第三章 戦国擾乱(じょうらん)(11

 

暫くは京極邸でも行列見物の話で持ち切りであった。

 かつて義尹(よしただ)が十代将軍義材だった時、政経がわずか一年で北近江を召し上げられたわだかまりも、苦節十五年の復活の前には薄らいでいた。義尹は没落した者や悲運の底にある者にとっては希望の星となっていたのである。家中の会話の端々にも義尹にあやかりたいと言う願望が滲み出ていた。

 辰敬と吉童子丸はいつものように庭で虫捕りに励んでいた。

「あっ」

と吉童子丸が声を上げた。

 足許から一匹の子猫が飛び出すと、御殿の縁の下に駆け込んだ。

「待て」

 蜻蛉釣りの竿を投げだすと、吉童子丸は子猫を追い駆け、縁の下に潜り込んでしまった。

 辰敬も慌てて後に続いた。

 吉童子丸は夢中になると後先見えなくなるところがあった。四つん這いになり、闇雲に追いかけて行く。

 辰敬は雲の巣と吉童子丸が巻き上げる埃に閉口しながら続いた。

 と、不意に吉童子丸が止まった。

 目の前に埃を被った鞠があった。

「こんな所に鞠が……」

 辰敬は指先でそっと埃を拭った。

「蹴鞠じゃ」

「蹴鞠……」

 吉童子丸は移り気で気が変わるのも早い。埃まみれの鞠を抱えて引き返した。

 庭へ這い出して来ると、辰敬は吉童子丸に代わって埃を払った。随分長い間、放置されていたようだ。

 辰敬は二、三度足でぽんぽんとついて見せた。鞠は蹴る度に埃を上げながら弾んだ。

吉童子丸が目を丸くした。

「上手いな。辰敬」

「若様もやってみますか」

吉童子丸は真似して蹴ろうとしたが、見事に空振り、尻もちをついてしまった。

思わず辰敬は笑った。

吉童子丸はむっと辰敬を睨みつけた。

自尊心を傷つけてしまったのだ。このところ機嫌が良かったので辰敬は油断していた。吉童子丸は一旦機嫌を損ねると、相変わらず厄介であった。

辰敬はそっとため息をついた。

その時、縁側から声が上がった。

「おや、まあ、その鞠は……」

 奥に仕える老女であった。

 降りて来ると、鞠を拾い上げて懐かしそうに撫で回した。

「亡き治部少輔様がお若い時に蹴っておられた鞠でございますよ」

 材宗の遺品と知って辰敬は驚いた。

 吉童子丸の表情も僅かに動いたかと思うと、吉童子丸はいきなり老女から鞠を奪い取り、さっと辰敬の目の前に突き出した。

「教えてくれ」

 辰敬は思わず吉童子丸の顔を見返した。

 真剣な目があった。

 辰敬は笑顔で受け止めた。

 老女も目を細めると辰敬にそっと目配せして立ち去った。

 おまんに頼んで捜して貰うと、材宗が子供時代に使っていた鞠沓(まりぐつ)出て来た。

 辰敬と吉童子丸は会所の鞠庭(まりにわ)を使う事を許された。

 亡き父の古ぼけた鞠沓を履き、吉童子丸は蹴鞠の稽古に熱中した。正直、筋は良くない。でも一生懸命さは伝わって来る。辰敬は相手をしていて気持ちが良かった。辰敬にとっても、正式な鞠庭で鞠を蹴るのは初めての事であった。

 お手本を見せると、吉童子丸は素直に感嘆した。

「うまいな、辰敬は」

「若様もすぐに上手くなります」

「早く辰敬のようになりたいな」

「稽古は嘘をつきませんけん。一にも二にも稽古でございます」

 その言葉に励まされ、吉童子丸の汗が飛び散り、明るい声が弾けるほどに、辰敬の心は別なもう一つの庭に飛んでいた。

 高々と弾む鞠は辰敬と公典の間を飛び交っていた。見事に受けた辰敬に公典は感嘆した。互いに声を掛け合い、蹴り合った懐かしい二人の蹴鞠であった。だが、その場にいるのは鞠を蹴る二人だけではなかった。もう一人いた。姿は見えないけれど、いつも辰敬に熱い視線を送っていたいちが。辰敬は常にいちの視線を感じていた。辰敬は公典と蹴鞠をしていたのではない。心は背中のいちと蹴鞠をしていたのだ。どんなに楽しかったことか。

