曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2020年04月

第四章 初陣(1

 

 辰敬が御屋形様は民部様に殺されたようなものだと思うのだから、いわんや京極家中においてはをや。

 邸内で辰敬はますます孤立して行った。

 御屋形様下向後も存命中はそれほどでもなかったのだが、死後は辛く当たられる一方であった。

(いつまでいるのだ。もう用はない。早く出雲に返れ)

とまで言われた。

 だが、辰敬は誰に何と言われようと、御屋形様亡き今こそ御奉公の真価を問われていると思っていた。

御屋形様は死んでもその魂はこの邸に留まっている。いつの日か吉童子丸も戻って来るだろう。その時のためにもこの邸を守らねばならぬ。それが御屋形様の御恩に報いることであり、御奉公ではないのかと。

辰敬が知っている多聞ならしたりと頷いたであろうが、多聞は相変わらず出仕しなかった。

 多聞はあの女と一緒になって人が変わってしまったようだ。

 こうして家中の憎しみの籠もった視線を一身に浴びていると、多聞がいてくれたらと切実に思うのだが、辰敬はもう多聞を恃むのは諦めていた。

 多聞の事は考えない事にしていたが、一人ぼっちは辰敬に嫌でも考える時間だけはたっぷりと与えてくれた。

(どうして御屋形様の死がこんなにも悲しいのだろう)

 将棋の才を愛で、歴史絵巻の如き英雄武将の活躍や逸話を沢山物語ってくれた。あろうことか都へも呼んでくれた。門外不出とも言うべき代々證文も見せてくれた。

田舎の子にとっては信じられないほどの至福を与えてくれた人なのだから悲しいのは自然の感情だ。

 でも、ここで少し立場を変えて考えてみたらどうだろう。

御屋形様が誇る佐々木一族こそ、多くの国を滅ぼし、多くの命を奪い、多くの人々を悲嘆の底に突き落として来たのではないのか。

 だからこそ、佐々木一族の栄華が続き、京極家の繁栄がもたらされたのではないか。

あの代々證文に記された京極家の歴史は夥しい血で贖われて来たのだ。御屋形様もその血塗られた歴史を受け継ぎ、自らも血みどろの戦いを繰り広げて来たのだ。

 民部様も文明十六年に守護代を追放された時、御屋形様に殺されていたかもしれない。

 もしはあり得ないが、もし、あの時、御屋形様が民部様を殺し、名実ともに出雲の守護であり続けたなら、辰敬はあれほどまでに御屋形様が好きになっていただろうか。

 否。

出会いすらなかったであろう。

 将棋の強い子供として召し出されたかもしれないが、褒美を頂戴して終わりであったろう。

思うに、好きになったのは、初めて会った日に、御屋形様の目に光る涙を見たからであった。将棋に負けて悔し泣きする辰敬を羨ましいと言い、自分は泣く事も忘れたと呟いた老人に心惹かれたからであった。

親子兄弟が戦で死んだのを泣く大人達は沢山見て来たが、そんな理由で泣いた大人を見たのは初めてだった。

いちを好きになったのとは違った。

いちを好きになった時は、姿を垣間見ただけで、胸が破裂しそうなくらい苦しかった。側にいるだけで恍惚として、それを最高の幸せだと感じていた。

御屋形様も側にいるだけで幸せだったが、それはとても静かで心安らぐものだった。何も飾らず、己を作らず、素のままの自分でいることが出来た。

御屋形様が嘘偽りのない、正直な姿を見せてくれたからだと思う。

いちを好きになったのは女を好きになったのであり、御屋形様を好きになったのは人を好きになったのだ。と、今になって思う。

同情や憐れみは後からついて来た。

御屋形様が出雲に失意の下向をしていたのを知ったのはもっと後のことだった。北近江も出雲も失った老人であることを。

その老人は背負いきれないほどの荷を背負い、押し潰されそうになりながらも、見果てぬ夢を追っていることを知り、辰敬はますます好きになったのだと思う。

 辰敬は自分でも武士の子としては優し過ぎると思っていた。

その後も、奈落の底に落ちるように、悲運の坂を転がり落ちて行く御屋形様を見ていると、子供とは言え、何かしてあげなくてはいられなかった。及ばずながら少しでも力になりたいと心から思った。それが好きになった人へのせめてもの恩返しだと思った。

