曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 泣き笑い介護日記

3月7日に昼食介護の面会に行ったのが最後で、その日から面会が禁止になり、今日でちょうど2ヶ月。この間、時々看護士さんから体調などの報告あり。軽い風邪に罹ったり、食欲不振、水分補給のために点滴をしたことが2回。儂は週一回のペースで妻の好物を差入れして来た。さすがに面会規制も長くなったので、施設もスマホで面会が出来るように手配してくれる。それが、5月4日のこと。大勢面会するので一人10分。妻はスマホを持って話すことは出来ないので、スタッフ二人が付きっ切りで世話をしてくれた。
画面に現れた妻を見た途端胸がしぼむ。そこにいたのは病人のようなやつれた妻であった。2ヶ月会わない間に随分痩せたなあと自分でも顔が暗くなるのが分かる。化粧というものを十数年間殆どしたことがない。乳液類を付けるだけだが、それも毎日つけているわけではない。頭髪もパーマなどかけてはいない。手入れが大変なので短くカットしているだけ。老いても気品のある女性はいくらもいるが、そもそも化粧も肌の手入れもしないし、食生活も満足に出来ない身なのだから、そのようなものを望んではいけないのだろうがやっぱり辛くて悲しい。これが病で障害を負った者の老後の現実なのだ。
スマホの画面を見せて貰っているのだが、よく見えてはいないようで、かろうじて声だけはわかるような反応を見せる。喋っていることもスタッフが補足してくれてようやくわかる。ほとんどまともな会話にならず。本人も車椅子に座っているのが辛いのか姿勢を保っていることができなくなる。首も壊れた人形のように揺れる。儂の声だけは理解したようなので、コロナが終わったらすぐに行くからと励まして打ち切る。時計を見たら7分も喋っていなかった。
以前のように直接会えば違うと思うのだが、非常事態宣言は延長されたが、いつになったら面会できるやら。

ところで、この二、三日で急にイチゴの生育がよくなる。沢山熟すようになった。
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見栄えのいいやつだけを選んで7日の朝、特養に差し入れに行く。妻のユニットのスタッフや入所者仲間に食べてもらいたくて。一人四個ずつぐらいしか食べられないかもしれないが、スタッフへの感謝の気持ちを伝えたくて。

以下、超久しぶりの語録(22)。在宅介護で大変だったけれど、妻の言葉に思わずニタッと笑った頃。


2007.6.2

「いやだなあ、お父さんがあんなにハゲたら」

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「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ。お父さんに添ってみてよかったよ。こんなに楽しい思いさせてもらって。さあ、帰って、カレー作ろう」

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二階で音がして。子供部屋がある。

「○○(息子)、駅まで送ってやるよ。○○、学校行くなら準備しなさい。○○君、11時出発だからね。お父さん、言っといて」

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「お父さん、帰りにグラウンドに連れてってよ。○○ちゃん(娘)のやってるところ見たいから」

2007.6.5

(美味しいものを食べて)

「口の中が喜んでいる」

※うまいこと言うなあと感心した。この言葉は印象に残って覚えている。

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「痛い」

「……」

「早く、ごめん、ごめんと言え。そしたら許してやる」

2007.6.6

(歯みがきの準備をしていると)

「モモちゃん、お母さん、こんなに幸せなんだよ」

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53○○―37○○てなんだっけ」

「うちの電話番号だよ」

「そうか」

2007.6.7

(お茶をいれてやった時)

「人が幸せと感じる時はみな違うけど、私はいま幸せよ。モモちゃん」

2007.6.9

「お父さんが好きだったころ、牛にだって言いたかったよ。好きな人いるって?私、誰にでも言いたかったの」

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(身障者のTVを見て)

「お父さんがあんなになったら、私、別れるよ。それが、のりみたいにぴたっと貼りついて、一歩歩いたら一歩ついていって」

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「ライフ(近所のスーパー)へ連れて行って下さい。向こうに着いたら、泳ぎに行きますから」

2007.6.29

(貰ったイカ明太を食べて)

