曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ:泣き笑い介護日記 > 障害を考える

面会制限を嘆いた記事を書いたら下記の記事を送ってくれた人がいたので紹介します。孤独とか孤立と言う言葉は安易に使って来たが、『孤絶』と言う言葉は儂の記憶では使ったことがない。

外出自粛が解除されても 「筋ジス病棟」の孤絶 ネット環境の保障を緊急要望

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 外出自粛が解除されても、外出させてもらえない人たちがいる。年数回の外出で、人生のほとんどを過ごす人たちにとって、ネットは社会とつながる命綱だが、ケアする側の都合で著しく制限されている。兵庫県や東京都などで地域生活を送る障害者らでつくる「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」(事務局・京都市南区)がこのほど、新型コロナウイルス対策で、病院の面会が制限される中、全国の国立病院機構「筋ジス病棟」のインターネット環境の向上を求める緊急要望書を、厚生労働相に送った。

全国に26カ所ある「筋ジス病棟」

 全国26カ所の「筋ジス病棟」には、筋肉が徐々に動かなくなる筋ジストロフィーなど神経難病の患者ら約1800人が暮らす。たん吸引など全介助が必要で、人工呼吸器を使う人も発語などコミュニケーションに障害がある人も多数を占める。10年以上入院している人が4割以上で、20年、30年と人生のほとんどをベッドで過ごす人も多い。

 同プロジェクトは、地域移行を目指す障害者運動からも取りこぼされてきた、筋ジス病棟で暮らす人たちを支援しようと、京都市で2018年に開かれたシンポジウムを機に立ち上がった。障害のあるメンバーが全国の筋ジス病棟を訪問するなどし、実態調査と支援を重ねている。

 緊急要望書は、筋ジス病棟によっては、病院側が手足の不自由な入所者を車イスに移乗して共有パソコンの部屋まで連れていかなかったり、看護師らがベッド上でパソコンやマウスなど周辺機器のセットをしなかったり、インターネット環境があっても介助を十分に受けられていない、と指摘する。

 「神経筋疾患の障害を抱える人はミリ単位の体位調整が必要ですが、忙しく立ち回る看護師に伝えることは非常に困難です。結果、外部との交流を制限され、365日24時間、毎日をベッド上で過ごし続ける人が現にいるのです。人としての当たり前の権利が保障されていません」と要望した上で、個々の障害者の身体状況に合わせた適切な意思伝達装置、通信機器、周辺機器を利用できる体制づくりや、遠隔ミーティング手段や通信中のプライバシー確保を求めている。

 同プロジェクトによると、新型コロナウイルス対策で、ほとんどの筋ジス病棟で面会が制限され、家族や支援者の立ち入りさえ許可されなくなったという。メンバーが連絡を取ったところ、全国の複数の病院に入所している筋ジス患者らから、「困っている」との声が寄せられた。

筋ジス病棟を訪問する大藪さん

 プロジェクトメンバーで、脊髄性筋萎縮症(SMA)の大藪光俊さん(26)=京都府向日市=は、筋ジス病棟がある国立病院機構宇多野病院(京都市右京区)に隣接する鳴滝総合支援学校に通った。同校は宇多野病院で長期療養する筋ジスの児童生徒らを対象とする病弱養護学校だった歴史があり、級友たちが今も筋ジス病棟に暮らすことから、大藪さんは車イスで市バスや電車を乗り継ぎ、支援や聞き取りを続けている。

 「自分はたまたま在宅生活を送り、大学にも通い海外留学もしたけれど、友達たちは社会から隔離されたまま。それがずっと、心にある」と、大藪さんは語る。大藪さんはヘルパーの介助を受けて1人暮らしを送っている。「この状況下ではインターネットを利用したオンラインのやりとりしか手段はありません。病棟の外の世界ではインターネットを利用した遠隔コミュニケーションが進められています。筋ジス病棟でも、同じような機会の保障がされるべき」と、大藪さんは訴える。

 「そもそも新型コロナウイルス禍がなくても、ネットは入所者にとって数少ない外部と連絡をとる手段でした。人は誰しも外の世界の誰かとつながって、動揺し、変化し、成長し、葛藤し、生きていくことができるのではないでしょうか。遠隔コミュニケーション手段のアクセス権利は、筋ジス病棟においては他者とつながる権利に等しいのです」