 が、我に返ると、もはや辰敬の背にいちの熱い視線はない。辰敬は甘く切ない思い出を忘却の彼方に追いやった。忘れたつもりなのに、折に触れて甦る思い出を切なく思いながら。

「どうした、面白くないのか」

 不愉快そうな目が睨みつけていた。

「我が下手だから」

 辰敬は狼狽した。

「いえ、あの、ちょっと考え事をしていまして……申し訳ありません……」

 己が事で、折角の楽しみを台無しにしたのでは、守りとして申し訳が立たない。

 辰敬は鞠を蹴る事に集中した。

 鞠が弾めば、声も弾む。吉童子丸が明るくなれば、家中も、御屋形様も、皆明るくなるのだ。そう言い聞かせながら一心に鞠を蹴っていて、ふと何か物足りない事に気がついた。

 何だろうと思ったがすぐに気がついた。それは御屋形様の視線だった。庭で遊ぶ二人にいつも注がれていた視線が、そう言えば、先だってからかずっと途絶えていた事に気がついたのである。御屋形様の姿を見なくなったのは、民部様が入京した頃からであろうか。

何かあったのだろうかと、辰敬もさすがに不安に思った時、突然、御屋形様と民部様が会うと言う報せが邸内に走った。

経久は近郊の寺を宿所としている。政経の輿は経久の宿所へ向かった。

実権は失ったとは言え、未だ出雲守護は京極政経であり、尼子経久は守護代である。守護の方から守護代の宿所に出向く事に、家中は複雑な表情だったが、政経が戻って来ると衝撃の表情に変わった。

御屋形様の出雲下向が決まったのである。

吉童子丸と大方様も伴なう。

一報を聞いた時、辰敬の胸に湧き上がったのは、

(潮時かもしれない)

と、言う思いだった。

土倉の御寮はんになってしまったいちと同じ都にいても辛いだけである。出雲に戻ればいつしか忘れてしまうだろう。それが一番いいと思えたのだが、辰敬は一緒に戻る事が許されなかった。

追って沙汰があるまで留まるように命じられた。どうやら出雲の意向が働いたらしい。

多聞は主家を離れた経緯があるので出雲へ戻る訳にも行かず、御屋形様から都に留まり、邸を守るように命じられた。

 吉童子丸は泣いた。

 辰敬と一緒でなければ出雲には行かぬと抵抗したそうである。が、泣いても無駄と知るとまた奥に閉じ籠ってしまった。

 御屋形様が思い詰めた顔をしていたのも、暫く姿を見せなかったのも、出雲下向を考えていたからだったのだと辰敬は知った。

 それにしても、今なぜ下向なのだろう。なぜ辰敬は一緒に戻る事が出来ないのだろう。

 辰敬は多聞の後ろ姿が目に入ると、居ても立ってもいられず追いすがった。

 多聞は辰敬の顔を見下ろすとちょっと首を傾げてみせた。そんな事も分からないのが意外と言うように。そして、人影のない所まで誘うといかつい顔を向けた。

「御屋形様は健康に自信を失っておられるからのう。今が下向する最後の機会と思われたのじゃろう」

 そこで言葉が途切れた。答えになっているようで答えになっていない。次の言葉を待っていると、多聞は遠くに目をやり呟くように言った。

「吉童子丸様に出雲守護職を譲る為に」

 一瞬、辰敬は耳を疑った。現実のものとは思えない言葉が通り過ぎて行ったように聞こえたのだ。すると、その後を追いかけるように多聞のため息が通り過ぎて行った。

 確かに辰敬も思う。御屋形様と吉童子丸がこのまま都にいても何の展望も拓けない事を。

もし御屋形様が死んだら、吉童子丸がこのまま都の片隅で忘れ去られた存在になってしまうのは火を見るより明らかだ。

今の御屋形様には最後に残った出雲守護職を取り留めることしか頭にない。その為には出雲に下向し、御屋形様こそが出雲守護であり、跡を継ぐのは吉童子丸である事を主張しなければならない。たとえ誰も耳を貸そうとしなくても。正当は主張しなければならないのだ。幕府から認められた出雲守護は今もなお京極家であることを。黙ったらその時点で出雲守護ではなくなるのだ。

