曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 小説「石見岩山城主多胡辰敬」

    第五章 出雲の武士(7)

 

 衰えは露わだったが口は衰えていなかった。それが当たり前のように早速多聞の手当てを始めたがしきりに首を傾げた。

「骨は折れてはおらん、深い傷もない。風邪でもない、流行り病でもなさそうじゃが……この熱は一体何じゃ……」

 探るような目を向けた。

「知り合いか」

 辰敬の態度でただの行倒れを拾って来たのではないことは分かったようだ。辰敬は曖昧に頷いた。小屋爺はそれ以上訊かず、仔細に多聞の身体を調べた。辰敬は額の手拭いを何度も取り替えた。息は荒く胸が波打っていた。鋼のように逞しかった体にあばらが浮いている。

 足を触っていた小屋爺の目が脹脛(ふくらはぎ)の一点に釘付けになった。

「これか、わかったぞ。この御仁はツツガムシにやられたのじゃ」

「ツツガムシ」

 辰敬は怪訝な声を返した。

「聞いたことはある。山の中におる妖怪で、こいつに取り付かれると恐ろしい病になると」

 小屋爺はふんと鼻で笑うと、

「よく見ろ」

 指さしたところに目を凝らさなければわからない針で刺したような傷があった。

「ダニに刺されたのじゃ」

「ダニじゃと」

「余りにも小さく誰も気が付かぬ。それゆえツツガムシと言う妖怪の仕業と信じられるようになったのじゃ。この様子じゃと今夜あたり発疹が出て足にむくみが出る。放っておけば血が固まって死ぬ」

「小屋爺、助けてくれ。この人は恩人じゃ」

 一瞬黄色く濁った眼が光ったように見えたが、小屋爺は立ち上がりごそごそと薬草を取り出して来て辰敬に渡した。

「儂はもう無理じゃけん。辰敬殿、轢いてごしなされ」

 辰敬は一心に薬研を轢き高熱でうなされる多聞に薬を飲ませた。夕方になっても容態は変わらずその夜は一睡もせず看病した。いつの間にか小屋爺は小屋の片隅で眠り込んでいた。

 明け方、辰敬がうとうとしかけた時かすかに多聞が呻いた。はっと辰敬が多聞の顔を覗き込んだのと多聞の瞼が開いたのが同時だった。

「多聞さん」

 ぼんやりと見上げる顔に辰敬は叫んだ。

「辰敬じゃ」

 目と目がぶつかった。

「おお……」

 多聞は目を見開いた。よほど驚いたのか、呆けたようにすぐには口もきけないほどだった。

「よかった、もう大丈夫じゃ」

 涙が出るほど嬉しかった。

「多聞さん、ツツガムシに刺されて倒れたところを、偶然、俺が助けたのじゃ」

「ツツガムシじゃと……」

 多聞は顔を顰めながら体を起こした。

「道理でこの二、三日、具合が悪かったはずじゃ」

 改めて辰敬の顔を覗き込むと、

「それにしてもわぬしに助けられるとはのう」

 やつれた顔に辰敬が知っている笑みが浮かんだ。

「船岡山で助けてごしたことから比べたら……」

 数年の隔たりを確かめるように二人は見つめ合った。

「がいになったのう」

 辰敬は苦笑した。

「妻は」

 首を振った。

「とてもとても……冷や飯食いじゃけん」

 多聞は黙って見返した。お互いに長い不通の歳月が楽しいものではなかったことを確かめる沈黙が経過した。

ふと辰敬の頭を過るものがあった。

「もしや、守護所に忍び込もうとしたのは多聞さんか」

 多聞の目に不敵な光が宿った。小さく頷き何か言おうとした時、大きな欠伸が聞こえた。

多聞ははっと振り返った。小屋の片隅に丸くなって寝ていた小屋爺がもぞもぞと起き上がった。

「ああ、よう寝たわ」

多聞と目が合うと歯のない口を開けてにたりと笑った。

「助かったようじゃのう。さてと、小便してから朝飯を作るとするか」

 もそもそと出て行く老人を多聞は鋭い目で見送った。

「ツツガムシの薬を作ってくれた爺さんじゃ。俺を子供の頃から可愛がってくれた。いつも俺の味方じゃった。信用していい爺さんじゃけん」

 多聞は頷くと小さな声で呟いた。

「吉童子丸様にご挨拶したかったのじゃ」

 やはりと辰敬は頷き返した。

「俺も出雲に下向されてから会えないでいる」

 二人にだけ通じる思いをしばし噛みしめていた。

 辰敬には聞きたいことがあった。

「船岡山で別れてしまったから聞けなかったんじゃが、東国へ下ったはずの多聞さんが、どうしてあの時都に戻っていたのじゃ」

 多聞の顔が石になった。何も語りたくないと言うかのように。辰敬は待った。やがて石は語り始めた。辛く悲しいことは多聞をもってしても長い間閉じ込めておくことは出来なかったのであった。

「伊豆へ着いてからの一年は幸せじゃった」

 多聞とすえは老夫婦に養われていた松王丸と会うことが出来た。松王丸も多聞を慕い、老夫婦を加えた五人は一つの家族となり、伊豆の漁村で半農半漁の暮らしを始めた。戦乱の世とは別世界の静かな海辺で、笑い声に満ちた幸せな暮らしは永遠に続くかと思われたが、ある日、多聞が漁から戻って来ると、海面にすえと松王丸の水死体が浮かんでいた。

 浜に戻ると老夫婦も殺されていた。

「今川家を頼った旧主の遺臣たちが、お家の再興をはかろうと松王丸を探し出し、連れ戻そうとしたのじゃ。年寄りが止めようとしたのだが殺され、逃げたすえと松王丸は断崖から足を踏み外し、海へ落ちてしまったのじゃ」

 石が抜け殻になっていた。

「あの日から儂は生ける屍になったのじゃ。どこをどう彷徨ったのかも覚えておらん。気が付いたら都に戻っていた。偶然、京極家の雑色に会い、わぬしの初陣を知ったのじゃ」

 多聞は辰敬を見つめた。

「ほうっておけなくてなあ」

 たまらなく優しい顔だった。辰敬は深々と頭を垂れた。その頭の上を多聞の声が流れて行く。

「船岡山の後は南へ向かった。生きることは辛いが死ぬことも出来ぬ。気が付いたら修験者になっていた。別に修験の道を究めようと思ったわけではない。放浪して生きて行くのに都合がよかったのじゃ。気が付いたら五年の月日が経っていた。人里離れた山奥にばかりいたので、三年前に阿用城の戦いがあったことを知ったのはつい三カ月前のことじゃった……」

 声音(こわね)が変わった。面を上げると武士(もののふ)の顔があった。たまらなく懐かしい顔。

「故あって出雲を出奔したとは言え、儂も桜井宗的様の縁に連なる者じゃ。どうして主家の危急を見過ごせよう。思えば出雲には御屋形様のお墓もある。吉童子丸様も大方様も御出でになる。引き寄せられるように戻って来たのじゃ」

 声が潤んだかと思うと不意に涙が溢れた。飛沫となって噴き出すほどの勢いで。

「飛ぶように戻って来たのじゃ」

抑えに抑えた感情が激情となって迸るのも多聞だった。

「お会いしたかったのじゃ。吉童子丸様に。今生のお別れをしたかったのじゃ」

 はっと辰敬は多聞を見つめた。

「大方様にもお別れをしたかった……御屋形様にはもうすぐお側に行くとお伝えしたかったのじゃ」

 辰敬は圧倒された。

(多聞さんは阿用城に入り、城を枕に死ぬ気でいるのだ)

 ここにも死を覚悟する武士がいた。名状し難い感動で心も身体も焼けるように熱くなった。辰敬は少年の頃から多聞こそ本物の武士と憧れていた。多聞はまさにまごうことなき武士だった。ここに辰敬が目指す武士がいる。辰敬は真っ直ぐに多聞の目を見つめた。多聞の目にも辰敬が映っていた。そのことに気が付いた時、辰敬の目に込み上げて来るものがあった。多聞の目も光った。

 そこへ、小屋爺が顔を覗かせた。

「辰敬殿、わぬしを探しておる者を連れて来たぞ」

 後ろに馬丁の顔が見えた。一晩待っても戻って来なかったので、心配して探しに来たのだ。

 辰敬は多聞に杵築に戻らなければならない事情を説明した。

「別れに涙は似合わぬ。笑って別れよう」

 阿用城に入ることは尼子の敵になる事。二人は敵味方に分かれる。次の戦いで阿用城が持ちこたえる可能性は百に一つもない。今生の別れを多聞は笑って別れようと言う。

 辰敬と多聞は連れ立って小屋を出た。

 向かい合うと辰敬の方から先に笑みを見せた。多聞より先に笑って見せようと決めていたのだ。多聞も莞爾と笑った。

 辰敬は馬丁と馬を繋いである所へ向かった。

六年前は新しい人生に旅立つ多聞を見送る別れだったが、此度は見送られる別れだった。辰敬は背中に強い視線を感じていた。進め、前へ進め、何があろうと前へ進めと背を押す視線だった。

 

 杵築へ着き、二ヶ月も経ってから、辰敬はようやく富田へ戻る用を言い遣った。季節は秋に変わっていた。

 辰敬は馬を急がせ、小屋爺の小屋に立ち寄った。

「あの後、二日ほどしたらよくなったので出て行ったわ。西へ向かったから峠を越えたのじゃろう。どこへ行ったのかは分からん。噂も聞いておらん」

 辰敬は分かっていた。阿用城に向かったに決まっている。が、その前に、八幡に立ち寄り、密かに御屋形様のお墓に参り、別宮の大方様にご挨拶したはずだ。多聞なら必ずそうする。

 用件は時間がかかる事ではなかったので、辰敬はすぐに杵築へ引き返さなければならなかった。

 丁度その日が御屋形様の月命日だった。

 短い滞在の間、辰敬は多聞のことを考え続けていた。別れた朝の多聞の言葉と顔が蘇って離れることはなかった。馬に揺られる今も。小屋爺の小屋に近い山道に差し掛かった時、不意に谷底から多聞の声が湧き上がるように聞こえて来た。大方様とは今生の別れをし、御屋形様にはお側へ行くと言った言葉を。

 辰敬は峠を越えたところで馬丁を待たせると、馬に激しく鞭をくれた。

 八幡へひた走り、安国寺に乗り付けると、御屋形様の墓石の前に立った。ようやくここへ来ることが出来た感慨を噛みしめ、かくも遅れてしまったことを詫びながら。八年ぶりに会う人は石になっていた。戒名を彫っただけの自然石だった。笑顔もなければ声も聞こえない。あるのは栖雲寺殿巨川宗済と刻み込まれた文字のみ。辰敬は手を伸ばし指で文字をなぞった。あたかもそれは幼い子が老爺の頬をなぞるかのようであった。魂が宿っているならばあの懐かしいふんわりと包み込むような温かさが伝わって来るのではないかと思ったのだが……。辰敬は耳を近づけた。せめて御屋形様の声でも聞こえぬものかと。

「辰敬殿ではないか」

 辰敬は吃驚して飛び退いた。

 現れたのはおまんだった。

 おまんはまじまじと辰敬を見据えた。

「来てはならぬと大方様がおおせになられましたのに……」

 首を振るとため息を漏らした。

 辰敬は頭を垂れた。

 そのおまんの目にふっと笑みが浮かんだ。

「……いずれ、あなた様も御出でになると思ってはいましたけどね」

 はっと辰敬は顔を上げた。

「と、言うことは多聞さんも来たのですね」

「ここでは人目に立ちます」

 

 二人は寺の奥座敷で向かい合った。

「わらわも年を取るはずじゃ。四年になりますからねえ」

 出雲に帰国した翌年、大方様に会いに行った辰敬は謹慎させられた。その後、許しを請う大方様の言葉を伝えに来たのがおまんだった。

 おまんは惚れ惚れと辰敬を見つめた。

「まだ独り身と聞いております。勿体ない事じゃ。世が世なれば御屋形様が佳き妻を見つけて下さったでしょうにねえ」

 思うだに詮無い事だった。辰敬は首を振ると話を元に戻した。

「先ほどの話ですが、多聞さんは来たのですね」

 おまんは頷いた。

「いつのことでしょうか」

「二月ほど前に」

 思った通りだった。

「夜更けに墓参りをされた後、密かに大方様を訪ねて来られたのです。お暇を告げられ、阿用城に向かわれました」

 おまんはそっと目尻を拭った。

「私はずっと疑問に思っていたのですが、多聞さんは尼子の武士なのに、なぜ京極家に一途に尽くされるのでしょうか。桜井家は多胡家同様京極恩顧の家と聞いておりますが、それにしても多聞さんの御屋形様、大方様、吉童子丸様への思いは並外れております」

「いつかはお話ししようと思っていたのですが、ようやくその時が来ましたね」

 おまんの話によると、出雲に下向していた御屋形様が狩りに出た時、行倒れて死んだ母親の胸で泣いている赤子を見つけた。御屋形様は哀れに思い、その赤子を拾って帰り、屋敷で育てた。それが多聞だったのである。