筋ジス病棟に入院している人たちをネットでつないで行われたシンポジウム(2018年12月京都市)
儂はまだ妻とはスマホ面会でつながっている。9月からは母のグループホームでは地元に住む家族だけがホームで10分ほど面会できるようになった。『孤絶』の人たちから比べたら恵まれていると感謝しなければならないだろう。確かにそうではあるが、だからと言ってそれで終わってしまったら、この記事を読んだ意味がない。
かくも壮絶な孤絶下で生きている人がいることを知ったからには知識として頭の片隅にしまいましたで終わらせてはいけないと思うのだ。儂らのような普通の人間にどうするのですかと問いかけられているのだ。すぐに何か出来なくても考えることは出来る。それがやがてはつながることになるのかなと思う。
コロナは多くの色々な人生を人々の前にさらけ出した。ある意味、コロナはつながるチャンスをくれた。そう思いたい。

コロナ禍の閑話休題。
儂の後輩で小さな会社を経営している男がいる。コロナで仕事が切れたが、去年も無収入なので持続化給付金の申請は諦めていた。だがその前年に収入があれば、特例で貰えることが分かった。但し、申告していなかったので税理士に書類を作ってもらわなければならない。でも、税理士には作成料を払わないといけないが、そのお金がなくてどうしようと悩んでいる。
その彼が相談したセンターでの話を聞かせてくれた。
会社を設立したものの三年間休眠していた男が持続化給付金200万を出せと目を血走らせて乗り込んで来て無理だと言うとマジ切れして怒り狂ったそうだ。そうかと思うと、秋葉原のメイド喫茶の女店員がコロナで店がお休みになった上に、店に通っていたパパから貰っていた御手当ても貰えなくなったので、100万円の持続化給付金が欲しいと相談に来たそうだ。
税理士と組んであくどいことをやっている連中は一杯いるそうだ。
コロナは人の本性も暴く。

特別給付金が支給されることが決まった時から、このお金は寄付しようと決めていた。儂はコロナで仕事がなくなったわけではないし、幼い子供を抱えて苦労しているわけでもない。身内がコロナに罹って大変な思いをした訳でもない。コロナと戦う医療従事者でもなければ、施設で献身的に働いている介護従事者でもない。犠牲的に働いている人たちや辛い思いをしている人たちが大勢いるのに、儂みたいに島根県の片田舎で、多少感染者が出たとはいえ、大過なかった男が10万円を個人的な楽しみに使うことにためらいを覚えていたのだ。勿論、10万円を消費にまわすことが社会にお金を回すことになり、小さなお店の経営を助けることになるのはわかっているのだが、どうせ使うなら意義のあることに使いたかったのである。だが、5月末に出雲市に申請書を送り返した時点でもまだどこへ寄付したものか迷いに迷って決まらなかった。寄付してあげたいと思う所が余りにも多すぎて。雇止めになった母子家庭の子が御飯が食べられなくなり、援助されたお米のご飯に久しぶりにありついて感激したなんて話を聞いたら、米ぐらいぐらいたらふく食ってくれと寄付したくなるではないか。医療を必要とする障害児の家族を支えている人たちの活動を知ったら支援したくなる。10万円を1万円ずつ10ヶ所に送ろうかなあなどと考えていて、ふと、一番身近な人間のことを忘れていることに気が付く。妻に何もしてやらなくていいのかと。妻もコロナの被害者である。マッサージも受けられず、儂みたいな男でも会えば気分転換にはなったろうにそれも出来ず、車椅子散歩も出来ず、この春は花見も出来なかった。何はさておき、妻にこそ何かしてやらなければならないと思ったのである。そして、その余った分を寄付に回しても許されるのではないかと。
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そこで取り寄せたのが『白いイチゴ』。この4月末から5月の間、儂は作ったイチゴを特養へ4回差入れした。内2回は妻と妻のユニットへ。後の1回ずつはお世話になっている事務室と看護室へ。だが、いくら気持ちを届けると言っても、素人の作った余り甘くもないイチゴに内心忸怩たる思いを抱いていたのだ。胸を張れるような甘いイチゴだったらそうは思はなかっただろうが。
儂は考えた。イチゴシーズンの最後は、飛び切り美味しく、珍しいイチゴで締めくくってやろうと。妻もユニットのお年寄りも白いイチゴは食べたことはないはずだ。きっと目を丸くしてくれるに違いない。結構いい値段がする。特別給付金でも出なければおいそれとは買えないイチゴである。2箱は妻と妻のユニットのお年寄りとスタッフへ。1箱は事務室と看護室にそれぞれ。6月1日に事務室に届けた。「遠慮せずに食べてください。特別給付金が出ますから」と断って。
ちょっと気分が晴れやかになって、心にも余裕が出来て、またふと思った。儂の為にも少しだけ使ってもいいのではないかと。そこで買ったのが、
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防草シートである。畑の通路に敷く雑草を抑えるためのシートである。いま隣の畑との間に敷いているシートが4年目でぼろぼろになってしまい敷き直す時期に来ていたのだ。安物を買ったので3年目からひどくいたんでいて今年は替えなければならなかったのである。これは20mあって10年持つ。シート押えのピン代をふくめても6000円はしなかった。これで妻の為にも自分の為にも使った。後顧の憂いなし。余ったお金は晴れて寄付に使える。
去年会ったSさんの顔が浮かぶ。
幼い時「キカイダー01」のファンだった方で、今はDPI(障害者インターナショナル)の事務局長をしている方である。この人と会った時の事はブログでも紹介した。実はこの後、このDPIの賛助会員になることを考えたのだが、会ってすぐ賛助会員になるのも何だか軽すぎる気がして躊躇っていたのだ。賛助会員になれば会報も送って来る。障害者問題だけではなく、差別や、国際的な条約などとても幅広くさまざまな分野で活動している組織である。会員になるからにはそれなりの覚悟もいると思っていたのだ。そうこうしている間にコロナ騒ぎとなり、母のグループホーム入所も重なり、賛助会員どころではなくなったのだが、ここへ来て、特別給付金も貰えることとなり、今こそ賛助会員になる時だと思ったのである。
と、いう訳で賛助会員になる訳だが、ここでSさんこと佐藤聡氏を紹介する新聞記事を転載する。いつか紹介しようと保存していた記事です。新潟の地方紙に載った記事だそうです。
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こういう記事を読むと人の顔が見えて来る。儂がこういう人が頑張っているところに寄付したいと思った気持ちも分かって頂けるかと思って紹介した次第です。

