見国を与えたのだ。義興の高笑いが聞こえるようだった。

 石見国の守護も山名氏だった。安芸国同様没落して今は大内氏が実効支配しているとは言え、国人領主たちは競い合っていた。当然、経久も虎視眈々と隣国を狙っていた。それをまんまと義興に取られてしまったのだ。出雲国を実効支配しながら、未だに出雲守護と認められない経久にとって、その悔しさは言葉に尽くせぬ。悔しさの余り、夜も眠れないほどだった。だが、天は大内氏ばかりに天秤が傾くようなことはしなかった。

 石見国には前守護山名氏恩顧の国人領主達がいて、彼らは大内氏に抵抗の姿勢を示したのである。各地で抗争が勃発した。

 経久はここぞと前守護派の国人領主たちを支援した。

 杵築と雲石の国境への距離は、富田へ戻るよりも近かったから、石見の情勢は日々もたらされる。安芸や備後、備中、伯耆の混乱は自分の置かれた状況を考えたら、所詮は関係のない事と冷めた目で見ていたが、こと石見となると辰敬も平静ではいられなくなった。

石見の邑智郡の中野には多胡家の領地があり、余勢城がある。

辰敬は父に呼びつけられると、正国と共に余勢城へ行くことを命じられた。余勢城は応仁の乱で戦功のあった祖父の俊英が中野の地を賜った時に築いた城である。所領は四千貫もある。豊かな土地で、破格の褒賞であった。多胡家にとっては家門の誉れたる地である。

辰敬は富田に戻って支度を整えると、兄に従い、三十騎を率いて西下した。石見へ行くのも、余勢城へ行くのも初めてだった。

石見の名峰三瓶山(さんべさん)を見ながら進むと江の川にぶつかる。三瓶は古代出雲の国引き神話で、朝鮮や隠岐の島を引き寄せる綱の杭となったと語られる山で、江の川は中国山地を源流とする石見の大河である。石見の平地に出て流れがゆったりとしたところで渡河すると、中野は目と鼻の先であった。

南は中国山地がなだらかに続き、周囲はさして高くない山々に囲まれた台地の中に広がる盆地だった。

 余勢城はその盆地の中の丘に築かれた平城だった。山城に籠って戦うのが当たり前の時代に平城は珍しい。

 だが、広い丘を削り、堀を巡らし、突き固めた砦は、東西に流れる川があり、周囲は沼地となっていて、一目で攻めるに難しい城と分かる。

中野を預かる家老沖五郎正末以下譜代の家臣たちが総出で迎えた。

正国は早速各地の情勢を検討し、対応策を講じた。各地の国人たちの目的は既得の権益を守ることや、帰属が定かでない境界を確定するなど、どこにでもあり、常に争っている事であるが、今石見で起きていることは、新守護が補任されたことにより、より有利な立場を得ようとする争いが激しくなったものであった。特に不利を被ると予想される前守護派は権益の確保に躍起になった。抵抗の姿勢を示すことも重要だった。それは取引の材料になるからである。尼子氏の立場はそのような反大内勢に肩入れし、彼らの力が弱体化しないように支えることだった。その為に多胡家は他の親尼子の諸家とともに物心両面の支援をする。それが石見での尼子氏の存在感を高めことになるのだ。

すぐに大きな戦が始まる訳ではないが、戦と言うものは何がきっかけで勃発するか分からないし、一旦火が付くと燎原の火となる。油断はならなかった。

正国は反大内側との連絡を密にし、連日重臣との評定を重ねた。

辰敬は評定に出たり、時には使者に立つこともあったが、時間が空いた時は、余勢城を守る支城を見て回った。供は三郎助である。盆地をぐるりと囲む台地や山裾に余勢城の水源を守る城などが築かれていた。

