曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2019年08月

第三章 戦国擾乱(じょうらん)(8

 

 辰敬は御前を下がると一目散に上京へ飛んだ。文字通り辰敬の身体は宙を飛んでいた。足の裏に固い大地を感じなかった。

「いち……」

 叫びながら土間へ飛び込んだが、狭い家の中はがらんとして静まり返っていた。

「もの申す……いち……」

「なんや、うるさい」

 二間続きの部屋から公典が現れた。手には筆があった。書きものをしていたのだろう。

「あのう、いちは」

「おらん」

「どこへ」

「……」

「いつ戻りますか」

「もう戻らへん」

 怪訝な顔をすると、

「嫁に行ったんや」

 辰敬は呆けたように立ち尽くした。気が遠くなって行くのが分かる。冷たい土間に吸い込まれ、深い奈落の底に落ちて行くようだ。目の前も真っ暗になった。

「いつ……」

 うわ言のように呟いていた。

「昨日や」

 残酷な声だった。

「ああ……」

 崩れ落ちるようにがっくりと両の膝をつくと、辰敬は握り拳で土間を打った。

「御屋形様は御褒美を下さると仰せになったんじゃ。いちの望みのままに……」

 今更どうにもならぬ事とは言え、盗賊撃退にいちの手柄があった顛末を叫ばずにはいられなかった。無念の余り、涙がこぼれた。

 公典は最後まで聞かず、ぷいと引っ込んでしまった。

 再び家の中は墓場のように静まり返った。

 いちの母親もいるはずなのに、ことりとも音がしなかった。

 呆気ない別れだった。

 辰敬が路地を抜けて、表通りに曲がろうとした時、呼び止める声がした。

 振り返ると公典が追いかけて来て、

「なあ、ものは相談やけど、その御褒美とやら、いちの代わりに貰えんものやろか」

 辰敬は返事もせず、足を速めた。

 

 どこをどう通って帰ったのか、辰敬は何も覚えていなかった。

 誰にも会いたくなかったが、御屋形様に報告しない訳には行かない。

「一足違いか。それは残念やったな」

 同情するような口ぶりだったが目は笑っていた。いちの代わりに褒美を取らすと言われたが辰敬は辞退した。

 人の気も知らないで。褒美など貰う気持になれる訳がないではないか。

 御屋形様にもむかっ腹が立った。自分の良き理解者だと思っていただけに失望を禁じえなかったが、少し冷静になると、大人から見たらきっと大したことではないのだろうと思うに至った。御屋形様のように辛い事や、苦しい目にばかり遭って来た人にとっては。

