曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 出雲暮らし

8時ごろ、14日に受ける健康診断の問診票を書いていた時、速報が流れる。なんだろうとTVを見たら、島根県にコロナの初感染が発生したのテロップ。10代の女性としかまだ分からない。ああ、と思わずため息が出る。ついに出てしまったかと。残る三県のうち島根県が最後だと信じていたのだが、防ぎきれなかったとは。実に残念、というか無念と言うか。悔しい。昨日の地方ニュースでは鳥取の若い女の子が鳥取は人が少ないからと笑っていた。島根県も似たようなものだから大丈夫だと思っていたのだが、どういう経緯で感染したのかはまだ分からない。明日になればもっと詳しく分かるだろうが、ここまで頑張っていたのに本当にもったいないと思わないではいられない。後はこれ以上広がらないことを祈るのみ。
これで特養の面会制限はまた延びることになるだろう。それを思うと本当に切ない。歯磨きはどうなっているのか、マッサージはしなくても身体は大丈夫なのかと、心配なことは一杯ある。先週も差し入れを届けに行った時、食欲がなくて二日ほど点滴をしたと言っていた。お願いだからこれ以上広がらないでと祈る気持ちだ。
知事も帰省をしないでくれと要請している。まじで観光客も来てほしくない。
5月13日は父の一周忌。先月からどうしようかと悩んでいたのだが、昨日の東京都などに非常事態宣言が出たので、姉妹と親戚は呼ばないことに決めた。妹の一人は神奈川、もう一人は福岡。これでは呼ぶわけには行かない。
親の親戚は鳥取と島根県だが、なんせみんな揃いも揃って高齢。島根でも感染が出た以上、これから一か月後にはもっと状況は悪くなっていると思われ、とてもじゃないが呼べない。年寄りなので出ると言い張るかもしれないが断るつもりでいる。母と儂の二人だけで、お経をあげて貰うことにするつもり。直会もしない。和尚さんにはお食事料を包んですませようと思っている。
先月31日にショートステイから戻って来た母が熱を出し、治る迄一週間近くかかった。その間、家を一歩も出られず、腫れ物に触るように面倒見ていたら、4日に儂がおかしくなり、6日に病院へ行って風邪薬を貰う。5日に溝掃除をして激しい腰痛に襲われ、昨日まで喘いでいたが、今日になり腰も風邪も良化、なんとか散歩に行けるまでになったが、さすがに全コースは歩けず、途中で引き返す。
10日ほど引き籠りしていたのが、やっと解放されたのだが、畑や自治委員の仕事がたまっていてこれがまた大変。
ところで、前回、町内委員の初仕事を書いたが、町内委員は自治委員の間違いでした。儂は去年が町内委員で今年から自治委員に昇格?したのであった。こんな無知であるから先が思いやられる。
腰痛が治まり、風邪も三日で治まったのだから、これからコロナにだけは用心して頑張りましょう。三密のコメダ珈琲はやばいかもしれない。しかし、カフェインレスのコーヒーが飲める店はコメダしかない。困った。
それにしても、思うのだけど、非常事態宣言、遅過ぎないか?
アベノマスクが送って来たらどうしようかと思っていたら(意地でも使いたくないのである)、どうやら島根県などは後回しらしい。

4月10日追記
感染者は松江市の女子高生と公表される。学校名も公表される。先月19日に診療機関にかかり、3回通っても改善されなかったので、検査して昨日感染が判明。春休みに入るまで数日登校。新学期にも登校したと言うから濃厚接触者は随分になるのではないだろうか。女子高生に染した人がいるのではないだろうか。山口県では大阪に出張して、北のクラブで染されたサラリーマンがいたと言うから。誰か都会から持って来た人から染されたような気がする。
それにしても19日から9日まで放置されていたのは長過ぎるのではないだろうか。何だか増えそうな気がする。

朝のニュースで山口の秋芳洞が閉鎖すると言っていた。儂は松江城も出雲大社も鳥取砂丘や水木しげるロードも閉鎖すべきだと思っていたのでいいことだと思う。連休に観光客は来ない方がいい。