そして、ようやく御屋形様の唯一の希望である吉童子丸の守りになれ、吉童子丸のよき兄になれるかと思った時、辰敬の願いは水泡に帰してしまった。

 

 師走に入れば、正月の準備が始まるのだが、二年続けて喪中の正月を迎える京極邸は静かなものだった。

 その日、出仕して御用部屋に入ると、常にも増して憎しみの籠もった視線が迎えた。

「御出世やなあ」

 鷲尾が皮肉たっぷりの言葉を浴びせた。苦手の多聞がいないので、近頃はかさにかかって意地悪をして来る。

 訳も分からず当惑していると、

「何や、聞いとらんのか。真っ先にわぬしに報せが届いていると思ったのになあ」

「ほんまにわぬしの親父殿はたいしたもんや」

「あやかりたいものや」

 普段は口も利かない者達も嫌味を浴びせて来る。

 どうやら父の忠重の身に変化があったようだ。出世と言うからには昇進したのだろうが、辰敬には出雲からの報せはまだ届いていなかった。やっかみと憎しみの入り混じった顔を見ると、訊くのも業腹なので辰敬は逃げるように部屋を出た。

 

 結局、多聞に聞くしかなかった。

 だが、風早町へ近づくにつれ足取りが重くなった。それはそうだ。多聞の事は考えない事にしていたのだが、こうして風早町に向かっていると、女と暮らす多聞の姿が浮かび上がり、腸が煮えくり返るのであった。

辰敬を恥を知れと叱ったくせに、自分は女を、しかもよりによって尼僧を連れ込んでいたのだ。確かにあの女は不思議と心に響く経を読んだが、だからと言って許す気にはなれなかった。多聞がふしだらで汚らわしく思えてならなかった。今では多聞を完全に見損なっていた。そんな多聞と本当は顔を合わせたくはないのだ。会っても一体どんな顔をして話をすればいいのか。

町屋の間の細い路地の入口まで来たところで、辰敬の足は止まってしまった。

 よほど引き返そうかと思ったが、父の事は知りたい。

 踏ん切りがつかず、ぐずぐずしていると、

「おっ」

 吃驚したような声に振り返ると、多聞が突っ立っていた。辰敬に遭遇して思わず声を上げたようだ。

辰敬も驚いたが、その目は多聞が抱えている女物の小袖に吸い寄せられていた。古着屋で買って来たのであろう。尼僧には派手過ぎる、嫌でも目につく色模様である。多聞が選んだのであろうが随分趣味が悪いと辰敬は思った。

 多聞はばつの悪い顔を隠すかのように、ことさら明るい声を上げた。

悉皆(しっかい)入道殿は大層な御出世じゃなあ。祝着々々」

 忠重は悉皆入道を号していた。やはり多聞は知っていた。

多聞にまで嫌味を言われたような気がして、辰敬はむっとした。

 多聞は怪訝な顔をした。

「何の用じゃ。御出世の報告か」

「我は知らんのじゃ。お邸でも皆出世したと言うが、父上はどうなさったのじゃ」

 噛みつくように、早口で一気に吐き出した。

 多聞は意外な顔をすると、古着を抱えたまま、この前と同じ寺の境内に入って行った。

 そして、以前の見慣れた仏頂面に戻ってこう言った。

「杵築(出雲)大社造営奉行に任じられたのじゃ」

 ぽかんとした辰敬の顔を見て、如何にそれが大変な任務か、多聞は噛んで含むように教えてくれた。

「任じられたのは亀井能登守秀綱様と多胡悉皆入道忠重様のお二人」

 辰敬は驚いた。亀井秀綱は尼子経久の側近中の側近である。重臣の筆頭である。守護代を追放された経久を支え、苦難の二年を共にした、経久の最も信頼の篤い武将である。

 その亀井秀綱と並んで奉行に任じられるとは。

「亀井様は立場から言えば総奉行じゃな。現場で実際の指揮を執るのは入道殿じゃ。出世と言うよりも、大変な重責を負う事になられたのじゃ。ま、それだけ民部様が信頼を置いておられる訳じゃ」

