曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 小説「石見岩山城主多胡辰敬」

第四章 初陣(7

 

「初陣で功名をあげた話など千に一つ、いや万に一つの話でござる。十五、十六の若者が初めての戦場でどうして名のある武士を討ち取れましょうや。首を取れましょうか。若さゆえの過ちからあたら命を散らす方が多いのです。辰敬様にそのようなことがあっては絶対にならないのです」

 誰も子を負ける戦いに出したくはない。出雲の忠重が此度の上洛の戦いを初陣に選んだのも、大局的に見て決して無惨に負けるような戦いになるとは思わなかったからである。戦場を体験させたい親心を汲み取れと庄兵衛は念を押したが、辰敬には戦場見物しろと言っているように聞こえた。

その後、三郎助は辰敬に戦場における槍と刀の扱いを教えた。

「森山様と某が介添えに付き、馬廻りがついていて、辰敬様を危ない目には遭わせることは決してありませぬ。しかしながら戦場では何が起きるか分かりません。これからお教えするのは万が一の時のためでござる」

 三郎助は接近戦になれば短い得物よりは長い得物の方が有利だが、長い槍は辰敬には扱いきれないので短めの槍を握らせた。辰敬が構えると、

「突いてはなりませんぞ」

 槍は突くものではないのかと怪訝な顔をすると、

「下手に突こうとすると若の槍では簡単に奪い取られてしまいます。戦場では槍は叩くものと心得てくだされ。殴りつけるのです。力一杯鎧の上から殴りつけひたすら敵に打撃を与えるのです」

 と、自ら槍を何度も何度も振り下ろして見せた。びゅんびゅんと唸りを上げる素振りの激しさに辰敬はたじろいだ。

「逆に刀は突き刺すものと心得て下され。決して斬りつけてはなりませぬ」

 と、また妙なことを言う。

「鎧は絶対に斬れませぬ。どんな名刀もささらのように刃こぼれし、刀身は曲がってしまいます。頭も、胴も、肩も、手も、膝も臑もみな具足で守られております。斬っても撥ね返されるだけでござる」

 打刀を握ると半身で低く構え鋭く刀を突き出した。

「突くのです。具足で守られていても、腕を上げれば脇の下が開きます。胴と草摺の境には隙間があり、草摺にも隙間があります。他にも腕の内側や、膝頭、臑の裏、足の甲など具足で守りきれない所を狙うのです。どこでもいい。出来るだけ多くの傷を与えるのです。小さな傷でも数多く与えれば、敵は出血で弱ります」

 血生臭い話に辰敬は茫然となった。一体今までやって来た剣の稽古はなんだったのだろうと思わざるを得なかった。毎晩、京極邸の庭で続けた素振りなど何の役にも立たないではないか。槍の稽古もしたが実戦にはまるで通用しないではないか。

「もし一騎打ちになって組み伏せられたら」

 ぞっとするような言葉に、はっと辰敬は我に返った。

「そんなことはまず起こり得ませんが、これも万が一の時のために心得ておいて下され。下になっても決して諦めてはなりませぬ。上になった方が有利と思われましょうがそうとも言い切れぬのです。馬乗りになった方にも弱点ができるのです」

 三郎助は辰敬の帯から腰刀を抜いて握らせた。鍔のない短刀である。

「素早く腰刀を抜き、相手の草摺を撥ね上げ、下腹を突き刺すのです。素早く、何度も。心得では必ず三刀刺せと言われております」

 腰刀は身に帯びた最後の武器であり、敵の首を掻き切るのにも使うと三郎助は付け加えた。

 初陣に対する漠然たる不安は一旦は戦場を見物するだけの事と気分的にも楽になり解消されたかに思えたのだが、三郎助の教えはより大きな不安を甦らせた。万が一とは言っても恐怖は身に迫り吐き気さえ覚えた。辰敬は三郎助たちに動揺を悟られぬよう隠すのに必死だった。その日から、付け焼刃ではあるが、辰敬は馬と槍と刀の稽古に励んだ。

 石見の諸将も次々と到着して各所に陣取りした。守護代内藤貞正も出陣の準備を着々と整えつつあった。日毎に旗が増え人馬が増え兵糧が運び込まれる。泡を吹きながら駆け込む早馬の数も目に見えて増え切迫した状況がひりひりと伝わって来る。

 

 この間、都を目指す澄元方の勢いは止まるところを知らなかった。

八月十日、赤松義村は高国方の河原林正頼を摂津鷹ノ尾に攻め、正頼は伊丹城に逃れた。赤松勢はこれを追って伊丹城に迫るやたちまち伊丹城までも抜いてしまった。

赤松勢破竹の勢いに危機感を覚えた細川高国は、自ら兵を率い山崎に進出、ここで赤松勢を迎え撃とうとした。ところが、八月十四日、誰も予想だにしなかった驚天動地の事件が勃発した。

 何と近江の水茎岡山城で前将軍足利義澄が頓死したのである。何の予兆もなくにわかの病であったと言う。三十二歳の若さで手当てのかいもなくあっという間の事だった。

 澄元方の衝撃は大きかった。幕府奪還の総大将であり、奪還の暁には将軍に直るはずの前将軍が突然死んでしまったのだ。

その直前、義澄方は当てにしていた南近江の守護六角氏の支持を失っていたから、諸将の戦意の喪失は計り知れなかった。だが、都へ後一歩のところまで迫った今、兵を引く訳には行かない。澄元方は義澄の死を隠すと一気に決着をつけるべく都への進度を上げた。

 

ところで、義澄急死の情報は隠し通せるものではなく、その日の夜には八木城下にも早馬が一報を届けた。夜の城下に時ならぬ歓声が湧き起った。

 辰敬も騒ぎに目を覚ましたが昼間の稽古で草臥れ果てて寝込んでいたので即座には何が起きたのか分からなかった。庄兵衛から話を聞き、その皺深い顔に喜色が浮かぶのを見て、辰敬も正直なところほっとしたのであった。敵の大将が死んだのだから有利でない訳がない。父忠重は辰敬の初陣に不安の少ない戦いを選んだのだが、まるで忠重の願いが通じたかのような初陣になりそうだった。出雲のさらに西、石見の端からやって来た兵たちはわざわざ上洛することもなかったのではないかと言い合っていた。

 

 翌八月十五日、山崎に陣取る高国勢も意気盛んに赤松勢を待ち受けていたが、不意に背後から西岡衆の奇襲を受けてしまった。

 西岡衆とは洛西の西岡郷一帯を地盤とする土豪たちである。農民でありながら武士として土地を守り、自分達の利益のために戦う強力な武装勢力であった。山城国には西岡衆のみならず、このような土豪勢力が根を張り、一揆の時は常に中心勢力となった。応仁の乱を初めとして幕府の政争にも自らの権益を守る為に積極的に加担した。為政者にとってはまことに厄介な存在だった。一揆衆の総攻撃を食らった高国はたまらず都へ逃げ帰ってしまった。

 八月十六日、都には澄元方の細川政賢が入京するとの噂が流れた。

将軍足利義尹は細川高国や大内義興を率いると都を後にして長坂口から丹波に向かった。幕府はここで政賢と戦って勝ったとしても決定的な打撃を与えたことにはならない。この際、澄元共々敵の現有兵力を都に引き入れてから一気に叩き潰す作戦を取ることにしたのだ。義澄が死んだ今こそ残った反幕勢力を根こそぎ一掃しようとしたのである。それゆえ、都を出て行く幕府軍には都落ちの風情は微塵もなく士気は旺盛であった。その数も総勢二万五千人にも及ぶ大軍であった。

 その日、入れ替わるように細川政賢に率いられた軍勢が入京したが、甲賀の山中為俊らの兵を合わせても六千人足らずでしかなかった。

 澄元方は上京の北の船岡山に陣取った。

 北に広大な大徳寺と接し、南は北野天神。西へ行けば金閣寺がある。麓からの高さにして凡そ二十丈(数十m余)の小山に過ぎないが、京都盆地は北が高く、南が低いので、北西から長坂街道を下り、長坂口から入京を図る軍勢を見下ろす絶好の位置にあった。

 応仁の乱では西軍山名宗全が城を築いた要衝である。兵力で劣る澄元方が大内義興や細川高国の大軍を迎え撃つにはここしかなかったのである。澄元方は船岡山に城を築いた。櫓を立て柵や掘を巡らした。

 

 一方、八木城下は幕府方の軍勢で埋め尽くされていた。八木城では連日軍議が重ねられ八月二十四日が総攻撃と決まった。

八月二十三日に長坂街道の京見峠の近くに聳える長坂城(堂ノ庭城)まで進出し、翌朝、長坂街道を下って船岡山へ襲いかかる作戦であった。

この城はいつ誰か築城したものかも不明なのだが、古来、都をうかがう丹波衆の拠点になっていた。京見峠からははるか眼下に都が一望のもとに見渡せる。船岡山へは一里(四㎞)もない。

尼子勢は大内義興に従い、二十三日の朝、八木を発向することになった。

その前日、八木城下は先発する軍勢と明日発向する軍勢の準備でごった返し、煮えたぎる大鍋から噴き上げる湯気の如く殺気立っていた。

尼子の宿所も準備で大わらわであった。辰敬は回りが段取りをしてくれているので強いてするほどの事はなかったのだが、忙しく動き回る家の子郎党達を見ていると何かしなければいけないのではないかと気ばかり急き立てられた。だが、何をしていいのかもわからずただうろうろするばかりであった。

皆、戦慣れした連中でてきぱきと準備を進めていたが、殺気立った気配は隠し切れず辰敬にもひりひりと伝わって来る。この雰囲気の中にいるだけで息をするのも苦しくなって来て心の臓も今にも破裂しそうなほどであった。今からこんな事でどうするのだと、辰敬は不安でならなかった。そんな落ち着かない昼下がり、ばたばたと百足丸が駈け込んで来た。

「若、妙な奴が来ちょるぞ。若の知り合いじゃとゆうちょるがちょっと来てごせ」

 百足丸の後について宿所になっている寺の門前に行くと、警備の足軽たちの足元に次郎松が転がっていた。

「あっ、辰敬はん……」

 顔を上げるとすがりつくような声をあげた。 怪しまれたのだろう。気が立った足軽たちに袋叩きにされたのは一目瞭然だった。全身泥まみれで血も滲んでいる。

「どうしたんじゃ」

「京極家のお屋敷で辰敬はんの世話になった者や、辰敬はんの初陣に是非お届けしたいものがあって都から来たとゆうたんやけど……信じてくれへんのや」

「次郎松と言う雑色じゃ。怪しい者じゃない。通してやってくれ」

 足軽たちが下がると辰敬は次郎松を起こしてやった。

「おおきに……」

「こんな所まで何の用じゃ」

 怪訝な顔で問うと次郎松は腫れ上がった顔を屹っと辰敬に向けた。

「お守りを届けに来たんや」

「お守り」

 次郎松は懐から折りたたんで皺だらけの紙を差し出した。辰敬がいい加減に書きなぐった、あのいんちきお守りであった。辰敬は慌てた。こんなものをここで広げられては一大事だ。辰敬は境内の片隅に次郎松を引っ張って行くと二人きりになった。呆れ顔で、