「私が食べる姿を楽しそうに見ていました、と(手紙に)書いておこう。きっと幸せだったのでしょう」

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(寝る時に)

「後ろに寝て、私の後ろに、オムツして寝て」

「俺もオムツするの」

「そう」

2007.6.30

「私、75以上になったら生きらんでいいよ。ほっといていいよ」

2007.7.1

「○○(息子)の名前を一生懸命考えてるんだけど、変えるなら、しっかり考えてやらないと」

2007.7.4

「お茶は自分で入れるもんじゃないね。人の入れてもらった方がおいしい」

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「モモちゃん(犬)、○○兄ちゃん(従兄)来てもらってよかったね」

「俺、○○兄ちゃんじゃないよ」

「あっ、お父さんに似た○○兄ちゃんだ」

2007.7.7

介護百人一首をNHKが募集

「お母さんも作ったら」

「食べたのに、まだ食べてないと、またねだる」

2007.7.12

「ヘンな夢ばかり見てる。お化けばかり出て来る」

2007.7.24

「ごはんもう少しちょうだい」

わけてやると

「ありがとう、優しいね、お父さん。私だったら、私の分がなくなるからあげられませんと言う」

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「あれ、今日、○○くん(息子)の誕生日じゃない」

「よく覚えてたな、俺、忘れてたよ」

「私、○○くん、愛してるから」

(息子の誕生日は723日)

2007.7.26

「私、よくなったら、私の言うこと聞いてね」

2007.7.27

(パット交換の時)

「ああ、良かった。自分でやるのいやだなと思ってたの」

2007.7.28

「この番組(風林火山)を見るといつもお父さんをソンケーしてるの。古いことちゃんと書いて、一時間あきさせないで見せて」

※そんな尊敬されるようなライターじゃないのに。儂が書いたと思い込んでいる。

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「家に帰ったら、ブルーの水(酒)飲ましてね。じゃこれから車の中で寝ていくから安全運転でお願いします」

2007.7.29

「雷こわいよ」

「子供みたいな」

「子供だよ。お父さんにくっついてしか寝れないから。この頃いっしょに寝てないね。今夜寝る?」

2007.7.31

「起こして」

「起きてどうするの」

「帰るの」

「どこへ」

「自分の家へ」

「ここが自分の家だよ」

「違う、違う」

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「ミカンとリンゴ買ってあるから、自分の家帰るの」




出雲市にコロナの感染者が発生する。夕方のニュースで知って、「ああ、とうとう出てしまったか」と、ため息が出たが、経緯を知って、ため息は激しい憤りとなる。感染者(30代男)は何とクラスターが発生した松江の飲食店BUZZの客だったのである。島根の感染者は今のところすべてBUZZのクラスターで、この男が17人目の感染者になったというわけだ。
当然、濃厚感染者としてPCR検査は受けていて、陰性と診断されたが、2週間の自宅待機を要請されていた。
ところが、この男は1週間目に外出して、こともあろうにBUZZの関係者二人と会っていたのだ。当然、この二人も自宅待機を無視していたことになる。この後、この二人は14人目と16人目の感染者となった。
なんと無責任な連中なのだろう。身勝手も極まれり。
自分たちが病気になる事、他人に染すことの恐ろしさにどうして思いが至らないのか。まともな人間のすることとは思えない。脳みそが足りないのではないかと思わざるを得ない。劣化と言う言葉しか浮かばない。
夕方、近所に回覧を届けに行き、「どこの誰なんだろうねえ」「近くでなけりゃいいんだが」と、嘆き合って別れる。
夕食後、ご近所から電話。
「神西(じんざい)だって」
「ええっ!!!!!」
我が家から南へ車で15分ぐらいの地域で、ご近所もそこのスーパーによく通っていると言う。儂も数年前まではそのスーパーの近くのホームセンターに苗を買いに行っていた。
出雲市は合併して広くなったのに、よりによってこんな近くで発生するなんて最悪だ。
例えば、妻の特養の職員でそちらの方角から通っている人はいるし、母の入居を考えているグループホームも我が家よりは神西寄りになる。特養もグループホームもより一層対応が厳しくなるだろう。母が通っているデイサービスも。松江のクラスターを対岸の火事のように眺めていたがこれからはそうは行かなくなる。
「家族6人だって」
もうそこまで分かっているのだ。
「6人も感染しているんだって」
これは真偽のほどはわからない。Mちゃんもまた聞きなので。6人家族は本当らしいが。
妻は特養を信頼して任せるしかないが、92歳の母を抱える者としては緊張する。栄養のあるものをしっかり食べさせて、免疫力を高めるように心掛けなければならない。もちろん儂も。これまで以上に食事が大変になる。
このところ、母がデイサービスに行く日の昼だけ(週3日)神立食堂の外食を楽しみにしていたが、それも控えた方がいいかもしれない。
パチンコ依存症が大手を振って歩いている都会からくらべたらまだいいのかもしれないが。都会の人たちのパチンコ屋への怒り想像に余りある。
人の皮を被った化け物(馬鹿)ばかり。
話は変わりますが、儂は東京オリンピックはないと思っているんですよね。

