曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2020年07月

長い間、寝ている間に3回はトイレに立っていたのだが、夜間頻尿対策を始めて10日めの昨夜は1回しか行かなかった。正確に言うと、真夜中の2:30に1回。2回目に催したのが朝の6:45。毎朝7:00に起きているので我慢して7:00に起きてトイレに行ったのだが、これは大目に見て勘定の内に入れないことにしても許されるだろう。対策開始10日でこの効果は誇っても良いのではないかと思い、夜間頻尿に悩む御同輩や将来の予備軍のためにご報告することにしました。

2、3年前頃からか夜起きてトイレに行く回数が気になり始めていたが、それほど深刻に考えてはいなかった。それが今年になって急に辛いと感じるようになった。朝すっきりと起きられない。寝たりないなあと思いながらどんよりした頭をふりふり動き出す。午前中はどうにかパソコンに向かっていられるのだが、昼飯を食って午後になるともういけない。眠気がひどくなり、頭がぼーっとして思考がまとまらない。今は「多胡辰敬」の小説の先の方を書いているのだが、まるで進まない。毎日、読み直しては書き直してばかり。体操選手の着地がぴたりと決まるような文章が書けない。
妻が特養に入ってからは夜は11時に寝て、朝は7時に起きる生活を続けて来た。両親の朝の世話があるからどんなに眠くても起きなければならない。父が死に、母がグループホームに入ったので、朝はゆっくりしても良くなった。いつまで寝ていてもいいのだが、性分が許さない。そういうだらしない生活をしたくないのだ。7時に起きて最大限に一日を使いたい。9時前には「コメダ」に入って午前中はパソコンに向かい、「神立食堂」で昼飯食って、午後はイオンの「アレア」でまたパソコン。夕食食ったらまたパソコン。それが理想のルーティーンだったのだが、それも最早風前の灯状態に陥ってしまったのである。
11時に寝たら、1時から2時頃までに1回目のトイレ、2時から3時半頃までに2回目、3時半から5時頃までに3回目。そして7時に起きてのトイレが4回目となる。
1回目のトイレの時はいつもかなり寝たような気がしていたのだが、時計を見たらまだ1時だったりして愕然となっていた。「まだ1時かよ」ぼやきながらトイレに行っていた。そして「3時かよ」「5時かよ」と嘆きながらトイレに行く夜を続け、いよいよ病院にでも行かないといけないのかなあ。それも面倒くさいし、かったるいなあと思っていた時、偶然、NHKの「ためしてガッテン」で夜間頻尿の対策を放送したのであった。ご覧になった方もいるだろうが、見ていいない人もいると思うのでご紹介する。これは受け売りだが、その後に儂ならではの+αとなったと思われる要因を紹介します。

