曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 泣き笑い介護日記

4ヶ月ぶりにやっと面会できるようになった。6月8日から面会できたのだが、母の入所や儂の大腸検査があったりして今日になった。だが、面会時間は15分。面会するに当たっては予約し、当日は面会者健康チェックシートで15項目のチェックを受ける。
□37℃以上発熱している□過去2週間以内に発熱があった□だるい□気持ち悪い、吐き気がある□過去1週間以内に嘔吐した□喉が痛い□下痢をしている□くしゃみ鼻水がある□目が赤い、または結膜炎がある□1ヶ月以内に始まった咳がある□1カ月以内に始まった匂いにくさがある□1カ月以内に始まった味の感じにくさがある□同居している人が発熱している□直近2週間、渡航歴のあるかたや感染者との濃厚接触がない方□直近2週間、県外への外出及び県外者と接触のない方
一つでも該当があると面会できない。
面会割り当て時間は3時。30℃を越える、今年一番暑い日。体温が心配だったが36.1℃でセーフ。
窓を開けた広い集会室で、車椅子で連れて来られた妻とソーシャルディスタンスで話をする。弱って身体は傾いたままろくに話も出来ないことを予想していたら、思ったより元気そうなので少し安堵する。儂が誰か分からなくて、〇〇先生だの従兄弟の〇〇兄ちゃんなんて呼ばれやしないかとひやひやしていたが、分かってくれたようなので、それだけでも来た甲斐があった気がする。だが、何か食べたいものを聞くとカレーライスと答える。他にはと聞いてもカレーライス。そして、「帰る」と言う。「飛行機を運転してくれ」と言う。
話題を変えて子供たちの話をしてやると喜ぶ。その時だけまともになった気がする。車椅子だと座っているのが辛くなる。首も右に曲がりっぱなしで見ているだけで辛そう。以前なら背後から首を起こして支えてやっていたのだが、今は身体に触ることも出来ない。腰を揉んでくれと言うがそれもできない。散髪はようやく出来るようになったが、マッサージはまだ入れないと言う。「転がしてくれ」と言う。座っているのが辛くなり、ベッドに移りたくなったのだ。今日、散髪したので余計に車椅子が辛いのだろうとのこと。15分はすぐ。来週は娘がスマホで面会するので、儂は再来週の面会になるだろう。
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約10年間置いてあったベッドを返却する。帰郷して7年間は妻が使い、特養に入ってからは外泊の時だけ使っていたベッド。その後、弱った父が使い、死後は母が使っていた。その母もグループホームに入所したら、もう妻も戻って来ることはないだろうと思って返却したのだが、長い間、部屋を占領していたベッドがなくなると、〈戻って来るところがない妻の哀れさ〉が浮かび上がって来る。東京でも50人以上の感染者が出たと言う。こんな調子では制限付きの面会は当分続きそう。外泊どころではあるまい。「仕方ないのだ」と自分に言い聞かせる。
コロナの2波3波しだいでは、妹たちも当分出雲には来れないだろう。来たら他県人と濃厚接触した儂が制約を受けることになる。
ところで、寄付の話だが、結局給付金10万円全額寄付した。一部使った残りの7、8万を寄付するつもりだったがどうにも切りが悪いし、給付金は寄付すると言う意志を貫徹したかったので。NHKのニュースだったか、給付金の使途を調査したら、寄付した人の割合は2%だったらしい。

語録(23)

2007.8.2

「ズボンを〈は〉〈か〉〈せ〉、早く〈は〉〈か〉〈せ〉、寝てる間に〈博士〉になっちゃった」

※こういうお茶目な言葉遊びをするのが妻らしい。頭がいいのだ。思わず笑って疲れを忘れる。

2007.8.3

「幸せだなあ、何もしないで、こんなご馳走食べて」

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「お父さんの小説の中には風が吹いているから、風の小説家と名付けよう」

※勿論、読んだわけではない。読めない。この頃、NHKの朝ドラで「風のはるか」を放映していたと思う。朝や昼の再放送をつけていたのでその影響かもしれない。

2007.8.4

「車にのせて」

「どこ行くの」

「川尻(熊本の実家のある場所)いくの。車に乗って寝るの。○○(息子)、○○(娘)、出かけるよと呼ぶの」

2007.8.5

「左足が痛い。スキーで折れたから」

「どの辺が痛い?」

「もものあたり」

「あとでマッサージしてあげるから」

「ありがとう」

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「ちょっと足見て、布団につれてって、足見て。あかりつけて、早く」

