曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ:出雲暮らし > 老病ドタバタ

CA19-9とは腫瘍マーカーのことである。癌になっているかどうかを判断する数値であるが、これが突然191と言う数値が出てドッキリとさせられた顛末である。腫瘍マーカーは特定の癌を見つけるものではなく、癌があると反応する数値で、癌患者が治ったかどうかを確かめるのに役に立ったりするものらしい。正常値は0から37と言うから、191はべらぼうである。
経過を説明すると、9月28日に膵臓のMRIを受けた。膵嚢胞があるので半年に一回毎年受けているもので今回で6回目だと思う。毎回、膵嚢胞の大きさに変化はなく、先生からも「曽田さん、このまま全うできますよ」と言われていた。
翌29日にMRIの結果の説明を受けに行くと、「膵臓も胆嚢も変化はないのだけど、腫瘍マーカーが異常に高いんですよね」と、検査結果を見せられる。確かに私の数値は毎年一桁なのに今回だけ飛び抜けて高い。
肺と胃と腸のCTを撮りたいのだが、今日撮りますか、どうしますかと問われる。また来たくないのですぐにCTを撮ってもらった。結果は肺にも胃にも異常はない。後は大腸の内視鏡検査しかない。
10月5日に大腸の内視鏡検査を受ける。
要は大腸癌が出来ているかどうかを調べるのだが、私はある意味ほっとしていた。癌になるなら大腸癌で御の字ではないかと思ったのである。先生は膵臓は大丈夫だと言ったが、妻は肺炎と急性膵炎を合併して亡くなってしまった。夫婦そろって膵臓を悪くする巡り合わせなのかも知れないぞと最悪のことも頭をよぎっていたのだ。膵臓癌にかかることを考えたら、大腸癌だと随分気が楽になる。初期なら切ってしまえば治る癌である(と素人は思っている)。
検査の日にはどうか大腸癌でありますようにと願ったものだ。
前回、2年前の検査ではポリープを一個取っているので、今回も必ずポリープはあると思っていた。前回は良性でも、今回は腫瘍マーカーに出たぐらいだから必ず悪性になっているに違いないと思ったのである。いや、もう確信していた。たとえ悪性でもステージ1ぐらいのはずだ。父が93歳で大腸癌の手術を受けた時の父の腸の具合は介護していてよく知っているので絶対に父ほど悪くはないと言う自信はあったのだ。確か父はステージ3だったと思う。ステージ1の大腸癌なら楽勝だとさえ思った。
そして、当日、画像を見ながら検査を受けた。ひたすらポリープの出現を待つ。大腸癌でありますように。早く出て来い。だが腸内は綺麗で一向にポリープらしきものは出現しない。前回も最後にポリープが見つかったので最後に期待したのだが、ついに出現せず。「異常ありません」と検査技師。
それでも、くわしく画像を調べたら何か出て来るかもしれないと10月20日に結果を聞きに行く。この日は血液検査も受ける。
主治医も「大腸もきれいでしたねえ」そして、血液検査の結果を見たら、CA19-9は15.1。
「どうなってるのかなあ」と、先生。先生は腫瘍マーカーはたまに何の異常がなくても高い数値が突然出ることがあると言っていたので、多分それだったのかもしれない。
長い三週間だった。その間、右眼白内障の手術を受けたが、大腸癌でもないとしたら何なのだろうと浮かない日々を過ごしていた。来週、左目の手術だが今度は心置きなく受けることが出来る。右だけでも良くなったような気がするので、両目が揃えばもっとよく見えるようになるだろう。

【追記】
こういうコメントを頂きました。

「私も数年前から腫瘍マーカーの数値が高いと言われています。が、何処にも何かあると言うわけでもない様です」

どうやら、そういうものらしいですが、一喜一憂せず数値に振り回されないようにしないといけないのかもしれません。しかし、意味のないものを検査するのもおかしな話ですから注意もしないといけないということなのか。

【追記】25日
腫瘍マーカーについて。
毎年受けている健康診断の結果を見たら、腫瘍マーカーはCEA(胃がん、大腸癌など)AFP(肝臓がんなど)CA19-9(膵臓がん、胆嚢がん、胆管がんなど)PSA(前立腺がん)CA125(卵巣がん)など、色々あることに気がついた。毎年受けていて、全部基準内だったのにすっかり忘れていて、CA19-9だけが腫瘍マーカーと思い込んでいた。ブログに不確かなおかしなことを書いてしまいすみません。そういえば去年前立腺の腫瘍マーカーを確か検査料3000円で申し込んだことを今思い出した。