先ずは夜間頻尿のメカニズムから。
取り込んだ水分は血管に入り、体内を巡り、膀胱にたまり、排出される。その血液を体内に送るポンプの役割をするのが心臓であるが、実はもう一つポンプがある。ここがミソ。それが足の脹脛(ふくらはぎ)の筋肉。これが末端まで回って来た血液を心臓まで送り届ける役割を果たしている。ところが加齢で脹脛の筋肉が弱くなると血液を十分に送ることが出来なくなり、水分は脹脛にたまってしまう。そうするとどうなるかと言うと、夜、寝た時に足は水平になるので途端に血の流れがよくなり、膀胱にどんどん水分がたまる。それが夜間頻尿になるのだ。
その証拠に若い人は日中の排尿量は多く、夜間の排尿量は少ない。だが高齢者は当然の如く日中の排尿量が少なく夜間の排尿量が多くなる。
そこで対策としてあげられたのが、日中の血流をよくする方法。日中沢山排尿すれば、夜は少なくなる道理である。その一つが「弾性ストッキング」を履くこと。入院患者がエコノミー症候群を予防するために履くようなやつである。他にも紹介されたが、ただ履いていればいいので儂は金はかかるがこちらを選ぶ。
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3300円もするストッキング。高血圧や心臓病、腎臓が悪い人など使えない人がいるので医者に相談してから使わなければいけない。膵臓が悪い人はだめとは書いてなかったので医者に相談することなく買う。気がかりだったのは、この夏にひざ下まであるストッキングを履くこと。蒸し暑さに耐えられるかと心配だった。履くのに苦労するくらいきつく締め付けるのである。しかし、履いてみると思ったほど蒸し暑さは感じなかった。
足首と脹脛の周囲の長さを計ってから購入。
購入したのが7月17日。その日の午後から履く。履くのは日中だけで、儂は7時半ごろから夕方の5時半頃まで履く。
18日 夜中3回
19日 2:40  5:30
20日 6:00
この時点で、奇跡が起きたかと舞い上がったが、さすがにこれは何かの間違いだったようだ。たまたま何かの拍子に偶然起きたようだ。翌日からメモを取る。
21日 2:40  5:30
22日 1:20  4:40  6:30(やっぱり何かの間違いだと思う)
23日 3:00  6:30
24日 2:00  6:00
25日 2:40  5:30
26日 2:45  5:00  6:30
27日 2:30  6:45(7:00にトイレに行く)
朝起きてすぐにトイレに行く(儂の場合は7:00)のも専門的には夜間頻尿に数えるので、夜中に3回起きていた儂の正しい夜間頻尿数は4回なのだが、ここでは寝ていた時だけを勘定する。一目瞭然、ほとんどの日で一回目に起きていた1時台の排尿がなくて、ほとんどの日が3回のトイレが2回に減っていることが分かる。そして27日は2:30に一回起きただけとする。「ガッテン」では一ヶ月ぐらいしたら効果が出ると言っていたが、たった10日でこんなにも効果があるものなのか。嬉しいのだが、やっぱり間違いではないのかと半信半疑。本当にこういう経過をたどって良くなるのか、そこまでTVでは言ってなかったし……。「なんでだろう、なんでだろう」とテツ&トモのように呟いていてはたと思い当たることに気が付く。
鍵となったのはこの言葉。「加齢で脹脛の筋肉が弱ると……」
儂の脹脛の筋肉はそんなにひどく弱ってはいないのではないかと言うことだった。1年10カ月前からウォーキングをしていることはこのブログでも書いている。始めた頃は36、7分かかったコースを今は早い時は31分で歩いている。まだある。去年の暮れからラジオ体操もしていた。運動をやり始めると一種の中毒状態になる。ウォーキングだけでは物足りなくなってラジオ体操も始めたのだ。YouTubeがあるのでスマホさえあればいつでもどこでも出来る。第一から始めて、物足りなくなって第二もやって、首の運動もあることに気が付き、第一首第二を毎日やっている。それだけではない。先月の6月24日から3つ目の運動も取り入れた。これは自粛生活で家に居る人の為に大学の体育の先生がTVで教えてくれたスクワットである。普通のスクワットにブルガリアンスクワットをプラスしたスクワットでこれは効いた。完全に筋トレである。まだ一ヶ月にならないけれど、回数を増やしたらみるみる脹脛が膨らんで行った。儂の脹脛は思った以上に鍛えられていたのではないか。そこへ「弾性ストッキング」の刺激が加わって効果を上げているのではないか。今ではそう信じている。儂の脹脛パンパンだもの。
一喜一憂せずに続けてみる。夜間頻尿0を目指して。来月の終わり頃、また報告します。

面会がまた中止になってしまった。6月24日と7月8日とまだ2回しか面会していないのに。
何と例の出雲市で発生した女子大生コロナ患者の所為だと言う。2ヶ月ぶり、25人目の患者だ。以下は山陰放送のテレポート山陰のニュース。
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女子大学生の感染 1000人規模のPCR検査実施へ 

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島根県立大学出雲キャンパスに通う女子大学生が新型コロナウイルスに感染したことを受け、 県などは、出雲キャンパスに通う学生・教職員およそ600人と接触者ら、最終的におよそ1000人規模でPCR検査を実施する見込みです。
県によりますと、15日に検査した106人は全て陰性で、女子大学生の接触者94人も含まれているということです。 女子大学生がアルバイトをしていた出雲市の「ナンバホームセンター出雲ドーム店」は、客と従業員の安全を考慮し、15日から臨時休業しています。 店の本部によりますと、女子大学生は7月8日と12日に勤務していましたが、発熱などはなく、 マスク着用やアルコール消毒の感染予防策をとっていたということです。店は、今後も保健所と連携し、接触者の確認に努めるとしています。 16日に新たに分かった女子大学生の行動歴は、6日と7日に大学に登校。 6日・7日・9日・12日・13日に「やきとり家すみれ出雲店」でアルバイトをしていました。東京での滞在先は友人宅だということです。