2007.8.6

「お父さんに戻ってて」

「なんで」

「別な人と話してるみたいだから」

「どうして?」

「なんだかつっけんどんだから」

※疲れていたのか。そんな印象を与えたことを反省。

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「お父さん、最近なかよくしないね。その方がいいんでしょ」

「なんで」

「きつそうだもの。バタンと寝て」

2007.8.14

「○○ちゃん(娘)の名前、何にするか考えているの」

「いいじゃない、今の名で」

「ちょっと変わった名をつけてやりたいの。あきてきたみたいだから」

2007.8.20

「あっ、お父さんがいた」

「そりゃいるよ」

「会社行かなかったの。よかったね。こんな時間に家にいてくれて」

2007.8.30

「お父さん、お母さん(わしの母親)から何もらった」

「さあ」

「気位の高いとこ、もらったでしょ」

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「お父さんの顔、年取ったね。誕生日の顔してないよ。疲れた顔している」

※わしの誕生日は10月なのだが。

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(御飯の時)

「しあわせだな、私。こんなにしてもらって。こんなに幸せでいいのかしら」

2007.8.31

(夜の12時に)

「お父さん起こして。おぞうに作ったんだから起こして」

「夜の12時だよ」

「ううん、6時よ。みんなより早く起きてせっかく作ったんだから起こして。みんなで食べるのが夢なんだから」

「夜の12時だってば」

12時は6時なの」

2007.9.1

「洗濯物干して来るからね」

2007.9.8

「安心だからつかんどくと(チンコを)逃げられないようにね」

2007.9.12

「みかん2個ちょうだい。〈2個の礼〉を持ってみかんちょうだい」

※〈三顧の礼〉をもじっている。本当に脳に障害を負ったのかと思う瞬間。

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「○○○(?)をちょうだい。 」

「待ってよ、〈あっ〉という間にやるから」

「〈あっ〉」と、言う。

※この言葉の瞬発力がすごいと思う。この時のことは今も覚えている。

2007.9.13

(トイレ介助をしている時)

「げっぷが出るから早くして(オナラが出る)あっ、下からげっぷが出た」

2007.9.15

「お父さん、今日くっついて寝ていい」

「うん」

「ああ、よかった。あっちいけと言わないでよ」

2007.9.19

「お父さんが車椅子乗った夢よくみるの。どきっとするよ」

2007.9.26

「お父さん、どこかに顔を捨てて来たんじゃないの。昔はいい男だったのに」

(TVを見ていて、主人公が人を殺して戻って来た時にこんなことを言った)

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「私、お父さんが死んだら泣くよ。かけがえのない人だから……私、泣いたでしょ」

「俺、生きてるよ」

「何回か死んだでしょ。今の間、死んでたのって、何回かあったでしょ」

2007.9.30

(夜、パット交換していて)