4月11日追記
昨日、島根は2人になったと思ったら、今朝は5人。昨日は女子高生の母親と発表されたのだが、増えたのは母親が働いている飲食店の客。結局、女子高生は飲食店の客→母→女子高生とうつされたのか、あるいはこの女子高生はバスで大阪に行っているので、大阪で貰った可能性もある。増えそうな予感が当たってしまった。
昨夜は島根で出た途端、鳥取でも1人感染と発表。60代男性。
今朝になって、この人は砂の美術館の彫刻家たちのアテンダントと分かる。砂の美術館ではヨーロッパから砂の彫刻家を20人くらい毎年呼んで砂像を作っている。今年はコロナがはやっているので来ない彫刻家がいるというニュースは聞いていたが、それでも呼び寄せて作っていたのだ。もし内部での感染だったら、箱モノを優先した誹りは免れまい。結局、閉鎖せざるを得ないことになったのに。閉鎖が決まったとは聞いていないが、閉鎖せざるを得ないだろう。
松江城は昨日閉鎖になった。堀川遊覧船は以前より休み。小泉八雲の記念館なども一斉に休む。浜田市の水族館も休み。
問題は出雲大社だな。神社仏閣は休みそうもないからなあ。逆にお参りしたら御利益があると言い出しかねない。境内は広いかもしれないが、土産物屋はおしくらまんじゅうである。大社参りしてコロナになったら本末転倒である。考えて欲しい。連休にコロナ疲れの息抜きに来た観光客にうつされる方の身にもなってくれと言いたい。

ネットのニュースで松江の感染は女子高生がアルバイトしていた飲食店(店名公表)のクラスターと分かる。昨日までは母親が働いていた飲食店と伝えられていたのに、コロコロと話が変わる。不確かな情報であれこれ語るのは良くないので、この項はここまでとします。感染者は6人になってしまった。この店に通った人は申し出るようにと通達されている。

4月から令和2年度の新町内委員の仕事が始まる。昨年度は自治委員で町内委員の付録みたいなものだったが、4月からは万事仕切らなくてはならない。田舎の約束事や決まり、市役所と地区との間にどんな決め事があるのかなどなど知らないことばかりなので、いちいち人に聞いてやらないといけない。一年が早や長く感じられる。
4月第一日曜日は溝掃除と決まっている。
母の風邪をうつされたのか昨夕37℃ちょっと熱が出て、慌てて葛根湯を買って来て服用。今朝は熱を測らずに溝掃除に出る。熱があると気持ちが滅入るのであえて測らず。休んでも良かったのだが初日から休むのもはばかられる。8時から開始なのだが隣近所は8時前から出ている。
母に食事を出し、薬を飲ませたりしていたので少し遅れて出る。
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左の写真はわが家の前の雨水桝。8時に出るのが難しいので昨日のうちにすませた。
右の写真は我が隣保を出た通り。映っているのは隣の隣保の人たち。この道の左側(塀沿い)は我が隣保の担当。早々と終了。
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左の写真は我が隣保の東半分の土嚢袋。後日、市が回収に来る。昨日までの暖かさはどこへやら。寒かったが雨が降らなかったので助かる。帰宅して検温したら37.4℃。葛根湯を飲む。一休みしたら午後には35.4℃に下がる。葛根湯で治ればいいのだが。17時には37.6℃。
右の写真は平成4年から令和元年迄の、町内委員会の毎月の綴りと隣保の集金会の毎月の綴り。50冊以上ある。誰かがもう処分しようかと言ったのだが、誰も積極的に賛同しなかったので、皆、持て余しながらも毎年引き継いでいる。預かっても一年間のことで、次に預かる迄12年あるから我慢している。
儂はこの後、今日の溝掃除に参加した13名の名前を書き出して町内委員長に届ける。委員長はそれを市役所に提出すると、一人千円支払われる。集金会の時に配る。
段ボールの上の風呂敷包は隣保で葬式があった時の必要書類が入っている。昭和20年代からの記録があるから、葬式の変遷などを知ることが出来る。
腰が痛い。重い土嚢袋を運んだり、中腰になってどぶ浚えしたせいだ。痛くて痛くてしゃがむことも出来ない。風邪は引くし弱り目に祟り目である。母がやっと平熱に戻ったと思ったら、今度は儂の番。明日の朝、熱が引いているといいのだが。出雲はまだ医者が診てくれると思っているのだが。腰が痛いので今日はここ迄。

