曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 出雲暮らし

9月後半に「1年検診」「半年検診」「3ケ月検診」怒涛の三連チャンがあった。
9月15日が島根医大で甲状腺の「1年検診」。数年前の健康診断で甲状腺に嚢胞のようなものがあり精密検査を受けろと言われ、3ヶ月検診を何回か、その後半年検診を何回か受けて、1年検診の3年目。変わりがないので検診期間が伸びている訳で、今回も大丈夫だろうと思うも余り気分のいいものではない。結果、無罪放免される。「これだけ変わりがなければいいでしょう。後はかかりつけ医に手紙を書いておきますのでそちらで診てもらってください」と言われて、やっと甲状腺検診から解放される。大丈夫だろうとは思っていたがまさか解放されるとは思っていなかったので、思わず胸の内で万歳する。これでもう医大に行かなくてもいいのかと思うと帰りの神戸川の土手道もドライブ気分。降りる所を通り過ぎてしまう。
9月24日が平田の総合医療センターで膵臓MRIの「半年検診」。
3回目の半年検診で、前回、前々回、膵管に出来ている腫瘍(?嚢胞みたいなもの)に変化なしが続いているのだが、さすがに甲状腺ほど安気にはなれない。35分縛り付けられて身動き一つできないのも地獄の苦しみだったが、3回目の今回は全然苦痛にならず。慣れたのかもしれない。
9月27日にMRIの結果が出る。MRIの写真を見せられ、嚢胞みたいなものが少し大きくなっていると言われる。確かに写真では小指の先っぽよりも小さい丸いふくらみが気持ち大きくなっている。
やっぱり膵臓は甘くなかったかと思ったら先生曰く。「中の液が増えてふくれることもありますから
あまり気にしなくていいです。これが大きくなったら(親指大より大きく)手術しないといけません」
「僕はまだ癌じゃないんですよね」
「はい、癌ではありません。ま、曽田さんはこのまままっとうできますよ」
と、妙な慰め方をされて狐につままれた気がする。
そりゃあこのまままっとうできるならそれに越したことは無い。嬉しいのだが、現に膵管に小といえども腫瘍のようなものはあるし、大きくもなっているのに本当に大丈夫なのだろうか。2年半前に膵臓の異常が見つかり、カナダまで血液を送って検査を受けた結果99%の確率で膵臓癌になると判定された。
あの自信に満ちたカナダからのお墨付きは一体何なんだと言いたくなるではないか。
思うに自分が自信を持って言えることはただ一つ。
この2年間、徹底した自己節制をして来たからではないかと言うことである。この自己節制だけは大威張りできる。1回の脂質が10g、一日の脂質が20g以下になるように気をつけ、油は断ち(最近はほんの少しは使っている)、焼き肉、ステーキ、ハンバーグ、とんかつ、すき焼き、しゃぶしゃぶ、中華、てんぷら、うなぎ、ピザ、コーヒー、ビール等々一口も口に入れていない。魚と野菜中心だがトロやブリは脂質が高くてアウト。外食の最大の贅沢が「スシロー」と「出雲そば・羽根屋の五段割子」なのだからその節制ぶりを察してほしい。
そのおかげで膵臓が鳴りを潜めていると思っているのだが、今回は先生に確認をとれず。実は儂の診察の前に一人で30分も話している患者がいて、廊下で待たされた患者がぶうぶう文句を言っていたのだ。
わしも相槌を打っていた手前、あまり長い時間先生を独占するわけには行かなかったのである。来年、3月に引き続きMRIがあるので、その時にでも確かめようと思っている。
そして、9月29日が前立腺の「3ヶ月検診」。おしっこの検査があるので貯めて来てくれと言われていて、漏れそうになるのを必死に我慢して検査を受ける。容器におしっこをしてその勢いを計測する。その後、超音波でおしっこの残りを検査する。
「あっ、残ってませんね。いいですね」
この3ヶ月の様子を問われる。例によって、7、8、9月の記録を見せる。
9月分(7、8月分は省略)

12時過ぎトイレに行って就寝   7時起床してトイレに行く

 

 

1日(9月)                     5:00         〇
2
日                            5:50     〇
3
日           2:30              5:40
4
日                3:20              6:40
5
日               3:10            6:05

6日                        5:00        〇

7日                        5:00        〇
8
日                      4:35         7:00

