第五章 出雲の武士(1)

 

 果てしなく広がる澄み切った空に、雲が千切った和紙を張り付けたように散らばっている。馬上の辰敬の目に映じたのはまごうことなき出雲の秋天だった。

 尼子勢は大内義興に一文の得にもならない戦いに付き合わされ、いやいやの上洛だったから帰心矢の如しであった。出雲街道を下り伯耆と出雲の国境を越えると兵士たちは生きて帰れた喜びに浸ったが、六年ぶりに帰国した辰敬を襲ったのは懐かしさよりも底なし沼に吸い込まれて行くような絶望だった。

(とうとう戻って来てしまった)

 目を落とせば波打つ稲穂も昔と変わらぬ実りの出雲だったが、青い空と黄金の海が作る巨大な空間が、辰敬には目には見えない牢獄に思えたのである。

(ここに入ったらもう二度と都へ戻ることはできないだろう)

 辰敬は諦めの蹴りを馬腹にくれた。馬も首を垂れて歩き出した。

 富田の山々が見えて来た時、辰敬はこれからは変わらねばならぬと自分に言い聞かせた。だが、自信はなかった。肝心の未来が見えない。

 四ツ目結いの旗を靡かせ数百人ほどの凱旋部隊が富田城下に入ると、詰めかけた群衆が歓呼の声で迎えた。

(何と小さな町だろう)

 揺れる目に映る何もかもが都とは比べ物にならなかった。家も人もくすんで見える。着飾った人々よりも都の乞食の方が美々しく思えた。もうもうと巻きあがる土埃さえも都大路では金粉のように見えた。

 辰敬たちは月山(がっさん)の西麓と富田川の間に開けた城下町を進み、お子守口から入城した。富田城は広大な山城でこの西の門から入る道は搦め手道と呼ばれる。色づき始めた山道を少し上ると太鼓壇(たいこのだん)に至る。部隊はその広場で解散した。

辰敬を先頭に庄兵衛、三郎助の三騎が郎党たちと共に屋敷に戻ると、門前に母の姿があった。

「辰敬」

 馬に駆け寄り縋り付くように見上げた母の顔は六年の歳月を経たものであった。

 辰敬は下馬すると胸を反らし精一杯大人びた顔で帰国の挨拶した。

「ただいま戻りました」

「がいになって……」

 すでに目は涙の海だった。辰敬は照れ臭そうに眼を逸らした。

 六年ぶりに家族と顔を会わせるとやはり懐かしさが込み上げて来たが、父悉皆入道の前に出ると昔と同じように身体が強張った。大社造営の重責を担う父は一層威厳を増し、末の子の成長を測る視線が恐ろしくさえ感じられた。長兄正国は髭をたくわえ、父親に似た雰囲気を漂わせていた。妻は生まれたばかりの男の子を抱き、幼い娘を連れていた。養子に行った次兄の重明も妻を伴ってやって来た。一番会いたかった姉は尼子国久に嫁いでいるので来ることが出来なかった。

 その夜、辰敬の帰国と庄兵衛たちを労う宴がもたれた。

 話題は船岡山の戦いに終始した。

「お前、鎧を着て馬に乗れたのか」

「は、はい、もちろんです」

 正国は案外な顔をした。

「重明は跨った途端向こうに転がり落ちたものじゃが……」

「ほんとですか」

 辰敬が目を丸くしたので、

「兄上」

 慌てた重明の様がおかしくてどっと座がが弾けた。

「じゃが、儂は頬を矢が掠めたが、ひるまず敵陣に突っ込んだぞ。辰敬、お前はどうじゃ」

「はあ、私は……」

 すかさず庄兵衛が助け舟を出してくれた。

「此度は辰敬様が戦場を経験するためのものでございまして、殿様からも無理をさせてはならぬと命じられておりましたので、辰敬様が逸らぬよう某と三郎助が脇をかためておったのでございます」

「何じゃ、見物か」

「いえいえ、重明様もお分かりのように、矢はどこから飛んで来るか、片時も息を抜けません。戦況は刻々と変わり、いつ何が起きてもおかしくない激しい戦闘の中で、若は終始落ち着いておられました」

