曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 泣き笑い介護日記

面会制限を嘆いた記事を書いたら下記の記事を送ってくれた人がいたので紹介します。孤独とか孤立と言う言葉は安易に使って来たが、『孤絶』と言う言葉は儂の記憶では使ったことがない。

外出自粛が解除されても 「筋ジス病棟」の孤絶 ネット環境の保障を緊急要望

TwitterFacebookHatena

 外出自粛が解除されても、外出させてもらえない人たちがいる。年数回の外出で、人生のほとんどを過ごす人たちにとって、ネットは社会とつながる命綱だが、ケアする側の都合で著しく制限されている。兵庫県や東京都などで地域生活を送る障害者らでつくる「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」(事務局・京都市南区)がこのほど、新型コロナウイルス対策で、病院の面会が制限される中、全国の国立病院機構「筋ジス病棟」のインターネット環境の向上を求める緊急要望書を、厚生労働相に送った。

全国に26カ所ある「筋ジス病棟」

 全国26カ所の「筋ジス病棟」には、筋肉が徐々に動かなくなる筋ジストロフィーなど神経難病の患者ら約1800人が暮らす。たん吸引など全介助が必要で、人工呼吸器を使う人も発語などコミュニケーションに障害がある人も多数を占める。10年以上入院している人が4割以上で、20年、30年と人生のほとんどをベッドで過ごす人も多い。

 同プロジェクトは、地域移行を目指す障害者運動からも取りこぼされてきた、筋ジス病棟で暮らす人たちを支援しようと、京都市で2018年に開かれたシンポジウムを機に立ち上がった。障害のあるメンバーが全国の筋ジス病棟を訪問するなどし、実態調査と支援を重ねている。

 緊急要望書は、筋ジス病棟によっては、病院側が手足の不自由な入所者を車イスに移乗して共有パソコンの部屋まで連れていかなかったり、看護師らがベッド上でパソコンやマウスなど周辺機器のセットをしなかったり、インターネット環境があっても介助を十分に受けられていない、と指摘する。

 「神経筋疾患の障害を抱える人はミリ単位の体位調整が必要ですが、忙しく立ち回る看護師に伝えることは非常に困難です。結果、外部との交流を制限され、365日24時間、毎日をベッド上で過ごし続ける人が現にいるのです。人としての当たり前の権利が保障されていません」と要望した上で、個々の障害者の身体状況に合わせた適切な意思伝達装置、通信機器、周辺機器を利用できる体制づくりや、遠隔ミーティング手段や通信中のプライバシー確保を求めている。

 同プロジェクトによると、新型コロナウイルス対策で、ほとんどの筋ジス病棟で面会が制限され、家族や支援者の立ち入りさえ許可されなくなったという。メンバーが連絡を取ったところ、全国の複数の病院に入所している筋ジス患者らから、「困っている」との声が寄せられた。

筋ジス病棟を訪問する大藪さん

 プロジェクトメンバーで、脊髄性筋萎縮症(SMA)の大藪光俊さん(26)=京都府向日市=は、筋ジス病棟がある国立病院機構宇多野病院(京都市右京区)に隣接する鳴滝総合支援学校に通った。同校は宇多野病院で長期療養する筋ジスの児童生徒らを対象とする病弱養護学校だった歴史があり、級友たちが今も筋ジス病棟に暮らすことから、大藪さんは車イスで市バスや電車を乗り継ぎ、支援や聞き取りを続けている。

 「自分はたまたま在宅生活を送り、大学にも通い海外留学もしたけれど、友達たちは社会から隔離されたまま。それがずっと、心にある」と、大藪さんは語る。大藪さんはヘルパーの介助を受けて1人暮らしを送っている。「この状況下ではインターネットを利用したオンラインのやりとりしか手段はありません。病棟の外の世界ではインターネットを利用した遠隔コミュニケーションが進められています。筋ジス病棟でも、同じような機会の保障がされるべき」と、大藪さんは訴える。

 「そもそも新型コロナウイルス禍がなくても、ネットは入所者にとって数少ない外部と連絡をとる手段でした。人は誰しも外の世界の誰かとつながって、動揺し、変化し、成長し、葛藤し、生きていくことができるのではないでしょうか。遠隔コミュニケーション手段のアクセス権利は、筋ジス病棟においては他者とつながる権利に等しいのです」