【追記】31日
夜間頻尿で通院している泌尿器科の診察日。今日も私のように数値がよく、今出している薬が効いている人はあなたしかいないと絶賛される。腫瘍マーカーの検査結果を見せたら、「CEAはタバコ一本吸っただけで数字が20はねあがります」と教えられた。どうやら腫瘍マーカーの数値は絶対的なものではないようだ。


白内障手術の経過。
10月13日、8時までに食事をすませ、9時に島根医大トリアージ検査センターへ行く。8時半に着いてしまって30分待つも一番でPCR検査を受ける。
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  トリアージ検査センター         島根医大
結果が出るまで、島根医大で入院手続きをすませて待機。一時間待って携帯に陰性の通知があったので指定のB棟8階へ。すぐに835号室へ入院。医大の眼科の白内障手術は前日入院。翌日手術して退院が原則。但し、私の場合は一人もんで片目で帰って食事の支度など大変そうなのでもう一泊して2泊3日にしてもらった。
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   835号室南側の窓           昼食
すぐに昼。魚のカピタ、煮物、酢の物、ご飯。私は脂質の高いものは食べないことにしているのでカピタの衣を剥いで、中の白身魚だけを食う。看護士から明日の手術のあらましを聞き、食後に1日4回の目薬(これは11日から続けている)を差したら他にすることはない。
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                     夕食
パソコンを持ち込んだが書き物をする気にならず、妻の葬儀の写真を整理する。ささやかな家族葬をしたが、妻への感謝を込めてアルバムだけはきちんとした物を作りたいと思って、写真屋さんに頼んで写真を撮ってもらっていた。それが400枚以上あり、その中から選ばないといけなかったのだが、忙しくて時間がとれなかった。こういう時でないと出来ないので、11時頃から始め、昼食を挟んで延々4時過ぎまでかかる。100枚ちょっとあり、後は写真屋と相談。もう少し減らさないといけないだろう。
夕食はエビフライとイカリングに煮物と冬瓜スープ。脂質が駄目な人に今度はフライときた。これまた衣を剥いで食ったが、食った気がしなかった。夕食後、明日手術をする主治医が来て明日の手術の説明をしてくれる。前日入院のよかった点はここで先生と話を出来たことか。明日一番目が9時からで、私は2番目で9時半から。術前に30分置きに4回目薬するので朝が早くなる。多分、それで前日入院になるのではなかろうか。
9月14日。
9時半ごろ看護士が迎えに来て車椅子で手術室へ。目を動かすなと言われていたが、頭を固定されるのでまず頭が動くことはない。眩しい明かりを一生懸命見ている。小さなランプなのだろうか三つの光が眩しい。朝から薬を入れているので全然痛くない。注射も痛みなし、始まったら何やら視界をさざ波のようなものが流れて行く。そして何やら水のようなものがびちゃびちゃと流れて行く。すると三つの光が見えなくなって視界が暗くなる。その前後だったか「レンズを入れる」と言う声がして、やがて視界が明るくなり、三つの光が見えて来るが、今度はその三つの光の先端がくっきりと見える。ただ白く光って見えていただけだったのだが、その先端は何か繊維のようなものが束になって光っているように見えた。良く見えるようになったのかなと思う。それで手術は終わる。ほんの30分ほど。後は翌朝まで眼帯。
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この日は一日を持て余す。片目で一日過ごした経験はない。目は痛くはないがやはりどこか重ぐるしい感じはする。歩いていてもなにげにふらふらする。ベッドに同意書が落ちていたので手に取ってみたら裏にまだ2枚紙が留めてあって、手術の詳しい説明があった。それを読むと水晶体に器具を挿入して水晶体の濁りを取り除き(超音波水晶体摘出術)、水晶体の袋に眼内レンズを挿入するとちゃんと書いてあるではないか。また、やってしまった。私の悪い癖である。説明書とか取り説とか絶対に読まないものだから、こんなことになるのだ。これを読んで手術を受けていれば状況がすべて分かっていたのに。
10月15日
一晩寝たら右眼の違和感は綺麗に消える。朝、先生が来て眼帯を取ってくれる。散瞳して確認する。異常なしで退院だが、散瞳して瞳孔が開いているので右眼が眩しくて、目がよくなったのどうか分からない。10時に車で帰る。イオンで昼と夜の買い物をする。
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退院の心得を読んだら、1ヶ月は農作業は慎めとある。左目は28日に受けるから、11月の28日まで農作業は出来なくなる。どうするんだ。玉ねぎも空豆もえんどうも植えられない。20日には早生の玉ねぎを植えようと思っていたのに。
ゴーグルを引っ張り出して来る。これは電動のこぎりを使うときの目を守るゴーグルである。
帰宅したら12 日に植えた春波キャベツの苗がしなびていたので、ゴーグルして畑に出て水をやる。
コンビニ買い物に行く時もゴーグルをする。外出しないと生きていけないので、ゴーグルで目を守りながらなるべく埃ぽいところには行かないし、風が強い時には畑にも出ないようにするしかない。
試しに、多胡辰敬の家訓が載っている文庫本を開いてみる。手術前は読みづらくて往生していたのだがなにげに読めるではないか。片目手術してここまでみえるようになったのなら、左を手術すればきっともっとよく見えるようになるだろう。文庫本が読みにくくて困っていたのだ。