「さかな、買って来てくれた」

「うん」

「ありがとう、優しいね、お父さん」

6月4日、グループホーム入所の日が来た。それまでの数日というもの、母は食事の時以外はベッドにもぐりこんで一日中寝ている。時折り鼻をぐずらせる音がするたびに儂も気が滅入る。へたに説得しようとすると「死んだ方がましだ」と泣く。それでも連れて行かなければならないので、「家から車で5分」を強調。「日曜日ごとに家に戻る」「月に一回は美容院へ連れて行く」「お盆には手伝いに戻ってもらう」「盆団子はお母ちゃんしか出来ない」「お盆の飾りつけも儂には出来ん」「妹たちが来れるようになったら外泊だって出来る」「同じ入所者でも遠い人は江の川の向こう邑南町の山奥から来ている人もいるんだよ」「用があれば俺は5分で行ける。そんな人はお母ちゃんだけだよ」必死に宥めご機嫌を取り、何とか車に乗せる。しかし、刑場に引かれる罪人のような風情にどうなるんだろうと先を思いやられる。
到着したら、ちょうどみんなで笹巻を作っているところ。この季節、出雲では熊笹を取って来て笹巻を作る。
「曽田さんも作りませんか」と誘われたら、母は素直に仲間に加わる。思いがけない成り行きを見守る。我が親は多分に迎合的なところがあり、誘われたら断れないのだ。スタッフもうまく機嫌を取ってくれたので儂は胸を撫で下ろす。
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笹巻を作っている間に帰る。翌日は朝から皆と一緒に散歩をしたと連絡を受け大いに胸を撫で下ろす。それでも心配だし、約束でもあるから日曜日の6月7日に外出。迎えに行く。
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部屋はタンスとベッドが備え付けで後は儂が家から色々運び込んだ。本人、嬉しそうに儂を迎える。
「あら、帰るの」
どうやら母はショートステイでお泊りに来たと思い込んでいるようで、儂が迎えに来たと思ったらしい。車の中で昼飯を食ったら戻るのだと説明すると不機嫌になる。
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昼飯まで寝ていても仕方ないし、機嫌を直してもらわないといけないので、乾かしておいたニンニクの皮を剥いて貰う。一番外の土がついている薄い皮だけを剥がすとつるつるの白いニンニクになる。任せておいてコンビニへ行って戻ると、何と母はニンニクの小さな房をバラバラにして、その皮を「なかかなか剥けない」と、言いながら一生懸命に剥いている。どうして途中から方針転換が起きるのか理解が行かない。
母が剥いたニンニク片はその夜ホイル焼きにして食う。美味かったが食い過ぎて腹を壊す。
昼は冷麺を作る。実はこの一週間で三回目。母は麺がしこしこしていて、こんなに美味しい麺を食べるのは初めてと喜んで食べる。同じものを出しても初めてと喜んでくれるので作る方は楽だが、心は痛む。
帰りに母はお菓子を一杯持って行く。「あそこでは何も出ないから」と、言う。おやつの出ない施設があるはずがないのに。好きなだけ持たせる。かくして第一回目の外出はどうにかこうにか終了。
翌8日の朝。7時前に携帯で起こされる。発信者は施設。ドキッとする何か事故でもあったのかと。
声の主は母。施設の携帯を借りたのである。
「あんた、いつ帰るの?」「はあ?」「東京へ行ってるんじゃないの」
儂が上京しているから、ショートステイで預けられていると思い込んでいるのだ。また一から説明するも理解も納得も出来ていないと思う。これから毎週日曜日には戻って来るがこういうことの繰り返しだろう。スタッフには朝7時前の電話だけは勘弁してほしいと頼んでおかないと。心臓に悪い。妻のいる特養も同じ。電話があると本当に心臓が止まるほどドキッとするのだから。