「なしてそげなものをわざわざ持って来たんじゃ」

 と(なじ)ると次郎松はいかにも心外そうな口ぶりで反駁した。

「何でって、こんなごっついお守りはあらへんやろ。わしは連戦連勝やったんやで。これを持っとったら絶対に負けへんのや。辰敬はんが初陣と聞いて、わしは思うたんや。これは多胡家のお守りや。これは辰敬はんに返さなあかんと。これこそ辰敬はんが肌身離さず持っているべきお守りやと。そうやろ、辰敬はん。受け取ってえな。必ず辰敬はんを守ってくれるよって」

辰敬はため息をついた。こんな出鱈目に書いた、子供騙しのお守りをわざわざ届けに来るなんて。辰敬はこんな代物を持って戦になど行きたくなかった。どう見てもバチ当たりな代物ではないか。一発で流れ矢に当たって死にそうな気がする。だが小博打で稼いだ次郎松はお守りの霊験を信じきっているのだ。辰敬は次郎松の善意を呪った

「お前、困るじゃろ。これがのうなったら。もう勝てんぞ」

「ええのや、博打で負けるぐらい。辰敬はんが生きておるのなら。そうやろ、辰敬はんの命と銭とどっちが大切か。考えるまでもないやないか」

辰敬は思わず次郎松の顔を見つめた。

「わし、京極家の事をぼろくそにゆうけど、ほんまは好きなんや、京極家が。その京極家に辰敬はんは一生懸命御奉公しとった。わしはそんな辰敬はんが好きなんや。死んでほしくはないのや。ええか、辰敬はん、死んだらあかん。絶対に死んだらあかん」

 ずる賢く、調子いいだけの雑色と思っていた若者の目に光るものがあった。

「ええか、肌身離さず持っとるんやで。守ってくれるよってな。わしも祈ったるよってな」

 皺くちゃに折りたたまれた紙片は辰敬の手に移っていた。鰯の頭も信心からと言う。次郎松の顔を見ていたらこんな紙片にも御利益があるような気がして来たから不思議だ。 見交わす顔がどちらからともなく綻んだ。 次郎松の顔には大任を果たしてほっとしたような安堵の色が浮かんでいた。

 静かだった。なぜか城下の騒音も消えて、二人だけの静寂に浸っていた。次郎松はいつまでも動かなかった。次郎松が動かないし何も言わないので、辰敬もじっとそのまま佇んでいるしかなかった。目的は果たしたのだから後は引き上げるだけなのに、次郎松は何をぐずぐずしているのだろう。辰敬との名残を惜しむような女々しい奴ではないのにと訝しく思っていると次郎松がぽつりと口を開いた。

「わし、都へ戻るけど……」

 辰敬は思わず頷いた。

「礼を言う」

 すると次郎松はゆっくりと向き直って辰敬を見つめた。

「何か用はあらへんか」

「えっ……」

 一瞬、次郎松の言う意味が分からなかった。

「そのう……たとえばやなあ……誰かに……何か言づけしたいことでもあったら、わし、届けたってもええで……」

 その瞬間、辰敬の胸一杯にいちの面影が湧き上がった。辰敬は知った。次郎松はただお守りを届けに来ただけではないことを。

 辰敬は次郎松を見返した。次郎松のことだ。辰敬といちの一部始終には気が付いていたに違いない。長い間、同じ長屋に暮らしていたのだ。顔を見ただけで何があったかは分かっていたはずだ。思いの一言も打ち明けられずにいちと別れたことも。その後、いちへの思いを固く胸の底に秘めたことにも。

 次郎松ははぐらかすかのように目を逸らした。これ以上まだ俺に言わせる気かと迷惑そうに。

 もしかしたら今生の別れになってしまうかもしれないではないか。初陣を明後日に控えたいま、いちに言い残しておくことはないのか。何も言わないで死んだら後悔するぞ。いちだって、お前が何も言わずに死んでしまったら、どんなにか切なかろう。この年上の雑色ならきっとそう言うに違いない言葉を、辰敬も一つ一つ噛みしめた。

「ひとりにさせちょくれ」

 その場を離れ一人になると辰敬の胸に勃然と浮かんだのは辞世の句と言う言葉であった。 死に臨んで残す言葉である。死ぬと決まった訳ではないがその言葉は死地に赴く若者の心を突き動かした。自分もそんな言葉を残したい。

 誰にと言って、いち以外にはいない。いちへの思いは一生自分一人の胸に秘めておくつもりだったが、今この瞬間、辰敬はこのままでは死ねないと思った。好きの一言も言わないで死ぬなんて。所詮多聞の真似はできない。辰敬は十七歳なのだ。短い人生だったがその中で一番好きだった人に思いだけは届けて死にたいと思ったのである。死んでもいちの胸の中に生きていればいい。

 辰敬は酔っていたのかもしれない。口を突いて出たのは、八雲立つと言う言葉であった。 文字通り雲が湧き立つようにごく自然に心の空に生じたのであった。この時、辰敬は思った。歌を贈ろう。出雲の子が作る歌はやはり八雲立つから始まらなければならない。同時に懐かしいあの日が甦っていた。

いちと初めて心ときめく言葉を交わした都大路の初夏。都の空に湧き上がった真っ白な雲を見上げていちは出雲に連れて行ってくれと言った。言ってしまって少女は頬を赤らめた。辛い都の生活から逃げ出したいと言い訳したが好きでもない少年には決して言わない言葉であろう。出雲の雲を自慢する辰敬に、

「八雲立つ出雲やものなあ……」

 と歌うように呟いた声がたった今聞こえたような錯覚に陥った。

 

   八雲立つ

   出雲の国の

   武士(もののふ)

   恋し都の

   雲にぞならむ

 

 むくむくと雲が湧くように言の葉が生じて一つの歌になった。二人が都大路で見上げたあの日の雲が辰敬の心の底から言の葉を湧き上がらせたのだ。辰敬はそう信じた。上手な歌かどうかは分からなかった。

 明後日、初陣を果たせば私はようやく一人前の出雲の武士(もののふ)となります。遠く離れた出雲にあっても私は決してあなたを忘れません。私の想いは八雲立つ出雲の国に湧き上がる雲のように天空の果てまで立ち昇ることでしょう。もし、都の空に、あの日、二人が見たような真っ白な雲が湧き上がったら、それは私の想いが雲となって届いたのです。その雲の果て遠い遠い出雲の国に私がいることを忘れないで下さい。あなたを想い続ける一人の出雲武士がいることを。

 そんな意味になるだろうか。

 初陣でもし死んだならば私の魂は雲となって、あなたを見守り続けていると言う意味にもなる。自分でも驚くぐらいすらすらと出来た。初めて作った和歌とは思えなかった。

 いちの父公典は辰敬が集めて届けた反古に和歌が認めてあれば、作者を教えてくれたり、同じ作者の他の歌も教えてくれた。万葉や古今、新古今などにも話が及ぶこともあった。枕詞や掛詞なども教えてくれたが、実作の手ほどきまではしてくれなかった。

 他に教わることもあったし、通った期間も短かったのだが、知らず知らずのうちに歌心が育っていたのかもしれない。

御屋形様も沢山物語りしてくれたが、御屋形様が語る武士たちは皆、歌を詠んだから、辰敬は武士が歌を詠むことに抵抗はなかった。いや、むしろ、武士こそ歌を詠むべきものと思い込んでいた。後世に名を残すような武士ほど心に残る歌を残したから。曲がりなりにもこうして歌を作れたのは御屋形様と公典のお蔭だ。辰敬は二人に感謝した。

宿坊に取って返し歌を認めると、次郎松にいちに届けてくれるように託した。

第四章 初陣(6

 

 八月に入ってすぐの朝、辰敬が朝餉の後片付けをしている時であった。門の方から蹄の音が轟き馬の嘶きがしたかと思うと急に邸内が騒がしくなった。何事かと長屋から顔を出すと折烏帽子に袴姿の武士がこちらに向かって来るのが見えた。武士は辰敬に気が付くと、

「おお、若。辰敬様」

 大声で呼ばわりながら駆け寄り辰敬の前で膝を折った。

「お懐かしうございます。安達三郎助にございます」

 辰敬は目を見張った。見上げる顔は辰敬が上洛した時、庄兵衛と共に上洛した多胡家の若党であった。あの時、辰敬と同じように初めての上洛に目を輝かせていた若党は、別人のように厳しい面構えの武士になっていた。三郎助は底光りのする目を細めた。

「がいに(たくましく)おなりになられた。これなら立派に初陣を果たせましょう」

 遠巻きにしていた家中の侍達や奉公人達からどよめきの声が上がった。その言葉を聞いた時、辰敬は来るべきものが来たと思うと同時にほっとしたのも事実だった。もう思い煩わなくともいいのである。辰敬の運命は決まったのである。覚悟していた事であり、逃げる事の出来ない事であり、従わざるを得ない事なのである。父も二人の兄も通って来た道である。

「初陣の御迎えに参じましてござる。悉皆(しっかい)入道様より、此度の伊予様(経久)御上洛の戦いに参陣せよとのお言葉でございます。介添えは森山庄兵衛様と某が務めるようにと仰せつかってござる」

「なに、庄兵衛も来ているのか」

全身を包みこんでいた重苦しい靄がすうっと消えた。三郎助は頷くと、

「我ら尼子勢は昨日八木城下(現在の亀岡市)に着到。直ちに某がお迎えに上がりましたが、夜中ゆえ、夜が明けてから参った次第にございます」

 にかっと笑って辰敬を急き立てた。

「森山様は首を長くして待ちわびてござりまするぞ。いざ、とくと参らん」

 辰敬は上洛した時、父から貰った刀を差すと三郎助を追った。他に持って行くほどのものはなかった。

 門前には二頭の馬が繋がれていた。辰敬が跨ると三郎助はどうと勢い良く馬腹に蹴りをくれた。鋭い嘶きを残し馬は矢のように駆け出した。辰敬も鞭をくれた。

 白い土埃を巻き上げ燃え上がる陽炎の向こうに消える二騎を、家中は呆気にとられたように見送っていた。辰敬にとっても家中にとっても、後になってそれが別れだったと気がつくあっという間の別れだった。

 家中とはお互いにもはや別れを惜しむ間ではないが、辰敬は前を行く馬の尻に必死に食らいつきながら後ろ髪を引かれるものがあった。思い出が一杯詰まった邸にきちんと別れを告げたかったのである。同じ長屋に暮らした次郎松たち何人かの仲間だけには感謝の気持ちを伝えたかった。せめてもの別れのけじめをつけたかったのだが、次郎松たちはもはや遠く背後の人になっていた。

 二騎は都大路を駆け抜け、嵐山から保津峡へ向かった。渓谷沿いの道を越えて山陰道へ出れば八木城までは一っ走りだ。丹波へ行くには京の七口の一つである長坂口から北上する長坂街道が主要路であるが、だらだらと上りの山道が続き遠回りになるので保津峡を抜ける道を選んだのである。

丹波国は都の防衛上の要地であるのみならず、丹後や若狭の海の幸を都へ運び丹波の豊かな山の産物とともに都の台所を支えていた。細川政元が細川澄之に譲り、澄之が滅びた後は細川澄元が守護となり、その澄元が逐われてからは管領細川高国が守護となっていた。八木城は丹波国の守護所で城主は守護代の内藤貞正である。