夜間頻尿の記事をしばらく休んでいたのは去年の秋から今年の春まで一向にはかばかしい改善がみられなかったからである。でも儂はこういう病気は忍耐と継続だと思いひたすら薬を飲み続け、例の記録、夜、起きてトイレに行った時間をひたすら記録し続けていた。記録を取り出して一年以上になるが一日たりとも休んだことはない。

(20224)11時就寝7時起床

 

6日         2:00         4:45         7:00

7日                3:40

8日          2:15              5:35 

9日           2:30                 6:20
10
日       1:30               5:00
11
日              3:10              6:30
12
日                        5:00

13日               3:25               7:00

14日       1:20          4:20           7:00
15
日        1:35                 5:40(寒の戻り)

16日       1:20           4:45         6:45(寒の戻り)

17日(12時就寝)  1:30                5:20     7:00

18日          1:35                5:20
19
日           2:35              5:30
20
日                3:30           5:55
21
日                3:40              6:30 

22日          2:15                 5:50

23日            2:45             5:20     7:00

24日               3:10             5:50  7:00

25日          2:15                 5:35 
26
日     0:50     2:50           4:55       7:00

 

これは今年4月の記録。一年以上もこの調子で記録を取り続けて来た。去年の秋ごろは良くなる気配があったと思ったのだが、この頃は最初に目覚める時間が早くなり、7時起床してトイレに行くまでに夜中に2回起きることが多くなり、一日中眠くて辛くなった。これまで去年の秋からずっと同じ薬を飲んでいたのだが、主治医に相談したら追加でベタニスという薬を出してくれる。
ここで儂も気合が入った。久しぶりに新しい薬を飲むならもっと詳しい記録を取ろうと決意したのである。すなわち、尿の量を量ることを思いついたのだ。百均で500mlまで量れる軽量カップを買った。

ベタニス錠追加(428日~59)

28日         2:25             5:25

29日      1:50[470]        5:20[425]

30日(12時就寝)1:50[400]    4:10300]       6:40300

1日              3:10360]          6:20250

2日       1:45410]             5:30300

3日    1:00400.30]            4:50400]   7:00160

4日      1:25350]         4:20360      7:00300

5日     1:15400]      3:35340]       6:00230

6日         2:15300]            5:30240

7日      1:25300]            4:45280]   7:00240

8日     1:10340]      3:30310]       6:00210

9日        1:50[ ]                                6:00[?]

 

これがその記録。寝ぼけて量りそこなった時もあるが、これを9日に主治医に見せたら、主治医は思わず「すごいですねえ」と唸って、「この紙を下さい」と言ったのであった。これまで毎回診察の度に記録は見せていたのだが、ちらりと見ただけでちっとも反応しなかったのに「ずいぶん沢山出ていますねえ」とも言っていた。この時、儂は医者に勝ったと思った。「どうだ、見たか。儂みたいな患者もいるんだぞ」と言いたかった。儂は根性と努力することには誰にも負けない自信があるのだ。この記録を見たらベタニスと言う薬が効いていないのも一目瞭然である。
そこで5月10日からはミニリンメルトという薬に変わった。

10日(5月)                  3:10[190]                   6:30[170]
11
日             2:30[190]                         6:20[170]
12
日                            3:05[200]                             7:00[170]

