曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 出雲暮らし

4月の健康診断で便潜血反応があった。
2回のうちの1回に反応があったのだ。これまでにも、20年以上も昔、2回とも反応があったことが2年続けてあり、大腸検査をしたが異常はなかった。その後、ずっと長い間、反応はなかった。3年前の検査で今回同様2回の内1回に反応があったが、何かの間違いだろうと放っておいた。すると翌年の検査では反応なし。やっぱり何かの間違いだったんだと思う。そういう訳で今回もどうせたいしたことはあるまいとたかを食っていたら、先生(儂の膵臓の主治医)に「2回のうち1回反応があったら絶対に検査を受けなければなりません」と言われる。
もし、ポリープがあった場合、切除してクリップで血止めをする。その金属のクリップはすぐに取れて体外に排出されるのだが、なかなか取れなくて残っている場合がある。体内に金属があると、MRIで膵臓を撮影出来ないので、予定しているMRIの日取りにも関係してくると言うのだ。
話を聞いているうちに次第に嫌な予感がして来る。
検査日は母のグループホーム入所があったので延びて6月16日になった。いい加減な気持ちで受けてはいけないような気になり、真剣に取り組む。病院の売店に大腸検査を受ける人が前日の昼と夕に食べる食事セットを売っていたので、儂は前日と前々日と二日分を購入する。店員は「たまに二日分買われる方はいますよ」と言っていた。
時代は変わった。こんな検査用の食事セットを売っているなんて。昔、検査を受けた時とは雲泥の差である。
それでも念を入れて、儂は4日前、3日前から食事制限に入る。普段から肉や油物は取らないし、脂質制限の食事をしているから、これくらいのことは苦にならない。意外な所で役に立つ。
お陰で当日はがぶがぶ水?を飲んで、早い者順の競争になるのだが、4日前からの対策が功を奏し、ダントツのトップで一抜けし、一番で検査を受けることが出来た。
モニターを見ながら自分の腸内を見るのだが、当初の不安は次第に薄まる。儂の腸内、実に奇麗なのだ。うっとりとみとれるくらいすべすべしている。もうすぐ終わりだから頑張ってと女医さんの声。「やったね、もう楽勝だ」と、ニンマリした時、「あ、最後にポリープがありました。一番奥に」「ガ~ン」
しかも映し出されたポリープが儂の想像していたものとまるで違うのだ。儂はポリープは赤いふくらみがぽちっとあると聞いていたのが、こいつは赤黒く、ぶよぶよで、たとえて言うなら小さなホヤのような形状なのである。
ため息が出る。まともなポリープではない。こいつがガンでなかったら、何だと言うんだ。場所は小腸の一番奥、盲腸の入り口のすぐ上であった。その場で切除され、ポリープは病理検査に回される。
儂はその日は病院に一泊。
そして、今日7月7日の七夕が検査結果が出る日。大腸ガンの宣告を覚悟して行く。だって、この間、裏のMちゃんの奥さんに聞いたら、「赤いのが三つほどポチポチとあって、切り取って終わりよ。どうってことないわよ」と、言われていたのだ。誰に聞いても赤いのがポチポチ。儂のはどうみてもどうってことないようには思えない。
問題はステージが幾つなのか、転移はしているのか、ポリープは取ったのにまだ手術するのかしらんとか、ドキドキしながら診察室に入る。
「ああ、良性です」
思わず耳を疑う。「あんなにグロテスクだったのに」
先生曰く。「炎症性ポリープと言う珍しいポリープです」
と、いう訳で一件落着。
レントゲンで見たら、まだクリップが残っているので、すぐにはMRIは撮れそうもない。改めてレントゲンを撮ることになる。