筋ジス病棟に入院している人たちをネットでつないで行われたシンポジウム(2018年12月京都市)
儂はまだ妻とはスマホ面会でつながっている。9月からは母のグループホームでは地元に住む家族だけがホームで10分ほど面会できるようになった。『孤絶』の人たちから比べたら恵まれていると感謝しなければならないだろう。確かにそうではあるが、だからと言ってそれで終わってしまったら、この記事を読んだ意味がない。
かくも壮絶な孤絶下で生きている人がいることを知ったからには知識として頭の片隅にしまいましたで終わらせてはいけないと思うのだ。儂らのような普通の人間にどうするのですかと問いかけられているのだ。すぐに何か出来なくても考えることは出来る。それがやがてはつながることになるのかなと思う。
コロナは多くの色々な人生を人々の前にさらけ出した。ある意味、コロナはつながるチャンスをくれた。そう思いたい。

コロナ禍の閑話休題。
儂の後輩で小さな会社を経営している男がいる。コロナで仕事が切れたが、去年も無収入なので持続化給付金の申請は諦めていた。だがその前年に収入があれば、特例で貰えることが分かった。但し、申告していなかったので税理士に書類を作ってもらわなければならない。でも、税理士には作成料を払わないといけないが、そのお金がなくてどうしようと悩んでいる。
その彼が相談したセンターでの話を聞かせてくれた。
会社を設立したものの三年間休眠していた男が持続化給付金200万を出せと目を血走らせて乗り込んで来て無理だと言うとマジ切れして怒り狂ったそうだ。そうかと思うと、秋葉原のメイド喫茶の女店員がコロナで店がお休みになった上に、店に通っていたパパから貰っていた御手当ても貰えなくなったので、100万円の持続化給付金が欲しいと相談に来たそうだ。
税理士と組んであくどいことをやっている連中は一杯いるそうだ。
コロナは人の本性も暴く。

面会制限がずっと続いていると言うか、さらに厳しくなったので儂は全然面会していない。儂がスマホで面会してもいまいち盛り上がらなくて腰が引けてしまうのだ。特養の担当者は15分のソーシャルディスタンス面会は出来なくなったが、窓越しの面会は出来ますよと言ってくれるのだが、何だか刑務所の面会をイメージしてしまい今一つ乗り気にならない。声が聞こえやすいように少し窓を開けることも出来るそうだが、この暑い時に窓の外に立つのはどうにもツライ。という訳で、週一回の面会機会は娘に譲り、専ら娘がスマホで15分面会して、その様子をラインで送ってくれている。8月は3回面会したが、妻も慣れたのか随分ノリがよくなって、儂も驚いている。
録画して送ってくれるので聞き取りにくい処があるのだが、8月の1週目では「これでもお母さんや」「(娘が)お嫁さんになるまで死ねないの(もう結婚しているのに)」と聞き取れた。
こんなにも母親の気持ちが強いんだなあと思い知らされる。夫との会話が盛り上がらないわけだ。

8月の2週目のやり取りは大いに弾む。

「〇ちゃん~早くかえっておいでね」

「そうだね、あれよねー感染症がおさまったらね」

 「・・・なぁに?」

 「いま感染症がすごいのよ、ウイルスが、いっぱい」

 「感染症?」

 「そうそうそう、お母さん看護師だったからわかるでしょ」

 「あれ、ウイルスでしょ?」

 「そうだよ、ウイルスだよ。インフルエンザよりもっとひどいやつ」 

「ちゃ~んと知ってるのよ~感染症って、パッパッパッパッってうつるの」

 「そうそうそう東京は危ないからね。お母さんに持って帰ってうつしたらね」

 (職員さん)「お母さんに持って帰ったらまずいでしょって。なかなか今行き来がしにくい状況ですね」

でも主人とはキスします~(笑)」

あはは、濃厚接触」
お父さん好きだもんねぇ~(笑)」と、ふざける妻。

と、まあこんな感じ。
これをラインで送ってくれた後に娘が言う。
「お母さんはもう何も分からなくなっていると思っていたけどちゃんとわかっているのではないかと思ったよ。子供に接するように易しい言葉で話しかけたりしていたけれど、普通にちょっと難しいことでもどんどん話した方がいいのかもしれない」と。確かに。教えられた。

