曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 巡り会った監督脚本家たち

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読みながら長石監督と「スタンドバイミー」の話をしたことを思い出していた。調べたら「スタンドバイミー」が公開されたのが1987年だったから、戦隊シリーズでは光戦隊マスクマン(これも調べて分かった)を放映していた時になる。東映の大泉撮影所の前の喫茶店(もう名前を忘れた)だったか、撮影所のプレハブの一室だったか、新宿西口の喫茶店「滝沢西口」だったかはっきりとは覚えていない。打ち合わせの前か、終わった後かも思い出せないが、二人きりだったことは確かである。
長石さんは野球帽を逆さに被ったいつものスタイルで、メガネの奥の優しい目を消えてなくなるくらい細くして、「スタンドバイミー、いいよなあ。あんな映画を撮りたいなあ」と、叶いそうもない願いをため息にのせた。儂も相槌を打ち、切ない笑みを返すしかなかった。メインのライターとメインの監督を務めていたが、夢を食べては生きて行けない。
今、読み終わって、長石さんに「うえしょうさんが凄い小説を書いたよ。スタンドバイミーなんか足元にも及ばない、魂が震えるような小説だよ」と、言ってあげたくなった。長石さんにも読んで欲しかった。生きていたとしても、撮れなかったに違いないが、上原さんが命を注いで書き上げたことを喜んでくれたであろう。儂は長石さんを戦友だと思っていた。心の監督だと思っていた。長石さんが喜んでくれたら儂も嬉しいのである。読ませてあげられないのが本当に悔しい。「いいいよなあ。こんな小説、映画にしたいなあ」と言う声を聞きたかったのに。

読む前はこの小説が出版されたことを知らなかったことへの後悔があった。
いくら田舎に引っ込んでしまい、昔の付き合いは殆ど断っていたとは言え、どうして気が付かなかったのかと。2年前に読んでいたら、上原さんに感動を手紙にして送ることも出来たのにと。
だが、読み進み、読み終わって、儂の薄っぺらな言葉などとても恥ずかしくて送れたものではないことを思い知った。
儂は上原さんが沖縄と円谷プロの先輩である金城さんのことをお書きになったのは知っていたが、その後、沈黙を守っておられた。どうされたのか、もうお書きにならないのかとたまに上原さんを思い出すことがあった。
ライターの最後は小説か監督を目指そうとするものが多い。
なぜならTVの仕事は華やかに見えて、ライターは満たされないものを抱え、鬱屈し、疲弊するから。TVの仕事に本当に満足して終える人なんてごく少数ではないだろうか。
上原さんもウルトラマンなどで評価されてはいても、それで納得している人ではないことはお互いに話さなくても同じ仕事をしている同士、手に取るように分かる。
本当にお書きになりたいものがあるはずなのに、どうして書かれないのだろう、もうお書きになる気はないのだろうかと気になっていたのだが、読み終わってやっと分かった。
上原さんは儂ら凡百のライターが抱えている満たされないものなどはるかに越える、はるかに重いものを抱えておられたのだ。儂らからは沈黙に見えたけれど、それは数限りない死者の声に耳を澄ますための静寂だったのではないだろうか。
お亡くなりになったのは残念だが、この本が残ったことは喜ぶべきことだと思う。よくぞ書いて下さった。よくぞ残して下さった。うえしょうさんにしか書けない本です。後世に残すべき本だと思う。
上原さんは本の中で、自分を「びっくり眼」と書いておられた。
確かに上原さんは大きな目が印象的だった。驚いた時や、感心した時は大きな目を更に大きく見開いておられた。儂は最初はなんだかわざとらしく目を剥いて見せているのかなあと思ったのだが、本を読んでわかった。
上原少年はあの「びっくり眼」で戦中戦後の沖縄を見て来たのだ。おそらく少年時代はもっと大きく見開かれたことだろう。
そして、晩年・・・・・・あの大きな目をぎらぎらと光らせながら、小説をお書きになっていた姿を想像したら涙が出て来た。合掌。

この本の最後に嬉しいプレゼントを見つけた。
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上の写真だが、最後のページの隅に「活字で利用できない方のためのテキストデーター請求券」が印刷してあったのである。これは目の不自由な人に「テキストデーター」を送ると、「音声読み上げソフト」で読んでくれるものである。目の不自由な人でも本が読める。これからはすべての出版物で採用すべきと思う。