追記4月30日
家族6人が感染していたのは事実だった。80代男性から未就学児まで。翌日、まだ乳幼児がいてその子も感染していたことが判明。結局家族7人全員が感染していたことが分かる。この一家が出雲のクラスターにならないことを祈るしかない。
そもそも一番悪いのは、松江の女子高生が投薬しても良くならず、二度目に訴えた時、病院もおかしいと感じながらPCR検査を受けさせなかったことにある。おかみがPCR検査を受けるための高い敷居を作ったために病院はおかしいと思いながらも、おかみに逆らえなかったのだ。こんなバカなことがあっていいのか。
国も都も、オリンピックをやりたくて、感染者数を少なくしようと必死だったのだ。この初期段階の感染者隠しが今日の事態を招いているのだ。亡くなった人は救われない。

明日12日(日曜日)の朝、NHKの「おはよう日本」で、『インディペンデントリビング』を撮った監督が紹介されます。介護現場でヘルパーとして働く姿も紹介されるようです。朝7時から。ちょっと早起きして観て下さい。実際に介護現場で働いている若者が撮ったことをとても価値のあることだと思っているのだが、その若者を突き動かしたものを本人の肉声で聞くのも楽しみである。この御時世にこんな若者がいると思うと、世代は違っても同じ時代を共有している喜びがある。人間への信頼かな。

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以下、うまく転載出来なくてすみません。スキルが低くて。
インターネット配信で応援して下さい。お願いします。

コロナウィルス未感染の県が五県になった。島根、鳥取、富山、山県、岩手の五県である。
27日の隣保の集金会でもその話題に。所得が低くて、人口が少なくて、辺鄙な県ばかりと自嘲する人も。それでも「大社さんが守ってくれているから」が、この土地の人の口癖。嵐が来ても、地震があっても、大社さんが守ってくれたが、果たしてコロナからも守ってくれるのか。
ダイヤモンド・プリンセス号に乗っていたのは島根県では4人と言うのは知っていたが、集金会で〇〇市の〇〇町の夫婦と教えられる。もう一組は✖✖市の✖✖町だと。知らぬは儂だけだった。田舎は狭い。
土日は他県の車が目立つ。「観光客なんて来なくていいよ」と言う人も。
儂も切実にそう思う。家には92歳の母がいて、特養には妻もいる。島根県や出雲市で第一号になることはないだろうが、町内で第一号になる可能性はある。みな、町内で第一号にはなりたくないと言う。儂だって去年父にインフルエンザを染してしまったことをとても悔やんでいる。この上、母や近所に染したら一生言われる。28日、29日の東京の外出自粛要請を受けて、県知事も東京へ行くのは自粛を要請した。とても上京できない。
3月7日に特養は面会制限になったことは前回書いたが、どうにも心配なので、21日と27日には差し入れに行く。
21日は好物の黒豆と豆と昆布を煮たものを。27日はマグロの海苔巻きと豆と昆布を煮たもの。
27日に届けに行った時は職員さんがぎょっとした顔をする。儂がどうしても面会させてくれと頼むと思ったのかもしれない。差し入れとわかり、ほっとしたような表情になったので、恐らく面会希望者と揉めたことがあったのかもしれない。施設も大変だ。千葉の障害者施設のようなクラスターが起きたら本当に恐ろしい。ぴりぴりしたものを感じる。今日30日、面会制限を4月30日まで延長するとの連絡がある。
こんな状況だから、近所では儂が一番コロナ対策をしている。