 時には緊張が走り、小部隊を繰り出すこともあったが、じりじりと焼き焦がされるような夏は過ぎ、秋が来た。辰敬の関心は次第に石見国内より中国山地を越えた隣国安芸国芸北の情勢に向けられるようになった。芸北も嵐の前の不気味な静けさを漂わせていた。尼子経久は武田元繁を支援しているが、経久の妻は吉川経基の娘であった。尼子家と吉川家は親戚なのである。吉川氏は一方毛利とも姻戚関係にあった。吉川経基の孫元経の妻は毛利興元、元就兄弟の姉であり、さらに元就の妻は元経の年の離れた妹であった。吉川氏は勇猛なだけではなく、戦国の世を生き抜く確かな嗅覚を持った家でもあった。その吉川領は石見国に接し、吉川氏の本拠がある大朝は中野からも近い。無関心でいられる訳がない。

十月に入るや満を持して武田元繁が動いた。五千の大軍を率いると一気に有田城に迫った。元繁の目論見は有田城を奪還し、その勢いで毛利の本拠安芸吉田をも支配下に置くことであった。

毛利・吉川軍は立ち向かうも、併せて兵は千に過ぎなかった。防戦も及ばず十月三日には有田城を包囲されてしまった。それでも連合軍は決して挫けることなく執拗に反撃した。跳ね返されても、蹴散らされても、挑み続けた。その戦いを率いるのが弱冠二十歳の毛利元就である。しかも初陣であった。誰が見ても勝ち目のない戦いを、なぜにこれほど連合軍は戦えるのか。血に結ばれた絆だけではない。元経は齢六十歳に近い老武将だったが、若い元就の力を見抜いたからこそ吉川家の命運を賭けて元就を支えたのだ。そういう声は辰敬にも聞こえて来ていた。元就とは一体どんな若者なのだろう。

「兄上、私を有田に行かせてください」

 

 

     第五章 出雲の武士(6

 

 尼子政久の死から一年たった九月六日、政久の葬儀が盛大に執り行われた。これこそ三沢攻めの烽火(のろし)だった。普通に考えれば弔い合戦は阿用城攻めになるのだが、周辺諸国や出雲の情勢を鑑み、経久はより大きな目標、出雲全土の完全制圧に打って出たのである。その先には周辺諸国を切り取り、さらには中国全土に覇を唱えんとする野望が煮え滾っていた。盤石不滅の尼子王国を打ち建て後継者たる孫に譲る。ただ一つそのためにのみ残された人生の全てを捧げる決意をした男の戦いが始まったのだ。その為にも国内の反尼子勢力は根絶しなければならぬ。

 安来津は沸き立った。

 膨大な兵糧や軍需物資が富田に送り込まれることになる。安来の港はその兵站基地になる。

その興奮は辰敬をも駆り立てた。借りている家に戻ると部屋の片隅に置いてある鎧櫃を部屋の真ん中に引っ張り出した。富田から運んで来たものである。黒光りする鎧を取り出すと船岡山や阿用城での苦い記憶が蘇る。今度こそ汚名挽回しなければならぬ。深く心に期すものがあった。

だが、安来津役所の天地がひっくり返るような騒ぎに比べて、小さな詰め所は冷めていた。蔵番に回されて馬齢を重ねた矢田や笹野の刀はとっくに錆びついていた。いきり立っているのは若い二人だけだった。とりわけ飯塚の焦りと苛立ちは辰敬でさえ目を背けたくなるほどだった。そんな二人を見て矢田達はせせら笑った。

「蔵番は蔵の番をしとればいいのじゃ」

 安来平野の稲刈りが終わった。

 いよいよ出陣の日が近づいた時、突然、飯塚が狂ったように詰め所に駆け込んで来た。「やったぞ、お召出しじゃ。長谷川様のご家来に取り立てられたのじゃ」

 馬廻衆長谷川家の家士が急死し人手が足りなくなったので急遽召し出されたのである。多胡家に雇って欲しくて辰敬にすり寄っていたが、実は何年も前から長谷川家の知り合いに売り込んでいたのだ。騎馬に従う侍で足軽に毛が生えたようなものだが飯塚は喜びで胴震いした。

