曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 出雲暮らし

11月の一ヶ月は毎日が小春日和と言っていいほどの好天続きだったが、今日はその中でも一番と言っていいほどの好天。昼飯を食いに出て、週刊誌を買ってグループホームの母に届ける時は冷房を入れて走らないと暑いぐらいの陽気だった。天気予報ではこの好天は今日で最後、明日は雨で30日からは一気に冷えて冬になると言うので、今日は急遽予定変更、朝から冬支度をした。
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春秋用の布団を仕舞損ねて廊下の椅子の上に放りっぱなしにしていたのを干す。布団を仕舞う時は湿気のない日にしろと言われていたので、今日を逃がしたらもうこんな日はないと思ったのである。
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蔵を冬書斎タイプに模様替えする。
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春にルーターを最新のやつに交換したので通信環境はぐんとよくなっているのだ。パソコンの使い勝手はいい。これで小説も頑張って書けるぞと思いながら、この記事は今まで通り台所の散らかりっぱなしのテーブルで書いている。
冬支度はまだまだ一杯残っている。昨日、エマールで洗濯した秋物の衣類をたたんでしまわないといけない。家で洗えないものはクリーニングに出さないといけない。段ボールや古新聞も捨てに行かないといけない。掃除はやりだしたらきりがないからほどほどにしようとはおもっている。
家の外に目をやると枯れ葉や枯れ草がたまっているし、畑から出た廃土や灰もゴミの日には必ず処分しないといけない。第二弾、第三弾とやることは目白押しだ。12月に入ったら今日のような日はないだろうから想像しただけで今から寒気がする。
そうそう今日はタイヤ交換もした。自分でやった訳ではない。近所の店でやってもらった。皆、天気予報を見て一斉にタイヤ交換をするので朝から混んでいた。

11月24日がお母ちゃんの誕生日で94歳になる。父が亡くなったのが満で97歳と思うと出来る限りのことをしてやりたいと思うのが人情である。特にグループホームに入れてしまったことにやむを得ないとは言え申し訳ないと言う気持ちがあって、この十日で四回半の面会と一回の外出をした。
11月15日。94歳になるのに白髪が気になり、染めに行きたいと言うので近くの美容院に連れて行く。誕生日ぐらい綺麗にしてやりたい。
11月19日。毎週一回の定例の土曜日面会。いつものように女性週刊誌とお母ちゃんが部屋でひとりでこそっと食べる大好物の熟柿を一個差入れする。
11月21日。私が5回目のコロナの注射をした後、毎年、つるし柿を作るのを楽しみにしているのでラピタで予約しておいたつるし柿用の柿を届ける。
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これをみんなと一緒に皮を剥いて吊るすのが楽しみなのである。髪は染まっているが美容院に行ったことは19日の時点では忘れていた。髪を染めたことも。「俺が連れて行っただろう」と言ったら「ああ、そう言えば思い出した」と言っていた。
11月22日。21日に冬用の衣類が足りないと言われたので午後急遽届けに行った。面会して行きますかと言われて予約なしで面会する。つるし柿を作ったかと聞いたら、そんなものは作っていないと言う。
昨日の午後か今日の午前、午後もあるのだから、作っているはずなのに、昨日今日のことも忘れたのかなあと首を傾げながら帰る。
11月24日がいよいよ誕生日なので、23日に面会の予約をしようと思ったら、島根県のコロナ患者が増加しているので急遽1月31日まで面会中止になる。お誕生日なのに申し訳ないと謝られたが仕方ない。
イオンで注文したバースデーケーキを届ける。
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みんなで食べられるように大きいケーキを注文した。
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私の妹のプレゼント。カーディガンの下に着る薄いセーターだとか。帰りに職員さんが玄関先で距離を置いてちょっとだけ話をさせてくれた。これが4回半の0.5回分の面会。
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帰りにグループホームの裏に回ってみたらちゃんとつるし柿があった。これで半分くらい。あと半分は別なところに干してあるのだろう。こんなに暖かくて(ずっと小春日和が続いている)いい干し柿が出来るか心配だが、12月に入るとすぐに寒くなるらしいからそこに期待するしかない。
これから2カ月以上も15分の面会もできなくなるとお母ちゃんの認知症が進むのではないかとそれが唯一の気がかり。儂も忘れられてしまうような気がする。
島根県の人口は約66万人。これまでの延べコロナ患者数が約10万人を越えたばかり。と言う事は6.6人に1人が罹ったことになる。この数字を見たら罹らないのが不思議だ。面会中止もやむを得ないだろう。お願いだから、皆さん、注射を射ってください。