賛助会員になるにはこちらから

http://dpi-japan.org/join/sanjokodoku/  

DPIのこともよくわかります。

 

寄付はこちらから

http://dpi-japan.org/join/donate/
寄付金の使途の指定もできますよ。

明日12日(日曜日)の朝、NHKの「おはよう日本」で、『インディペンデントリビング』を撮った監督が紹介されます。介護現場でヘルパーとして働く姿も紹介されるようです。朝7時から。ちょっと早起きして観て下さい。実際に介護現場で働いている若者が撮ったことをとても価値のあることだと思っているのだが、その若者を突き動かしたものを本人の肉声で聞くのも楽しみである。この御時世にこんな若者がいると思うと、世代は違っても同じ時代を共有している喜びがある。人間への信頼かな。

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以下、うまく転載出来なくてすみません。スキルが低くて。
インターネット配信で応援して下さい。お願いします。

障害者の自立生活センターを舞台にした本作の試写会や、大阪での先行公開時には、障害当事者のお客様がたくさんご来場くださいました。障害者の方々の中には、呼吸機能や免疫機能などの内部障害をお持ちの方も多くいらっしゃり、コロナウイルスに感染した場合、重症化のリスクが高くなります。この点を考慮し、新型コロナウイルスの感染拡大によって外出を自粛せざるを得ない方たちにも映画を楽しんでいただけるよう、ユーロスペースでの公開期間中に限り、インターネットを利用した映画鑑賞の機会を提供いたします。

 なお、ユーロスペースをはじめとした映画館では、感染予防対策を施した上で本作品を上映予定ですが、今後の新型コロナウイルスの影響によっては、一定期間の休館や、公開日が延期される可能性があります。その場合にもインターネット配信は、実施いたします。

< 映画『インディペンデントリビング』 インターネット配信 >
■ 配信期間:3月14日(土)〜4月3日(金)24時まで
■ 料金:1,800円
■ 上映先リンク: https://vimeo.com/ondemand/filmil
   ※ ご購入から3日間、視聴することが可能です。 
   ※ クレジットカードでのご購入になります。

< 映画館での上映:メイン映画館「ユーロスペース」 > 
◎ 所在地: 〒150-0044渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 3F
   http://www.eurospace.co.jp/

*●*【 いよいよ明日、東京公開!! 】*●*
[東京]渋谷・ユーロスペースにて3月14日(土)〜
[ 月〜金|10:45 / 土・日・祝|10:30 ]
ほか全国劇場にて上映予定です!
※本作は全上映回、バリアフリー字幕、音声ガイド(UDCast)付の上映です。

★ご注意くださいませ!