9日            2:40              5:50
10
日            2:40                 6:20
11
日         2:25                 5:50
12
日                3:30               7:00
13
日                              6:15  〇
14
日               3:00             6:10
15
日             2:40                 6:30
16
日                3:25               6:45
17
日                              6:00  〇 
18
日            2:30   3:35             6:30
19
日            2:30                 6:20
20
日               2:55                6:35
21
日                               6:20  〇

22日                            5:45     〇

23日                          5:10       〇

24日                 3:10                〇

25日                    3:55          6:15                        
26
日            2:20       4:00 4:45        7:00
27
日                       4:30          〇
28
日                                6:10 〇

29日                          

30日                          

31日                               

 

 〇がついているのが夜中に一回だけ起きた日。一回だけでも7時に起きてすぐにトイレへ行った日は当てはまらない。多少はよくなっているのかなあと言う感じである。この3ヶ月はタムスロシン(尿を排泄しやすくする作用あり。前立腺肥大に伴う症状{頻尿、残尿感}を改善する)を服用していたが、10月からはこれに加えてデュたステリド(男性ホルモンの働きを抑え、前立腺の肥大に伴う症状を改善する)と言う薬が出る。先生は前立腺を小さくする薬だと言っていた。果たしてどうなることやら。これも長くなりそうだ。

娘夫婦に、今日31日、孫が生まれた。結婚して6年、娘の場合、結婚した時が30歳を過ぎていたし、障害があるので子供は無理なのかなと思っていたので、1月の半ばに身ごもった知らせを受けた時は驚いた。2年前に豆柴を飼い始めた時、子供は諦めたのだなと思っていた。嬉しかったが、娘が慎重で何があるかわからないから、安定期が来るまでは誰にも言わないでくれと言うので、春になって娘からOKが出るまでは妻にも母にも妹たちにも黙っていた。OKが出ても前記4人以外は誰にも言わないでいた。病院は車椅子の妊婦を何人も診ているというので安心していたのだが、もし何かあったらと思うと8月31日帝王切開と決まっていも、コロナもあるし、毎日が心配でこの日を指折り数えて待っていた。

男の子であるが体重は聞いていなかった。動画では元気な声で泣いていた。今は超音波で順調と分り、性別もわかり、帝王切開で手術時間もわかっていても不安なものである。特に今年はコロナ禍でありはらはらどきどきさせられていたので婿さんから連絡を受けた時はほっと胸をなでおろし、すぐに妻の特養と母のグループホームに生まれたことを伝える。
本当にコロナには神経を削らされた。娘の場合は翻訳の最終のチェックも重なり大変だったと思う。
今でこそ千葉の気の毒な赤ちゃんの事件があって妊婦とその家族は優先接種できるようになったが、娘夫婦の場合は優先接種どころか、まだ医療従事者や儂ら高齢者が優先の頃で、妊婦には射ってもいいのかどうかわからない頃だったのだから本当に自宅で息をひそめている状態だったのである。
幸い娘夫婦は二人ともホームワークになったが、婿さんは週に一日は新宿まで出社しなければいけない。儂は毎日、東京の患者数をチェックしては、菅や小池のおばはんを罵倒し、呪い続けていた。心配が高じて分子マスクと言う一枚4000円以上するマスクを夫婦に2枚ずつ4枚送る。金のことなど言ってはおれん。
だが、末端の行政は援助の手を差し伸べてくれた。江戸川区では障害のある妊婦のためにヘルパーを派遣してくれた。食事や入浴や身の回りの手伝いをしてくれる。出産前から始まり1年くらい世話をしてくれるのかな。本当に助かる。婿さんもしっかり育休をとり1年休職する。
ワクチン接種は婿さんは8月23日に江戸川区の予約が取れて第一回は接種済み。娘の場合は妊婦の優先接種で退院前日に第一回の接種を受けることが決まっている。これは正直助かった。
しかしながら、コロナ禍の出産は大変だ。婿さんは赤ん坊に対面できたのは今日の小一時間だけ。娘は退院するまでの一週間は面会謝絶。差し入れも禁止だ。
こんな状態だから、儂も上京は諦めている。不要不急の上京は島根県でも控えるように言われている。
儂も娘夫婦も接種していると言っても、どこで赤ん坊にうつるかもわからない。
赤ん坊のコロナ患者は随分いる。自宅療養すればこうなることはわかっているのに。この国では我が身は自分で守らないといけないのだ。
すると、菅や小池も言う。「我が身を守るつもりで行動してください」と。それっておかしくないか。やるべきことをやらないでおいて。
孫よ。君はこんな時代に生まれたのだ。
娘が大学2年生の頃だったか儂に突然こんなことを言った。
「お父さん、私が一番なりたいものなんだかわかる。笑うかもしれないけれど、私が一番なりたいのはお母さんなの」
妻が倒れた後のことだったと思う。
娘は一番なりたかったお母さんになれた。そういうお母さんに育てられた子はきっと優しい子に育ってくれると信じている。