母をグループホームに入れてしまったので突然ひとりぼっちになってしまった。グループホーム新設の話は去年から聞いていたが、まだ少し早いかな程度にしか考えていなかった。ただ、暮れに二度転び、二度目は顔を強打し、お岩さんになってから不安になり、今年になってホーム完成が迫り、いよいよ入居者募集の段になるとここを逃すと次はないと強迫観念に駆られ、えいやっと決めたから、自分としてはこんなに早くひとりになるのは想定外だった。一人には広い静かな家にポツンといると、叱ったり、文句ばかり言っていた日々があったのが嘘のようで、寂しくなったと思う。母と二人で穏やかなr老後が理想だったが認知症の相手は限界だったかなと自己弁護する。後々あの時決断しておいてよかったと思う日が来ると言い聞かせながらうしろめたく過ごしているが、母がいなくなって一つだけ助かったことがある。
それは食事の世話である。毎日のメニューを考えるのが苦痛で苦痛で。儂の低脂質の食事改善メニューと入れ歯の母が食べられるものを、朝食は決まっているので、昼は週4回、夜は毎日考えないといけない。儂が食えても母は食えない。母が食えても儂には脂質が高過ぎる。結局、いつのまにかメニューは固定してしまい、それをぐるぐると繰り返すだけの変化のない食卓になってしまう。肉は鶏ササミと豚ヒレ。魚は焼くか煮るか刺身。たまにホイル焼き。野菜は煮るかサラダ。油は一切使わない。
豚ヒレは焼いてオイスターソースで味付け、ササミなんてメインのメニューが考え付かないので、スープに入れるかサラダに入れる程度。スープやサラダならサラダチキンの方がいい。この春には万策尽きた観あり。
ところが春の終わり、グループホームとの打ち合わせを進めている頃、スーパーを回っていて、トンテキのタレやポークジンジャーのシーズニングなるものを見つける。
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左からトンテキのたれ、ポークジンジャー、レモンペッパーチキンのシーズニング。
トンテキは豚ロース、ポークジンジャーは豚薄切り肉、レモンペッパーチキンは鶏ももを使うのだが、儂はこれをすべて豚ヒレ肉を使った。鶏ももの代わりにはササミを使った。それで食えないことはない。ちゃんと食えるのだ。まずくはない。美味いと叫んでもいいぐらいだった。タレは作る必要がない。みんなビニール袋の中で粉にまぶし、あとはフライパンで焼くだけである。これは楽だった。おかげで一気にレパートリーが増えた。ササミと豚ヒレだけでも生きて行ける。
さらにポテトサラダやスープ仕立てのサラダも見つける。右の写真。
ポテトサラダは脂質が高すぎて一生食えないものと諦めていたが、イオンのプライベートブランドの「カロリー30%オフ・ポテトサラダ」だと、脂質は3.7g。一年ぶりに食ったら涙が出そうなほど美味かった。「スープ仕立てのサラダ・生姜白湯ソース」は、自分で切った野菜にパックに入っているものかけて、熱湯を注げばいいだけのスープサラダ。畑で出来たレタスと玉ねぎでお手軽にできる。
さらに、ササミのおすすめメニューも発見。これは山陰新報の料理欄に載っていたもので、
鶏ササミ250g
鶏もも肉350g
塩麴大さじ5
みりん大さじ3
食べやすく切ったものをタッパに並べ、塩麹とみりんまぶして冷蔵庫に放り込んでおけば、食べたい時にいつでも焼いて食える。時間がある時に下準備しておけばよい。手間がかからなくていい。儂は鶏ももを食えないので全部ササミで作ったが、これが実にうまかった。ササミでもこんなに美味しく食べられるのかと感動した。量も多かったので2日分のおかずになった。母がいなくなったので、一回に作ったおかずを二日間食える。これも料理の負担を減らしてくれる。スープをたっぷり作ると三日間飲める。
イオンで冷凍食品の優れものも見つけた。
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左から「するめいかと里芋の煮物」「(赤魚)アクアパッツア」「えびとブロッコリーのバジルバターペンネ」「いかの酢豚風黒酢炒め」どれも脂質は許容範囲。
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早速、「するめいかと里芋の煮物」をフライパンで炒めて作る。母が金属たわしでごしごしダメにしたフライパンだが、フライパン用ホイル・クックパーを使えば簡単に作れる。油の使用量を減らすためにどうしても油を使わなければいけない時はいつもクックパーを敷いている。油の量は三分の一でいい。これも二日間食った。
少し余裕が出たので、ぬか漬けに挑戦する。漬物は嫌いだが、ぬか漬けなら栄養があるときいたので試してみようと思ったのである。
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ぬか漬けパックの中に漬け込んだのはトマト。もちろん儂が育てているトマト。ぬか漬けにする時は緑のトマトを漬けると聞いたので、麗夏とミニトマトを漬ける。糠に埋め、空気が入らないように封をし、48時間冷蔵庫に入れる。期待に胸を膨らませて取り出し、切ってみたが固くてとても食えた代物ではなかった。ぬかの味もしない。トマトが早すぎたのかもしれない。もう少し育ったトマトでチャレンジしてみようと思う。