お一人さま一アカウントでの視聴となります。

 

と、言う訳で、出雲では観ることは出来ないだろうと諦めていたのだが、インターネット(パソコン)で観ることが出来た。妻が倒れてから17年、映画どころかTVドラマすらも観ていなかったのに、久々に映画を観た。この間、映画館に行く暇もなければ、DVDを借りて観る時間もなかった。と言うか、どんないい映画やいいドラマがあっても、観たいと言う気持ちになれなかったのである。だが、この映画(ドキュメンタリー)だけは観たかったのだ。17年間、妻の障害と向き合っていたからだろう。障害を負いながら奮闘している人達の生の姿を観たかった。
以下感想。
車椅子で一杯の自立生活センター。こんなに多くの車椅子の人(それ以外の障害者もいるのだが、介助者も)が集まっていることに圧倒された。こういう場所には行ったことはあるが、これほど沢山、ぎっしり集まっているのを観たのは初めてであった。こんなに大勢の人たちがいるのに、私たちには見えていなかったのである。いや、見ようとしていないと言うのが正直なところだろう。見ぬもの清しとはよく言ったものだ。見なければ、知らなければ、これほど楽なことはないのだから。
だが、現実はそうではない。
「自立生活運動」を理解しようとする時、一番分かりやすいのは、各地の自立生活センターを先頭に立って運営しているのが障害当事者であるということではなかろうか。ここでは障害者当事者が障害者に手を差し伸べすくいあげようとしているのだ。
そのうちの一人は、17歳の時バイク事故で頸椎損傷で首から下が麻痺してしまい、15年間家に引きこもり寝たきりの生活をしていたと言う。ところが介護してくれていた母親が倒れ、途方に暮れた時、自立生活センターを紹介されたのだ。そこで、初めて車椅子に乗ることをすすめられ、いやいや始めた車椅子生活で初めて自分らしく生きることに目覚めたのである。
その人が曰く。「どん底の人たちが立ち上がって行くのを見るのは楽しい」「そういう人たちのために俺は頸損(頸椎損傷)になったのだと思うことがある」
何と言う美しい言葉、見事な言葉ではなかろうか。このドキュメンタリーを観た時、儂はこういう人と出会いたかったことが分かった。
初めて介助を受けることになった障害者に介助者が言う言葉。
「して欲しいことがあったら何でも言って下さい。僕たちはボランティアではないのです。お金を貰っているのですから、何を言ってもいいのです」
ボランティアとはとても崇高な行いをする人と思われている。無償で尽くしてくれる人に対して、障害者の立場だとどうしても遠慮してしまう。こんなこと頼んでいいのかとか。その負い目を簡単に打破する素敵な言葉なあと思った次第である。こういう言葉に出会うのも映画である。
この映画の中に、リハビリを専門に行う自立生活センターが出て来た時、思った。
「ああ、こんな所が17年前にあったら」と。
17年前、妻が10ヶ月の入院、リハビリの後、在宅介護になった時、儂が一番望んだのは最後のリハビリ病院で受けた最高のリハビリを続けたいと言うことであった。だが、在宅になったらそんなリハビリは望むべくもなかった。たとえ、あっても入所できたかどうか分からないし、その頃は今ほど自立生活センターは沢山なかったように思う。
声高に差別や無理解を嘆いたり、批判する映画ではない。監督は自立生活センターで介助者として働いている人。内部の人がありのままをありのままに撮った、とても素朴で、自然で、だからこそ訴える、新鮮なドキュメンタリーだと思う。是非、観て下さい。