CA19-9とは腫瘍マーカーのことである。癌になっているかどうかを判断する数値であるが、これが突然191と言う数値が出てドッキリとさせられた顛末である。腫瘍マーカーは特定の癌を見つけるものではなく、癌があると反応する数値で、癌患者が治ったかどうかを確かめるのに役に立ったりするものらしい。正常値は0から37と言うから、191はべらぼうである。
経過を説明すると、9月28日に膵臓のMRIを受けた。膵嚢胞があるので半年に一回毎年受けているもので今回で6回目だと思う。毎回、膵嚢胞の大きさに変化はなく、先生からも「曽田さん、このまま全うできますよ」と言われていた。
翌29日にMRIの結果の説明を受けに行くと、「膵臓も胆嚢も変化はないのだけど、腫瘍マーカーが異常に高いんですよね」と、検査結果を見せられる。確かに私の数値は毎年一桁なのに今回だけ飛び抜けて高い。
肺と胃と腸のCTを撮りたいのだが、今日撮りますか、どうしますかと問われる。また来たくないのですぐにCTを撮ってもらった。結果は肺にも胃にも異常はない。後は大腸の内視鏡検査しかない。
10月5日に大腸の内視鏡検査を受ける。
要は大腸癌が出来ているかどうかを調べるのだが、私はある意味ほっとしていた。癌になるなら大腸癌で御の字ではないかと思ったのである。先生は膵臓は大丈夫だと言ったが、妻は肺炎と急性膵炎を合併して亡くなってしまった。夫婦そろって膵臓を悪くする巡り合わせなのかも知れないぞと最悪のことも頭をよぎっていたのだ。膵臓癌にかかることを考えたら、大腸癌だと随分気が楽になる。初期なら切ってしまえば治る癌である(と素人は思っている)。
検査の日にはどうか大腸癌でありますようにと願ったものだ。
前回、2年前の検査ではポリープを一個取っているので、今回も必ずポリープはあると思っていた。前回は良性でも、今回は腫瘍マーカーに出たぐらいだから必ず悪性になっているに違いないと思ったのである。いや、もう確信していた。たとえ悪性でもステージ1ぐらいのはずだ。父が93歳で大腸癌の手術を受けた時の父の腸の具合は介護していてよく知っているので絶対に父ほど悪くはないと言う自信はあったのだ。確か父はステージ3だったと思う。ステージ1の大腸癌なら楽勝だとさえ思った。
そして、当日、画像を見ながら検査を受けた。ひたすらポリープの出現を待つ。大腸癌でありますように。早く出て来い。だが腸内は綺麗で一向にポリープらしきものは出現しない。前回も最後にポリープが見つかったので最後に期待したのだが、ついに出現せず。「異常ありません」と検査技師。
それでも、くわしく画像を調べたら何か出て来るかもしれないと10月20日に結果を聞きに行く。この日は血液検査も受ける。
主治医も「大腸もきれいでしたねえ」そして、血液検査の結果を見たら、CA19-9は15.1。
「どうなってるのかなあ」と、先生。先生は腫瘍マーカーはたまに何の異常がなくても高い数値が突然出ることがあると言っていたので、多分それだったのかもしれない。
長い三週間だった。その間、右眼白内障の手術を受けたが、大腸癌でもないとしたら何なのだろうと浮かない日々を過ごしていた。来週、左目の手術だが今度は心置きなく受けることが出来る。右だけでも良くなったような気がするので、両目が揃えばもっとよく見えるようになるだろう。

【追記】
こういうコメントを頂きました。

「私も数年前から腫瘍マーカーの数値が高いと言われています。が、何処にも何かあると言うわけでもない様です」

どうやら、そういうものらしいですが、一喜一憂せず数値に振り回されないようにしないといけないのかもしれません。しかし、意味のないものを検査するのもおかしな話ですから注意もしないといけないということなのか。

【追記】25日
腫瘍マーカーについて。
毎年受けている健康診断の結果を見たら、腫瘍マーカーはCEA(胃がん、大腸癌など)AFP(肝臓がんなど)CA19-9(膵臓がん、胆嚢がん、胆管がんなど)PSA(前立腺がん)CA125(卵巣がん)など、色々あることに気がついた。毎年受けていて、全部基準内だったのにすっかり忘れていて、CA19-9だけが腫瘍マーカーと思い込んでいた。ブログに不確かなおかしなことを書いてしまいすみません。そういえば去年前立腺の腫瘍マーカーを確か検査料3000円で申し込んだことを今思い出した。