だから御屋形様は出雲へ行くのだ。這ってでも。老骨に鞭打っても。

(我こそ出雲守護)

御屋形様は妄執の人となっている。

 政経と尼子経久の間でどんな話がされたのかはいつも判らない。政経の方が数歳年上で、経久が少年時代には人質として上洛し、京極邸で共に過ごした時期があったと聞いている。二人には二人にしか判らぬ思いがあるはずだ。

今の経久にとって歓迎する下向ではないことは辰敬にも分かる。経久にしてみれば、京極家にはこのまま静かに都の塵となって消えて貰うのが一番いいに決まっているのだ。

下向は迷惑以外の何物でもないのだが、依然、出雲では政経の下向を無下に拒否し難い理由があるのだろう。

辰敬の帰国が許されない訳である。

御屋形様を慕い、吉童子丸からは慕われる辰敬は目障りなのだ。

それにしても、未だ半人前に過ぎない辰敬に対して何と大人気ない仕打ちだろう。

 辰敬は憤りを抑える事が出来なかった。

 

 慌ただしく下向の支度は進んだ。

七月に入り、足利義尹が征夷大将軍に返り咲いた。亡命十五年。四十三歳の復活である。

 細川高国が細川氏の極官である右京大夫に任じられ、管領となるのは自明のことであったから、専ら京雀の関心は義尹復権に最も功のあった大内義興がどれほどに遇されるかに移っていた。

 折しも祇園会が間近に迫り、町衆の祇園囃子の稽古にも熱が入った。

 今年の祇園さんは復活以来最も盛大なものになるだろうと京雀は寄ると触るとその話で持ち切りだった。昨日よりも今日、今日よりも明日、否が応でも日に日に期待で胸は膨らむ一方であった。

町衆は準備の段階から競い合った。山や鉾も町の面子と誇りをかけ、贅の限りを尽くして飾り立てた。揃いの小袖も誂えた。もう祭が始まったのではないかと錯覚するくらい、町中お囃子や歌や踊りの稽古で湧き立った。

 だが、京極邸では祭り見物の桟敷が設けられることはなかった。

 遠く近くうるさいほどのお囃子が流れて来る中で、ささやかな別れの宴が設けられたのである。

 辰敬や多聞は呼ばれなかった。

吉童子丸は依然ぐずり続け、奥に閉じ籠ったままであった。連歌の座が設けられる事もなく、宴も寂しかった。政経から形見の品を賜る時は皆泣いた。

 その赤く腫れぼったい目をさらに赤くして、京極邸は出立の朝を迎えた。祇園会が終わってからでは暑くなり過ぎるし、祭に近過ぎては混乱に巻き込まれるおそれがあるので、吉日のこの日が旅立ちに決められたのである。

その日も暑くなりそうな朝で、東の空が白み始める頃から蝉が鳴き出していた。

昨日のうちから三基の輿と山のような荷駄が出発を待つばかりとなっていた。御屋形様と吉童子丸、大方様の三人が輿に乗り込めばいよいよお別れとなる。

辰敬はあの日以来、御屋形様たちと顔を合わせていなかった。いつかは出雲に戻る身であるが、いつまた会えるかは皆目見当もつかなかった。

もしかしたら御屋形様とは最後の別れになるかもしれない。思わず(よぎ)った不吉な考えを振り払うと、見送りに並んだ家人達の後ろから首を伸ばした。

別れの言葉は言えなくても、御屋形様と吉童子丸と大方様のせめて後ろ姿だけでも目に留めておきたかったのである。

家人達の動きが慌ただしくなった。いよいよ出立の時が来たのだ。

と、その時、玄関の奥が不意に騒がしくなった。

「嫌じゃ。行かぬ」