今年の冬は暖かくてもう雪は降らないのではないかと思っていたら、2月6日に積もると言うので期待して朝起きてみたらこの程度。
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これがこの冬初めての雪らしい雪なので、初雪と言えば初雪になるのか。
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畑もうっすらと雪化粧。          道路の雪はすっかり消えてしまっている。
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愛車のおんぼろ軽。三菱ミニカ。1センチくらい雪の布団をかぶっている。
右の写真はお昼に世話になっている神立食堂。激しく雪が降り出したので、いよいよ昼から積もるのかと思ったらすぐにやんでしまう。夕方にはほとんど融けてしまう。松江で14センチも積もったのが嘘みたい。30キロちょっとしか離れていないのに松江と出雲はずいぶん違う。
翌日からまた一気に暖かくなる。まるで春の陽気。花粉で目がかゆくなる。暖かいのは悪くはないのだが、冬らしい寒さの洗礼を十分に受けないで、暖かくなられるととても気持ちが悪い。
2月16日
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荒神様の清掃。毎月一回、総代と自治委員3人と町内委員3人が掃除をする。総代は毎回出て来て、自治委員と町内委員は順番で1人が出る。2月は町内委員の儂の番。寒い冬は嫌だなあと思っていたら雨上がりの生温い日で助かった。半紙に包んだ豆が沢山落ちていた。総代さんと二人で誰か豆まきしている人がいるんだねえと感心する。こういう掃除も止めるわけには行かない訳だ。
その夜から、強力寒気団がやって来て西日本や日本海側は大雪になるとの天気予報。
前回の雪で今年は打ち止め、もう雪は降らずにこのまま暖かくなるものだと思っていたので、俄然嬉しくなる。冬はやっぱり雪が降らないと冬とは言えない。やっと冬らしい冬になる。人も木も草も花も作物もきびいしい寒気にぎゅうっと締め付けられないと、暖かくなった時に爆発できない。
2月17日
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朝起きたらこんなもの。なあんだである。それでも今日はこれから日中に降るかもしれないと言うので、ボロ軽に長靴とスコップを積んで街へ出るも、時折り激しく降りはするのだがすぐにやんで積もる気配は皆無。そのかわり風は烈しく、冷たい。
毎晩、夕食後、7時前後からの散歩は続けている。雪は降らないが、風は強く、うなりを上げて吹き、寒気は身が縮み、震えあがるほど。こんな日は止めとけと言われるが、辛い事を避けるのは逃げるようで嫌なので、肚を決めて家を出る。いやあ、寒いのなんのって、散歩2年目だが今までで一番寒かった。風が強くて強くて、前に進まない。頭を下げ、鼻水を流しながら歩く。途中で雪も降り出す。今夜の大雪を確信する。天気予報では平地で10~20㎝降ると言っていた。
2月18日
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明け方にどーんと降って積もると思っていたらこの有様。松江では5㎝しか積もらなかったと言う。松江で5㎝なら出雲で積もるはずがない。奥出雲や北広島の山奥は積もったようだが、天気予報を見ると、雪雲は出雲をかすめて通り抜けたようだ。
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夕方の畑に雪は無し。この二日間、雪は大したことなかったが、寒くて風は強かった。その名残が上の傾いたキンカンの写真。強風でキンカンの木が傾いてしまった。
明日からまた暖かくなるそうだ。さすがにもうこれ以上雪が降るようなことはないだろう。去年に続き、今年もまた雪らしい雪のないまま冬は終わりそうだ。