「手柄を挙げて出世するけん。もうこげな所には戻って来んけん」

 意気揚々と出て行く飯塚を見送る辰敬は羨望を隠すことが出来なかったが、矢田と笹野の目には憐れみの色が浮かんでいた。お頭の顔からは何の表情も読み取れなかった。

 十月に入り、尼子経久は自ら大軍を率い奥出雲横田庄を目指して発進した。兄正国も片寄家に養子に行った次兄の重明も出陣したと聞いたが、富田からは何の連絡もなかった。

 この辺りには多胡家の領地があり、同じ鎌倉期に移って来た多胡一族の領地もあるが、実家の様子が漏れ伝わって来ることはなかった。辰敬は前のめりになった分だけ落胆したが連絡がないのも当然のことである。辰敬の任務は安来津の蔵番なのだから。せめて輸送部隊に加わることに望みをかけたがそれもかなわなかった。

連日、膨大な物資が富田川を遡って送り出されるのを辰敬は虚しく見送った。

 

 経久は中国山地奥深くに分け入ると一気に横田庄に侵入し、三沢遠江守為忠と庶子の三沢為国が立て籠もる藤ケ瀬城を攻撃した。

 三沢氏の本領は横田庄の西方三沢郷で、三沢城には嫡子三沢為永があった。藤ケ瀬城は為忠が永正六年に築いたもので、為忠は隠居し、三沢城は為永に譲ったのである。

 為忠為国父子は頑強に抵抗した。藤ケ瀬城の近くには真言宗の古刹岩屋寺があり古くから蔵王信仰と修験道の中心であった。その岩屋寺の寺衆、岩屋衆も藤ケ瀬城に籠城した。

 戦況は日々安来津にも届いたが、年内に大きな変化はなく戦いは越年した。

 辰敬に出来ることは二人の兄たちの武運を祈ることだけであった。

 二月に入り飯塚が五人斬りの大手柄を挙げたとの報せが飛び込んで来た。尼子勢が岩屋寺に総攻撃を仕掛けたのである。古来より奥出雲の信仰の中心であり、強大な勢力を誇っていた岩屋寺は燃え落ち灰燼に帰した。飯塚の手柄はこの戦いの中で挙げられたものである。

 詰所にどよめきの声が上がった。

 斬り殺したのは僧兵であろう。ただの坊主ではない。仏法護持、仏敵誅滅の刃を揮う精強極まりない武装集団である。

「たまげたのう、あいつ、そげに強かったとは。これで長谷川家に取り立てられること間違いなしじゃ。念願の侍になれるわけじゃ」

 感嘆する矢田の声が辰敬の脳裡に返り血で真っ赤に染まった飯塚の顔を浮かび上がらせた。赤鬼のような顔が歯を剝き勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「ふん」

 笹野が冷ややかに言い放った。

「仏に仕える者を五人も殺してただですむはずがないぞ」

 矢田は黙った。

 お頭はこの騒ぎの間もずっと背を向けて横になっていた。

 暫くして為忠為国父子は初めの抵抗はどこへやらあっさり降伏した。

 安来津に歓呼の声が上がった翌日、飯塚が死んだことが分かった。勝ち戦の祝い酒に酔った飯塚は川に突き落とされ溺れ死んだと言う。突き落としたのは岩屋衆の女房だったらしい。

「ほれ、見い。仏罰が下ったのじゃ」

 矢田は頷き、

「哀れじゃのう」

「馬鹿じゃ」

 笹野は吐き捨てたが辰敬は何も言えなかった。哀れと思い同情もしたが、武士になりたくて足掻いた飯塚と己が体面しか考えなかった辰敬とは同じ穴の狢だった。

 戦後処理は経久流だった。経久は領地の一部を召し上げたが、父子の命は助けた。経久は厳罰と温情を巧みに使い分ける。本領の三沢城から動かなかった為忠の嫡子三沢為永を意識してのものであった。

 

「くそっ」

 不意に怒声が響いた。辰敬は驚いて振り返った。お頭がこんなに大きな声を上げることはなかったからである。夢でも見ていてうなされたのかと思ったが瀬島はむっくりと起き上がった。