 多聞が十二歳の時、多聞の出自が判明する。

 桜井家の分家の庶子だった。分家に奉公に上がった端女が生んだ子だったが、正妻に命を狙われ、母は子を抱いて逃亡したのであった。

 悲劇の構図はすえと松王丸母子と同じだった。辰敬はすえとともに東国へ旅立った多聞の心情を今初めて知った。自分と同じ境遇の母子を幸せにしてやりたい一心だったのである。

「分家はその後後継ぎが早世し、主も死に、お家は絶えたのですが、御屋形様が桜井宗的様に頼んで、多聞殿に分家を継がせたのでございます。多聞殿がどれだけ御屋形様に恩義を感じておられるかおわかりになりましたでしょう。多聞殿にとって御屋形様は実の親をも越えるお方なのです。胸に抱く熱い思いはいつも御屋形様お一人のみ。御屋形様への忠義こそがすべてなのです」

 女とは思えぬ火を吐くような言葉が迸った。

「桜井家は尼子に属し、多聞殿は桜井の分家を継ぐ身なれど、心は常に京極家と共にあったのです。京極家から出雲を奪った尼子を許せなかったのです」

 はっと口を押えると苦笑いを浮かべた。

「わらわとしたことが……人に聞かれたらどうしましょう」

 だが目は笑ってはいなかった。その目をひたと当てると声を落とした。

「桜井宗的殿が叛旗を翻したことは多聞殿にとっては願ってもない事だったのです。負けると分かっていても、尼子に一矢を報いることが、御屋形様の御恩に報いることなのです」

 御屋形様恩顧の武士と認めていても、尼子家の重臣の子にここまで胸を切り裂いて見せるのはただ事ではない。京極家の尼子家に対する怨念は分かっていても、ここまであからさまにぶつけられたらたじろがざるを得なかった。

「今日はわらわはどうかしておったようじゃ。多聞殿のことになるとつい…‥‥」

 恥じらったように笑った。

「今の話は忘れてたもれ」

 辰敬は深々と頭を垂れ、その場を辞した。

 大方様に御目通りを願うことなど到底頼めることではなかった。多聞の過去を知り、京極家への思いの深さを知った後では

 

 その頃、尼子経久は備中国の新見氏に援軍を派遣する一方、西伯耆の国人を動員して、美作国に遠征する準備を進めていた。義興の帰国が延びた隙を突き、全方位で尼子の勢力拡大を図っていたのである。

 すると、そこに思いもかけない報せがもたらされた。九月二十一日、毛利興元が急死した。二十四歳であった。青天の霹靂だった。毛利家は興元の子幸松丸を跡継ぎに立て、後見人に興元の弟元就(もとなり)を当てた。幸松丸は三歳。元就は十九歳だった。

 安芸国人一揆は動揺した。興元は一揆をまとめ上げた中心人物であり、知略に長け、勇猛で知られていた。芸北の盆地の一国人領主に過ぎなかったが、将来を期待された武将であった。その若き盟主が突然消えてしまったのだ。幸松丸は幼く、後見の元就は海の物とも山の物ともつかぬ若者と思われていた。

 武田元繁は直ちに反撃の烽火を上げた。周辺の国人たちを糾合し勢力を立て直すと、有田城奪還の準備を始めた。

 その安芸の情勢を見て、経久は美作に討ち入った。

 最愛の子、政久を失った時は天を呪った経久であったが、興元の急死に対しては天の采配の妙に唸ったのであった。天は幸も不幸も、運も不運も、平等であることに。

 陰陽は西も東もきな臭さを増し、動揺は諸国に伝染病のように広がった。これこそ尼子の望んだものであった。

 

 年を越して、二月になった。

 武田元繁は再び山県郡に侵入すると、郡内の国人たちと共に吉川領に攻め込んだ。ここは吉川元経が必死に防戦し、どうにか元繁を撃退した。

 一方、都の大内義興はこれほど混乱が広がっても帰国しようとはしなかった。この頃には義興と将軍義稙の不仲は決定的なものとなっていたので、誰もが不思議がった。四月になってその理由が分かった。義興が石見守護に補任された。

 経久は歯ぎしりした。

 義興は将軍とまた取引をしたのだ。義興の軍事力を頼りにせざるを得ない将軍は、去年、対明貿易の独占権を与え、今春は石見国を与えたのだ。義興の高笑いが聞こえるようだった。

 石見国の守護も山名氏だった。安芸国同様没落して今は大内氏が実効支配しているとは言え、国人領主たちは競い合っていた。当然、経久も虎視眈々と隣国を狙っていた。それをまんまと義興に取られてしまったのだ。出雲国を実効支配しながら、未だに出雲守護と認められない経久にとって、その悔しさは言葉に尽くせぬ。悔しさの余り、夜も眠れないほどだった。だが、天は大内氏ばかりに天秤が傾くようなことはしなかった。

 石見国には前守護山名氏恩顧の国人領主達がいて、彼らは大内氏に抵抗の姿勢を示したのである。各地で抗争が勃発した。

 経久はここぞと前守護派の国人領主たちを支援した。

 杵築と雲石の国境への距離は、富田へ戻るよりも近かったから、石見の情勢は日々もたらされる。安芸や備後、備中、伯耆の混乱は自分の置かれた状況を考えたら、所詮は関係のない事と冷めた目で見ていたが、こと石見となると辰敬も平静ではいられなくなった。

石見の邑智郡の中野には多胡家の領地があり、余勢城がある。

辰敬は父に呼びつけられると、正国と共に余勢城へ行くことを命じられた。余勢城は応仁の乱で戦功のあった祖父の俊英が中野の地を賜った時に築いた城である。所領は四千貫もある。豊かな土地で、破格の褒賞であった。多胡家にとっては家門の誉れたる地である。

辰敬は富田に戻って支度を整えると、兄に従い、三十騎を率いて西下した。石見へ行くのも、余勢城へ行くのも初めてだった。

石見の名峰三瓶山(さんべさん)を見ながら進むと江の川にぶつかる。三瓶は古代出雲の国引き神話で、朝鮮や隠岐の島を引き寄せる綱の杭となったと語られる山で、江の川は中国山地を源流とする石見の大河である。石見の平地に出て流れがゆったりとしたところで渡河すると、中野は目と鼻の先であった。

南は中国山地がなだらかに続き、周囲はさして高くない山々に囲まれた台地の中に広がる盆地だった。

 余勢城はその盆地の中の丘に築かれた平城だった。山城に籠って戦うのが当たり前の時代に平城は珍しい。

 だが、広い丘を削り、堀を巡らし、突き固めた砦は、東西に流れる川があり、周囲は沼地となっていて、一目で攻めるに難しい城と分かる。

中野を預かる家老沖五郎正末以下譜代の家臣たちが総出で迎えた。

正国は早速各地の情勢を検討し、対応策を講じた。各地の国人たちの目的は既得の権益を守ることや、帰属が定かでない境界を確定するなど、どこにでもあり、常に争っている事であるが、今石見で起きていることは、新守護が補任されたことにより、より有利な立場を得ようとする争いが激しくなったものであった。特に不利を被ると予想される前守護派は権益の確保に躍起になった。抵抗の姿勢を示すことも重要だった。それは取引の材料になるからである。尼子氏の立場はそのような反大内勢に肩入れし、彼らの力が弱体化しないように支えることだった。その為に多胡家は他の親尼子の諸家とともに物心両面の支援をする。それが石見での尼子氏の存在感を高めことになるのだ。

すぐに大きな戦が始まる訳ではないが、戦と言うものは何がきっかけで勃発するか分からないし、一旦火が付くと燎原の火となる。油断はならなかった。

正国は反大内側との連絡を密にし、連日重臣との評定を重ねた。

辰敬は評定に出たり、時には使者に立つこともあったが、時間が空いた時は、余勢城を守る支城を見て回った。供は三郎助である。盆地をぐるりと囲む台地や山裾に余勢城の水源を守る城などが築かれていた。

 時には緊張が走り、小部隊を繰り出すこともあったが、じりじりと焼き焦がされるような夏は過ぎ、秋が来た。辰敬の関心は次第に石見国内より中国山地を越えた隣国安芸国芸北の情勢に向けられるようになった。芸北も嵐の前の不気味な静けさを漂わせていた。尼子経久は武田元繁を支援しているが、経久の妻は吉川経基の娘であった。尼子家と吉川家は親戚なのである。吉川氏は一方毛利とも姻戚関係にあった。吉川経基の孫元経の妻は毛利興元、元就兄弟の姉であり、さらに元就の妻は元経の年の離れた妹であった。吉川氏は勇猛なだけではなく、戦国の世を生き抜く確かな嗅覚を持った家でもあった。その吉川領は石見国に接し、吉川氏の本拠がある大朝は中野からも近い。無関心でいられる訳がない。

十月に入るや満を持して武田元繁が動いた。五千の大軍を率いると一気に有田城に迫った。元繁の目論見は有田城を奪還し、その勢いで毛利の本拠安芸吉田をも支配下に置くことであった。

毛利・吉川軍は立ち向かうも、併せて兵は千に過ぎなかった。防戦も及ばず十月三日には有田城を包囲されてしまった。それでも連合軍は決して挫けることなく執拗に反撃した。跳ね返されても、蹴散らされても、挑み続けた。その戦いを率いるのが弱冠二十歳の毛利元就である。しかも初陣であった。誰が見ても勝ち目のない戦いを、なぜにこれほど連合軍は戦えるのか。血に結ばれた絆だけではない。元経は齢六十歳に近い老武将だったが、若い元就の力を見抜いたからこそ吉川家の命運を賭けて元就を支えたのだ。そういう声は辰敬にも聞こえて来ていた。元就とは一体どんな若者なのだろう。

「兄上、私を有田に行かせてください」

 

 

     第五章 出雲の武士(6

 

 尼子政久の死から一年たった九月六日、政久の葬儀が盛大に執り行われた。これこそ三沢攻めの烽火(のろし)だった。普通に考えれば弔い合戦は阿用城攻めになるのだが、周辺諸国や出雲の情勢を鑑み、経久はより大きな目標、出雲全土の完全制圧に打って出たのである。その先には周辺諸国を切り取り、さらには中国全土に覇を唱えんとする野望が煮え滾っていた。盤石不滅の尼子王国を打ち建て後継者たる孫に譲る。ただ一つそのためにのみ残された人生の全てを捧げる決意をした男の戦いが始まったのだ。その為にも国内の反尼子勢力は根絶しなければならぬ。

 安来津は沸き立った。

 膨大な兵糧や軍需物資が富田に送り込まれることになる。安来の港はその兵站基地になる。

その興奮は辰敬をも駆り立てた。借りている家に戻ると部屋の片隅に置いてある鎧櫃を部屋の真ん中に引っ張り出した。富田から運んで来たものである。黒光りする鎧を取り出すと船岡山や阿用城での苦い記憶が蘇る。今度こそ汚名挽回しなければならぬ。深く心に期すものがあった。

だが、安来津役所の天地がひっくり返るような騒ぎに比べて、小さな詰め所は冷めていた。蔵番に回されて馬齢を重ねた矢田や笹野の刀はとっくに錆びついていた。いきり立っているのは若い二人だけだった。とりわけ飯塚の焦りと苛立ちは辰敬でさえ目を背けたくなるほどだった。そんな二人を見て矢田達はせせら笑った。

「蔵番は蔵の番をしとればいいのじゃ」

 安来平野の稲刈りが終わった。

 いよいよ出陣の日が近づいた時、突然、飯塚が狂ったように詰め所に駆け込んで来た。「やったぞ、お召出しじゃ。長谷川様のご家来に取り立てられたのじゃ」

 馬廻衆長谷川家の家士が急死し人手が足りなくなったので急遽召し出されたのである。多胡家に雇って欲しくて辰敬にすり寄っていたが、実は何年も前から長谷川家の知り合いに売り込んでいたのだ。騎馬に従う侍で足軽に毛が生えたようなものだが飯塚は喜びで胴震いした。

「手柄を挙げて出世するけん。もうこげな所には戻って来んけん」

 意気揚々と出て行く飯塚を見送る辰敬は羨望を隠すことが出来なかったが、矢田と笹野の目には憐れみの色が浮かんでいた。お頭の顔からは何の表情も読み取れなかった。

 十月に入り、尼子経久は自ら大軍を率い奥出雲横田庄を目指して発進した。兄正国も片寄家に養子に行った次兄の重明も出陣したと聞いたが、富田からは何の連絡もなかった。

 この辺りには多胡家の領地があり、同じ鎌倉期に移って来た多胡一族の領地もあるが、実家の様子が漏れ伝わって来ることはなかった。辰敬は前のめりになった分だけ落胆したが連絡がないのも当然のことである。辰敬の任務は安来津の蔵番なのだから。せめて輸送部隊に加わることに望みをかけたがそれもかなわなかった。

連日、膨大な物資が富田川を遡って送り出されるのを辰敬は虚しく見送った。

 

