曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2021年06月

豆腐の炊き込み御飯なんて何じゃと思われるかもしれないが、これが旨かったので紹介する。食改善で四苦八苦している親を心配して娘が教えてくれた。
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2合の米に絹豆腐を一丁入れて炊くだけ。水の量は2でそのまま。
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炊きあがったら豆腐を崩し御飯としっかり混ぜる。大葉と茗荷を刻んで豆腐御飯にのせ味醤油をかけて食べる。豆腐のふんわり感が絶妙の食感を与える。夏向きのさっぱりした御飯だった。だが、ここで満足しないのが儂。創意と工夫の人を自負しているので、さらなる応用メニューを考える。
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2合も炊いたので余った御飯で、翌日はシラスに大根おろしをのせて食べる。写真では大根おろしが多過ぎて山賊の飯みたいだが旨かった。三日目はメカブをのっけて食う。これもまあまあであった。この他にも考えたら色々出来そうな気がする。
儂は最初は分からないので控えめに170gの豆腐を使用したが、200gぐらいが丁度いいような気がした。170gだと気持ち少ないような気がする。豆腐の食感が少し足りないような気がしたのである。200g以上だと多分べちょべちょし過ぎるのではないかと思う。
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炊飯器で作る料理をもう一品。これも娘に教えて貰った。
大根を炊飯器で煮る。水400㏄、醤油・砂糖・みりん・酒 大3 だしの素 小2。ポンとスイッチを入れるだけだが、創意と工夫の人はここでも考えた。大根だけ煮てもおかずとしてはアイソがなさ過ぎる。もう少しボリュームのあるおかずにしたくて、鶏胸肉を抛り込む。鶏モモを入れた方が旨いに決まっているが、儂は脂質が高いもも肉は食えないので鶏は常にササミか胸肉なのである。鍋についてなくていいのでとても楽だった。

独り暮らしなので近所の人がよく差入れしてくれる。
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左)豆御飯。           右)ばら寿司。
豆は作っても豆御飯は作ったことがない。ばら寿司なんて貰った時だけ。
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左)岩もずく           右)小鯛煮付と筍煮
海岸で獲れたもずくの酢の物。市販のものとはくらべものにならないくらい美味い。
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これは昨日、畑先生から貰った紫蘇ジュース。毎年、この時期に貰う。毎年、春野菜が終わると己ばえの紫蘇が芽を吹き、一気に大きくなる。
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少し薄めて飲むと梅雨のうっとおしい気分が吹っ飛ぶ。

父の日に2回目のワクチンを接種する。
受付1045分なので今日は5分前に到着。係がすぐにやって来て名前を確認。欠席者だと思われていたみたいで「来て頂いて良かった」と言われる。最後で10番目と分る。15分刻みのワンクールは10人と判明する。1時間で40人。日曜の接種時間は6時間なので全部で240人か。医師一人だとこんなものなんだろうが、もう少し医師を増やすとかしてもっと大勢接種できないのだろうか。そうすれば若い人や子供たちももっと早くうてるのに。田舎だから医療資源が足りないのかもしれない。
2回目の接種なので、問診の先生から「明日は熱が出るかもしれません。熱が出てもびっくりせんでください」と言われて、接種のカーテンへ。
今回も女医さん。前回は中年の女医さんだったが、今回は30半ばのキャリアウーマンタイプ。
前回の女医さんはおかあさんみたいな雰囲気の人でうつときも優しくふんわりと打ってくれたので殆ど痛みを感じなかったのだが、今日はてきぱきと打ったので前回よりは痛みを感じる。薬液を注入するのも前回はゆっくりだったのに、今回はあっという間に注入してしまう。注射一本打つのにも随分個性があるものだなあと妙なことに感心する。
接種済証を貰う。
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分経過観察して1111分に退出。
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回目接種で妻も93歳の母も副反応はなかったので儂もないと思うが、今日は大事をとってウオーキングは中止、入浴もやめてシャワーにするつもり。
これでいつでも上京できる。それが一番嬉しいのだが、娘夫婦はいつになったら接種できるのだろう。
職域接種が始まると盛んにニュースでやっているので随分接種が進んでいるようなイメージがあるが普通の人はいつになるのやら。東京都の緊急事態解除も狂気の沙汰としか思えん。今の緊急事態宣言を発する時に一日100人にならないとすぐにリバウンドする。目標は100人台だったはずなのに二日連続で前週の感染者数を上回っている状況で解除したらどうなるか分かっているはず。感染者が増えたらすぐにまた緊急事態宣言を発すると言ってるがいい訳にしか思えない。いざ、そういう事態になったら四の五の言いそうな気がする。オリンピックはないと思っていた自分の不明を恥じている。野党も根性がないし、頭も悪い。3月か4月か、内閣不信任案を出して、解散させればよかったのだ。争点をオリンピックをやるかやらないかに絞って、選挙をやれば少なくともオリンピック反対の票はかなり出たはずなのだ。
ウガンダの選手が着た途端に陽性反応。先が思いやられる。
オリンピックで感染者が増えて死者が出たら、国に損害賠償を要求できるのではないだろうか。法律のことは分からんが「訴えてやる」と言いたくなるだろう。
暑い夏になりそうだ。

