曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2022年04月

電子書籍『戦国を旅した男 石見岩山城主多胡辰敬 第二章 都の恋』をようやく発売に漕ぎつけた。本来なら遅くても3月末には出版する予定だったのだが、絵描きさんが年度末で忙しいところに、何とコロナに罹ってしまったのである。まさかこんな時に限って、母に次いでまた身近なところでコロナ感染者が発生するとは。コロナがいかに広まっているかを実害を伴っていただけに肌身に感じさせられた。完治したが新年度になってまた忙しく、頑張ってもらってようやく昨夜KINDLEにアップできた。
増田表紙2 (1)
これで、電子書籍を出すのは三回目だが、一回目は娘婿にやってもらったので、一人でやるのは実質二度目。もう大丈夫だろうと思っていたのだが、前回にやったことを忘れていて悪戦苦闘する。
例えば本当につまらんことなのだが、タイトルをカタカナで表記した後、ローマ字表記しなければならないのだが、何度やってもやり直しさせられる。
『SENGOKUWOTABISITAOTOKO IWAMIIWAYAMAJYOUSYUTAKOTOKITAKA DAINISYOU MIYAKONOKOI』なのだが、どこが間違っていたか分るでしょうか。初め『城主』を『JOUSYU』と表記したのでここかと思い『JYOUSYU』に直したが、それでも駄目。その後もどこか入力間違いしたのかもしれないと2、3回やったが駄目。
うんざりしていたら、突然、食洗器がおかしなことになっているのに気がつく。点滅するはずのないランプが3つ点滅して、ガ―ガ―妙な音ばかりして全然洗っていないではないか。止めようと思って停止ボタンを押しても止まらない。無理やり開けたが音がしているだけ。よりによってこんなことまで起きるなんて。最悪だ。天を仰ぐ。食洗器どころではないのでKINDLEに戻る。
つらつら活字を眺めていて、ふと『旅した』の『し』が『SI』ではなくて『SHI』ではないのかと思い当たる。直したらやっとのことでOKになる。こんなことに気がつくのに食洗器にも手間を取られて小一時間かかってしまった。僕らはローマ字を習った時、『さしすせそ』は『SA,SI,SU,SE,SO』と習った。なぜ『SHI』にしなければならないのか。『SI』だっていいではないか、と思うのだがAMAZONが決めたことだからしょうがない。
アップの最後に表紙を付けるのだが、そこで何か間違っているらしく、表紙の後に2頁分ほど本来なら載らない頁が残ってしまっている。前回もそうだったのだが、ちょっと見てくれがよくないのですが次までに研究しておきますので見なかったことにして読んで頂ければ幸いです。
連載時の冗長な部分や考証の誤りを訂正したり文章を多少手直しして全体的に短くなり読みやすくなったと思います。値段も99円で変わりません。
ところで食洗器は連休明けの6日にリンナイのサービスセンターが点検に来るそうです。

2月22日の年一回の健康診断で実は要検査と要治療が出た。要検査は既報の膵嚢胞の検査。これは一ヶ月後に半年ごとの膵臓MRI検査があったので検査して、膵嚢胞の大きさに変化なくセーフだった。
もう一つの要治療と言うのが目だった。右目が網膜静脈分枝閉塞症と診断されたのである。もう一つ両目が白内障とも診断されたが、治療を急ぐのは網膜静脈分枝閉塞症の方。どんな病気かと言うと網膜の細い血管が詰まってしまい血が流れなくなってしまったのである。画像を見せられたらその部分はぼんやりして見えた。放置しておくと血が流れない部分が酸素を取り込もうとするのでそこに新生血管というものが出来てしまうらしい。これが出来ると厄介なことになるので血が流れない部分が「酸素を下さい」と言わないようにレーザーで焼くのだと先生。それを光凝固術と言う。
理屈はわかったので「ふーん、そんなものか」。目にレーザーを当てる話は聞いたこともあるし、町医者でもやるのだからたいしたことあるまいとたかを食っていたら、その前段階に手間暇取られてうんざりする。