3週目は娘も忙しく、4週目の8月25日。
娘がカメラに映った瞬間、「あら、髪切ったのね」
髪を切ったことがすぐにわかる。
これには儂も嬉しかった。目が見えにくくなっているのではないかと心配していたのでスマホの画面でも分かったのだからたいしたものだ。
このところ、毎回、スマホ面会で娘が映った瞬間「キャー、〇ちゃん」から始まっているそうだ。
スマホでの面会になじんだのだろう。
そして、例によっていつもの会話が始まることも。
「正月いっしょに過ごそう。お琴聞かせて。たらたらんたらら~」
妻は若い頃琴を習っていたのだ。

世間では若い人ならコロナにかかっても、老人にうつさなければよしとして経済を回すことを優先するような風潮だけど、クラスターが起きたり、感染者が増えるたびに、面会制限される人たちがいることには誰も目を向けてくれない。マスコミでも高齢者や基礎疾患の人たちへの言及はあるが、面会制限を取り上げることはない。
きっと面会制限なんて大した問題ではないと思われているのだろう。悲しいね。

語録(24)

2007.10.1

(ちょこっとキスしてやったら)

「ヒゲがちくちくした。お父さん、私の柔らかいとこ触るんだから剃っておかないと」

・・・・・・・・・・・・・・・・

「ちっとも好きよと言ってくれない」

「ごめん、忙しくて」

「ひとこと言ってくれたらいいのに、10分も20分もかかるわけじゃなし」

2007.10.2

「ちょっと車に乗せてください」

「どこ行くの」

「デパート、23分でゆくでしょ。お父さん、お金持ってってよ。ジュース飲むんだから」

(儂が立ち上がると)

「どっこいしょと言わないの」

2007.10.7

「隣のおやじ、汚いね。品がないね。いつもお父さん見てるから、汚いね」

・・・・・・・・・・・・・・・

1819なんて目じゃないよ。4050過ぎると、お父さんみたいなのが可愛がってあげると言うと、みな、ついて来るよ」

2007.10.8

「私のまわりにウンチのにおいがする。ちゃんと取ってください」

・・・・・・・・・・・・・・・

(長井さんのニュースから ※TVをみていたのだろうが、どんなニュースか記憶にない)

「死ぬことが自由になることだって。お父さん、そんなこと思わないでよ。書きたくないとか。自由になりたいとか」

※長井さんのニュースと言うのが今となってはなんのことか分からない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「寒くない?」

「寒くない。ありがとう。今ので温まった」

・・・・・・・・・・・・・・・・

「私が死んだら起こさないでよ。〇子、〇子と起こす?静かに眠りたいから」

2007.10.9

「左足の包帯とって」

(オムツ交換の時。包帯なんかしていないのだが)

・・・・・・・・・・・・・・・・

(オムツ交換に行くと)

「うれしいピョン。いきなり現れたから」

2007.10.11

「俺、○○○兄ちゃん(妻の従兄)じゃないよ」

「似てたから」

「どこが似てる?」

「背高いとこ」

「背高いだけ?」

「優しいところ、鼻が曲がっているところ」

2007.10.15

「バスに乗って行こう。車椅子ではどこにも行けないから」

2007.10.24

「〇〇先生、来ないね」

「もう死んじゃったんじゃないの」

「いや、私が料理してると言ったから、来ないの」

2007.10.25

(夜、パットを交換していると、何度も頬っぺたを叩く)

「どうしたの?」

「痛いじゃないか」

(拘縮している方の左足が痛かったのである)

2007.10.26

「行きましょう、お父さん」

「どこへ」

「デパートの風呂場、はい、ありがとう」

2007.10.27

「プールで泣いたことあるよ」

「プールで泣くの?」

「心が広くなる気がするの。涙が出るの」

2007.10.28

「早くアンパン出せ、足痛いの治るから」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

(台所に立っていたら)

「調理手伝おうか、大変そうだから」

・・・・・・・・・・・・・・・

(娘と卒論の話をしていたら)

娘「お父さん、学士号とるの大変なの。思い知らされた」

妻「(娘が)お父さんとそういう話をするの大好きなの」

2007.10.29

「お父さんは疲れている時はきれいな顔をしているね、顔がなくて」

2007.11.1

「かあちゃんとこ(父の姉・大好きなおばさん)行こう」

「かあちゃんは死んだよ」

3年前だが、妻には黙っていた)