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上京して新宿の小劇場で7月1日~5日まで連日観劇してコロナをうつされてしまったのだ。
儂は15分の面会を2回、延べ30分しか会っていないのに、女子大生はイケメン俳優に延べ何百分見とれていたのかと思うと言うまいと思えど「なんだかなあ~」である。本当は厳しい言葉をぶつけたいところだが、自分の年齢も考えないといけないし、個人攻撃や、コロナ患者への偏見を増長させるようなことになってはいけないのでこういうところでは言わないことにしている。
先日、娘が東京からスマホ面会した時、時間になったので「お母さん、娘に最後に言っておくことないなの」と聞いたら、「○○ちゃん、がんばるのよ」と言ったそうだ。「その時のお母さん、一瞬きりっとしたような気がしたよ。お母さんの中に残っているものがあったんだねえ。そんな気がしたよ」と娘が言っていた。だから、儂も次の面会を楽しみにしていたのだ。おかげで、また、いつになるかわからなくなってしまった。
家族の落胆は大きいけれど施設の人たちも大変だ。「ナンバ」は近い場所にあるし、儂も時々買い物に行く。今回は前回までと違い、接触者が膨大だからそれは神経を使うことだろう。実は娘が今週にスマホ面会の予約をとろうとしたら、今週は連日会議があって無理になったと言っていたが、きっとこの件で対策の会議をしていたに違いない。
たった一人でこれだけの影響が及び、これだけの騒ぎになる。GoToキャンペーンなんて正気の沙汰とは思えん。政府は重症者はでていないから少々感染者が出ても経済優先で行くと決めたのだろうが、つけは必ず弱い者のところへ行く。今頃になって慌てて東京だけは除外するそうだが姑息なことをする。為政者への信頼をまた一つ減らしただけだ。とっくにありはしないのだけれど。
妻が好きなスイカでも差入れしてやろう。それしか出来ることがない。

第四章 初陣(3

 

 どこをどう歩いたかも忘れていた。

 頭にあるのはただただ後悔だった。

 後悔の果てに、敗残兵のように逃げる自分が惨めに思えてならなかった。いちはもっと哀れでならなかった。何よりも男が憎くてならなかった。殺してやりたいほど。様々な思いは身を持て余すほど煮えたぎり、そして、また後悔に戻る。

(なぜ、行ったのか)と。

 昼過ぎ、長屋に倒れ伏していると、鷲尾が険しい顔で乗り込んで来た。

使いの報告に来ない事を激しく罵った。

「やかましい」

 思わず怒鳴り返していた。

「我は疲れとるんじゃ。そんなに気になるなら、わぬしが行け」

 余りの剣幕に鷲尾は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたが、ぶつぶつ文句を言いながら引き返した。

 日が落ちても起きる気にならなかった。

 食欲もなかった。朝飯も食わずに使いに出たから、昨夜から何も食べていない。腹は空っぽのはずだが、きりきりと刺すような痛みが胃袋を苦しめ、水の一滴も入らなかった。

 とても夜の当番を勤める状態ではなかった。

 熱が出たと嘘をついて休んだ。それまでの連夜の勤めぶりを知っているので、誰も怪しまなかった。初めてのずる休みだった。ところが、一日休んだだけで、辰敬の中に張り詰めていたものが、ぷつんと切れてしまった。

次の日も、またその次の日も、辰敬は衾を引っ被り、海老のように丸まっていた。仮病がばれても、辰敬を叱る資格がある者などいやしないのだからと居直っていた。

 そんなある日、日が暮れて間もない頃、ほとほとと戸を叩く音がして、そっと呼び掛ける声がした。

「辰敬はん、わしや。次郎松や」

名乗らなくても判るのだが、いつにない猫撫で声が耳に障った。次郎松は雑色のくせに、年上ということもあって、十一歳で上洛した辰敬を田舎者と見下していた。近頃はさすがに昔のような無礼な態度は慎むようになったが、それでもこんな気色の悪い声は出さなかった。入って来ると、いかにも心配そうに衾の下の辰敬の顔を覗き込み、