【追記】
6月21日。副反応を心配したが昼過ぎイオンで検温したら36.5度。だが、身体がぼーっとして何となく調子が悪い。夕方、熱がありそうな気がしたので検温したら36.5度で変わらず。思うに今日の出雲の気温は30度で朝から暑かった。急に暑くなったせいかもしれない。夜、涼しくなったら少し元気になる。注射をした左腕の鈍痛や張りも夜にはやわらぐ。どうやら無事に終わったようだが、このワクチンの効果はいつまで持つのだろう。集団免疫が出来るまでに時間がかかって、また打たなきゃいけないなんてことにならなければ良いのだが。

【追記】
6月22日。今朝はすこぶる快調。昨日と全然違う。昨日朝から身体がだるかったのは暑さだけの所為ではなかったのかもしれない。そんな気がして来た。軽い副反応があったのかもしれない。

【追記】
6月25日。今朝のニュースで島根県の高齢者で2回接種を済ませたのは19%強と言っていた。まだそんなものかと少なさに驚く。主治医が「早いね」と言ったはずだ。済ませたと言うと全員が「早いね」と言う。昨夜のニュースでは千葉のサーフィン会場で3ヶ国を宿泊させる予定のホテルに突然国からもう3ヶ国追加で宿泊依頼があり、ホテル側が呆れている様子を映していた。ホテル側はワクチンも打ってないのにどうすればいいのだと怒っていた。今頃何やってるんだろうね。そもそもホテルはワクチン優先だろ。

去年の11月初旬の防草シート。西の畑とお隣の畑の間に防草シートを敷いたのは4年前。雑草が生えるとお互いに気を遣って草取りをしなければならない。それが嫌なのと、草取りの手間を少しでも省きたくて防草シートを敷いたのであった。
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一枚500円ぐらいの薄っぺらの小さな防草シートを何枚も買って来て張り合わせたのだが、何しろ安物だから翌年から少しづつ傷み出して、4年も経つと風で吹き上げられてめくれるわ、雑草も生えて来て酷いことになってしまった。
去年の6月頃には新しい防草シートを買っていたのだが、忙しくて張り替える時間がなくて延ばし延ばしにしていた。年を越し、5月23日。夏野菜の植え付けも一段落したところでやっと重い腰を上げて新しい防草シートを敷いた。
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左)古い防草シートを撤去し、雑草も取って整地する。右、儂の畑。左、お隣の畑。
右)新しい防草シートを敷く。
巻物のようにロール状になっているのでただ転がして延ばせばいいだけ。ピンを打って固定する。分厚くていかにも耐久性がありそう。説明書を読むと10年くらい持つそうだ。ほんとかな。
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6月14日現在。二日ほどの雨が上がったら、シートの両側は雑草だらけ。シートがなかったらと思うとぞっとする。でも、結局シートの両側の雑草も抜かなければならない。今日も夕方、畑に出て隣の奥さんと嘆く。自分たちは雑草と戦うだけの一生だと。雑草さえなければ畑ほど素敵な趣味(?)はないのだが。
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6月9日。池の中に見つけた鴨の卵(左上)。3年前には池の側の草むらで1個見つけたことがある。池の中で産む訳がないので、失敗して産み落としてしまったのか、それとも草むらで産んだのが転がって落ちてしまったのかもしれない。もう一週間以上鴨の姿を見ていない。どこかへ行ってしまったのであろう。手前の緑は茶殻。好物の枯れたホテイアオイがなくなったので茶殻を抛り込んだのだが一口も食べないで姿を消してしまった。餌をやるのが遅過ぎたようだ。来年はもっとサービスしてやろうと思っている。

