録画して送ってくれるので聞き取りにくい処があるのだが、8月の1週目では「これでもお母さんや」「(娘が)お嫁さんになるまで死ねないの(もう結婚しているのに)」と聞き取れた。
こんなにも母親の気持ちが強いんだなあと思い知らされる。夫との会話が盛り上がらないわけだ。
8月の2週目のやり取りは大いに弾む。
「〇ちゃん~早くかえっておいでね」
「そうだね、あれよねー感染症がおさまったらね」
「・・・なぁに?」
「いま感染症がすごいのよ、ウイルスが、いっぱい」
「感染症?」
「そうそうそう、お母さん看護師だったからわかるでしょ」
「あれ、ウイルスでしょ?」
「そうだよ、ウイルスだよ。インフルエンザよりもっとひどいやつ」
「ちゃ~んと知ってるのよ~感染症って、パッパッパッパッってうつるの」
「そうそうそう東京は危ないからね。お母さんに持って帰ってうつしたらね」
(職員さん)「お母さんに持って帰ったらまずいでしょって。なかなか今行き来がしにくい状況ですね」
「でも主人とはキスします~(笑)」
「あはは、濃厚接触」
「お父さん好きだもんねぇ~(笑)」と、ふざける妻。
これをラインで送ってくれた後に娘が言う。
「お母さんはもう何も分からなくなっていると思っていたけどちゃんとわかっているのではないかと思ったよ。子供に接するように易しい言葉で話しかけたりしていたけれど、普通にちょっと難しいことでもどんどん話した方がいいのかもしれない」と。確かに。教えられた。
3週目は娘も忙しく、4週目の8月25日。
娘がカメラに映った瞬間、「あら、髪切ったのね」
髪を切ったことがすぐにわかる。
これには儂も嬉しかった。目が見えにくくなっているのではないかと心配していたのでスマホの画面でも分かったのだからたいしたものだ。
このところ、毎回、スマホ面会で娘が映った瞬間「キャー、〇ちゃん」から始まっているそうだ。
スマホでの面会になじんだのだろう。
そして、例によっていつもの会話が始まることも。
「正月いっしょに過ごそう。お琴聞かせて。たらたらんたらら~」
妻は若い頃琴を習っていたのだ。
世間では若い人ならコロナにかかっても、老人にうつさなければよしとして経済を回すことを優先するような風潮だけど、クラスターが起きたり、感染者が増えるたびに、面会制限される人たちがいることには誰も目を向けてくれない。マスコミでも高齢者や基礎疾患の人たちへの言及はあるが、面会制限を取り上げることはない。
きっと面会制限なんて大した問題ではないと思われているのだろう。悲しいね。
語録(24)
(ちょこっとキスしてやったら)
「ヒゲがちくちくした。お父さん、私の柔らかいとこ触るんだから剃っておかないと」
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「ちっとも好きよと言ってくれない」
「ごめん、忙しくて」
「ひとこと言ってくれたらいいのに、10分も20分もかかるわけじゃなし」
2007.10.2
「ちょっと車に乗せてください」
「どこ行くの」
「デパート、2、3分でゆくでしょ。お父さん、お金持ってってよ。ジュース飲むんだから」
(儂が立ち上がると)
「どっこいしょと言わないの」
2007.10.7
「隣のおやじ、汚いね。品がないね。いつもお父さん見てるから、汚いね」
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「18、19なんて目じゃないよ。40、50過ぎると、お父さんみたいなのが可愛がってあげると言うと、みな、ついて来るよ」
2007.10.8
「私のまわりにウンチのにおいがする。ちゃんと取ってください」
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(長井さんのニュースから ※TVをみていたのだろうが、どんなニュースか記憶にない)
「死ぬことが自由になることだって。お父さん、そんなこと思わないでよ。書きたくないとか。自由になりたいとか」
※長井さんのニュースと言うのが今となってはなんのことか分からない。
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「寒くない?」
「寒くない。ありがとう。今ので温まった」
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「私が死んだら起こさないでよ。〇子、〇子と起こす?静かに眠りたいから」
2007.10.9
「左足の包帯とって」
(オムツ交換の時。包帯なんかしていないのだが)
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(オムツ交換に行くと)