「具合はどないや。飯、食うとらへんやろ。あかんで、食べな。ほれ」

 と椀を差し出した。稗混じりの薄い粥がほんわかと湯気を上げている。

「わしらが食うものやから、口には合わんやろうけど、食べたってえな」

 朝から何も食べていないので、思わず喉が鳴ったが、次郎松の親切がどうにも薄気味悪くてならない。手を出しかねていたが、結局空腹に負け、もぞもぞと衾から抜け出すと、

「だんだん……」

 椀を受け取り、粥を啜った。粗末な薄い粥だが、温かいだけでも救いだった。空の椀を返すと、次郎松は満足げににっこりと頷いた。

「やっぱり元気になって貰わんとなあ」

 辰敬は怪訝な顔で見返した。

 すると、次郎松は改まって神妙な顔を作ると、

「実はな、辰敬はんを拝まして貰いたいのや」

 と、また奇妙な事を言い、両手を合わせて拝む振りをする。

「何の真似じゃ。我は神様じゃないぞ」

 次郎松はにたっと笑った。

「いや、神様じゃ。聞いたで。博打の神様の子孫というやないか」

 思わずあっと声を上げそうになった。

「辰敬はんの御先祖には多胡重俊と言う博打の名人がおったそうやないか。ありとあらゆる賭け事に秀で、負け知らず、多胡博打と持て囃され、神様のように崇められ、皆、こぞってその絵姿を掛け軸にして飾ったと言うやないか。辰敬はんも知っとるやろ」

 辰敬は肯定も否定もしなかった。

「博打を打つ者はこぞってその絵姿を祀って拝んだと言うが、わしは見た事がないのや」

 そこで、次郎松はまたにたりと笑った。

「せやけど、わしにはそんな絵姿なんかいらへん。多胡博打の血を引く辰敬はんがおるのやから。聞けば、多胡重俊の子も、その孫も代々博打の名人やったと言うやないか。辰敬はんも将棋の天才と聞いとる。我殿にも多胡博打の血が流れておるんや。わしから見たら、生き神様や。こんな近くに生き神様がおったとは。な、せやから拝まして欲しいと言う訳なのや」

 たちまち辰敬は不機嫌になった。何か魂胆があると思っていたら、事もあろうに博打の話とは。その上、一番知られたくなくて、隠していた事を、よりによって次郎松に知られてしまったとは。

「わし、これから一勝負しに行くのや。儲けたら、礼をさせて貰うよって、多胡博打の御加護を願い奉る」

 真顔で今にも手を合わせて拝みそうになったので、思わず辰敬は怒鳴った。

「やめろ、出て行け」

 次郎松は怪訝な顔をした。

「なんでや」

「なんでもくそもない。嫌なものは嫌じゃ」

「ちょっと拝むだけやないか」

「うるさい。出て行けとゆうとるじゃろ。もう二度と来るな」

「そないな殺生な。わしかて命の次に大切な銭を張って勝負するんじゃ。助けてえな。頼む、この通りや。拝ましてえな。多胡博打の御加護があったら勝てそうな気がするんや。いや、絶対に勝てるんや」

 次郎松はすがりつかんばかりに哀願した。

「黙れ。我の前で二度とその話をするな。多胡家では賭け事は御法度なんじゃ」

 睨み返すと次郎松は恨めしげな目をした。

 漸く諦めたと見え、しぶしぶ出て行こうとしたが、戸口でちらりと振り返り、ぼそっと呟いた。

「遠くからでも拝まして貰うわ」

 まったくふてぶてしい奴である。辰敬は憤然と背を向けると、ごろりと横になって衾を引っ被った。すると、表でぱんぱんと手を打つ音がするではないか。次郎松は本当に拝んでいるのだ。

(何と腹の立つ奴だろう。ろくでなしめ。ぼろ負けするがいい)

 辰敬は毒づいた。腸が煮え繰り返る。

 翌朝早く、勢いよく戸が開くと次郎松が飛び込んで来るや、

「勝ったで」

 と、辰敬の寝ぼけ眼に満面の笑みを突き出した。目も口も頬も今にも崩れ落ちそうだ。

「流石は多胡博打の御加護や。まっこと霊験あらかたや。たいしたもんやで。辰敬はんに見せたかったで。わし、勝ちまくりや。こんな事生まれて初めてやった。ほんまおおきにな。おおきにおおきに」

 と、差し出した手には穴開き銭が三個乗っていた。

「少ないけどな。お礼や」

 勝った勝ったと吹聴する割には端金(はしたがね)である。口ほどには儲けていないのだろう。早起きは三文の得と言うが、僅か三文で叩き起こされたかと思うと無性に腹が立った。しかも汚らわしい銭である。

「いらん」

「そない言わんと。貰ってえな。わしの気持ちや」

 押しつけようとするので、

「いらんと言うたら、いらんのじゃ」

 振り払うと三個の穴開き銭は土間に飛び散った。

「あれ、何すんねん」

 次郎松は慌てて穴開き銭を拾った。

三つ目はなかなか見つからず、土間に這いつくばって捜し回り、ようやく掘立柱の根元に入り込んでいるのを見つけると、指先を真っ黒にして取り出した。引き返してくると、改めて三個の穴開き銭が載った掌を差し出した。