「初陣にしては肝も据わり、堂々としたものでございました」

 三郎助も加勢してくれた。二人は馬が暴走したことには触れなかった。さすがに言い難かったのだろう。辰敬にしても振り落とされ、石童丸に殺されかけたところを、間一髪多聞に助けられたことは墓場まで持って行く秘密だった。

「いやあ、まっことあっぱれ若武者ぶり、お見せしとうございました」

 酔いが回った庄兵衛の大声に辰敬は顔から火が出た。兄たちは半信半疑だった。辰敬はそっと父を窺った。その父の目元が一瞬ふっと微かに緩んだ。

 

 翌日、辰敬は庄兵衛が都で購入した扇子を土産に、親戚と隣近所の屋敷を回って帰国の挨拶をした。皆、多胡家と同じ富田衆で、成長した姿を祝ってくれたが、その口ぶりは親戚でさえも儀礼的だった。辰敬をどのような顔をして受け入れてよいのか戸惑いがありありだった。

 無理もない、六歳の時から御屋形様に可愛がられ、十二歳から十七歳まで足掛け六年も都で京極家に奉公したのだから。

 同年代との縁も完全に切れていた。守護所に通う子は色眼鏡で見られ、親しく遊んでくれる子はいなかったところにもって、六年間の不在である。誰一人訪ね来る者はいなかった。と言うか、同年齢はみな出仕し、山麓の里御殿や役所に勤めていた。

 数日後の早朝、父は杵築へ戻った。大社(おおやしろ)の造営は順調に進んでいたが気は抜けない。同じ日の朝、辰敬は父を見送った後、登城する正国を見送った。

「お前、今日は新宮谷へ行くそうじゃな」

 ようやく都合がついて、午後から姉に招かれていた。

「南谷へは近づくなよ」

 いきなり太い氷柱(つらら)を背中に突っ込まれたかのように辰敬の身体は一気に冷えた。心も。屋敷を空けるに当たって、父が兄に言い置いたのは容易に想像がついた。

(それくらいわかっちょる)

 噴き出しそうになる声は抑えたが、震える身体を抑えることは出来なかった。正国はちらりと目をくれ出て行った。

 午後、辰敬は城下を北へ抜けると、山麓をぐるりと回るように新宮谷へ向かった。懐かしい姉の顔を思い浮かべて。

富田城の大手門(すが)谷口(たにぐち)に通じる道を右に見ながら通り過ぎると、新宮谷の入り口になる。二つの谷が合流して出来た扇状地で、そこから二つの谷は人差し指と中指を広げたように、東の山に向かって緩やかに上っている。城に近い方が南谷。遠い方が北谷である。二つの谷は低い尾根に隔てられている。

見るまいと思っても視野に入る。止まるまいと思っても足は止まる。何一つ昔と変わらぬ南谷。山道とその足元をひっそりと流れる谷川。山道と谷川の両側には段々畑と武家屋敷が上流に向かって続いている。緩やかな山道を少し入り、谷川を渡ったところに、月山に続く尾根に向かってこんもりと森が茂っている。十二所神社の森である。

辰敬からは見えないが、あの森の向こうに守護所がある。どんと胸が鳴り心の臓が壊れたかのような痛みが走った。甘美な懐かしさは一瞬のことだった。

御屋形様が死んで三年、もうあそこには御屋形様はいない。いるのは吉童子丸。母の御寮人は北近江で敗死した夫の治部(じぶ)少輔(しょうゆう)材宗(きむね)を弔うため、平浜別宮に庵を編んでいると聞いていた。京の石清水八幡宮を平安時代に勧請した格式のある神社である。中海に近い八幡荘にあり、ここからは離れている。

下向して間もなく御屋形様が死んだから、吉童子丸はたった一人でもう三年もあそこに暮らしているのだ。九歳から……。

胸の痛みは悲痛に他ならなかった。こんな田舎に。京極家の家臣に守られているとは言え、どれほど寂しい事か。毎日何をして過ごしているのか。友達はいるのだろうか。

辰敬は十二歳で御屋形様に呼ばれ、夢と希望に胸を膨らませて上洛したのに。あの時の天にも昇るような興奮、喜びの余り気が狂いそうだった日々を思い出すと、今は同じ十二歳となった吉童子丸が哀れでならなかった。