1日に上京して、2日が葬儀、4日に出雲に戻って来たのだが、その2日の夜、大昔の特撮ヒーロー番組の『人造人間キカイダー01(ゼロワン)』のファンだったと言う人と会う。現在50歳。紹介してくれた人の話によると、6歳の時に熱烈なファンだったそうで、どうしても脚本を書いていた儂に会いたいと仰っていて、自分の方から出雲へ行くとさえ仰っていたそうだ。いくら何でも出雲まで来ていただくのは余りにも申し訳ないので、必ず上京する時があるので、その時にお会いしましょうと言っていたのが、思いがけず上京することになり、お会いすることになったのである。
実はその方、Sさんは車椅子ユーザーで、日本の障害者運動の草分けともいうべき人だったのである。
Sさんの履歴を聞いた時、障害者運動の先頭に立って来た50歳にも『オタク』がいるのかと思ったのだが、ニコニコと車椅子で現れたSさんには厳しい戦いを続けて来た闘士の顔はなく、『オタク』の匂いも微塵もなかった。年齢よりも若く見えるとても温厚な紳士であった。
「会いたかったのですよ。会えてうれしいです」
Sさん、曰く、なぜこんなに会いたいと言い続けたかったかと言うと、若い時、Sさんのよき理解者になるであろう人と会うことを楽しみにしていた時があったのだそうだ。ところが忙しいこともあり、近くにいる人だったのでいつでも会えると思っていたら、その人が不慮の事故で亡くなってしまった。その時以来、会いたいと思った人とはすぐに会わなければならないと思い定めたのだそうだ。
Sさんの若い時と言えば、障害の問題を考え、悩み苦しんでおられた頃だろう。その時の理解者がどれだけ大切な存在だったか。失った哀しみがどんなに大きかったことか。その時の気持ちを思うと、会って嬉しいと喜んでくださる姿を素直に有難く受け止めることが出来たのである。こんな儂でも喜んでもらえて、照れ臭いやら面映ゆいやら、いい歳をした同士が笑顔で沢山の話を楽しんだのであった。初対面とは思えない人だった。
『キカイダー01』は1973年の新潟では夜の8時からの放映だったそうだ。儂も思い出す。あの頃は子供番組を東京でも8時から放映していたのだ。6歳のSさんはどうしても眠くなるので親に眠らないように起こしてくれるように頼むのだが、それでも寝てしまって見逃したことが何度もあって、とても悔しかったと今でも悔しそうに語っておられた。そういう話を聞くと、儂だってもう小学生の高学年だったが、「月光仮面」や「白馬童子」「風小僧」「怪傑ハリマオ」「トンマ天狗」などをどれだけ夢中になってみていたことか。それより小さい時はTVなんてなくて、ラジオの「紅孔雀」に夢中だったことを思い出した。子供番組が宝物の時代が誰にもあったのである。
9歳の時、Sさんは原因不明の病で車椅子となり、施設での生活を余儀なくされる。同じような仲間がいたが皆家に帰りたいと泣いていたそうだ。普通の小学校に行きたかったが特別支援学級に通わざるを得なかった。中学に進級する時はどうしても普通の学校に行きたくて申し込んだら、校長先生が理解ある人で校舎を改造して車椅子でも通えるようにしてくれたそうだ。
大学は早稲田を下見に行くが階段が多くてとても通えない。関西学院を見に行ったら、校内に入った瞬間に「あっ、ここなら通える。仲間がいる」と分かったと言う。スロープがあったのだ。実際に数人の車椅子の学生がいて、Sさんはその人達とともにアメリカから始まった『自立生活運動』を起こしたのである。この時、東京でも『自立生活運動』を起こしたグループがあり、Sさんたちはその後西の拠点となったのである。
1990年ごろは、車椅子で電車に乗る闘いをしていたそうだ。その頃は車椅子で電車に乗ろうとすると、駅員から露骨に嫌がられ、拒否されたと言う。
「車椅子の人間が電車に乗らなくてもいいじゃないか。そういう時代だったんですよ」
Sさん、駅へ行く日は、深呼吸して覚悟を固めて家を出たそうだ。駅員と喧嘩をしに行くからだ。
1990年の自分を思い返す。そんな闘いが行われている事なんか何も知らなかった。
あっという間に時間が過ぎ、地下鉄都営新宿線の新宿3丁目の駅へ。
車椅子は早いと聞いていたが、Sさんの車椅子の早いこと。大股で急がないと追いつかない。人込みもすいすいと交わして。「僕たちは東京中の駅のエレベーターを知っているんですよ。仲間と情報交換してるんです」
どの駅にも駅専用のエレベーターがあるわけではない。新宿三丁目も。そういうところは民間のビルのエレベーターを利用して行くのだそうだ。
途中までご一緒して別れる。
「今度、出雲に来てください。うちにはホンダのN-BOX+がありますから」
「はい、必ずゆきます」
何が嬉しかったかと言うと、この年になって出会いがあったことが嬉しかった。

クラウドファンディング「誰でも安心して入れるお店を増やしたい!バリアフリーな街づくり」の結果
2月29日に終了。
目標62万円で始めましたが、最終的に1,056,000円(達成率170%)となりました。

以前、記事にした、車椅子で生きる若者の映画『インディペンデント リビング』、NHKが取材に来たそうです。
「おはようニッポン」で放映されるそうです。12日と聞いた記憶があるのですが、その時は覚えたつもりだったのですが、間違っていたらゴメンナサイ。

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