途中、休息を取った時、三郎助が語るには尼子勢は八木城下の寺を宿所にしていた。石見の諸将が追いつくのを待ち、揃った所で大内義興の指揮下に入るのだ。

 丹波も都に劣らず暑かった。昼前に人馬ともに埃まみれとなり、滝のような汗を滴らせ喘ぐように八木城下に辿り着いた。宿所は八木城が聳える山裾にあった。四つ目結いの流れ旗を目にした時、辰敬は不意に言い知れぬ悲哀に襲われた。なぜなら四つ目結いは辰敬にとっては京極家の(しるし)だったからである。尼子氏も同じ佐々木一族なのだから家紋が同じでも不思議はない。物心ついた時から尼子の四つ目結いを見て育った。だが辰敬には伊予様が御屋形様から奪った家紋のように見えてしまうのであった。

 三郎助に案内されて寺の宿坊の一つの前に来ると、玄関に今や遅しと待つ白髪頭があった。その白髪頭がはっと辰敬を認めるとみるみる笑みが蕩けるように広がり、

「辰敬様」

「庄兵衛」

 懐かしさが駆け寄りぶつかった所に二つの笑顔があった。だが二人ともすぐには言葉が出なかった。庄兵衛は若者の眩しさに目が眩み、辰敬は皺だらけの顔に息を呑んで。もともと薄かった頭は禿げあがり、後退した髪は干からびた白い藻屑のように禿げ頭に貼り付いていた。六年の歳月は人生の坂を上る者と、下る者の差を残酷なまでに変えていたのだ。

「がいになられて……」

 庄兵衛からも同じ言葉を聞き辰敬は身を竦めた。がいになったと誇れるほどの男になったと胸を張るだけの自信がないことは己が一番よく知っている。もっと多聞の許で修行に励んでおれば。今更悔やんでもどうなるものでもなかったが。こんな自分が初陣に臨むのだ。どやどやと十数人が飛び出して来た。

「若ッ」

「お久しゅうござります」

 家の子郎党達だった。いずれも見知った顔ばかりであった。一番若いのは飯炊き爺さんの孫だった。百足(むかで)丸と言い辰敬より二つ上で、相撲も喧嘩も一番強いごんたがそれこそがいな男になっていた。彼らが馬の口取りや足軽として従ってくれるのだ。頼もしい家来たちに思えた。庄兵衛を除けば。萎えかけた気分が少し戻った所で、早速伊予様に御挨拶することになった。

 庄兵衛に伴なわれて本堂の前に控えていると、暫く待たされてから濡れ縁に気配がした。 庄兵衛が平伏したので辰敬も慌てて平伏した。衣擦れの音が辰敬の耳には雷鳴の如く轟き、その頭上でぴたりと止むと辰敬は脳天に焼けるような視線を感じた。伊予様が見下ろしている。身がすくんだ。とても長い時間に感じられ、この沈黙がいつまで続くのかと耐え切れなくなった時、

「面をあげい」

 辰敬ははっと顔を上げた。真上にあったのは覇者の顔だった。高い濡れ縁に立つ伊予様がまるで天空から見下ろすかのように見えたから、尚更そう感じたのかもしれない。涼やかな麻の直垂(ひたたれ)さえも壁のように思えた。まともに見てしまった無礼と恐怖に震え、辰敬は思わず目を伏せてしまった。怖かった。人を睥睨し服従させる事が飯を食うのと同じように当たり前になった人の顔があった。人の顔でありながら人ではない。武士の顔でありながら武士ではない。人も武士も超越した顔。即ち覇者としか言うべき言葉を辰敬は知らなかったのである。まともに目を合わせる事が出来ないのが悔しい辰敬は心の内でこう呟くのが精いっぱいだった。

(この人が御屋形様を殺したのだ……病の御屋形様の枕辺で、高らかに出雲の大社(おおやしろ)の造営を宣言したのだ……)

 人を支配するのに無駄なものをすべて削ぎ落すと、あのように冷酷で強烈な意志の塊のような顔になるのであろうか。

「わぬしが入道の裾の子か」

 裾の子と言う言葉の響きに辰敬はよそよそしく冷ややかなものを感じた。覚悟していたことだが、伊予様は辰敬を御屋形様に御奉公し、御屋形様から事の他愛された若者としか見ていないのだ。辰敬は心の内まで見透かされたような気がして身を縮めた。

「はっ、多胡辰敬にございます」

「ふむ」

 それ以上、言葉を掛ける事もなく直垂の裾が翻った。対面は一瞬にして終わったが、辰敬の全身は熱湯のような汗が噴き出していた。

 

 その夜は懐かしい顔に囲まれてささやかに数年ぶりの再会を祝った。酔った大声の出雲訛りに包まれた時、辰敬はあらためて都が遠のいたことを思い知った。

 翌日、早速、(よろい)着初め(きぞめ)をすることになった。

武士の子の成長段階においては元服、鎧着初め、初陣の三つは、誰しも必須の通過儀礼で、初陣を果たして初めて一人前の武士と認められる。鎧着初めは元服と同時に行われる事もあるが、普通は元服をすませたら一、二年の内にすませる。辰敬の場合は元服を簡略に済ませ、すぐに上洛してしまったので、この年になるまで鎧着初めをする機会を逸していたのである。そこで初陣の前に大急ぎで鎧着初めをすませておくことにしたのだ。

 辰敬は井戸で身を清めると、帷子(かたびら)を着て宿坊の本堂に入った。すでに出雲から運んで来た鎧櫃(よろいびつ)などの唐櫃(からびつ)が並べられていて、三郎助たち家の子郎党が神妙な顔で控えていた。鎧親は庄兵衛が務める。

唐櫃から真新しい具足下着が取り出されると、辰敬は三郎助達の手でいきなり素っ裸にされ、(わり)(ふんどし)と呼ばれる下帯を付けられた。普通の下帯は腰で結ぶが、鎧の下に着ける割褌は長めの肌帯で、股下を通しずれないように腰でひもを回して抑えると、前は胸、後は背中まで引き上げ、首の後ろで緒を結ぶ。これなら鎧を着けたままでも首で結んだ緒をゆるめれば排泄が出来る。その上から鎧直垂を着て袴を付けるのだが、その袴も足を開けば左右に割れ排泄が出来るように仕立ててある。

これらの真新しい下着や装束は母が揃えてくれたものと庄兵衛は言った。覚えのある香が焚き込めてあった。

その後は足袋、草鞋(わらじ)(すね)(あて)(はい)(たて)(膝鎧)、籠手(こて)などを着せ替え人形のように手際よく付けられ、いよいよ鎧を着る段となった。鎧櫃は縦長の小さな脚がついた唐櫃である。庄兵衛が蓋を開ける時、辰敬の胸は期待と不安で高鳴った。どんな鎧なのだろう。これからはその鎧を着て戦う事になる。辰敬の命を守ってくれる具足になるのだ。

現れたのは黒糸(おどし)の胴丸であった。腰から太腿を守る七間(七枚に分れている)の草摺(くさずり)も黒糸縅である。偑楯も黒糸縅で臑当や籠手も黒漆が分厚く塗られているから、全体的に随分地味な具足だ。それが辰敬の第一印象だった。

庄兵衛が言うには、多胡家重代の鎧は正国の初陣の時に着たのだが、正国が重くて音を上げたので、今回は富田の城下で余り重くない物を探し求めたのである。胴丸や草摺、肩を守る袖、草摺から下の膝までを守る(はい)(たて)は、小札(こざね)と言う短冊状の小さな鉄の板に漆を塗った物を威毛(おどしげ)(糸や革)で縦横に繋いで作る。

正国が着用した胴丸の小札はすべて鉄であった。一枚の札には六つの孔と七つの孔が縦二列に開いている。これを横に重ねて威す時、半分重なるように孔を重ねると、小札が二重になる。強度は増すが重くなる。昔からの製作方法である。辰敬の鎧は伊予札と呼ばれる威し方で、小札の重なりを僅かにずらしただけなので、当然使用する小札の枚数も少なくて済む。その分強度は劣るが軽くなる。しかも、辰敬の胴丸はすべて鉄の板ではなく、革をなめして黒漆で固めた小札も混ぜてあるので、さらに軽くなっていると庄兵衛は微笑した。

辰敬は軟弱者扱いされたようで自尊心を傷つけられたが、初めて付けた胴丸は高紐が肩に食い込みずしりとこたえた。太刀を差すと三郎助が頭全体を包み込むように鉢巻きをした。

庄兵衛が兜櫃に向かった。

辰敬は固唾をのんで見守ったが、庄兵衛が取り出した兜を見て鎧に感じたのと同じような物足りなさを覚えた。それは(すじ)(かぶと)で鉢は黒漆塗り。𩊱(しころ)は黒糸縅。前立は三日月。よくある形の前立てだ。むしろありきたりと言ってよい。しかも小ぶりで艶消し。まるで霞のかかった三日月のようだった。辰敬は兜ぐらいは美々しく、前立も勇壮で心躍るような形を期待していた。前立は軽く作るものであるから、もう少し大きく形にも工夫があってもいいのではないかと思ったのだが、考えてみれば、鎧に合わせれば兜も地味になるのが当然で、おとなしいものにならざるを得なかったのであろう。とは言え、これでは頭の天辺から足先まで黒ずくめではないか。が、晴れの鎧着初めに不服な顔をするわけには行かないので、黙って儀式の進行に従った。

 元服も鎧着初めも初陣も祝い方はほぼ同じである。出雲で祝った元服は簡略であったが、此度も祝いの道具類まで出雲から運ぶ訳にはゆかず、すべて借り物だったので、さらに簡略にならざるを得なかった。

 三郎助たちが、一の折敷に、打鮑・勝栗・干昆布の三品の皿、二の折敷には三つ重ねの土器(かわらけ)を載せたものを辰敬の前に進めた。本来なら三役がいて酒の受け渡しにも決まりごとがあるのだが、道具のないところは省き、庄兵衛と三郎助の二人が中心になって式を進めた。

 辰敬は打鮑、勝栗と干昆布に口を付けた。 すると庄兵衛が長柄の酒を一の盃に注ぐ。 これに辰敬が口を付けると、また辰敬は三品の肴を少し齧る。これを三の盃まで繰り返して鎧着初めは終わった。

 

 その後、馬が引き出された。出雲から連れて来た辰敬の乗馬である。黒鹿毛の肥馬であった。口取りは百足丸だ。

「わしと何度も合戦に出とる馬です。よう言うことをきくし利口な馬じゃけん。心配はいらんです」

 安心させるように黒味を帯びた赤褐色の馬肌をぽんぽんと叩いた。戦場経験豊富な分、歳は食っているが、庄兵衛よりは若いと百足丸は片目を瞑った。

 いつ出陣の号令が掛かってもいいように馬に慣れるのは急務である。鎧を着ての乗馬は初めてである。跨って分かったことは、鎧姿で歩くよりは馬に乗ったほうが楽なことだった。鎧の重さを馬が支えてくれるからである。 辰敬はこの馬が気に入った。

生喰(いけずき)、頼むぞ)

