曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2020年02月

「誰もが安心して入れるお店を増やしたい!バリアフリーな街づくり」の寄付メニューに1000円コースと3000円コースが追加されました。以下、その主宰者の挨拶。

STEPえどがわのクラウドファンディングの取り組みも残り約10日となりました。この間、はじめてSTEPに遊びにきてくれて「一緒に何かしませんか」と誘ってくれる地域のみなさんがいたり、「あのお店もバリアフリーにしようよ」という提案を介助者の皆さんからいただいたり、ポジティブな輪が広がっていることをうれしく思っています。昨日愛犬の散歩をしながら、寄付を入れてくださった美容院に寄ってお礼を伝えたら「少額で申し訳ないけど、、、すごく楽しみにしてますよ!」と言ってもらえてなんだかうれしかったです。ひとつひとつのご寄付がありがたく、「ちゃんと自分は運動できてるかな」と自分自身に問う2020早春となっております。

さて、昨日からご要望を踏まえて1000円と3000円の寄付メニューを追加させていただきました。目標金額は達成できたので、あとはより多くのお金を集めるのではなく、STEP、障害者運動、自立生活運動を応援してくれる方を増やしていけるようにSTEP一同最後までがんばりたいと思います!どうぞよろしくお願いします(^^)

2月23日現在
907.000円 目標額の146%集まっています。締め切りまで残りは6日です。
挨拶にあるように、これから先は気持ちと理解を示す寄付になるのかなと思います。
昨日、特養に妻の昼食介助に行った時の事でした。
特養の玄関には常時マスクと消毒液が置いてあるのですが、昨日はマスクも消毒液も置いてありませんでした。とうとう施設でもマスクが切れてしまったのかと思っていたら、何と置いてあるマスクを箱ごと持って行った奴がいたと言うではないか。唖然とする。何と寂しいと言うか、哀しい話ではないか。出雲にそんな奴がいるなんて。しかもよりによって特別養護老人ホームのマスクを盗むなんて。
人間のすることじゃないよねえと、担当の介護士さんと嘆いた後だったので、1000円でも気持ちを送りたいと言う人の存在をとても嬉しく思ったのでした。
私からもよろしくお願いします。

今年の冬は暖かくてもう雪は降らないのではないかと思っていたら、2月6日に積もると言うので期待して朝起きてみたらこの程度。
15819990652951581999011810
これがこの冬初めての雪らしい雪なので、初雪と言えば初雪になるのか。
15819989717071581998926540
畑もうっすらと雪化粧。          道路の雪はすっかり消えてしまっている。
15819988579251581998813078
愛車のおんぼろ軽。三菱ミニカ。1センチくらい雪の布団をかぶっている。
右の写真はお昼に世話になっている神立食堂。激しく雪が降り出したので、いよいよ昼から積もるのかと思ったらすぐにやんでしまう。夕方にはほとんど融けてしまう。松江で14センチも積もったのが嘘みたい。30キロちょっとしか離れていないのに松江と出雲はずいぶん違う。
翌日からまた一気に暖かくなる。まるで春の陽気。花粉で目がかゆくなる。暖かいのは悪くはないのだが、冬らしい寒さの洗礼を十分に受けないで、暖かくなられるととても気持ちが悪い。
2月16日
15819987098621581998647744
荒神様の清掃。毎月一回、総代と自治委員3人と町内委員3人が掃除をする。総代は毎回出て来て、自治委員と町内委員は順番で1人が出る。2月は町内委員の儂の番。寒い冬は嫌だなあと思っていたら雨上がりの生温い日で助かった。半紙に包んだ豆が沢山落ちていた。総代さんと二人で誰か豆まきしている人がいるんだねえと感心する。こういう掃除も止めるわけには行かない訳だ。
その夜から、強力寒気団がやって来て西日本や日本海側は大雪になるとの天気予報。
前回の雪で今年は打ち止め、もう雪は降らずにこのまま暖かくなるものだと思っていたので、俄然嬉しくなる。冬はやっぱり雪が降らないと冬とは言えない。やっと冬らしい冬になる。人も木も草も花も作物もきびいしい寒気にぎゅうっと締め付けられないと、暖かくなった時に爆発できない。
2月17日
15819985695551581998532937
朝起きたらこんなもの。なあんだである。それでも今日はこれから日中に降るかもしれないと言うので、ボロ軽に長靴とスコップを積んで街へ出るも、時折り激しく降りはするのだがすぐにやんで積もる気配は皆無。そのかわり風は烈しく、冷たい。
毎晩、夕食後、7時前後からの散歩は続けている。雪は降らないが、風は強く、うなりを上げて吹き、寒気は身が縮み、震えあがるほど。こんな日は止めとけと言われるが、辛い事を避けるのは逃げるようで嫌なので、肚を決めて家を出る。いやあ、寒いのなんのって、散歩2年目だが今までで一番寒かった。風が強くて強くて、前に進まない。頭を下げ、鼻水を流しながら歩く。途中で雪も降り出す。今夜の大雪を確信する。天気予報では平地で10~20㎝降ると言っていた。
2月18日
15819984390511581998489265
明け方にどーんと降って積もると思っていたらこの有様。松江では5㎝しか積もらなかったと言う。松江で5㎝なら出雲で積もるはずがない。奥出雲や北広島の山奥は積もったようだが、天気予報を見ると、雪雲は出雲をかすめて通り抜けたようだ。
1582030931686
夕方の畑に雪は無し。この二日間、雪は大したことなかったが、寒くて風は強かった。その名残が上の傾いたキンカンの写真。強風でキンカンの木が傾いてしまった。
明日からまた暖かくなるそうだ。さすがにもうこれ以上雪が降るようなことはないだろう。去年に続き、今年もまた雪らしい雪のないまま冬は終わりそうだ。