 富田に経久が凱旋して数日後の晩春の昼下がりだった。詰め所には辰敬と瀬島の二人きりだった。居眠りの妨げになるので窓の蔀は降ろされ入り口も半分閉じられていたから詰め所の内部はいつも薄暗い。その詰所の奥の一番暗い定位置で瀬島は俯いたまま木像のように動かなかった。まだ寝ぼけているのかと思ったら、

「三沢はどの面晒して生きておるのか……」

 独り言つように呟くと屹度面を上げ、

「降伏するなら初めから戦わなければよいではないか」

 火を吐く声だった。

「どれだけ多くの命が消えたか」

 老躯を振り絞った。お頭は飯塚の死を悼んでいたのだ。お頭は語り掛けるように続けた。明らかにそこにいるのが辰敬一人と分かった上で。

「三沢は腹を切る覚悟もなく戦ったのじゃ。本気で戦う気なら三沢城の為永も戦いに加わっていたはず。そんな戦いに付き合わされて死んだ者が哀れでならん」

「見よ、阿用の桜井宗的殿を」

 老躯が天を突いた。

「三沢とは比べ物にならぬ小領主じゃが、命を懸けて戦ったからこそ尼子の大軍を押し返し、未だに孤塁を守っておるではないか。城を枕に死ぬ気でおるからじゃ。三沢の親子には桜井殿の爪の垢を煎じて飲めと言ってやりたい」

 辰敬は息を呑んだ。世間に背を向けた、偏屈な老人と思っていたお頭のどこからこのような激しい言葉が出て来るのか。経久に疎まれて蔵番に落とされたと言う話が甦った。瀬島が犠牲を強いる無謀な戦いを諫めたのは事実だったに違いない。

「武士は最期に腹を切れるかどうかただその一点で名聞が定まるのじゃ。名を残してこそ武士じゃ」

 まさに武士ならばそうありたい言葉だが今の辰敬には遠い世界の言葉に思えた。数年前、管領細川京兆家の跡目争いに敗れた細川澄之が十九歳の若さで自害した時、辰敬は言葉にならないほどの衝撃を受け、到底自分には真似出来ないことと思った。今、初陣を含めて二つの戦いを経験し、齢二十歳をも過ぎてしまったが、十九歳の澄之には到底及ばない。

 瀬島はごろりと横になった。

 その後ろ姿を見ながら辰敬は思った。痩せた背中のこの人は、こんな自分が将来腹を切れるような武士になると本当に思っているのだろうか。そうでなければ突然こんなことは言わないはずだ。どこか認めるところがあっての言葉なら悪い気はしないが、正直に言わせて貰うなら腹を横一文字に掻き切ることなど考えたくもなかった。

寝息が聞こえて来た。

 

奥出雲を抑えた経久は勝利の余韻に浸る間もなく、東は伯耆、西は石見を窺い、さらにその隣国安芸にも食指を伸ばした。先年の備後への南下は頓挫したが大内不在の今こそが勢力拡大の絶好機であることに変わりはない。

折しも安芸の政情は混乱を極めていた。室町時代の初めまでは武田氏が安芸国守護だったことがあったが、その後、武田氏は幾つかの郡を治めるだけの分郡守護に落とされてしまった。やがて安芸国守護は山名氏となったが、世の流れで力を失い、大内氏が実効支配するようになった。ところが、義興の在京が長くなり、諸勢力が勝手な行動を取り出した。そこで義興は一緒に上洛していた武田元繁を帰国させ、混乱を治めようとした。帰国に当たっては元繁の謀反を警戒し、養女を妻として与えた。にもかかわらず、安芸に戻るや否や元繁は妻を離縁し、尼子経久の弟である尼子久幸の娘を妻とした。義興に叛旗を翻したのである。

かねてより安芸守護を望む元繁の野心を知る経久の工作が実を結んだのであった。

元繁は混乱に乗じ勢力の拡大を計った。

義興は激怒し、毛利興元と吉川元経に武田退治を命じたので、安芸の北部地域は一気に緊張した。

港にいるとこのような情報は荷物と一緒に海からも陸からも次々と入って来るが、蔵番の仕事は何一つ変わることなく過ぎて行った。世界は辰敬と無関係に動いていた。まるで辰敬は無用な人間だと言うように。