「いつ?そんな話しないでよ。どこ行っても泣かなきゃならないでしょ(涙をふく)ママちゃん(実母)、そんなこと言ってないもの」

・・・・・・・・・・・・・・・

「私と今いっしょにいるのお父さん?わあ、嬉しい。知らなかった。いっしょにいてくれてありがとう」

2007.11.2

「あっ、手が動いた。(左手はマヒして動かないのに)あくびしたら、手が動いた」

※この時、本当に動いたかと思ったことを思い出す。

2007.11.3

「足腰使わないと弱くなるね。ちょっと使わないと歩けなくなっちゃった」

・・・・・・・・・・・・・・・

「緑湯に歩いて行くのもいいことだわ。こんなにいい天気なんだから」

※緑湯は熊本の実家の近くにあった銭湯。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「高幡不動のお墓には出雲や荒茅(出雲の夫の田舎)から来た人の名が書いてあるよ。高幡の人ばかりじゃないよ」

※高幡不動近くの日野市三沢や百草に住んでいたことがある。

・・・・・・・・・・・・・・・

「出雲でいいじゃん。二人仲よく何才になってもいっしょに暮らす。大切なことよ」

※出雲なんか帰りたくないと言っていたはずなのだが……

2007.11.6

「お父さん、女ぐせ悪くなったらだめよ。仕事がうまくゆかなくなるから」

2007.11.7

「早くチョコレートちょうだい。くれないと、また死ぬよ」

2007.11.9

「お父さん、ご先祖様に守られて、いい人生歩んでいる」

・・・・・・・・・・・・・・・・

(パット交換時)

「優しいね、優しいね。嬉しい。早くやってくれ」

2007.11.12

「ダンスでも何でもして、○○姉ちゃん(従姉)より楽しいことしよう」

2007.11.14

「一時半ごろから、そこでお父さん幸せそうな顔して死んでたの。『死んでるんです』と言ったの。『どうして〇子さんわかるの?』と、訊くから、『私が殺したんです』と、言ったの」

2007.11.16

「○○ちゃん(娘)にね、『お父さんにもう一度お嫁に行きなさい』と、言われたのと言ったの。(娘は)『もういいわよ』と、言ったんだけど、(自分は)『ハイハイ』と、言ったの」

・・・・・・・・・・・・・・

「○○ちゃん(高校時代のペンフレンド)が来たら、熱烈歓迎のキスするから、見て見ぬふりしてね」


面会がまた中止になってしまった。6月24日と7月8日とまだ2回しか面会していないのに。
何と例の出雲市で発生した女子大生コロナ患者の所為だと言う。2ヶ月ぶり、25人目の患者だ。以下は山陰放送のテレポート山陰のニュース。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