「誰もが安心して入れるお店を増やしたい!バリアフリーな街づくり」のクラウドファンディングが目標額(62万円)に達したことを知らせて来た。以下、そのメール。
2月5日(水)22時38分
こんにちは、Readyforです。

ご支援いただいた「誰もが安心して入れるお店を増やしたい!バリアフリーな街づくり」について

募集期間内に目標金額を達成することができました。よって、このプロジェクトは成立となります。ご支援いただきありがとうございました。 

今後の新着情報はこちらをご覧ください。 https://readyfor.jp/projects/stepedogawa/announcements

【ご注意】

※プロジェクトが成立しましたので、お客様のクレジットカード決済が完了いたしました。以降キャンセルはできません。

※クレジットカード会社からのご請求明細には「READYFOR」もしくは「レディーフォー」と記載されます。

※リターンに関しては、準備ができ次第実行者から連絡がありますので、お待ちください。』

他のプロジェクトと比べても寄付の集まり具合はとても早くて、プロジェクトを閲覧した人で寄付に応じた人の割合も高かったそうだ。これまでの地道な活動を知っている人たちの支えがあったのでしょう。この人たちなら必ずやってくれると言う信頼と信用が。そう思います。

2月6日17時26分
あらためて『第一目標を達成してネクストゴールを目指す』挨拶のメールが届く。
ネクストゴール(残り23日)は100万円だそうです。
2月6日21時現在 655,000円(105%)集まっている。
応援メッセージに瑞江だけでなくもっと地域を広げて欲しいと言う要望があったので、小岩や近隣へも広げたいそうだ。応援お願いします。

今回のクラウドファンディングは実はわしにとっては2度目の応募になる。
初めて応募したのは1年以上も前だったか、「インディペンデントリビング」と言う映画製作のクラウドファンディングに出会った時である。これは車椅子の若者が自立生活を目指して悪戦苦闘する内容である。
儂は車椅子の当事者ではないが、妻の車椅子を16年間押し続けている。ホンダのNBOXのない時代に車椅子から妻を車に移し、車椅子を折りたたんで車に積み、病院やリハビリに通うのがどれだけ大変だったか。待ち時間は長いし、妻はくたびれる、挙句病院で痙攣まで起こしたこともある。
妻は自力で車椅子を動かせないので、常に儂が押して歩くのだが、段差はあるわ、坂はきついわ、通路は狭いわ、遠回りはしなければならない。まだ妻も元気なころ、こんな店なら入ってお茶の一杯も飲ましてやりたいと思っても車椅子で入ったら迷惑になりそうで引き返す。車椅子で外へ出たら、押すだけだが苛々することばかり、不自由と不条理に泣きたいやら怒りたいやら。
だから、この若者が車椅子でも自由に生きたいと願い、自立を目指すと言う内容に一も二もなく頑張れと叫びたくなったのだ。同情はいらない。車椅子だから……と、諦めることは拒否する。その生きざまに惚れたのである。
儂は車椅子バスケットが大好きだ。あのガンガンぶつかり、転倒し、起き上がり、またぶつかりながら戦う姿はとても気高いと思う。そこにどんな境遇でも生きて行く人の姿があると思うから。

2020年02月04日 15:24

バリアフリー試写会を開催します・場所は国会議員会館!