 例によって一言皮肉を付け加える事を忘れない。

「一口に大社(おおやしろ)を築くと言うが、これは遷宮と言って、何十年に一度、本殿を造りかえる大事業じゃ。莫大な経費と時間を要す。杵築大社は出雲国の一の宮じゃ。古来遷宮は国を挙げての事業であり、出雲の国主の務めじゃった。古くは出雲国国司が務め、武家の世となっては、出雲守護佐々木家が務め、それは京極家に受け継がれたのじゃ。しかし、余りにも大事業であり、出雲の国が明徳の乱で乱れた後は、京極家の力を持ってしてもなし難く、最後に遷宮が行われてから、百年近く途絶えておったのじゃ。それを民部様が復活させようと発願されたのじゃ」

 多聞にしては珍しく饒舌であった。

「出雲の国主の務めなら、それは吉童子丸様の務めじゃないのか……」

 素朴な疑問だった。

 返事はなかった。

「吉童子丸様は守護職を譲られたのじゃろう」

 実は辰敬は政経死後の仕置がどうなっているのか知らなかった。吉童子丸が守護に任じられたなら、家中も晴れやかになるだろうに、そんな雰囲気もないので、疎んじられている事もあって訊くに訊けないまま、何となく妙に思っていたのだ。

 疑問をぶつけると多聞は険しい目を向けた。

「そうじゃろう。じゃったらおかしいのじゃないのか……」

 重ねて問うと、

「言うな」

 怒ったような声に辰敬は一瞬怯んだ。

「えっ……いや、あのう、譲り状と代々證文を多賀様と民部様に託されたのじゃから」

「よう判らんのじゃ、わしも……」

 多聞はため息を漏らした。

「吉童子丸様が守護として披露された話は聞いておらん。聞いておる事はただ一つ。民部様が預かった代々證文を写し取られたと言う事だけじゃ」

 辰敬は驚いた。

「写し取った……」

 その意味がすぐには分からなかったが、あの古色を帯びた文書の一つ一つが真新しい紙に、書き写されて行く光景を想像すると、身体の内から言い知れぬ震えが込み上げて来た。

 あの代々證文は京極家の宝。御屋形様にとっては分身とも命とも言うべきものではないか。それを平然と写し取る行為に、辰敬は死後も尚御屋形様が冒涜されているような気がしてならなかった。

「なして、そげなことを」

「写しを取る事は必ずしも非難されることではない。紛失すると困るので写しを取るし、関係者が多い場合は何通も写しを取る。それは案文と言い、正本と同じ価値があるのじゃ。ただ、民部様が写した意図はあからさまじゃ。尼子家は京極家から分かれた家じゃ。佐々木一族を継承する資格があることを、代々證文を保持する事で証明したいのじゃろう」

「と言う事は、民部様は吉童子丸様を守護としては認めていないと言う事じゃないか。御屋形様の遺言はどうなったのじゃ」

 多聞は答えなかった。

「吉童子丸様と大方様はどうなさっているのじゃろう」

 それは辰敬がずっと心に掛かっていた事だった。

「治部様御寮人は御屋形様と治部様を弔うために、平浜別宮に庵を建てて入られたと聞いておる」

 平浜別宮は平安時代に京都の石清水八幡宮を勧請して創建したので、別宮と称されている。安国寺の近くにあり、由緒ある神社である。

「すると吉童子丸様は守護所にお一人でおられるのじゃろうか」

「さあ……もしかしたら多賀様か、あるいは京極家ゆかりのどなたかの邸に引き取られているのではなかろうか」

 どこにいようとも寂しいことには変わりはない。どれほど荒み苦しんでいる事か。その時の姿を知っているだけに、吉童子丸の絶望的な孤独を思うと、身を引き裂かれるような気がした。すぐにも飛んで行って、抱き締めてやりたかった。

 そんな辰敬の気持ちを知ってか知らずか、多聞は現実と言うものを語った。

「形の上では吉童子丸様が守護じゃろう。じゃが、幕府は出雲の仕置は民部様に任せておる。そうしなければ政が立ち行かぬからじゃ。民部様は最早国主と同じ役割を果たしておいでなのじゃ。民部様は正式には守護ではないが、自らは国主と思っておられる。出雲の誰もがそう思っておる。じゃからこその大社造営なのじゃ」