朝6時半からお寺で修正会(しゅじょうえ)があるので6時前に起床。
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帰郷して8年目。これまでは妻が在宅。特養に入所してからは正月は外泊帰宅していたので参加できなかったが、今年はもう半年外泊してなくて、正月ぐらい外泊させてやりたいと思えども、もうとてもその元気がなくて、妻は初めて正月を施設で過ごす。そういう訳で総代を継いだこともあり、修正会に出ることにした次第。
家を出た6時過ぎはまだ真っ暗。今年は暖かかったが、この時間はさすがに寒い。
お寺(右の写真)も真っ暗。
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修正会(大般若祈祷)は正月三ケ日行われる。
数十人集まるが、女性が半分以上。毎年女性の参加者が多いそうだ。並べてある箱状の物が「大般若波羅蜜多経」の経典を収納するケース。
「般若心経」を3回唱えてから、「大悲呪」「白隠禅師和讃」を唱え、最後に「大般若波羅蜜多経」の転読をする。転読と言うのは膨大な経典を読むことが出来ないので、副導師が真言を唱えるのに合わせて、一巻ずつお経を扇を広げるように開き右から左、左から右へと折りたたんで行く。これを十巻(?)分繰り返し、読んだことにするのだが、初めてやったのでなかなかうまく開いてたたむことが出来ない。最後に法話を聞いて、梅茶をよばれて帰る。正味45分。後二日通う。三日目にはさらに11時から「総代世話人会」がある。総代と世話人が集まり、「修正会満散・檀信徒各家先祖供養」をした後、世話人会があり、今年の予定・決算報告をして、その後、お寺で昼食となる。
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11時前に特養へ行く。31日、1日、2日と連続して行く。3日も行ってやりたいけれど、お寺の行事があって行けない。少しでも正月らしいことをしてやりたくて、餅を持って行き海苔ではさんで食べさせる。ほぼ1個食べてくれる。数の子が大好物なので持って行く。
本当は地区の新年会の世話役をしなければいけないのだが、今年は喪中なので新年会には不参加だったので特養に来ることが出来たのである。
喪中なので正月はしないのだが、おせちも取らなかったので、正月早々、買い物に行かなければならず、イオンへ行ったら、神楽をしていた。奥出雲飯南町の飯南神楽団。出雲石見広島の山奥は神楽の国である。
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正月朝の犬の散歩
娘夫婦が犬を連れて戻って来てくれたので、朝夜は自分の散歩を兼ねて犬の散歩をしている。
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朝夜は寒いので重装備で出かける。大昔の分厚い皮のコートを散歩用にしているのだが、儂がこのコートを着るとワンコは行く気満々になって儂の周りをうろうろする。
右の写真は散歩の途中。雲の隙間から光のシャワーが降り注いでいる。雲の多い出雲特有の風景。朝夕や日本海、宍道湖に降り注ぐ風景は一見の価値あり。
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娘夫婦も今年の休日は長いので、三日連続で妻の見舞いに行っている。今日はおみくじを持って行き、「一人はみんなの為、みんなは一人の為」と読んで聞かせ「英語ではone for all,all for oneと言うんだよ。わかる、お母さん」と言ったら、妻は連れて来ていた犬に向かって「ワン for all,all for ワン」と言って笑ったそうだ。
今日の昼食介助の時は儂に向かって「225号室へ連れて行ってください」ばかりを連呼していたくせに。

明日も6時前に起きないといけないから、今夜は早く寝ます。


11月28日に妻の実家へ行く。
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熊本市の南の外れに近い川尻という町にある。2007年に義母が施設に入り、2013年に死亡。12年間無人。義母が入院中に1度頼まれて入ったことがあっただけで、震災後も家が心配だったが、妻の介護もあり、ずっと放っておいた。大正の末に建てられた料亭だったらしいが、もう限界に来ていたところに地震に襲われ、処分するしかなくなったのである。風雪のせいか、地震のせいか、壁板も落ちてぼろぼろである。鍵をなくしてしまい、救急の鍵屋を呼ぶ。鍵が錆びついているせいか開けられないので、横の窓を外して入るが、特別な料金がかかるとかで3万円も取られる。その上、鍵の交換に3万円、諸費用消費税をくわえて8万600円も取られる。その瞬間、ため息が出て、どんよりとした気分で内部に入る。
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 (上がってすぐの茶の間)               (仏壇の裏のトイレの壁)
義父の位牌が落ちていた。 茶の間の横のトイレの壁には大きな隙間が出来ていて外光が射し込んでいる。
位牌を仏壇に戻すだけでやっとであった。詳しく検分することもせず、ぼおっと見て回っただけで、2階へ上がる。
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 (座敷の廊下の窓)            (床の間の横)
サッシの窓は開いたままで、一枚は粉々に割れて、廊下にガラス片が飛び散っている。3年間もこんな状態で雨風が吹き込んでいたのかと思うと、どうして震災後にすぐに来なかったのかと悔やむ。自分の家ではないが、妻が育った家であり、子供たちが夏休みや冬休みに過ごした家である。人同様に家だって健康で元気でいてほしいではないか。床の間の横のガラス戸も粉微塵。この日は何もせず、何も触らず、ただ見ただけでどんよりとした気分で家を出る。頭の中は明日の応急修理のことで一杯。
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(御蔵跡)             (札座跡)