女子大学生の感染 1000人規模のPCR検査実施へ 

2020716

島根県立大学出雲キャンパスに通う女子大学生が新型コロナウイルスに感染したことを受け、 県などは、出雲キャンパスに通う学生・教職員およそ600人と接触者ら、最終的におよそ1000人規模でPCR検査を実施する見込みです。
県によりますと、15日に検査した106人は全て陰性で、女子大学生の接触者94人も含まれているということです。 女子大学生がアルバイトをしていた出雲市の「ナンバホームセンター出雲ドーム店」は、客と従業員の安全を考慮し、15日から臨時休業しています。 店の本部によりますと、女子大学生は7月8日と12日に勤務していましたが、発熱などはなく、 マスク着用やアルコール消毒の感染予防策をとっていたということです。店は、今後も保健所と連携し、接触者の確認に努めるとしています。 16日に新たに分かった女子大学生の行動歴は、6日と7日に大学に登校。 6日・7日・9日・12日・13日に「やきとり家すみれ出雲店」でアルバイトをしていました。東京での滞在先は友人宅だということです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上京して新宿の小劇場で7月1日~5日まで連日観劇してコロナをうつされてしまったのだ。
儂は15分の面会を2回、延べ30分しか会っていないのに、女子大生はイケメン俳優に延べ何百分見とれていたのかと思うと言うまいと思えど「なんだかなあ~」である。本当は厳しい言葉をぶつけたいところだが、自分の年齢も考えないといけないし、個人攻撃や、コロナ患者への偏見を増長させるようなことになってはいけないのでこういうところでは言わないことにしている。
先日、娘が東京からスマホ面会した時、時間になったので「お母さん、娘に最後に言っておくことないなの」と聞いたら、「○○ちゃん、がんばるのよ」と言ったそうだ。「その時のお母さん、一瞬きりっとしたような気がしたよ。お母さんの中に残っているものがあったんだねえ。そんな気がしたよ」と娘が言っていた。だから、儂も次の面会を楽しみにしていたのだ。おかげで、また、いつになるかわからなくなってしまった。
家族の落胆は大きいけれど施設の人たちも大変だ。「ナンバ」は近い場所にあるし、儂も時々買い物に行く。今回は前回までと違い、接触者が膨大だからそれは神経を使うことだろう。実は娘が今週にスマホ面会の予約をとろうとしたら、今週は連日会議があって無理になったと言っていたが、きっとこの件で対策の会議をしていたに違いない。
たった一人でこれだけの影響が及び、これだけの騒ぎになる。GoToキャンペーンなんて正気の沙汰とは思えん。政府は重症者はでていないから少々感染者が出ても経済優先で行くと決めたのだろうが、つけは必ず弱い者のところへ行く。今頃になって慌てて東京だけは除外するそうだが姑息なことをする。為政者への信頼をまた一つ減らしただけだ。とっくにありはしないのだけれど。
妻が好きなスイカでも差入れしてやろう。それしか出来ることがない。

4ヶ月ぶりにやっと面会できるようになった。6月8日から面会できたのだが、母の入所や儂の大腸検査があったりして今日になった。だが、面会時間は15分。面会するに当たっては予約し、当日は面会者健康チェックシートで15項目のチェックを受ける。
□37℃以上発熱している□過去2週間以内に発熱があった□だるい□気持ち悪い、吐き気がある□過去1週間以内に嘔吐した□喉が痛い□下痢をしている□くしゃみ鼻水がある□目が赤い、または結膜炎がある□1ヶ月以内に始まった咳がある□1カ月以内に始まった匂いにくさがある□1カ月以内に始まった味の感じにくさがある□同居している人が発熱している□直近2週間、渡航歴のあるかたや感染者との濃厚接触がない方□直近2週間、県外への外出及び県外者と接触のない方
一つでも該当があると面会できない。
面会割り当て時間は3時。30℃を越える、今年一番暑い日。体温が心配だったが36.1℃でセーフ。
窓を開けた広い集会室で、車椅子で連れて来られた妻とソーシャルディスタンスで話をする。弱って身体は傾いたままろくに話も出来ないことを予想していたら、思ったより元気そうなので少し安堵する。儂が誰か分からなくて、〇〇先生だの従兄弟の〇〇兄ちゃんなんて呼ばれやしないかとひやひやしていたが、分かってくれたようなので、それだけでも来た甲斐があった気がする。だが、何か食べたいものを聞くとカレーライスと答える。他にはと聞いてもカレーライス。そして、「帰る」と言う。「飛行機を運転してくれ」と言う。
話題を変えて子供たちの話をしてやると喜ぶ。その時だけまともになった気がする。車椅子だと座っているのが辛くなる。首も右に曲がりっぱなしで見ているだけで辛そう。以前なら背後から首を起こして支えてやっていたのだが、今は身体に触ることも出来ない。腰を揉んでくれと言うがそれもできない。散髪はようやく出来るようになったが、マッサージはまだ入れないと言う。「転がしてくれ」と言う。座っているのが辛くなり、ベッドに移りたくなったのだ。今日、散髪したので余計に車椅子が辛いのだろうとのこと。15分はすぐ。来週は娘がスマホで面会するので、儂は再来週の面会になるだろう。
1592981271509
約10年間置いてあったベッドを返却する。帰郷して7年間は妻が使い、特養に入ってからは外泊の時だけ使っていたベッド。その後、弱った父が使い、死後は母が使っていた。その母もグループホームに入所したら、もう妻も戻って来ることはないだろうと思って返却したのだが、長い間、部屋を占領していたベッドがなくなると、〈戻って来るところがない妻の哀れさ〉が浮かび上がって来る。東京でも50人以上の感染者が出たと言う。こんな調子では制限付きの面会は当分続きそう。外泊どころではあるまい。「仕方ないのだ」と自分に言い聞かせる。
コロナの2波3波しだいでは、妹たちも当分出雲には来れないだろう。来たら他県人と濃厚接触した儂が制約を受けることになる。
ところで、寄付の話だが、結局給付金10万円全額寄付した。一部使った残りの7、8万を寄付するつもりだったがどうにも切りが悪いし、給付金は寄付すると言う意志を貫徹したかったので。NHKのニュースだったか、給付金の使途を調査したら、寄付した人の割合は2%だったらしい。