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首から前回紹介したウィルスシャットアウトをぶら下げ、口は当然マスクなのだが、問題はこのマスクだ。全然手に入らないので何と今は洗って使いまわしている。帰宅したらぶら下げ、横にウィルスシャットアウトをぶら下げる。こうしておけばウィルスシャットアウトから発生する亜塩素酸ナトリウムがマスクに付着しているコロナウィルスを除去してくれるのではないかと思ったからである。
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マスク、ウィルスシャットアウトに続く防衛策第3弾もある。先日ドンキで見つけたマスクガードと言うスプレー。マスク着用十数分前にシュッと一吹きしておくと除菌抗菌作用があると言う。出掛ける時はこれだけ用心しているのだが、島根はまだマスクをしている人が少ない。危機感が足りないと思っているのだが、今日もコメダの隣の席でしきりに咳をする娘がいて腹がたったのなんのって・・・・・・。
ところで、隣の写真は虎の子のマスク、約20枚。去年の残りが出て来たのだ。洗って使い回ししている5枚が限界になったら使おうと思って大切にとってある。これがあるだけでどれだけ心強いか。

『グループホーム見学』
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車で数分の所に新しいグループホームが出来たので見学に行く。母の物忘れがいよいよひどくなり、今すぐ入所しなければならないほどではないが、急速に悪くなった時の事を考えたのである。車が駐っている辺りには施設の喫茶店ができるそうだ。
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内部は昭和風の作りになっていて、とても感じがよかった。思うに母も後二年もしたら完全に認知症になるだろう。だが、その時になって頼んでもすぐには入れないだろう。親の入所先を見つけるだけでこんなに大変だと、儂らの時は一体どうなっているのやら。

『スロープ設置』

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クラウドファンディングで集まったお金で早速スロープを設置しているそうです。TVを観ていたら、外出自粛を無視して出歩いている馬鹿な若者がいた。その一方ではこう言う若者たちもいる。儂は嬉しい。

追記
この記事を載せた後、ネットを見たら、富山で感染者ありとのニュース。残りは4県になった。

追記
31日。山形県でも感染者初確認。残り3県になった。
夕方、母がショートステイから戻る。食後検温したら、37.7℃あり。マツキヨのファイティEXと言う葛根湯に似た薬を飲ませる。明日が訪問医の来る日なのが救い。ただの風邪ならいいのだが。

障害者の自立生活センターを舞台にした本作の試写会や、大阪での先行公開時には、障害当事者のお客様がたくさんご来場くださいました。障害者の方々の中には、呼吸機能や免疫機能などの内部障害をお持ちの方も多くいらっしゃり、コロナウイルスに感染した場合、重症化のリスクが高くなります。この点を考慮し、新型コロナウイルスの感染拡大によって外出を自粛せざるを得ない方たちにも映画を楽しんでいただけるよう、ユーロスペースでの公開期間中に限り、インターネットを利用した映画鑑賞の機会を提供いたします。

 なお、ユーロスペースをはじめとした映画館では、感染予防対策を施した上で本作品を上映予定ですが、今後の新型コロナウイルスの影響によっては、一定期間の休館や、公開日が延期される可能性があります。その場合にもインターネット配信は、実施いたします。

< 映画『インディペンデントリビング』 インターネット配信 >
■ 配信期間:3月14日(土)〜4月3日(金)24時まで
■ 料金:1,800円
■ 上映先リンク: https://vimeo.com/ondemand/filmil
   ※ ご購入から3日間、視聴することが可能です。 
   ※ クレジットカードでのご購入になります。

< 映画館での上映:メイン映画館「ユーロスペース」 > 
◎ 所在地: 〒150-0044渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 3F
   http://www.eurospace.co.jp/

*●*【 いよいよ明日、東京公開!! 】*●*
[東京]渋谷・ユーロスペースにて3月14日(土)〜
[ 月〜金|10:45 / 土・日・祝|10:30 ]
ほか全国劇場にて上映予定です!
※本作は全上映回、バリアフリー字幕、音声ガイド(UDCast)付の上映です。

★ご注意くださいませ!