やむを得なかったとはいえ、三年もの間、文の一つも送らなかったことが自責の念となって込み上げて来る。父が蹴った鞠を見つけて送ると約束したのに探すのも諦めてしまっていた。さぞや辰敬に失望している事だろう。辰敬が出雲に戻って来た事を知っているのだろうか。いや、辰敬のことなどとっくに忘れているかもしれない。

(ああ、忘れられた方がどれだけ気が楽か……)

 ぶるっと身体が震えた。自分で自分の言葉におののいたのである。辰敬は吉童子丸に詫びながら北谷に向かった。

北谷も南谷に似ていた。段々畑と武家屋敷や寺が続く緩やかな山道を上って行くと、左手に国久の大きな館があった。

姉は二歳の娘を持ち、腹には次の子を宿していた。一段と美しくなった若い妻にして母の顔は眩しいほどに光り輝いていた。尼子家の未来を照らすかのように。姉の為には嬉しいことだけれど。

「大きくなりましたねえ。男らしくなって」

 すぐ下の弟を見る目は昔のままだった。

「色々なことがあったでしょうが、きっと将来のあなたの為になります。無駄な六年ではありませんよ」

 一言多くてお節介なところも。まるで何もかも見通しているかのように。どんなことがあったか知っているはずはないのだが、一目見ただけで辰敬が心の内に抱えているものに気が付いたのだろう。姉も成長していた。我ながら生意気な感想だと思いながら辰敬は嬉しかった。

「やっと戻って来たか」

 縁を踏み鳴らして国久が現れるとどかっと腰を下ろした。

「お久しうございます」

 一礼して頭を上げると、逞しい若武者が見据えていた。この歳にしてすでに王者の風格を備えていた。それもそのはず。経久には政久、国久、興久の三人の子があったが、次男の国久は吉田氏を継ぎ、吉田の孫四郎国久と呼ばれていた。吉田氏は奉公衆で富田荘の隣吉田荘を治める出雲東部の有力者である。

奉公衆は室町幕府の将軍直轄の軍事組織で、守護不入の絶大な力を有していた。出雲守護京極氏も吉田氏と吉田荘には指一本触れることは出来なかった。だが、経久は吉田氏を圧迫し、ついに次男国久を吉田氏に送り込むことに成功したのである。

同様にして、三男興久も奉公衆塩冶氏に送り込んだばかりであった。出雲に領地を所有する奉公衆は何人もいたが、東部の吉田氏と西部の塩冶氏はその双璧だった。経久は出雲の東西有力者を支配下に置き、出雲支配を着々と進めていた。

 吉田荘は新宮谷の山を越えた東にあるので、国久は気楽に山を越えて吉田と新宮谷を行き来していた。

「ところで、初陣はどうじゃった」

 覚悟していたことだが早速国久は聞いて来た。武張った眼をぎらぎらさせて。

「はあ、何が何やら分からぬうちに過ぎてしまい、気が付いた時は終わっていまして、あまりよく覚えておりません」

 あらかじめ用意していた言葉を、伏し目がちに口ごもった辰敬に、国久は落胆を隠さなかった。

「ふむ、何も覚えておらんとはのう……」

 辰敬は汗を浮かべそっと上目遣いに国久を窺った。三人兄弟の中で最も勇猛、素戔嗚の化身と称えられる若武者がにたりと笑った。が、その目は笑ってはいなかった。汗が一瞬に引いた。初陣の失態がばれているのではないかと思ったのである。戦場には必ず戦目付が置かれる。公平な論功行賞をするために兵の戦いぶりを監察する。卑劣な振舞や失策も逐一報告される。冬にはまだ早いのに、辰敬は氷像になった。からからと豪快な笑い声が響き渡った。