クラウドファンディングでご支援をくださった皆様

お元気ですか?

 

「インディペンデント リビング」の劇場公開が大阪から始まりました。

大変、好評なので、公開時期が延長し、2月14日まで続きます。(ありがたい!)

そして待った無しに、東京での公開も迫ってまいりました。

そこで、れいわ新撰組で議員になられた舩後晴彦議員のご協力で

国会議員会館で試写会を開くことになりました。

 

これは誰でも参加できます。さすがの議員会館は完全バリアフリー。

劇場での鑑賞は車椅子の台数が限られますので、ぜひ、こちらで観ていただけたらと思います。

 

拡散していただけたら、ありがたいです!!

障害のない方も誰でも参加できます。

申し込みはこちらからお願いします。

※うまく転載出来なくてすんません。
と、いう訳で、試写会には行けなくても、ご覧になれる方は是非劇場へ。
儂は出雲だから多分無理だとは思うけれどDVDが出たら買って観ます。

第三章 戦国擾乱(じょうらん)(12

 

 甲高い声が辰敬の耳を貫いた。

「若様」

必死になだめるのはおまんの声である。

「御屋形様も大方様もお待ちになっておられます」

「嫌じゃと言うたら嫌じゃ」

「そのような聞き分けのないことを仰せになられては困ります。涼しいうちに出立いたしましょう」

「鞠がなければ行かぬ」

 辰敬ははっとなった。

 二人で遊んだあの鞠の事に違いない。父材宗の形見の品でもある。

「捜します。必ず見つけ出して、後からお送りいたします」

「嫌じゃ。いま持って行くのじゃ。鞠がなければ行かぬ」

 暫く遊んでいなかったが、吉童子丸にとってあの鞠は大切なものであり続けたのだ。奥に閉じ籠っていたが、本当は辰敬と蹴鞠をしたかったに違いない。

 辰敬の胸にじんわりと熱いものが込み上げて来た。

 父の遺品で、楽しい思い出の籠もった鞠。そのかけがえのない鞠が、荷造りの混乱で行方が分からなくなったのであろう。

「鞠を持って行くのじゃ」

 悲鳴に似た叫び声が上がった時、辰敬は見送りの列をかき分け、玄関に駆け込んでいた。

 式台に飛び上がり、次の間に走り込むと、仁王立ちで抗う吉童子丸の前にがばっと両手をついた。

「吉童子丸様、辰敬にお任せ下さい」

 吉童子丸は驚いたように目を見開いた。

「辰敬が捜します」

「辰敬……」

「お約束します。見つけ出し、必ずお届けします」

 心底からそう思ったのだ。そうしなければいけない。それが自分の使命だとおもったのである。その気持が届いたのか、 

「本当じゃな」

 すがりつくような目で吉童子丸は叫んだ。

「あの鞠だぞ。本当に見つけて、お前が持って来てくれるのじゃな」

 鞠を蹴り合っていた時の顔に戻っていた。どんな難しい鞠も必ず蹴って返してくれる辰敬を信じて疑わぬ目をしていた。

 辰敬はうっと返事を呑み込んだ。たとえ見つけても、辰敬が届ける事はあり得ないであろう。

辰敬はひれ伏すしかなかった。

 吉童子丸が出て行くまでひれ伏し続けた。

 その気配が玄関に降りると、辰敬は奥へ駆け込んだ。

 すぐにも鞠を見つけてやりたかった。

 今なら間に合う。吉童子丸に手渡す事が出来るから。

 だが、奥はまるで嵐が通り過ぎた跡のような有様だった。長櫃や唐櫃、様々な箱や行李、入り切れなかった衣類や家財道具が片づけ切れないまま無造作に置いてあった。

 吉童子丸の部屋も納戸も、棚の中も慌ただしい旅立ちである事を物語っていた。

 辰敬は手当たり次第に動かせるものは動かし、蓋のあるものは片っ端から開けて回った。

 まだ間に合う。走れば追いつける。そう言い聞かせながら捜しまわったが、鞠はどこにもなかった。

 小庭にも飛び降りた。転がり落ちているかも知れないと思ったのだ。生い茂る羊歯に首を突っ込み、花や草をかき分け、庭石の後ろを覗き込み、木の根元を犬のように周り、縁の下にも潜り込んだが、どこを探しても見つからなかった。