 

夏の終わりに一通の文が届いた。

きいからの文だった。辰敬が富田を出てから初めて受け取る文である。武家の未婚の男女が文のやり取りをすることなど出来るはずもなく、一年ばかり音信不通だった。この文も人手を介して届けられたものであった。

胸がざわめいた。

この秋に嫁ぐと認めてあった。富田衆の辰敬も名を知っている家で、祖母が亡くなった後、親がすぐに決めた縁談であると、自制のきいた文章で事実だけが記されていた。

ああ、声にならないため息を秋風が生垣の向こうへ運び去った。

辰敬は富田に戻ればきいがいるものと思っていた。将来を約束した訳ではないが、辰敬贔屓の祖母が可愛い孫娘と辰敬を見つめる眼差しを思い起こせば、辰敬にも彩に満ちた世界が待っていると安来津の暮らしの慰めにしていたのである。

だが、それは玉木家を牛耳る女隠居が健在でこその話で、女隠居が死んでしまったらこうなることは分かっていたことだった。だからこそきいは事実だけを墨にしたのだ。辰敬は墨痕に目を凝らした。かすかに滲んでいた。閉じ込めても閉じ込められないものが今にも溢れ出そうとしているように思えた。

 辰敬は燃やした。無用の人間にとって無用の物だった。すべては灰にしてしまうのが今の自分に一番ふさわしいと思ったのである。

それでも秋が深まって来ると嫁ぐきいの姿が浮かんで来た。そろそろ嫁ぐのだろうか、いや、もう嫁いでしまったのだろうかと。未練をそぞろ侘しい季節のせいにした。早く、秋が過ぎることを願って。

その秋が終わる前に、毛利・吉川軍は山県郡の武田方に属する武将の居城有田城を落とした。有力武将の城を落とされた武田元繁は山県郡から兵を引き上げざるを得なくなった。

安来津でもその噂で持ちきりだった。尼子方にとって毛利興元の名は忌々しくも無視できないものとなった。

そこへ、来春には義興が帰国すると宣言したと言う噂も流れて来た。安芸や備後の混乱を放っておけなくなったのだが、それだけが理由ではなかった。義興と将軍義稙(よしたね)義尹(よしただ)が改名)の不仲は修復できない所まで来ていたのだ。嫌気が差した義興が帰国したがっているのは周知の事実だった。

尼子にとっていい話ではないが、辰敬にとっては安芸の戦いも都の政争も別世界の出来事のように思えた。それが自分の将来に影響するとは考えもしなかった。

 

 借家と詰所を往復するだけの生活が続いたが、翌年の春になって辰敬は富田に呼び戻された。尼子御殿への出仕が決まったと言う。辰敬は耳を疑った。多胡家の子なら当然の出仕であるが、辰敬はすっかり諦めていたのだ。やはり嬉しかった。

 出発の朝、詰所に暇乞いに行くとお頭はいつものように横になっていた。

辰敬が声を掛けるとお頭はむっくりと起き上がった。いつもの眠そうな顔を向けると、

「若い者はみないなくなるのう。寂しくなる」

 しみじみとした声だった。

「わぬしとは二度と会うことはあるまい。今生の分かれじゃ……」

 辰敬は頭を垂れた。

「……と、思うと、将棋を指したかったのう」

 はっと辰敬は顔を上げた。

「冗談じゃ、冗談じゃ、はははは……」

 今まで一度も見たことのない笑顔があった。怒りに震える声で腹を切る覚悟を説いた老人とは思えない、まるで別人のような顔だった。

「達者でな」

 背を向けるとごろりと横になった。

 詰所を出る時、笹野が声を掛けた。

「いつまでおるのかと思っちょったが、やっと出て行くか」

「戻って来るんじゃないぞ」

 矢田が被せると笹野が笑った。

「御出世されるに決まっちょろうが」

 