【追記】
「今日、ワクチンを打っちゃいましょう」と言われて、今日、第一回目のワクチンを接種したそうだ。
ありがたや。

「これだけ熱が続いたら抗原検査を受けて下さい」と電話で相談した主治医に言われたのが、8月2日の朝。受付前の8時半。追加の風邪薬を出して貰らうつもりだった儂は「ええっ、抗原検査!」。
予想だにしていなかった言葉に愕然となる。

7月26日。午後イオンのいつも喫茶店でPCに向かっていたがどうにもやる気が起きない。体もだるい。体が熱っぽい気もして夕方帰宅して体温を計ったら37.2。すぐ主治医に電話したら患者が少なくなる6時過ぎに来いと言う。行ったらすぐに隔離部屋に入れられ、そこで診察、3日分の抗生剤(1日2回朝夕服用)を出してもらう。この時はせきも痰もなかった。支払いもすべて部屋で済ませ、薬局も車で待っていたら薬剤師が持ってきてくれる。
ワクチン済ませていてもこんなに対応が厳しいとは。儂はただの夏風邪だと思っていたのだ。前夜、寝苦しくてベッドの頭の上にある窓を少し開けて寝た。エアコンが嫌いなので軽い気持ちで窓を開けて寝たのだ。明け方、ちょっと寒いかなと思ったぐらいだったが午後から具合が悪くなった。ウオーキングを始めるまでは季節の変わり目に必ず風邪を引いていたのだが、2年前からは一切風邪を引いていない。油断があったのかもしれない。
7月27日。36.9~37.1
7月28日。36.6~37.0
7月29日。朝起きたら36.0。朝飲んだ薬が最後。誰でも治ったと思うだろう。実は儂は3日分は少ないかなと思っていて本当は4日分くらい欲しかったのだが、追加でもらえばいいと思っていたのだ。ところがこの日は木曜日で、診察は午前中のみ。もし薬がほしけれ明日でもいいかと、この日は朝以降は薬なし。
7月30日。朝。36.6。微妙。ところがこの日は庭師が来る日。普通は平熱扱いされる体温だから「ま、いいか」と庭師対応。松の手入れだけはどの家も先に済ませる。我が家もかなり前に松その他を済ませていて、この日は残りの手入れ。10時と3時のお茶出しの他に、今回はハプニング。生垣の中にドッジボール大のスズメ蜂の巣を発見。儂は急遽ホームセンターへスズメ蜂退治のジェットスプレーを買いに走る。ひとしきり炎天下スズメ蜂退治に付き合う。
夕方熱を測ったら37.6。庭師もスズメ蜂退治で手間をとられ、今日中に終わらせようと焦っているのに、今から病院へ行ったら終わるまでには戻って来れないかもしれない。37.6は体温測定ではぎりぎり平熱扱いされる温度なので我慢する。
夜、9時過ぎ37.5。明日は土曜日。土日は医者にかかれないと思うとさすがに不安になり、10時前、閉店間際のドラッグストアに駆け込み、頼りない若い薬剤師(だと思う)のお姉ちゃんに相談して解熱剤を買う。
7月31日。朝、36.7。10時からは娘が出演する「私が人間であるために」のオンライン対談。何とか無事に視聴。午後からは37に上がるも後はずっと36台後半。だが、なんとなく咽喉がいがらっぽく、軽い痛みを覚える。昨夜の若い薬剤師がなんとなく不安だったので急遽個人薬局のベテランのおばさん薬剤師に相談する。せきと痰の薬を購入する。熱がそんなに高くないのに解熱剤は使わない方がいいと言われてその日の夕食後からせきと痰の薬。
8月1日。終日、37台後半。せきと痰の薬と解熱剤は併用するなと言われていて、解熱剤を飲んだものかどうか判断ができず。2日(月曜日)になったら朝一に主治医に電話しようと決める。