 経久は中国山地奥深くに分け入ると一気に横田庄に侵入し、三沢遠江守為忠と庶子の三沢為国が立て籠もる藤ケ瀬城を攻撃した。

 三沢氏の本領は横田庄の西方三沢郷で、三沢城には嫡子三沢為永があった。藤ケ瀬城は為忠が永正六年に築いたもので、為忠は隠居し、三沢城は為永に譲ったのである。

 為忠為国父子は頑強に抵抗した。藤ケ瀬城の近くには真言宗の古刹岩屋寺があり古くから蔵王信仰と修験道の中心であった。その岩屋寺の寺衆、岩屋衆も藤ケ瀬城に籠城した。

 戦況は日々安来津にも届いたが、年内に大きな変化はなく戦いは越年した。

 辰敬に出来ることは二人の兄たちの武運を祈ることだけであった。

 二月に入り飯塚が五人斬りの大手柄を挙げたとの報せが飛び込んで来た。尼子勢が岩屋寺に総攻撃を仕掛けたのである。古来より奥出雲の信仰の中心であり、強大な勢力を誇っていた岩屋寺は燃え落ち灰燼に帰した。飯塚の手柄はこの戦いの中で挙げられたものである。

 詰所にどよめきの声が上がった。

 斬り殺したのは僧兵であろう。ただの坊主ではない。仏法護持、仏敵誅滅の刃を揮う精強極まりない武装集団である。

「たまげたのう、あいつ、そげに強かったとは。これで長谷川家に取り立てられること間違いなしじゃ。念願の侍になれるわけじゃ」

 感嘆する矢田の声が辰敬の脳裡に返り血で真っ赤に染まった飯塚の顔を浮かび上がらせた。赤鬼のような顔が歯を剝き勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「ふん」

 笹野が冷ややかに言い放った。

「仏に仕える者を五人も殺してただですむはずがないぞ」

 矢田は黙った。

 お頭はこの騒ぎの間もずっと背を向けて横になっていた。

 暫くして為忠為国父子は初めの抵抗はどこへやらあっさり降伏した。

 安来津に歓呼の声が上がった翌日、飯塚が死んだことが分かった。勝ち戦の祝い酒に酔った飯塚は川に突き落とされ溺れ死んだと言う。突き落としたのは岩屋衆の女房だったらしい。

「ほれ、見い。仏罰が下ったのじゃ」

 矢田は頷き、

「哀れじゃのう」

「馬鹿じゃ」

 笹野は吐き捨てたが辰敬は何も言えなかった。哀れと思い同情もしたが、武士になりたくて足掻いた飯塚と己が体面しか考えなかった辰敬とは同じ穴の狢だった。

 戦後処理は経久流だった。経久は領地の一部を召し上げたが、父子の命は助けた。経久は厳罰と温情を巧みに使い分ける。本領の三沢城から動かなかった為忠の嫡子三沢為永を意識してのものであった。

 

「くそっ」

 不意に怒声が響いた。辰敬は驚いて振り返った。お頭がこんなに大きな声を上げることはなかったからである。夢でも見ていてうなされたのかと思ったが瀬島はむっくりと起き上がった。

 富田に経久が凱旋して数日後の晩春の昼下がりだった。詰め所には辰敬と瀬島の二人きりだった。居眠りの妨げになるので窓の蔀は降ろされ入り口も半分閉じられていたから詰め所の内部はいつも薄暗い。その詰所の奥の一番暗い定位置で瀬島は俯いたまま木像のように動かなかった。まだ寝ぼけているのかと思ったら、

「三沢はどの面晒して生きておるのか……」

 独り言つように呟くと屹度面を上げ、

「降伏するなら初めから戦わなければよいではないか」

 火を吐く声だった。

「どれだけ多くの命が消えたか」

 老躯を振り絞った。お頭は飯塚の死を悼んでいたのだ。お頭は語り掛けるように続けた。明らかにそこにいるのが辰敬一人と分かった上で。

「三沢は腹を切る覚悟もなく戦ったのじゃ。本気で戦う気なら三沢城の為永も戦いに加わっていたはず。そんな戦いに付き合わされて死んだ者が哀れでならん」

「見よ、阿用の桜井宗的殿を」

 老躯が天を突いた。

「三沢とは比べ物にならぬ小領主じゃが、命を懸けて戦ったからこそ尼子の大軍を押し返し、未だに孤塁を守っておるではないか。城を枕に死ぬ気でおるからじゃ。三沢の親子には桜井殿の爪の垢を煎じて飲めと言ってやりたい」

 辰敬は息を呑んだ。世間に背を向けた、偏屈な老人と思っていたお頭のどこからこのような激しい言葉が出て来るのか。経久に疎まれて蔵番に落とされたと言う話が甦った。瀬島が犠牲を強いる無謀な戦いを諫めたのは事実だったに違いない。

「武士は最期に腹を切れるかどうかただその一点で名聞が定まるのじゃ。名を残してこそ武士じゃ」

 まさに武士ならばそうありたい言葉だが今の辰敬には遠い世界の言葉に思えた。数年前、管領細川京兆家の跡目争いに敗れた細川澄之が十九歳の若さで自害した時、辰敬は言葉にならないほどの衝撃を受け、到底自分には真似出来ないことと思った。今、初陣を含めて二つの戦いを経験し、齢二十歳をも過ぎてしまったが、十九歳の澄之には到底及ばない。

 瀬島はごろりと横になった。

 その後ろ姿を見ながら辰敬は思った。痩せた背中のこの人は、こんな自分が将来腹を切れるような武士になると本当に思っているのだろうか。そうでなければ突然こんなことは言わないはずだ。どこか認めるところがあっての言葉なら悪い気はしないが、正直に言わせて貰うなら腹を横一文字に掻き切ることなど考えたくもなかった。

寝息が聞こえて来た。

 

奥出雲を抑えた経久は勝利の余韻に浸る間もなく、東は伯耆、西は石見を窺い、さらにその隣国安芸にも食指を伸ばした。先年の備後への南下は頓挫したが大内不在の今こそが勢力拡大の絶好機であることに変わりはない。

折しも安芸の政情は混乱を極めていた。室町時代の初めまでは武田氏が安芸国守護だったことがあったが、その後、武田氏は幾つかの郡を治めるだけの分郡守護に落とされてしまった。やがて安芸国守護は山名氏となったが、世の流れで力を失い、大内氏が実効支配するようになった。ところが、義興の在京が長くなり、諸勢力が勝手な行動を取り出した。そこで義興は一緒に上洛していた武田元繁を帰国させ、混乱を治めようとした。帰国に当たっては元繁の謀反を警戒し、養女を妻として与えた。にもかかわらず、安芸に戻るや否や元繁は妻を離縁し、尼子経久の弟である尼子久幸の娘を妻とした。義興に叛旗を翻したのである。

かねてより安芸守護を望む元繁の野心を知る経久の工作が実を結んだのであった。

元繁は混乱に乗じ勢力の拡大を計った。

義興は激怒し、毛利興元と吉川元経に武田退治を命じたので、安芸の北部地域は一気に緊張した。

港にいるとこのような情報は荷物と一緒に海からも陸からも次々と入って来るが、蔵番の仕事は何一つ変わることなく過ぎて行った。世界は辰敬と無関係に動いていた。まるで辰敬は無用な人間だと言うように。

 

夏の終わりに一通の文が届いた。

きいからの文だった。辰敬が富田を出てから初めて受け取る文である。武家の未婚の男女が文のやり取りをすることなど出来るはずもなく、一年ばかり音信不通だった。この文も人手を介して届けられたものであった。

胸がざわめいた。

この秋に嫁ぐと認めてあった。富田衆の辰敬も名を知っている家で、祖母が亡くなった後、親がすぐに決めた縁談であると、自制のきいた文章で事実だけが記されていた。

ああ、声にならないため息を秋風が生垣の向こうへ運び去った。

辰敬は富田に戻ればきいがいるものと思っていた。将来を約束した訳ではないが、辰敬贔屓の祖母が可愛い孫娘と辰敬を見つめる眼差しを思い起こせば、辰敬にも彩に満ちた世界が待っていると安来津の暮らしの慰めにしていたのである。

だが、それは玉木家を牛耳る女隠居が健在でこその話で、女隠居が死んでしまったらこうなることは分かっていたことだった。だからこそきいは事実だけを墨にしたのだ。辰敬は墨痕に目を凝らした。かすかに滲んでいた。閉じ込めても閉じ込められないものが今にも溢れ出そうとしているように思えた。

 辰敬は燃やした。無用の人間にとって無用の物だった。すべては灰にしてしまうのが今の自分に一番ふさわしいと思ったのである。

それでも秋が深まって来ると嫁ぐきいの姿が浮かんで来た。そろそろ嫁ぐのだろうか、いや、もう嫁いでしまったのだろうかと。未練をそぞろ侘しい季節のせいにした。早く、秋が過ぎることを願って。

その秋が終わる前に、毛利・吉川軍は山県郡の武田方に属する武将の居城有田城を落とした。有力武将の城を落とされた武田元繁は山県郡から兵を引き上げざるを得なくなった。

安来津でもその噂で持ちきりだった。尼子方にとって毛利興元の名は忌々しくも無視できないものとなった。

そこへ、来春には義興が帰国すると宣言したと言う噂も流れて来た。安芸や備後の混乱を放っておけなくなったのだが、それだけが理由ではなかった。義興と将軍義稙(よしたね)義尹(よしただ)が改名)の不仲は修復できない所まで来ていたのだ。嫌気が差した義興が帰国したがっているのは周知の事実だった。

尼子にとっていい話ではないが、辰敬にとっては安芸の戦いも都の政争も別世界の出来事のように思えた。それが自分の将来に影響するとは考えもしなかった。

 

 借家と詰所を往復するだけの生活が続いたが、翌年の春になって辰敬は富田に呼び戻された。尼子御殿への出仕が決まったと言う。辰敬は耳を疑った。多胡家の子なら当然の出仕であるが、辰敬はすっかり諦めていたのだ。やはり嬉しかった。

 出発の朝、詰所に暇乞いに行くとお頭はいつものように横になっていた。

辰敬が声を掛けるとお頭はむっくりと起き上がった。いつもの眠そうな顔を向けると、

「若い者はみないなくなるのう。寂しくなる」

 しみじみとした声だった。

「わぬしとは二度と会うことはあるまい。今生の分かれじゃ……」

 辰敬は頭を垂れた。

「……と、思うと、将棋を指したかったのう」

 はっと辰敬は顔を上げた。

「冗談じゃ、冗談じゃ、はははは……」

 今まで一度も見たことのない笑顔があった。怒りに震える声で腹を切る覚悟を説いた老人とは思えない、まるで別人のような顔だった。

「達者でな」

 背を向けるとごろりと横になった。

 詰所を出る時、笹野が声を掛けた。

「いつまでおるのかと思っちょったが、やっと出て行くか」

「戻って来るんじゃないぞ」

 矢田が被せると笹野が笑った。

「御出世されるに決まっちょろうが」

 

 尼子御殿は経久の常の居宅であり、政務を司る尼子家の中枢である。家柄の良い者や優秀な者しか召し出されない。耐え忍んで四年、辰敬はようやく日の当たる場所を与えられたのである。認められたら経久の近習にもなれるかもしれない。仕事に打ち込むことで、きいを忘れることも出来る。出雲の武士の新しい生活を始めるのだと自分に言い聞かせながら戻って来たが、待っていたのは父と兄の渋い顔であった。

此度の出仕は父が忙しい大社造営の合間を縫って、あちらこちらに働きかけ、ようやく決まったのだが、昨日、突然取りやめになってしまったのだと言う。辰敬は呆気にとられたようにぽかんと二人の顔を見返した。

「亀井様の御縁戚に決まったのじゃ」

 父の説明では、亀井家から辰敬に決まっていた御役を譲って欲しいと頼まれたのだそうだ。亀井家は重臣で大社奉行の総奉行でもある。断れるはずがない。

 辰敬の意気込みは木っ端微塵に砕け散った。

「そこでじゃ、次にお召出しがあるまで、儂の下で働くことにしたのじゃ」

 数日後、辰敬は父に従い、馬で京羅木山を越え杵築へ向かった。意宇の平野を横切り、宍道湖に沿って出雲平野に出ると、斐伊川の大津に着いた。北に流れる出雲の大川はこの先大きく西へ曲がり、広大な低湿地や砂山の間を抜けて日本海に注ぎ込む。

 一行は斐伊川から離れ半島の背骨北山にぶつかるところまで北上すると山裾の道を西へ向った。その北山の山稜が下り落ちたところが杵築だった。

辰敬の目にいきなり天を突き刺す巨大な千木が飛び込んで来た。巨大建築の屋根に戴かれた、二本の槍を交叉したようなそれは仰ぎ見る高さにあった。およそ五丈余(十七m)はあるだろうか。

平安の昔、大社の高さは十五丈(四十五m)あったと言われ、さらにその昔は嘘か真か三十丈を越えていた(百m)と言われている。今はもうそのような高い神殿を建てることが出来ないので、仮殿式と呼ばれる建て方をしている。正殿式とは比べるべくもないが、それでも父が建てた大社に辰敬は圧倒された。