「ま、そんなもんじゃろう」

 氷が緩み、滴が一筋すうっと辰敬の背中を滑り落ちた。国久は妻を振り向いた。

「こればかりは場数を踏まねばのう」

 妻は哀しげな顔で頷いた。面を上げると逃げるように話題を変えた。姉の顔になっていた。

「御奉公するところは決まったのですか」

 緩んだ氷がまた凍った。

「いえ、まだです」

「あら、まあ……そうなのですか……」

 意外な顔をした。

(うい)(づと)めですからねえ、お祝いをして上げようと思っていましたのに」

 すぐにも出仕すると思っていたようだ。

「はあ、兄上はその内お召があるだろうから待っておれと仰るので、待っておるところです」

「戻って来たばかりじゃ。少し休んで、都ぼけが終わってからじゃろう」

 国久は冗談めかして笑ったが辰敬には案外正鵠を得た言葉のように思えた。他人には都ぼけと見えているのだろう。

「決まったら教えてください」

「はい、ありがとうございます」

 辰敬は国久の屋敷を後にした。南谷には一顧もくれず走るように帰宅した。

 

 その後、今日か明日かと召し出しを待ったが一向に音沙汰はなく、月山も対岸の京羅木山も、虚ろに眺める辰敬の頬を真っ赤に染めるほどに紅葉した。

 冷たい風に山々が騒ぎ、吹き飛ばされた紅葉が富田川を巨大な錦繍の帯となって下るともう冬である。ここまで来ると年内の召し出しは諦めざるを得ない。年を改めてからだろう。その方が区切りもいいと辰敬は自分に言い聞かせた。

それにしても、なぜこれほど時間が掛かるのだろう。どうして情報の一つも入って来ないのだろう。三男坊とは言え辰敬は重職にある富田衆の子である。姉は主君の次男に嫁いでいる。その歳になればそれ相応の働き場所が与えられていいはずである。初陣も果たしたのに。

(都へ行ったことが禍となっている)

結論はそれしかなかった。辰敬は御屋形様に可愛がられたことで出雲でも都でも疎んじられていた。帰国に当たっても出雲の視線は冷ややかだろうと覚悟していたがこれほどまでとは予想外だった。御屋形様は三年も前に死んでしまったのに、なぜ十七歳の若者が未だに疎んじられなければならないのか。まるで辰敬の存在などなかったかのように目さえ向けようとしない。たまに向けられた目に気が付くと、それはあからさまに戻って来なければよかったのにと拒否していた。

この頃には辰敬はそれらの目が、背ける目も拒む目も、京極家に向けられるものと同質であることに気づいていた。

尼子氏が守護代となって出雲に来てから、主家の京極氏は尼子氏にとって常に目の上の瘤であり漬物石だった。だが、守護不在の隙をつき、世代を重ねて実力をつけた尼子氏は今や誰が見ても出雲の支配者であった。尼子氏は当然のごとく守護として振る舞った。

だが室町幕府は尼子氏を守護と認めていなかった。依然として出雲守護は京極氏であり吉童子丸であった。もはや何の力もない少年が名ばかりの出雲守護なのである。尼子経久にとっては耐え難い事であった。出雲の一の宮杵築大社の造営は、権威と財力を備えた国主たるべき者にしか出来ぬことである。京極氏さえできなかったことを経久は行っている。東西の奉公衆吉田氏と塩冶氏も屈服させた。北部には尚も抵抗する勢力があるが、経久が出雲全土を制圧するのは時間の問題であった。

 にもかかわらず、なぜ幕府は尼子氏を守護と認めないのか。考えられる理由は幾つかある。守護代が守護に取って代わる下克上を認めたら幕府の秩序が保てなくなる。だが、これは日本中で起きている事である。出雲だけ特別な訳ではない。ある者は言う。大内氏が裏で幕府に認めないように働きかけているのだと。山口の大内氏が尼子氏の台頭を喜んでいないのは公然の事実だった。

 それらの家中に溢れる不満や苛立ちが、辰敬の顔を見たら湧き上がって来るのは無理もないことだと辰敬も思う。どこまで真実が伝わっているのか分からないが、辰敬は出雲守護吉童子丸のお守りを勤めていたのだから。

 どこに出仕するにしても上役は使い辛いであろう。ましてや重職の子だけに余計に気を遣う。誰も引き受けたくないのであろう。

 辰敬は屋敷に閉じ籠った。だが、いい若い者が日がな一日ごろごろしているわけには行かない。朝夕庭で木剣を振るった。上洛前に素読をしていた論語を引っ張り出した。文机に向かい、墨を磨り、筆を執った。母や兄の目を意識してのことであり、杵築の父に伝わることも計算の内だった。