 もしやと木の枝を見上げたが、引っ掛かっている訳もなく、蝉が鳴いているだけであった。

 どれくらい捜していたのだろうか。まだ間に合う、まだ間に合うと捜しているうちに、ずるずると時が経ってしまったようだ。

辰敬は飛び石の上にへたり込むように尻を落とした。石は火傷しそうなほど熱かったが、暑気と汗でぼうっと上気した辰敬は立ち上がる気力も萎えていた。

 今からでも必死に走れば、遠く行列ぐらいは見送れるかと思うも、手ぶらでは心も足も重かった。

 結局最後まで役に立たない家来だったなあと自嘲しかけて、また慌てて自分に向かって言い直した。いや、これが最後だったらたまらない。そして、誓ったのであった。

「必ず見つけますけん」

 祇園会の最中にも辰敬は鞠を捜し続けた。

 今年も印地騒ぎがあったが、侍所の兵士など出る幕もなく、大内の兵が出動すると、たちまち鎮圧してしまったと言う。河原者達は散々に蹴散らされたらしい。

 

 大内義興は祇園会が終わると周防へ戻ると言い出した。その頃までには、義興と共に上洛した諸将は殆どが帰国していて、義興も長居する気はなかったのである。

 仰天したのは、義尹と高国であった。

 再任した義尹を支えるのは近国を抑える高国と、西中国と北九州を抑える義興の軍事力であるが、実質的には義興が一手に支えていると言ってよい。その義興が帰国してしまえば、義尹と高国の政権が瓦解するのは目に見えていた。

 義尹と高国は必死に義興を引き止めたが、ここで力になったのが後柏原帝であった。

 帝は「天下一変すべし」と憂慮し、内大臣三条西(さね)(たか)を義興の宿所に派して帰国を断念させたのであった。

 七月二十三日、大内義興は「管領代」格として、従来の六分国に加えて山城守護に任じられた。「管領代」とはこれまでにはなかった役職で、義興の為に作られたのである。いかに義興に頼っていたか分かろうと言うものだ。

 左京大夫大内義興は右京大夫細川高国と力を合わせ、義尹政権を支える事になったのである。

 諸人は二人を両京兆と称した。

 

 主が去った京極邸の寂しさは言語を絶した。

 材宗の死後も残っていた奉公人達も次々と去り、一人消える度に壺や花瓶などが消えて行く有様だった。

 辰敬は邸の警固の他に、これ以上持ち去られないように、道具類や調度品を蔵にしまう仕事が増えた。だが、この作業は鞠を捜し続けていた辰敬にとっては好都合だった。邸中の部屋に出入り出来たからであるが、鞠は一向に見つからなかった。

 それでも辰敬は諦めなかった。吉童子丸との約束は忘れていなかった。鞠はいつも心の中にあったのである。

 夜の警固は以前にも増して力を入れなければならなくなった。少なくなった人数で当番をこなして行くのは若い辰敬でも辛かった。

 その上、夜回りまでもが持ち逃げするのだから油断も隙もあったものではない。

 ある夜、香炉を持ち逃げしようとした奉公人を見つけ、辰敬は追い詰めた。刀に手を掛けると、中年の雑色は居直った。

「ろくに給米ももろとらんのや。長年のお手当がわりにもろて何が悪いのや」

 辰敬は刀を抜く事が出来なかった。

 広い京極邸の闇は夜毎に広く深くなって行くようだった。大文字の送り火が過ぎてから、材宗の幽霊が出ると言う噂が囁かれるようになった。

 吉童子丸と御寮人に会いたくてさ迷ううちに、あの世に戻れなくなったのだと、奉公人達は囁き合った。

 ある者は高清への恨みを吐く血まみれの亡霊を見たと言い残して、恐怖の余り邸から逃げ出してしまった。

 辰敬も真夏にも関わらず、深夜の邸内で、背筋がぞくっとするような目に何度も遭った。

 正直亡霊は恐かった。こんな時、多聞がいてくれればと切実に願った。

 実は多聞はこのところ邸に姿も見せず、夜回りすらしていなかったのである。

 御屋形様たちが下向してから、邸内で多聞の姿を見たのは、数えるほどしかなかった。

 京極家における多聞の身分は曖昧で、ただ働きをしていたのだから、出仕しなくても文句は言えない。御奉公の気持ちが萎えるのも分かる。だが、多聞は御屋形様から都に留まり、邸を守れと命じられているのである。これまでのひた向きな御奉公ぶりを知っている辰敬としては、この掌を返したような懈怠がどうにも合点が行かなかった。