ネットで2日に上原正三さんが亡くなっていたことを知る。享年82歳。肝臓ガンだったとある。訃報はいつも突然だ。新米の駆け出し脚本家の僕が東映に出入りし始めた頃、東映の子供番組は上原正三さんと長坂秀佳さんが二人で仕切っているような状態で、二人でそれぞれ2、3本の番組のメインライターとなって書きまくっていた記憶がある。僕ら新人はその隙間に潜り込んでなんとか仕事にありついていた。僕は初めは長坂さんがメインを務めていた番組(多分『キカイダー01』とか、『刑事くん』だったと思う)から始めたので、飲みに誘われたり、飲んだ後、長坂さんの新居に泊めてもらったりした。その後、上原さん担当の番組に加わったのは『ゴレンジャー』からだったと思う。
だが、上原さんはその頃はあまり酒が強くなく、僕も飲める口ではないので、打ち合わせをした後一杯ということはなかった。というより、上原さんは忙し過ぎて酒なんか飲んでいる暇はなかったのである。上原長坂の二人が書きまくっていた量は子供番組とは言え、その執筆本数は僕には常軌を逸していると思えた。キャラクター商売の旨味に局や制作会社、代理店、玩具や菓子、雑誌などのスポンサーが砂糖に群がる蟻のようにこの手の番組に殺到した。イケイケどんどんの時代でこの先さらにバブルに至るとは誰も知らなかった。
若くて生意気な僕は先輩のそんな書きっぷりを濫造ではないかと批判し、ひそかに僕流の書き方で越えたいと惧れを知らぬ野望を抱いた時期もあったが、長坂さんはやがて『特捜最前線』のライターになり、僕も戦隊シリーズのメインライターになったら、上原さんは当然他の番組のメインライターになるのでご一緒になる機会がなくなってしまった。
上原さんが沖縄出身で、円谷プロでウルトラマンの脚本を書いていたことは当然知っていたが、年代的にリアルタイムにウルトラマンは見ていなかった。ただ、沖縄出身の上原さんが、ウルトラマンに籠めた差別や不条理への怒りなどが話題にされるようになると、あの多作の上原正三とは本当はどんな人なんだろうと興味を持つようになった。しかし、別な作品をやっているので話をする機会がないまま時が過ぎて行った。
そして、僕も家族を養う身になって、初めて上原正三さんに親近感を覚えるようになった。筆一本で家族を養う立場になったら、多作を批判されようが、何と言われようと、書いて書いて書きまくるしかないのである。上原さんの場合、その原点は沖縄の戦争にあったろうことは想像がつく。生き抜いて、命を繋ぐことの大切さを身をもって知った人だからこそ、妻の為、子供の為に書きまくったのだろうと。
「子供が喜ぶものを僕は書くんです」そうもおっしゃった言葉を思い出す。
その上原作品にうちの子供たちもどれだけお世話になったか。我が家では幼い子供さえも「うえしょうさん」と呼んでいたのだ。
そうして、交わることなくお互いのライター人生の終わり近くになって、ひょんなことから杉村升(太陽にほえろ、特撮の脚本家)に誘われて、高久進さん(キーハンター、Gメン75の脚本家)、上原さんと僕の四人でゲームシナリオの会社をやることになった。さすがに年齢的に高久さんと上原さんはゲームは無理で名前をお借りするだけになってしまったのはいまもっても心苦しく思っているが、その時、上原さんが軽井沢の別荘に招待してくれたことは忘れられない思い出になっている。
僕は別荘を見た時正直仰天した。筆一本で豪邸の他に別荘まで購入していたとは。一体この人はどれだけの脚本を書いたのだろうと。沖縄人の逞しさを思い知らされた。
この時、昼ごはんに僕がネギ炒飯を作った。刻んだネギを醤油に漬けて最後に炒めると、和風テーストになる。美味いと喜んでもらえた。酒を飲んで楽しい一夜を過ごした。この頃は上原さんも少しは飲めるようになっていた。今思うとこういう時に上原さんの原点ともいうべき沖縄の話を聞いておけばよかったのだが、高久さんや杉村さんもいてそういう話をする雰囲気ではなかった。ただ楽しいだけの夜だった。結局、それが上原さんや高久さんと親しく過ごすことが出来た最後だった。上原さんも高久さんも、僕より若い杉村さんも皆故人となってしまった。
近くにいたのに、遠くて、多作作家の心の扉を叩きたかったのにとうとう機会を逸してしまった。いつかお会いできたら、同じ子供番組を書いていたライター同士、心を割って話したかったのですと申し上げたかった。