 ため息が白い息となった。出雲の冬は雲が低く垂れ込めて暗い。母の顔も暗くなり、家の中はすっかり暗くなってしまった。兄の顔も険しくなるばかりであった。

 ちらほらと初雪が降り出した日、辰敬は息の詰まる屋敷から逃げ出すように馬に飛び乗った。馬の稽古をすると言い置いて、激しく鞭をくれた。

人目を避けて富田川の上流に向かってひた走った。出雲の天気は変わりやすい。晴れたと思ったのも束の間、俄かに空はかき曇り、激しく霰が叩きつけた。まるで辰敬を苛むように顔面を氷の礫が打ち据えた。辰敬は歯を剝きだし、おうおう吠えながら馬を走らせた。鬱屈を吹き飛ばすためだけの早駆けではなかった。馬の稽古は屋敷を抜け出すためだけの口実ではない。馬術を磨かなければならない切実な理由があった。戦場で二度とあのような無様な真似は出来ない。分かっているのは庄兵衛と三郎助の二人だけだった。

 正月に父が戻って来た。父と兄の間で、松の内が明けたら、多胡家側からも辰敬の奉公を働きかけようと話がまとまったようであった。辰敬は父に呼ばれた。

「わぬしはどこで誰に何を学んだのじゃ」

 辰敬は口ごもった。

「寺には通わなかったのか」

 辰敬は頷いた。

「武芸は」

 京極家にも腕の立つ武士はいただろうが、辰敬に教えてくれる者はいなかった。今と同じで一人木剣を振っていただけである。

「御屋形様は何を考えておられたのかのう。呼ぶだけ呼んでおいて、学問もさせて下さらなかったとは」

 父はため息を吐いた。

「お前の働き口を見つけるために人に頼もうと思っているのじゃが、それでは頼みようがないではないか。名のある寺に通って学んだとか、弓矢の道も学んだのならば、相応しい場所もあるのじゃが。一体わぬしは何をしておったのじゃ。遊んでおったのか」

 それは言い過ぎだ。そもそも吉童子丸のお守りを言い遣った時点で、学問どころではなくなった。その後も混乱が続いた。御屋形様が死んでしまってからは、国元からも放りっぱなしにされていたではないか。

辰敬は叫びたかった。そのような状況の中でも自分なりに学んだのだと。それが証拠にどんな文書も読める、どんな文書も書ける。漢詩も作れる。和歌も詠める。連歌も出来る。どれもまだ未熟だが。手紙も書ける。公儀や朝廷のしきたりや行事も少しは知っている。

 だが胸を張って言えなかった。貧乏公家の公典に学んだとは。しかもその教材はすべて反古であった。公典の家には書物などなかったから。拾い集めた反古を伸ばすと、それは土倉の借金証文や商いの契約書や督促状の書き損ないだったりした。

燃え残った一揆の連判状だったり、どこかの武将に宛てた感状だったり、出陣を促す檄文もあった。町衆に出されたお触れもあった。

それらを教科書にしたのだ。公典は借用書の書き方も教えてくれた。

古今集や漢詩の写しを材料に古典を教えてくれた。万葉集や唐詩も学んだ。中には遊女に宛てた恋文の書き損じがあった。公典はにやりと笑い恋文の書き方を教えてくれた。この時が今思い出しても一番楽しかった。いちに出すつもりで綴った時の心のときめきは今も蘇る。

父に訊きたかった。

(こんな学問はだめなのでしょうか)

 だが言えなかった。

「馬もよいが、いつお声が掛かってもいいように心構えはしておくのだぞ」

 父は杵築へ戻ったが、城下に降り積もる雪を見ると、父と兄がいくら働きかけてくれたとしても、声が掛かるのは雪が溶けてからとしか思えなかった。

 

辰敬は雨が降っても雪が降っても馬を責めに出た。屋敷に居たくなかったのであるが、出雲の武士は冬にこそ慣れなければならないと思ったからでもあった。大きな戦いは常に稲刈りが終わってからの冬になる。人家の少ない富田川の上流の山野を走り回っていたが、来る日も来る日も冬枯れの景色の中を走っているとさすがに飽きて来た。