※上の2枚の写真とその下の写真のサイズが違うのは、スマホを買い替えたから。上の2枚は簡単スマホで撮影したもの。下の写真はこの春買い替えた普通のスマホ。簡単スマホと普通のスマホでは機能が違った。初め苦労するのは同じ。初めから普通のスマホを買えばよかったと後悔している。

昨日11日、妻との面会は居室の内庭側の窓越しにした。
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いつもは玄関のホール入り口横のガラス窓を使って車椅子でやって来た妻と面会するのだが、6月初めに妻の膝に水がたまったのでまだその治療中。当初は痛かったが今はだいぶ和らいだらしい。注射をし服薬しているよし。大事を取り車椅子への移乗をやめて面会するためには、儂が内庭まで回ることになった次第。音声は儂はスマホで職員さんが妻の側でタブレットをマイク代わりに持っていてくれた。
妻の居室を見るのは1年3ヶ月ぶり。明るい部屋で顔色も良く見えた。数日前には食べ物を詰まらせたことがあったらしいが、本人は忘れていた。膝の具合を訊いてもどこも悪くないと言う。このところ話すことはいつも同じ。返事もいつも同じ。今日は珍しくサラミを食べたいと言う。ビールも飲みたいと言う。子供の名前の話になったら、男の子は「たつお」がいいと言う。どんな字を書くのかと問うと、しばらく考えていて「動物のたつ。リュウ」だと言う。こうやって窓越しでも居室まで来たら、早く中へ入って話をしたくなる。側に行けば話の内容も変わって来るはず。入所者の中には面会者も入所者もワクチンの2回接種をした人がいて、もう面会してもいいだろうと言われているが、もう少し様子を見てからにしてくださいと施設長に言われる。
妻が来ているブラウスは前回儂がイオンで買って差入れしたもの。側に行けないので今の身体のサイズが分からなくて散々迷って買ったものである。ガーゼの生地で着やすいので買ったのだが、着てくれていて嬉しかった。ちょと派手過ぎたかな。

語録(28)

※この頃になると、書き留めることにかなりくたびれが出ている。始めた頃のような連日書き留めたエネルギーが失われている。

2008.6.6

「いうこときかないと噛みつくよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

俺「昨日キリとおけい(高校時代の友人)がお見舞いに来たでしょ」

「忘れちゃった。いよいよ脳神経がおかしくなったね」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「この小さな本に作者(お父さんの)気持ちがこもっているのね」

2008.6.10

(パット交換時)

「もう寝るから起こすなよ」

2008.6.11

(昼ごはんの時)

「(俺に)おかずとって食べなさい」

俺「心配しなくていいよ」

「心配なの。いい男が崩れると困るから」

・・・・・・・・・・・・・・

(ベッドに寝せたら)

「私、重病人みたい。外へ出たらぞろぞろみられるような」

2008.6.16

「ロケットが飛んだから〇〇姉ちゃん(従姉)が帰って来るよ」

俺「ロケットに乗って来るの?」

2008.6.25

(トイレ誘導して)

「お父さん、いつもこういう時逃げるんだから」

俺「えっ、俺いるじゃん。ここにいる俺は誰よ」

「〇〇〇〇兄ちゃん(従兄)」

2008.6.28

(アーモンドチョコを開けながら)

「病気になってから何でも一人でするようになったの。モモちゃんに手伝ってほしいと思うこともあるよ」

・・・・・・・・・・・・・・

「すぐやってくれない。あなたのときもすぐやってやらないよ」

2008.6.30

「〇〇〇〇兄ちゃん(従兄)も手術した時オムツしたの」

俺「うん」※面倒で訂正しない。

「気持ち悪かったでしょ」

・・・・・・・・・・・・・

「川尻(故郷)帰ってネンネしたいの。よく眠れる気がするの」

2008.7.3

(買い物から帰ったら)