お一人さま一アカウントでの視聴となります。

 

と、言う訳で、出雲では観ることは出来ないだろうと諦めていたのだが、インターネット(パソコン)で観ることが出来た。妻が倒れてから17年、映画どころかTVドラマすらも観ていなかったのに、久々に映画を観た。この間、映画館に行く暇もなければ、DVDを借りて観る時間もなかった。と言うか、どんないい映画やいいドラマがあっても、観たいと言う気持ちになれなかったのである。だが、この映画(ドキュメンタリー)だけは観たかったのだ。17年間、妻の障害と向き合っていたからだろう。障害を負いながら奮闘している人達の生の姿を観たかった。
以下感想。
車椅子で一杯の自立生活センター。こんなに多くの車椅子の人(それ以外の障害者もいるのだが、介助者も)が集まっていることに圧倒された。こういう場所には行ったことはあるが、これほど沢山、ぎっしり集まっているのを観たのは初めてであった。こんなに大勢の人たちがいるのに、私たちには見えていなかったのである。いや、見ようとしていないと言うのが正直なところだろう。見ぬもの清しとはよく言ったものだ。見なければ、知らなければ、これほど楽なことはないのだから。
だが、現実はそうではない。
「自立生活運動」を理解しようとする時、一番分かりやすいのは、各地の自立生活センターを先頭に立って運営しているのが障害当事者であるということではなかろうか。ここでは障害者当事者が障害者に手を差し伸べすくいあげようとしているのだ。
そのうちの一人は、17歳の時バイク事故で頸椎損傷で首から下が麻痺してしまい、15年間家に引きこもり寝たきりの生活をしていたと言う。ところが介護してくれていた母親が倒れ、途方に暮れた時、自立生活センターを紹介されたのだ。そこで、初めて車椅子に乗ることをすすめられ、いやいや始めた車椅子生活で初めて自分らしく生きることに目覚めたのである。
その人が曰く。「どん底の人たちが立ち上がって行くのを見るのは楽しい」「そういう人たちのために俺は頸損(頸椎損傷)になったのだと思うことがある」
何と言う美しい言葉、見事な言葉ではなかろうか。このドキュメンタリーを観た時、儂はこういう人と出会いたかったことが分かった。
初めて介助を受けることになった障害者に介助者が言う言葉。
「して欲しいことがあったら何でも言って下さい。僕たちはボランティアではないのです。お金を貰っているのですから、何を言ってもいいのです」
ボランティアとはとても崇高な行いをする人と思われている。無償で尽くしてくれる人に対して、障害者の立場だとどうしても遠慮してしまう。こんなこと頼んでいいのかとか。その負い目を簡単に打破する素敵な言葉なあと思った次第である。こういう言葉に出会うのも映画である。
この映画の中に、リハビリを専門に行う自立生活センターが出て来た時、思った。
「ああ、こんな所が17年前にあったら」と。
17年前、妻が10ヶ月の入院、リハビリの後、在宅介護になった時、儂が一番望んだのは最後のリハビリ病院で受けた最高のリハビリを続けたいと言うことであった。だが、在宅になったらそんなリハビリは望むべくもなかった。たとえ、あっても入所できたかどうか分からないし、その頃は今ほど自立生活センターは沢山なかったように思う。
声高に差別や無理解を嘆いたり、批判する映画ではない。監督は自立生活センターで介助者として働いている人。内部の人がありのままをありのままに撮った、とても素朴で、自然で、だからこそ訴える、新鮮なドキュメンタリーだと思う。是非、観て下さい。


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