 きっと鋭い目が辰敬に当てられた。思わずたじろいだ程の、怖いような顔だった。

「年が改まったらいよいよ造営が始まるじゃろうが、実はな、杵築大社造営の発願はもっと前の九月の半ばになされていたのじゃ」

 悔やむ声に変わった。

「わしも知らなかった。御屋形様がお亡くなりになった後で知ったのじゃ。重ね重ねの不忠者よ」

 嘲るように顔を歪めた。

「女に魂を抜かれて、腑抜けになっておったからじゃと言いたいじゃろう」

「えっ、いえ、そんな……」

 ずばりと言い当てられて、辰敬はしどろもどろになった。人の事を言えた立場ではない。いちの事ではどれだけ恥を晒したか。

 それよりも、辰敬が驚いたのは、九月の半ばと言えば、御屋形様が病で伏せっていた頃と聞いていたからだ。

その疑問に答えるかのように、多聞は吐き捨てた。

「あたかも御屋形様が病に倒れるのを待っていたかのように、大社造営を宣言されたのじゃ」

 何とむごい振る舞いではないか。死の床にある老人に対して、余りにも無慈悲で、残酷な仕打ちではないか。

「勝ち誇ったように宣言されたのじゃろうな。御屋形様にはなしえなかった大社造営を民部様がやるのだと。どちらが国主かこれで分かったろうと言わんばかりにな」

 そう続ける多聞の顔は悲痛だった。

「御屋形様はどんな思いで聞かれたのじゃろう……」

 辰敬は切なくて、胸が塞がった。

「復讐じゃよ。民部様は追放されて、逃げ回た二年の苦難を忘れてはおられん。いつかは恨みを晴らす。その一念で出雲を切り取って来られたのじゃ。同情や憐れみなど欠片もあるものか。見事に復讐を果たされ、さぞ満足であられたろうよ」

 辰敬が難じるような目を向けると、多聞はひたと見返した。

「勘違いするな。御屋形様は民部様に膝を屈したのではないぞ。憐れみを請われたのではないぞ。これだけは忘れるでないぞ。御屋形様は最後まで民部様と戦われたのじゃ。いかに民部様が国主然と振舞っても、御屋形様は決して認めぬ。守護はあくまでも吉童子丸様と命を賭けて主張されたのじゃ。多賀様と民部様のお二人に譲り状と代々證文をお預けになったのがその証じゃ。預かったのはお二人じゃが、その事は、天と地と出雲のすべての民が見ているのじゃ。民部様はすぐにも守護職を望んでおられたじゃろうが、すぐにはなれんじゃろう。結局出来る事と言えば、代々證文を写し取るぐらいの事だったのじゃ。栖雲寺殿京極宗濟(政経)こそ戦国の武将だったのじゃ」

 その言葉に辰敬ははっと多聞を見返した。

 今の辰敬にとってはどれだけ救いの言葉になった事か。多聞が辰敬の知っている多聞だった事もちょっぴり嬉しかった。

 

出雲市にコロナの感染者が発生する。夕方のニュースで知って、「ああ、とうとう出てしまったか」と、ため息が出たが、経緯を知って、ため息は激しい憤りとなる。感染者(30代男)は何とクラスターが発生した松江の飲食店BUZZの客だったのである。島根の感染者は今のところすべてBUZZのクラスターで、この男が17人目の感染者になったというわけだ。
当然、濃厚感染者としてPCR検査は受けていて、陰性と診断されたが、2週間の自宅待機を要請されていた。
ところが、この男は1週間目に外出して、こともあろうにBUZZの関係者二人と会っていたのだ。当然、この二人も自宅待機を無視していたことになる。この後、この二人は14人目と16人目の感染者となった。
なんと無責任な連中なのだろう。身勝手も極まれり。
自分たちが病気になる事、他人に染すことの恐ろしさにどうして思いが至らないのか。まともな人間のすることとは思えない。脳みそが足りないのではないかと思わざるを得ない。劣化と言う言葉しか浮かばない。
夕方、近所に回覧を届けに行き、「どこの誰なんだろうねえ」「近くでなけりゃいいんだが」と、嘆き合って別れる。
夕食後、ご近所から電話。
「神西(じんざい)だって」
「ええっ!!!!!」
我が家から南へ車で15分ぐらいの地域で、ご近所もそこのスーパーによく通っていると言う。儂も数年前まではそのスーパーの近くのホームセンターに苗を買いに行っていた。
出雲市は合併して広くなったのに、よりによってこんな近くで発生するなんて最悪だ。
例えば、妻の特養の職員でそちらの方角から通っている人はいるし、母の入居を考えているグループホームも我が家よりは神西寄りになる。特養もグループホームもより一層対応が厳しくなるだろう。母が通っているデイサービスも。松江のクラスターを対岸の火事のように眺めていたがこれからはそうは行かなくなる。
「家族6人だって」
もうそこまで分かっているのだ。
「6人も感染しているんだって」
これは真偽のほどはわからない。Mちゃんもまた聞きなので。6人家族は本当らしいが。
妻は特養を信頼して任せるしかないが、92歳の母を抱える者としては緊張する。栄養のあるものをしっかり食べさせて、免疫力を高めるように心掛けなければならない。もちろん儂も。これまで以上に食事が大変になる。
このところ、母がデイサービスに行く日の昼だけ(週3日)神立食堂の外食を楽しみにしていたが、それも控えた方がいいかもしれない。
パチンコ依存症が大手を振って歩いている都会からくらべたらまだいいのかもしれないが。都会の人たちのパチンコ屋への怒り想像に余りある。
人の皮を被った化け物(馬鹿)ばかり。
話は変わりますが、儂は東京オリンピックはないと思っているんですよね。