「銭は大切にせなあかん」

 まるで人が変わったように大真面目な顔であった。

「穴開き銭たった三個やからと言うて、捨てたらあかん。ええか、銭にも命があるんや。捨てたら、そこで銭は死んでしまうんや」

 次郎松は噛んで含めるように話し続けた。

「初めは僅か三文やけどな、人から人へ渡って行くうちに、三文は四文になり、五文になり増えて行くんや。そうやろ、考えてみ。三文で仕入れた物を四文で売ったら、一文の儲けや。これが、銭が生きとると言うことや。人から人へ百人の間を渡って行ってみなはれ。一体なんぼになると思うのや。百文や二百文ではきかん。五百文にも千文にもなるんやで。せやから三文でも大切にせなあかんのや」

 妙に説得力があった。辰敬とは無縁の一文二文の世界に生きる庶民の生活に根差した言葉だった。心のどこかで無学な雑色と見下すところがあっただけに、辰敬は次郎松を見直す思いだったが、その後がいけない。

「ま、わしが使えば、三文もすぐに六文、六文は十二文、十二文は二十四文と増えるんやけどな」

 すぐにお里が知れる。辰敬がむっと睨むと、次郎松は笑って誤魔化した。

「へへ、偉そうなことを言うたけど、この三文、使ってやってえな。少しやけど、辰敬はんに使って欲しいのや。ほんまに心からそう思っとるんや」

 三文を辰敬の膝の前に置くと、次郎松は逃げるように出て行った。

 それから、賭場に出かける前には昼夜問わず、次郎松は長屋の前で手を打った。そして、意気揚々と帰って来ると、必ず三文から五文ほどの穴開き銭を置いて行くのだった。現れない日もあった。勝ちっ放しという訳には行かないのだろう。その代わり、翌日、手を打つ音に一段と力が籠もる。

 それが、数日続くと辰敬は不安になって来た。 次郎松が長屋に向かって拝んでいるところを他人が見たら何と思うだろう。たちまち出雲にも伝わるだろう。息子が博打の神様代わりに拝まれていると知ったら、大社造営奉行を務める父忠重の怒りがどれほどのものか、想像するのさえ恐ろしくなった。

次郎松が二日ぶりに笑顔を見せた時、

「わぬし、我を拝んでいる事を誰かに言ったか」

 と心配して聞くと、次郎松はぶるぶると首を振った。

「言う訳ないやろ。もし一言でも漏らしたら、皆、辰敬はんを拝みに来るがな。そないな損する事言う訳ないやろ」

「わぬしが拝んどる事、誰も気がついとらんのか」

「わしかて注意してまんがな」

 次郎松はにたりと笑った。

「辰敬はんはわし一人の神様や」

 辰敬はうんざりした。

「これ以上拝むのはやめてくれ」

「なんやて」

 次郎松は顔色を変えた。

「なんでや、」

「わぬしが拝んどる事が出雲に知れてみろ。どうなることか、考えるまでもないじゃろう」

「そりゃ困る。ほな、これからはもっと注意して拝むわ」

「駄目じゃ。もうやめろ」

「そんな殺生な。わしな、博打下手で負けてばっかりやったけど、このところ運気が上向いとるのや。連戦連勝と言う訳に行かんけど、損はしとらん。多胡博打の御加護や。いくらやめろ言われても、やめる訳には行かん。これまでの負けも取り戻したいし。どうしてもと言わはるなら、外で拝むのは遠慮するけど、どこか人目の付かん所で拝ませて貰う」

とても止められそうにない。辰敬はため息をついた。すると、

「ほな、こないしたらどうやろ。こないな事で辰敬はんを悩ませたら、多胡博打の霊験も減ってしまうかも知れん。そうなったらわしも困る。そこでや、辰敬はん、わしにお守り札をくれへんか」

 怪訝な顔すると、

「わしの長屋に貼っておくのや。家の中で拝む分にはかまへんやろ。誰かに見られても家内安全商売繁盛の御札やと言えばええ。な、ええ考えやろ」

「そんな御札なんかある訳ないじゃろ」

「書けばええのや。辰敬はん、書を習うてると聞いとる。辰敬はんが書いたものなら御利益あるはずや」

 さも名案と言わんばかりに、次郎松は鼻の穴を膨らませた。そんな物でいいのなら簡単なことだ。長屋の外でぱんぱんと手を打って拝むのだけはやめて欲しかったので書いてやることにした。