杵築へ来たのは初めてだった。北山から続く低い山を背に、三方を深い緑に囲まれた広大な神域は静まり返り、その中心に鎮座する大社は千年の静謐を凝縮したかのように荘厳だった。あの扉の奥に出雲の神様が(おわす)と思うと、辰敬は自ずと身が引き締まるのを感じた。これまで味わったことがないような敬虔な気持ちが勃然と湧き上がって来た。

 

奉行の下で働くと言っても辰敬にすることはほとんどなかった。毎日が大社見物をしているようなものだった。七年の歳月をかけた大社はほぼ完成間近で現在は神殿内部の造作に掛かっていた。実はこの中にまだ神様はいなかった。造営が終わり遷宮をしたら戻って来る。そうなったら辰敬が神殿に入ることなど出来ない。造作の進捗を見るために神殿内を歩き回っていると、辰敬はずいぶん得をしたような気分になった。

 安来津よりさらに浮世離れした世界に辰敬はいつしか馴染んでいた。杵築の春は穏やかに過ぎて行った。杵築の港にも様々な情報がもたらされる。

 春には帰国すると宣言したはずの大内義興は都を動かなかった。それどころか、遣明船永大管掌の権利を得た。これは対明貿易の利益を独占することを意味する。

 対立しているくせに義興に帰国されると困る義稙はあの手この手で義興を引き留めようとした。その弱みに義興は付け込んだのである。遅かれ早かれ帰国を決めている義興は手ぶらで帰国する気はなかったのである。

 義興のしたたかさばかりを見せつけられたが、緊張が先送りされ出雲にはほっとした空気が流れた。

 杵築の生活に慣れて来ると辰敬は富田への用事を託されるようになった。人の妻となったきいの居る富田に戻るのは気が塞ぐが、考えようによってはこの勤めは今の自分に合っているのではないかと思うようになった。もし御殿勤めをしていたら辰敬は毎日きいの婚家の前を通らなければならないのだ。

 

夏の終わり、辰敬は総奉行の亀井様への書状を託されて富田に戻った。

その夜更け、城下をざわめかせる出来事があった。守護所に忍び込もうとした賊があったのである。

 辰敬は朝になって知った。

盗賊は海賊だったとか野武士の一団で何人も死人が出たと尾ひれのついた話が飛び交い、中には吉童子丸の命を狙った刺客かもしれないと囁く者もいたが、実際のところは取るに足りない事件だったようだ。賊は一人で警固に見つかるとすぐに逃走したのであった。

 何事もなかったのは喜ばしいことだが、辰敬は遠い昔の都の京極邸に思いを馳せていた。盗賊が侵入した夜のことであった。凄まじい斬り合いの中で恐怖にすくむ吉童子丸を抱き締めた時の事を。吉童子丸七歳、辰敬は十三歳だった。

 あれから九年。出雲に下向する吉童子丸を見送ってからは八年が経つ。先年、大方様にはお目通りが出来たものの吉童子丸には会えないでいる。立派な若者になっているはずだ。これくらいの騒ぎで動揺することはあるまいが、辰敬が七歳の吉童子丸を抱きしめた夜のことを、吉童子丸は思い出しただろうか。

 ひな鳥のように震え小さな爪を突き立てしがみついた幼い少年の身体は血の気が失せ氷のように冷たかった。その身体を抱き締め温めた辰敬のことを。

長い間、会えないでいるが辰敬の吉童子丸への思いは、あの夜、吉童子丸を抱き締めた時と変わるものではない。会いたくても会えない事情は吉童子丸も分かってくれているはず。いつか必ず会いに行きます。必ず。ここからは見えない守護所に向かって辰敬は心の中でそう語り掛けていたが、ふとその心に差す翳があった。

 本当にただの賊だったのだろうか。刺客と言う噂もあった。確かに吉童子丸がいなくなればこの国の治まりに形はつく。彼の若者は未だに歴とした出雲国守護なのである。辰敬は頭を振った。忌まわしい考えを消し去るように。

 

二日後、辰敬は杵築に戻るため京羅木山のいつもの道を登っていた。慣れた山道だが勾配が険しくなると人馬共に緊張する。

不意に馬が耳を立てた。

ザザアッと山側の斜面から石混じりの土くれと一緒に人が滑り落ちて来ると、馬の鼻面をかすめさらに眼下の谷へ真っ逆さまに転落したのであった。

驚いた馬が激しくいななき棒立ちになった。辰敬は咄嗟に手綱を引き絞り、馬丁も必死に轡にしがみつきどうにか馬を御すことが出来た。

 辰敬は下馬すると谷を覗き込んだ。

 そそり立つ杉と生い茂る夏草に阻まれて谷底を見通すことは出来なかった。辰敬は馬丁と馬を残すと、木の根と夏草の蔓を頼りに谷へ降りた。

 修験者がうつ伏せに倒れていた。白い法衣は引き裂けぼろぼろで汗と土で茶色に変色していた。背負っているはずの笈はなく、頭に乗せている()(きん)も法螺貝も錫杖も見当たらなかった。金剛杖だけが近くに落ちている。声を掛けたが返事はない。微かに息をしていたので、辰敬はそっと男を仰向けにした。

 辰敬は息を呑んだ。

「多聞さん」

 凝然と見つめる目の下にあったのは、真っ黒に日焼けし、汗と垢にまみれた多聞の顔であった。干からびた海藻のような蓬髪、伸び放題の髭、深く刻み込まれた皺、げっそりとこけた頬……。五年前の船岡山の戦いで辰敬を救ってくれた時も、多聞は荒んだ従軍僧姿だったが、これほどの目を背けたくなるような凄愴を漂わせてはいなかった。

 辰敬は山道に戻ると、馬丁に怪我人の手当てをするので、この先の森の中で人目に付かぬよう待っているように命じた。

辰敬は多聞を背負って小屋爺を訪ねた。

 小屋爺は目脂で潰れそうになった目を一杯に見開いた。

「二年ぶりに現れたと思ったら、大きな土産じゃのう」

    第五章 出雲の武士(5

 

 政久の死に尼子方は驚愕した。その衝撃は言葉で言い表せないほど大きかった。政久は文武に秀でた武将で誰もが経久の跡を継ぎ次代の尼子を背負って立つ大将と信じていた。

 経久の嘆きと怒りはすさまじかった。

 経久は長男政久を次男国久と三男興久が盛り立てる体制を作り上げていた。三兄弟が力を合わせるこの政治的軍事的仕組みは誰もが感心し羨んだ。尼子家の未来は前途洋々、約束されたも同然だったのだ。

 経久はそれをたった一本の矢で奪われた。夢と希望は一瞬にして潰えた。

経久は国久と興久を呼び寄せると、重臣たちを総動員し阿用城に差し向けた。

(籠城勢は皆殺しにせよ。一人も生かすな)と、命じた。

 尼子の大軍は犠牲を厭わず連日連夜攻め立てた。たちまち磨石山は血に染まった。山腹を巡る柵は多くの命と引き換えに一つずつ帯を引き千切るように剥ぎ取られた。

 槍を握り固唾を呑んで見守る辰敬達にも突撃の命が下った。向かい城の柵が開かれると堰を切ったように軍勢が吐き出された。谷を掛け下る鬨の声と地響きの中に辰敬もいた。三郎助が影のように張り付いていた。船岡山の戦いの時のようにはぐれないように。

 寄せ手は一気に谷を渡り、磨石山の山腹に取り付き遮二無二に登った。すでに空堀は敵味方の雑兵たちの死体で埋まり、柵も破壊されていたので、中腹までは血に足を滑らせながらも辿り着くことが出来たが、そこから上は一歩も進めなかった。山腹は垂直に削り落とされ、空堀も深く掘り下げられていた。

 土煙をあげて大きな岩が落ちて来る。辰敬の鎧をかすめるとすぐ下にいた鎧武者を直撃。武者は絶叫して転落した。矢も雨あられと降り注いだ。

 寄せ手も負けずに矢を射かけた。

 矢の援護を受けながら、梯子を掛け鉤縄を飛ばし、戦いは一進一退となった。増えるのは血と死体だけだった。辰敬は槍を手に山腹に張り付きじりじりとよじ登った。

 不意に断末魔の悲鳴が落ちて来ると辰敬の傍らに鎧武者が叩きつけられた。桜井方の武士だ。兜が弾き飛ばされ矢は片目を射抜いていた。その苦痛に歪む顔を見て辰敬は息を呑んだ。若かったのである。歳は辰敬と変わらない。呻き苦しむ顔は死相に覆われていた。

「若、止めを」

 はっと振り返ると三郎助の顔があった。

「早く」

 辰敬は躊躇った。辰敬を見上げる見える方の目が救いを求めていた。死相の下に気品があった。死にかけているのに鎧姿が絵のように美々しい。おそらく名のある家の武士、桜井一族に連なる者かもしれぬ。初陣かもしれぬ。そう思った瞬間、自分の初陣が昨日のことのように浮かび上がった

 哀れ過ぎる。初陣でこのような死に方。

耳元で三郎助が語気を強めた。

「楽にしてやるのです。武士の情けです」

 辰敬は我に返ったがその言葉を素直に受け取ることが出来なかった。首を獲れば手柄になると言っているように聞こえたのである。

 耐えきれぬ残酷な時間だった。辰敬は目を逸らした。次の瞬間、信じられないことが起きた。瀕死の若武者が胴巻きの下から腰刀を引き抜くや、何処にそんな力が残っていたのか幽鬼の如く起き上がり身体ごと刃を突き刺して来た。鋭利な切っ先がぐさりと辰敬の胴巻きを抉る、その瞬間を辰敬は見た。死ぬのは自分の方かと思った時、若者がげほっと血を吐いた。錦繍の鎧を深々と三郎助の槍が貫いていた。

 若者は朽木のように倒れた。

 辰敬は茫然と立ち尽くしていた。鎧の傷は鶏に突かれた程度のものだった。辰敬の周りだけが静寂に包まれていた。

辰敬はまともに三郎助の顔を見ることが出来なかった。三郎助の口はへの字に曲がっていた。こんな若者に手を掛けなければならなかったことを怒ったように。

(若の敵だったのじゃ)

 辰敬は黙って頭を垂れた。三郎助に詫びたのか、若者の死を悼んだのか、己を悔やんだのか、いや、そのすべてだった。

 冬を前に尼子勢は焦ったが焦れば焦るほど戦死者を増やすばかりだった。籠城勢はこの尼子の猛攻が永遠に続くとは思っていなかった。どんな勇猛な軍勢もどんな大軍であってもその底辺を支えるのは動員された百姓たちであった。百姓たちは貴重な戦力であると同時に米を作ることで尼子の経済をも支えている。年を越せば田に戻らなければならない。無駄に数を減らし疲弊させるわけには行かない。

 一方、周辺国に目を移せば、東の伯耆や南の備後で、この隙を突いて反尼子勢力が勢力の拡大を図っていた。我が子の弔い合戦とは言え尼子の大軍を阿用城だけに集中させるわけには行かなくなっていた。経久は涙を呑んで阿用城からの撤収を命じた。

 

 喪に服した富田の正月は陰鬱な出雲の冬を一層重苦しいものにした。時間が止まったようにすべてが止まり何事も前に進まなかった。多胡家においても辰敬の日常は何一つ変わらなかった。いや、前よりもっと悪くなったと言ってよい。

 姉の夫、尼子国久が辰敬と初めて出会った時、辰敬少年が年上の子に相撲で挑んだことを思い出し、(もう少し見どころのある男と思っていたのだが)と、妻に語った話が漏れ伝わって来た。

 それに対し、辰敬の姉は、(死にかけた者を殺すことが真の武勇でしょうか。憐れみこそ武士(もののふ)にとって最も大切なものではないでしょうか)と、言ったそうだ。それに対する国久の返事は知らないが辰敬はこの姉の言葉だけが救いだった。こんなことを言ってくれたのは姉だけだったのであるが辰敬の鬱屈をすべて吹き払ってくれるものではなかった。

 ふときいを思い浮かべることがあっても、こんな時に不謹慎に思われ、悪い事でもしているようにその面影を打ち消すのだった。きいの祖母に薬を作って届ける役は辰敬が出陣した時から小屋爺に変わっている。辰敬の出番はない。することは何もなかった。出来ることと言えばただ春を待つことしかなかった。春になれば何かが変わるかもしれない。

そう思いながら春を待っていたのは実は辰敬だけではなかった。尼子経久も、尼子一門、御一族衆、富田衆、出雲州衆、全家臣、城下の人々すべてが、春のその日を待っていたのだ。

 亡き政久の妻の出産が近づいていたのである。

 三月に入り一つの命がこの世に生れ落ちた時、その産声は富田の城下に響き渡った。いや、実際には聞こえるはずのない声が聞こえたと、城下の人々すべてがそう思ったのであった。