 尼子御殿は経久の常の居宅であり、政務を司る尼子家の中枢である。家柄の良い者や優秀な者しか召し出されない。耐え忍んで四年、辰敬はようやく日の当たる場所を与えられたのである。認められたら経久の近習にもなれるかもしれない。仕事に打ち込むことで、きいを忘れることも出来る。出雲の武士の新しい生活を始めるのだと自分に言い聞かせながら戻って来たが、待っていたのは父と兄の渋い顔であった。

此度の出仕は父が忙しい大社造営の合間を縫って、あちらこちらに働きかけ、ようやく決まったのだが、昨日、突然取りやめになってしまったのだと言う。辰敬は呆気にとられたようにぽかんと二人の顔を見返した。

「亀井様の御縁戚に決まったのじゃ」

 父の説明では、亀井家から辰敬に決まっていた御役を譲って欲しいと頼まれたのだそうだ。亀井家は重臣で大社奉行の総奉行でもある。断れるはずがない。

 辰敬の意気込みは木っ端微塵に砕け散った。

「そこでじゃ、次にお召出しがあるまで、儂の下で働くことにしたのじゃ」

 数日後、辰敬は父に従い、馬で京羅木山を越え杵築へ向かった。意宇の平野を横切り、宍道湖に沿って出雲平野に出ると、斐伊川の大津に着いた。北に流れる出雲の大川はこの先大きく西へ曲がり、広大な低湿地や砂山の間を抜けて日本海に注ぎ込む。

 一行は斐伊川から離れ半島の背骨北山にぶつかるところまで北上すると山裾の道を西へ向った。その北山の山稜が下り落ちたところが杵築だった。

辰敬の目にいきなり天を突き刺す巨大な千木が飛び込んで来た。巨大建築の屋根に戴かれた、二本の槍を交叉したようなそれは仰ぎ見る高さにあった。およそ五丈余(十七m)はあるだろうか。

平安の昔、大社の高さは十五丈(四十五m)あったと言われ、さらにその昔は嘘か真か三十丈を越えていた(百m)と言われている。今はもうそのような高い神殿を建てることが出来ないので、仮殿式と呼ばれる建て方をしている。正殿式とは比べるべくもないが、それでも父が建てた大社に辰敬は圧倒された。

杵築へ来たのは初めてだった。北山から続く低い山を背に、三方を深い緑に囲まれた広大な神域は静まり返り、その中心に鎮座する大社は千年の静謐を凝縮したかのように荘厳だった。あの扉の奥に出雲の神様が(おわす)と思うと、辰敬は自ずと身が引き締まるのを感じた。これまで味わったことがないような敬虔な気持ちが勃然と湧き上がって来た。

 

奉行の下で働くと言っても辰敬にすることはほとんどなかった。毎日が大社見物をしているようなものだった。七年の歳月をかけた大社はほぼ完成間近で現在は神殿内部の造作に掛かっていた。実はこの中にまだ神様はいなかった。造営が終わり遷宮をしたら戻って来る。そうなったら辰敬が神殿に入ることなど出来ない。造作の進捗を見るために神殿内を歩き回っていると、辰敬はずいぶん得をしたような気分になった。

 安来津よりさらに浮世離れした世界に辰敬はいつしか馴染んでいた。杵築の春は穏やかに過ぎて行った。杵築の港にも様々な情報がもたらされる。

 春には帰国すると宣言したはずの大内義興は都を動かなかった。それどころか、遣明船永大管掌の権利を得た。これは対明貿易の利益を独占することを意味する。

 対立しているくせに義興に帰国されると困る義稙はあの手この手で義興を引き留めようとした。その弱みに義興は付け込んだのである。遅かれ早かれ帰国を決めている義興は手ぶらで帰国する気はなかったのである。

 義興のしたたかさばかりを見せつけられたが、緊張が先送りされ出雲にはほっとした空気が流れた。

 杵築の生活に慣れて来ると辰敬は富田への用事を託されるようになった。人の妻となったきいの居る富田に戻るのは気が塞ぐが、考えようによってはこの勤めは今の自分に合っているのではないかと思うようになった。もし御殿勤めをしていたら辰敬は毎日きいの婚家の前を通らなければならないのだ。

 

