10月7日。本山参りの目的である団参供養をする。
朝6時40分から供養が始まるので、妙心寺の隣の花園会館から脇参道を通って、妙心寺に向かう。
広大な境内には数十もの塔頭寺院がある。そのうちの一つ微妙殿に参拝団は入る。出雲からの100余人と愛知県からの30人ほどが集まる。全員「輪袈裟(首から掛ける袈裟)」着用。特別塔婆供養を申し込んだ。父と三十三回忌の祖父と先祖代々の霊の供養。一柱千円で、申し込めるのは三柱までなので計三千円。普通お寺でお経をあげる時は臨済宗では「般若心経」と「白隠禅師和讃」が主だが、今朝は普段はあまり唱えることのない「懴悔文」や「三帰依文」「懴悔礼拝文」などもそれに加えて唱える。
その後、法話がある。今の法話は子供と見に行ったアニメ映画「Remember me」の話題や永六輔の「人は二度死ぬ」と言う言葉を引用し、とても分かりやすいことに感心する。40代後半の僧であったが、仏教界でも現代の仏教の在り方を考え、模索していることをうかがわせる。「Remember me」は骸骨の国へ迷い込んだ少年が現世から忘れられると戻れなくなる。一方仲良くなった骸骨は現世から忘れられると消滅してしまうと言う話だそうだ。「人は二度死ぬ」と言うのは、永六輔によれば「一度目はその人の死」であり、「二度目の死は子孫に忘れられた時」なのだそうだ。忘れるのが当たり前、忘れられたって構わないと言う人は必ずいるが、儂は出来たら忘れない方でいたいと思う。帰郷してこれまでは妻の在宅介護があって参加できなかったのだが、妻も特養に入ったこともあり、父が死んだ年の本山参りは供養のためにもしてやりたいと思って参加した者にとってはいい法話だったと思う。
その後、本山参りに20回と15回参加した人への表彰があり、写真をとって朝食へ。
しかし、儂ら初めて参加した10数名は法塔(はっとう)見学へ行く。
微妙殿から法塔へ 法塔全景
法塔(はっとう)には凡そ350年前に、狩野探幽が描いた竜の巨大な天井絵が今も残っている。これまで一度もこの天井が降ろされたことはないそうだ。写真撮影禁止。許されるなら仰向けに寝て、ずっと見ていたい絵であった。この中には日本一古い鐘も飾ってあった。隠れたひびがあり鳴らすことは出来ないのだが、昔、録音した音を聞くことが出来た。鐘の余韻の深さがこの世から消え行く人の息を思わせ、魂が揺さぶられる心地がする。法塔を出たのが8時40分。
出発は9時。法塔見学組は朝飯を食う時間が20分もなく大急ぎで詰め込む。
右の写真は妙心寺の正門。妙心寺を後にする時車内より撮影。この後は大阪難波へ。
なんばグランド花月 劇場内売店
団参供養の打ち上げは「なんばグランド花月」。長い本山参りの歴史で「お笑い」が入るのは今年が初めて。
どうしてこう言うことになったかと言うと、去年の本山参りで、「湖東三山」まで足を延ばしたのだが、そこは米原のさらに向こうでひどく遠い処であったそうな。しかも歩く距離が長く、きつく、参加者は年配が多く、皆、疲労困憊。しかも帰りの道が渋滞し、花園会館に戻って来たのが夜の9時。それを反省し、時にはこんなツアーがあってもいいだろうと「お笑い」を組み込んだのだそうだ。
儂にとっても生の「漫才」を見るのは生まれて初めて、「よしもと新喜劇」とは言え、なまの演劇を見るのも妻が倒れてから16年ぶりのこと。漫才は「ロザン」が出て来てびっくり。宇治原が本物の漫才をしているなんて。クイズ番組の解答屋さんとしか思っていなかったのだが、ちゃんと漫才をしているので感心する。面白かった。抜群に面白かったのは「トミーズ」。「よしもと新喜劇」はつまらなかった。全然面白くない。何が悪いのかと言うと、一言でいえばキャラが立っていないことにつきる。昔の新喜劇は登場人物に独特のキャラクターが一杯いたのだが、
誰一人として面白いと言えるキャラがいなかった。
2時前に終了。
バスで秋晴れの京、大阪から、雨の山陰へ戻る。帰宅したのが7時半過ぎ。来年は11月6日、7日と決まる。
これまで町内の人たちと仲良くなるきっかけが出来なかったが、今回のツアーで心安くなり、早速、来年の「本山参り」の約束をさせられる。和尚さん、ご機嫌であった。父や祖父が「二度死なないように」。