 こんな事に手習いが役に立つとは……。

 墨を磨り終ったところへ、次郎松がどこかから手頃な紙を都合して来た。奉書紙の反古の端を切り取ったようだ。

 その紙に辰敬はさらさらと御守と書いて渡すと、次郎松は不服そうに眺めた。

「これやと何の御守か分からんやないか。もう少し有難味があるようにならんのか。何か、こう、多胡博打のお墨付きと判るように値打ちをつけてえな」

 確かに言われてみればその通りだ。だが、多胡の字を入れる訳には行かない。辰敬は少し思案すると、御守と書いた下に、絵とも文字ともつかぬ紋様のようなものを書き殴った。

「何や」

「多胡家の花押や」

 武士や公家が署名に使う文字である。判とも書判(かきはん)とも言う。自分の名を崩して作る、判子代わりの紋様に近い独特の文字である。

「へえ、これが多胡家の花押か」

 次郎松は感心したように覗き込んだ。

「代々多胡家ではその名に因み、蛸の絵に自分の名を重ねて花押を作るのじゃ」

 大真面目な顔で、よくもそんな出鱈目がすらすらと口を突いて出るものだと、辰敬は我ながら呆れた。辰敬は忠重の花押を見た事があったが、似ても似つかぬ形であった。

「ほ、ほう……なるほど、そう言われてみると、この花押の上の円い線が蛸の頭で、八本の足が辰敬はんの辰の字を表しておるのやな」

 次郎松はすっかり信じ込んだ。やり過ぎかと思ったが、筆が滑ってしまったものは仕方がない。次郎松が本物の多胡家の花押を見る事などないだろうからばれることはないだろう。次郎松は嬉しそうに御守を押し頂いて出て行った。御守の威力があろうがなかろうが知った事ではない。もうこれであのぱんぱんという音に悩まされることはない。辰敬は次郎松から解放された事でほっと安堵の胸を撫で下ろしたのであったが、数日後、思いがけない事件が勃発した。

朝帰りの次郎松が待ち構えていた鷲尾達に取り押さえられたのである。時ならぬ騒ぎに何事かと辰敬も跳ね起きた。様子を見に行くと、次郎松は侍部屋の前の庭で数人の侍達に責められていた。

「儂やない。ほんまに知らん。何かの間違いや。儂はそんなことせえへん」

 必死に訴える次郎松を鷲尾が蹴り上げた。

「黙れ。貴様が金回りのええことは、皆、知っとるのや。貴様しかおらへん」

 近頃、また邸内の物品が盗まれている。高価な品々を蔵にしまってからは、収まっていたのだが、この所、気がつくとまたぞろ何かしら無くなっている。値の張る物ではないが、鷲尾達は次郎松を疑っていた。

「なんや、この銭は」

 銭の入った袋をどさっと投げつけた。百文はありそうだった。物陰から窺っていた辰敬は目を見張った。御守の威力はなかなかのようだ。

「あ、あの、それは……博打や。博打で稼いだんや」

 辰敬はどきっとした。

「阿呆、そないな下手な言い訳が通ると思っておるのか」

「ほんまに勝ったんや。儂、このところついとるんや」

「貴様、おちょくってるんか」

 鷲尾が怒声を上げた。

「儂らをなめるなよ」

 材宗の自死以来の積り積もった鬱積を吐き出すかのように、鷲尾達は次郎松を足蹴にした。

「ほんまや……信じてえな……ほんまについとるのや……博打の神様がついとるんや……」

 いつ多胡博打を口走らぬか、辰敬ははらはらしながら見守っていた。

「ええ加減にさらせ。博打するには元手がいるやろ。どないして種銭を作ったのや。邸の物を盗んだに決まっておる」

 とうとう次郎松は気絶し、厩の牢に放り込まれてしまった。当時、武家屋敷で牢が必要になった時は厩を利用する事が多かった。

 暗くなってから、辰敬は粥を厩に運んだ。 馬も減って、がらんとした厩の入り口近くの馬房に次郎松は閉じ込められていた。

「次郎松」

 そっと声を掛けると、黒い塊がもぞもぞと起き上った。

「辰敬はん……」

 格子の間から椀を手渡すと、

「おおきに、おおきに……」

 次郎松は粥を一気にすすると、牢格子にすがりついて嘆いた。

「濡れ衣や。御恩を忘れず、御奉公を続けておるのに信じてくれへん。せやけど、辰敬はん。儂、御守のことは言わんよってな、安心してや。多胡博打の事も口が裂けても言わんへんで……」