 御屋形様のあの笑みも、長い人生においては誰にでもあることなのだよと、辰敬を慰めていたような気もする。だが、笑われたのはやっぱり恨めしかった。

 長屋の一室に戻ると、辰敬は身投げをするように倒れ込んだ。

 昨夜の惨劇の衝撃も覚めやらぬうちに、別離の悲運に襲われた辰敬は、身も心もすでに限界だった。

 そのまま死んだようにぴくりとも動かなかった。

 死んでも良かった。

 いや、死んでしまいたかった。

 だが、現実はそう簡単には死なせてくれなかった。

 何やら耳元で叫び喚くような声がしたかと思うと、辰敬は激しく揺すぶられた。

「辰敬、起きよ。早う、起きてたも」

 ぼんやりと目を開けると、辺りは真っ暗だった。肌が知る夜気は夜更けと言うにはまだ早かった。

 死んでいた時間は短かったようだ。

「おまん様がお呼びや」

 はっきりとそう聞こえた。

喚いていたのは吉童子丸付きの女房である。

「すぐに奥へ来てたも。吉童子丸様をお救いできるのはわぬししかおらぬと仰せなのや」

 またかと辰敬はうんざりとした。正直いい加減にして欲しいと思った。今夜だけは一人にしておいて欲しかったのに。

しぶしぶ起き上ると、女房はその背を突き飛ばすように急き立てた。

 奥に行くと、おまんが髪を振り乱してすがりついて来た。片頬が青く腫れ上がり、血が滲んでいる。

「遅いやないか、辰敬……」

襖の向こうから、きいっと吉童子丸の金切り声が聞こえて来た。昨夜の盗賊騒ぎの時と同じ悲鳴である。

「今宵はまた一段とひどいのや。昨夜のことがあったからやろう」

おまんが襖を開けると、射し込む灯明の明りの奥に、小さな狂人が蹲っていた。

吊り上がった目が辰敬を睨みつけている。

昨夜は白刃から護るために無我夢中で抱きついたが、今夜の辰敬はそのおぞましい姿を前に立ちすくんだ。心が拒否していた。もうこんな子の相手はしたくないと。

「なにぼやぼやしとるのや。早うお慰めせぬか」

 どんと背中を突き飛ばされ、辰敬は吉童子丸の前につんのめるように倒れた。咄嗟に両手を突き、四つん這いになった、次の瞬間、左のこめかみ辺りに凄まじい衝撃を受けた。ぐしゃっと鈍い音がして辰敬は目が眩んだ。一瞬、頭の骨が砕けて飛び散ったのかと思ったが、視界に散らばったのは花瓶の破片だった。

 吉童子丸に花瓶で殴られたのだ。小さな狂人はその花瓶の残骸を振り上げた。

 辰敬は頭を抱え転がるように逃げていた。勢い余って庭へ転落、頭の同じ場所をまた踏石の角にぶつけてしまった。呻きながらよろよろと起き上ったもののすぐに蹲った。頭が朦朧とする上に、痛みがひどくて立っていられなかったのである。

 女房達が背後で騒ぎ立てる声もまるで遠い別世界の声のように聞こえる。

「辰敬……辰敬……」

 おまんの金切り声が頭に響く。

 辰敬は振り払うように頭を振ると、ふらふらと歩き出していた。

 おまんが叫んでいた。

「どこへ行くのや、辰敬……」

 どすんと辰敬は固いものにぶつかった。

 分厚い胸板が立ちはだかり、多聞の細い目が刃のように見下ろしていた。

「だらずが」

 いきなり頭から冷水を浴びせられた。

 前にも「だらず」と叱り飛ばされた時の光景が昨日の事のように浮かんだ。

「なんじゃ、その体たらくは」

 押し殺した低い声がきりきりと辰敬の胸を突き刺した。

「武士たる者、己を滅し奉公しなければならぬ時がある。それが今じゃろうが」

 いちを河原者から助けてくれた時、多聞は多くを語らなかったが、同じ意味の事を言った。武骨な多聞は辰敬にあからさまな好意を示す事はなかったが、気を掛けている事は辰敬も感じていた。

 多聞の怒りは痛いほど判る。

 辰敬は多聞の顔を見る事が出来なかった。

「その一番大切な時におなごなんぞに魂を抜かれおって。おなごのことは忘れたのではなかったのか」

 本当に怒っている。声が震えていた。

「恥を知れ、恥を」

 ふっと涙が込み上げて来た。悔し涙だった。叱られた悔しさだったのか、多聞の信頼に応えられなかった悔しさなのか、いや、いちへの想いが判って貰えない悔しさなのか判らなかった。きっと全部ないまぜになった悔しさだったのであろう。