 心の中でそう語りかけていた。

 辰敬はこの馬に自分一人だけの呼び名をつけたのである。佐々木高綱が宇治川の先陣争いの時に跨った名馬の名である。御屋形様が物語りをしてくれた時のことを思い出し、無性にそう名付けたくなったのだ。声には出さずとも心で呼べば通じるような気がしていた。

(そうじゃろう、生喰)

 黒鹿毛がぶるんと胴震いした。

 翌日からは乗馬と並行して庄兵衛からは初陣の心得を、三郎助からは槍や刀の使い方を叩き込まれた。

「戦場では何事も介添えである某と安達の指示に従って頂きます。我ら二人からは決して離れてはなりませぬ。勝手な行動は絶対におとりにならぬよう。これは入道様の御命令でもあります。重々御心得下さい。お分かりになりましたか。よろしいな」

 くどいほどの言葉に、庄兵衛も老いたのかと思っていると、

「初陣で功名を上げようなどとは決して思ってはなりませんぞ」

 庄兵衛は一段と語気を強め怒ったように辰敬を見据えた。

「よろしいか。辰敬様が初陣で功名を上げることなど、誰も望んではいないのです。入道様も。大方様はもちろんのこと。我らも。家の子郎党の誰一人として」

 怪訝な顔をすると庄兵衛は噛んで含めるように言葉を重ねた。

「初陣とは本物の戦場を体験することです。辰敬様は生まれて初めて本物の戦場をその目でご覧になり、戦場とはどんなものかを知る。それが一番大切なことなのです」

 三郎助や家の子郎党達も頷いた意味が辰敬にはその時はまだ分からなかった。

第四章 初陣(5

 

 牢から出された次郎松は一言も詫びがないと怒っていたが京極邸から出て行こうとはしなかった。長屋をねぐらに賭場通いの日々に戻ったが、百年に一度の運気に水を差され、その後はいい目が出ないとぼやいていた。それでも初戦の赫々たる戦果が忘れられず、未だ御守の力を疑う気配はなかった。辰敬は次郎松には申し訳ないがぼろ負けして多胡博打を忘れてくれる事を願った。

 その後、辰敬は夜の警固を勤めながら深夜の庭で一人剣術の稽古を始めた。顧みて武士たる者が無為な日々を過ごしていることに気が付き愕然としたのである。随分無駄な時間を過ごしたものだ。勿体ないと悔やんだ。座禅も組んだ。見よう見まねだがこの年十五歳になる若者は真剣であった。

 午前中は寝て午後は長屋の部屋に籠もり先ずは四書五経に取り組んだ。だが辰敬はこれまでまともな学問はして来なかった。公典に四書五経を教わったと言っても、しわくちゃの反古の一枚から始まったもので、子供にも分かる処世訓程度のものであった。学問と呼べる深さには到底届いてはいなかった。改めて取り組むとちんぷんかんぷんで乏しい知識と経験を総動員してこんなことを言っているのかと想像するのが精一杯であった。

だからと言って師につくことは躊躇していた。都にいればこそ名僧知識や学者にはことかかない。親もそのような師から学ぶのを期待しているのは分かっているのだが……。そこにこそ上洛した意義があるのだが……。もし厳しい師についてしまったら寝ころんで本を読んでいる事など出来ないだろう。

実は辰敬は四書五経を放り出し、日がな寝転がって草紙類を読み耽っていたのだ。公典のところで反古の断片ではあったがこの類の本が面白いことは知っていたので虜になるのに時間はかからなかった。後は手あたり次第に軍記物や往来物、和歌集や連歌集、源氏物語に、果ては天文、暦、算学書、農業書など文字が連ねてあるものは片っ端から読み耽った。京極邸の納戸には今や誰も読まなくなった書物が埃を被っていたのである。

 辰敬は寝食を忘れ本の世界に没頭した。何物にも代えがたい至福の時間だった。こうして多くの本を乱読しているうちに、辰敬は武士の子にしては妙な本ばかり読むようになった。それは天文や暦、算学、医学、薬草、農学などの実用書の類であった。

 田舎育ちの辰敬は小さい時から虫捕りに明け暮れていた。百姓の目を盗んでは麦畑にもぐり込み雲雀の巣を捜したものだ。雪や雨の多少で作物の出来不出来を予想したし、山の味覚もいつどこに何が実るかは掌を指すように分かっていた。そんな子供だったから出雲の田園を思い出しながら農業書を読んでいると、都と出雲では同じ作物でも種まきの時期も違えば育て方も違う事がとても面白く思えたのであった。

 地方によって枡の大きさが違う事にも驚かされた。都に出て来て漠然と出雲とは枡の大きさが違う事に気がついていたが、その違いを深く考えた事はなかった。地方によってこんなにばらばらだったとは。

 多胡家の石見中野の知行高は四千貫であった。なぜ貫高で表わすのか子供の頃何となく疑問に思った事があったが辰敬はようやくその訳が分かった。都のある山城の百石と出雲の百石では枡の大きさが違うから、同じ百石でも実収入に差が出てしまう。これを銭に換算しておけば山城の百貫も出雲の百貫も収量は異なっても実収入は同じだ。不公平はなくなる。土地の価値は米の石高では正確に表せない。銭に換算して何貫の米が取れるかで決まるのだ。凄い発見ではない。至極当たり前の事だが自分で気がついた事が嬉しかった。

 辰敬はさらに考える。どうして、土地によって枡の大きさが違うのだろう。不便ではないか。統一すればいいのに。なぜ統一しないのだろう。誰も考えなかったのだろうか。そんなはずはない。誰もが統一した方がいいと思っているに決まっている。これは公方様の役目ではないのか。公方様が日本中に号令すればいいことではないか。どうして公方様は統一しないのだろう。公方様はその重要性に気が付かないのだろうか。だったら誰かが教え強力に推進すればいいではないか。どうして誰も教えないのだろう。こんなにいいことをどうしてやろうとしないのだろう。それが(まつりごと)ではないのか。辰敬は枡の大小からそんなことを考える若者だった。

 米の作り方、野菜の作り方、水の管理、堰の作り方、肥料の作り方、天気予報、暦の見方、薬の作り方、病気の予防、虫害や鳥獣害対策、道中の用心、信仰……日常生活のすべてに亘って、知恵が詰まっていた。辰敬は感心した。何と分かりやすく役に立つ情報ばかりなのだろう。知恵の宝庫だった。こんな世の中なのに、庶民は逞しく生きている。無法の世に生活の知恵で張り合っている。名もない庶民の息遣いが聞こえて来るのだった。

 

 六月、突如、三好之長が如意ヶ岳に陣を敷いた。如意ヶ岳は東山連峰の東大文字山の頂きを占める山塊である。そこからは鴨東から鴨川を越えた京の町が一望に見渡せる。

 俄かに都は騒然となった。

 近江の六角氏を頼った前将軍足利義澄は、琵琶湖湖岸に浮かぶ九里(くのり)氏の本拠水茎(みずくき)岡山城(現在の近江八幡市)に庇護されていた。同じ近江に潜伏している前管領細川澄元や三好之長らと共に中央復帰の計画を進めていたのである。

 辰敬は本を投げ出し鴨川の堤へ走った。

 正面に大文字山を望み、如意ヶ岳の辺りに目を転じながらいちの身を案じた。もし三好勢が攻め下りて来たら、いちの寮があるであろう辺りは戦場になるが、そんな事は土倉の泉覚坊も百も承知。もう今頃は退避しているだろう。己が無力が哀しい。遠くにあっていちを思い続ける事の切なさを噛みしめていた。

 管領細川高国は直ちに反撃した。高国勢は高国の被官衆に大内義興と畠山尚順の被官衆が加わり、総勢二万を越える大軍であった。折しも嵐を思わせる梅雨の大雨の中、高国勢がぬかるむ山肌に足を取られながら如意ヶ岳によじ登るとすでに三好勢は逃げ去っていた。後には弓矢や具足、盾、鑓などがことごとく捨てられていた。暴風雨と予想を越えた大軍に戦意を喪失したのだろう。三好之長はまたもや身を隠してしまった。

 将軍足利義尹は義澄一派を一掃するために近江に潜伏する細川澄元と三好之長らのあぶり出しにかかった。義尹は将軍御内書を伊賀、美濃、伊勢、越前に発し、山門にまで出兵を促した。まともに立ち向かっても勝ち目のない事を悟った足利義澄は起死回生の謀略を巡らした。

 

 十月、深夜。

 武家御所の寝殿で就寝中の将軍義尹が賊に襲われた。同朋衆半阿弥の手引きで、夜討ち上手の円珍なる者ともう一名が太刀と長刀で義尹に斬り付けたのだ。義尹は前夜に酒宴があり酔って寝ていたにもかかわらず、賊に気がつくと咄嗟に灯火を消し太刀を取って防戦した。番衆は誰一人として助けには来なかった。呆れた事に番衆も酔っ払って寝込んでしまい襲撃に気がつかなかったのである。

 義尹の寝衣は乞食と見まどうほどにぼろぼろに切り裂かれ、全身に七ヶ所とも八ヶ所とも九ヶ所とも言われるほどの刀傷を受けたが奇跡的に浅手ですんだ。乳母日傘で育った将軍だったら一太刀で落命していたであろう。やっと掴み取った将軍位への執着が義尹の必死の防戦を支えたのだ。流浪を重ね艱難辛苦を舐め尽した将軍だからこその奇跡であった。

 賊が逃亡した後、血まみれの義尹に呼ばれ、番衆は初めて襲撃を知った。前代未聞の大事件に都中が仰天した。

 この暗殺未遂事件は義澄が円珍に依頼したものであった。円珍は時宗の悪党で忍びの心得があった。夜討ち上手の異名を取るぐらいだから名うての暗殺者だった。前将軍派は乾坤一擲の非常手段に訴えたのである。阿修羅の如く斬り付けた太刀の一つが、後一寸深ければ暗殺は成功していたであろう。失敗の報を受けて義澄は天を仰いで切歯扼腕した。

 辰敬も驚いた事は言うまでもないが事件そのものよりも気になる話があった。

 それは円珍たちが武家御所を脱出した時、気がついた門番達が追おうとしたら何処からともなく飛礫が襲いことごとく門番達を打ち倒したと言う話であった。その話を聞いた瞬間、辰敬は飛礫を放ったのは石童丸ではないかと思ったのである。

 かつて辰敬は石童丸の飛礫の正確無比かつ凄まじい威力を目の辺りにした。闇の中でも飛礫を打つと石童丸が豪語したのも聞いた。根拠はそれだけだが辰敬には石童丸以外の人間は考えられなかった。闇の中で百発百中の飛礫を打てるのは石童丸をおいて他にはいないと思っていた。となると石童丸は武士に取り立てられたのだろうか。

 深夜の京極邸で遭遇した石童丸が、

「武士になる」

 と言った顔がまざまざと甦った。

 阿波細川家とか三好家に奉公が叶ったのであろうか。前将軍義澄の(かち)走りにでもなれたのであろうか……。はっきりしていることは、将軍暗殺と言う重大な任務の一端を担うほどに腕を買われたと言う事実だ。辰敬は石童丸が着実に己が目的に向かっていることを確信した。顧みて辰敬はどこへ向かっているのか。何をなさんとしているのか。

 