朝6時40分から供養が始まるので、妙心寺の隣の花園会館から脇参道を通って、妙心寺に向かう。
広大な境内には数十もの塔頭寺院がある。そのうちの一つ微妙殿に参拝団は入る。出雲からの100余人と愛知県からの30人ほどが集まる。全員「輪袈裟(首から掛ける袈裟)」着用。特別塔婆供養を申し込んだ。父と三十三回忌の祖父と先祖代々の霊の供養。一柱千円で、申し込めるのは三柱までなので計三千円。普通お寺でお経をあげる時は臨済宗では「般若心経」と「白隠禅師和讃」が主だが、今朝は普段はあまり唱えることのない「懴悔文」や「三帰依文」「懴悔礼拝文」などもそれに加えて唱える。
その後、法話がある。今の法話は子供と見に行ったアニメ映画「Remember me」の話題や永六輔の「人は二度死ぬ」と言う言葉を引用し、とても分かりやすいことに感心する。40代後半の僧であったが、仏教界でも現代の仏教の在り方を考え、模索していることをうかがわせる。「Remember me」は骸骨の国へ迷い込んだ少年が現世から忘れられると戻れなくなる。一方仲良くなった骸骨は現世から忘れられると消滅してしまうと言う話だそうだ。「人は二度死ぬ」と言うのは、永六輔によれば「一度目はその人の死」であり、「二度目の死は子孫に忘れられた時」なのだそうだ。忘れるのが当たり前、忘れられたって構わないと言う人は必ずいるが、儂は出来たら忘れない方でいたいと思う。帰郷してこれまでは妻の在宅介護があって参加できなかったのだが、妻も特養に入ったこともあり、父が死んだ年の本山参りは供養のためにもしてやりたいと思って参加した者にとってはいい法話だったと思う。
その後、本山参りに20回と15回参加した人への表彰があり、写真をとって朝食へ。
しかし、儂ら初めて参加した10数名は法塔(はっとう)見学へ行く。
微妙殿から法塔へ 法塔全景
法塔(はっとう)には凡そ350年前に、狩野探幽が描いた竜の巨大な天井絵が今も残っている。これまで一度もこの天井が降ろされたことはないそうだ。写真撮影禁止。許されるなら仰向けに寝て、ずっと見ていたい絵であった。この中には日本一古い鐘も飾ってあった。隠れたひびがあり鳴らすことは出来ないのだが、昔、録音した音を聞くことが出来た。鐘の余韻の深さがこの世から消え行く人の息を思わせ、魂が揺さぶられる心地がする。法塔を出たのが8時40分。
出発は9時。法塔見学組は朝飯を食う時間が20分もなく大急ぎで詰め込む。
右の写真は妙心寺の正門。妙心寺を後にする時車内より撮影。この後は大阪難波へ。
なんばグランド花月 劇場内売店
団参供養の打ち上げは「なんばグランド花月」。長い本山参りの歴史で「お笑い」が入るのは今年が初めて。
どうしてこう言うことになったかと言うと、去年の本山参りで、「湖東三山」まで足を延ばしたのだが、そこは米原のさらに向こうでひどく遠い処であったそうな。しかも歩く距離が長く、きつく、参加者は年配が多く、皆、疲労困憊。しかも帰りの道が渋滞し、花園会館に戻って来たのが夜の9時。それを反省し、時にはこんなツアーがあってもいいだろうと「お笑い」を組み込んだのだそうだ。
儂にとっても生の「漫才」を見るのは生まれて初めて、「よしもと新喜劇」とは言え、なまの演劇を見るのも妻が倒れてから16年ぶりのこと。漫才は「ロザン」が出て来てびっくり。宇治原が本物の漫才をしているなんて。クイズ番組の解答屋さんとしか思っていなかったのだが、ちゃんと漫才をしているので感心する。面白かった。抜群に面白かったのは「トミーズ」。「よしもと新喜劇」はつまらなかった。全然面白くない。何が悪いのかと言うと、一言でいえばキャラが立っていないことにつきる。昔の新喜劇は登場人物に独特のキャラクターが一杯いたのだが、
誰一人として面白いと言えるキャラがいなかった。
2時前に終了。
バスで秋晴れの京、大阪から、雨の山陰へ戻る。帰宅したのが7時半過ぎ。来年は11月6日、7日と決まる。
これまで町内の人たちと仲良くなるきっかけが出来なかったが、今回のツアーで心安くなり、早速、来年の「本山参り」の約束をさせられる。和尚さん、ご機嫌であった。父や祖父が「二度死なないように」。
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