8時ごろ、14日に受ける健康診断の問診票を書いていた時、速報が流れる。なんだろうとTVを見たら、島根県にコロナの初感染が発生したのテロップ。10代の女性としかまだ分からない。ああ、と思わずため息が出る。ついに出てしまったかと。残る三県のうち島根県が最後だと信じていたのだが、防ぎきれなかったとは。実に残念、というか無念と言うか。悔しい。昨日の地方ニュースでは鳥取の若い女の子が鳥取は人が少ないからと笑っていた。島根県も似たようなものだから大丈夫だと思っていたのだが、どういう経緯で感染したのかはまだ分からない。明日になればもっと詳しく分かるだろうが、ここまで頑張っていたのに本当にもったいないと思わないではいられない。後はこれ以上広がらないことを祈るのみ。
これで特養の面会制限はまた延びることになるだろう。それを思うと本当に切ない。歯磨きはどうなっているのか、マッサージはしなくても身体は大丈夫なのかと、心配なことは一杯ある。先週も差し入れを届けに行った時、食欲がなくて二日ほど点滴をしたと言っていた。お願いだからこれ以上広がらないでと祈る気持ちだ。
知事も帰省をしないでくれと要請している。まじで観光客も来てほしくない。
5月13日は父の一周忌。先月からどうしようかと悩んでいたのだが、昨日の東京都などに非常事態宣言が出たので、姉妹と親戚は呼ばないことに決めた。妹の一人は神奈川、もう一人は福岡。これでは呼ぶわけには行かない。
親の親戚は鳥取と島根県だが、なんせみんな揃いも揃って高齢。島根でも感染が出た以上、これから一か月後にはもっと状況は悪くなっていると思われ、とてもじゃないが呼べない。年寄りなので出ると言い張るかもしれないが断るつもりでいる。母と儂の二人だけで、お経をあげて貰うことにするつもり。直会もしない。和尚さんにはお食事料を包んですませようと思っている。
先月31日にショートステイから戻って来た母が熱を出し、治る迄一週間近くかかった。その間、家を一歩も出られず、腫れ物に触るように面倒見ていたら、4日に儂がおかしくなり、6日に病院へ行って風邪薬を貰う。5日に溝掃除をして激しい腰痛に襲われ、昨日まで喘いでいたが、今日になり腰も風邪も良化、なんとか散歩に行けるまでになったが、さすがに全コースは歩けず、途中で引き返す。
10日ほど引き籠りしていたのが、やっと解放されたのだが、畑や自治委員の仕事がたまっていてこれがまた大変。
ところで、前回、町内委員の初仕事を書いたが、町内委員は自治委員の間違いでした。儂は去年が町内委員で今年から自治委員に昇格?したのであった。こんな無知であるから先が思いやられる。
腰痛が治まり、風邪も三日で治まったのだから、これからコロナにだけは用心して頑張りましょう。三密のコメダ珈琲はやばいかもしれない。しかし、カフェインレスのコーヒーが飲める店はコメダしかない。困った。
それにしても、思うのだけど、非常事態宣言、遅過ぎないか?
アベノマスクが送って来たらどうしようかと思っていたら(意地でも使いたくないのである)、どうやら島根県などは後回しらしい。

4月10日追記
感染者は松江市の女子高生と公表される。学校名も公表される。先月19日に診療機関にかかり、3回通っても改善されなかったので、検査して昨日感染が判明。春休みに入るまで数日登校。新学期にも登校したと言うから濃厚接触者は随分になるのではないだろうか。女子高生に染した人がいるのではないだろうか。山口県では大阪に出張して、北のクラブで染されたサラリーマンがいたと言うから。誰か都会から持って来た人から染されたような気がする。
それにしても19日から9日まで放置されていたのは長過ぎるのではないだろうか。何だか増えそうな気がする。