 永正七年の年明け早々、怒りに燃える義尹は義澄討伐の号令を発した。北近江の守護京極高清と手を結び、雲竜軒という遁世者を大将とする軍団を南近江へ送り込んだのである。

 突然、京極高清の名が登場し、家中は最早表舞台に立つことがなくなった悲哀を改めて噛みしめたのであった。どっちが勝っても京極家に影響はないのだが、義尹方が勝ったとしても高清にだけは手柄を挙げさせたくないのが家中の正直な気持だった。

 その願いが通じたのか、甲賀に逃げ込んだ六角氏は甲賀の国人衆と共に反撃し、幕府軍を壊滅させた。大将の雲竜軒も討ち取られる始末だった。

 次郎松はそれ見たことかと大喜びした。 何でも討伐失敗の方へ賭けてかなり儲けたらしい。これには後日談がある。その話を聞いた家中の侍が、そんな賭けがあったのならなぜ教えなかったのかと次郎松に因縁をつけ、酒手をふんだくったと言うのだ。

「牢にぶち込み、殴る蹴る、さんざん痛めつけておいて、なんちゅう奴らや。貧すれば鈍すとはこのことや」

次郎松の怒るまいことか。

 

一方、細川澄元は六角氏や甲賀の力を得て幕府軍を撃退したものの近江滞在の限界を知り、態勢を立て直すために三好之長とともに本国の阿波に戻った。

 義澄は水茎岡山城に残った。

 水に囲まれた琵琶湖の城から南東の甲賀山地までは指呼の間と言ってよい。危なくなったら六角氏と共に甲賀の山中へ逃げ込めばよい。甲賀の国人衆に守られている限り安全な事は証明された。

甲賀は国人衆の連合体からなる国であった。横の繋がりが強く古来より独立自尊の気風に富み、外敵に対しては常に結束して当たった。山地で地形は険しくその地形を利して戦う甲賀衆にいつの時代も攻め手は翻弄された。どれほどの大軍をもってしても甲賀攻めは失敗の歴史であった。

 澄元と之長が近江を去ったので表面上は平和が戻ったように見えたが、義澄と澄元達は近江と阿波から都を挟み撃ちにする作戦を新たに練っていた。

 

 六月の末、侍部屋の前を通りかかった辰敬は鷲尾に呼び止められた。

「柱立をしたそうやな」

 柱立とは建物を建てる時、基礎を固めその上に柱を立てる事を言う。手斧始め、柱立、上棟式と続く、建築における重要な区切りの儀式である。

 鷲尾が言う柱立とは杵築大社造営の事である。辰敬にはまだ報せが届いていなかったので今初めて知ったことになる。一昨年の秋に造営の宣言があり、着工したのが去年の五月、順調に進んでいると聞いていたのだが鷲尾の薄笑いが気になった。

 この男がこのような嫌味な笑みを浮かべる時は決まって出雲がらみの話題であった。

 身構えると果たして、

「さすがは悉皆入道殿と感心しておったのやけど、何や、聞いたところによると、正殿の柱が足りんかったそうやないか。北西の端の柱が間に合わんかったのや」

 心の臓がどきんと鳴った。さすがに不安になる。その不安を煽るかのように侍部屋から聞えよがしの声が続いた。

「尼子殿も参拝した正殿立柱やと言うのにみっともないことやなあ。都じゃありえん話や」

「そら、出雲じゃ、ええ柱も集まらんかったんやろう」

「せやなあ、都やったら、木曾を筆頭に伊勢や紀伊、丹波の良材が集まる。海を越えて四国からも運ばれて来るよってなあ」

「尼子殿も威勢のええこと言わはった割には、正殿の柱も揃えられんとはなあ。(おお)(やしろ)はちゃんと出来るんかいなあ」

 鷲尾がいかにも心配そうな顔をした。

「入道殿に責めが及ばねばよいが。わぬしの親父殿はその前に腹を切ったりしかねぬ。そう言う御仁と聞いとる。心配やなあ」

 散々に脅されて辰敬は二、三日眠れなかったが、八月に入ってすぐ最後の柱が無事に立ったとの報が届いた。

誰も何も言わなかった。

 造営奉行亀井秀綱や父の忠重が責任を問われる事もなかった。ことさら騒ぎ立てるほどの事ではなかったようだが、鷲尾は嫌味を忘れなかった。

「考えてみたら、尼子殿の御縁に連なる者を咎めるはずがあらへんわなあ」

 その少し前に辰敬の姉の袈裟は経久の次男孫四郎に嫁いでいて、鷲尾達は忠重が造営奉行になれたのも娘のお陰と陰口をきいていたのであるが、それから暫くして経久が伊予守に任官し、孫四郎が細川高国の偏諱を受けて国久と名乗ると諦めたかのように黙ってしまった。

 

 その頃、本国阿波に戻った細川澄元は兵力の回復に努める一方、前典厩家・摂津分郡守護だった細川政賢や淡路守護細川尚春、和泉上守護細川元常らとの結びつきを強めていた。

永正の錯乱後、澄元を支持したため高国によって典厩家を追われた細川政賢は言うに及ばず、細川尚春も細川元常も細川一族では家格の低い野洲家の高国が一人だけ突出して出世した事に反発していたのである。

澄元は細川一族を切り崩し、播磨守護赤松義村をも味方に付ける事に成功した。

こうして反撃態勢は着々と整えられ、明くる永正八年となった春、満を持して足利義澄が挙兵した。

義澄は若狭や近江の有力な武士や寺院などに盛んに書状を送った。大内義興を牽制する為、九州の大友氏にも大内氏の背後を突くように出兵を促す書状を送った。

義澄に呼応して、細川澄元も大和や和泉、河内などの諸将に忠節励行を督促した。

近江と阿波から戦いの狼煙が立ち昇り、近畿の情勢はにわかに風雲急を告げた。

七月十三日、細川澄元と三好之長は阿波を発向、泉州堺に上陸した。

先陣の大将は細川政賢で、細川元常・山中為俊らを率い、高国方の深井城(現在の堺市)を落とした。

河内では澄元と連携する畠山義英が、高国派の宿敵畠山尚順を打ち破り高屋城へ入った。

精強な阿波兵が鋭気を養い、態勢を立て直して攻め寄せたのであるから、澄元勢はたちまち和泉・河内を制圧した。

一方、淡路守護細川尚春は摂津に上陸、播磨守護赤松義村も摂津に攻め込んだ。尚春の淡路衆は兵庫口で敗れたものの、赤松勢は破竹の勢いであった。

日々もたらされる情報に、京極家中は尻の落ち着かない日々を過ごしていた。そこへ大内義興が石見の諸将に上洛を要請したとの報せがもたらされたから邸内はにわかに浮足立った。

家中のみならず、都の人々は皆、いま幕府を一手に支えている大内氏の強大な軍事力を絶対視していた。大内軍がある限り都は安泰と楽観していたので、大内義興が援兵を請うたことに驚いたのである。

辰敬も意外に思った。

三好之長が如意ヶ岳で一戦も交えずに逃げ出した体たらくを思うとどうにも信じ難いのだが、どうやら澄元派の勢いは本物らしい。

澄元勢ばかりに気を取られていると、連携する近江の足利義澄が背後から突いて来るは必定。さしもの大内義興も在京軍だけでは前後の敵には対応しきれないのであろうかと不安になって来た。

辰敬は現政権を支持している訳ではない。どちらが天下を取ろうとどうでもよかった。漸く世の中が治まったと思ったのにまた戦いになるのが嫌だったのだ。都が戦場と化す光景は想像したくなかったのだ。

数日後、石見の諸将と共に尼子経久も数百の兵を率いて上洛するとの報せがもたらされた。

「わぬしはどないするんや」

 上目遣いにじろりと辰敬を窺う鷲尾の目はいい加減にこの邸から出て行ったらどうだと言わんばかりだった。即ちそれは戦に加わる事を意味していた。尼子殿が自ら兵を率いて出陣するのであるから当然辰敬も参陣すべきではないのかと言っているのだ。それは辰敬にとって初陣を意味する

初陣。

その言葉がずしりと軋んで辰敬の胸に居座った。息苦しいほどに重い言葉だった。覚悟はしていた。武士の子ならいつかはこの日が来る事を。もうすぐ十七歳になる辰敬にとっては遅いぐらいだ。

出雲にいたら尼子武士の子としてその日に向かって生きているようなものだが、都にいるとつい忘れてしまう言葉だった。

御屋形様が健在ならば家中も辰敬について口を挟む事はできなかった。しかし、御屋形様亡き今や京極家にとって辰敬はただの他所者である。尼子の禄を食むのだから。ましてや悉皆入道の子ならば当然参陣するのだろう。いやそうすべきであろうと、鷲尾同様に辰敬を厄介払いしたい家中は皆辰敬自ら初陣を望んで出て行く事を期待していた。

意地悪な視線であった。

家中が尼子方の加勢する現将軍が負ける事を望んでいるのは明らかだった。辰敬が初陣で死んでも同情する者など一人もいないだろう。残酷な運命の物語を望む、それが若者であればあるほど喜ぶ野次馬の冷酷な視線だった。

辰敬にとって一番暑い夏だった。

熱暑で煮えたぎる頭の中を初陣という言葉だけが嵐のように駆け巡っていた。言葉では判るのだが自分が鎧兜で身を固め戦場を疾駆する姿がどうにも浮かばなかった。

辰敬は家中の屈折した期待と初陣の不安に耐えながら、やがて来るであろうの日の前に立っていた。その日は確実にやって来ると己に言い聞かせて。

 

                   第四章 初陣(4)

 その瞬間、訳もなくどきっとした辰敬は咄嗟に姿を隠していた。なぜ、そんな行動を取ったのかは自分でも分からなかった。身体がそう反応したとしか説明のしようがなかった。多聞を邸で見るのはいつ以来だろう。思い出せないくらい久し振りだが、懐かしさより先に気になることがあった。多聞は門へ向かっていたのである。こんなに早く退出するなんて一体何の用があって来たのだろう。

加えて辰敬の目を引いたのは多聞の歩く姿であった。左手を懐に突っ込みぶらりと肩を揺するように歩いていた。まるで都を徘徊する牢人のようだ。辰敬は多聞のこんな姿は見た事がなかった。多聞はどんな寒い日でも決して懐手はしなかった。片懐手でだらしなく歩く男ではない。辰敬は多聞の後を追った。

 多聞は邸を出ると西へ向かった。女のいる家に帰るのだろうか。後を追いながら辰敬は多聞の左手を突っ込んだ懐が妙に大きく膨らんでいたのを思い出していた。

 多聞は風早町へは戻らなかった。途中から南に下り、都の外れまで来るとさらに西へ向かい、東寺の近くの小さな土倉の暖簾を潜ったのである。辰敬はまるで自分が悪い事をしているかのように道端の小屋陰に身を隠した。

多聞が出て来た。懐の膨らみは消えていた。懐に隠していた物を銭に換えたことは明らかだった。京極邸から持ち出した物を土倉に持ち込んだのだ。

 辰敬は信じたくなかった。いま見た事が幻であって欲しかったが、前を行くずんぐりした岩のような後ろ姿はまごうことなき多聞であった。その背中がこれまで見た事もないくらいしぼんで見えた。辰敬までもしおれたように動けなかった。多聞の姿が視界から消えてからようやく足が動いた。