 暗くて表情は分からないが、その声はとても自信なさそうに辰敬には聞こえた。

 その夜から、辰敬は夜回りに復帰した。門番も詰め所の奉公人達も相変わらずたるんでいた。次郎松が捕まったので一層気が緩んだようだ。何事もない静かな夜であった。

翌日の午前中、辰敬はどうにも眠れなくて起き上った。昼にはまだ時間があった。次郎松の言葉が気になって目が合わなかったのである。お調子者で口の軽い次郎松が辰敬との一件を口外しないと強調すればするほど不安が募る。辰敬は次郎松の様子を探りに厩へ向かったが、途中、思いがけない顔を見つけ、足が止まった。

 常御殿の方から多聞が現れたのだ。

4月の健康診断で便潜血反応があった。
2回のうちの1回に反応があったのだ。これまでにも、20年以上も昔、2回とも反応があったことが2年続けてあり、大腸検査をしたが異常はなかった。その後、ずっと長い間、反応はなかった。3年前の検査で今回同様2回の内1回に反応があったが、何かの間違いだろうと放っておいた。すると翌年の検査では反応なし。やっぱり何かの間違いだったんだと思う。そういう訳で今回もどうせたいしたことはあるまいとたかを食っていたら、先生(儂の膵臓の主治医)に「2回のうち1回反応があったら絶対に検査を受けなければなりません」と言われる。
もし、ポリープがあった場合、切除してクリップで血止めをする。その金属のクリップはすぐに取れて体外に排出されるのだが、なかなか取れなくて残っている場合がある。体内に金属があると、MRIで膵臓を撮影出来ないので、予定しているMRIの日取りにも関係してくると言うのだ。
話を聞いているうちに次第に嫌な予感がして来る。
検査日は母のグループホーム入所があったので延びて6月16日になった。いい加減な気持ちで受けてはいけないような気になり、真剣に取り組む。病院の売店に大腸検査を受ける人が前日の昼と夕に食べる食事セットを売っていたので、儂は前日と前々日と二日分を購入する。店員は「たまに二日分買われる方はいますよ」と言っていた。
時代は変わった。こんな検査用の食事セットを売っているなんて。昔、検査を受けた時とは雲泥の差である。
それでも念を入れて、儂は4日前、3日前から食事制限に入る。普段から肉や油物は取らないし、脂質制限の食事をしているから、これくらいのことは苦にならない。意外な所で役に立つ。
お陰で当日はがぶがぶ水?を飲んで、早い者順の競争になるのだが、4日前からの対策が功を奏し、ダントツのトップで一抜けし、一番で検査を受けることが出来た。
モニターを見ながら自分の腸内を見るのだが、当初の不安は次第に薄まる。儂の腸内、実に奇麗なのだ。うっとりとみとれるくらいすべすべしている。もうすぐ終わりだから頑張ってと女医さんの声。「やったね、もう楽勝だ」と、ニンマリした時、「あ、最後にポリープがありました。一番奥に」「ガ~ン」
しかも映し出されたポリープが儂の想像していたものとまるで違うのだ。儂はポリープは赤いふくらみがぽちっとあると聞いていたのが、こいつは赤黒く、ぶよぶよで、たとえて言うなら小さなホヤのような形状なのである。
ため息が出る。まともなポリープではない。こいつがガンでなかったら、何だと言うんだ。場所は小腸の一番奥、盲腸の入り口のすぐ上であった。その場で切除され、ポリープは病理検査に回される。
儂はその日は病院に一泊。
そして、今日7月7日の七夕が検査結果が出る日。大腸ガンの宣告を覚悟して行く。だって、この間、裏のMちゃんの奥さんに聞いたら、「赤いのが三つほどポチポチとあって、切り取って終わりよ。どうってことないわよ」と、言われていたのだ。誰に聞いても赤いのがポチポチ。儂のはどうみてもどうってことないようには思えない。
問題はステージが幾つなのか、転移はしているのか、ポリープは取ったのにまだ手術するのかしらんとか、ドキドキしながら診察室に入る。
「ああ、良性です」
思わず耳を疑う。「あんなにグロテスクだったのに」
先生曰く。「炎症性ポリープと言う珍しいポリープです」
と、いう訳で一件落着。
レントゲンで見たら、まだクリップが残っているので、すぐにはMRIは撮れそうもない。改めてレントゲンを撮ることになる。