そのネット記事の終わりに、2018年に上原さんの少年時代を描いた小説「キジムナーkids」(現代書館)で坪田譲治文学賞受賞とあった。
すごいではないか。80歳を前にして小説を書いておられたのだ。おそらく病をおして書かれたのだろう。遺作である。僕は早速Amazonで購入する。そして、亡き上原さんに言う。「僕が一番の読者になります」と。

東映で仕事をしていた時の仲間たちが一斉に電子書籍で本を出した。
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その出版情報は以下の通りです。
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新波出版 新刊情報
Amazon Kindle 専用電子書籍出版社の新波出版では特撮ヒーロー作家3氏によるオリジナル書き下ろし小説を2018年12月23日24日25日と連続刊行&配信を開始いたします。
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鷺山京子 作 (12月25日配信)
「わが友フランツ」

19 世紀はじめ、帝都ウィーンで、少年ルディが出会ったのは、若き作曲家フランツと美貌の青年ディーターだった。新しい音楽や自由に生きる彼らに、ルディはたちまち魅了された。とりわけ颯爽と我が道を行くディーターは憧れの的だった。だがディーターには隠された一面があった。優美さと仄暗さが交わる近代欧州、その中で少年と青年が選んだ結末とは――
多彩な活躍を続ける脚本家、鷺山京子が放つ、不思議で可憐な青春小説の最高傑作。Amazon Kindle にて配信【500 円】(KindleUnlimited 会員なら無料読み
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扇澤延男 作 (12月23日配信)
「寄ってたかって」

読者は騙さない(多分)。騙されるのは犯人。劇団が副業で始めた探偵団が、芝
居でハメて事件を見事に解決する。そういうシリーズです(恐らく)。
特撮ヒーロー界、テレビドラマ界でカルトな人気を誇る鬼才脚本家が放つ奇妙奇天烈な痛快コメディミステリー連作。Amazon Kindle にて配信【500 円】(KindleUnlimited 会員なら無料読み放題です)Amazon サイト内検索「扇澤延男 寄ってたかって」
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   同じく、扇澤さんのQRコードです

またしても注意)「扇澤延男 寄ってたかって」で検索しても、該当なしにされてしまいました。「扇澤 寄ってたかって」。姓だけで入力したらOKでした。Amazonはどうなっているのか?それとも、儂   だけなのか。本一冊買うのに往生しました。老婆心ながらご報告しました。
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宮下隼一 作 (12月24日配信)
「餓える心臓の往くところ。」

最先端のエネルギー施設の事故によって世界が壊れてから、百数十年後。流れ者のおれと少年は、殺人を犯し、とある金属ボックスを強奪する。その中には移植手術用の心臓が入っていた。
「特捜最前線」「仮面ライダーBLACK」「名探偵コナン」など、数々のヒット作を世に送り続ける脚本家が放つデストピア・ノワールの傑作。Amazon Kindle にて配信【500 円】(KindleUnlimited 会員なら無料読み放題です)Amazon サイト内検索「宮下隼一 餓える心臓の往くところ。」
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  同じく、宮下さんのQRコードです