特別給付金が支給されることが決まった時から、このお金は寄付しようと決めていた。儂はコロナで仕事がなくなったわけではないし、幼い子供を抱えて苦労しているわけでもない。身内がコロナに罹って大変な思いをした訳でもない。コロナと戦う医療従事者でもなければ、施設で献身的に働いている介護従事者でもない。犠牲的に働いている人たちや辛い思いをしている人たちが大勢いるのに、儂みたいに島根県の片田舎で、多少感染者が出たとはいえ、大過なかった男が10万円を個人的な楽しみに使うことにためらいを覚えていたのだ。勿論、10万円を消費にまわすことが社会にお金を回すことになり、小さなお店の経営を助けることになるのはわかっているのだが、どうせ使うなら意義のあることに使いたかったのである。だが、5月末に出雲市に申請書を送り返した時点でもまだどこへ寄付したものか迷いに迷って決まらなかった。寄付してあげたいと思う所が余りにも多すぎて。雇止めになった母子家庭の子が御飯が食べられなくなり、援助されたお米のご飯に久しぶりにありついて感激したなんて話を聞いたら、米ぐらいぐらいたらふく食ってくれと寄付したくなるではないか。医療を必要とする障害児の家族を支えている人たちの活動を知ったら支援したくなる。10万円を1万円ずつ10ヶ所に送ろうかなあなどと考えていて、ふと、一番身近な人間のことを忘れていることに気が付く。妻に何もしてやらなくていいのかと。妻もコロナの被害者である。マッサージも受けられず、儂みたいな男でも会えば気分転換にはなったろうにそれも出来ず、車椅子散歩も出来ず、この春は花見も出来なかった。何はさておき、妻にこそ何かしてやらなければならないと思ったのである。そして、その余った分を寄付に回しても許されるのではないかと。
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そこで取り寄せたのが『白いイチゴ』。この4月末から5月の間、儂は作ったイチゴを特養へ4回差入れした。内2回は妻と妻のユニットへ。後の1回ずつはお世話になっている事務室と看護室へ。だが、いくら気持ちを届けると言っても、素人の作った余り甘くもないイチゴに内心忸怩たる思いを抱いていたのだ。胸を張れるような甘いイチゴだったらそうは思はなかっただろうが。
儂は考えた。イチゴシーズンの最後は、飛び切り美味しく、珍しいイチゴで締めくくってやろうと。妻もユニットのお年寄りも白いイチゴは食べたことはないはずだ。きっと目を丸くしてくれるに違いない。結構いい値段がする。特別給付金でも出なければおいそれとは買えないイチゴである。2箱は妻と妻のユニットのお年寄りとスタッフへ。1箱は事務室と看護室にそれぞれ。6月1日に事務室に届けた。「遠慮せずに食べてください。特別給付金が出ますから」と断って。
ちょっと気分が晴れやかになって、心にも余裕が出来て、またふと思った。儂の為にも少しだけ使ってもいいのではないかと。そこで買ったのが、
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防草シートである。畑の通路に敷く雑草を抑えるためのシートである。いま隣の畑との間に敷いているシートが4年目でぼろぼろになってしまい敷き直す時期に来ていたのだ。安物を買ったので3年目からひどくいたんでいて今年は替えなければならなかったのである。これは20mあって10年持つ。シート押えのピン代をふくめても6000円はしなかった。これで妻の為にも自分の為にも使った。後顧の憂いなし。余ったお金は晴れて寄付に使える。
去年会ったSさんの顔が浮かぶ。
幼い時「キカイダー01」のファンだった方で、今はDPI(障害者インターナショナル)の事務局長をしている方である。この人と会った時の事はブログでも紹介した。実はこの後、このDPIの賛助会員になることを考えたのだが、会ってすぐ賛助会員になるのも何だか軽すぎる気がして躊躇っていたのだ。賛助会員になれば会報も送って来る。障害者問題だけではなく、差別や、国際的な条約などとても幅広くさまざまな分野で活動している組織である。会員になるからにはそれなりの覚悟もいると思っていたのだ。そうこうしている間にコロナ騒ぎとなり、母のグループホーム入所も重なり、賛助会員どころではなくなったのだが、ここへ来て、特別給付金も貰えることとなり、今こそ賛助会員になる時だと思ったのである。
と、いう訳で賛助会員になる訳だが、ここでSさんこと佐藤聡氏を紹介する新聞記事を転載する。いつか紹介しようと保存していた記事です。新潟の地方紙に載った記事だそうです。
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こういう記事を読むと人の顔が見えて来る。儂がこういう人が頑張っているところに寄付したいと思った気持ちも分かって頂けるかと思って紹介した次第です。

賛助会員になるにはこちらから

http://dpi-japan.org/join/sanjokodoku/  

DPIのこともよくわかります。

 