6月4日。玉ねぎを収穫する。
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左は早生の玉ねぎ。本当はもっと早く収穫できたのだが、面倒くさかったので畑に放置しておいて、必要な時に抜いて食べていたが、晩生の玉ねぎを収穫するのに合わせて抜く。右は分葱。これも放置しておいたので抜く。
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左が晩生の玉ねぎ。早生も晩生も極端に出来が悪かった。小さい小さい。2回追肥するのにうっかりしていて1回しかやらなかったせいかもしれない。しかもマルチだから面倒くさくてマルチの小さな穴にちゃんと化成肥料を入れてやらなかった。ばらばらと撒いて、雨が降ったら溶けて流れ込むだろうと虫のいいことを考えていたのだが、手を抜くとこのざまだ。
右の写真の左が地這えのミニトマト・ジャングル。右の支柱が立っているのが普通のトマト・麗夏。5月の連休頃植えたのが順調に育っている。

6月5日
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左のナスは雄蕊に囲まれて雌蕊が見えない。右のナスは雌蕊がしっかりと見える。雌蕊が見えるのは肥料が足りている証拠。左は肥料不足。という訳で足りている方も足りない方も肥料を景気よくぶち込む。

6月20日おくら。
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二本出来ているのに気が付く。
母が日曜に戻って来た時に、冷やしとろろおくらそばを作って食べる。なかなかイケる。

6月24日。悲惨な安納芋。
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5月23日に植えた安納芋がもう水をやらなくてもいいだろうと大腸検査の一泊二日をはさんで何日か手を抜いたら枯れ始める。慌てて水をやるも時すでに遅し。30本中10本枯れる。
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真ん中の勢いのある苗にツルが3本伸びていたので、2本を切り取り、枯れたツルの後に植える。2回に分けてツルを取り、10本植え直す。

6月25日。サラダ甘長収穫。
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生で食べる。初めて。本当はマヨネーズが美味いのだろうが、儂は脂質が高いマヨネーズはもう一年以上食っていない。ノンオイルのドレッシングがあったので付けてぽりぽりと食べた。癖になりそう。来年は本腰を入れて作ろうと決める。

6月26日。カラスめ。             6月27日。レタスめ。
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楽しみにしていたトマト一号に穴を開けられる。
レタスはあっと言う間にとうがとうがたつ立つ。この時期のレタスは食えたものではない。来年からは作らない。

6月28日。鴨め。
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今年も鴨のカップルがやって来た。水辺に一羽。池に一羽。鴨は可愛い。

じゃがいも
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左から銀マルチが「男爵」。黒マルチが「とうや」と「ノーザンルビー」。右端が「とうや」と「ノーザンルビー」の余ったものを普通に植えた畑。
右の写真は銀マルチと黒マルチを剥いだところ。大して出来ていないように見えるが、土を掻き分けるとごろごろと出来ていた。
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左が「男爵」。右が手前「とうや」。向こうが「ノーザンルビー」
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余ったじゃが芋を世間様と同じように植えてみた。掘ってみたらこれだけ出来ていた。今年はじゃが芋は豊作であった。堆肥をたっぷり入れたし、じゃが芋専用肥料もやったお陰かも知れない。

6月29日
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左は茄子。勢いが凄い。「茄子は水で育つ」。農業書の言葉だが、端的で力のある言葉だ。普通は「茄子は水を好むので水をやりましょう」ぐらいのことしか書いてない。それを「茄子は水で育つ」と言われると、短い言葉が一瞬にして心を掴み、儂のような男にも農業魂を植え付ける。言葉の力とは大したものだと思った瞬間である。
「茄子は水で育つか」と呟きながら、じゃぶじゃぶ水をやっている。毎年、この勢いでやっていればいいナスが出来たのに。いい言葉と出会わなかったからだ。いい言葉と出会いたい。
右は南瓜畑。どんどん伸びる。

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坊ちゃんカボチャがもうすぐ収穫できる。
右はトマト。カラスを防ぐために網を張った。隣近所、みなカラス対策に大わらわである。

6月30日。トマト初収穫。
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カラスから守った。スーパーで売っているような見てくれのいいトマトではない。だが、一口食べて驚いた。子供の頃、夏休みに田舎で食べたトマトがそこにあった。素朴で土の匂いがするトマト。「ああ、トマトてこんな味だったんだ」と思い出させてくれた。スーパーのトマトのように甘く柔らかく食べやすくはない。スーパーのトマトは箱入り娘。これは出雲の田舎娘。毎日一個ずつ熟れる勢いで育っている。このところ毎晩冷やしトマトを食べている。

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