曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2020年05月

いよいよ6月4日に母がグループホームへ入所することに決まったがコロナ禍のせいで当てにしていた妹たちの手伝いが頼めなくなり頭を抱えている。一人は福岡、一人は神奈川なのだが、福岡が警戒解除になったので、神奈川の妹は無理でも、福岡の妹は手伝いに来てくれると思い込んでいたのだ。ところがケアマネージャーが施設に福岡の妹が手伝いに来てもいいかどうか問合せした方がいいと言うので聞いてみたら、県外をまたいでの来県者(しかも福岡)と同居(濃厚接触)した人を施設に入れることは出来ないと言う。
まさか妹の手伝いがダメになるとは、予想だにしていなかったので一瞬茫然となる。衣類とか寝巻、下着などどこに何があるのか、どんなものを着させればいいのか何も分からない。これまでは手伝いに来てくれていた妹達に任せっきりだったから、いちいち電話してあっちのタンス、こっちの押し入れ、ベッドの引き出しなどから引っ張り出しているが、これから梅雨になるので完全に夏服のみという訳にも行かず、広げてみては「これは着れるのか」「暑くはないだろうか」逆に「薄すぎるのではないか」と思案投げ首状態である。化粧品も持たせないといけない。90過ぎているのにまだばっちり化粧するのだ。布団も用意しないといけない。カバーもつけないといけない。布団はどれを持たせるのか、布団カバーやシーツはどれを選べばいいのか。儂が電話ばかりして悲鳴を上げているものだからとうとう福岡妹は自分の家にある布団と布団カバーとシーツを送ってくれた。後は布団にカバーをつければよい。他にも上履きや靴下、その他持ち込みの品々などいろいろあるが、毎日、少しづつやって行こうと思っている。
問題は、これが一番大きな問題なのだが、母を納得させると言う仕事が残っている。そんなことは一番最初に片づけることだろうと言われるだろうが、認知症の母は施設の職員さんに会って話をして、福岡の妹に似て背が高いと気に入ったことや、施設を見学して「奇麗なお風呂だね」と言ったことなど、見事に忘れているのだ。
忘れていると言えば、延べ何十年も東京に住んでいたことも忘れていて唖然とさせられたばかりである。「えっ、私が東京にすんでいたの」とのたもうたのだ。
またいちからグループホームに入ることを納得(理解?)させないといけないので、先日、ちらっと話題にしたら「そんなところには行きたくない」と言う。
だからこそ妹の力を借りたかったのである。儂と妹の二人がかりで、月末には神奈川の妹も来てくれると思い込んでいたので、三人の子供で納得させようと思っていたのだ。肝心の説得を一人でしなければならない。これが一番辛い。頭が痛い。母が言うことはわかっている。「私は何でもできる」。何もできないのに。毎朝食べる食パンがどこにあるか分からず、そのパンをトースターに入れたら、すぐに忘れてまたパンを焼こうとする。ついつい声を荒げてしまうことばかり。しまった言い過ぎたと思うと、「叱られてばかりで死んだ方がいい」と言う。
こんな息子にはたして説得できるのか。正直自信はない。儂だって一生自宅で面倒を見てやれたらそれが一番いいと思ってはいる。一番いいのは、と言ういい方も変なのだが、認知症がもっと進み「あんた誰?」と言われたら儂もこんなに悩まないと思うのだ。しかし、そうなった時、すぐに入れる施設がないから、今すぐに入れて、家から車で5分の所に入って欲しいのである。
妹にこっそりと来て手伝って貰う姑息な手も考えたが、それは施設に対して嘘をつくことになる。母が「背が高い娘が手伝いに来た」とでも言ったらと思うととても出来ない。信頼関係を失うようなことは出来ないものなあ。
妻の特養も今回三度目の面会延期の通知が来た。厚生省からの指示があって介護施設の出入は変わらず厳しい制限があるようだ。
あと10日ほどで説得と準備は必ずしなければならない。