 辰敬は重い足取りで風早町まで引き返して来ると、ためらいながらもそっと町屋の間の路地に入った。と、奥から激しく怒鳴り合う声がして女の悲鳴が上がった。

 何事かと掛け込むとあばら家の前で十人ほどの侍が多聞を取り囲んでいた。京極家中の者達だった。鷲尾が頭巾を被った女を人質に取り刃を突き付けている。まともに向かったのでは多聞に太刀打ちできないので、女を人質にとって多聞を取り抑えようとしているのだ。多聞の盗みがばれたようだ。

 と、喉元の刃も厭わず、女が鷲尾を突き飛ばし身を翻した。慌てた鷲尾が女を引き戻そうとした時、多聞がその間に飛び込み、たちまち乱闘となった。

女は必死の形相で路地へ逃げて来た。頭巾は剥ぎ取られ、まるで童女のような髪を振り乱し、腿も露わに走って来る姿は異様で、鬼気迫るものがあった。女は辰敬の横を駆け抜けると小路へ飛び出した。辰敬は女を追った。

「こっちじゃ」

女の袖を掴むと小路を駆け抜け、近くの寺へ逃げ込んだ。昨秋来、多聞と二度ほど会った場所である。

二人は境内の奥の苔むした石塔の陰に倒れるように転がり込むと息を潜めた。叫喚から離れた静けさの中で辰敬の背に熱い息だけが(ふいご)のように打ち寄せていた。蹲っていたが追手の気配はなかった辰敬はそっと女を振り返った。そう怯えた顔があった。

「あんな奴ら、束になっても多聞さんにはかなわんけん」

 安心させてやろうと思ったのだが、齢にそぐわぬ童女のような頭がいやでも目に障る。やはり尼であることを隠していたのだ。尼で剃髪するのは禅寺に限られている。多くの尼は尼削ぎと言い、肩の辺りで髪を切り揃えるのが普通である。生え揃わぬ短い髪を見るに、女は禅寺の尼だったに違いない。女が無性に汚らわしく見えた。短いばさばさの髪は勿論の事、化粧気のない疲れの滲んだ顔も。

「なして多聞さんは盗みなんかしちょったんじゃ」

 咎めるような口調になっていた。

「わらわも知らんかった……」

 項垂れると消え入りそうな声で、

「申し訳ない事じゃ……路銀を工面しておられたのじゃろう」

「路銀」

 辰敬は思わず素っ頓狂な声を上げた。

「旅に出るのか」

 女は面を伏せたまま頷き、

「髪が伸びたらと約束を……」

 油っ気のない短髪の頭を恥ずかしそうにすくめた。

「多聞さんと一緒にか。どこへ、なして旅を」

 女はうっと声を漏らすと堰を切ったように泣き出した。大きな声に自分でも驚いたのか、慌てて袂を口に押し当てたが、嗚咽はとめどもなく続き、涙もぼろぼろとこぼれ続けた。 いつになったら泣きやむのか、辰敬が震える肩を呆れたように見ていると、ぽつりと声が漏れた。

「伊豆へ……」

 振り絞るような声を上げた。

「わらわの子が生きておったのや」

女は身を投げ出すように地べたに突っ伏した。辰敬は凝然と女を見詰めていた。尼さんに子供がいたとは。

 ようやく泣きやんだ女が涙ながらに語るには、生国は駿河で本名はすえ。甲斐との国境に接する貧しい山里の百姓の娘だった。

 一帯を知行する領主は先祖が鎌倉以来の御家人の家柄で、駿河の守護大名今川氏の被官であった。すえはその館に端女として奉公に上がったが、水浴びをしているところを猟色に狂った主の目にとまり、その場で犯されてしまった。正室との間に子がなく、側女が産んだ子達も皆虚弱で早世していたので、後継ぎを熱望する主は女と見れば見境なく手をつけていたのだ。

土臭い百姓娘は丸々と太った男児を産んだ。主は狂喜乱舞した。すえは主の宿願を叶える大手柄を挙げたのだが、褒美に小袖を一枚貰っただけで子は取り上げられてしまった。

正室の子として育てられる事になり、主家代々の幼名である松王丸と名付けられたが、正室は悋気が強く異常に嫉妬深い性質だった。子を奪っただけでは飽き足らず、すえを殺そうとしたのである。

 間一髪、刺客に気づいたすえは刃を浴びながらも、必死に山へ逃げ込んだ。その時の傷は背に残り、今も痛む。普通の娘なら死んでいたが、山育ちの生命力がすえを救った。

 谷に落ち気を失って倒れている所を、旅の比丘尼に救われたのである。旅の比丘尼と言えば尼姿で春をひさぐ女である。すえも生きて行くためには身を売るしかなかった。恩義のある比丘尼とともに三年ほど諸国を旅をしたが、片時も我が子を忘れた事はなかった。

我が子の存在がすえを支えたと言ってよい。だが、身を売りながらの旅は余りにも辛く、耐え切れなくなったすえは、都へ上った時に尼寺へ逃げ込んだ。

正真正銘本物の尼になったのである。すえは御仏に仕えながらひたすら我が子の為に祈り続けたが、それから四年近くたった去年の春、駿河の主家が滅んだ事を知った。甲斐の守護大名武田氏の侵攻を受け、一族皆殺しにあったのだ。館に押し込められ、女子供に至るまで、一人残らず焼き殺されたと言う報せだった。すえは半狂乱となり、自らも井戸に身を投げようとしたほどであった。

ところが、それから暫くして、風の噂に松王丸が生きていると知らされた。館が包囲される寸前に、松王丸を救い出した奉公人の老夫婦がいた。老夫婦は夫の故郷の伊豆の僻村へ戻ると、そこで漁師をしながら松王丸を大切に育てていると言うものであった。すえはその噂を聞いた途端、矢も盾もたまらず会いたくなった。

松王丸は七歳になっている。やっと我が子を取り戻す事が出来るのだ。夢にまで見た、親子二人の暮らしが出来る。どんなに貧しくても、どんなに辛くても、我が子と二人なら何の苦労であろうか。どんなに大きくなったことか。我が子に会いたい一心で、すえは尼寺を飛び出したのだが、都を脱け出す事すら出来なかった。

 あの恐ろしい野っ原でならず者に襲われたのだ。真夜中に都の人間なら絶対に通らない場所だが、すえは正常な判断を失っていた。が、御仏に仕えた功徳が残っていた。偶然、通りかかった多聞に救われたのであった。

「桜井様は事情を知ると、わらわを伊豆まで送ってやると約束して下さったのじゃ。わらわの髪が伸びた頃に旅立てるようにと。それまでに支度を整えてやろうと仰せになったのじゃ」

 そこまで語ると、すえはその目をひたと辰敬に当てた。辰敬の心の内はお見通しですよと言わんばかりに。

(桜井様はふしだらな御方ではありませんよ)

 辰敬は目を逸らすと多聞を恨んだ。

(多聞さんはいつもこうだ。一言言ってくれればいいのに。我を子供と思っていたのか)

 すえには辰敬は大人になる子に見えていた。

「……一つ屋根の下で暮らしていたけれど、桜井様と言う御方はですね……指一本」

 咳ばらいがした。振り返ると仏頂面の多聞が立っていた。

「あっ、桜井様」

 すえは思わず多聞の胸に飛び込むようにしがみついた。

「よくぞ、御無事で」

「むむ……」

 涙のすえを持て余す多聞を、辰敬は背伸びした目で眺めていた。視線に気づいたすえが慌てて離れた。仏頂面がほっとしたように一呼吸すると、

「さて、これからじゃが、伊豆へ行こう」

「えっ」

 すえが声を上げた。

 辰敬も吃驚して、思わず問うた。

「路銀は。旅の支度は」

 多聞は首を振った。

「路銀は少し貯めた。支度も少しずつ整えていたが、みな、置いて来た。今頃は奴らに根こそぎ奪われておるじゃろう」

 ちゃりんと袂を鳴らした。

「じゃが、今朝、作った銭がある」

「とても足りんじゃろ」

 関銭だけでも馬鹿にならない。一人一文としても、二人で二文だが、関所はいたる所にあった。公方を筆頭に守護や守護代などの武士、朝廷、公家、寺社を問わず、その領地に関所を作り、通過する者から容赦なく関銭を取り立てた。伊豆まで一体関所だけでも幾つある事だろう。百ではきくまい。二百はあるかもしれない。関銭だけでも四百文だ。野宿ばかりする訳にはゆくまい。宿賃がいる。煮炊きする薪代もいれば、米を買う金もいる。

「なあに、何とかなる。商人の用心棒でもすればよい」

 と安心させるように腰の刀をぽんと叩いた。

 かくなる上は一肌脱がねばならぬ。辰敬はそう思った。

「多聞さん、ちょっと待っちょってくれ。我のところには少しじゃが米がある。上洛した時の旅支度もそのまま置いてある。すぐに持って来るけん」

 辰敬は京極邸の長屋に取って返した。鷲尾達は傷の手当てで大騒ぎしていたので見咎められる事はなかった。

 行李に米や味噌などありったけを詰め込んで引き返して来た。

「わぬしが困るじゃろ」

「次郎松が貸してくれるけん」

 にっと笑みを浮かべると、

「少ないけど」

 六十文ほど入った銭袋を差し出した。

 多聞は目を丸くした。

「何じゃ、これは」

「次郎松がくれた多胡博打の御守代じゃ」

「多胡博打」

 怪訝な顔をする多聞に、辰敬は多胡博打の一件を打ち明けた。

「律儀な奴じゃのう」

 多聞が声を上げて笑った。つられてすえも笑い、辰敬も笑った。

「その御守、儂も欲しいくらいじゃ」

「賭け事はいけません」

 すえが大真面目な顔でたしなめた。

「冗談じゃ」

 早速、多聞は行李を背負い、すえと共に寺を出た。見送りに辰敬もついて行った。多聞は途中ですえに市女笠を買った。

 東海道を下るには粟田口から日の岡の峠を越える。寺を出て、三条大橋を渡り、京の七口の一つ粟田口の関まではかなり歩くが、辰敬にはあっという間だった。それが二人を送って来た辰敬の実感であった。

 出る人、来る人の雑踏の中で、多聞は立ち止まると、辰敬に向き直った。じっと黙って見詰める目は、出会ってから今日までの辰敬の成長を確かめているかのようであった。

「世話になったな」

 大人と認めた声だった。

「達者でな」

 頷いて(多聞さんも)と言葉を返そうとした時、多聞はくるりと背を向け、関所の茅葺き屋根の門に向かっていた。

 すえが両手を胸前で合わせ、

「だんだん」

 にっこりと頭を下げた。辰敬の顔にも笑みが浮かんだ。出雲の言葉で礼を言ってくれたのは、最大限の感謝の気持ちを伝えたかったに違いない。

 街道を遠ざかって行く二人を、辰敬はいつまでも見送ったが、突然の別れをまだ現実のものとして受け入れる事が出来た訳ではなかった。まさか多聞ともこんな別れになってしまうとは。二人の後ろ姿が豆粒のようになった時、別れの寂しさがじんわりと込み上げて来た。どうして大好きな人たちばかり去って行くのだろう。まるで辰敬を置いてけぼりにするかのように。多聞は戻って来るのだろうか。また会う事が出来るのだろうか。一寸先は分からない世の中だった。神のみぞ知る。いや、神さえも見通す事が出来ない世ではないのか。今辰敬に出来る事と言えば、二人の道中の無事を祈るしかなかった。救いは春がそこまで来ている事だった。