朝のニュースで山口の秋芳洞が閉鎖すると言っていた。儂は松江城も出雲大社も鳥取砂丘や水木しげるロードも閉鎖すべきだと思っていたのでいいことだと思う。連休に観光客は来ない方がいい。

4月11日追記
昨日、島根は2人になったと思ったら、今朝は5人。昨日は女子高生の母親と発表されたのだが、増えたのは母親が働いている飲食店の客。結局、女子高生は飲食店の客→母→女子高生とうつされたのか、あるいはこの女子高生はバスで大阪に行っているので、大阪で貰った可能性もある。増えそうな予感が当たってしまった。
昨夜は島根で出た途端、鳥取でも1人感染と発表。60代男性。
今朝になって、この人は砂の美術館の彫刻家たちのアテンダントと分かる。砂の美術館ではヨーロッパから砂の彫刻家を20人くらい毎年呼んで砂像を作っている。今年はコロナがはやっているので来ない彫刻家がいるというニュースは聞いていたが、それでも呼び寄せて作っていたのだ。もし内部での感染だったら、箱モノを優先した誹りは免れまい。結局、閉鎖せざるを得ないことになったのに。閉鎖が決まったとは聞いていないが、閉鎖せざるを得ないだろう。
松江城は昨日閉鎖になった。堀川遊覧船は以前より休み。小泉八雲の記念館なども一斉に休む。浜田市の水族館も休み。
問題は出雲大社だな。神社仏閣は休みそうもないからなあ。逆にお参りしたら御利益があると言い出しかねない。境内は広いかもしれないが、土産物屋はおしくらまんじゅうである。大社参りしてコロナになったら本末転倒である。考えて欲しい。連休にコロナ疲れの息抜きに来た観光客にうつされる方の身にもなってくれと言いたい。

ネットのニュースで松江の感染は女子高生がアルバイトしていた飲食店(店名公表)のクラスターと分かる。昨日までは母親が働いていた飲食店と伝えられていたのに、コロコロと話が変わる。不確かな情報であれこれ語るのは良くないので、この項はここまでとします。感染者は6人になってしまった。この店に通った人は申し出るようにと通達されている。

4月から令和2年度の新町内委員の仕事が始まる。昨年度は自治委員で町内委員の付録みたいなものだったが、4月からは万事仕切らなくてはならない。田舎の約束事や決まり、市役所と地区との間にどんな決め事があるのかなどなど知らないことばかりなので、いちいち人に聞いてやらないといけない。一年が早や長く感じられる。
4月第一日曜日は溝掃除と決まっている。
母の風邪をうつされたのか昨夕37℃ちょっと熱が出て、慌てて葛根湯を買って来て服用。今朝は熱を測らずに溝掃除に出る。熱があると気持ちが滅入るのであえて測らず。休んでも良かったのだが初日から休むのもはばかられる。8時から開始なのだが隣近所は8時前から出ている。
母に食事を出し、薬を飲ませたりしていたので少し遅れて出る。
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左の写真はわが家の前の雨水桝。8時に出るのが難しいので昨日のうちにすませた。
右の写真は我が隣保を出た通り。映っているのは隣の隣保の人たち。この道の左側(塀沿い)は我が隣保の担当。早々と終了。
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左の写真は我が隣保の東半分の土嚢袋。後日、市が回収に来る。昨日までの暖かさはどこへやら。寒かったが雨が降らなかったので助かる。帰宅して検温したら37.4℃。葛根湯を飲む。一休みしたら午後には35.4℃に下がる。葛根湯で治ればいいのだが。17時には37.6℃。
右の写真は平成4年から令和元年迄の、町内委員会の毎月の綴りと隣保の集金会の毎月の綴り。50冊以上ある。誰かがもう処分しようかと言ったのだが、誰も積極的に賛同しなかったので、皆、持て余しながらも毎年引き継いでいる。預かっても一年間のことで、次に預かる迄12年あるから我慢している。
儂はこの後、今日の溝掃除に参加した13名の名前を書き出して町内委員長に届ける。委員長はそれを市役所に提出すると、一人千円支払われる。集金会の時に配る。
段ボールの上の風呂敷包は隣保で葬式があった時の必要書類が入っている。昭和20年代からの記録があるから、葬式の変遷などを知ることが出来る。
腰が痛い。重い土嚢袋を運んだり、中腰になってどぶ浚えしたせいだ。痛くて痛くてしゃがむことも出来ない。風邪は引くし弱り目に祟り目である。母がやっと平熱に戻ったと思ったら、今度は儂の番。明日の朝、熱が引いているといいのだが。出雲はまだ医者が診てくれると思っているのだが。腰が痛いので今日はここ迄。