4月28日。レタスの畝の端っこが空いていたので、売れ残りの半額のブロッコリーの苗を4本買って植える。
4月29日。まだ隙間があったので、田中種苗で『サラダ甘長』という珍しいとうがらしの苗を3本買って植える。これはマヨネーズをつけて、そのままサラダとして食べられるという謳い文句につられて買ったもの。珍しいものがあると高くても買ってしまう。消費税込みで400円近くした。苗一本の値段としては確かに高いが、これで後はトマトと茄子と南瓜を植えたらお終いなのだからと、この時は本当にトマト茄子南瓜で済ませるつもりだったのだが……
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5月1日。
伸びっぱなしで坊主が出来ていた九条ネギの植え替えをする。近所の人に植え替えたらいいネギになるからと言われて、いつもは面倒くさくてただ短く切っていただけだったのだが、掘り起こして1本1本離して植え替える。
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同じ日に普通に植えたじゃが芋の第1回目の土寄せをする。これは3月21日に植えたもの。土寄せは遅かったかもしれない。2年間、この当たり前の作り方をしていなかったので要領を忘れてしまった。
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左端が3月13日に植えた男爵。次が3月19日に植えたノーザンルビーととうや。右端が土寄せしたノーザンルビーととうや。左の二畝と右端はわずかな違いなのに勢いが違う。マルチ農法の左の二畝はじゃが芋専用肥料をやったからかもしれない。右の畝は元肥はカニボカシのみ。土寄せした時じゃが芋専用肥料をやる。
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5月2日
ナス6本植える。2本は『筑陽』という普通の紫色のナス。『白長ナス』2本、『緑長ナス』2本を植える。
トマトは『麗夏』と言う普通に売っているトマトを6本植える。最近、毎朝サンドウィッチを食べていて、必ずトマトのスライスを挿んでいるので、今年からミニトマトはやめたのであるが、田中種苗で『ジャングル』という名のミニトマトを見てしまった。これは脇芽をとらなくてもいい品種。脇芽を取るのが面倒くさかったので、これはいいと思わず3本買ってしまった。
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5月2日のおすそわけ           5月3日のおすそわけ
近所から頂く。ふきと芋の天ぷらと筍煮。すると翌日また別な近所から五目めしとふきを頂く。思わずバンザイと叫びたくなるほど嬉しかった。男の料理ではこんなものができない。うまかった。
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5月5日                    5月7日
畑で雀の子を捕まえる。子供の日なので記念写真を撮ってから逃がしてやる。
このイチゴは特養の妻とユニットの人たちに差し入れしたもの。やっと数が揃い、人様にあげられるものができるようになったのだが、素人の哀しさ、お世辞にも甘いと言えない。でも妻にも食べさせたいし、お世話になっているスタッフにも気持ちを届けたくて差入れした。
その後、今を盛りとなり始め、一回に百個以上獲れる。小さいものは片っ端から冷凍している。5月14日には妻に2回目の差入れ。この時は看護士さんにも届ける。甘くはないけど、ビタミンCはありますと。
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5月8日                    5月15日 第2回じゃが芋土寄せ
かぼちゃだけにしておこうと思ったのについ赤『オクラ』3本と黄『ヤーコン』6本を、緑『坊ちゃんカボチャ』4本に買い足してしまう。ヤーコンは芋みたいなものでカロリー制限している人向きの健康食物らしい。芋と同じ調理法で食べられるらしい。ちょっと楽しみ。こうしてついつい増やしてしまうと水やりが大変になるのだ。
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5月15日のレタス              5月15日のブロッコリー
この季節にレタスやブロッコリーを植えたのは初めて。3月31日に植えたレタスは毎朝のサンドウィッチに随分前から食べている。成長がとても早い。だが少し葉っぱが固いように思う。ブロッコリーも秋に植える苗とは成長の仕方がまるで違う。こんなに早く実が出来ることはない。もう少し様子を見る。
ここまでで春シーズンの作業が一段落。後はサツマイモを植えるだけのところまでこぎつけた。すでに畝は用意してあって、石灰はまいて、芋の専用肥料もまいてある。20日頃には植えてしまいたい。終えてほっとしたい。

3月7日に昼食介護の面会に行ったのが最後で、その日から面会が禁止になり、今日でちょうど2ヶ月。この間、時々看護士さんから体調などの報告あり。軽い風邪に罹ったり、食欲不振、水分補給のために点滴をしたことが2回。儂は週一回のペースで妻の好物を差入れして来た。さすがに面会規制も長くなったので、施設もスマホで面会が出来るように手配してくれる。それが、5月4日のこと。大勢面会するので一人10分。妻はスマホを持って話すことは出来ないので、スタッフ二人が付きっ切りで世話をしてくれた。
画面に現れた妻を見た途端胸がしぼむ。そこにいたのは病人のようなやつれた妻であった。2ヶ月会わない間に随分痩せたなあと自分でも顔が暗くなるのが分かる。化粧というものを十数年間殆どしたことがない。乳液類を付けるだけだが、それも毎日つけているわけではない。頭髪もパーマなどかけてはいない。手入れが大変なので短くカットしているだけ。老いても気品のある女性はいくらもいるが、そもそも化粧も肌の手入れもしないし、食生活も満足に出来ない身なのだから、そのようなものを望んではいけないのだろうがやっぱり辛くて悲しい。これが病で障害を負った者の老後の現実なのだ。
スマホの画面を見せて貰っているのだが、よく見えてはいないようで、かろうじて声だけはわかるような反応を見せる。喋っていることもスタッフが補足してくれてようやくわかる。ほとんどまともな会話にならず。本人も車椅子に座っているのが辛いのか姿勢を保っていることができなくなる。首も壊れた人形のように揺れる。儂の声だけは理解したようなので、コロナが終わったらすぐに行くからと励まして打ち切る。時計を見たら7分も喋っていなかった。
以前のように直接会えば違うと思うのだが、非常事態宣言は延長されたが、いつになったら面会できるやら。