寄付はこちらから

http://dpi-japan.org/join/donate/
寄付金の使途の指定もできますよ。

いよいよ6月4日に母がグループホームへ入所することに決まったがコロナ禍のせいで当てにしていた妹たちの手伝いが頼めなくなり頭を抱えている。一人は福岡、一人は神奈川なのだが、福岡が警戒解除になったので、神奈川の妹は無理でも、福岡の妹は手伝いに来てくれると思い込んでいたのだ。ところがケアマネージャーが施設に福岡の妹が手伝いに来てもいいかどうか問合せした方がいいと言うので聞いてみたら、県外をまたいでの来県者(しかも福岡)と同居(濃厚接触)した人を施設に入れることは出来ないと言う。
まさか妹の手伝いがダメになるとは、予想だにしていなかったので一瞬茫然となる。衣類とか寝巻、下着などどこに何があるのか、どんなものを着させればいいのか何も分からない。これまでは手伝いに来てくれていた妹達に任せっきりだったから、いちいち電話してあっちのタンス、こっちの押し入れ、ベッドの引き出しなどから引っ張り出しているが、これから梅雨になるので完全に夏服のみという訳にも行かず、広げてみては「これは着れるのか」「暑くはないだろうか」逆に「薄すぎるのではないか」と思案投げ首状態である。化粧品も持たせないといけない。90過ぎているのにまだばっちり化粧するのだ。布団も用意しないといけない。カバーもつけないといけない。布団はどれを持たせるのか、布団カバーやシーツはどれを選べばいいのか。儂が電話ばかりして悲鳴を上げているものだからとうとう福岡妹は自分の家にある布団と布団カバーとシーツを送ってくれた。後は布団にカバーをつければよい。他にも上履きや靴下、その他持ち込みの品々などいろいろあるが、毎日、少しづつやって行こうと思っている。
問題は、これが一番大きな問題なのだが、母を納得させると言う仕事が残っている。そんなことは一番最初に片づけることだろうと言われるだろうが、認知症の母は施設の職員さんに会って話をして、福岡の妹に似て背が高いと気に入ったことや、施設を見学して「奇麗なお風呂だね」と言ったことなど、見事に忘れているのだ。
忘れていると言えば、延べ何十年も東京に住んでいたことも忘れていて唖然とさせられたばかりである。「えっ、私が東京にすんでいたの」とのたもうたのだ。
またいちからグループホームに入ることを納得(理解?)させないといけないので、先日、ちらっと話題にしたら「そんなところには行きたくない」と言う。
だからこそ妹の力を借りたかったのである。儂と妹の二人がかりで、月末には神奈川の妹も来てくれると思い込んでいたので、三人の子供で納得させようと思っていたのだ。肝心の説得を一人でしなければならない。これが一番辛い。頭が痛い。母が言うことはわかっている。「私は何でもできる」。何もできないのに。毎朝食べる食パンがどこにあるか分からず、そのパンをトースターに入れたら、すぐに忘れてまたパンを焼こうとする。ついつい声を荒げてしまうことばかり。しまった言い過ぎたと思うと、「叱られてばかりで死んだ方がいい」と言う。
こんな息子にはたして説得できるのか。正直自信はない。儂だって一生自宅で面倒を見てやれたらそれが一番いいと思ってはいる。一番いいのは、と言ういい方も変なのだが、認知症がもっと進み「あんた誰?」と言われたら儂もこんなに悩まないと思うのだ。しかし、そうなった時、すぐに入れる施設がないから、今すぐに入れて、家から車で5分の所に入って欲しいのである。
妹にこっそりと来て手伝って貰う姑息な手も考えたが、それは施設に対して嘘をつくことになる。母が「背が高い娘が手伝いに来た」とでも言ったらと思うととても出来ない。信頼関係を失うようなことは出来ないものなあ。
妻の特養も今回三度目の面会延期の通知が来た。厚生省からの指示があって介護施設の出入は変わらず厳しい制限があるようだ。
あと10日ほどで説得と準備は必ずしなければならない。

3月7日に昼食介護の面会に行ったのが最後で、その日から面会が禁止になり、今日でちょうど2ヶ月。この間、時々看護士さんから体調などの報告あり。軽い風邪に罹ったり、食欲不振、水分補給のために点滴をしたことが2回。儂は週一回のペースで妻の好物を差入れして来た。さすがに面会規制も長くなったので、施設もスマホで面会が出来るように手配してくれる。それが、5月4日のこと。大勢面会するので一人10分。妻はスマホを持って話すことは出来ないので、スタッフ二人が付きっ切りで世話をしてくれた。
画面に現れた妻を見た途端胸がしぼむ。そこにいたのは病人のようなやつれた妻であった。2ヶ月会わない間に随分痩せたなあと自分でも顔が暗くなるのが分かる。化粧というものを十数年間殆どしたことがない。乳液類を付けるだけだが、それも毎日つけているわけではない。頭髪もパーマなどかけてはいない。手入れが大変なので短くカットしているだけ。老いても気品のある女性はいくらもいるが、そもそも化粧も肌の手入れもしないし、食生活も満足に出来ない身なのだから、そのようなものを望んではいけないのだろうがやっぱり辛くて悲しい。これが病で障害を負った者の老後の現実なのだ。
スマホの画面を見せて貰っているのだが、よく見えてはいないようで、かろうじて声だけはわかるような反応を見せる。喋っていることもスタッフが補足してくれてようやくわかる。ほとんどまともな会話にならず。本人も車椅子に座っているのが辛いのか姿勢を保っていることができなくなる。首も壊れた人形のように揺れる。儂の声だけは理解したようなので、コロナが終わったらすぐに行くからと励まして打ち切る。時計を見たら7分も喋っていなかった。
以前のように直接会えば違うと思うのだが、非常事態宣言は延長されたが、いつになったら面会できるやら。

ところで、この二、三日で急にイチゴの生育がよくなる。沢山熟すようになった。
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見栄えのいいやつだけを選んで7日の朝、特養に差し入れに行く。妻のユニットのスタッフや入所者仲間に食べてもらいたくて。一人四個ずつぐらいしか食べられないかもしれないが、スタッフへの感謝の気持ちを伝えたくて。