 辰敬はぱっと振り返った。多聞に涙を見られたくなかった。おまん達にも見られたくなかったが、女房達は遠巻きにしていたので、灯りは遠かった。暗いのが救いだった。

 辰敬は薄暗い座敷に引き返した。

「来るな」

 吉童子丸は割れた花瓶を振り上げた。

「若様、辰敬でございます」

「来るな、来るなと言うのに」

 もはや吉童子丸は正常な判断を失っていた。

恐怖に引きつった目で辰敬を睨みつけている。辰敬が盗賊にも、敵兵にも、悪魔にも見えるのだろう。

辰敬は思案すると、

「怪しい者ではありません。よおくご覧ください。ほれ……」

 と声を掛け、着ている物をかなぐり捨て、下帯ひとつの素っ裸になった。

吉童子丸はぽかんと呆けたように見ていた。辰敬はにっと笑みを返した。

「すっぽんぽんの辰敬でございます。御安心めされ」

滑るように近づくと、素早く吉童子丸を抱きしめた。

「辰敬がついております。もう恐ろしい者はおりませぬ。ずっとずっと辰敬がお側に……」

 と言ったところで言葉が途切れた。

 腕の中の身体が余りにも痩せていた事に驚いたのである。吉童子丸を抱き締めるのも二度目だったが、数ヶ月前より明らかに痩せていた。骨と皮と言ってよかった。

 戦で受けた心の傷がこれほど残酷なものだったとは。父を失った悲しみも時間は癒していなかったのである。勿論、その間、辰敬も何の力にもなっていなかった。

「おいたわしや」

 はらはらと涙がこぼれていた。

 この子を離れてはならぬ。ずっとお側にいなければならぬ。

 腕に力を込めた時、涙が吉童子丸の頬にぽたぽたと滴り落ちた。

 吉童子丸ははっと見上げた。まるで不思議なものが落ちて来るように見ていたが、やがてそれが辰敬の両の目からこぼれる者と判ったようだった。そっと目を閉じると辰敬の腕に身を委ねた。

 静寂が戻った。

 辰敬の背にふんわりと暖かい小袖が掛けられた。おまんが掛けてくれたのだ。

 辰敬はそっと見回したが、多聞の姿はなかった。

吉童子丸の身体に温もりが戻り、辰敬の身体も温もって行くのが判った。人は抱き合うことでこんなにも満たされるものかとしみじみと思った時、辰敬の胸に勃然と浮かんだのは、この腕の中にあるのがいちだったらとの思いであった。

多聞に叱責されたばかりなのに、失ったものの大きさを噛みしめながら、長い間、抱き締めてくれる者が誰一人としていなかった吉童子丸を辰敬は抱き締め続けた。

 その夜から、辰敬は奥に宿直(とのい)することとなった。吉童子丸の隣室に泊り、吉童子丸が発作を起こした時に、慰める役である。

 発作は毎晩のように起きたが、辰敬が慰めることで、これまでのように長い時間、吉童子丸が苦しむ事はなくなっていた。

 辰敬にとってもこの勤めは苦ではなかった。辰敬の心にはぽっかりと大きな虚ろな穴があったが、吉童子丸を抱き締めている時だけ、その穴にすっぽりと吉童子丸が収まっていたのである。辰敬は傷ついた小さな魂の温もりを感じていた。その温もりは少しずつではあるが夜毎に増して行き、辰敬をも癒してくれるのであった。冷たい夜のその一時だけではあったが。

 

 都の片隅の、今や忘れられた屋敷の中で、このような日々が過ぎて行く間に、政治の世界では、飽くなき政争がまたぞろ呆れるような展開を繰り広げていた。

 畠山尚順と義英の争いの淵源は、応仁の乱のきっかけの一つとなった、管領畠山家の家督争いにあった。実に応仁の乱の前から始まり、未だに続いているのだから、三十五年続いた京極騒乱よりもさらに長い年月を争い続けていることになる。

 その両家が政元暗殺に始まった都の擾乱を奇貨として手を結び、細川澄元に対して決起したのであったが、澄元が腹心の赤沢長経を奈良に送り込むと、畠山尚順はたちまち赤沢長経と和睦してしまったのである。

 そして、畠山尚順と赤沢長経は共同して畠山義英を攻撃したのであった。

 この時、細川高国も摂津や和泉の軍勢を率いて尚順の支援に回った。

 政権転覆を目指す戦いが、また畠山一族の内紛に戻ってしまい、尚順たちが義英を攻め立てている頃、十二月の半ばになって、一番恐れていた知らせが西国からもたらされた。

 流れ公方足利義尹が将軍復帰を目指し、上洛の途についたとの急報であった。

 義尹は庇護者であった大内義興を動かす事についに成功したのだ。上洛の噂が現実のものとなったのである。これまでにも義尹は度々上洛を図ったが、ことごとく挫折し、庇護者を求めて逃亡を続けて来たのだが、此度の上洛の知らせは天下を震撼させた。