ところで、この二、三日で急にイチゴの生育がよくなる。沢山熟すようになった。
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見栄えのいいやつだけを選んで7日の朝、特養に差し入れに行く。妻のユニットのスタッフや入所者仲間に食べてもらいたくて。一人四個ずつぐらいしか食べられないかもしれないが、スタッフへの感謝の気持ちを伝えたくて。

以下、超久しぶりの語録(22)。在宅介護で大変だったけれど、妻の言葉に思わずニタッと笑った頃。


2007.6.2

「いやだなあ、お父さんがあんなにハゲたら」

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「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ。お父さんに添ってみてよかったよ。こんなに楽しい思いさせてもらって。さあ、帰って、カレー作ろう」

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二階で音がして。子供部屋がある。

「○○(息子)、駅まで送ってやるよ。○○、学校行くなら準備しなさい。○○君、11時出発だからね。お父さん、言っといて」

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「お父さん、帰りにグラウンドに連れてってよ。○○ちゃん(娘)のやってるところ見たいから」

2007.6.5

(美味しいものを食べて)

「口の中が喜んでいる」

※うまいこと言うなあと感心した。この言葉は印象に残って覚えている。

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「痛い」

「……」

「早く、ごめん、ごめんと言え。そしたら許してやる」

2007.6.6

(歯みがきの準備をしていると)

「モモちゃん、お母さん、こんなに幸せなんだよ」

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53○○―37○○てなんだっけ」

「うちの電話番号だよ」

「そうか」

2007.6.7

(お茶をいれてやった時)

「人が幸せと感じる時はみな違うけど、私はいま幸せよ。モモちゃん」

2007.6.9

「お父さんが好きだったころ、牛にだって言いたかったよ。好きな人いるって?私、誰にでも言いたかったの」

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(身障者のTVを見て)

「お父さんがあんなになったら、私、別れるよ。それが、のりみたいにぴたっと貼りついて、一歩歩いたら一歩ついていって」

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「ライフ(近所のスーパー)へ連れて行って下さい。向こうに着いたら、泳ぎに行きますから」

2007.6.29

(貰ったイカ明太を食べて)

「私が食べる姿を楽しそうに見ていました、と(手紙に)書いておこう。きっと幸せだったのでしょう」

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(寝る時に)

「後ろに寝て、私の後ろに、オムツして寝て」

「俺もオムツするの」

「そう」

2007.6.30

「私、75以上になったら生きらんでいいよ。ほっといていいよ」

2007.7.1

「○○(息子)の名前を一生懸命考えてるんだけど、変えるなら、しっかり考えてやらないと」

2007.7.4

「お茶は自分で入れるもんじゃないね。人の入れてもらった方がおいしい」

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「モモちゃん(犬)、○○兄ちゃん(従兄)来てもらってよかったね」

「俺、○○兄ちゃんじゃないよ」

「あっ、お父さんに似た○○兄ちゃんだ」

2007.7.7

介護百人一首をNHKが募集

「お母さんも作ったら」

「食べたのに、まだ食べてないと、またねだる」

2007.7.12

「ヘンな夢ばかり見てる。お化けばかり出て来る」

2007.7.24

「ごはんもう少しちょうだい」

わけてやると

「ありがとう、優しいね、お父さん。私だったら、私の分がなくなるからあげられませんと言う」

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「あれ、今日、○○くん(息子)の誕生日じゃない」

「よく覚えてたな、俺、忘れてたよ」

「私、○○くん、愛してるから」

(息子の誕生日は723日)

2007.7.26

「私、よくなったら、私の言うこと聞いてね」

2007.7.27

(パット交換の時)

「ああ、良かった。自分でやるのいやだなと思ってたの」

2007.7.28

「この番組(風林火山)を見るといつもお父さんをソンケーしてるの。古いことちゃんと書いて、一時間あきさせないで見せて」

※そんな尊敬されるようなライターじゃないのに。儂が書いたと思い込んでいる。

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「家に帰ったら、ブルーの水(酒)飲ましてね。じゃこれから車の中で寝ていくから安全運転でお願いします」

2007.7.29

「雷こわいよ」

「子供みたいな」

「子供だよ。お父さんにくっついてしか寝れないから。この頃いっしょに寝てないね。今夜寝る?」

2007.7.31

「起こして」

「起きてどうするの」

「帰るの」

「どこへ」

「自分の家へ」

「ここが自分の家だよ」

「違う、違う」

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「ミカンとリンゴ買ってあるから、自分の家帰るの」




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