その日は突然春が来たような陽気だった。低く雲が垂れ込み、冷たい季節風の吹く陰鬱な出雲の冬に、忘れていた青空が広がり、暖かい陽光が降り注ぐことが偶にある。

辰敬は富田川の下流を振り返った。

川を挟んで右手、東に雪を被った月山富田城が聳え、対岸の左手には京羅木山が雪の布団を被っていた。辰敬はその眩しいほどに白い山容に目を細めた。

京羅木山の南麓には富田から中海や宍道湖方面へ抜ける山道が連なっている。陽気に誘われるように、辰敬は雪の山道を責めてみようと思い立った。

辰敬は対岸に渡ると川に沿って下り、富田八幡宮を通り過ぎたところで山道に馬を乗りいれた。雪の山道には好天の隙を突いて往来した人馬の跡が残されていて、辰敬の緊張はほぐれた。落葉樹の続く山道には暖かい陽が射し込んでいた。緩やかな山道を登りながら辰敬が思うことはこの道の先だった。このまま山を越えれば出雲の臍に出る。古代から出雲の政治経済の中心で、武士の世になってからは代々京極氏が君臨した幡荘に至る。八幡の平浜別宮には御寮人の庵があり、隣の竹矢郷の安国寺には御屋形様のお墓がある。

白い吐息が漏れた。いつかは行きたいものだが、そんなことが許される日が来るのだろうか。目と鼻の先の新宮谷の守護所さえ訪れることが出来ないのに。

不意に馬が止まった。その先は急に道が険しくなり、腸のように曲がりくねっている。辰敬は山道を進み過ぎたことに気が付いた。途端、その顔にさあっと横殴りの雪が吹きつけた。空を仰いだ辰敬の顔が強張った。深い木立の間から見える空に雪が渦巻き、みるみる雲に覆われて行く。いつの間にか鬱蒼と杉が聳える暗い山道に入っていて、辰敬は天候の急変に気が付かなかったのである。ひとたび悪い方に変わると出雲の空は容赦がない。辰敬は白い悪魔に襲われた。慌てて馬首を返し山道を下ったが、激しい雪で一寸先が見えない。今登って来たばかりの馬蹄の跡もたちまち雪に埋まり、みるみる積もって行く。

背筋が寒くなったのは寒気のせいだけではなかった。激しい雪に馬が興奮していた。このような状態で山道を下るのは、地獄へ向かって進むようなものだと思った瞬間、辰敬は宙に投げ出されていた。視界を山道を踏み外した馬が()ぎり、辰敬は雪が積もった斜面を転がり落ちていた。

途中、何度か大きく弾み、辰敬は倒木に激突して止まった。衝撃に思わず呻いた。その身体の半分は雪に埋まっていた。倒木が作った雪だまりに突っ込んでいたのである。体中が痛むが骨は折れてはいないようだ。もしこの雪だまりがなければあばら骨の一本や二本は折れていたことだろう。まだ運が残っていたことに感謝しながら辰敬は雪だまりから抜け出した。

倒木の向こうには細い谷川が流れていた。崖は高く険しい。山道へ戻ることは諦め、辰敬は流れに沿って下ることにした。馬はどうなったのか分からなかった。

雪を被った岩に何度も足を滑らせ、辰敬は全身ずぶ濡れになった。流れは浅いが水は一瞬にして体温を奪い、たちまち辰敬は全身の感覚を失った。もはや自分の体でありながら自分の体とは思えなかった。頭の芯まで凍てつき、気が遠くなるのを覚えながら、ただ本能の命じるままに身体を運んでいた。

と、凍てつく冷気に混じって、かすかに何かが燃える臭いが漂って来た。それは次第に強くなり、うっすらと煙となって流れて来た。

視界が開け、崖下にへばりつくように掘っ建て小屋があった。その隙間から漏れる煙に気が付いた時、辰敬は気を失った。

 

 温もりに包まれたから意識が戻ったのか、意識が戻ったから全身の温もりに気が付いたのか分からなかったが、辰敬は火の側に横たわっている自分に気が付いた。素っ裸をボロ布にくるみ、焚火にあぶられていた。

「気がついたか」