辰敬は引き返した。三条大橋に向かってとぼとぼと歩いていると、目は自ずと街道の右手、鴨東の北に広がる野に引きずられていた。

目の端に東山連峰が南北に横たわり、そのなだらかな峰の北にはこれまた見慣れた比叡の山稜が盛り上がっている。緑を増した麦畑と荒れ地が入り混じって広がる平地には、森や林、寺社や集落が浮島のように点在している。

辰敬は自分の目が捜しているものに気がついていた。あの日以来、鴨川を越えることはなかったが、こうして鴨東に足を踏み入れると、否応もなく思い出させられる。深夜の京極邸で石童丸と出食わした時の事を。石童丸は土倉に嫁いだいちが、鴨東の寮に暮らしていると教えた。銀閣寺へ行く途中にあると言った言葉を思い出しながら、辰敬は東山の麓から西へゆっくりと視線を戻した。

遠くのあの屋敷森だろうか、それとも百姓家の向こうの竹林の揺れる屋敷だろうか、それらしい住まいを捜していた。が、立ち止まった足を叱るものがあった。もう一人の自分の声であった。

(未練だぞ。忘れたのではないか)

 声は未練の目をも叱った。

(多聞さんに叱られた事を忘れたのか)

 辰敬は我に返り、今頃は日の岡の峠を登っているであろう多聞に思いを馳せた。

(多聞さんが我を叱った事に間違いはない。御奉公専一を考え、我を思っての事だったのだ……)

 と、己に言い聞かせながらも、その多聞への疑念が湧き上がって来るのであった。

(……多聞さんはどうしてあそこまで尽くすのだろう)

 それは喉に刺さった魚の小骨のように引っかかっていた謎であった。すえを好きになったのなら判る。辰敬が見るに多聞が好意を抱いているのは確かだ。好きな女の為なら当然だと思うのだが、多聞はすえに指一本触れていないと言う。何ヶ月も女と暮らしていながら、指一本触れないのは男として普通ではないことぐらい辰敬の齢になれば判る。もし辰敬がいちと一緒にそんな状況に置かれたら、一日たりとも我慢できなかったであろう。

(触りたいし、抱き締めずにはいられないし……ああ、いけない。またつまらない妄想をしてしまった)

 多聞に思いを戻した。

 すえの身に同情したからかと思ったが、ただの同情からとはとても思えなかった。では、すえが尼だったからだろうか。多聞は尼僧に手を出すような男ではない。だが、すえは尼寺を抜け出したのであり、多聞と暮らし始めてから髪も伸ばしたではないか。もしかして多聞は女嫌いなのだろうかとも思ったが、それにはいかにも無理がある。結局、やっぱり多聞はすえが好きなのだ。好きだからこそ旅を共にするのだと言う結論に納まる。そして、堂々巡りの果てに初めの疑問に戻るのであった。

 好きならどうして指一本触れないのだろう。いやいや、そもそも多聞は好きとも、愛しているとも言わない。そういう男だ。出会ってから、今日までの多聞を改めたて思い出して見た。多聞の人となりを、本当の多聞を知るために。三条大橋が見える所まで来た時、ようやく結論らしいものに辿り着いた。

(多聞さんは好きだったからこそ指を触れようともしなかったのではないだろうか)

 何だか胸に落ちたような気がした。本当に好きな人だったら指も触れられない。多聞ならありそうな事だ。いや、不器用で、口が重く、武辺一点張りの多聞なればこそではないか。 指も触れない、好きとも言えない。それこそが好意を示すことであり、あの人を大切にしていることではなかったのか。

(多聞さんらしい)

 大好きな多聞がそこにいた。いかにも素朴な出雲の田舎武士ではないか。辰敬にはとても男らしく立派なことに思えた。

 翻って我が身を省みてどうだろう。好きとも言えず、手を握る事も出来なかったところは、多聞に似ていた。だが、その後が違い過ぎる。確かに辰敬はいちを失ったが、もし多聞が同じ立場なら、今の辰敬のように未練を残し続けたであろうか。無理矢理忘れようとして、結局、忘れられず、未練たらしく悶々としたであろうか。否、多聞はそんな男ではないはずだ。

 多聞ならどうしたであろうか。岩のような多聞の姿が浮かんだ。秘めた意志がそのまま岩と化したような顔。なにものにも揺るがぬ不動の岩と化した体躯。その時、辰敬は思った。多聞は岩のように動かず、変わらず、その固い身の内に大切なものを守り続けるのではないのだろうか。

 辰敬はいちを忘れようとしていたが、多聞は逆に大切な人を決して忘れたりはしないのではないか。多聞ならその思いを抱き続けるに違いない。決して表には出さず、死ぬまで己一人の内に守り続けるだろう。そうだ。男なら、そう言う愛し方もあるのだ。いや、それこそが一番男らしいのかもしれない。

 そこまでが今の辰敬が到達した地平だった。

 辰敬は思った。いちを忘れてはいけないのだ。たとえいちが人の妻となり、手の届かない所へ行ってしまったとしても、いちが本当に好きで、いちを本当に大切に思っているのならば、忘れてはいけないのだ。何年経とうとも、どんなに遠くにいても、自分の運命がどう変わろうとも、心の奥底にかけがえのない人として大切に守り続けるのだ。

 たとえその気持が伝わらなくてもよい。

 歳月が経ちいちがどんな女になったとしてもいい。辰敬は変わらず、思い続けるのだ。それが本当に好きになった人への誠ではないか。

(多聞さん、そうじゃろ)

 辰敬はきっと唇を真一文字に結び、三条大橋の真ん中をまっすぐ進んだ。

第四章 初陣(3

 

 どこをどう歩いたかも忘れていた。

 頭にあるのはただただ後悔だった。

 後悔の果てに、敗残兵のように逃げる自分が惨めに思えてならなかった。いちはもっと哀れでならなかった。何よりも男が憎くてならなかった。殺してやりたいほど。様々な思いは身を持て余すほど煮えたぎり、そして、また後悔に戻る。

(なぜ、行ったのか)と。

 昼過ぎ、長屋に倒れ伏していると、鷲尾が険しい顔で乗り込んで来た。

使いの報告に来ない事を激しく罵った。

「やかましい」

 思わず怒鳴り返していた。

「我は疲れとるんじゃ。そんなに気になるなら、わぬしが行け」

 余りの剣幕に鷲尾は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたが、ぶつぶつ文句を言いながら引き返した。

 日が落ちても起きる気にならなかった。

 食欲もなかった。朝飯も食わずに使いに出たから、昨夜から何も食べていない。腹は空っぽのはずだが、きりきりと刺すような痛みが胃袋を苦しめ、水の一滴も入らなかった。

 とても夜の当番を勤める状態ではなかった。

 熱が出たと嘘をついて休んだ。それまでの連夜の勤めぶりを知っているので、誰も怪しまなかった。初めてのずる休みだった。ところが、一日休んだだけで、辰敬の中に張り詰めていたものが、ぷつんと切れてしまった。

次の日も、またその次の日も、辰敬は衾を引っ被り、海老のように丸まっていた。仮病がばれても、辰敬を叱る資格がある者などいやしないのだからと居直っていた。

 そんなある日、日が暮れて間もない頃、ほとほとと戸を叩く音がして、そっと呼び掛ける声がした。

「辰敬はん、わしや。次郎松や」

名乗らなくても判るのだが、いつにない猫撫で声が耳に障った。次郎松は雑色のくせに、年上ということもあって、十一歳で上洛した辰敬を田舎者と見下していた。近頃はさすがに昔のような無礼な態度は慎むようになったが、それでもこんな気色の悪い声は出さなかった。入って来ると、いかにも心配そうに衾の下の辰敬の顔を覗き込み、

「具合はどないや。飯、食うとらへんやろ。あかんで、食べな。ほれ」

 と椀を差し出した。稗混じりの薄い粥がほんわかと湯気を上げている。

「わしらが食うものやから、口には合わんやろうけど、食べたってえな」

 朝から何も食べていないので、思わず喉が鳴ったが、次郎松の親切がどうにも薄気味悪くてならない。手を出しかねていたが、結局空腹に負け、もぞもぞと衾から抜け出すと、

「だんだん……」

 椀を受け取り、粥を啜った。粗末な薄い粥だが、温かいだけでも救いだった。空の椀を返すと、次郎松は満足げににっこりと頷いた。

「やっぱり元気になって貰わんとなあ」

 辰敬は怪訝な顔で見返した。

 すると、次郎松は改まって神妙な顔を作ると、

「実はな、辰敬はんを拝まして貰いたいのや」

 と、また奇妙な事を言い、両手を合わせて拝む振りをする。

「何の真似じゃ。我は神様じゃないぞ」

 次郎松はにたっと笑った。

「いや、神様じゃ。聞いたで。博打の神様の子孫というやないか」

 思わずあっと声を上げそうになった。

「辰敬はんの御先祖には多胡重俊と言う博打の名人がおったそうやないか。ありとあらゆる賭け事に秀で、負け知らず、多胡博打と持て囃され、神様のように崇められ、皆、こぞってその絵姿を掛け軸にして飾ったと言うやないか。辰敬はんも知っとるやろ」

 辰敬は肯定も否定もしなかった。

「博打を打つ者はこぞってその絵姿を祀って拝んだと言うが、わしは見た事がないのや」

 そこで、次郎松はまたにたりと笑った。

「せやけど、わしにはそんな絵姿なんかいらへん。多胡博打の血を引く辰敬はんがおるのやから。聞けば、多胡重俊の子も、その孫も代々博打の名人やったと言うやないか。辰敬はんも将棋の天才と聞いとる。我殿にも多胡博打の血が流れておるんや。わしから見たら、生き神様や。こんな近くに生き神様がおったとは。な、せやから拝まして欲しいと言う訳なのや」

 たちまち辰敬は不機嫌になった。何か魂胆があると思っていたら、事もあろうに博打の話とは。その上、一番知られたくなくて、隠していた事を、よりによって次郎松に知られてしまったとは。

「わし、これから一勝負しに行くのや。儲けたら、礼をさせて貰うよって、多胡博打の御加護を願い奉る」

 真顔で今にも手を合わせて拝みそうになったので、思わず辰敬は怒鳴った。

「やめろ、出て行け」

 次郎松は怪訝な顔をした。

「なんでや」

「なんでもくそもない。嫌なものは嫌じゃ」

「ちょっと拝むだけやないか」

「うるさい。出て行けとゆうとるじゃろ。もう二度と来るな」

「そないな殺生な。わしかて命の次に大切な銭を張って勝負するんじゃ。助けてえな。頼む、この通りや。拝ましてえな。多胡博打の御加護があったら勝てそうな気がするんや。いや、絶対に勝てるんや」

 次郎松はすがりつかんばかりに哀願した。

「黙れ。我の前で二度とその話をするな。多胡家では賭け事は御法度なんじゃ」

 睨み返すと次郎松は恨めしげな目をした。

 漸く諦めたと見え、しぶしぶ出て行こうとしたが、戸口でちらりと振り返り、ぼそっと呟いた。

「遠くからでも拝まして貰うわ」

 まったくふてぶてしい奴である。辰敬は憤然と背を向けると、ごろりと横になって衾を引っ被った。すると、表でぱんぱんと手を打つ音がするではないか。次郎松は本当に拝んでいるのだ。