 過去に義尹の上洛を支援したのは、地方の弱小の守護代や守護大名に過ぎなかった。結果を見ても分かる通り、その力において西国の太守大内義興とは比べものにならない。

 その大内義興が周防・長門・安芸・石見・豊前・筑前の六カ国の分国を傾けて大船団を組織し、周防松崎(現在の防府市)の湊を出帆したのである。その数、数百艘に及ぶ。

 その船数が都の噂では、数千艘に、さらには一万艘にも膨れ上がっていた。

 石見からは、三隅・福屋・周布・吉見・益田氏などの諸将が従った。

出雲からは民部様(尼子経久)も従った。辰敬は父の忠重も上洛するかと期待したが、誰も何も教えてくれなかった。

家中は尼子経久の上洛をことさら無視する雰囲気だったので、辰敬は聞くことも憚られた。もし誰か縁者や知り合いが上洛するなら、連絡があるはずだから、それを待つ事にした。

 

 一方、幕府の慌てようは不様だった。予想された事なのに、何の対策も練られていなかったと言ってよい。幕府は細川澄元を通じて義興に和議を申し込んだ。

澄元はその役目を細川高国に命じ、義興との交渉に当たらせたが、足元を見透かされた幕府は鼻であしらわれる始末であった。

 このような状況下、年を越した永正五年の正月、ようやく尚順達は義英が籠もる河内(たけ)(やま)城(現在の富田林市)を落とした。

 ところが、あろうことか赤沢長経が畠山義英を助けて逃がすという椿事が出来した。

 その前から長経と尚順の間に不和が生じていて、ついに抜き差しならぬまでに高じてしまったのである。

 打って一丸とならねばならぬ時に、このような内輪揉めを目の当たりにして、将軍足利義澄も細川澄元も焦燥を募らせるばかりであった。

8月15日、出雲を台風が直撃すると言うので緊張する。皆、口々に「出雲は大社さんに守られているから大丈夫」と言っていて、実際に台風が直撃したことは殆ど記憶がないと言う。儂も帰郷して8年目、どストライクの台風は初めてだ。だがTVを見ると、四国や和歌山の方では1000mmにもなると言う大雨が降っている。いくら大社さんに守られているとは言え、今度ばかりはヤバそう。一体どんなことになるのだろうと、15日は朝からTVとにらめっこの初盆であった。13日、14日と来客があったので、台風の日はお参りはないだろうと思っていても、ホームセンターへ補強の板やロープも買いに行けない。
午前中は家で空を眺めながら、お客と台風を待つ。ところがお客は来ないし、台風は少しずつ近づいて来るも嵐の前の静けさとはこの事かと思うくらい天下泰平波静か。時々、風が吹くくらい。午後になっても嵐の前の静けさとはこんなに長い時間続くものかと思うくらいひたすら静か。客は来ないし、余りにも静かなので、ぼんやりしているのも勿体ないので畑に出る。
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ミニトマトの支柱が揺れていたので、ロープで補強する。本当は風で倒れてもいいと思っていたのだが、余りにも暇なので。実が終わってしまった枝から下の葉は不要なので、それも全部切り落とす。時間が余ったので秋作用の畑の草抜きしたりして結構な汗をかく。
そうこうしていると夕方になる。御客も来ず。台風は広島に上陸したと言うのにいつもより風が強い程度で雨すら降らない。6時ごろになり、暗くなってようやく細かい雨が降り出す。
台風は出雲市付近を通過中と言うが、多少風が吹き、少しばかり雨が強くなった程度。出雲市も松江寄りの東の外れの方を通過したようだ。
8時過ぎには大雨警報も暴風警報も解除され、9時には松江の北の日本海に行ってしまう。
11時になったので寝ようとした頃から、風が激しくなる。吹き返しの風である。目が覚めたら朝の4時ごろもまだびゅうびゅう吹いていた。結局、一晩中風が吹いていたようだが寝ていたので殆ど気にならず。トマトの支柱も適当にロープで結んでいただけだったがびくともしていなかった。
今日16日、近所の人と話したのだが、「一体あの台風は何だったんだろう。どんなすごい台風が来るかと怯えていたのに。直撃したのになーんもなかったよ。やっぱり大社さんがまもってくれたのかなあ」と、オチが付く。
鳥取の水不足のダムが雨が降らなかったので取水制限しないといけないと嘆いていた。