注意)「餓える…」を入力する時、うっかり「飢える…」になっていませんか?
   「飢える…」では該当なしになってしまいますから気を付けてください。
   儂は何度やっても買えず、今日、やっと原因がわかりました。^^)
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三人とも後輩の作家である。特撮ファンにはおなじみの顔だが、順に紹介する。
一番古い付き合いは鷺山さん。20代から東映TV部で仕事をされていたが、別な番組を担当されていたので名前と顔は知っていた。後にご一緒した。石森史郎という当時の松竹などで青春映画の脚本を書いていた人のお弟子さん。その頃の石森さんは人気があって、シナリオ作家協会のゼミでも生徒が殺到した。水戸一高出身の才媛、美人脚本家である。からっとした気持ちのいい女性である。後年、女性ライターが特撮番組のメインライターを務めるようになったが、その人たちは鷺山さんに感謝しないといけない。彼女が先鞭をつけ、道をつけてくれたのだ。
何かの戦隊シリーズの打ち上げで、先日亡くなった石橋雅史(悪役で出演したはず)と鷺山さんが二次会のスナックだったと思うが、ダンスをしていたのを昨日のように思い出す。石橋さんの方から美人脚本家の鷺山さんを誘ったのだ。絵になる光景だった。
【石橋雅史訃報の記事より】
12月19日死去。85歳。石橋さんは日大芸術学部演劇学科を卒業後、俳優の道に。空手家の顔も持ち、千葉真一(79)の主演映画「ボディーガード牙 必殺三角飛び」(1973年)「激突!殺人拳」(74年)などに出演し、アクションを披露した。
「大江戸捜査網」「大岡越前」「水戸黄門」などの時代劇のほか、「ジャッカー電撃隊」(77年)の鉄の爪(アイアンクロー)をはじめ、「バトルフィーバJ」(79年)「科学戦隊ダイナマン」(83年)「高速戦隊ターボレンジャー」(89年)「電影版 獣拳戦隊ゲキレンジャー」(2007年)と特撮「スーパー戦隊シリーズ」でも悪役を演じた。
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扇澤さんと知り合った時はもう特撮番組を余り書いていない時だったが、初めてこの人の本を読んだ時は仰天した。こんなケッタイな本を書く人がいたのだと。その頃は注文があれば書く程度だったが、この人の本を読んでからは妙に刺激されて、この人の亜流にならないように意識しながら、超える本を書こうとしたものだ。それが楽しかった。倉本聰の弟子だと知って、二度驚いた。
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宮下さんと知り合ったのは、扇澤さんより少し早かったと思う。すでに「西部警察」や「特捜最前線」で名をなした人だから、三顧の礼で迎えられたのだろうと思った。
その後、ひょんなことからゲームシナリオ制作にまで引きずり込んで迷惑をかけてしまったが、その分付き合いが深くなった。映画への愛情、映画を語る言葉の熱さに圧倒された。お師匠さんは永原秀一。若き日の加山雄三主演の東宝映画「狙撃」の脚本で衝撃を与えた脚本家だ。論客の宮下さんが、このお師匠さんと同席した時、いつもより控えめだったのがおかしかった。後で、「あの人の前では……」と、論客らしからぬ言い訳をしていた。
みな、師匠を持っていたのである。
そして、念願の脚本家になったのであるが、儂が思うにTVの脚本を書いている限り、本当に書きたいことを書いたことなどなかったのではなかろうか。あれもだめ、これもだめ、書いたところで相手にしてもらえないことは分かっている。それでも、みな、思っている事の十分の一でもと書く。ほとんどの人がそういう作家人生を歩んで来た。そうでなければ、小説を書こうなどと思うはずがない。
ここにある三作はそういう小説である。長い間、本当に書きたいと温めていた小説である。夢と志を持ち続けている素敵な仲間たちの小説を、この冬の休みにミカンを食べながら、あるいはコーヒーを飲みながら読んでください。