 明るく、強く、希望に溢れた産声だった。帝王の生誕を知らせる声だった。まるまると太った男の子だった。その産声が産室から響き渡った時、今か今かと待ちわびていた経久が泣いた。我が子政久の死にも泣かなかった武将が孫の誕生に泣いたのである。

(天は尼子を見捨てなかった)

後継者が出来たのである。経久の跡を継いでくれる者が生まれたのだ。

 歓呼の声が富田の城下を震わせた。月山富田城を覆っていた暗雲は消え、天空は青々と染め上げられ、春の光に満ち溢れていた。

孫は三郎四郎と名付けられた。

経久は次男国久と三男興久に孫(尼子詮久、後に晴久と改名)を支え、盛り立てることを命じた。

経久はこの日から鬼になった。鬼の残りの人生は孫の成長を楽しみ自分の後継者として相応しい武将に育て上げ、自ら築き上げた尼子の王国を譲ることに捧げられたのであった。

(長生きしなければならぬ)

 

 春も終わりに近づいた頃、辰敬の奉公が決まった。

「安来津の役所じゃ」

 辰敬は思わず耳を疑った。聞き間違いかと思ったほどであった。安来の港の交易や維持管理を司る役所である。

安来津は富田川の河口に近く古来より朝鮮とも交流のある中海の良港である。外国船や日本海航路の荷はここで小舟に積み替えられ富田城下まで運ばれる。逆に上流から運ばれて来たたたらはここから積み出される。重要な港の役所であるが、多胡家の子の初勤めには場違いな部署と言えよう。辰敬は落胆した。そう伝えた正国の顔も苦かった。兄や父が働きかけても尼子御殿や城下の役所などへの出仕は叶わなかったのだ。辰敬は改めて身から出た錆の大きさを思い知らされた。無断で八幡の大方様に会いに行ったことや、阿用城の戦いでの失態が祟ったのであろう。多胡家の面汚しだ。辰敬は申し訳なさに身を縮め、正国は太いため息をついた。

大急ぎで支度をすると、二日後、辰敬は身の回りの世話をする小者を一人連れて出発した。小者が引く馬には鎧櫃と衣類や布団などの当座の生活に必要なものが積まれていた。都のような遠い処へ行くわけではない。城下とは三里と離れていない。出発するに当たって、兄はなるべく早く戻れるようにするから家名に傷をつけぬよう励めと言い渡した。母は不憫だと涙ぐんだが、辰敬は兄の言葉を信じ一年か二年の辛抱と己に言い聞かせた。

 

 懐かしい潮の匂いが胸に広がった。

だが、少年の日、小さな胸を膨らませた瀬戸内の潮風の甘やかな優しさは微塵もなく、ただ塩辛いだけだった。港には何艘もの日本海航路の船や異国船が停泊し、その間を無数の小舟が行き交い、水夫や人足たちの声が飛び交っていた。その喧噪の真っただ中を辰敬は大小の蔵が立ち並ぶ方へ歩いていた。安来津役所に到着した辰敬は蔵番の見習いを言い渡されたのであった。蔵番の詰め所は大きな二つの蔵に挟まれた小さな建物だった。

屯している短袴の番人達の無遠慮な視線を浴びながら土間に入ると、じろりと六つの目が迎えた。上がり框に三人の武士が腰を下ろしていた。三人は辰敬の足の爪先から頭の天辺まで値踏みするように見回した。

「蔵番を命じられた多胡辰敬と申します」

 神妙に挨拶したが三人は無言で顔を見合わせた。

 当惑したように立ち尽くしていると、板敷きの奥から「うむ」と呻き声がして、もぞもぞと気配がすると、机の向こうにむっくりと小さな人影が起き上がった。老年の武士だった。

「ふうっ」と、眠たげな金壺眼を向けた。

 上がり框の三人が尻をずらし居ずまいを正した。この老人が蔵番の頭、瀬島平七だった。瀬島はしかめっ面で首を傾げた。

「……多胡様のお子がなしてこげな所に御出でになるのか分からんが、特別な扱いはせんけん。そのつもりで奉公するのじゃ」

「はい」

 辰敬は先任の三人にも挨拶を済ますと、その日は安来で暮らすことになる家に荷を運び込んだ。蔵番は近くに住まいして通っているので、辰敬も小さな家を借りたのである。

 翌朝、出勤すると、すでに瀬島は昨日と同じ場所に横になっていた。三人が出勤して来て全員が揃うと、瀬島は大儀そうに起き上がり、不機嫌な顔を辰敬に向けた。

「わぬしに言っておくことがある」

「はっ」

 辰敬は緊張した。

「小者は富田へ帰せ。わぬしは見習いじゃろう。見習いに小者はいらん。多胡様のお家のことは知らんが、ここは蔵番じゃけん。郷に入っては郷に従えじゃ」

 辰敬は頬を染めると頭を垂れた。

 三人がうっそりと笑う気配がした。

 瀬島は三人の中で一番若い飯塚に辰敬の面倒を見るように命じた。辰敬よりは二つ、三つ年上に見えた。

 辰敬は飯塚の後に付いて港を回った。

「わぬしはいいのう、どうせ一年もすれば戻れるに決まっとる」

羨ましそうな声だった。

「何があったか知らんが、せいぜい頑張ってくれ。蔵の番をしていればいいだけの楽な仕事に見えるが、奴らは油断も隙もねえからな」

 蔵を出入りする人足たちに鋭い目を向けた。

「荷を抜き取ろうとするから目を離してはならねえ。だが、一番油断がならねえのは……」

 ちらりと肩越しに目をやる。

 棒を持った短袴の番人が二人、付いて来ていた。

「あいつらだ」

 口を歪めて笑った。

 こうして二日目が終わったが、二、三日したら皆の辰敬を見る目が変わった。

 辰敬が煮炊きも掃除も洗濯も器用にこなしていることを知って呆気にとられていた。

 辰敬は笑った。十一歳で上洛した辰敬はいきなり木阿弥にこき使われ徹底的にしごかれた。十七歳まで自活し縫物もできると言うと飯塚たちは感心した。

爾来、中年の二人組、矢田と笹野はしきりに都の話を聞きたがった。女好きの笹野が下卑た顔を摺り寄せ、都の辻子君の話をせがむのには閉口させられた。

 飯塚は年長の二人とも不始末があったらしいと言い、ここは吹き溜まりだと吐き捨てた。

 お頭の瀬島は数年前は伊予様(経久)の側に仕えていたが、ある戦いで伊予様の作戦に異を唱えたために不興を買って、ここへ送り込まれたのだと教えてくれた。その戦いは勝つには勝ったが瀬島が危惧した通り多数の犠牲が出たのだそうだ。

 飯塚は元は百姓の次男だった。百姓が嫌で安来津の役所の下働きに雇われていたのだが、ある時、蔵を破った盗賊を退治し、その功で蔵番に取り立てられたのだ。だが、蔵番に満足していなかった。何とかしてこの吹き溜まりから抜け出したいと足掻いていた。

「そうじゃ、わぬしが富田に戻る時、儂を連れて行ってくれんか。多胡家で雇ってくれんかのう。盗賊を三人も捕まえたんじゃ。腕に覚えはあるぞ」

「わには無理じゃ、無理じゃ。そげなこと」

 慌てて手を振ったが飯塚は諦めきれぬ顔だった。

 

 瀬島は報告を受ける時以外は寝転がっていた。相変わらず近寄り難かったが、辰敬は仕事にも慣れ、暇な時間には木剣で素振りを励んだ。

 梅雨が明けた。見回りから上がった辰敬を矢田が釣りに誘った。二人は港の外れで釣り糸を垂れた。夕方の釣りは気持ちよかったが、釣れたのは木の葉よりも小さい鯵ばかりだった。

「こげなこまいもんはいらんわい」

 矢田が捨てたものを辰敬は持ち帰り油で揚げ塩を振った。

 辰敬は小鯵の唐揚げを矢田に届けた。矢田は怪訝な顔で覗き込んだが、油の匂いにつられてかりかりに揚がった小鯵をつまむとぽりっと齧った。

「うまいのう」

 まん丸の目に力を得て辰敬は笹野と飯塚と瀬島にも届けた。瀬島はじろりと一瞥し黙って受け取った。

 翌日、詰め所は小鯵の話題で盛り上がった。

 辰敬は木阿弥が琵琶湖の小魚を油で揚げていたのを思い出し、小鯵で試してみたと説明した。都でも油で揚げものを食べるのはごく限られた人たちだけと言うと三人は満足げに頷いた。

矢田は早速明日も行こうと誘ったが、油がなくなったので断った。皆、残念がりまたいつか作ってくれと頼んだが、瀬島だけは会話に加わらなかった。

 その数日後の昼下がりだった。早めに仕事が終わり、辰敬が詰め所に戻ると、

「おい、ちょっと来い」

 瀬島が声を掛けた。この間、瀬島とろくに話をしたこともなかったので、辰敬は驚いたが、それよりも驚いたのはいつも寝転がっている瀬島が胡坐をかいて座っていることだった。

 何事だろうと板敷きに上がった辰敬は、瀬島の前の将棋盤に目が止まった。

「やらこい」

 いつもは濁っている目が輝いている。辰敬は窮した。将棋を誘われるのは一番困る事であった。必ず相手を不快にしてしまう。これまでにもどれだけ不興を買ったことか。頭が辰敬に対しこのような和やかな顔を見せたのは初めてだけに辰敬は一層気が重くなった。

 瀬島が早く座れと促した。

 辰敬は膝を揃えて座ると両手をついて頭を下げた。

「申し訳ございません。将棋は親に止められております」

「何じゃと」

 さっと顔色が変わった。

「蔵番の頭とは出来んというのか」

「いえ、御屋形様の前で将棋を指したほかはどなた様に所望されてもお断りして来たのでございます」

 帰国してすぐに小屋爺にせがまれて指したのは辰敬にとっては将棋を手ほどきしてくれた特別な老人だったからである。

「多胡家では囲碁将棋は固く禁じられているのです。これは親との約束で御座いますから、破る訳には行かないのです」

 瀬島は鼻白んだ。

「付き合いにくい家じゃのう。多胡家とは」

 ぷいと背を向けるとごろりと横になってしまった。

 その様子を窺っていた者たちがいた。辰敬が浮かぬ顔で出て来ると、笹野があからさまにため息を吐いた。

「またお頭の機嫌が悪くなあが」

 矢田が相槌を打った。

「わしらまでとばっちりを食うんだぞ、いい迷惑じゃ。将棋ぐらい付き合えばいいに」

 辰敬は肩をすぼめて通り抜けた。

 笹野の言葉通り瀬島の不機嫌は続いた。そこへ暑気も加わり港の詰め所は息が詰まりそうだった。

 数日後の夕方、仕事を終えた辰敬が詰め所を出ると、物陰から飯塚が現れ汗ばんだ身体を摺り寄せて来た。

「おい、遊びに行こう」

 ぬめっとした目で誘った。

「ええおなごが入ったらしい」

港から少し外れた富田川の河口に安く遊べる場所があった。この手の誘いも辰敬にとっては難儀なものだった。行ったことがないわけではない。鬱屈が高じた時、富田の悪所に忍んだが素性がばれたことがあったのである。主が内緒にしてくれてことなきを得たがそのような幸運は二度と望めまい。兄の怖い顔が浮かんだ。即答できずにいると、

「多胡家では女遊びも禁止なのか」

「いえ、そういう訳では……」

「だったら、ぱあーっと行かこい。気分を変えんとやっておれんじゃろう」

「はあ…‥」

「なんじゃ、行きたいのか、行きたくないのかどっちじゃ。この前、うまいもん食わせてくれたけん、今夜は儂がええおなごを紹介しちゃろうと思っとるんだぞ」

白けた顔でため息をついたところに、ぬっと矢田が顔を突っ込んだ。

「儂が付き合うが。ほっとけ、ほっとけ、こげなお坊ちゃん」

 そこへ、笹野も鼻の下を伸ばして割り込んで来た。

「ええ、おなごと聞いたら黙っちゃおれんけんのう。どげなおなごじゃ」

「わぬし今夜は見回りじゃろうが」

 矢田が呆れると笹野は下卑た顔を辰敬に向けた。

「代わってごさんか」

 辰敬が渡りに船と頷くと、三人は飛ぶように立ち去った。

 詰所に辰敬が引き返して来ると、帰り支度をしていた瀬島が怪訝な顔を向けた。

「見回りを笹野さんと交代しました」

 瀬島は理由を聞こうともせず、苦虫を噛みつぶした顔で出て行った。

 蔵番勤めは前にも増して気詰まりなものとなった。孤独と港の暑さに耐える日々が続いたが、さしもの夏の暑さも衰え、涼風が吹いた日、港を震撼させる報がもたらされた。

 三沢攻めが決まったのである。

 奥出雲に君臨する三沢氏は出雲の国人領主最大の勢力である。尼子氏とは常に対立していた。文明八年、守護代尼子経久が幕府から追放処分を受け、人生最大の窮地に陥った時にも反尼子の中心勢力だった。経久にとっては不倶戴天の敵である。経久は何年も前からじわじわと圧迫を加えていたがついに正面から決戦を挑む決断をしたのだ。