 多聞は邸外に家を借りて通っている。

 今は邸も閑散とし、辰敬の住む長屋も殆どが空き部屋になっているから、移って来てもいいはずだ。移って来てくれたらどれだけ心強いことか。

 同じ長屋になぜか次郎丸は残っていた。

「雨露しのげる所はそうそうないよってなあ」

 この男も奉公を怠り、何をしているのか判らない。何やら外稼ぎをして、長屋を宿代わりにしている。許せない事だが、そのたくましさと要領の良さには、辰敬も感心せざるを得なかった。

 次郎丸はお喋りで事情通だったので、ある日、多聞への疑問を投げかけて見た。

 次郎丸はぶるぶると顔を振り、

「知らん、何も知らんでえ」

 と、とぼけると、首をすくめながらにたっと意味ありげな笑みを浮かべた。

「あの御仁は怖いよってなあ」

 口に蓋をしてしまったので、話しはそこで終わってしまった。

 何やら事情があるらしいことだけは判ったが、それが何かは見当もつかなかった。

 暑い夏はあっという間に過ぎ去り、寂しい邸には秋の訪れも早かった。

 その秋も深まった十月も二十日を過ぎたある日、寂しい邸内が俄かに騒然となった。政経が吉童子丸に家督を譲るらしいと言う報せがもたらされたのである。

 辰敬は邸を飛び出した。

 すぐにも多聞に知らせようと思ったのだ。

 多聞の住処は知らないが、以前に誰かが、多聞は天神山を出す町から通っていると言っていたのを思い出したのである。天神山は乱後に新しく作られた山で、町の名もすぐに分かった。

風早町と言い、綾小路の東西に面し、北は油小路、南は五条坊門小路の間の町であった。町内に公家の風早家があり、その屋敷に祀られていた天神像を勧請して、天神山を建てたものである。

 西へ一町行くと、都の水運を担う運河、堀川が南流している。

 京の町は路を挟んだ向かい合う町屋で一つの町を構成する。だから碁盤の目のように区切られた四角形の一つは、東西南北四つの町が背中合わせに囲んでいることになる。すると中央に四角い空き地、中庭が出来る。

 そこが四つの町の住人達の共有の広場となり、井戸や厠、物干し場もあれば、木や花も植えてあり、畑などもあった。

 多聞の住処は風早町の東頬の町屋の間から奥へ入った共有地の中にあった。教えられたのは小さな藁葺きのあばら家だった。小屋と言った方がふさわしいみすぼらしさを前にして、辰敬は立ちすくんだ。

 多聞が扶持を辞退して奉公していることを思い出したのである。こんなあばら家に暮らしていたとは。なればこそ、京極邸の長屋に移って来ればいいのにと今更のように思うのだが、多聞の一徹さを誰よりも判っているのも辰敬であった。

 狭い入り口に筵が垂れ下がっている。

 京極邸の御長屋のような片開きの戸ではない。

 辰敬はその筵に顔を近づけ、おとないを入れた。

「申し、多聞さん」

「だ、誰じゃ」

 余程驚いたらしい。多聞とは思えぬ取り乱した声がして、何やらばたばたする気配がした。

「あ、あのう、辰敬じゃ」

 筵の端から多聞が顔を突き出すと、

「何の用じゃ」

 噛みつくような勢いで怒鳴った。余りの剣幕に辰敬はたじろいだ。

 その時、多聞の肩越しにちらりと狭い屋内が見えた。京極邸の長屋のような片土間ではない。床はなく、土の上に筵が敷いてあるだけである。その土間の半分を仕切るように、張り渡した竹から二枚の筵が垂れ下がっていた。

当然、その向こうは見えないのだが、その筵がゆらりと揺れたように見えたのである。

「何の用か聞いておるのじゃ」

 多聞は苛立っていた。

「あ、あのう、出雲からの知らせじゃ。御屋形様が吉童子丸様に家督をお譲りになされるらしいと……」

 しどろもどろに答えると、

「何じゃと……」

 みるみる多聞の顔から血の気が引いて行き、顔面蒼白になった。

「ちょっと来い」

 表に出るやぐいと辰敬の袖を掴み、凄い力で引っ張って行く。一瞬、辰敬はあの家から辰敬を引き剥がそうとしているのではないかと思った。

「詳しく説明せえ」

 近くの寺の境内に入ると、多聞は怖い顔で辰敬を見据えた。辰敬は多聞が怒った顔は何度か見たが、これほど恐ろしいと感じたのは初めてだった。

「惣領職と出雲・隠岐・飛騨の守護職、諸国の所領をお譲りになされ、多賀伊豆守様と民部様に吉童子丸様の行く末を御相談なさったとか」

呻き声が漏れた。

「御屋形様は長くないぞ」

 

↑このページのトップヘ