【追記】31日
夜間頻尿で通院している泌尿器科の診察日。今日も私のように数値がよく、今出している薬が効いている人はあなたしかいないと絶賛される。腫瘍マーカーの検査結果を見せたら、「CEAはタバコ一本吸っただけで数字が20はねあがります」と教えられた。どうやら腫瘍マーカーの数値は絶対的なものではないようだ。


白内障手術の経過。
10月13日、8時までに食事をすませ、9時に島根医大トリアージ検査センターへ行く。8時半に着いてしまって30分待つも一番でPCR検査を受ける。
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  トリアージ検査センター         島根医大
結果が出るまで、島根医大で入院手続きをすませて待機。一時間待って携帯に陰性の通知があったので指定のB棟8階へ。すぐに835号室へ入院。医大の眼科の白内障手術は前日入院。翌日手術して退院が原則。但し、私の場合は一人もんで片目で帰って食事の支度など大変そうなのでもう一泊して2泊3日にしてもらった。
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   835号室南側の窓           昼食
すぐに昼。魚のカピタ、煮物、酢の物、ご飯。私は脂質の高いものは食べないことにしているのでカピタの衣を剥いで、中の白身魚だけを食う。看護士から明日の手術のあらましを聞き、食後に1日4回の目薬(これは11日から続けている)を差したら他にすることはない。
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                     夕食
パソコンを持ち込んだが書き物をする気にならず、妻の葬儀の写真を整理する。ささやかな家族葬をしたが、妻への感謝を込めてアルバムだけはきちんとした物を作りたいと思って、写真屋さんに頼んで写真を撮ってもらっていた。それが400枚以上あり、その中から選ばないといけなかったのだが、忙しくて時間がとれなかった。こういう時でないと出来ないので、11時頃から始め、昼食を挟んで延々4時過ぎまでかかる。100枚ちょっとあり、後は写真屋と相談。もう少し減らさないといけないだろう。
夕食はエビフライとイカリングに煮物と冬瓜スープ。脂質が駄目な人に今度はフライときた。これまた衣を剥いで食ったが、食った気がしなかった。夕食後、明日手術をする主治医が来て明日の手術の説明をしてくれる。前日入院のよかった点はここで先生と話を出来たことか。明日一番目が9時からで、私は2番目で9時半から。術前に30分置きに4回目薬するので朝が早くなる。多分、それで前日入院になるのではなかろうか。
9月14日。
9時半ごろ看護士が迎えに来て車椅子で手術室へ。目を動かすなと言われていたが、頭を固定されるのでまず頭が動くことはない。眩しい明かりを一生懸命見ている。小さなランプなのだろうか三つの光が眩しい。朝から薬を入れているので全然痛くない。注射も痛みなし、始まったら何やら視界をさざ波のようなものが流れて行く。そして何やら水のようなものがびちゃびちゃと流れて行く。すると三つの光が見えなくなって視界が暗くなる。その前後だったか「レンズを入れる」と言う声がして、やがて視界が明るくなり、三つの光が見えて来るが、今度はその三つの光の先端がくっきりと見える。ただ白く光って見えていただけだったのだが、その先端は何か繊維のようなものが束になって光っているように見えた。良く見えるようになったのかなと思う。それで手術は終わる。ほんの30分ほど。後は翌朝まで眼帯。
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この日は一日を持て余す。片目で一日過ごした経験はない。目は痛くはないがやはりどこか重ぐるしい感じはする。歩いていてもなにげにふらふらする。ベッドに同意書が落ちていたので手に取ってみたら裏にまだ2枚紙が留めてあって、手術の詳しい説明があった。それを読むと水晶体に器具を挿入して水晶体の濁りを取り除き(超音波水晶体摘出術)、水晶体の袋に眼内レンズを挿入するとちゃんと書いてあるではないか。また、やってしまった。私の悪い癖である。説明書とか取り説とか絶対に読まないものだから、こんなことになるのだ。これを読んで手術を受けていれば状況がすべて分かっていたのに。
10月15日
一晩寝たら右眼の違和感は綺麗に消える。朝、先生が来て眼帯を取ってくれる。散瞳して確認する。異常なしで退院だが、散瞳して瞳孔が開いているので右眼が眩しくて、目がよくなったのどうか分からない。10時に車で帰る。イオンで昼と夜の買い物をする。
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退院の心得を読んだら、1ヶ月は農作業は慎めとある。左目は28日に受けるから、11月の28日まで農作業は出来なくなる。どうするんだ。玉ねぎも空豆もえんどうも植えられない。20日には早生の玉ねぎを植えようと思っていたのに。
ゴーグルを引っ張り出して来る。これは電動のこぎりを使うときの目を守るゴーグルである。
帰宅したら12 日に植えた春波キャベツの苗がしなびていたので、ゴーグルして畑に出て水をやる。
コンビニ買い物に行く時もゴーグルをする。外出しないと生きていけないので、ゴーグルで目を守りながらなるべく埃ぽいところには行かないし、風が強い時には畑にも出ないようにするしかない。
試しに、多胡辰敬の家訓が載っている文庫本を開いてみる。手術前は読みづらくて往生していたのだがなにげに読めるではないか。片目手術してここまでみえるようになったのなら、左を手術すればきっともっとよく見えるようになるだろう。文庫本が読みにくくて困っていたのだ。