    第五章 出雲の武士(4

 

 またひとしきり雪が降り、辰敬は屋敷に閉じ籠っていた。気がつくときいのことを考えていた。今頃何をしているのだろう。小屋爺が薬草の煎じ方を教えていたから祖母の為に煎じているのだろうか。薬は効いているのだろうか。

 不思議だった。これまで女のことはいちしか考えたことがなかったのに。去る者日々に疎しと言う。いちが最早去った者だからであろうか。そんなはずはない。そんなことはあってはならないことだった。いちは特別な存在だった。忘れることなどあり得ない。辰敬の心に永遠に生き続ける存在なのに。気がつくときいが滑り込んでいて辰敬を困惑させる。いちは望むべくもない娘であり、辰敬にはきいぐらいの娘が似合っていると言うことなのかと自分を納得させようともしてみるのであった。だからと言ってきいが入り込んで来ることが迷惑なわけではない。心はざわめいているのだ。山陰の陰鬱な日々に(いろどり)を与えてくれているのだ。暗いのか明るいのか分からぬ日々が続き、苦しいのか楽しいのか分からない不可思議な感情を持て余しているうちに二月となった。

 春めいた空が見えた日、辰敬は屋敷を飛び出し小屋に向かった。溶け始めた雪を蹴散らし走るように急いだ。行けばあの顔があるような気がして。勢いよく飛び込んだが振り返ったのは皺だらけの顔だった。 その顔がのけぞらんばかりに驚いた。

「おう、なんと言うことじゃ。待ち人来る。儂の気持ちが通じたのかのう。待っちょったんじゃよ」

 怪訝な顔をすると小屋爺は薬草の入った袋を指さした。

「辰敬殿にこれを玉木様へ届けて欲しかったのじゃ」

「なに、どういうことじゃ」

「御隠居様の使いが来てのう。薬がそろそろなくなるので届けて欲しいと催促があったんじゃ。ああ、言っておくがきい殿が来たわけではないぞ。富田衆のお嬢様がもうこんな所へは一人では来れんけんのう」

 わざわざ念を押し、

「早速、用意はしたのじゃが、儂はもう年じゃけん、御城下まで行くのが辛いのじゃ」

 と、大仰にため息をついてみせた。

 辰敬は戸惑った。いきなり辰敬が現れたら玉木家は驚くだろう。だが、小屋爺はそんなことは百も承知で言っているのだ。小屋爺は御城下まで行くのが辛いと言うが暮れには正月飾りを売り歩いていた。案の定、小屋爺がにたっと笑った。

「迷惑な頼みじゃったかのう。いやなら無理にとは言わん。儂が行くけん。痛む脚を引きずって行くけん。まあ、行けば、きい殿が湯の一杯も下さるじゃろうて。優しいお嬢様じゃけんのう」

 辰敬は年寄のお節介を有難く受け取ることにした。

 

 多胡家の三男坊が乞食同然の爺さんの使いで訪れたので予想通り玉木家は面食らったが隠居所に通された。

 女隠居の隠居所は厠付きで二間ほどの離れだった。老婆が崩れそうな笑みを浮かべて迎えた。

「多胡家の御子息にお届け頂くとはまことにもって申し訳ないことじゃ。小屋爺とやらの薬、よう効きましてのう。この薬なしではもう一日なりとも過ごせませんのじゃ」

「小屋爺はお役に立ったことを喜び、もっと効く薬を用意したのですが、寄る年波でお伺い出来ないことを残念がっておりました。代わりに私が薬の作り方などを教わってまいりました」

「そりゃまたなんだら重ね重ね申し訳ない事じゃ」

 そこへ、きいが茶を運んで来た。

 きいは頬を染めると辰敬とは目も合わせずそっと茶を進めた。

「きいにも感謝せんといかん。たった一人で小屋爺とやらの所まで行ってくれたのじゃからのう」

「はい、まさかあのような所でお会いするとは、私も驚きました」

 老婆はきいを振り向いた。

「何じゃ、お前たちは小屋爺の所でも会っておるのか」

「あっ、は、はい」

 きいはしどろもどろになり辰敬は慌てて弁解した。

「あの、たまたま偶然会ったのです。私は子供の時から小屋爺とは仲が良くて、よく遊びに行ってるものですから。此度、薬をお届けに上がったのも、たまたま遊びに行ったところ、小屋爺に頼まれたからなのです」

 女隠居はしげしげと二人を見比べると、

「それでは申し訳ないことじゃが、多胡様には薬を作って頂くことにして、わらわは母屋で待っておることにしよう。薬研は届けさせるけん、出来上がったら、きいが届けておくれ」

 呆気にとられた二人を尻目にきいの祖母は含み笑いを浮かべながら出て行った。思いがけず二人きりになってしまった辰敬ときいはこの幸運をどうして良いのか分からなかった。だが、その戸惑いの時間も楽しいものであることにすぐに気がついた。目を逸らしてはまた目を合わすのもいいものだった。ようやく何か話しかけなければと思った時、母屋から薬研などの道具が届けられた。

 辰敬はほっとしたように薬研に向かった。無言で薬研を轢き続けた。沈黙をほぐす役割はきいに委ねられた。

「お上手なのですね」

 精一杯の声に聞こえた。

辰敬は口ごもった。尻が無性にこそばゆい。小屋爺から新しい薬草の轢き方を教わって来たと言うのは真っ赤な嘘である。轢き方に何の変わりはない。普通に轢いているに過ぎない。小屋爺からそう言えと知恵を付けられたのだ。小屋爺は玉木家の奥へ入る知恵を授けてくれたのだ。小屋爺の計略は功を奏し、おまけに、これは全く想定していなかったことなのだが、薬に絶大な信頼を寄せる女隠居は辰敬の為に、孫娘の為でもあるのだが、粋な計らいをしてくれたのだ。

だが、武家の若い二人が一つ部屋に居られるのも半刻(一時間)ほどで、その日は話が弾むところまでは行かなかった。

その後、ほぼ一月ごとに辰敬は小屋爺の薬草を玉木家に届けた。玉木家は辰敬が出入りすることを嫌がったが、

「わらわの薬は辰敬殿しか作れないのじゃ」

と、言われたら誰も逆らえなかった。女隠居は玉木家の家付き娘だったので婿の存命中から威張っていた。跡を継いだ倅もこの老母には頭が上がらなかったのである。

 月一回の短い逢瀬だったが打ち解けるのに回数を重ねる必要はなかった。

 葉桜の頃にはきいは都のことを矢継ぎ早に質問した。若い娘だから都の流行りや風俗など根掘り葉掘り目を輝かせながら問い、最後は富田と比べてため息をつくのだった。

 きいの眼差しは尊敬と憧れに変わっていた。

「辰敬様は将棋がお強くて、都でも名を上げられたそうですね。天子様や公方様の前で勝ってご褒美を頂かれたとか」

「だ、誰がそんなことを……」

 辰敬はひっくり返らんばかりに驚いた。

 辰敬は自分の評判を知っている。御屋形様に気に入られたせいで都であたら無駄な時間を過ごした若者と思われていた。学問も武芸も身につかず吉童子丸のお守りも務まらなかった。多胡家の持て余し者と陰口をきかれている。

「嘘じゃ、嘘じゃ。どこからそんな話が出て来るのかさっぱり訳が分からん」

「でも、小さい時から将棋がお強くて、富田ではかなう者がいなかったと聞きました」

「子供の時、少し目立っただけで、話が大袈裟に伝わっているのじゃ。わが家で囲碁将棋のたぐいは禁じられておる。将棋は十年以上も指しとらんのじゃ」

 きいは落胆したが都の匂いを放つ若者への憧れが増すことはあっても減ることはなかった。

 実は辰敬が来る度にきいには聞きたいことがあった。年頃の娘なら誰しも知りたいこと。ましてや好意を寄せる若者になら。じりじりと熱い夏に焼き焦がされていたきいは、初秋の風が吹いた日、思い切ってその言葉を口にした。

「都の娘はみな奇麗なのでしょうね」

 薬研が止まった。辰敬にとって一番危険な話題だった。

「そんなことはない」

 ぶっきら棒に応えるとごりごりと薬研に戻ったが動揺は見抜かれているような気がしていた。女の勘は鋭い。

「でも、皆、申しております。それはそれは美しいと。ことに公家のお姫様はこの世の人とは思えぬくらい美しいと。辰敬様はそんなお姫様にお会いになったことはないのですか」

 固く封じていた蓋はいともたやすく砕かれてしまった。正しくは公家の娘とは言えない。公家に仕える候人の娘だがどんなやんごとなき娘よりも美しい(かんばせ)が蘇った。あの別れた日の哀しい目をそのままに。

「お公家さんとは住む世界が違う。儂らが会うことなどあり得んのじゃ」

 そう言えばいちの面影が消えるかのように必死に否定したが頬が上気しているのは自分でも分かっていた。顔を赤らめて必死に否定する若者を怪しまない者はいないだろう。

「でも、辰敬様ならお出来になるような気がします。御屋形様に気に入られ、子供ながら都へも上られたお方ですもの……」

 切なげな眼をひたと辰敬に当てた。

「隠していらっしゃるような気が……」

 傷つくことを覚悟した捨て身の言葉に辰敬は進退窮まった。否定するのは簡単だがこれ以上否定すればするほどきいを傷つけることになる。目を逸らすことも出来ない。きいの胸の鼓動さえ聞こえて来るような気がした時、不意に静けさが破られた。門の方からばたばたと駆け込む足音がして、

「桜井宗的殿、謀反」

 呼ばわる声が響き渡った。

「何じゃと、桜井殿が」

 辰敬ときいは思わず腰を浮かした。

俄かに屋敷内は騒然となった。

いちの顔を不安が覆った。

 辰敬は残りの薬草を取り上げると、

「残りは屋敷で轢いて、届けさせるけん」

そう言い置いて玉木家を飛び出した。

 城下は蜂の巣を突いたような騒ぎだった。

屋敷に戻ると多胡家も上を下への大騒ぎだった。不在の父悉皆入道に代って兄の正国が大声で下知を飛ばしていた。

 

桜井宗的は阿用城に立て籠もった。

一国人領主の無謀とも思える謀反がどうしてこれほどの騒ぎになるのか。それは誰もが桜井宗的の背後に大内義興がいることを知っていたからである。前年、秋、経久は義興不在の隙を突き、備後大場山城主古志氏を動かし備後の地を窺った。その行為が義興の逆鱗に触れ義興は仕返しをしたのだ。経久がしたことをそっくりそのままお返しをした。出雲ではそう受け止められていた。

そもそも桜井氏の発祥は相模国の御家人土屋氏であった。鎌倉時代に西遷御家人として石見国に赴任した。その後、元の名が桜井だったので桜井と名を改めた。出雲国大東にも荘園があったので、その昔、桜井氏の分かれが移って来た。それが桜井宗的の先祖である。桜井氏は長い間石見にあったので、石見国守護を何度も務めた大内氏とは深い関係があったのである。

阿用城の地理的位置も出雲の急所だった。

出雲西部を流れる大河斐伊川は伯耆国と出雲国の境に聳える船通山(せんつうざん)を源とし、奥出雲を下り雲南の山間(やまあい)を抜けると、出雲平野を潤し杵築大社の岸辺を洗って日本海に注ぐ。

その雲南の中心が木次(きすき)の里である。斐伊川はこの木次の北で西を流れる三刀屋川と合流し、さらに下流で東から流れて来る赤川と合流する。木次の里を中心とした山間に広がるこの流域は山陰と山陽を結ぶ交通の要所で豊かな地であった。

阿用は木次から東の山間にあり、ここにも出雲と備後を結ぶ備後街道が通り、阿用城は街道を望む(とぎ)()山に築かれていた。

桜井氏それほど大きくはない国人領主だが、三刀屋川流域には強力な国人領主三刀屋氏がいて、さらにその奥、備後国と石見国に接して赤穴(あかな)氏がいた。本流の斐伊川上流を支配するのは三沢氏である。たたら製鉄で財をなした三沢氏は奥出雲の王ともいうべき巨大な国人領主だった。

杵築大社と塩冶氏を屈服させ、出雲西部を支配下においた尼子氏は出雲南部の山間地に手を伸ばし、かつては京極氏に属していた三刀屋氏と赤穴氏を服属させたが、三沢氏には手を焼いていた。

これは一国人領主との戦いではない。誰もが大内義興との戦いだと認識していた。もしこの戦いが長引けば、三沢氏は宿願の出雲平野への進出を計ろうとするだろう。そうなったら三刀屋氏や赤穴氏も動揺する。彼らとても昔から地理的にも歴史的にも大内氏との交流は深い。

 経久は阿用城攻めの総大将に長男政久を立てた。これをもってしてもこの戦いを如何に重要視していたか分かる。

 出陣の準備で多胡家も殺気立った。その騒ぎの最中、辰敬はずっと桜井多聞のことを考えていた。

 船岡山の戦いで落馬した辰敬が石童丸に殺されかけた時、疾風の如く現れ間一髪助けてくれたのが多聞だった。思いもかけない再会だった。愛する女と共に伊豆へ下ったはずの多聞がなぜ都へ戻っていたのか。理由を聞く間もなく二人は離れ離れとなり、その後は一度も会っていない。多聞の噂も聞いていない。一体どうしているのか。帰国しているのかどうかも知らない。