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    (鹿児島本線の鉄橋)
妻の実家の裏には加勢川が流れ、下ると港。昔は河川交通の要所。鉄橋の手前は船着き場。米蔵があり、藩札を発行した札座なるものがあった。夏休みに子供たちと魚釣りしたり、鉄橋の遠く向こうに上がる花火を見物した。バスに乗って帰ろうと懐かしい道を歩くがどこにもバス停がない。
大通りに出てやっとバス停をみつける。バス待ちのおばあさんに聞いたら昔のバス路線は去年廃止になったのだそうだ。道理でいくら歩いても停留所がないはずだ。世間話をしていたら、川尻が寂れた話になり、家が売れない話になる。「負け惜しみじゃないけれど、主人と話すの。家なんか持ってなくてよかったねと……ほほほほ」
笑い事じゃない。こっちの身にもなってくれ。
いいこともあった。儂が熊本の妻の高校の同級生に喪中葉書を出し、そこに熊本へ行くことを書いておいたのだが、その人がもう一人の同級生に連絡してくれて、玄関にその人の連絡先の紙を張っておいてくれたのだ。電話して近況報告する。必ず同級生と二人、出雲へ行くと約束してくれる。
11月29日
今日はため息なんかついていられない。根性を入れて、応急修理と出雲へ持ち帰る物の整理をしないといけない。市電で熊本駅へ出て、JRで川尻駅の隣の富合駅へ。ナフコ富合店で窓を塞ぐビニールや養生テープを買って、川尻へまたJRで戻る。
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(12畳半の2階座敷)
夏休みには全員ここで雑魚寝。子供たちの声が蘇り、布袋様のような大きな体を揺すって笑う義母の姿が浮かび上がる。一心不乱、サッシ窓の応急修理に精を出す。明日、出雲に帰るから、ため息をついている暇もない。
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窓の外からカバーにしていたベニヤを起こして紐で固定。内からはテーブルクロス用のビニールを張って雨風を防ぐ。
近所の「〇〇のおっちゃん」は妻の友人で、儂も熊本へ行った時は家族ぐるみで遊んでいた。その人が昨日の妻の友人との仲立ちをしてくれていて、今日は妻の小中の友人の、儂も知っている女性を引っ張り出して来る。昼は三人でそばを食う。有難いことだ。肥後もっこすで今は鴨撃ちで忙しいらしい。この家に興味を持っている人を連れて来て、今度家の中を見せると言ってくれた。でも、難しいと……。
そうこうしていると、不動産屋が検分に来る。いい柱や材木が使ってあると感心していたが、多分、古材としては売れないだろうと言う。昔は古民家の古材がブームだったが、今、熊本には古材が溢れかえっていると言う。震災で倒壊した家や、解体した家から山のように吐き出されたからだ。
古材を売ることなど考えないで、解体して更地にするしかないようだ。
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風呂場のヒビもすごい。
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階下の義母のベッドのある部屋の壁に子供たちが描いた絵が残っていた。色あせて消えかかっていた。娘が4、5歳の頃のもののようだ。
部屋を整理していたらアルバムが出て来る。妻の19か20くらいの写真も出て来る。きりっと前を向いて行進する写真。「ここに、未来が見えていない人がいる」ふと、そう思った。30年先のことは誰も分からないが、若い人だと残酷に思えてならない。
今回は最低限のことをした。もう一度来ないといけないだろう。

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