語録(23)

2007.8.2

「ズボンを〈は〉〈か〉〈せ〉、早く〈は〉〈か〉〈せ〉、寝てる間に〈博士〉になっちゃった」

※こういうお茶目な言葉遊びをするのが妻らしい。頭がいいのだ。思わず笑って疲れを忘れる。

2007.8.3

「幸せだなあ、何もしないで、こんなご馳走食べて」

・・・・・・・・・・・・・・・

「お父さんの小説の中には風が吹いているから、風の小説家と名付けよう」

※勿論、読んだわけではない。読めない。この頃、NHKの朝ドラで「風のはるか」を放映していたと思う。朝や昼の再放送をつけていたのでその影響かもしれない。

2007.8.4

「車にのせて」

「どこ行くの」

「川尻(熊本の実家のある場所)いくの。車に乗って寝るの。○○(息子)、○○(娘)、出かけるよと呼ぶの」

2007.8.5

「左足が痛い。スキーで折れたから」

「どの辺が痛い?」

「もものあたり」

「あとでマッサージしてあげるから」

「ありがとう」

・・・・・・・・・・・・・・・・

「ちょっと足見て、布団につれてって、足見て。あかりつけて、早く」

2007.8.6

「お父さんに戻ってて」

「なんで」

「別な人と話してるみたいだから」

「どうして?」

「なんだかつっけんどんだから」

※疲れていたのか。そんな印象を与えたことを反省。

・・・・・・・・・・・・・・・・

「お父さん、最近なかよくしないね。その方がいいんでしょ」

「なんで」

「きつそうだもの。バタンと寝て」

2007.8.14

「○○ちゃん(娘)の名前、何にするか考えているの」

「いいじゃない、今の名で」

「ちょっと変わった名をつけてやりたいの。あきてきたみたいだから」

2007.8.20

「あっ、お父さんがいた」

「そりゃいるよ」

「会社行かなかったの。よかったね。こんな時間に家にいてくれて」

2007.8.30

「お父さん、お母さん(わしの母親)から何もらった」

「さあ」

「気位の高いとこ、もらったでしょ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「お父さんの顔、年取ったね。誕生日の顔してないよ。疲れた顔している」

※わしの誕生日は10月なのだが。

・・・・・・・・・・・・・・・

(御飯の時)

「しあわせだな、私。こんなにしてもらって。こんなに幸せでいいのかしら」

2007.8.31

(夜の12時に)

「お父さん起こして。おぞうに作ったんだから起こして」

「夜の12時だよ」

「ううん、6時よ。みんなより早く起きてせっかく作ったんだから起こして。みんなで食べるのが夢なんだから」

「夜の12時だってば」

12時は6時なの」

2007.9.1

「洗濯物干して来るからね」

2007.9.8

「安心だからつかんどくと(チンコを)逃げられないようにね」

2007.9.12

「みかん2個ちょうだい。〈2個の礼〉を持ってみかんちょうだい」

※〈三顧の礼〉をもじっている。本当に脳に障害を負ったのかと思う瞬間。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「○○○(?)をちょうだい。 」

「待ってよ、〈あっ〉という間にやるから」

「〈あっ〉」と、言う。

※この言葉の瞬発力がすごいと思う。この時のことは今も覚えている。

2007.9.13

(トイレ介助をしている時)

「げっぷが出るから早くして(オナラが出る)あっ、下からげっぷが出た」

2007.9.15

「お父さん、今日くっついて寝ていい」

「うん」

「ああ、よかった。あっちいけと言わないでよ」

2007.9.19

「お父さんが車椅子乗った夢よくみるの。どきっとするよ」

2007.9.26

「お父さん、どこかに顔を捨てて来たんじゃないの。昔はいい男だったのに」

(TVを見ていて、主人公が人を殺して戻って来た時にこんなことを言った)