 だが、桜井宗的が叛旗を翻したとなったら多聞はほうってはおかないだろう。

 多聞も同じ桜井一族である。支族の末端に連なる傍系の家柄で、桜井姓を名乗っていても家格は低いと聞いていたが、多聞がどんな武士であるか辰敬は分かっている。しかも、なぜか京極家に心を寄せ尼子家には背を向けていた。

(そんな多聞さんなら……)

 そう呟いた時、辰敬は正国に呼ばれた。

 部屋に入ると出陣を控えた武将の顔があった。不肖の末弟を見つめる目はいつも厳しかったが、戦いを前にした目はその比ではなかった。兄が毘沙門天に見えた。部屋の空気も異様に重い。

「わぬしも儂と一緒に出陣するのじゃ」

 えっと叫びかけた声を辰敬はかろうじて呑み込んだ。驚くことではなかった。辰敬はすでに初陣は済ませているのだ。ただ、まだ正式に御奉公もしていない身で、参陣することにためらうものがあったのである。

「父上とも相談し、許しを得た。よいか、此度の戦いはわぬしの将来がかかっておる。その覚悟で臨むのだぞ」

 そう言うことだったのか。辰敬は得心した。いつまでも御奉公の声が掛からないので、戦で手柄を挙げれば認められると父と兄は考えたのだ。

 部屋の空気が一段と重くのしかかって来た。緊張と重圧は初陣の比ではなかった。初陣では手柄を挙げることなど求められてはいなかった。だが此度は手柄を求められている。目に立つ働きをしなければならないのだ。辰敬は悔やんだ。帰国して二年、馬ばかり乗り回していて、刀槍にはそれほど身を入れてはいなかった。

 きいやいちの面影は消え失せていた。

(多聞さんと戦うことになるのか……もし、戦場で会ったら……)

 思い惑う暇もなく急き立てられるように出陣の日が来た。富田衆多胡家の陣立ては馬丁や荷駄担ぎを加えれば総勢五十名に及んだ。一行は母の涙を横目に門を出ると月山富田城の太鼓の壇に集結した。そこで出陣式を挙げると法華経の読経が割れ鐘のように轟く城下を進んだ。尼子氏は経久の代になってから、出陣の前には法華経を読経するのが習わしになっていて城下の寺は一斉に法華経を唱えたのである。

尼子の大軍は二手に分かれ、辰敬たちは京羅木山を越え西へ向かった。辰敬と轡を並べて進むのは此度も三郎助だった。庄兵衛は隠居していた。

もう一方は富田川の西の支流沿いに山道を登り、奥出雲の手前の山中を木次に向かった。

 辰敬たちの軍勢は意宇の平野に出ると、意宇川の上流を目指して進み、途中の熊野大社で武運を祈った。杵築大社が創建されるまでは、熊野大社は出雲の一の宮たる古社だった。

 八幡に背を向けて進む辰敬は大方様に思いを馳せる余裕もなかった。

 二手に分かれた軍勢は出雲を東西に分ける山地を越え、備後街道に達すると南北から阿用に迫り、その日の夕刻には磨石山の麓を埋め尽くした。

 桜井勢は女子供たちを逃がすと麓の武家屋敷を燃やし阿用城に立て籠もっていた。

磨石山を包囲すると戦いの火ぶたが切って落とされたが、籠城勢の何倍もの兵力をもってしても山城の攻略は容易ではなかった。

磨石山は南北に連なる山並みの中でも険しく、麓からの高さはおよそ数十丈(約百七十m)あった。尾根は南北に伸び東側は山地が広がっている。西から攻め登るか迂回して尾根伝いに攻めるしかなかった。だが西面の傾斜はきつく尾根は谷で隔てられ、さらに十重二十重に空堀を巡らし、櫓や柵で鉄壁の防御を誇っていた。大内氏の支援を受けた桜井宗的は軍資金も豊富で兵糧も十分に蓄えられていた。籠城勢の士気は高かった。

 石を落とされただけで尼子の兵士は頭を砕かれ斜面を転げ落ちた。どんな武器よりも石が最強の兵器だった。

 辰敬たちの部隊は尾根に陣取り遠くからこの光景を見おろしていた。悲鳴を上げて転がり落ちる雑兵の姿は痛ましい。辰敬は山城を攻める難しさを教えられた。

 予想通り籠城戦は長引いた。こうなったら向かい城を築いて包囲するのが攻める側の定石である。尼子方は阿用城と谷を挟んだ尾根の頂に向かい城を築いて対峙した。

小競り合いはあったが山肌を血で覆う戦いは止んだ。

辰敬は極度の緊張がほっと緩むのを感じた。この間、遠くからではあるが敵の城に多聞らしき姿を見ることがなかったことも救いになっていた。多聞はどこか遠い国にいるに違いない。そう思うことにした。

 秋も更けた夜のことであった。向かい城で辰敬が眠れぬ夜を過ごしていた時、不意に何処からか笛の音が聞こえて来た。辰敬は起き上がると耳を澄ました。心を掴まれるのに時間は要しなかった。何と妙なる調べであろうか。辰敬のような若輩でも妙手の笛と分かる。夜陰を震わせる嫋嫋たる調べは若者の五体に染み透った。何よりも辰敬を感動させたのはその音の雅さだった。辰敬だけが知っている都の雅が鄙の山の頂を染めていたのだ。目を閉じれんばそこが京の都のように。

(いったい誰が吹いているのだろう)

 笛は櫓の上から聞こえて来た。吹いているのは一人の武者だった。

 その夜から連夜笛は続いた。笛の音は谷を渡り阿用城にも聞こえていた。

敵も味方も聞きほれた。戦いに傷ついた心を癒すかのようにも聞こえたし、長い戦いを楽しむ大将の余裕を見せつけているようにも思えた。

桜井宗的は一人の弓の名手を選ぶと月も星もない真っ暗な闇夜に敵陣に送り込んだ。

その夜も笛の音は流れていた

狙撃手は闇に乗じて谷を渡り向かい城に接近した。辺りは鼻をつままれても分からぬ墨を流したような闇に包まれていた。櫓も政久の姿も見えない。聞こえて来るのはただ笛の音だけだった。狙撃手は向かい城にぎりぎりまで接近すると上空の闇から聞こえて来る笛の音に向けて狙いを定めた。

ひょうっと矢音が闇を切り裂いた。

笛の音が絶えた。

どさっと大きなものが落ちる音がした。

「民部様」

向かい城に絶叫が響き渡った。松明に照らし出されたのは喉を射抜かれた尼子政久の死に顔だった。

   第五章 出雲の武士(3

 

 辰敬は奥の一間に閉じ込められた。蟄居は重い。前回の謹慎とは比較にならない。謹慎は外出や来客が許されないだけで家族や使用人とは会えるが、蟄居は部屋から一歩も出ることが出来ない。食事は運ばれて来る。入浴も出来ない。髷を結うことも髭を剃ることも出来ない。用を足す時は壁の戸を開ければそこが厠であった。

 初めは日がな一日壁に向かって座り、反省の姿勢を見せていたが数日も持たなかった。ただ座り続けているのは痺れに耐え、苦痛に耐え、時間に耐えることでしかなかった。これほど時が経つのが遅いとは。追い打ちを掛けるように寒さがぶり返し、辰敬は火の気も許されない部屋で歯の根も合わぬほど震えていた。

 ようやく障子に初夏の陽が揺れ汗ばむ季節になったが蟄居が解ける気配は微塵もなかった。

父が戻って来て「御奉公がますます遠のいた」と正国と嘆き合ったと言う噂が伝わって来た。

 辰敬は憤慨していた。こんなことを続けて一体何になるのか。反省しろだと。自分は間違ったことをしたつもりはなかった。何を反省するのだ。辰敬は今のこの苦痛から抜け出したいだけであった。そんなある日、大量の書物が運び込まれた。国久に嫁いだ姉が届けてくれたものであった。悶々と時間を持て余し、無為な時間を過ごしている辰敬を案じ、父と兄を説得してくれたのである。

 辰敬は書物に埋没した。本を読んでいる時だけ苦痛を忘れ時間が経つのを忘れることが出来た。

じめじめした梅雨が過ぎ、炎暑の夏となった。風通しの悪い部屋は蒸し風呂となったが、蟄居の身で裸になる訳には行かない。汗に蒸れた身体は脇と言わず、腹、首、股間、所嫌わず痒くなり、掻きむしっているうちに化膿し、ますます痒くなった。痒いから掻く、掻くから痒くなるの悪循環で、辰敬は全身膿と瘡蓋に覆われてしまった。痒みと痛みに耐えかね、辰敬は狭く暑い部屋の中をのたうち回った。薬湯を服し全身に薬を塗りたくったが効果はなかった。もう読書どころではなかった。

そんな地獄の夏も終わろうとした頃、思いもかけない客がひっそりと忍ぶように現れた。おまんであった。丁度、杵築から戻っていた悉皆入道は何事かと緊張を隠せぬ顔でおまんと向かい合った。おまんは不意の訪問を詫びると、

「大方様の使いで守護所へ出向きました。その帰りに大方様より悉皆入道様にご挨拶申し上げるように仰せつかったのでござりまする」

 御寮人が御屋形様と共に下向して四年になるが、御寮人からの使いが来るのは初めてであった。むろんおまんとも初対面である。

「大方様は辰敬殿が蟄居を命じられたとお聞きになりとても気の毒がっておられます。そろそろ許してやっては頂けぬかとのお願いを言付かってござりまする」

 ぴかぴかに頭を剃り上げ、太い髭を八の字に撥ね上げた顔に困惑が浮かんだ。予想外の言葉だった。即座に返事が出来なかった。此度の蟄居は周囲の目を慮ってのことである。今日、おまんが来たことはとっくに知れている。そこですぐに許したとなったらいやでも痛くもない腹を探られることになる。

「折をみてよしなにお願いしたいとの仰せでございます」

 深々と頭を下げると、

「長居は無用ですからお暇いたしますが、その前に一つだけ格別の計らいをお願いしたいのでございます」

 おまんはひたと入道の目を見つめた。

「一目辰敬殿にお目にかかりとうございます。世を捨てた婆に免じてどうか御慈悲を」

 おまんは声を震わせた。年増の古狸にすがりつくように迫られて、さしもの入道もたじたじとなった。

「まあ、某もそろそろ許そうかと思っていたところなので、お会いになってもよろしいかと思いますが、くれぐれもご内聞に」

 しぶしぶそう言わざるを得なかった。

「有難うございます」

 白粉の剥げ落ちた顔に満面の笑みが浮かんだ。

 おまんはいそいそとまるで小娘のように廊下を渡った。

「辰敬殿、失礼します」

 障子を開けた途端、おまんはうっと呻いて思わず袖で口元を覆った。未だかって体験した事のない強烈な悪臭の不意打ちに遭ったのである。汗と垢と膿の入り混じった何とも形容しがたい臭いがむっとする暑い部屋の中に充満していた。若い男が百日近くも閉じ込められていた真夏の部屋はもし臭い地獄と言うものがあるならばこの部屋のことだった。

 くらくらと眩暈がしておまんは柱に掴まった。暫くして臭いに慣れるとおまんは目の前にある襤褸の塊を見下ろした。途端におまんはぷっと噴き出した。襤褸の塊と見えたのは雑巾のような蓬髪を垂らした若者であった。悪臭を放つ髪の毛の間からぎろっと覗いた目が不意の闖入者に驚愕していた。

その膿と瘡蓋だらけの顔をおまんは身を乗り出さんばかりに覗き込んだ。

「まあ、多胡の若様が台無しですねえ」

 腹をよじって笑うと怪訝な顔の辰敬に大方様の使いで来た経緯を語った。

「蟄居はまもなく解けます。大方様のお陰ですよ」

 辰敬はがばっとひれ伏した。涙が出そうだった。感激が言葉にならない。喜びで震える体から悪臭だけが湧き上がった。

 辰敬は真っ先に吉童子丸の近況を尋ねた。

 おまんがひたと辰敬を見据えた。

「辰敬殿に会いたいと仰せでした」

「ああ」

 懐かしさが声になった。じんと五体が熱くなり化膿した傷が痛いぐらいに疼いた。あれから四年が経ったが、吉童子丸は辰敬を忘れてはいなかったのだ。

「蹴鞠がお好きだそうです」

 守護所の庭で一人で鞠を弾ませているのであろうか。十三になった姿を想像しただけで胸が張り裂けそうだった。

「お付きの者の話ではとてもお上手になられたそうです」

 辰敬は嬉しいよりも相手を出来ないことに涙が込み上げた。

 おまんは目を背けると立ち上がった。

 帰りに入道の部屋に寄ると、

「辰敬殿を湯治にやってくだされ」

 と、頼み込んだ。

「大方様も同じことを仰せになるでしょう。辰敬殿はもう十分に罰を受けています」

 入道は頷いた。

 