と、話せば長い、こんな顛末があっての8月2日の朝だったわけである。確かに熱は続いたがきちんと服薬していた訳ではないし、スズメ蜂退治をしたりの事情があったのだが、先生に抗原検査を受けろと言われたら従うしかない。
この近くでは抗原検査をしている病院は2か所しかないので、近い大社の病院に行く。ここは個人病院だが駐車場にテントのワクチン接種会場を設置している大きな病院。電話して行き、駐車場で車に乗って待機する。熱があるので長時間待たされるのが心配だったがしばらく待っていたら防護服を着た先生がやって来て窓越しに鼻に綿棒を挿入、鼻水を採取して引き返す。15分待ったら電話があって「マイナスです」。ワクチン打ってるしプラスのはずはないと思っていても胸をなでおろす。薬も出してもらう。抗生剤とせき痰の薬。解熱剤を出してくれる。
午後37.9になった時、解熱剤をのむ。夕方36.7まで下がるも夜は37台前半。夜遅くもう一錠解熱剤をのむ。
8月3日。起床した時が37。この日は高くなっても37を越えることなし。
そして、今日
8月4日。終日平熱。夕方には35.4をたたき出す。今は36.5あるが、たまに35台が出るのがいつもの自分である。終日気分も全然違う。明日一日薬を飲み切れば大丈夫だと思う。
たかが夏風邪で今日が10日目。ドタバタがあったり土日を挟んだとはいえ夏風邪でこんなことになったのは初めてのことだ。
教訓。このご時世うっかり夏風邪も引けない。抗原検査を受けさせられる羽目になる。微熱とは言え抗原検査に出向くのは辛いものがある。皆様、御身大切に。
医者も大変だ。発熱患者が来るたびに別室に隔離して診察しなければならない。抗原検査をする病院も患者が来るたびに防護服を着て駐車場まで出て検査しなければならない。コロナ対応の初期の段階だけでもこれだけ余計な手数がかかっていることを身をもって知った。
加えて儂は独り身の不安も少しだが味わう。
コロナと診断され在宅医療を余儀なくされている人、その中でも独り身の人はどれだけ不安なことだろうか。儂は土日の二日間、医者に診てもらえないことがどれだけ不安で辛かったか。それでも儂は薬局には行けたが、コロナで寝たきりの人は電話しかない。その電話もすぐには通じないという。それなのに政府は悪くなるまで家で頑張れと言う。悪くなった人に何度も電話をかけなおせと言うのか。こんな三才の童子も呆れるようなたわ言で急場をしのごうとしている。パラリンピックもやる気でいる。病人そっちのけのお祭りは続く。戦いすんで日が暮れて、どんな風景が広がるのでしょうか。

毎年7月19日の海の日が長浜海岸の海岸清掃だが、今年は19日の海の日がオリンピックのためになくなったので今日18日が海岸清掃。去年はコロナで中止。その前年は父が死んだ年で参加する気にならずお休みしたので丸三年ぶりに長浜海岸に来る。朝、5時過ぎに起き、隣のMちゃんの軽トラに乗せてもらう。
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6時集合なのに早々と着いてしまう。小学生も参加。低学年は父親が連れて来る。3年ぶりに来るとギョッとするような看板が迎える。こんな看板は3年前はなかったはず。
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園の長浜(国引きの浜)から石見側を望む。
6時から全員集まって挨拶があり、それからごみ拾いが始まるのだが、今年はコロナで密を避けるため挨拶はなし。集まった人からごみ集めを始めてくれと言われて軍手とビニール袋を渡される。
Mちゃんと「こんなことならゆっくりくればよかったな」とぼやきながらごみ拾いを始める。曇っていたのが救い。
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大社、日御碕方面。
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海は穏やかできれいに見えるが浜は相変わらず。ゴミを拾うために腰をかがめているとくたびれが来て愕然となる。繰り返していると辛くなってしゃがみこんだまま手近なゴミを拾い集める。Mちゃんはゴミ拾いをしなくていいようにバリン(島根では箒をバリンと言う)でゴミをかき集めるだけ。だが、「バリンで掻いても(ゴミは)砂の下から出て来るけん」と、ぼやいていた。「かたい土の上を歩くのは平気だけど、柔らかい砂の上を歩くと疲れるが」ともぼやく。言われる通りだ。3年前はそんな会話はしなかった。近所の人も歩くのが辛くて休む人が何人も出てきた。
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帰りにハマボウフウ再生プロジェクトの看板を見る。小学校と農林高校の生徒たちが取り組んでいる。こういうのを見ると気持ちがいい。ハマボウフウを三杯酢で食べるとおいしいのだが近年口にしたことはない。皆が守っているのだなあと実感している。
「疲れた、疲れた」と帰りの車の中で「ひろちゃん、よかったなあ、体育祭中止で」「ほんと、もう嬉しくて、嬉しくて」
儂は隣保の役員で体育祭委員になっていたのだが、これが頭痛の種。去年コロナで中止になったので今年も中止にならないかそればかり祈っていたのだ。体育祭に出場してくれるようお願いに回らなければならないのが苦痛でならなかったのだ。
帰宅してシャワーを浴びてコテンと一時間ほど寝る。
午後は荒神谷博物館の「風土記談義」に出席する。
昨日から歴史資料等とは全く畑違いのあるアメリカ人女性(同年齢)の自伝を読んでいる。時代小説や資料以外の本を読むのは10数年ぶりのこと。今日中に読み終えたい。