追記4月30日
家族6人が感染していたのは事実だった。80代男性から未就学児まで。翌日、まだ乳幼児がいてその子も感染していたことが判明。結局家族7人全員が感染していたことが分かる。この一家が出雲のクラスターにならないことを祈るしかない。
そもそも一番悪いのは、松江の女子高生が投薬しても良くならず、二度目に訴えた時、病院もおかしいと感じながらPCR検査を受けさせなかったことにある。おかみがPCR検査を受けるための高い敷居を作ったために病院はおかしいと思いながらも、おかみに逆らえなかったのだ。こんなバカなことがあっていいのか。
国も都も、オリンピックをやりたくて、感染者数を少なくしようと必死だったのだ。この初期段階の感染者隠しが今日の事態を招いているのだ。亡くなった人は救われない。

はやいもので2011年に帰郷して、その年の4月から畑を始めたから、今年で畑を作るのも10回目になった。初めの数年は新鮮だったが、ここ数年は「また春が来た。やらねばならぬ」と、重い腰を上げ、義務感に尻を叩かれているような状態である。
毎年、じゃが芋の準備から始める。まだ寒い2月に耕運機で荒起こしした畑に石灰を撒いた後、2月15日、今年はじゃが芋専用肥料を撒く。ぶつぶつ言いながらも、肥料を変えてみるくらいのことはするのだ。
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3月6日
マルチ植え用の畝を二つ作る。マルチを張って植えるのは3年目。去年はじゃが芋は荒れ地で育つものだから肥料はやらなくてもいいと言う言葉を信じて失敗したので、今年はじゃが芋専用肥料を混ぜ込んでおいた。失敗でマルチ植えを終わるのはしゃくなので挑戦する。ぶつぶつ言う割にはかくのごとし。執念深いイヤな性格なのである。
今年植えるのは、左から定番の『男爵』、次が『ノーザンルビー』、そして『とうや』。後の二つは今年初めて植える。店頭で見つけたら、初物好きの血がうずいたのである。
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3月13日                   3月20日
3月8日に銀マルチを張り、13日に『男爵』を23個植える。その後、隣に黒マルチを張り、こちらには『ノーザンルビー』12個と『とうや』を12個植える。すると、『ノーザンルビー』と『とうや』が4個ずつ余ったので、3月20日に黒マルチの隣にじゃが芋用に三つ目の畝を作る。これはマルチを張るのをやめて、旧来の一般的な誰もがする普通の作り方をしてみる。三年ぶりである。
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左の写真→まず畝の底に小さな穴を掘る。
右の写真→その穴にじゃが芋専用肥料をひと掴み入れる。
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3月21日                   3月21日
左の写真→肥料を入れた穴を土で埋めて、その上にじゃが芋を置く。左が『とうや』右が『ノーザンルビー』
右の写真→土を被せる。この後、土寄せと追肥を2回する。
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3月28日                   3月28日
近くの新内藤川の桜。市内の桜は満開だったが、川風が冷たいからか、だいぶ遅れている。
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4月3日                    4月3日
普通に植えたじゃが芋の畝の東側にレタスの畝を作る。去年、レタスを沢山植えてから、毎朝ハムチーズ野菜サンドを食っているので、レタスをつくることにしたのである。サニーレタス、グリーンリーフ、玉レタスの三種類を作る。一度に出来ると食べきれないので、後2回ほど時期をずらして植える計画。
桜がやっと満開になる。
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4月4日                    4月4日
東側の新しく植え付けたイチゴ。花が咲き誇り、青く固い実が出来ている。真ん中に植えたニンニクの勢いもすごい。いいニンニクが出来そうな予感。雑草はわざと放置している。雑草を取ってしまうと虫が集まらなくなるのであったほうがいいらしいし、土の乾燥も防いでくれるのだそうだ。
芋も写真ではよく分からないが、小さな葉が出ている。
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4月4日                    4月18日
つるなし赤花えんどう(手前)とつるなしスナック。
4月18日
気が付いたら山ほどスナックエンドウが出来ていた。初物。茹でて食う。
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4月18日
普通に植えたじゃが芋がこの数日で一気に葉を広げた。
今日は母がデイサービスに出ている間、いつも通り市内へ出たが、イオンは真っ暗。専門店街は全部閉鎖していて、開いているのはスーパーだけ。3階の喫茶店には行けず。非常事態宣言が出ていることを改めて認識させられる。そういえば神立食堂もこれまでにないほど客が少なかった。コメダに行こうかと思ったが、外出自粛は守らないといけないと反省し、帰宅する。5月6日まではスーパー以外はどこへも行かないつもり。トマトの苗は買いに行くが。
夜は第一回の委員会。来週の常会は中止に決まる。会社勤めの人達は会社から多人数の集まりは慎むようにとお達しが出ているそうだ。出席人数が足りないと常会が成立しないこともあるし、やっぱりコロナには最大限の注意をした方がよいと言うことで。
島根県ではたった一軒の店のクラスターで16人の感染者が発生。そのうちの一人が松江から出雲の村田製作所に通っていたことが分かって嫌なムードが漂う。
閉じ籠るしかない。しかし、考えてみれば、都会で閉じ籠っている人から見たら、儂らはまだ恵まれている。家はぼろでも広いし、庭も広いし、畑もある。畑が面倒だとか、飽きたとか言ってたらバチが当たりそうだ。畑が救ってくれそうな気がしている。