目の検査をするために散瞳と言って薬をさして瞳孔を開くのだが、散瞳をすると瞳孔がしばらく開きっぱなしで目が見えにくくなる。その間は片目で生活しなければならないのだが、儂は右目がメガネで0.4で左が0.2。右目を散瞳したら0.2の左目で活動しないといけない。「0.2の片目で車を運転して帰ることはさせられないので、まずメガネを作り直して下さい」と言われてしまったのだ。
仕方ないので病院で目の診断書を作ってもらい眼鏡屋へ。両目0.7でレンズを作り直す。
2週間後、ようやくメガネできたので病院へ。手術の日が決まったのが3週間後の4月19日。ここまで漕ぎつけるのに1ヶ月半以上かかってしまった。
娘夫婦と孫が帰郷した翌朝、手術を受ける。大学病院へ行くわけではない。町医者でもやるのだからたいしたことはあるまいと自分にいい聞かせるも、内心ドキドキである。
顔を固定する器具に顎を載せ、頭を縛り付けられ、身動きできなくなってから目にレンズをはめられレーザーの照射を受ける。少し痛いかもしれませんと直前になって嫌なことを言われるがもうどうしようもない。焼くだけだからビービーと照射したらそれで終わりだと思いこんでいたので少しの辛抱だと思っていた。ところがいきなりプシュと何か得体のしれない発射音がすると目の奥に軽い圧迫感を覚える。決して刺したり突いたりするような痛みと言うほどの痛みではないのだが何か一点を押すような痛みなのである。耐えられない痛みでは決してない。ただこのプシュがこの後延々続いたのである。一体何回やるのか、いつまでやるのか、いい加減にしてほしいと思うくらいしつこく続いた。痛みと言うほどの痛みではないが延々と続くとさすがに我慢できなくなる。もうやめてくれないかなあと思ったら、技師が「順調ですから、後もう少しです」と言った。その時には100回以上プシュが続いたと思う。
その後もプシュが続いて終了。光凝固術の手術代金は31,950円。給付金は出るが4000円くらいのようだ。5月20日に検査して、OKなら白内障の手術。
まだ病院通いが続く。この病院、町医者と言ったが評判の女医さんでとても混んでいるのだ。

今日は母のグループホームへ曾孫の顔を見せに行く。
玄関のガラス戸越しだと暗くてよく見えないので、明るいベランダからの窓越しの面会。着いた時、ちょうど母はベランダから出て干し物を手伝っていた。ベランダ越しの面会をお願いしてベランダへ回る。
母には電話の受話器を持たせてもらい、こちらはスマホで話をする。母は元気だったが、曾孫が出来た話は忘れているので、初めて見た曾孫に驚くも喜ぶ。
だが、実の孫娘が分らず「あんたは誰か」としきりに聞き、孫と分るのにかなり時間がかかる。そんなに会っていない婿さんの方を「あなたの顔はよく覚えている」と言う。それでもガラス越しに曾孫に顔を近づけてあやし、「魔物でもないのに触れないとはねえ」と嘆いていた。
天気がよくて、ベランダは暑いくらい。適当なところで「10日いるから後2回くらい来れるから」と、言って帰る。
問題はこの後。
夜、スマホを見たら昨日、グループホームから留守電が入っていることに気がつく。そう言えば、今日、施設の職員さんが「昨日電話したのですが・・・」と言っていたのを思い出し、何だろうと留守録を聞いたら「面会の申し出がありましたが、施設では現在面会は断っていて、ベランダ越しの面会もお断りしています」とのメッセージが入っていた。
愕然となる。留守録を聞いていなかったので、わしはベランダのガラス戸越しに面会できるもんだと思い込んで訪問していたのだ。担当の職員さんは困ったと思う。しかもちょうどその時は責任者的立場の人がいなかったのだ。もしいれば当然断られたと思うのだが、いつも顔を合せている職員さんだったので恐らく断れず、そんなことなにも知らない儂の図々しさに押されて通してしまったことに気がつく。
「ああ、悪いことをしてしまったなあ」と今ひどく落ち込んでいる。上の人から叱られているのではないかと思うと気が滅入る。その職員さん、いい人なのだ。