私が小学校の何年生の頃だったか定かではないが高学年ではなかったと思う。

母方の曾祖母が余命いくばくもないので母がお別れに里帰りをしたことがあった。

島根の田舎から戻って来た母は「おばあさんが自分の葬式の時はみんなひ孫たちをつれて帰っておいで。いっぱい遊ぶといいと言ってたよ」と言った。

子供の私は変なことを言うひいおばあさんだなあと思った。自分が死ぬことが悲しくないのだろうか。みんなが悲しむお葬式にひ孫たちに遊びに来いとは。なぜ曾祖母がそんなことを言ったのか子供には理解できなかった。まもなく曾祖母は亡くなり、母は葬儀に戻ったが、私たちは学校があるので曾祖母の葬儀には行かなかった。

 

なぜ、こんなことを書いたのかと言うと、妻の葬儀が終わった翌日8月1日から、長男の一人息子(7才)の虫取りに付き合わされることになったのである。

海外勤務でアメリカのタワマン暮らしの孫は虫取りなんかしたことないらしくたちまち虫取りの虜になってしまった。だが空ふりばかりでとれないものだから、「じいじい、トンボ採って」「せみ採って」「ちょうちょ採って」と私をつかまえて離さない。

孫に会うのは4年ぶり。私が一番心配していたのは、アメリカのタワマン暮らしに馴染んだ孫が出雲の外れの農村地帯のド田舎に馴染んでくれるかどうかだった。こんなド田舎嫌だと言われ、帰ると言われるのではないかと心配していたので、虫取りに夢中になってくれたことはうれしいのだが、炎天下一番暑い時に付き合わされるのはさすがにこたえた。正直、息子に任せて自分は涼しい家の中で休んでいたかった。

昨日の今日で、まだ葬式の翌日でもある。妻を失ったばかりなのに孫と楽しく虫取りをすることを咎める自分がいた。喪に服さないまでも静かにすごさなければいけないのではないかとどうしても思ってしまう。

だが、そんなじいじいの気持ちを知らない孫は私に「せみマスター」の称号を奉って許してくれない。実は私は「こんなものじいじいには網なんていらない。手で捕まえてやる」と木に止まっている蝉を手で捕まえて見せたのだ。爾来孫の尊敬を一身に集めてしまっていたのだ。せがまれるまま、トンボを採れば「トンボマスター」、ちょうちょを採れば「ちょうちょマスター」と大喜びする。

 

その無邪気な笑顔見ていて、私はふと小学校時代の死に臨んだ曾祖母の言葉を思い出したのであった。そして、気がついたのだ。4年ぶりの孫との交流の機会を与えてくれたのは妻ではないかと。自分もこの年になれば曾祖母の気持ちはよくわかる。同じ立場なら自分もそう言うだろう。

妻は孫だけではない。長男一家と長女一家をも一堂に会わせてくれたのだ。

4年前までは長男一家も年に最低一回は妻の見舞いに帰っていたし、長女たちもよく戻っていたが、田舎で両家が揃うことはなかった。長女一家にも子が生まれ、賑やかな両家が揃うのは初めてのことだった。妻は私に子や孫たちと過ごす時間を与えてくれたのだ。それも数日、貴重な時間をたっぷりと。