13日                  2:00[?]           6:15[200]

14日飲み忘れ12:25[340]薬飲む            4:00[230    6:35[180]
15
日                                          4:50[ 330]           7:00[170]

16日                                                5:20[270]

17                                               4:00[320]         7:00[200]

18日                                           4:30[340]             700[180]
19
日                                   3:30[230]                    6:40[170]
20
日                        2:30[300]                  6:10[170]
21
日                  2:30[320]                6:20[190] 

22日                                         4:50[350]   (6時起床)

23日                                4:00[300]                 6:45[180]

24日                                                6:10[330]

25日                                       4:30[270]               7:00[90] 
26
日                               3:00[210]              5:35[160]
27
日                  2:05[200]                               6:00[180]

28日                    2:25[250]               5:00[170]          7:00[150]

29日                                   3:45[280]                  6:30[140]

30日                  2:35[240]                           6:20[200]

31日                  2:30[340]                5:20[230]

1日(6月)                  3:50[?]      6:35[160]

2日                     2:40[?]                           6:05[150]

3日                        4:00[250]               7:00[170]

4(飲み忘れ) 0:50[350] 2:15[250]2:45[100]             5:10[340] 7:00[200]

6月4日に飲み忘れてしまった。儂はふとこのまま飲まなかったらどうなるだろうと思って飲まなかった。すると先生、排尿量と排尿回数が増えているのを見て、「わざと飲まなかったお陰で薬が効いていることがわかりましたねえ」と言ったのである。ほんとに「どうだ、エライ患者だろう」と言いたくなったのであった。
さて、これからどうなりますことやら。やっと効き目のありそうな薬に出会ったみたいなのでしばらく根気よく飲み続けてみようと思う。石原慎太郎が夜間頻尿はどんな薬を飲み、どんな具合だったのかを知りたかったのだがもう知るすべがないのは残念である。


2月22日の年一回の健康診断で実は要検査と要治療が出た。要検査は既報の膵嚢胞の検査。これは一ヶ月後に半年ごとの膵臓MRI検査があったので検査して、膵嚢胞の大きさに変化なくセーフだった。
もう一つの要治療と言うのが目だった。右目が網膜静脈分枝閉塞症と診断されたのである。もう一つ両目が白内障とも診断されたが、治療を急ぐのは網膜静脈分枝閉塞症の方。どんな病気かと言うと網膜の細い血管が詰まってしまい血が流れなくなってしまったのである。画像を見せられたらその部分はぼんやりして見えた。放置しておくと血が流れない部分が酸素を取り込もうとするのでそこに新生血管というものが出来てしまうらしい。これが出来ると厄介なことになるので血が流れない部分が「酸素を下さい」と言わないようにレーザーで焼くのだと先生。それを光凝固術と言う。
理屈はわかったので「ふーん、そんなものか」。目にレーザーを当てる話は聞いたこともあるし、町医者でもやるのだからたいしたことあるまいとたかを食っていたら、その前段階に手間暇取られてうんざりする。
目の検査をするために散瞳と言って薬をさして瞳孔を開くのだが、散瞳をすると瞳孔がしばらく開きっぱなしで目が見えにくくなる。その間は片目で生活しなければならないのだが、儂は右目がメガネで0.4で左が0.2。右目を散瞳したら0.2の左目で活動しないといけない。「0.2の片目で車を運転して帰ることはさせられないので、まずメガネを作り直して下さい」と言われてしまったのだ。
仕方ないので病院で目の診断書を作ってもらい眼鏡屋へ。両目0.7でレンズを作り直す。
2週間後、ようやくメガネできたので病院へ。手術の日が決まったのが3週間後の4月19日。ここまで漕ぎつけるのに1ヶ月半以上かかってしまった。
娘夫婦と孫が帰郷した翌朝、手術を受ける。大学病院へ行くわけではない。町医者でもやるのだからたいしたことはあるまいと自分にいい聞かせるも、内心ドキドキである。
顔を固定する器具に顎を載せ、頭を縛り付けられ、身動きできなくなってから目にレンズをはめられレーザーの照射を受ける。少し痛いかもしれませんと直前になって嫌なことを言われるがもうどうしようもない。焼くだけだからビービーと照射したらそれで終わりだと思いこんでいたので少しの辛抱だと思っていた。ところがいきなりプシュと何か得体のしれない発射音がすると目の奥に軽い圧迫感を覚える。決して刺したり突いたりするような痛みと言うほどの痛みではないのだが何か一点を押すような痛みなのである。耐えられない痛みでは決してない。ただこのプシュがこの後延々続いたのである。一体何回やるのか、いつまでやるのか、いい加減にしてほしいと思うくらいしつこく続いた。痛みと言うほどの痛みではないが延々と続くとさすがに我慢できなくなる。もうやめてくれないかなあと思ったら、技師が「順調ですから、後もう少しです」と言った。その時には100回以上プシュが続いたと思う。
その後もプシュが続いて終了。光凝固術の手術代金は31,950円。給付金は出るが4000円くらいのようだ。5月20日に検査して、OKなら白内障の手術。
まだ病院通いが続く。この病院、町医者と言ったが評判の女医さんでとても混んでいるのだ。