今年の冬は暖かくてもう雪は降らないのではないかと思っていたら、2月6日に積もると言うので期待して朝起きてみたらこの程度。
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これがこの冬初めての雪らしい雪なので、初雪と言えば初雪になるのか。
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畑もうっすらと雪化粧。          道路の雪はすっかり消えてしまっている。
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愛車のおんぼろ軽。三菱ミニカ。1センチくらい雪の布団をかぶっている。
右の写真はお昼に世話になっている神立食堂。激しく雪が降り出したので、いよいよ昼から積もるのかと思ったらすぐにやんでしまう。夕方にはほとんど融けてしまう。松江で14センチも積もったのが嘘みたい。30キロちょっとしか離れていないのに松江と出雲はずいぶん違う。
翌日からまた一気に暖かくなる。まるで春の陽気。花粉で目がかゆくなる。暖かいのは悪くはないのだが、冬らしい寒さの洗礼を十分に受けないで、暖かくなられるととても気持ちが悪い。
2月16日
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荒神様の清掃。毎月一回、総代と自治委員3人と町内委員3人が掃除をする。総代は毎回出て来て、自治委員と町内委員は順番で1人が出る。2月は町内委員の儂の番。寒い冬は嫌だなあと思っていたら雨上がりの生温い日で助かった。半紙に包んだ豆が沢山落ちていた。総代さんと二人で誰か豆まきしている人がいるんだねえと感心する。こういう掃除も止めるわけには行かない訳だ。
その夜から、強力寒気団がやって来て西日本や日本海側は大雪になるとの天気予報。
前回の雪で今年は打ち止め、もう雪は降らずにこのまま暖かくなるものだと思っていたので、俄然嬉しくなる。冬はやっぱり雪が降らないと冬とは言えない。やっと冬らしい冬になる。人も木も草も花も作物もきびいしい寒気にぎゅうっと締め付けられないと、暖かくなった時に爆発できない。
2月17日
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朝起きたらこんなもの。なあんだである。それでも今日はこれから日中に降るかもしれないと言うので、ボロ軽に長靴とスコップを積んで街へ出るも、時折り激しく降りはするのだがすぐにやんで積もる気配は皆無。そのかわり風は烈しく、冷たい。
毎晩、夕食後、7時前後からの散歩は続けている。雪は降らないが、風は強く、うなりを上げて吹き、寒気は身が縮み、震えあがるほど。こんな日は止めとけと言われるが、辛い事を避けるのは逃げるようで嫌なので、肚を決めて家を出る。いやあ、寒いのなんのって、散歩2年目だが今までで一番寒かった。風が強くて強くて、前に進まない。頭を下げ、鼻水を流しながら歩く。途中で雪も降り出す。今夜の大雪を確信する。天気予報では平地で10~20㎝降ると言っていた。
2月18日
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明け方にどーんと降って積もると思っていたらこの有様。松江では5㎝しか積もらなかったと言う。松江で5㎝なら出雲で積もるはずがない。奥出雲や北広島の山奥は積もったようだが、天気予報を見ると、雪雲は出雲をかすめて通り抜けたようだ。
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夕方の畑に雪は無し。この二日間、雪は大したことなかったが、寒くて風は強かった。その名残が上の傾いたキンカンの写真。強風でキンカンの木が傾いてしまった。
明日からまた暖かくなるそうだ。さすがにもうこれ以上雪が降るようなことはないだろう。去年に続き、今年もまた雪らしい雪のないまま冬は終わりそうだ。

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