明日12日(日曜日)の朝、NHKの「おはよう日本」で、『インディペンデントリビング』を撮った監督が紹介されます。介護現場でヘルパーとして働く姿も紹介されるようです。朝7時から。ちょっと早起きして観て下さい。実際に介護現場で働いている若者が撮ったことをとても価値のあることだと思っているのだが、その若者を突き動かしたものを本人の肉声で聞くのも楽しみである。この御時世にこんな若者がいると思うと、世代は違っても同じ時代を共有している喜びがある。人間への信頼かな。

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以下、うまく転載出来なくてすみません。スキルが低くて。
インターネット配信で応援して下さい。お願いします。

8時ごろ、14日に受ける健康診断の問診票を書いていた時、速報が流れる。なんだろうとTVを見たら、島根県にコロナの初感染が発生したのテロップ。10代の女性としかまだ分からない。ああ、と思わずため息が出る。ついに出てしまったかと。残る三県のうち島根県が最後だと信じていたのだが、防ぎきれなかったとは。実に残念、というか無念と言うか。悔しい。昨日の地方ニュースでは鳥取の若い女の子が鳥取は人が少ないからと笑っていた。島根県も似たようなものだから大丈夫だと思っていたのだが、どういう経緯で感染したのかはまだ分からない。明日になればもっと詳しく分かるだろうが、ここまで頑張っていたのに本当にもったいないと思わないではいられない。後はこれ以上広がらないことを祈るのみ。
これで特養の面会制限はまた延びることになるだろう。それを思うと本当に切ない。歯磨きはどうなっているのか、マッサージはしなくても身体は大丈夫なのかと、心配なことは一杯ある。先週も差し入れを届けに行った時、食欲がなくて二日ほど点滴をしたと言っていた。お願いだからこれ以上広がらないでと祈る気持ちだ。
知事も帰省をしないでくれと要請している。まじで観光客も来てほしくない。
5月13日は父の一周忌。先月からどうしようかと悩んでいたのだが、昨日の東京都などに非常事態宣言が出たので、姉妹と親戚は呼ばないことに決めた。妹の一人は神奈川、もう一人は福岡。これでは呼ぶわけには行かない。
親の親戚は鳥取と島根県だが、なんせみんな揃いも揃って高齢。島根でも感染が出た以上、これから一か月後にはもっと状況は悪くなっていると思われ、とてもじゃないが呼べない。年寄りなので出ると言い張るかもしれないが断るつもりでいる。母と儂の二人だけで、お経をあげて貰うことにするつもり。直会もしない。和尚さんにはお食事料を包んですませようと思っている。
先月31日にショートステイから戻って来た母が熱を出し、治る迄一週間近くかかった。その間、家を一歩も出られず、腫れ物に触るように面倒見ていたら、4日に儂がおかしくなり、6日に病院へ行って風邪薬を貰う。5日に溝掃除をして激しい腰痛に襲われ、昨日まで喘いでいたが、今日になり腰も風邪も良化、なんとか散歩に行けるまでになったが、さすがに全コースは歩けず、途中で引き返す。
10日ほど引き籠りしていたのが、やっと解放されたのだが、畑や自治委員の仕事がたまっていてこれがまた大変。
ところで、前回、町内委員の初仕事を書いたが、町内委員は自治委員の間違いでした。儂は去年が町内委員で今年から自治委員に昇格?したのであった。こんな無知であるから先が思いやられる。