今回、私が一番恐れたのは娘がジュネーブに行けなくなることだった。国連の事前審査に行く日本の障害者団体をまとめる事務局メンバーとしての大切な仕事があるのだ。だが、娘は間に合った。葬儀後、看取りや葬儀の疲れを多少なりとも癒す時間がとれた。事前の打ち合わせもオンラインでこなし、コロナ患者が出た場合の病院や医者の手配、大使館との連絡などを各障害者団体に通知し、出発1週間前に帰京し、8月17日に出発した。

娘婿も実は大切な試験が8月の初めにあったのだが、通夜と葬儀をすますとすぐに飛行機で帰京し、試験を受けた後、休みを取って妻と孫を連れて帰るために犬を乗せて車でやって来た。

長男は夏休みをとって帰国していたので、葬儀後の五日は田舎の夏休みをゆっくりと過ごすことが出来た。

子供たちともしみじみと話した。まるで残された家族に素敵な夏休みを与えるために7月28日と言う日を選んだみたいだなあと。

そう思うと少し気持ちが楽になった。その代わり殺生は控えたいので、捕まえた虫たちは必ず夕方には放してやった。釣った魚も海へ放した。
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   家の前の池               大社漁港

日中の虫取りが余りにもきつくて、長男も私も音を上げて、最後の二日は夕方大社港に小あじを釣りに行ったのである。

子供たちが小さい頃は毎年通った港である。まさか孫と同じ釣りをしに来るとは思ってもいなかった。妻のプレゼントだと感謝しながら魚釣りに興じた。孫も釣り堀で釣りをしたことはあるが岸壁の釣りは初めてで大興奮してくれた。

イオンの本屋で昆虫図鑑を買ってやったので、孫は図鑑を眺めては、シオカラトンボ、オオシオカラトンボ、ギンヤンマ、アキアカネ、ショウジョトンボ、アブラゼミ、アオスジアゲハと確認すると、ギンヤンマを捕まえてくれとせがむ。

「ぎんやんまマスター」になってくれと。

だが、ギンヤンマは一筋縄ではゆかない。池の上を飛び、高いし、速い。いくら昔昆虫少年でも寄る年にはかなわない。とうとう捕まえることが出来ず、必ず捕まえると約束して孫はアメリカへ戻った。「帰りたくない」と言いながら。
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長男の子は葬儀の翌日、木魚を叩き、鐘を叩いた。坊さんのリズムを覚えていて、そっくり真似して鐘を叩いていた。長女の子も音がする物は何でも好きでしきりに叩こうとしていた。
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その後の数日は8末に1歳になる孫と犬と長女夫婦とまったりと過ごした。長女夫婦はよく帰郷してくれるが子連れは春から二度目。毎晩、孫を抱いて風呂に入るのは私の役目だった。孫は這いまわって障子を破り、犬を追い回していた。帰京する前に娘婿にはお盆の準備を手伝って貰った。おかげで盆は楽だった。

長女一家も帰って行くと言いようもない寂しさに襲われたが、振り払うように祭壇の前に座った。妻に感謝した。夢のような日々を与えてくれたことに。

 

ギンヤンマには後日談がある。何と捕まえたのである。
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飛んでいるところは絶対に捕れないと諦めていたのだが、産卵するために池のホテイアオイに止っていたのだ。動画を送ってやったら、孫は大興奮したらしい。長男が感謝してくれたので、超ラクチンに捕まえたのだが、孫には内緒だと言っておいた。私は晴れて「ぎんやんまマスター」である。孫はオニヤンマも捕まえてくれとリクエストして来た。

オニヤンマは楽だ。来年の夏、出雲大社の裏あたりの谷川で待ち構えていれば採れるだろう。

長男の嫁からラインメールが来た。

長男が出張の準備をしていたら、孫が「出雲へ行くのか。ずるい。僕も連れて行って」とせがんだそうだ。「ディズニーランドより出雲に行きたい」とも言っているそうだ。

私は早速妻に報告した。

「孫は出雲が大好きだってよ」

長女の子も出雲が好きになるのはすでに分かっている。なぜなら娘婿は出雲が大好きなのである。出雲で働けたら出雲に引っ越すと言っているくらい出雲が好きなのだ。

「これからもみんな集まってくれるからな」

そう妻に伝えた。

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