(何と腹の立つ奴だろう。ろくでなしめ。ぼろ負けするがいい)

 辰敬は毒づいた。腸が煮え繰り返る。

 翌朝早く、勢いよく戸が開くと次郎松が飛び込んで来るや、

「勝ったで」

 と、辰敬の寝ぼけ眼に満面の笑みを突き出した。目も口も頬も今にも崩れ落ちそうだ。

「流石は多胡博打の御加護や。まっこと霊験あらかたや。たいしたもんやで。辰敬はんに見せたかったで。わし、勝ちまくりや。こんな事生まれて初めてやった。ほんまおおきにな。おおきにおおきに」

 と、差し出した手には穴開き銭が三個乗っていた。

「少ないけどな。お礼や」

 勝った勝ったと吹聴する割には端金(はしたがね)である。口ほどには儲けていないのだろう。早起きは三文の得と言うが、僅か三文で叩き起こされたかと思うと無性に腹が立った。しかも汚らわしい銭である。

「いらん」

「そない言わんと。貰ってえな。わしの気持ちや」

 押しつけようとするので、

「いらんと言うたら、いらんのじゃ」

 振り払うと三個の穴開き銭は土間に飛び散った。

「あれ、何すんねん」

 次郎松は慌てて穴開き銭を拾った。

三つ目はなかなか見つからず、土間に這いつくばって捜し回り、ようやく掘立柱の根元に入り込んでいるのを見つけると、指先を真っ黒にして取り出した。引き返してくると、改めて三個の穴開き銭が載った掌を差し出した。

「銭は大切にせなあかん」

 まるで人が変わったように大真面目な顔であった。

「穴開き銭たった三個やからと言うて、捨てたらあかん。ええか、銭にも命があるんや。捨てたら、そこで銭は死んでしまうんや」

 次郎松は噛んで含めるように話し続けた。

「初めは僅か三文やけどな、人から人へ渡って行くうちに、三文は四文になり、五文になり増えて行くんや。そうやろ、考えてみ。三文で仕入れた物を四文で売ったら、一文の儲けや。これが、銭が生きとると言うことや。人から人へ百人の間を渡って行ってみなはれ。一体なんぼになると思うのや。百文や二百文ではきかん。五百文にも千文にもなるんやで。せやから三文でも大切にせなあかんのや」

 妙に説得力があった。辰敬とは無縁の一文二文の世界に生きる庶民の生活に根差した言葉だった。心のどこかで無学な雑色と見下すところがあっただけに、辰敬は次郎松を見直す思いだったが、その後がいけない。

「ま、わしが使えば、三文もすぐに六文、六文は十二文、十二文は二十四文と増えるんやけどな」

 すぐにお里が知れる。辰敬がむっと睨むと、次郎松は笑って誤魔化した。

「へへ、偉そうなことを言うたけど、この三文、使ってやってえな。少しやけど、辰敬はんに使って欲しいのや。ほんまに心からそう思っとるんや」

 三文を辰敬の膝の前に置くと、次郎松は逃げるように出て行った。

 それから、賭場に出かける前には昼夜問わず、次郎松は長屋の前で手を打った。そして、意気揚々と帰って来ると、必ず三文から五文ほどの穴開き銭を置いて行くのだった。現れない日もあった。勝ちっ放しという訳には行かないのだろう。その代わり、翌日、手を打つ音に一段と力が籠もる。

 それが、数日続くと辰敬は不安になって来た。 次郎松が長屋に向かって拝んでいるところを他人が見たら何と思うだろう。たちまち出雲にも伝わるだろう。息子が博打の神様代わりに拝まれていると知ったら、大社造営奉行を務める父忠重の怒りがどれほどのものか、想像するのさえ恐ろしくなった。

次郎松が二日ぶりに笑顔を見せた時、

「わぬし、我を拝んでいる事を誰かに言ったか」

 と心配して聞くと、次郎松はぶるぶると首を振った。

「言う訳ないやろ。もし一言でも漏らしたら、皆、辰敬はんを拝みに来るがな。そないな損する事言う訳ないやろ」

「わぬしが拝んどる事、誰も気がついとらんのか」

「わしかて注意してまんがな」

 次郎松はにたりと笑った。

「辰敬はんはわし一人の神様や」

 辰敬はうんざりした。

「これ以上拝むのはやめてくれ」

「なんやて」

 次郎松は顔色を変えた。

「なんでや、」

「わぬしが拝んどる事が出雲に知れてみろ。どうなることか、考えるまでもないじゃろう」

「そりゃ困る。ほな、これからはもっと注意して拝むわ」

「駄目じゃ。もうやめろ」

「そんな殺生な。わしな、博打下手で負けてばっかりやったけど、このところ運気が上向いとるのや。連戦連勝と言う訳に行かんけど、損はしとらん。多胡博打の御加護や。いくらやめろ言われても、やめる訳には行かん。これまでの負けも取り戻したいし。どうしてもと言わはるなら、外で拝むのは遠慮するけど、どこか人目の付かん所で拝ませて貰う」

とても止められそうにない。辰敬はため息をついた。すると、

「ほな、こないしたらどうやろ。こないな事で辰敬はんを悩ませたら、多胡博打の霊験も減ってしまうかも知れん。そうなったらわしも困る。そこでや、辰敬はん、わしにお守り札をくれへんか」

 怪訝な顔すると、

「わしの長屋に貼っておくのや。家の中で拝む分にはかまへんやろ。誰かに見られても家内安全商売繁盛の御札やと言えばええ。な、ええ考えやろ」

「そんな御札なんかある訳ないじゃろ」

「書けばええのや。辰敬はん、書を習うてると聞いとる。辰敬はんが書いたものなら御利益あるはずや」

 さも名案と言わんばかりに、次郎松は鼻の穴を膨らませた。そんな物でいいのなら簡単なことだ。長屋の外でぱんぱんと手を打って拝むのだけはやめて欲しかったので書いてやることにした。

 こんな事に手習いが役に立つとは……。

 墨を磨り終ったところへ、次郎松がどこかから手頃な紙を都合して来た。奉書紙の反古の端を切り取ったようだ。

 その紙に辰敬はさらさらと御守と書いて渡すと、次郎松は不服そうに眺めた。

「これやと何の御守か分からんやないか。もう少し有難味があるようにならんのか。何か、こう、多胡博打のお墨付きと判るように値打ちをつけてえな」

 確かに言われてみればその通りだ。だが、多胡の字を入れる訳には行かない。辰敬は少し思案すると、御守と書いた下に、絵とも文字ともつかぬ紋様のようなものを書き殴った。

「何や」

「多胡家の花押や」

 武士や公家が署名に使う文字である。判とも書判(かきはん)とも言う。自分の名を崩して作る、判子代わりの紋様に近い独特の文字である。

「へえ、これが多胡家の花押か」

 次郎松は感心したように覗き込んだ。

「代々多胡家ではその名に因み、蛸の絵に自分の名を重ねて花押を作るのじゃ」

 大真面目な顔で、よくもそんな出鱈目がすらすらと口を突いて出るものだと、辰敬は我ながら呆れた。辰敬は忠重の花押を見た事があったが、似ても似つかぬ形であった。

「ほ、ほう……なるほど、そう言われてみると、この花押の上の円い線が蛸の頭で、八本の足が辰敬はんの辰の字を表しておるのやな」

 次郎松はすっかり信じ込んだ。やり過ぎかと思ったが、筆が滑ってしまったものは仕方がない。次郎松が本物の多胡家の花押を見る事などないだろうからばれることはないだろう。次郎松は嬉しそうに御守を押し頂いて出て行った。御守の威力があろうがなかろうが知った事ではない。もうこれであのぱんぱんという音に悩まされることはない。辰敬は次郎松から解放された事でほっと安堵の胸を撫で下ろしたのであったが、数日後、思いがけない事件が勃発した。

朝帰りの次郎松が待ち構えていた鷲尾達に取り押さえられたのである。時ならぬ騒ぎに何事かと辰敬も跳ね起きた。様子を見に行くと、次郎松は侍部屋の前の庭で数人の侍達に責められていた。

「儂やない。ほんまに知らん。何かの間違いや。儂はそんなことせえへん」

 必死に訴える次郎松を鷲尾が蹴り上げた。

「黙れ。貴様が金回りのええことは、皆、知っとるのや。貴様しかおらへん」

 近頃、また邸内の物品が盗まれている。高価な品々を蔵にしまってからは、収まっていたのだが、この所、気がつくとまたぞろ何かしら無くなっている。値の張る物ではないが、鷲尾達は次郎松を疑っていた。

「なんや、この銭は」

 銭の入った袋をどさっと投げつけた。百文はありそうだった。物陰から窺っていた辰敬は目を見張った。御守の威力はなかなかのようだ。

「あ、あの、それは……博打や。博打で稼いだんや」

 辰敬はどきっとした。

「阿呆、そないな下手な言い訳が通ると思っておるのか」

「ほんまに勝ったんや。儂、このところついとるんや」

「貴様、おちょくってるんか」

 鷲尾が怒声を上げた。

「儂らをなめるなよ」

 材宗の自死以来の積り積もった鬱積を吐き出すかのように、鷲尾達は次郎松を足蹴にした。

「ほんまや……信じてえな……ほんまについとるのや……博打の神様がついとるんや……」

 いつ多胡博打を口走らぬか、辰敬ははらはらしながら見守っていた。

「ええ加減にさらせ。博打するには元手がいるやろ。どないして種銭を作ったのや。邸の物を盗んだに決まっておる」

 とうとう次郎松は気絶し、厩の牢に放り込まれてしまった。当時、武家屋敷で牢が必要になった時は厩を利用する事が多かった。

 暗くなってから、辰敬は粥を厩に運んだ。 馬も減って、がらんとした厩の入り口近くの馬房に次郎松は閉じ込められていた。

「次郎松」

 そっと声を掛けると、黒い塊がもぞもぞと起き上った。

「辰敬はん……」

 格子の間から椀を手渡すと、

「おおきに、おおきに……」

 次郎松は粥を一気にすすると、牢格子にすがりついて嘆いた。

「濡れ衣や。御恩を忘れず、御奉公を続けておるのに信じてくれへん。せやけど、辰敬はん。儂、御守のことは言わんよってな、安心してや。多胡博打の事も口が裂けても言わんへんで……」

 暗くて表情は分からないが、その声はとても自信なさそうに辰敬には聞こえた。

 その夜から、辰敬は夜回りに復帰した。門番も詰め所の奉公人達も相変わらずたるんでいた。次郎松が捕まったので一層気が緩んだようだ。何事もない静かな夜であった。

翌日の午前中、辰敬はどうにも眠れなくて起き上った。昼にはまだ時間があった。次郎松の言葉が気になって目が合わなかったのである。お調子者で口の軽い次郎松が辰敬との一件を口外しないと強調すればするほど不安が募る。辰敬は次郎松の様子を探りに厩へ向かったが、途中、思いがけない顔を見つけ、足が止まった。

 常御殿の方から多聞が現れたのだ。

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