「あなたここで寝てなさい。あなたばかり働かなくていいから。私がやるから」

2008.7.8

「いっぱい甘えさせて。いっぱいおしっこするよ」

2008.7.9

「私もママを楽しんでるの」(TVを見てて)「子供がいろんなことをしてくれるから」

2008.7.26

「この頃は人の言われるようにするのが楽だなと思うようになったの。昔は人の言う通りするのが絶対いやだったけど」

2008.7.29

「〇ちゃん(娘)、ごはんよ」

俺「まだ帰って来てないよ」

「帰って来たよ、さっき会ったもん」

2008.7.30

「ここ遊びに来て楽しかったから、また遊びに来ていい」

俺「うん」

「同じ敷地だから裏にも遊びに来てね」

2008.8.1

TVみてて)

「私、ああいうの憧れてんだ。お父さんとどこか行って、手をつないで歩くの」

2008.8.5

「みかんちょうだい」

「だめだよ、もう2つも食べたよ」

「だめといわれてもほしいんです。くれないと左手が動きませんよ」
※麻痺して動かない左手をどう思っているのか。つくづく顔を見たものだ。

2008.8.25

(パット交換の時)

俺「起きてたの?」

「足が痛いから起きてたの」

(パットを交換する)

「痛くないようにして」

2008.8.26

(夕食時)

俺「犬にエサをやるのはだめだよ」

「うるさい、お前、出て行け」

2008.8.28

「お父さん、優しくしてくれてありがとう。お父さんが手術する時、私ががんばるからね」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「(手術の)覚悟したから連れて行ってください」

・・・・・・・・・・・・・・・・

「お願いです。川尻まで連れて行って下さい」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「朝、起きたら、左が動かないの」

「スキー行って、ガーンと倒れたらこうなった‥‥」
※恐らく、ガーンと倒れた瞬間の記憶は残っているのだと思う。

2008.8.30

「先生(ヘルパーのこと)の会社の社員の人が『曽田さん美人ね』と言ってくれたんだって。お父さんもそう思う?」

「うん」

「ありがとう、私、そんなこと言われたことないから」

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「今夜、私、美子(よしこ)にしよう。美しい子」

※妻は自分を美人とは思っていなかった。

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昔は漆喰が剥げ落ちぼろぼろの蔵だった。今から25年くらい前、父がリタイアした時、蔵を改造して住むのが唯一の願いだと言い張り、母屋と無理矢理くっつけてトンデモ部屋を作った。
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左)昔の蔵の入り口。母屋のダイニングキッチンと廊下で繋げた。
右)内部を大改造。こうして見るとどこがトンデモ改造と思うかもしれないだろうが、実は改造当初は窓がなかったのだ。それゆえ蔵の中は完全密閉空間で夏は暑くて眠れず、父は西の部屋で寝ていた。掘りごたつがあって殆ど麻雀部屋状態であった。和尚さんや議員さんや近所の人がやってきて、お袋はぶつぶついいながらお茶や食事の世話をしていた。10年前、わしが妻を連れて介護帰郷した時、きちんとした居間が必要になり、父は分厚い壁に3つ穴を開けて窓を作った。障子の壁の向こうがベッドで夏でも冬でも眠れるようになった。そして8年が過ぎ、
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2年前、父が他界した後はトイレが近いので母が移って来た。それも1年間で昨年グループホームに入所し、その後、儂が移ってから半年になる。以前からいつかはここを書斎にしたかったのだが、写真では畳が見える部屋は実は儂が帰郷した時から絨毯が敷いてあって、そこに電気こたつや家具類などが置いてあり片づけをする気にならなくて抛りっぱなしにしていたのだ。
しかし、ダイニングキッチンのテーブルでPCに向かうのも食べかけの皿やコップが一緒だと気分も乗らないし、落ち着かない。父が作った部屋を寝室だけでなく、書斎にして利用すれば父も喜んでくれると思い、絨毯を撤去した。
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左)半畳の畳を上げると掘りごたつになっている。
右)倉庫に木枠があったので持って来てはめる。
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左)木枠の上に電気こたつを置く。
夜になると聞こえて来るのは蛙の合唱。父に感謝して使っている。

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