以下、超久しぶりの語録(22)。在宅介護で大変だったけれど、妻の言葉に思わずニタッと笑った頃。


2007.6.2

「いやだなあ、お父さんがあんなにハゲたら」

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「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ。お父さんに添ってみてよかったよ。こんなに楽しい思いさせてもらって。さあ、帰って、カレー作ろう」

・・・・・・・・・・・・・・・

二階で音がして。子供部屋がある。

「○○(息子)、駅まで送ってやるよ。○○、学校行くなら準備しなさい。○○君、11時出発だからね。お父さん、言っといて」

・・・・・・・・・・・・・・・

「お父さん、帰りにグラウンドに連れてってよ。○○ちゃん(娘)のやってるところ見たいから」

2007.6.5

(美味しいものを食べて)

「口の中が喜んでいる」

※うまいこと言うなあと感心した。この言葉は印象に残って覚えている。

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「痛い」

「……」

「早く、ごめん、ごめんと言え。そしたら許してやる」

2007.6.6

(歯みがきの準備をしていると)

「モモちゃん、お母さん、こんなに幸せなんだよ」

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53○○―37○○てなんだっけ」

「うちの電話番号だよ」

「そうか」

2007.6.7

(お茶をいれてやった時)

「人が幸せと感じる時はみな違うけど、私はいま幸せよ。モモちゃん」

2007.6.9

「お父さんが好きだったころ、牛にだって言いたかったよ。好きな人いるって?私、誰にでも言いたかったの」

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(身障者のTVを見て)

「お父さんがあんなになったら、私、別れるよ。それが、のりみたいにぴたっと貼りついて、一歩歩いたら一歩ついていって」

・・・・・・・・・・・・・・・

「ライフ(近所のスーパー)へ連れて行って下さい。向こうに着いたら、泳ぎに行きますから」

2007.6.29

(貰ったイカ明太を食べて)

「私が食べる姿を楽しそうに見ていました、と(手紙に)書いておこう。きっと幸せだったのでしょう」

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(寝る時に)

「後ろに寝て、私の後ろに、オムツして寝て」

「俺もオムツするの」

「そう」

2007.6.30

「私、75以上になったら生きらんでいいよ。ほっといていいよ」

2007.7.1

「○○(息子)の名前を一生懸命考えてるんだけど、変えるなら、しっかり考えてやらないと」

2007.7.4

「お茶は自分で入れるもんじゃないね。人の入れてもらった方がおいしい」

・・・・・・・・・・・・・・・

「モモちゃん(犬)、○○兄ちゃん(従兄)来てもらってよかったね」

「俺、○○兄ちゃんじゃないよ」

「あっ、お父さんに似た○○兄ちゃんだ」

2007.7.7

介護百人一首をNHKが募集

「お母さんも作ったら」

「食べたのに、まだ食べてないと、またねだる」

2007.7.12

「ヘンな夢ばかり見てる。お化けばかり出て来る」

2007.7.24

「ごはんもう少しちょうだい」

わけてやると

「ありがとう、優しいね、お父さん。私だったら、私の分がなくなるからあげられませんと言う」

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「あれ、今日、○○くん(息子)の誕生日じゃない」

「よく覚えてたな、俺、忘れてたよ」

「私、○○くん、愛してるから」

(息子の誕生日は723日)

2007.7.26

「私、よくなったら、私の言うこと聞いてね」

2007.7.27

(パット交換の時)

「ああ、良かった。自分でやるのいやだなと思ってたの」

2007.7.28

「この番組(風林火山)を見るといつもお父さんをソンケーしてるの。古いことちゃんと書いて、一時間あきさせないで見せて」

※そんな尊敬されるようなライターじゃないのに。儂が書いたと思い込んでいる。

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「家に帰ったら、ブルーの水(酒)飲ましてね。じゃこれから車の中で寝ていくから安全運転でお願いします」

2007.7.29

「雷こわいよ」

「子供みたいな」

「子供だよ。お父さんにくっついてしか寝れないから。この頃いっしょに寝てないね。今夜寝る?」

2007.7.31

「起こして」

「起きてどうするの」

「帰るの」

「どこへ」

「自分の家へ」

「ここが自分の家だよ」

「違う、違う」

・・・・・・・・・・・・・・・

「ミカンとリンゴ買ってあるから、自分の家帰るの」




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