儂はいま病院で年間3つの定期検査を受けている。1つは毎年2月ごろ受けている健康診断(スプリングドックと呼ばれている)。後の2つは半年置きに年2回3月と9月に膵臓のMRI検査である。
2月22日に受けた健康診断の超音波診断で膵嚢胞が増大傾向にあると診断されてしまった。その時の心境は「ついに来たか」であった。前年の9月のMRIで膵嚢胞がほんの少し膨らんでいると指摘されていたのだ。その時、先生は心配することはない。嚢胞の中の液が増えて膨らむこともあるからと言ってたのだが、本人にしてみればいい気持ちはしない。それまでの2年間は大きさに変化はなかったのだから、何かが悪さを始めたのではないかと誰だって心配になる。健康診断でもどう言われるか気になっていたのだ。
それが恐れていた通り増大傾向と言われたのだからショックはあった。自分にとって何がショックだったかと言うと超音波で増大していると指摘されたことが大きかった。MRIから比べたらはるかに精度の低い超音波で大きくなっていると診断されたのだ。MRIで精査したらもっと大きくなっているかもしれないと思うのが普通である。石原慎太郎のことが脳裏をよぎる。
3月のMRI検査は25日である。その時点では1ヶ月以上先だった。何か対策をすれば嚢胞は小さくなることはなくても大きくならないようにすることはできないものかと素人が考えた。つらつら考えるに食事がいい加減になっていたことに思い当たる。脂質を抑えた食事を2年以上律儀に続けて来たのだがさすがに気が緩んでいた。なんせ腹が減ってしょうがない。ついつい食べ過ぎ傾向にあったのだ。そこで原点に立ち返り、腹八分に徹底し、脂質制限も厳格に守る食事を続けたのである。
25日にMRI検査が終わった後、もう顔なじみになった技師が「よく撮れましたよ」と言った。儂はどきっとした。これまで技師がそんなことを言ったことはなかったのだ。膵嚢胞が悪くなっているのを慰めるために言ったのではないかと思ったのである。
そして、今日29日が結果発表。まな板の鯉で、でもドキドキしながら診察室に入ると、先生開口一番「変わりありませんよ」。えっと拍子抜けする。図を見ても素人でも前回の9月と変わらない。前回少し膨らんだ嚢胞はそのままの大きさを維持していたのだ。やれやれと胸をなでおろす。
先生に超音波で増大傾向にあると診断されたのだと健康診断の結果通知を見せたら、「そりゃあ悪くなっていると思うよねえ」と笑っていた。超音波は年に一回なので一年前と比較している。去年の9月に少し増えたのを捉えて増大傾向と判断したようだ。その可能性もあるかもと思ってはいたのだがぬか喜びになるのが嫌だったので悪い方を考えていたのだ。
診察が終わった後、先生に2年前に石原慎太郎が書いた膵臓癌の重粒子線手術の手記をコピーしたものをプレゼントする。先生、膵臓の専門だから大いに喜ぶ。自分は石原慎太郎の本は読んだことがなかったけれど、先日一冊買ったんですよと言ってた。何を買ったのかとても興味があったが聞かなかった。
ところで2月22日から一ヶ月腹8分目で脂質に注意した食事を続けたが、
総コレステロールが204⇒198に減り、中性脂肪が101⇒72に減り、善玉コレステロールは57⇒66に増え、悪玉コレステロールは128⇒118に減った。
一ヶ月でこれだけ効果がみられるとは思いがけない副産物であった。無理しないで続けようと思う。

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