新波出版HP


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『クライマガコのための遁走曲』の台本をわざわざ送って頂いた。忙しかったのと風邪で手に取るどころではなかったが、やっとページをめくることが出来た。
舞台を観てなくて、脚本だけで語るのは失礼だし、理解も至らぬところがあるのを容赦して貰って、語らせて頂くことにした。
この話は「ツクヨミ団地」「あめのま」「クライマガコのための遁走曲」「ときじくのかぐのこのみ」の4つから成り立っているのだが、それぞれ独立した話に見えて、重層的に重なっていて、4つの話をすべて聴いた時に、作者の問いかけが聞こえて来る仕掛けになっている。
儂はこういう巧みな仕掛けが大好きなのだ。儂のツボにはまったというやつだ。
それと、作者の吉永亜矢さんの真面目さが、儂の真面目さ(自分で言うのも恥ずかしいけれど、儂は根は几帳面で真面目なのだ)とシンクロしたのである。と、言っても多くの人は皆真面目に生きているわけだから、強いて言えば、生きることを真面目に考えている人と言うべきか。
そう言うと、なんだか儂までカッコよく思えて来た。^^)
今回はそこにもう一つ、「つくよみ」「あめのま」「ときじくのかぐのこのみ」と『古事記』などに登場する神の名や、木の実などの名前が表題に使われているのが個人的には嬉しかった。物語は『古事記』とは関係なく、それらの言葉は象徴的に使われているのだが、「深い静けさ」と「限りない拡がり」と「永遠の時」を感じさせてくれる。
粗筋を紹介しようとすると、克明に解析しなくてはならなくて、論文みたいになってしまうので、独断と偏見で儂のツボにはまった台詞や文章のいくつかを紹介することにした。
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二階のひと「わたしなんて最近、膝が痛くて。膝の、膝姐さんが」
一階のひと「膝姐さん?」
二階のひと「だってもうこの歳になったら膝小僧なんてかわいらしいものじゃないでしょ、だから膝姐さん」
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一階のひと「(略)それがいつだとしても、そう思えたらきっと帰って来よう。いまのこのときのここにるこのわたしに。ただいま、おかえりなさい…」
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この世界をつくったあめのまというものがいると聴いたの。あめのまはいつもわたしたちを見ていると。
でも。おとこのこは少し混乱した。でもそんなこと、いったい誰に聴いたのさ。
物知りの庭師に、とおんなのこは答えた。あめのまは、そのたったひとつの目で、なにもかも見ているのですって。
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「そのうえこっちは、なにから逃げてるとお思いかい?」
言い負かし女王はふんぞり返り、丸々と太った人差し指を顔の前に立てた。
「あたしは、あたしから逃げているんだ。どうだい?」
ぼくは口を開き、なるほど、をのみこむために口を閉じた。それは案外のみこみにくいものらしく、喉につかえ、口から出たがっていた。
「覚えておくといい、あんたが議論している相手が誰だかを」
「議論なんて」
「あたしは、クライマガコさ」
クライマガコ。なるほど。僕は心の中で思う存分、言った。なるほど。なるほど。
・・・・・・・・
「あんたが読んでも読んでもまた誰かが書く。きりがない。そういうことさ。なんだってそんなに書きたがる?」
「まったく、ぼくもそう思います。ぼくだけじゃない、みんな不思議がってるんです。どうしてこんなに書きたい人間がいるのだろう。そもそも人間はなぜ物語を求めるのだろうか、いきていくことに必要がないものを。それこそ古事記の時代から」
・・・・・・・・・
これはクライマガコの部屋だ。ぼくは目だけを動かし、姿を探す。だが本しか見えない。そしてその本たちにはさまざまな形はあっても色がなかった。すべてがいちど泥水に浸かった跡のように砂色で、書名も著者名もないのだ。忘れ去られ、死にかけた本たちに見えた。こんなところで。クライマガコは。ひとりきりで。
だから逃げ出したのか。
おはなし。嗄れた声が聴こえた。声は部屋全体から響いてきた。そうか、この部屋そのものがマガコなのだ。
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「あんたは書く。それがあんたにかけられた呪いさ」
「ほんとうは、どこへ行こうとしているんですか、マガコさん」
「そっちこそどうなんだい?行く先がどこでもいいなら、なにもこのバスでなくてもいいはずだ」
「おまけにぼくは、二度と家に帰らない決意をした人間には見えない。荷物も持ってない。あなたと同じだ。ぼくも、あなたも、迷っているんだ」
・・・・・・・・
これぜんぶ、きみの本?きみが読んだの。
最初はね。退屈だったから物語を読むことにしたの。庭師に頼んで物語のなる木からひとつ、ふたつ、もらってきたわけ。
へえ。
あとはわからない。たぶん夜中、わたしが眠っているときに本と本が結婚して、子供を生んでるのだと思う。
・・・・・・・・・
たいへん。そうまでして、マガコはどこへ行くつもり。
たぶん、海の向こうの…
バスは海を走れる?
わからない、けど、物語の生まれる場所へ。
・・・・・・・