「うれしいピョン。いきなり現れたから」
2007.10.11
「俺、○○○兄ちゃん(妻の従兄)じゃないよ」
「似てたから」
「どこが似てる?」
「背高いとこ」
「背高いだけ?」
「優しいところ、鼻が曲がっているところ」
2007.10.15
「バスに乗って行こう。車椅子ではどこにも行けないから」
2007.10.24
「〇〇先生、来ないね」
「もう死んじゃったんじゃないの」
「いや、私が料理してると言ったから、来ないの」
(夜、パットを交換していると、何度も頬っぺたを叩く)
「どうしたの?」
「痛いじゃないか」
(拘縮している方の左足が痛かったのである)
2007.10.26
「行きましょう、お父さん」
「どこへ」
「デパートの風呂場、はい、ありがとう」
2007.10.27
「プールで泣いたことあるよ」
「プールで泣くの?」
「心が広くなる気がするの。涙が出るの」
2007.10.28
「早くアンパン出せ、足痛いの治るから」
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(台所に立っていたら)
「調理手伝おうか、大変そうだから」
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(娘と卒論の話をしていたら)
娘「お父さん、学士号とるの大変なの。思い知らされた」
妻「(娘が)お父さんとそういう話をするの大好きなの」
2007.10.29
「お父さんは疲れている時はきれいな顔をしているね、顔がなくて」
2007.11.1
「かあちゃんとこ(父の姉・大好きなおばさん)行こう」
「かあちゃんは死んだよ」
(3年前だが、妻には黙っていた)
「いつ?そんな話しないでよ。どこ行っても泣かなきゃならないでしょ(涙をふく)ママちゃん(実母)、そんなこと言ってないもの」
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「私と今いっしょにいるのお父さん?わあ、嬉しい。知らなかった。いっしょにいてくれてありがとう」
「あっ、手が動いた。(左手はマヒして動かないのに)あくびしたら、手が動いた」
※この時、本当に動いたかと思ったことを思い出す。
2007.11.3
「足腰使わないと弱くなるね。ちょっと使わないと歩けなくなっちゃった」
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「緑湯に歩いて行くのもいいことだわ。こんなにいい天気なんだから」
※緑湯は熊本の実家の近くにあった銭湯。
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「高幡不動のお墓には出雲や荒茅(出雲の夫の田舎)から来た人の名が書いてあるよ。高幡の人ばかりじゃないよ」
※高幡不動近くの日野市三沢や百草に住んでいたことがある。
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「出雲でいいじゃん。二人仲よく何才になってもいっしょに暮らす。大切なことよ」
※出雲なんか帰りたくないと言っていたはずなのだが……
2007.11.6
「お父さん、女ぐせ悪くなったらだめよ。仕事がうまくゆかなくなるから」
2007.11.7
「早くチョコレートちょうだい。くれないと、また死ぬよ」
2007.11.9
「お父さん、ご先祖様に守られて、いい人生歩んでいる」
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(パット交換時)
「優しいね、優しいね。嬉しい。早くやってくれ」
2007.11.12
「ダンスでも何でもして、○○姉ちゃん(従姉)より楽しいことしよう」
2007.11.14
「一時半ごろから、そこでお父さん幸せそうな顔して死んでたの。『死んでるんです』と言ったの。『どうして〇子さんわかるの?』と、訊くから、『私が殺したんです』と、言ったの」
2007.11.16
「○○ちゃん(娘)にね、『お父さんにもう一度お嫁に行きなさい』と、言われたのと言ったの。(娘は)『もういいわよ』と、言ったんだけど、(自分は)『ハイハイ』と、言ったの」
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「○○ちゃん(高校時代のペンフレンド)が来たら、熱烈歓迎のキスするから、見て見ぬふりしてね」
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