・・・・・・・・・・・・・・・

「私、お父さんが死んだら泣くよ。かけがえのない人だから……私、泣いたでしょ」

「俺、生きてるよ」

「何回か死んだでしょ。今の間、死んでたのって、何回かあったでしょ」

2007.9.30

(夜、パット交換していて)

「さかな、買って来てくれた」

「うん」

「ありがとう、優しいね、お父さん」

6月4日、グループホーム入所の日が来た。それまでの数日というもの、母は食事の時以外はベッドにもぐりこんで一日中寝ている。時折り鼻をぐずらせる音がするたびに儂も気が滅入る。へたに説得しようとすると「死んだ方がましだ」と泣く。それでも連れて行かなければならないので、「家から車で5分」を強調。「日曜日ごとに家に戻る」「月に一回は美容院へ連れて行く」「お盆には手伝いに戻ってもらう」「盆団子はお母ちゃんしか出来ない」「お盆の飾りつけも儂には出来ん」「妹たちが来れるようになったら外泊だって出来る」「同じ入所者でも遠い人は江の川の向こう邑南町の山奥から来ている人もいるんだよ」「用があれば俺は5分で行ける。そんな人はお母ちゃんだけだよ」必死に宥めご機嫌を取り、何とか車に乗せる。しかし、刑場に引かれる罪人のような風情にどうなるんだろうと先を思いやられる。
到着したら、ちょうどみんなで笹巻を作っているところ。この季節、出雲では熊笹を取って来て笹巻を作る。
「曽田さんも作りませんか」と誘われたら、母は素直に仲間に加わる。思いがけない成り行きを見守る。我が親は多分に迎合的なところがあり、誘われたら断れないのだ。スタッフもうまく機嫌を取ってくれたので儂は胸を撫で下ろす。
sasaInked1591621210813_LI
笹巻を作っている間に帰る。翌日は朝から皆と一緒に散歩をしたと連絡を受け大いに胸を撫で下ろす。それでも心配だし、約束でもあるから日曜日の6月7日に外出。迎えに行く。
15915347845011591534737989
部屋はタンスとベッドが備え付けで後は儂が家から色々運び込んだ。本人、嬉しそうに儂を迎える。
「あら、帰るの」
どうやら母はショートステイでお泊りに来たと思い込んでいるようで、儂が迎えに来たと思ったらしい。車の中で昼飯を食ったら戻るのだと説明すると不機嫌になる。
15915346754311591534610490
昼飯まで寝ていても仕方ないし、機嫌を直してもらわないといけないので、乾かしておいたニンニクの皮を剥いて貰う。一番外の土がついている薄い皮だけを剥がすとつるつるの白いニンニクになる。任せておいてコンビニへ行って戻ると、何と母はニンニクの小さな房をバラバラにして、その皮を「なかかなか剥けない」と、言いながら一生懸命に剥いている。どうして途中から方針転換が起きるのか理解が行かない。
母が剥いたニンニク片はその夜ホイル焼きにして食う。美味かったが食い過ぎて腹を壊す。
昼は冷麺を作る。実はこの一週間で三回目。母は麺がしこしこしていて、こんなに美味しい麺を食べるのは初めてと喜んで食べる。同じものを出しても初めてと喜んでくれるので作る方は楽だが、心は痛む。
帰りに母はお菓子を一杯持って行く。「あそこでは何も出ないから」と、言う。おやつの出ない施設があるはずがないのに。好きなだけ持たせる。かくして第一回目の外出はどうにかこうにか終了。
翌8日の朝。7時前に携帯で起こされる。発信者は施設。ドキッとする何か事故でもあったのかと。
声の主は母。施設の携帯を借りたのである。
「あんた、いつ帰るの?」「はあ?」「東京へ行ってるんじゃないの」
儂が上京しているから、ショートステイで預けられていると思い込んでいるのだ。また一から説明するも理解も納得も出来ていないと思う。これから毎週日曜日には戻って来るがこういうことの繰り返しだろう。スタッフには朝7時前の電話だけは勘弁してほしいと頼んでおかないと。心臓に悪い。妻のいる特養も同じ。電話があると本当に心臓が止まるほどドキッとするのだから。

↑このページのトップヘ