直ちに蟄居は解かれ辰敬は奥出雲の湯治場へ向かった。供はお目付け役の庄兵衛と身の回りの世話や煮炊きをする老僕の二人であった。

山峡の河原に湯が湧いているだけの寂しい湯治場で、辰敬たちは小さな山家(やまが)を借りた。外に小さな竈がある。洗い物は小川ですます。こうした湯治客の便を図る山家が他にも数軒点在していた。

中国山地の奥はすでに秋の気配を示していた。辰敬は熱い湯に頭まで沈んだ。頭皮まで化膿していたので、髪は削ぎ切りに落として短くしていた。頭の先から爪先まで熱い湯が浸み込む。初めは痛みに呻いたが、身体を清潔に保ち、薬を塗り、薬湯を飲み続けていたら、傷に染み込む熱い湯も心地よいものに変わって行った。

湯治客は近郷の刈り入れが終わった百姓たちが多く、混浴だったが若い女はいなかった。気味悪がって敬を敬遠していた湯治客も、この頃には辰敬の裸を見ても気にしなくなっていた。百姓たちは長逗留はしないので、いつの間にか辰敬たちは湯治場の主になっていた。

気がついたら紅葉の坩堝の底で湯煙が湧き上がっていた。瘡蓋の跡はあばたとなって残ったがほぼ回復した。だが誰も帰ろうとは言い出さなかった。辰敬が帰りたくないのは無理もないが、庄兵衛は湯治場暮らしの安気の虜になってしまったのだ。そういう歳になっていた。一行は帰りを一寸延ばしに延ばしていた。

庄兵衛は昼間の長湯が堪えてお目付け役どころではなく早々と寝るのが習慣になっていた。ふと目が開いた。真っ暗闇に庄兵衛たちの寝息がしている。何刻だろう。遠く鹿の啼く声が聞こえて来る。辰敬はそっと身を起こした。湯につかりたくなったのである。これまでも真夜中に湯に行くことは何度もあった。

音を立てぬように山家を出た。

雲が垂れ込め外も真っ暗だったが、辰敬の足は月がなくても歩けるほど河原までの道を覚えていた。

ひんやりと暗い河原に降り黒い岩影に向かった。この岩を回った所に湯が湧いている。待ちきれぬ辰敬はいつものように帯を解きながら岩を回ると、浴衣を脱ごうとしてぎょっと立ち止まった。目の前に黒い人影があったのである。影も辰敬の陰に驚いたように立ちすくんだ。

薄い月明かりが刷毛で撫でるように闇を掃いた。白いものがふわりと浮かび甘い香りが匂い立った。女体だった。はらりと浴衣が落ちた時に雲間が割れたのだ。

「あっ」

と、若い娘の声が上がった。悲鳴の底にはまだ大人になり切っていない動転があった。胸の膨らみまでも竦んでいた。目は驚愕に見開かれたままであったがその器量は覚えていなかった。それくらい全裸の衝撃が大きかったのである。

月光が残酷なまでに冴え渡った。雲間が一気に裂けたのだ。白磁の人形に見えた裸身が生身の娘のものとなった。黒い茂みがくっきりと浮かんだ。

娘は悲鳴を上げると身を翻し足から湯に飛び込んだ。可愛いお尻が吸い込まれるように沈んだ。

辰敬も狼狽えていた。

「すまぬ」

浴衣の前を掻き合わせると帯を回しながら逃げ出した。

 山家に戻っても、割れ鐘のような動悸は治まらなかった。庄兵衛と老僕のいびきの合唱が忌々しい。動悸は朝まで治まらなかった。

 娘の素性は翌日すぐに分かった。

 辰敬が湯につかっていると品の良い老婆が現れ湯の中で挨拶することになってしまった。

老婆は玉木と言う富田衆の女隠居で、孫娘と女中たちを伴い昨日の午後到着したと言う。辰敬たちと同じように山家を借りていた。昨日は疲れたので今日から湯治をすると言った。

 辰敬が湯の中から目を巡らすと遠くにちらりと娘の姿が見えた。昨夜の娘だ。娘はすぐに身を隠してしまった。それから三日ほど娘の姿を見ることはなかった。

 三日目の午後、三郎助が現れた。辰敬の回復具合を直接確かめに来たのである。これ以上の引き延ばしは無理だった。翌朝早々、辰敬たちは山家を引き払った。

 庄兵衛と辰敬は同じ富田衆の誼で老婆に挨拶に行ったが孫娘は現れなかった。

 帰宅したものの辰敬の頭はまだ散切りが伸び切らなかったので暫くは表に出ることは出来なかった。

 

 こうして辰敬は浮世離れした秋を送ったのであるが、この間、出雲と中国山地を間に接する備後国では戦が勃発していた。仕掛けたのは尼子経久である。尼子の支援を受けた備後北部の大場山城主古志氏が備後の豊かな平野への進出を計ったのである。経久がこのような思い切った行動に出たのは、その頃、中国地方の国人領主たちの間に大内氏への不満が高まっていたからであった。その不満の理由は一に大内義興が長期に亘って都に滞在していたことにあった。永正五年、義興は足利義尹を奉じて上洛し、新政権を樹立した後も都にとどまり続け、永正八年には船岡山合戦で反義尹派を一掃した。義興は上洛する時、安芸や石見、備後などから多数の国人領主たちを動員していた。彼ら国人領主たちは滞在が長引いた上に戦に駆り出され不満を抱くようになったのである。中には無断で帰国する者達も出ていた。機を見るに敏な尼子経久はこの動揺に付け入り備後進出の足掛かりを作ろうとしたのだ。

 義興は直ちに備後の国人領主を差し向けたが、思わしくない戦況に業を煮やし安芸吉田の国人領主毛利興元に出陣を命じた。

 毛利興元も一足先に無断帰国した口だが若くして優れ者だった。この年の春、安芸の有力国人領主を集め国人一揆の契約を結んでいた。これは大内氏に敵対するものではないが、将軍や他家からの不当な命令や要求に対し一致協力して当たり、助け合おうと言う弱者の同盟であった。

 興元にとっては安芸国人一揆の真価を問われる戦いだった。毛利勢は国人一揆の支援を得て戦意は高かった。安芸の山奥から南下すると一気に大場山城を落とした。毛利の声価だけが高まった戦いだった。毛利侮らざるべし。それ以前から小さな国人領主だが出雲でも毛利を評価している者はいた。毛利は出雲にとって意識せざるを得ない存在になったと言えよう。辰敬にもその戦いの噂は聞こえて来たが、遠い世界の出来事のように思えていた。

 

 辰敬が外出できるようになったのは、年を越し永正十年になってからであった。その頃には髪も伸び髷を結えるようになり、あばたも薄くなり気にならなくなった。

 表へ出られるようになっても馬を責める以外に辰敬が行けるのは小屋爺の処だけであった。

 雪も降らず何日も穏やかな日が続いた。

 辰敬は久しぶりに小屋を訪ねた。

「爺、おるか」

 入り口の筵を上げて頭を突っ込んだ辰敬は、

「えっ」

 と、思わず声を上げ、振り返った娘が、

「まあっ」

 と、驚いたのは同時で、

「な、なんじゃあ」

と、続けざまに小屋爺が素っ頓狂な声を上げた。

 みるみる頬を染めて俯いた娘に釣られて辰敬も茹蛸のように赤くなった。富田の事情通で地獄耳の老人がこの光景を呆気にとられたように見つめていた。

「おぬし達は知り合いなのか……多胡様のお坊ちゃんと、玉木様のお嬢様がお知り合いとは……」

 目を白黒させ、

「これはたまげた。いつ、どこでお知り合いになられたのじゃ」

 この爺さんがこんなに驚くのも珍しい。

娘は俯き耳たぶまで赤くした。

祖母の付き添いで湯治場に来た娘と会ったと言ったら、小屋爺がどんな想像を膨らませるか辰敬には想像がついた。

「紅葉狩りで玉木様の御一行と一緒になり、ご挨拶したことがあったのじゃ」

「ああ、わぬしが湯治に行ったと聞いちょったが……その時の事か……」

 辰敬はどきっとした。この爺さんはそんな事まで知っているのか。

「ははん、そうか。紅葉狩りとは、さてはお湯に浸かって眺めたということか」

「ば、馬鹿な。何を言う、小屋爺」

辰敬は狼狽えた。当たらずとも遠からず。言わせて置いたらにやにや笑う爺さんはこの上何を言い出すか分からない。娘は今にも消え入りそうな風情であった。

 辰敬は話題を変えた。

「玉木様のお嬢様がなぜこんな所へ」

「こんな所で悪かったのう。こう見えても御城下ではちっとは知られておるんじゃ」

「薬草に詳しいと聞いて参ったのです」

娘が向き直った。

小屋爺は皺だらけの小鼻を膨らませた。

「湯治へ行きましたが、お婆様の具合が良くならなかったのです。医師の薬も効きません。藁にもすがるつもりで来たのです」

「一人でか」

娘はこくりと頷いた。

「婆様思いのお嬢様じゃ。今手元にある薬草を差し上げたところじゃ。辰敬殿、途中まで送ってあげなされ」

 にやりと片目を瞑った。

 辰敬はぷいと目を逸らし小屋を出た。

 娘も後を追って出て来た。

 小屋爺が声を掛けた。

「辰敬殿、荷物を持って上げなされ」

 ぎくっと辰敬は立ち止まった。振り返ると娘は薬草の入った小さな袋を抱いていた。重くもなくかさばるものでもないのにと思ったが、無言で手を伸ばすと娘は頭を下げて袋を渡した。

 小屋爺はさらに追い打ちをかけた。

「足元が悪いけん、手を取って上げなされよ」

「わかっちょる」

 辰敬は憤然と歩き出した。手も取らずに。娘は慌てて追った。

(ひひひ……)

 小屋爺は笑いを噛み殺した。

 辰敬は谷川沿いにずんずん歩いた。

 娘は黙ってついて来る。

(あっ)

 不意に娘が悲鳴を上げた。

 はっと振り返った辰敬の目の前に姿勢を崩した娘が倒れ掛かって来た。辰敬は思わず抱き留めた。勢いのついた身体は思いのほか重く、力を込めて受け止めなければならなかった。娘の身体は柔らかく温かかった。噴き上げるような若い匂いが寒気を忘れさせたが抱き合っていたのは一瞬だった。

「すみません」

 娘がまた頬を染めて離れた。

「悪いのは俺じゃ。年寄りの忠告はきかんといけんかった」

 苦笑いに誤魔化して、辰敬は手を差し伸べた。娘ははっと辰敬の手と顔を見比べたが、おずおずと手を伸ばして掴んだ。

 二人は手をつないで歩き出した。

 ずっと無言だった。

 日当たりの悪い谷川は雪が固まり氷も張っていた。足を滑らせるたびに娘はぎゅっと辰敬の手を握り締めた。辰敬の手がしびれるほどの力だった。

 ようやく陽当たりのいい場所に出た。谷が開け、足場も良くなった。

 娘が手を離した。

「有難うございます。もう大丈夫です」

 向き直った辰敬はまだこの娘の名を知らないことに気がついた。

「そなたの名を聞いちょらんじゃった」

「きいと申します」

 胸の内で(きい)と呟き娘の顔を見返した。この何年もの間、辰敬は年頃の娘を見るたびにいちと比べている自分に気がついていた。結論はいつも決まっていた。いちをしのぐ娘は一人もいなかった。

 辰敬はきいを見つめた。やはりいちには及ばない。いちはこの世の奇跡だった。いちより深く黒い瞳はなく、いちより柔らかく上品な唇はなく、抜けるように白い(かんばせ)はなく、秀でた額、優美な眉、ちょとだけ驕慢な鼻、艶やかな黒髪の持ち主はいなかった。運慶快慶でも彫れぬ美の極致であった。いちが都の牡丹ならきいは富田の野菊に過ぎない。

 だが目は引き寄せられる。なぜだろう。月明かりに浮かんだきいの裸身が蘇った。一糸まとわぬ姿を見てしまったからだろうか。(よこしま)な考えを振り払うように目を逸らし辰敬は歩き出した。娘は黙って付いて来る。沈黙が気まずくて、

「お婆様はどこが悪いのじゃ」

「気鬱です。動悸や眩暈がして、吐き気がすることもあり、胃の腑にいつも水が溜まっているような気がするそうです」

「小屋爺の薬は効くはずじゃ」

「そう願っております」

 また話は途切れた。この先うまく話を繋げば随分気持ちが楽になるであろうに何を話してよいか分からなかった。心ではこのままでは離れてしまうことになると思っているのにとうとう富田八幡宮の裏の森に来てしまった。ここから先は一緒に歩くことは出来ない。辰敬は薬草の袋を渡した。きいは礼を言うと名残惜しそうに、辰敬にはそう見えたのだが立ち去った。

 きいの姿が消え、しばらくしてから辰敬は富田川の上流に向かって大きく迂回し帰宅した。

 

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