妻の施設がガラス越し面会OKだったので、ガラス越しならどこでもOKだとばかり思い込んでいたのだ。
母には後2回くらい来ると言ったけどとんでもない話だ。もう行けなくなってしまった。それどころか毎週土曜日に女性週刊誌を届けに行ってたがそれも行き辛くなってしまった。しかし、まずもって謝らなければならない。明日、電話して謝ろう。ああ、気が重い。でも、悪いのは自分の迂闊さ。
娘にしてみれば、孫や曾孫の顔を見せてやりたくて帰って来たのに、祖母とは10日も滞在するのにもう会うことが出来ないとは、さぞや無念なことだと思う。
ガラス越しに「魔物でもないのに触れないとはねえ」と嘆いた母の言葉が切ない。
このコロナはいつまで続くのだろう。新聞に4回目接種の記事が載っていた。4回目の接種は確実にありそうだ。こんな家族の分断、いつまで続くのだろう。withコロナで行くなら行くで、皆、どうすればいいのか分かっているはずなのに・・・

昨日4月18日、娘夫婦が赤ん坊を連れて里帰りをする。コロナが収まってから帰ろうと思っていたらいつになるか分からない。一年の育休の残りも5カ月を切ってしまった。このままだと里帰りの機会を逸するので、世の中のムードもwithコロナの風潮になったこともあり、思い切って帰って来た。
17日の夜の8時半ごろ車で東京を出て、18日の朝の8時過ぎに到着。婿さん一人が頑張って運転してくれた。
18日2時半から面会だったが、赤ん坊は生後8か月。その時間に赤ん坊を起こしておくためには昼寝の時間を調整しなければならない。初めての面会の時に眠っていたり、眠たくなって泣かれて折角の面会を台無しにするわけには行かない。昼食前に散歩して、それから昼食をとらせて、ひと眠りさせてから出発と面会前から疲れてしまった。
PXL_20220419_054109640.MP0419みせん20419みせん
いつもの玄関ロビーでのガラス戸越しの面会。すでに妻は待っていた。娘夫婦が赤ん坊を抱いて前に座るも「キャーッ」と言う声は無し。いつもの妻ならこういう時は必ず大声を上げて喜ぶのに。
右目が斜視気味なのでうまく娘たちが視界に入っていなかったようだ。こっちだよとかガラスを叩いたり職員さんがあっちだとか教えてようやくわかったようだが、「キャーッ」が聞けなかったのはちょっと切なかった。待望の初の面会、喜んでもらいたいと思っていたのに、現実は映画や小説のようには行かないものだ。
話す言葉も聞き取りにくい。何度か問い直してようやく半分くらいわかる程度。
それでも得意の英語が出る。
「アイアム ユア バーバー(婆)」
「頭をなでてやる」と言って、頭をなでるふりをする。
「〇〇ちゃん、バーバーだよ」と、手を振り、ピースをする。そして「早くお風呂に連れてって」と自分のことになる。今日も「お風呂に連れてって」と何度言ったことか。
それでも娘が「誰に似てる」と聞いたら、
「あんたのだんな」
赤ん坊に向かって「ひゃあ、いい男だね」と妻らしいところも少し見せる。
娘が赤ん坊の好きな歌を歌うと
「ジャングルポッケ、ジャングルポッケ・・・」
真似をして
「ジャングルポッケ、ジャングルポッケ・・・」
と歌う。
娘が「おかあさんはゾウさんの歌がうまいでしょ」と誘い水をむけると
「ぞーさん、ぞーさん、お鼻が長いのね、そうよ〇〇〇〇(孫の名)が長いのよ」
と、お得意のエッチな替え歌が出る。
面会時間は15分。少し延びたが、帰ろうとしたら、職員さんが赤ん坊だけ抱かせてあげますと言ってくれる。まさかとビックリ。思わず耳を疑う。
PXL_20220419_0552011270419dakko
遠くから来たのにあまり盛り上がらなかった面会だったので職員さんが同情してくれたのかなと心遣いに感謝する。初めて孫を抱いた感触だけは残ってくれると信じる。
今回の娘夫婦の滞在は10日。面会は1週間に一回と決まっているけれど多少の融通はきかせてくれるそうなので後2回は面会したいと思っている。こちらも慣れたので次はもっと弾む面会になるようにしようと思う。明日はグループホームの母と面会する。こちらはべランダのガラス窓越しに面会をさせてもらうことにしている。認知症だがどんな面会になるのだろうか。