腰痛が治まり、風邪も三日で治まったのだから、これからコロナにだけは用心して頑張りましょう。三密のコメダ珈琲はやばいかもしれない。しかし、カフェインレスのコーヒーが飲める店はコメダしかない。困った。
それにしても、思うのだけど、非常事態宣言、遅過ぎないか?
アベノマスクが送って来たらどうしようかと思っていたら(意地でも使いたくないのである)、どうやら島根県などは後回しらしい。

4月10日追記
感染者は松江市の女子高生と公表される。学校名も公表される。先月19日に診療機関にかかり、3回通っても改善されなかったので、検査して昨日感染が判明。春休みに入るまで数日登校。新学期にも登校したと言うから濃厚接触者は随分になるのではないだろうか。女子高生に染した人がいるのではないだろうか。山口県では大阪に出張して、北のクラブで染されたサラリーマンがいたと言うから。誰か都会から持って来た人から染されたような気がする。
それにしても19日から9日まで放置されていたのは長過ぎるのではないだろうか。何だか増えそうな気がする。

朝のニュースで山口の秋芳洞が閉鎖すると言っていた。儂は松江城も出雲大社も鳥取砂丘や水木しげるロードも閉鎖すべきだと思っていたのでいいことだと思う。連休に観光客は来ない方がいい。

4月11日追記
昨日、島根は2人になったと思ったら、今朝は5人。昨日は女子高生の母親と発表されたのだが、増えたのは母親が働いている飲食店の客。結局、女子高生は飲食店の客→母→女子高生とうつされたのか、あるいはこの女子高生はバスで大阪に行っているので、大阪で貰った可能性もある。増えそうな予感が当たってしまった。
昨夜は島根で出た途端、鳥取でも1人感染と発表。60代男性。
今朝になって、この人は砂の美術館の彫刻家たちのアテンダントと分かる。砂の美術館ではヨーロッパから砂の彫刻家を20人くらい毎年呼んで砂像を作っている。今年はコロナがはやっているので来ない彫刻家がいるというニュースは聞いていたが、それでも呼び寄せて作っていたのだ。もし内部での感染だったら、箱モノを優先した誹りは免れまい。結局、閉鎖せざるを得ないことになったのに。閉鎖が決まったとは聞いていないが、閉鎖せざるを得ないだろう。
松江城は昨日閉鎖になった。堀川遊覧船は以前より休み。小泉八雲の記念館なども一斉に休む。浜田市の水族館も休み。
問題は出雲大社だな。神社仏閣は休みそうもないからなあ。逆にお参りしたら御利益があると言い出しかねない。境内は広いかもしれないが、土産物屋はおしくらまんじゅうである。大社参りしてコロナになったら本末転倒である。考えて欲しい。連休にコロナ疲れの息抜きに来た観光客にうつされる方の身にもなってくれと言いたい。

ネットのニュースで松江の感染は女子高生がアルバイトしていた飲食店(店名公表)のクラスターと分かる。昨日までは母親が働いていた飲食店と伝えられていたのに、コロコロと話が変わる。不確かな情報であれこれ語るのは良くないので、この項はここまでとします。感染者は6人になってしまった。この店に通った人は申し出るようにと通達されている。

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