昨日はむっと暑くなり、もう雨の記事を書くことはあるまいと思っていたがまた書くことになろうとは。
雷鳴で目を覚ましたのが7時前、明け方から降っているのは夢うつつにわかっていたのだが、ドーン落ちるやざあっと降り出す。慌ててパジャマ姿で飛び出す。70過ぎた爺さんがダッシュでカーポートに。カーポートでこの二日ほどジャガイモを乾かしていたのだ。この猛烈な雨が吹き込んだら折角乾かしたのにずぶぬれになってしまう。ピカリ閃光で目の前が真っ白になるや、バリバリドカーンと落雷。思わず年甲斐もなくひえっと叫ぶ。怖かった。こんなに怖い雷は初めてかも。間断なく光っては落ちるのだから。命からがら3ケースのジャガイモを玄関に運び込む。
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あっという間に池も溢れる。大雨が降った時溢れることはよくあるがここまでは溢れない。
朝食を食べ終わった頃、突然、停電。すぐに回復したがPCを開くとネットがつながらない。普通ならここでパニックになるところだが、実は先週金曜日に今のPCがアホになったので買い換えていた。今日は午後1時にヤマダ電機のサポートの人が来てPCの初期設定してデーターを移してくれたり色々やってくれることになっていたので1時まで待つことに。
その間、儂は特養へ妻の面会。9時半に予約していたので9時過ぎに出かける。幸いこの時間は車軸のように降っていた雨が少しおさまっていた。ところが面会を終えてスーパーに寄り昼飯を買って出たらまた猛烈な雨と雷。ワイパーが役に立たない。前が見えない。大社高校の前の道に少し冠水しているところがあり、車が突っ込むとウオタースライダーみたいに水しぶきが上がる。9時半予約にしていてよかった。いつものように11時に予約していたら行くか行かないか迷ったことだろう。一番ひどい12時前にヤマダ電機の担当から電話がある。「車は走れますか。道は大丈夫ですか」
「大丈夫です。僕は〇〇まで往復したけどへっちゃらでした。うちの近所は今まで一度も水が出たことはありません」と大嘘を突く。延期は困る。だってネットもつながらないのだから。嘘をついて騙してでも来てもらわないと困るのだ。
12時過ぎ、小止みになったので外を見に出たら駐車スペースがプール状態。庭も半分くらい水が溜まって歩けない状態。嘘をついて心が咎めていたので担当に電話。事情を話して、「長靴で来てください。長靴がなかったら、着いたら電話ください。僕が長靴をもって出ますから」「ご親切にありがとうございます」恐縮された。
ところが1時にはぴたりと噓のように雨がやみ、駐車スペースの水も庭の水もあという間に消えた。
長靴無用。担当さんがPCをいじりながら話すにはヤマダ電機の周辺は田んぼの水があふれ、周辺の駐車場も水があふれひどい状態だったらしい。かくしてPCはこうして使える状態になっている。
ネットが切れたのも雷で停電したせい。雷で停電したときはもっとひどいことになる場合もあるそうだ。
夕方、母が暮らすグループホームから電話があり、ホームでは避難準備し出発直前まで行ったが雨がやんだので避難はしなかったそうだ。そう言われて考えてみたらホームは新内藤川の南だが、神戸川と言う新内藤川とは比べ物にならない大きな川の北に位置していることに気が付いた。
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夕方には池の水も少し引いた。食後のウォーキングもできた。これでこの梅雨最後の雨にしてもらいたい。

7月13日 中国地方梅雨明け。

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