ほかにも選んでいたらきりがない。全部書いていたら、台本を書き写せと言うことになるので、ここらで筆を擱く。こうやって見ると、こういう紹介の仕方も悪くはないかな。ありかなと思う。

最後に、この物語を読み終わって、最初に思い浮かんだことを記す。
普通は批評が最初だが、思い浮かんだのはまったく個人的な感慨。
「儂は歳をとったんだなあ」
ごく自然に呟き、当然のように受け入れていた。
このように無から発想し、キャラクターを創り、世界を創る力は落ちている。
だから、歴史上の人物や事件、多くの資料に頼らないと書けないのかもしれないと。
儂は『クライマガコ』ならぬ『クライマガオ』だ。

JAC(ジャック)とは、JAPAN ACTION CLUBのことである。
何十年も昔に、俳優の千葉真一が設立したアクション俳優の養成所であるが、今の若い人は千葉真一と言っても、名前ぐらいは知っていても映画やTVは見たこともない人が多いいのではなかろうか。新田真剣佑(マッケンユウ)のお父さんと言えば、若い人は分かるだろうが、逆に年寄りは「何じゃ、それ」であろう。
なぜ急にJACのことを書いたのかと言うと、先にご案内した『ごごあめプロュースのクライマガコのための遁走曲』の出演者の大政明日香さんが元JACと作演出の吉永亜矢さんから教えられたからである。JAC出身者は大勢いるので珍しくもなんともないのだが、実は意外なところで明日香さんと縁があることが分かったのである。
儂は昔戦隊シリーズという特撮番組の脚本を書きも書いたり、10年間も書いた。そのシリーズの終わりごろに、『高速戦隊ターボレンジャー』なるものを書いた。
その登場キャラクターの中に『妖精シーロン』という可愛い女の子を登場させた。5、6歳くらいの外人の女の子が演じたような記憶がある。
その当時から、ヒーローショーが日本中で演じられていた。そのヒーローショーの聖地と言えば後楽園である。もちろんヒーローのスーツに入って演じるのはJACである。その後楽園で『ターボレンジャーショー』を公演していた時、何と明日香さんは『妖精シーロン』を演じていたと言うのだ。
何年前のことだとは言うまい。
儂はJACにいたと言うだけで無性に応援したくなったのである。
JACに入っても、誰もがアクションスターになれるわけではない。そのほとんどがスタントマンとなる。主役の身代わりで危険なアクションをこなす。変身物ではヒーローのスーツを着てアクションをする。ヒーローの代りならまだいい。ぞろぞろ出て来る悪の兵隊役などになったら大変だ。冬でも海に飛び込まなければならない。
儂はそういう番組に関わっているうちに、いつしか彼らが好きになっていた。実際彼らは皆いい連中だった。子供番組と言うのは、アクションだけではない。造形屋さんに行けば、シンナーの臭いの中で怪獣作りに夢中の若者がいたし、特撮にも模型を作るのに必死の若者がいた。ピアノ線で吊ったメカを目の色を変えて操っていた。
その若者たちの上にはベテランと言われる大人たちがいた。プロフェッショナルである。彼らもまた若者たち以上に真剣に子供番組に取り組んでいた。真剣に取り組むことが若者たちを育てることであり、将来は後継者になってくれることを願っていたのだ。儂が大好きな『徒弟奉公』の世界があった。厳しい上下がありながら、限りない愛情を降り注ぐ世界。儂は今でも人を育てる基本は『徒弟奉公』だと思っている。
だから、師匠を持たない人を信じない。
JACは養成所だが、危険を伴う世界だから、普通の学校とは違う。師匠は絶対である。その代わり師匠も命がけで教える。明日香さんも女でありながら、そういう世界で育ったのだと思う。だから好きだし。(会ったことないけれど)。だから信じるし、応援するのだ。どうか、皆さんも、時間が許すなら、観て下さい。もう一度宣伝しますね。
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昔『ターボレンジャー』を書いていた時、後楽園でショーをやっていた方のことは全然知らなかった。それが、今になってこんなかたちで巡り合うとは、これだから人生は面白い。今回は観に行けないけれど、いつか必ず観に行きます。

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