ブログ引っ越しましたが、全部、娘婿にやってもらった。脇から見ていたがとても儂には無理。細かい設定も娘夫婦にやってもらったが、まだ完全ではないと思う。ぼちぼちあちらこちらいじくって体裁を整えて行きますのでもう少し辛抱してください。上のミニトマトの写真ももっと小さくしたいのですがいくらやっても小さくなりません(笑)
困ったもんだ。

8月11日。朝から炎暑なるも畑に出る。9月の用意を出来るうちにやっておかないと、秋になってまたばたばたしないといけない。池の西側は何をどこへ植えたのかこの二、三年分があやふやになって連作障害を考えるのが面倒くさくなり、今年の秋作はメインを池の東側に決めた。東側のカボチャを引っこ抜き、ネギも引っこ抜き、雑草退治に取り掛かる。
11時前には上がり、特養へ。お昼の食事介助して帰宅。引き続き畑をするつもりだったが、お墓の草抜きが心配になる。お墓は12日にきれいにするつもりだったが、間に合わないような気がして、午後から草抜きに取り掛かる。しっかり除草剤が撒いてあるので、簡単に抜けるとたかを食っていたが、枯れてはいても根はしっかり土にしがみついているので抜けやしない。慌てて草削り用の鍬を取って来て、枯れ草を削り取り、スチールの箒で枯れ草を集めるが滝のように汗は流れ、暑さで眩暈がする。甲子園のグランドもかくやと思うほどの炎熱地獄なり。45分間やって45分休む。シャワーを浴びて、水分補給。これを2回繰り返したが半分も終わらず。
8月12日は午前中お墓へ。昨日上の妹が初盆で帰省。夕方、先に帰省していた妹と二人でお墓の草抜きをしてくれたが草削りしていないので、草削りのやり直しをして、どうにか終了。その足で特養へ。水土日は特養へ行く日。昨日も行ったが、日曜の今日も行く。さつま芋の天ぷらを食べたいと言っていたので、持って行く。もちろんノンアルコールビールも。11時から約1時間半相手をして帰宅。簡単に昼飯を食い、午後は畑に出る。畑も45分やって、45分シャワー&水分補給休憩を2回繰り返す。枯れ草を燃やしたのでダブルで熱い。
夕方、おにぎりを3個食って、特養へ。
夏祭りがあるのだ。今年で3回目になる。6時前に夕食。今日は二度目の食事介助。
夏祭りと言っても、隣の小学校の夏祭りに便乗させてもらうもの。施設側も綿菓子のお店を出して協力。食後1時間ぐらいベッドで休み、暗くなってからお祭りに行く。
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今回のゲストはX+(エクスト)と言う男性二人組。島根県の邑南町出身で邑南町観光大使、出雲市観光大使、島根県ふるさと親善大使、遣島使なる地元密着グループだが、ノリがよくて、CDも結構売れているらしく、この3年のうちでは一番盛り上がっていたのではなかろうか。妻も楽しそうに盛り上がっていた。いつもならすぐに横になると言うのに、一度も帰るとも横になるとも言わなかった。
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綿菓子を食べる。手がべとべとになる。花火を見て8時半過ぎに戻る。
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8月13日。娘夫婦も帰省。朝早くから犬の散歩。隣の田圃。いつの間にかこんなに実っている。その後、お墓に花を供え、線香をあげに行く。花代やはなのきの費用がばかにならない。右の写真の中央がはなのき。母が25年前に田舎に戻って来た時に植えたもの。このはなのきを切ってお墓や仏壇に供える。経費節減になるので、近所の人も貰いに来る。こういう葉っぱには樒(しきみ)とか似たようなものを売っているが、さっぱり見分けがつかない。
初盆なので、我が家は11時半に和尚さんが来る。この夏は10軒くらい新盆の家があるので、和尚さんは忙しい。いつもの棚経は5分ぐらいで終わるが、今日は20分ぐらい。冷茶を一口飲んだだけで次へ回る。午前中にお参りの客が2組。午後にも1組あって、夕方には隣保の新盆参りがある。隣保の12軒がお参りに来る。これが当地のならわし。これでようやくお盆の行事は終了。
台風が来ると言うので、九州から来た妹は和尚さんが終わったら車ですぐに帰る。
娘夫婦も東京から車で来ていたが、明朝はやく帰る。寂しくなるなあ。