春になると畑仕事がどんどん増えて写真がたまってしまった。
PXL_20220319_233707668PXL_20220320_000247237
3月20日
左)空豆に追肥する。白い粒々が化成肥料。多分、多過ぎると思うが、これが性分。たっぷりやる。
右)その後、土寄せする。これは空豆が倒れるのを防ぐため。何もしないと空豆は倒れるので倒れないようにテープを張り渡したり手間が大変なのだ。
PXL_20220320_001702741.MPPXL_20220320_023058091.MP
左)真ん中にいる白いのがモンシロチョウ。ちょっとわかりにくいが。
右)空豆の土寄せ終了。4月10日現在、一気に伸びて2倍くらいの高さになっている。
PXL_20220328_072525822.MP
3月28日
今年は「なぜか豆がネットに巻き付かないなあ」と思っていたら、近くの人も豆がネットに巻かないのでテープを張って豆を起こし、ネットに張り付けるようにしたと言うのでわしも慌てて真似をした。風が強くて倒れてしまったからなのだろうか。それとも何か生育的に問題があったのかは分からない。余計な作業だからぶつぶつ文句を言いながらやる。
PXL_20220329_064513486PXL_20220329_064554441.MP
3月29日
近所の川辺の桜。開花して3日目ぐらいか?去年より5日ぐらい遅いが、去年が異常に早かっただけで、これでも平年より4、5日早いらしい。
PXL_20220331_074103338.MPPXL_20220401_064016680
3月31日          4月1日
左)空豆の先端の若葉にアブラムシがびっしりと付着していることに気がつく。飛んで来るのだそうだ。すぐに先端を切り取る。アブラムシを探して付着しているのを一つ一つ切って行く。ああ、面倒くさい。
右)ほぼ満開か。4月10日現在、入学式も終わり散り始めた。
PXL_20220401_065819554PXL_20220402_001452465
4月1日          4月2日
左)畑の池の枯れたホテイアオイをすくっていたら「水カマキリ」を今年も発見。準絶滅危惧種なので増えてくれることを願っているのだが増える気配は全然ない。たくさん卵を産まないのか?生命力が弱いのか?だから準絶滅危惧種なわけだ。
右)土曜日は母のグループホームへ女性週刊誌を届け、ガラス戸越しに話をして帰る。その帰り道の麦畑。そろそろ伸び出したところ。春は雲雀の声しか聞こえない。
PXL_20220402_230515761PXL_20220402_234226086
4月3日
4月第一日曜日は地区の溝掃除と決まっている。去年は敷地内の雨水枡の泥浚えをさぼったので今年はさぼる訳には行かず。案の定木の根がはびこっていて手間がかかる。敷地内の5つの雨水枡を全部浚ったら腰が痛くなった。植木鉢の不要な土も捨てたので土嚢袋に5袋も捨てる。これで市から1000円貰える。
PXL_20220410_072631283.PORTRAITPXL_20220410_072646351.PORTRAIT
4月10日
空豆はあぶらむしが来ていない先端も切って行く。右が切って短くしたところ。余り背丈が伸びすぎると倒れやすくなるから。上から20㎝くらい思い切って切る。ここまでするのは初めてだが実の入りがよくなるらしい。理屈から考えてもそうなるわな。勢いはいいし今年の空豆はいいものが出来そうな気がする。
PXL_20220410_001512814PXL_20220410_073138180.PORTRAIT
4月10日
左)ここに来て新玉ねぎがぐんと大きくなった。107本植えたうちの60個以上を抜いて娘の職場に送る。その為に畑をやっているようなものだ。私、主婦の味方です。
右)豆もこの何日かで一気に伸びた。豆もいいものが出来そうな予感がする。

↑このページのトップヘ