夏の終わり、辰敬は総奉行の亀井様への書状を託されて富田に戻った。

その夜更け、城下をざわめかせる出来事があった。守護所に忍び込もうとした賊があったのである。

 辰敬は朝になって知った。

盗賊は海賊だったとか野武士の一団で何人も死人が出たと尾ひれのついた話が飛び交い、中には吉童子丸の命を狙った刺客かもしれないと囁く者もいたが、実際のところは取るに足りない事件だったようだ。賊は一人で警固に見つかるとすぐに逃走したのであった。

 何事もなかったのは喜ばしいことだが、辰敬は遠い昔の都の京極邸に思いを馳せていた。盗賊が侵入した夜のことであった。凄まじい斬り合いの中で恐怖にすくむ吉童子丸を抱き締めた時の事を。吉童子丸七歳、辰敬は十三歳だった。

 あれから九年。出雲に下向する吉童子丸を見送ってからは八年が経つ。先年、大方様にはお目通りが出来たものの吉童子丸には会えないでいる。立派な若者になっているはずだ。これくらいの騒ぎで動揺することはあるまいが、辰敬が七歳の吉童子丸を抱きしめた夜のことを、吉童子丸は思い出しただろうか。

 ひな鳥のように震え小さな爪を突き立てしがみついた幼い少年の身体は血の気が失せ氷のように冷たかった。その身体を抱き締め温めた辰敬のことを。

長い間、会えないでいるが辰敬の吉童子丸への思いは、あの夜、吉童子丸を抱き締めた時と変わるものではない。会いたくても会えない事情は吉童子丸も分かってくれているはず。いつか必ず会いに行きます。必ず。ここからは見えない守護所に向かって辰敬は心の中でそう語り掛けていたが、ふとその心に差す翳があった。

 本当にただの賊だったのだろうか。刺客と言う噂もあった。確かに吉童子丸がいなくなればこの国の治まりに形はつく。彼の若者は未だに歴とした出雲国守護なのである。辰敬は頭を振った。忌まわしい考えを消し去るように。

 

二日後、辰敬は杵築に戻るため京羅木山のいつもの道を登っていた。慣れた山道だが勾配が険しくなると人馬共に緊張する。

不意に馬が耳を立てた。

ザザアッと山側の斜面から石混じりの土くれと一緒に人が滑り落ちて来ると、馬の鼻面をかすめさらに眼下の谷へ真っ逆さまに転落したのであった。

驚いた馬が激しくいななき棒立ちになった。辰敬は咄嗟に手綱を引き絞り、馬丁も必死に轡にしがみつきどうにか馬を御すことが出来た。

 辰敬は下馬すると谷を覗き込んだ。

 そそり立つ杉と生い茂る夏草に阻まれて谷底を見通すことは出来なかった。辰敬は馬丁と馬を残すと、木の根と夏草の蔓を頼りに谷へ降りた。

 修験者がうつ伏せに倒れていた。白い法衣は引き裂けぼろぼろで汗と土で茶色に変色していた。背負っているはずの笈はなく、頭に乗せている()(きん)も法螺貝も錫杖も見当たらなかった。金剛杖だけが近くに落ちている。声を掛けたが返事はない。微かに息をしていたので、辰敬はそっと男を仰向けにした。

 辰敬は息を呑んだ。

「多聞さん」

 凝然と見つめる目の下にあったのは、真っ黒に日焼けし、汗と垢にまみれた多聞の顔であった。干からびた海藻のような蓬髪、伸び放題の髭、深く刻み込まれた皺、げっそりとこけた頬……。五年前の船岡山の戦いで辰敬を救ってくれた時も、多聞は荒んだ従軍僧姿だったが、これほどの目を背けたくなるような凄愴を漂わせてはいなかった。

 辰敬は山道に戻ると、馬丁に怪我人の手当てをするので、この先の森の中で人目に付かぬよう待っているように命じた。

辰敬は多聞を背負って小屋爺を訪ねた。

 小屋爺は目脂で潰れそうになった目を一杯に見開いた。

「二年ぶりに現れたと思ったら、大きな土産じゃのう」

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