今夜、ブログの引っ越しをする。というか、娘婿にやってもらう。

5日、お寺さんで山門施餓鬼会が行われる。帰郷した夏に一回出たきりなので七年ぶりの参加。これまでは妻が在宅で出られなかったが、もう特養のお世話になっているから出ない訳にはいかない。特に今年は父が亡くなり、新物故者特別塔婆供養もある。
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日に日に暑くなり、今日は朝から「ここはアフリカか」と言うぐらいの炎暑。10時半過ぎには着くもほとんど人の姿は見えず。本堂も戸が閉められていたので、分からなかったが、入ってみたらすでに八分の入り。冷房をかけていたから閉め切っていたのだ。
11時から施餓鬼会が行われる。他所の寺の僧侶が10人も参加。ここで初めて本堂の戸も開け放たれる。施餓鬼会は本堂の中から外に向かって行われる。七年前のことをすっかり忘れていて、何で坊さんは本尊に背を向けて読経をするのだろうと思っていたが、そもそも施餓鬼法要とは、餓鬼道に堕ちて苦しんでいる者、すなわち、食べ物や飲み物がない世界で苦しんでいる者に施し(洗米と浄水)を行うものであるから、外に向かって行うと言う解説を聞き、そうだったのかとこの年になって「ガッテン」する。
前の人の見よう見まねで、洗米して、浄水して、お祈りする。
その後、30分ほど平田の鹿苑寺さんの御説教がある。鹿苑寺は普通は「ろくおんじ」と読むが、このお寺はなぜか「ろっこうじ」と読むのだそうだ。
12時過ぎから、昼食。うどん供養。
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このうどんが美味かったという記憶はある。折も出たが、ほとんどの人は折は持ち帰り、みな、うどんをすする。テーブルにおおきな盥に冷やしたうどんがたっぷりと出される。この出汁が美味い。何でもお寺さんの秘伝の出汁らしい。わしらが濃縮のつゆを薄めて使うのとは大違い。うどんは脂質を気にしなくてもいいので何杯もお代わりをする。
イメージ 5供えてあるひらひらしたものは、洗米して浄水した後に、一本ずつ貰って来るもの。家に戻ってからお供えする。この他に塔婆も貰って来て立てて置く。
後はお盆の棚経を待つだけ。わが家の予定は8月13日11時半に決まっている。初盆は特別に日を設けてするのはやめる。最近は身内だけでやる家が多いらしい。特に我が家の場合、5月に葬式、6月に49日、8月に初盆と続くと、親戚が皆高齢なので集まってもらうのが申し訳ないので、棚経を初盆にした次第。その分お経は念入りにあげてくれるそうだ。
昼間は地獄の暑さだったが、夜になると強い風が入る。遠くの台風8号の影響かもしれない。少し生き返る。

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